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国立文楽劇場 令和四年 十一月公演 (十一月十八日) その3
☆ 然らば熊谷は何処に。
嘗てD V Dで観、聴いた津太夫と先代玉男の熊谷は、不条理、理不尽な運命を耐え忍ぶだけでなく、却ってその運命を自ら意志的に引き受けて一歩踏み出そうとしていた。「修羅」を踏み超えて異次元の世界へと。
「首討つたのが小次郎さ。しれたことを」の詞は異次元への険しい道を示している。
この「修羅」から異次元へ超越せんとする決然たる意志こそが熊谷の本質なのだ。然るにその本質が今回、錣にも呂にも人形にも現れて来なかった。
故に熊谷は何処にも居なかったのである。
それではもう熊谷は今此処には甦らないのだろうか。
否、一輔の藤の局に希みがある。
藤の局の白い顔は美しく浮かび上がっていた。一輔の才能は人形の顔を最も美しく見せる角度を瞬時に精密に示す事が出来る。‥‥それは美しい死者の顔だった。成る程文楽人形は死者だったのだ。
現今「生」のみが重んぜられ、死者など無価値と軽んぜられるが果たしてそうだろうか。
小林秀雄は「無常といふ事」の中でこう言っている。「歴史には死人だけしか現れて来ない。従って退っ引きならぬ人間の相しか現れぬし、動じない美しい形しか現れぬ。」と。
つまり死者こそが「動じない美しい形」で現れて、生ける現存在即ち「人間になりつつある一種の動物」と、確固たる「存在」を繋いでいるのである。「死」無くして
真の「生」は無い。
「陣屋」は死者の世界であって、其処にこそ「退っ引きならぬ」人間の本質が現れる。熊谷は運命を超える決然たる意志の人として、津太夫と先代玉男によって具現化された。「死」の一点から噴出する多面体としての、先代玉男によるおおいなる姿、空間を翻り決然と停止する扇の位置は、津太夫の語りによって前方に押し出され、遂に熊谷は今此処の現実に届いたのである。
昭和の「陣屋」はこうして熊谷を甦らせた。熊谷は厳然と現成した。
今回令和の「陣屋」では熊谷は現れなかったが、呂太夫の繊細な語りによって、一輔が藤の局の「退っ引きならぬ」美しい死者の相を呈示した。その白い顔は闇に浮かんで、今此処を凝視している。
死者は甦りつつある。
然すれば、文楽の可能性とは、「死者は生きている」と言う逆説のうちにあるのだった。
‥とは言え令和と言う時代に於いて、「逆説」とは「困難」の同義語であるかもしれないが、と思いながら、雑踏の中を帰りました。
以上
千秋 
2022/11/26(Sat) 18:48
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