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[199] 国立文楽劇場 十・十一月公演(十一月十九日) その1
コロナも沈静化し、ほっとひと息。客席を見渡すと、文楽固定ファンは戻って来たようです。

「ひらかな盛衰記」

「大津宿屋の段」
千秋楽も近いとあって、靖太夫はもうお疲れなのか、声も嗄れ気味で余裕が無く、こちらが気を揉んでしまいました。多人数の語り分けや、思いがけない運命の襲来など、難しい場面の連続でしたが、絵解きに終わったのは残念です。

「笹引の段」
一転して咲太夫は時空を構成し、推進する強い気概を持ちながら、あくまで声は芳醇、旋律は流麗、流石です。山吹御前の「生きとし生けるものごとに」哀切。
 お筆はワルキューレ(戦乙女)の一種でしょうか。武家の女中としての淑やかさの中に「忠義」を発条に仇を「やはか助けておくべきか」と燃やす炎が凄まじくも美しい。
勿論これは偏に咲太夫の声調とリズムによるもので、お筆の「竹切つて」「亡き魂送る」笹引きをも前進させる力になるのです。
戦乙女と言えるお筆は人形の見せ場であり、なかなかカッコよかつたのですが、もっとキッパリ極めてもよかった。

「松右衛門内の段」
 中
なかなか語り分けが難しい場面。こういう船頭や近所の婆嬶の会話は希太夫には実感が乏しいのでしょうか。現代風井戸端会議の様でした。
 婿の松右衛門にしても
これでは、底を割っても樋口の出ようが無い。
千秋 2021/11/22(Mon) 19:46 | 返信 | 削除 |
[198] 貴重なご意見。
将来の観客である高校生は文楽にとって大切ではないかと思います。
今回の粗筋について、確かに必要かと存じます。ただ時間の制約もございますでしょうし、説明の人は出せないでしょう。鑑賞教室でのプログラムはかなり頑張っていますが、普通の公演では、なかなか難しいですね。事前に粗筋のプリントとか、何か工夫があると良いのかと
思ったり致します。
伊賀 2021/11/14(Sun) 18:26 | 返信 | 削除 |
[197] 眼力
団体鑑賞に遭遇された際のコメント、
鋭い視点からの的確な判断に恐れ入っております。
本公演でも団体鑑賞の際にはその場に相応の解説等を付けること、
最もかつ直ちに実践されるべき献策と存じます。
やはり通しでこそ人形浄瑠璃の結構はつかめるわけで、
第二・三部はその欠をプログラムや展示で補っており、
第一部もご指摘のような方策が望まれるところであります。
勘定場 2021/11/14(Sun) 09:42 | 返信 | 削除 |
[196] 11月11日蘆屋道満大内鑑の公演にて
もしかして今日は無観客公演に近くなるかとおもいきや、某名門大阪市内高校の2年生の団体鑑賞があり、盛況でした。
来場者数の内四分の三以上は高校生ではなかったでしょうか。退屈して騒ぐでもなく真摯に舞台を見ている人が多く、演者の方々は拍手も大きくやり応えがあったのではなかったでしょうか。
劇場側に考えてもらいたいものですが、これだけ若い人を動員するときは本公演でも割り切って文楽の解説・粗筋の説明を行った方がよいと考えます。通しで演じていないので話の起承転結がわからず興味が発展していかないことが多いと思います。観客としてだけでなく、担い手として少しでも興味を持ってもらえれば有り難いと思える高校生でしたのでもったいない。
 舞台は大家の方々の安定したところと、その他大勢に分類される人形の一人つかいのレベルの格差に驚きましたが、若い太夫と三味線でも調和すると心にしみいるものと思った次第です。
mejiro4231 2021/11/12(Fri) 10:33 | 返信 | 削除 |
[195] 秋公演評
令和の文楽は、
平成の文楽より面白いのではないか。
平成末に劇場から去った人々は、
大損をしていると思われる。
勘定場 2021/11/08(Mon) 22:15 | 返信 | 削除 |
[194] 十一月
世間は小春日和の感。
とはいえ、
「この十月に仇し名を、世に残せとのしるしかや」
冬の季語であることをお忘れなく。
勘定場 2021/10/31(Sun) 22:45 | 返信 | 削除 |
[193] 愚公山を移す
銅像の建設も義太夫道専心努力の跡にして、
決して余暇娯楽の無駄事ならず。
それを、
非常時とて万世橋駅頭同様に鋳つぶすや、
人民を塗炭の苦しみに陥れたのみ。
これぞ彼の国の愚公に対して、
見事なまでの愚行。
しかも「世なりけり」とは行かず、
亡者は今に蘇らんとす。
戦後も遠くなりにけり。
勘定場 2021/10/31(Sun) 22:44 | 返信 | 削除 |
[192] 「竹本摂津大掾銅像建設会報告書」
大正八年五月二十七日午後二時除幕式
(p59)
ね太郎 2021/10/20(Wed) 06:39 | 返信 | 削除 |
[191] 銅像のゆくえは・・・・・果たして
戦前か、四天王寺の三面大黒西に竹本摂津大掾の銅像が建設されたと聞く。どういうものであるのか、私たちは知らない。(建設記念絵葉書のみ)果たして、今はどこへ?
やはり、その後は、戦時物資として供出されたのだろうか?
つい最近も、係員(?)に確認するもわからないとの回答。
だんだんと、明治期の輝かしい太夫たちの伝聞、伝承等々が、消えゆくのが残念でならない。
その中で、明治期の床本等、入手出来た事は、まさに太夫たちの息使い(いや、音遣い)が、聞こえてきそうであったのかもしれない。
S掾 2021/10/19(Tue) 17:08 | 返信 | 削除 |
[190] 十月
神無月の頃、来栖野といふ所を過ぎて…
…この木なからましかばと覚えしか。
兼好は隠者に俗物性を認めたから落胆したのではない。
隠者に俗物性を持たせる「この木」の存在を歎じているのである。

操られても神輿でも最高の政治権力者。
あなかしこ、あなかしこ。
勘定場 2021/10/01(Fri) 20:17 | 返信 | 削除 |

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