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87]
今だからこそ・・・・・
各太夫に奮起を願う。
二世竹本越路太夫は、幕末期において、翌日の迫りくる演目のために、毎夜毎夜、猛稽古をして準備したという。
今の太夫陣にとっても、まさに来るべき日のために、日々自己研鑚に努め、あらゆる演目に対し真摯に向かい会い、難曲も含め力をつけてもらいたい。そして、晴れて舞台で語るとき、私たち観客は惜しみない拍手
、喝采を送るものである。
ところで、1945年8月15日のNHKのラジオ放送欄で、夜8時
過ぎ頃か、二世豊竹古靭大夫の語りが記載されているのを見ましたが、
これは、事前に決められていたものなのか、あるいはその日に急遽決められたのか、さらに本当に放送されたのか、ご存じの方お教え願います。
S大掾 
2020/04/13(Mon) 15:39
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86]
肆月
浄曲窟は「耳で楽しむ千本桜」と題して企画いたしました。
春愁ならぬストレスを発散していただければ。
もちろん、
公演記録の映像などは国立が用意してくださるはず。
当方はそれ以前かつ貴重な音源を用意いたしました。
勘定場 
2020/04/01(Wed) 19:22
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85]
繰り返し
四月公演「義経千本桜」の劇評は不見とのみ記載いたします。
(後半期間からでは日時の都合が立たず、マスクも払底しておりますので)
残念なことではありますが、
これも人類の為せる業ですから甘受するより他ありません。
当「音曲の司」におきましては、
せめてもと「浄曲窟」にて「千本桜」特集を企画し、
皆様にお楽しみいただければと考えております。
国立側は当然のことながら、
主催公演の録画等を供するでありましょうから、
当サイトにおいては、
開場以前の録音を蔵出しいたします。
勘定場 
2020/03/28(Sat) 13:38
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83]
聴耳頭巾
叢虎様のご指摘の通り、
兆民は頭巾を被らずとも、
浄瑠璃義太夫節を聴き分ける耳を持っておりました。
どうもこの耳は俗耳とは相容れないようで、
金看板銀看板や目先鼻先にぶら下がる利益などに飛びつく輩が、
文楽を否定的に(歌舞伎は肯定的に)捉える発言をしていることと、
通底しているようにも思われます。
文楽は庶民の芸能という言葉は、
文楽の本質は「情」だという言葉とともに、
よほど注意して使わなければならないと思われます。
もっとも、
兆民の聴いた浄瑠璃義太夫節≠現代の文楽ということであるなら、
細心など無用ではありますが。
勘定場 
2020/03/19(Thu) 12:56
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82]
一年有半
中江兆民の「一年有半」を読んでおりましたら、「余近代において非凡人を精選して、三十一人を得たり」として「藤田東湖、猫八、紅勘、坂本龍馬、柳橋、竹本春太夫、橋本左内、豊沢団平、大久保利通、杵屋六翁、北里柴三郎、桃川如燕、陣幕久五郎、梅ケ谷藤太郎、勝安房、円朝、伯円、西郷隆盛、和楓、林中、岩崎弥太郎、福沢、越路太夫、大隅太夫、市川団洲、村瀬秀甫、九女八、星亨、大村益次郎、雨宮敬次郎、古川市兵衛」とありました。
叢虎 
2020/03/17(Tue) 22:02
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81]
参月
隠国とでも称すべき現状を鑑み、
情報資料室ならびに浄曲窟にて、
読み物・聞き物を新規掲載いたしました。
勘定場 
2020/03/01(Sun) 14:59
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80]
一般人
問 義経は蝦夷地に渡ったという伝説がありますが、
衣川の戦いがなかったということですか?
答 ???
自刃はせず逃げ延びたということでしょう。
勘定場 
2020/02/26(Wed) 21:10
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79]
お役人
【4月文楽公演】通し狂言『義経千本桜』特集ページを公開しました!
「壇ノ浦の戦いはなかった!?」
問 千本道行詞章に、
「思ひぞ出づる壇の浦の、海に兵船平家の赤旗、陸に白旗、源氏の強者。
(中略)思ひ出づるも涙にて、袖はかはかぬ筒井筒」
とあるのですが。
答 忠信は狐が化けており、静は噂で聞いただけ。ともに嘘です。
勘定場 
2020/02/21(Fri) 20:29
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78]
無私
『四代 竹本越路大夫』は覚えるほど読み込んだ名著の一冊です。
「藝の判らん者に藝談はとれぬッ。」(鴻池幸武の靈)―『観照』16号―
おそらく武智鉄二が書いたものでしょう。
どこが名人の話でどこからが聞き手・編者の言がわからない、
そんな芸談が世に出されている事実もあります。
我田を利するために引水された清流は、
泥田の濁水と化すということを肝に銘ずるべきでしょう。
勘定場 
2020/02/09(Sun) 14:51
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76]
厳格
「とにもかくにも、二代を名乗っておられた摂津大掾師匠、三代の貴田の師匠、
二代続けて文楽座の紋下を勤められた立派な名跡です。
これをけがすわけにはまいりません。身の引き締まる思いです。
越路も三代までか、しょうむない奴が四代目を継ぎよって、
あと誰も継ぐ気がせんような魅力のない名前にしてしまいよったといわれては、
死んでも死にきれません。」『四代 竹本越路大夫』
勘定場 
2020/02/09(Sun) 14:39
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