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[175] 文楽プレミアムシアター
https://www.ntj.jac.go.jp/bunraku/530.html

イープラス「Streaming+ ひらかな盛衰記 辻法印 神崎揚屋 奥座敷 (1988) 約120分 視聴期間 1週間 3000円

公演記録映画会には一回も行ったことがないが、無料であった。
無料での公開が【国立】文楽劇場としての仕事ではないのだろうか。


NHK エンタープライズ NSDS-21452 ひらかな盛衰記 源太勘当 神崎揚屋 松右衛門内から逆櫓(1977) 149分 DVD 3800円
とも比較してしまう。

配信は1年4回、1回に4演目 計約44000円。 多くの浄瑠璃愛好家にとって、視聴しやすい価格設定とは思えない。
ね太郎 2021/05/01(Sat) 12:05 | 返信 | 削除 |
[174] 五月
薫風にマスク外さば変異株

これが諧謔で済むうちはよいのですが、
今や一密でも感染する事態に。
もう、
来月を予想することはいたしますまい。

新型コロナの戦敗れ
伝染りし日本の国民哀れ
勘定場 2021/05/01(Sat) 07:41 | 返信 | 削除 |
[173] 一世一代
簑助師引退。

「こぼす涙に鉄砲の火縄も湿るばかりなり」とは、
このことであり、
「頭の雪と変れども変らで残る面影」とは、
長年劇場に通い詰めた観客の、
記憶に残る至芸のことを言い表したものでありました。
勘定場 2021/04/22(Thu) 21:14 | 返信 | 削除 |
[172] 無題
わしは人形浄瑠璃文楽をこよなく愛す者じゃ。もはや老体となりし身にとりてコロナなる疫病は命に係わる故、一時は観劇を断念せしものの浄瑠璃義太夫節を浴びたき誘惑には勝てるまでもなく結果不安ながらも観劇に行った次第である。「花競四季寿」の幕が開くや目出度く陽気な舞台に一時でもコロナ禍の鬱憤を晴らせたりしが、「関寺小町」の我が老体には身につまされる内容であると共に
平成二十七年初春公演にて吉田文雀最後の舞台となりしことに思いを馳せるのである。「重の井子別れの段」の咲太夫の至芸にこれぞ浄瑠璃義太夫節と唸る他になかりし故に、斯くも六ヶ敷しき浄瑠璃を完璧に語る太夫こそ人間国宝に相応しいと納得せし上に正面舞台にまた一人人間国宝たる吉田和男の至芸と相まったる奇跡の空間に、榎並八ケの落とし水の如く滂沱の涙を禁じ得ぬのである。斯くも堪能し吉田文雀最後の舞台に思いを馳せし本公演が奇しく吉田蓑助最後の舞台になりたる一報が飛び込みしが、コロナの猛威は益々増すばかりなりて無事千秋楽を迎えられるか覚束ぬ異常事態であから故に、コロナなる疫病に怯えて蓑助最後の舞台を観ぬは日本の恥ぞかしとて、憎きコロナに立ち向かうべく劇場へ足を運び日本の宝たる至芸をこの眼に焼き付ける所存なり。
年寄る波 2021/04/21(Wed) 13:26 | 返信 | 削除 |
[171] 聴耳頭巾
まともに文楽の批評を出来る者がいない、
歌舞伎批評の方面からそのような声が届いておりますが、
その中にあって、
千秋氏の劇評はこのまま評論雑誌に掲載されるべきものでありましょう。
とりわけ「関寺小町」と「咲太夫」に関しては、
拙評の行き届かないところを補って余りあるもの。
しかしまた、
その本質は同じところを掴んでいると驚嘆するばかり。
被らなくてもこの通りとは、
自他共に批評家を以て任じる人々の被るべきは、
幎冒以外にはありますまい。
勘定場 2021/04/18(Sun) 15:21 | 返信 | 削除 |
[170] 国立文楽劇場  四月公演 (四月九日)
 コロナ蔓延危機の下、客席はさすがに空席が目立ち、第一部なので刀剣女子は未だ現れず、演者の方々にはお気の毒でした。しかし自分としては、充実した舞台を独り占め出来た訳で、贅沢な時間を過ごせました。やはり咲大夫は素晴らしい。その人を殆ど対面で聴いたのですから。
「花競四季寿」
 「万才」「海女」は三味線が楽しく、実に誰に遠慮もなく弾きまくっているので、こちらもウキウキと面白く聴けました。それに比べて太夫陣は重くてノリが悪い様でした。しかし「関寺小町」ではその重さが沈鬱と化し、人形と相俟つて、ちょっと面白い化学反応を起こしました。それは抽象化と言う事で。
 上方舞の吉村雄輝は凄絶美の人ですが、偶々映像で「関寺小町」を見ました。(浄瑠璃は五世呂大夫でしたが、これが絶品…荘重、哀切、優雅、耳に沁みつく程。)この人は人間の肉体を削ぎ落とした舞で人間を越えようとしている。すると不思議な事に人形になってくる。抽象化の権化。しかしそれなら、この文楽人形の方が徹底していると思われました。抽象化は血肉の抜けた剥製化の様に思われていますが、実はそうではなく、血肉を結晶化させる精神の働きを示すもの、即ち精神そのものです。さすればこの老小町の人形は徹底した精神であるはずで、錣大夫と人形はその可能性を垣間見せてくれました。精神であれば、老必ずしも醜ならず。価値の転換を目指して鋭く切り込んで欲しいものです。
 「鷺娘」も白い抽象美。
「恋女房染分手綱」
「重の井子別れ」
咲大夫の凄さを実感。詞の中にまた詞がある入れ子型の難しい曲を、緩急、高低、強弱、間、自由自在、流れる様に美しく、かつ意味をしっかり押さえて語っているのに驚嘆。そして最初から最後まで音楽としての複合体も形成。偉いものです。
 この人は基本的に世阿弥の言う「離見の見」を聴覚に於いても行なっているのでしよう。自分の浄瑠璃(声)が見物にどの様に届いているのか、よく察知して、声をコントロールする事が出来るのです。それ故見物はこの人の思うがままに揺さぶられる。しかしそれだけでは、だんだん想定内に馴致されてつまらぬ。
この人はその上を行ってコントロールの意識を飛ばす事もする。見物はよれよれです。それでもう一度よれよれになりたくなる。「間の土山」には雨が降る。
 とすれば「道中双六」はどうか。全く自分の声が太夫自身に聞こえていないので、声は乱反射するばかり。見物は途方にくれてしまいます。
 とにかく又咲大夫を聴きに行こうと思いながら帰りました。
 
千秋 2021/04/14(Wed) 11:01 | 返信 | 削除 |
[169] 四月公演評
拙速たらんも、
遅巧はならざるものなれば。
また、
晴雨は絶対ならず相対なり。
勘定場 2021/04/08(Thu) 20:49 | 返信 | 削除 |
[168] 寸評(手摺)
・万才(とりわけ太夫)はこのコロナ禍の四月でもちゅんと頌春に遣えている。
・海女は恋が利いている。
・関寺小町はかつての恋に浮かれるところ。
・鷺娘は端正美(純白が相応しい)。
・重の井の出からして段違いの力量。
・和藤内の荒物遣いがピタリ、但、極まり型はやはりもう一つ。
・甘輝の立役、老一官と妻の映り、錦祥女は唯一無比と敢闘賞。
・お弓の心情が手に取るようにわかる。
・宗近の神妙と稲荷の超越、飛び散る火花がすばらしい。
勘定場 2021/04/03(Sat) 23:43 | 返信 | 削除 |
[167] 寸評(床)
「四季寿」…三味線>人形>太夫(但、シンは別格)
      床=海女、人形=万才
「道中双六」…ちゃんと語ればすばらしい一段だとわかったのは三味線のお陰。
       とはいえ、これでは「どつと興をぞ覚ましける」
「子別れ」…不即不離、緩急自在、綱紋朱塗りの見台、大和風を堪能、情あり。
「平戸浜」…佳品。とりわけシンの太夫と三味線の実力に驚いた。
「虎狩り」…口、御簾内だが「どつと興にぞ入りにける」
      奥、前段とともに西亭の節付が際立つ。それを弾き活かす三味線。太夫は詞。
「楼門」…寡聞ながら綱弥七の超絶音源の次に位置付けられる。もちろん大和風。そしてロマンからの情。
「甘輝館」…とりわけ甘輝がよい。真西物だともわかるが面白いと聞こえた分は動いたか。
「獅子が城」…母の自刃クドキを悲哀に落とさず、次の二人の別れで涙を催させる力量。余裕あり。
「阿波鳴」…口、喉はまだ開いていないが詞だけで有望とわかる。三味線も荒いが大きく音もよく楽しみ。
      前、母であるお弓に語りの焦点が定まっている。とはいえ狂乱と乱暴とは違うとまた言わねばならぬ。
      後、三味線のリードがすばらしく太夫も悪くないのだが真っ当に語って何とかなる作ではない。
      この切場は戦前の達者な浄瑠璃(角・錣とか)や美声家(春子・南部とか)で聞くに限る。
「小鍛治」…強く大きく一杯に、観客からは拍手、これでよい。
勘定場 2021/04/03(Sat) 23:26 | 返信 | 削除 |
[166] 四月
…往て退ふか。往もせい
と、一度は思案二度は不思案、
三度飛脚、戻れば合せて六道の、
冥途の飛脚と

思考による決断などではなく、
行き当たりばったりの欲望優先。
このまま来月にかけて、
地獄絵図を見せられることになるのでしょうか。
勘定場 2021/03/31(Wed) 22:23 | 返信 | 削除 |

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