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国立文楽劇場 令和四年 十一月公演 (十一月十八日) その2
☆熊谷桜の段
希太夫
「行く空も‥。」は良く、これからの展開が期待出来ました。「オオ軍次‥。」以下相模の声も的確で、「誠に一昔は夢と申すが、‥」の長い詞は表面的ではあるがリズムはあって、この人は何か掴みかけていると思わせられました。藤の局の「世の盛衰は是非もなや。‥」の声と旋律も訴えるものがあり、相模と藤の局が、上手く語り分けられたのも、各々の人物をどう表現すればよいかを模索した結果でしょう。「ヤアそなたの連れ合ひ‥」‥「『ハツ』と吐胸の気を鎮め」あたりには緊迫感が漂い、浄瑠璃を語って場面を先導して行くという自覚が感じられました。
但し時としての大音声が、やや聴き手にとっては辛いので、どんな風に聞こえているのか、自分の声を点検してほしいものです。
☆熊谷陣屋の段
錣太夫
いつもの様に、熱意と誠実さは充分で、「花の盛りの敦盛を‥ものの哀れを今ぞ知る‥」あたりには荘重の気味も漂い、期待が膨らみました。‥が徐々に気持ちは高まっても表現は平板になって行き、「不届き至極の女め」「ソソソソレソレソレまだ手傷を‥」などは厳格さに欠けて甘いので、緩みが感じられました。つまり情景が立ち上がって来ないのです。説明があっても抑揚やリズムに欠けているのは、この人の内部で情景が構成されていないからで、緊迫へと登り詰める力が乏しいのです。人形も含めて凝縮よりも拡散の方向に流れてしまい、残念ながらそこに熊谷は居ませんでした。
切 呂太夫
この人の特長はその羞恥心にあります。羞恥心が我身を顧みる客観性となって、殊に女性心理を正確に穿ち、心に沁みる旋律と抑揚を形成するのです。流麗でもあり、切迫もし、微妙に揺れて、それに三味線も絡み付き、絶妙です。何より退屈せず、音楽に浸っていられます。女声が美しく、相模と藤の局の立場の逆転も語り分けが効いている為、より哀切です。
義経上品、弥陀六迫力。そして「十六年も一昔。」はサラリと語り、「柊に置く初雪の‥」に嫋々たる余韻を残したのも、三味線と相俟って、却って段切りの俯瞰性を導く契機となりました。故にこの「切」浄瑠璃は十分堪能出来たのです。
‥‥熊谷が現成しない事を除いては。
千秋 2022/11/26(Sat) 18:41
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289]
国立文楽劇場 令和四年 十一月公演 (十一月十八日) その1
コロナ第8波の兆しはありますが、行動制限は無く、切語り二人の登場とあって、劇場はなかなか盛況でした。
☆弥陀六内の段
睦太夫
冒頭の「世にあらば‥」から音程が定まらず、探り探り進んで行くので、聴く方も困惑してしまいました。全て平板で、抑揚なくリズムもないので散文です。「‥むごい、つれない御心」も「恨み嘆」いている様子は無く、次の敦盛の声と変化も無い。どうしたものか。
この人は大音で声質も良いので、精進すれば大成するかもしれないのです。しかし現在、方向性が把握出来ていないのではないか。浄瑠璃は音楽であると心得て、先達をトレースすべきでしょう。
☆脇ヶ浜宝引の段
咲太夫休演の為織太夫
難しいチャリ場を難なくやってのけ、その技量に感心しました。
基礎が出来ているので、音程、抑揚、リズムも確かです。安心して聴く事が出来ました。勿論「アちつくり笠にふりがある」や「山畑かせぐ百姓ども、‥ドイヤドヤドヤ‥」は綱太夫をよく学んでおり、流石でした。
こうして「笑い」へと導かれて行くのですが、見物の反応も良く、代役の責務をよく果たしたと言えます。
しかし天才綱太夫の究極のチャリ場「宝引」はこのレベルではありません。
何故なら綱太夫の「宝引」は「生命の躍動」であって、「笑い」は生命の弾みの頂点で咲いた「華」なのです。内容的に猥雑さが交じるのも、生命力の現れで、百姓達は嬉々としているのです。この純粋な喜びを、綱太夫は天才的なリズム感で護謨毱が跳ねるが如く、百姓達の詞として発するので、聴衆もその喜び、即ち躍動を共にして笑ってしまうのでしょう。
この笑いは生命力の証です。
生きている喜びとは、そうそう感じられるものでは無い。しかし綱太夫は空気の振動で我々を共振させ、その共振は「存在」を共振させ、「存在」は我々を「笑い」へと突き上げるのです。
翻って、織太夫の「笑い」はどうか。理性的で計算された笑いで、ややもすれば、聴衆を「笑い」に導こうという魂胆がチラつきます。百姓の声もあまり区別が無く、整い過ぎています。計算を打破して、「生命」へと向かいましょう。そうすれば、あの「あひる笑ひ」がもっと吹っ切れるでしょう。「あひるの哄笑」は「存在の哄笑」であると。
この段、藤の局は登場するだけで、手先までもが美しく、この美しさが「陣屋」の可能性への希みとなりました。
またツメ人形はイヤ味無く、自然ながら的確な動きをしていて、実に好ましかった。
千秋 2022/11/26(Sat) 18:33
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288]
情報資料室更新
今回は「新群書類従」であります。
多くの皆さまにご覧いただけることでありましょう。
トップページまたは更新記録のリンクからどうぞ。
勘定場 2022/11/08(Tue) 16:48
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287]
秋公演評
速きを以て尊しと為さん。
勘定場 2022/11/08(Tue) 16:46
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286]
寸評
《床》
「上田村」…八割感嘆+二割疑問
「八百屋」…越路師によってここが切場になったことを再認識
「道行」…千代の可憐と半兵衛の武
「弥陀六内」…御簾内でよい
「宝引」…省略版、家の芸、客の力
「熊谷桜」…合格、次への発展が楽しみ
「陣屋」前…安心
後…安定
「沢市内」…予想通り
「山」…一杯一杯
「勧進帳」…未聴は十時帰宅と天秤に掛けたから(ちろん演者ではなく演目を)
《手摺》
・マクラの下女はこれでよい(というかここで前受けを狙った奴の気が知れぬ)
・おかるが抜群、お千代半兵衛平右衛門に悪婆母の完全体、金蔵も伊右衛門もよい
・敦盛の気品、藤の局と義経が抜群、熊谷大健闘、弥陀六も本物、相模は別格
・第二部の端役からツメ人形までそれぞれがよく働いた
・貞女お里の献身がピタリ、沢市の内向内攻も納得
・勧進帳未見は問答済んで途中退席と迷ったが非礼を避けた
勘定場 2022/11/05(Sat) 21:57
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285]
聴育
しかしながら、
この頭巾は等閑視されて久しい。
(若手や中堅の力試し程度では被れもせず、
三宅坂の視聴室に出向く(嶋勝司の初演時)しかない現状に、
何とかしてライヴ体験(呂勢が最適)出来ないものかと思う。)
世界無形文化遺産となった和食には、
食育という概念が定着しつつある。
人形浄瑠璃文楽はというと、
聴育という国家的一大事に未だ気付いてもいない。
(歌は世に連れ…などと脳天気に嘯いているようでは、
斯界も人に恵まれないものだと嘆息せざるを得ない。)
もちろん、
育てるどころかダメだと切り捨てて唯我独尊たるなどは、
語りどころかお話にもなるまいが。
勘定場 2022/11/05(Sat) 21:39
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284]
聴耳頭巾
自然に出来上がらないのであれば、
聴耳頭巾を被るより他はない。
「浄曲窟」もう一つの解説には、
駒太夫風「上燗屋」への言及がある。
『浄瑠璃根本鑑』初編にも収録されており、
サイズといいデザインといい、
被るには絶好の頭巾である。
勘定場 2022/11/04(Fri) 07:42
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283]
自然破壊
客の耳が出来ていない今日。
もちろん視覚優位の現代ということもあろうが、
耳が出来上がらなかったのである。
昭和四十年代までなら自然に形成されたもの、
その自然はもう望めなくなってしまった。
勘定場 2022/11/03(Thu) 07:50
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282]
一体化
今月の「浄曲窟」、
極上であり特別である理由の一つは、
演者と聴衆との一体感にある。
手が鳴り声が掛かるところ、
まさにそこをおいてよりほかはなく、
床と客席が一体となって、
一つの奏演が形作られている。
客の耳が出来上がっている証拠でもある。
勘定場 2022/11/02(Wed) 06:30
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281]
十一月
ハロウィンとクリスマスの間、
とりわけ大切にしたい一ヶ月である。
別にカボチャやサンタが気に入らないというのではない。
先月上旬までが夏になってしまった現在にあって、
秋という季節そして秋の心のありようというものに、
静かに思いを馳せたいと思うからである。
勘定場 2022/11/01(Tue) 18:16
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