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[209] あまり自信がないのですが。
確かに進物場は若狭助は登場しませんね。刃傷場は知人にお聞きいたしました。若狭助が出てきて師直と出会うところからです。
プログラムを購入しておりませんでした
ので、床本は無しです。判官の登場は若狭助と
入れ替わってということになるのでは。
因みに平成28年12月全通しで公演がありました。
お役に立たずすみません。
伊賀 2021/12/24(Fri) 19:39 | 返信 | 削除 |
[208] 言葉足らず
新聞評を具体的に示せず申し訳ありません。
それで見え方をどうこういうのは、
そもそも劇評という点からしておかしなことでした。
あとは、
進物場で若狭助は登場しないはずで、
まさか刃傷場を判官登場からしかやらなかったのか、
床本ではどうなっているのかを知りたいということがあります。
宮内興 2021/12/24(Fri) 10:50 | 返信 | 削除 |
[207] ボーっと拝見しております。
新聞評も拝見してはおりませんので、
分かりませんけれど、
若狭助の拍子が抜けた感じという
印象を持たれたということでしたね。
ぼーっと拝見しております当方に
はそんな感じには見えませんでしたが?
伊賀 2021/12/23(Thu) 19:44 | 返信 | 削除 |
[206] 聞くやいかに
宮城傍三宅坂での文楽、
どこかの新聞評に、
進物場で若狭助の拍子が抜けた感じが印象的、
だったかの記事を見かけたのですが、
刃傷場の前にこんなことがあり得るのでしょうか。
評者の勘違いかうわの空だったのか、
当公演をご覧になった方のご意見を頂戴したいものです。
宮内興 2021/12/21(Tue) 16:36 | 返信 | 削除 |
[205] 十二月
年の瀬か年の暮れか。
去年今年貫く棒のやうなもの、
これが一体何であるのか、
元の解釈から派生して捉える必要がありましょう。
変異しても正体は変わらずとか。
勘定場 2021/12/01(Wed) 17:56 | 返信 | 削除 |
[204] ご遠慮なく
伊賀様のご遠慮はご無用かと。
文楽鑑賞されての投稿に、
素人も玄人もございませんので、
披露と交流の場としてご活用いただければと存じます。
勘定場 2021/12/01(Wed) 17:54 | 返信 | 削除 |
[203] 拝見出来ないところが。
体力が無くなり、スケージュールの都合でなかなか
拝聴できない所もありますので、様子が分かり
とても有難いです。素人のフアンですので、
投稿もどうかなと思っております。
伊賀 2021/11/30(Tue) 17:52 | 返信 | 削除 |
[202] 両輪
今年になり千秋氏の劇評によって、
勘定場評の片車輪曲芸運転は、
ようやく両輪正常走行になったと感じております。
単眼視ではなく複眼視をと元より自戒しておりましたが、
一人二役はなかなか難しく、
その意味からも「音曲の司」の批評空間は、
これを以て望ましい姿となり得たと言えましょう。
勘定場 2021/11/28(Sun) 11:28 | 返信 | 削除 |
[201] 国立文楽劇場 十・十一月公演(十一月十九日) その3
これは「構造」というものが理解されていないからでしょう。けれどもこの人だけでは無く平成・令和の趨勢なのです。

然しながら、「浄曲窟」による若太夫の「松右衛門内〜逆櫓」を聴くと、浄瑠璃の構造が現れて来ます。とりわけ今回の公演では、畠山が登場するので、構造は一層明確になりました。

 若太夫には仰天。正しいか正しくないか。いや「善悪の彼岸」。野生
野蛮な生命力そのものの噴出はまさにニーチェ風に言えば、ディオニソスそのものです。「ヤツシツシシシヤツシツシ」と押しまくり、それに加えて、怒涛の三味線とくれば、「樋口かんらからと」出現するのは、超自然的な荒ぶる魂。根源的な力の現成。呆然とする他ありません。世界の深奥にはこんな力があるのか。我々は圧倒され、破壊される他ないのです。
然しアポロンの理性はディオニソスの暴戻を統御し、畠山は「文武」の力で樋口を搦めとります。このアポロン畠山を登場させてこそ、この「逆櫓の段」の構造は完結するのでしょう。
近世浄瑠璃作者が、何を透視しようとしていたかな明らかです。世界や人間存在の根幹に迫ろうとし、「構造」把握によって世界を理解しようとしていた事。又最終的には「樋口、樋口」と言う幼君による完き鎮魂。
この浄瑠璃「逆櫓」は、荒ぶる魂も無ければ、明晰な理性をも失い、鎮魂からも遠ざけられた現代人への強烈なアンチテーゼであると感じ入りました。
        以上
千秋 2021/11/22(Mon) 19:51 | 返信 | 削除 |
[200] 国立文楽劇場 十・十一月公演(十一月十九日) その2

 やはり呂太夫は女聲が素晴らしく、お筆が大変良い。「忝うござんしよ」の物腰は、淑やかさとはこう言うものかと納得する程。
 しかも「改めて申すも‥」からの長丁場の詞の論理を整然と帰結させるのに、聴衆を倦きさせる事が無い。間、強弱、緩急、旋律。お筆の心情が隈無く表現されており、深い満足感を与えました。
しかし権四郎は荒々しさが乏しく、樋口が正体を現す所も「荒肝とられ」る程では無いのは、やはり繊細と洗練が、呂太夫の真骨頂であるからでしょう。その代わり「たつた三つで南無阿弥陀仏」は哀切の極みでした。

「逆櫓の段」
睦太夫を聴くのは初めてですが、面白い結果を得ました。「それよ」と膝を打つ所もあれば、大外れの所もあって凸凹なのですが。概ね「地」が良く「詞」は落ちる。しかしこの人の気迫と真摯さは本物で「樋口かんらからと」などでは、ちゃんと樋口が鬼神として現れ、見れば、玉男は鬼神を遣っているのです。
この人の語りを聴いていると脳はハズレた所をつい捨象し、アタリの所を綴り合わせて面白いと思ってしまう。結構満足してしまう。
ひょっとすると、この人は、精進の仕方によっては大化けするかも知れないと思いました。
 しかし段切りは大外れで「我が身に辛き」のみならず、「枝葉を」まで念には念を入れてしまい、それこそ「今に残しける」。
千秋 2021/11/22(Mon) 19:48 | 返信 | 削除 |

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