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令和五年十一月公演(十一月十日) 第二部「奥州安達原」 三段目 その1
11月になっても暑い日が続いて爽やかな気候とは言えず、体調も不安定になりがちです。開演前になっても空席が目立ち、シニアの健康が心配されましたが、直前には前方席はほぼ満席となりました。新人間国宝玉男師を初め、和生師、清治師御三方の揃い踏みとあって、期待が高まったのでしょう。
☆朱雀堤の段
藤太夫 清志郎
「さればにや少将は‥」から滑かに始まり、三味線も美しく、さあこれからと期待が膨らみました。しかし全体的に滑か過ぎて平板になりメリハリに乏しく、淡々と進むばかりで、六などの男達の野卑にリアルさはあるものの、袖萩の「行き先を思ひ廻せば夜の目も合はず、」は深みがありません。瓜割のワル振りも普通、{仗と袖萩の出会いもあっさり。
つまりは人物描写が甘く、これからの展開に資する力が弱いのが残念でした。
但し登場人物が多く、語り分けが大変な中で、よく整理して観客を混乱させなかったのは、手腕の一つでしょう。
☆敷妙使者の段
希太夫 清丈
{仗直方とその妻浜夕という老夫婦の会話は「奥歯、漏れくるまばら声」である筈なのですが、無駄な高音と大声で、老人とはとても思えない。その上旋律流れず、リズム無しときては、折角の劇的な場面もただ説明となり、肩透かしとなりました。{仗は「元来それがしは平家、‥」と述べる通り、論理的でその分自己に厳しく、苦しみも一入なのですが、希太夫はその論理に同調せず、どこか他人事です。
「八幡太郎参上」に重み無く、声か大きくなるだけで、「‥時しもあれ」と言っても、その「時」
は終に出現しませんでした。
☆矢の根の段
芳穂太夫 錦糸
三味線はリズム良く澄み切った音色で浄瑠璃を先導します。芳穂は「娘は立って行く」だけで新しい局面を開き、聴衆の展望を明るくしました。ここに至ってやっと劇中人物が立ち上がってきたのです。
「中納言則氏卿、」と言う声と共に、厳かにしずしずと登場する則氏は、流石玉男師の遣う人形だけあって、堂々たる格式の高さが感じられ、大きく見えて立派でした。その顔も端正にして申し分無く、あたりを払う威厳がある中に、何処か下心が漂うあたり玉男師の、表現への精進振りが示されます。
芳穂はこの段を切り開こうという気概があるので、思い切りよし、口跡よしで、「これはまた思ひがけもない、‥」にはリズムもあって、それが「‥白々しさ」という裏をかえって明白に示します。南兵衛、則氏、義家の絡みも緊迫して面白く、則氏が「さこそあらん。」と{仗を責め立てる梅の論理の決めつけ方も、逃れ難い締め付け感があって、説得力がありました。
つまりこの段は芳穂と錦糸の三味線が相俟って、丸本の二次元から三次元の劇へと進んだのであって、やがては四次、五次‥X次と高次の劇が立ち現れる可能性を示したのです。
千秋 2023/11/17(Fri) 19:08
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346]
十一月公演評
気候なり体調なりで、
この程度の仕上がりとなりました。
拙遅だけは避けたつもりです。
勘定場 2023/11/08(Wed) 17:16
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345]
拾壱月
穏やかではあるが、
天候の激変は否めない。
今後は暖秋で推移し、、
そして急転直下冬に突入するのではなかろうか。
地球温暖化は常なるものとなったようである。
勘定場 2023/11/01(Wed) 16:11
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344]
祝
久しぶりにHPを訪ねたところ25周年ということ。
おめでとうございます。
義太夫の魅力をこれからもHPを通して学ばせていただきます。
さらなる継続をお祈りしております。
通りすがり 2023/11/01(Wed) 12:58
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343]
答え合わせ
浄曲窟「三味線組曲」の解答を掲載しました。
勘定場 2023/10/12(Thu) 16:46
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342]
「音曲の司」二十五周年
つひに無能無才にしてこの一筋につながる
勘定場 2023/10/01(Sun) 09:23
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341]
拾月
季節は秋、
と言いたいところだが、
ここ数年は晩夏から初冬へ直結している。
村の鎮守の神様も、
豊年満作の秋とはこのような時候であったかと、
不審がっておられるに違いない。
勘定場 2023/10/01(Sun) 09:22
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340]
玖月
うち続く残暑、
それもそのはず、
八月十五夜は今月末の二十九日なのである。
風に揺らぐススキの穂に季節を感じる日を、
ただ待つばかりである。
勘定場 2023/09/01(Fri) 08:47
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339]
至評
千秋氏の評言は至高のものであり、
曲の解説としても類を見ないものとなっております。
これが実際に公演をご覧になっての劇評ならばと、
生憎の公演中止が惜しまれてなりません。
勘定場 2023/08/11(Fri) 14:23
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338]
令和五年七、八月文楽公演 第二部 「妹背山婦女庭訓」その3
山城を聴いて、いたく感銘を受けたのは、その声が確かに彼方から響いて来たからなのである。
荘重にして重厚、悽愴の気配すらあるその声が。
現今チャットGPTに代表される生成AIはコンピュータの解析をもとに短時間で、文章、絵画、楽曲を作成する事が出来る。やがて瞬時にという事になるだろう。 即ち大量の文章、絵画、楽曲が溢れ返る事になるのだが、しかしそれらは所詮、認識されたものを認識する事を繰り返すだけであって、循環という相対性の罠に嵌り、終にその循環諸共暗黒の虚無に呑み込まれてしまう事になる。我々はメルトダウンしかけているのである。
虚無に呑み込まれんとする我々を喰い止めようとするのが、彼方からの「運命」の声なのだ。何故なら我々の存在証明とは我々に示された「運命」とそれに呼応する「受苦」しかなく「運命」の声に呼応しなければ、我々が虚無の底に滑り落ちるのは必定であるからだ。
お三輪の「運命」を見てみよう。彼女の呼応は凄まじく、「袖も袂も喰い裂き喰い裂き‥姿心もあらあらしく」駈け行くのだが、これは個人的な嫉妬の域を超えて、お三輪という存在が裂け割れ、異形のものを現出させたのであって、お三輪はその人格を裂き割って「運命」に呼応したのである。故にその血は入鹿を迷わせ、「横笛堂」は「今の世迄鳴響」いているのだ。
「疑着」は虚無に抵抗している。
「金殿」に於ける山城の語りは、全て神の領域からの「運命」の声として彼方から湧き上がって来るのであって、聴く者がそれに呼応すれば、相対性の虚無の渦巻きから浮上出来るかも知れないと確信出来る程の力がある。
現代に於いて、山城が重んぜらるべき所以は其処にある。
「運命」を語る山城に感銘を受けずに居られようか。
☆ 呂太夫はその特色ある「捩れ」によってどんな「運命」を垣間見させてくれただろうか。
公演中止が残念であった。
以上
千秋 2023/08/08(Tue) 20:19
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