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[292] 東西声について。
令和4年 11月公演 11月11日の出来事。
東西声について、いつもと違う感覚を覚えた。
通常ならば、幕内へ戻るか戻らない段階で声が途切れているのが大半であった。それが、今回はしばらく間、幕内の中でもずっと発声しているが心地よく感じられた。
本公演の寸評は、人それぞれの感じ方等もあるので、ここでは書かない
でおきます。
S掾 2022/11/28(Mon) 14:15 | 返信 | 削除 |
[291] 国立文楽劇場 令和四年 十一月公演 (十一月十八日) その3
☆ 然らば熊谷は何処に。
 嘗てD V Dで観、聴いた津太夫と先代玉男の熊谷は、不条理、理不尽な運命を耐え忍ぶだけでなく、却ってその運命を自ら意志的に引き受けて一歩踏み出そうとしていた。「修羅」を踏み超えて異次元の世界へと。
 「首討つたのが小次郎さ。しれたことを」の詞は異次元への険しい道を示している。
 この「修羅」から異次元へ超越せんとする決然たる意志こそが熊谷の本質なのだ。然るにその本質が今回、錣にも呂にも人形にも現れて来なかった。
 故に熊谷は何処にも居なかったのである。

 それではもう熊谷は今此処には甦らないのだろうか。
 否、一輔の藤の局に希みがある。
 藤の局の白い顔は美しく浮かび上がっていた。一輔の才能は人形の顔を最も美しく見せる角度を瞬時に精密に示す事が出来る。‥‥それは美しい死者の顔だった。成る程文楽人形は死者だったのだ。
 現今「生」のみが重んぜられ、死者など無価値と軽んぜられるが果たしてそうだろうか。
 小林秀雄は「無常といふ事」の中でこう言っている。「歴史には死人だけしか現れて来ない。従って退っ引きならぬ人間の相しか現れぬし、動じない美しい形しか現れぬ。」と。
 つまり死者こそが「動じない美しい形」で現れて、生ける現存在即ち「人間になりつつある一種の動物」と、確固たる「存在」を繋いでいるのである。「死」無くして
真の「生」は無い。
 「陣屋」は死者の世界であって、其処にこそ「退っ引きならぬ」人間の本質が現れる。熊谷は運命を超える決然たる意志の人として、津太夫と先代玉男によって具現化された。「死」の一点から噴出する多面体としての、先代玉男によるおおいなる姿、空間を翻り決然と停止する扇の位置は、津太夫の語りによって前方に押し出され、遂に熊谷は今此処の現実に届いたのである。
 昭和の「陣屋」はこうして熊谷を甦らせた。熊谷は厳然と現成した。
 今回令和の「陣屋」では熊谷は現れなかったが、呂太夫の繊細な語りによって、一輔が藤の局の「退っ引きならぬ」美しい死者の相を呈示した。その白い顔は闇に浮かんで、今此処を凝視している。
 死者は甦りつつある。

 然すれば、文楽の可能性とは、「死者は生きている」と言う逆説のうちにあるのだった。


 ‥とは言え令和と言う時代に於いて、「逆説」とは「困難」の同義語であるかもしれないが、と思いながら、雑踏の中を帰りました。
         以上
千秋 2022/11/26(Sat) 18:48 | 返信 | 削除 |
[290] 国立文楽劇場 令和四年 十一月公演 (十一月十八日) その2
☆熊谷桜の段
   希太夫

 「行く空も‥。」は良く、これからの展開が期待出来ました。「オオ軍次‥。」以下相模の声も的確で、「誠に一昔は夢と申すが、‥」の長い詞は表面的ではあるがリズムはあって、この人は何か掴みかけていると思わせられました。藤の局の「世の盛衰は是非もなや。‥」の声と旋律も訴えるものがあり、相模と藤の局が、上手く語り分けられたのも、各々の人物をどう表現すればよいかを模索した結果でしょう。「ヤアそなたの連れ合ひ‥」‥「『ハツ』と吐胸の気を鎮め」あたりには緊迫感が漂い、浄瑠璃を語って場面を先導して行くという自覚が感じられました。
 但し時としての大音声が、やや聴き手にとっては辛いので、どんな風に聞こえているのか、自分の声を点検してほしいものです。

☆熊谷陣屋の段
  錣太夫

 いつもの様に、熱意と誠実さは充分で、「花の盛りの敦盛を‥ものの哀れを今ぞ知る‥」あたりには荘重の気味も漂い、期待が膨らみました。‥が徐々に気持ちは高まっても表現は平板になって行き、「不届き至極の女め」「ソソソソレソレソレまだ手傷を‥」などは厳格さに欠けて甘いので、緩みが感じられました。つまり情景が立ち上がって来ないのです。説明があっても抑揚やリズムに欠けているのは、この人の内部で情景が構成されていないからで、緊迫へと登り詰める力が乏しいのです。人形も含めて凝縮よりも拡散の方向に流れてしまい、残念ながらそこに熊谷は居ませんでした。


   切 呂太夫

 この人の特長はその羞恥心にあります。羞恥心が我身を顧みる客観性となって、殊に女性心理を正確に穿ち、心に沁みる旋律と抑揚を形成するのです。流麗でもあり、切迫もし、微妙に揺れて、それに三味線も絡み付き、絶妙です。何より退屈せず、音楽に浸っていられます。女声が美しく、相模と藤の局の立場の逆転も語り分けが効いている為、より哀切です。
 義経上品、弥陀六迫力。そして「十六年も一昔。」はサラリと語り、「柊に置く初雪の‥」に嫋々たる余韻を残したのも、三味線と相俟って、却って段切りの俯瞰性を導く契機となりました。故にこの「切」浄瑠璃は十分堪能出来たのです。
 ‥‥熊谷が現成しない事を除いては。
千秋 2022/11/26(Sat) 18:41 | 返信 | 削除 |
[289] 国立文楽劇場 令和四年 十一月公演 (十一月十八日) その1
コロナ第8波の兆しはありますが、行動制限は無く、切語り二人の登場とあって、劇場はなかなか盛況でした。


☆弥陀六内の段
   睦太夫

冒頭の「世にあらば‥」から音程が定まらず、探り探り進んで行くので、聴く方も困惑してしまいました。全て平板で、抑揚なくリズムもないので散文です。「‥むごい、つれない御心」も「恨み嘆」いている様子は無く、次の敦盛の声と変化も無い。どうしたものか。

この人は大音で声質も良いので、精進すれば大成するかもしれないのです。しかし現在、方向性が把握出来ていないのではないか。浄瑠璃は音楽であると心得て、先達をトレースすべきでしょう。


☆脇ヶ浜宝引の段
  咲太夫休演の為織太夫

 難しいチャリ場を難なくやってのけ、その技量に感心しました。
基礎が出来ているので、音程、抑揚、リズムも確かです。安心して聴く事が出来ました。勿論「アちつくり笠にふりがある」や「山畑かせぐ百姓ども、‥ドイヤドヤドヤ‥」は綱太夫をよく学んでおり、流石でした。
 こうして「笑い」へと導かれて行くのですが、見物の反応も良く、代役の責務をよく果たしたと言えます。
 しかし天才綱太夫の究極のチャリ場「宝引」はこのレベルではありません。

何故なら綱太夫の「宝引」は「生命の躍動」であって、「笑い」は生命の弾みの頂点で咲いた「華」なのです。内容的に猥雑さが交じるのも、生命力の現れで、百姓達は嬉々としているのです。この純粋な喜びを、綱太夫は天才的なリズム感で護謨毱が跳ねるが如く、百姓達の詞として発するので、聴衆もその喜び、即ち躍動を共にして笑ってしまうのでしょう。
 この笑いは生命力の証です。
 生きている喜びとは、そうそう感じられるものでは無い。しかし綱太夫は空気の振動で我々を共振させ、その共振は「存在」を共振させ、「存在」は我々を「笑い」へと突き上げるのです。
 翻って、織太夫の「笑い」はどうか。理性的で計算された笑いで、ややもすれば、聴衆を「笑い」に導こうという魂胆がチラつきます。百姓の声もあまり区別が無く、整い過ぎています。計算を打破して、「生命」へと向かいましょう。そうすれば、あの「あひる笑ひ」がもっと吹っ切れるでしょう。「あひるの哄笑」は「存在の哄笑」であると。

 この段、藤の局は登場するだけで、手先までもが美しく、この美しさが「陣屋」の可能性への希みとなりました。
 またツメ人形はイヤ味無く、自然ながら的確な動きをしていて、実に好ましかった。
千秋 2022/11/26(Sat) 18:33 | 返信 | 削除 |
[288] 情報資料室更新
今回は「新群書類従」であります。
多くの皆さまにご覧いただけることでありましょう。
トップページまたは更新記録のリンクからどうぞ。
勘定場 2022/11/08(Tue) 16:48 | 返信 | 削除 |
[287] 秋公演評
速きを以て尊しと為さん。
勘定場 2022/11/08(Tue) 16:46 | 返信 | 削除 |
[286] 寸評
《床》
「上田村」…八割感嘆+二割疑問
「八百屋」…越路師によってここが切場になったことを再認識
「道行」…千代の可憐と半兵衛の武
「弥陀六内」…御簾内でよい
「宝引」…省略版、家の芸、客の力
「熊谷桜」…合格、次への発展が楽しみ
「陣屋」前…安心
    後…安定
「沢市内」…予想通り
「山」…一杯一杯
「勧進帳」…未聴は十時帰宅と天秤に掛けたから(ちろん演者ではなく演目を)
《手摺》
・マクラの下女はこれでよい(というかここで前受けを狙った奴の気が知れぬ)
・おかるが抜群、お千代半兵衛平右衛門に悪婆母の完全体、金蔵も伊右衛門もよい
・敦盛の気品、藤の局と義経が抜群、熊谷大健闘、弥陀六も本物、相模は別格
・第二部の端役からツメ人形までそれぞれがよく働いた
・貞女お里の献身がピタリ、沢市の内向内攻も納得
・勧進帳未見は問答済んで途中退席と迷ったが非礼を避けた
勘定場 2022/11/05(Sat) 21:57 | 返信 | 削除 |
[285] 聴育
しかしながら、
この頭巾は等閑視されて久しい。
(若手や中堅の力試し程度では被れもせず、
 三宅坂の視聴室に出向く(嶋勝司の初演時)しかない現状に、
 何とかしてライヴ体験(呂勢が最適)出来ないものかと思う。)
世界無形文化遺産となった和食には、
食育という概念が定着しつつある。
人形浄瑠璃文楽はというと、
聴育という国家的一大事に未だ気付いてもいない。
(歌は世に連れ…などと脳天気に嘯いているようでは、
 斯界も人に恵まれないものだと嘆息せざるを得ない。)
もちろん、
育てるどころかダメだと切り捨てて唯我独尊たるなどは、
語りどころかお話にもなるまいが。
勘定場 2022/11/05(Sat) 21:39 | 返信 | 削除 |
[284] 聴耳頭巾
自然に出来上がらないのであれば、
聴耳頭巾を被るより他はない。
「浄曲窟」もう一つの解説には、
駒太夫風「上燗屋」への言及がある。
『浄瑠璃根本鑑』初編にも収録されており、
サイズといいデザインといい、
被るには絶好の頭巾である。
勘定場 2022/11/04(Fri) 07:42 | 返信 | 削除 |
[283] 自然破壊
客の耳が出来ていない今日。
もちろん視覚優位の現代ということもあろうが、
耳が出来上がらなかったのである。
昭和四十年代までなら自然に形成されたもの、
その自然はもう望めなくなってしまった。
勘定場 2022/11/03(Thu) 07:50 | 返信 | 削除 |

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