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[300] 代・寸評
二日目「志賀の里」「東大寺」、
僻耳ではない証拠を上げておく。
http://www.ongyoku.com/jyoukyokukutu/202301_1_2.mp3
勘定場 2023/01/06(Fri) 18:15 | 返信 | 削除 |
[299] 壱月
本年も何卒宜敷御願い申し上げます。
勘定場 2023/01/01(Sun) 09:11 | 返信 | 削除 |
[298] 続・増補
鴻池幸武が若くして意欲的な人形浄瑠璃研究家であったこと。
中村章景に関するものについては時代性を考えさせられます。
鴻池の哀悼文とは真逆の立ち位置にあるものとして。
勘定場 2022/12/30(Fri) 10:28 | 返信 | 削除 |
[297] 『鴻池幸武文楽批評集成』増補
国立国会図書館デジタルライブラリーがリニューアルされたので、
早速検索してみると初めて目にする資料が種々存在しておりました。
それらに従って随時更新して参ります。
勘定場 2022/12/25(Sun) 17:34 | 返信 | 削除 |
[296] 充実
月が改まるとともに、
情報資料室も更新されております。
トップページからご覧ください。
勘定場 2022/12/01(Thu) 07:43 | 返信 | 削除 |
[295] 十二月
突然の強烈な気温急降下。
令和に入ってからの異常な様は、
可笑しいなどと笑っていられるはずもなく、
改元の域にまで達するものかとも。
曲がった松の木は柱にゃならぬ。
まさしく師走でありましょう。
勘定場 2022/12/01(Thu) 07:41 | 返信 | 削除 |
[294] 哲学する精神
千秋氏の場合は明らかでありましょう。

浄瑠璃の小宇宙は存在の大宇宙を包含する、
そうでなければわざわざ劇場まで足を運ぶこともありますまい。
勘定場 2022/11/30(Wed) 13:27 | 返信 | 削除 |
[293] 批評
評価の軸がブレないこと、
その価値観を裏付けるモノが存在していること。
これにより個人的な感想文を免れることになります。

口上も昭和四十年代までは味がありました。
吉田兵次など明らかにここから芝居が始まっておりました。
今は三味線が弾き出してようやくですが、
耳が出来ていないと人形が動き出してからともなりかねません。
勘定場 2022/11/30(Wed) 12:53 | 返信 | 削除 |
[292] 東西声について。
令和4年 11月公演 11月11日の出来事。
東西声について、いつもと違う感覚を覚えた。
通常ならば、幕内へ戻るか戻らない段階で声が途切れているのが大半であった。それが、今回はしばらく間、幕内の中でもずっと発声しているが心地よく感じられた。
本公演の寸評は、人それぞれの感じ方等もあるので、ここでは書かない
でおきます。
S掾 2022/11/28(Mon) 14:15 | 返信 | 削除 |
[291] 国立文楽劇場 令和四年 十一月公演 (十一月十八日) その3
☆ 然らば熊谷は何処に。
 嘗てD V Dで観、聴いた津太夫と先代玉男の熊谷は、不条理、理不尽な運命を耐え忍ぶだけでなく、却ってその運命を自ら意志的に引き受けて一歩踏み出そうとしていた。「修羅」を踏み超えて異次元の世界へと。
 「首討つたのが小次郎さ。しれたことを」の詞は異次元への険しい道を示している。
 この「修羅」から異次元へ超越せんとする決然たる意志こそが熊谷の本質なのだ。然るにその本質が今回、錣にも呂にも人形にも現れて来なかった。
 故に熊谷は何処にも居なかったのである。

 それではもう熊谷は今此処には甦らないのだろうか。
 否、一輔の藤の局に希みがある。
 藤の局の白い顔は美しく浮かび上がっていた。一輔の才能は人形の顔を最も美しく見せる角度を瞬時に精密に示す事が出来る。‥‥それは美しい死者の顔だった。成る程文楽人形は死者だったのだ。
 現今「生」のみが重んぜられ、死者など無価値と軽んぜられるが果たしてそうだろうか。
 小林秀雄は「無常といふ事」の中でこう言っている。「歴史には死人だけしか現れて来ない。従って退っ引きならぬ人間の相しか現れぬし、動じない美しい形しか現れぬ。」と。
 つまり死者こそが「動じない美しい形」で現れて、生ける現存在即ち「人間になりつつある一種の動物」と、確固たる「存在」を繋いでいるのである。「死」無くして
真の「生」は無い。
 「陣屋」は死者の世界であって、其処にこそ「退っ引きならぬ」人間の本質が現れる。熊谷は運命を超える決然たる意志の人として、津太夫と先代玉男によって具現化された。「死」の一点から噴出する多面体としての、先代玉男によるおおいなる姿、空間を翻り決然と停止する扇の位置は、津太夫の語りによって前方に押し出され、遂に熊谷は今此処の現実に届いたのである。
 昭和の「陣屋」はこうして熊谷を甦らせた。熊谷は厳然と現成した。
 今回令和の「陣屋」では熊谷は現れなかったが、呂太夫の繊細な語りによって、一輔が藤の局の「退っ引きならぬ」美しい死者の相を呈示した。その白い顔は闇に浮かんで、今此処を凝視している。
 死者は甦りつつある。

 然すれば、文楽の可能性とは、「死者は生きている」と言う逆説のうちにあるのだった。


 ‥とは言え令和と言う時代に於いて、「逆説」とは「困難」の同義語であるかもしれないが、と思いながら、雑踏の中を帰りました。
         以上
千秋 2022/11/26(Sat) 18:48 | 返信 | 削除 |

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