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【 義太夫大鑑 目次】

 

序 其日庵法螺丸(杉山其日庵)
 
自序 秋山 清
 
義太夫大鑑 上巻 目次 上巻PDFファイル
 
浄瑠璃と操り芝居
 
第一章 浄瑠璃の起源(001) ()内の数字はページ数
 
義太夫節なる称呼 浄瑠璃なる語 『宗長日記』に見えた浄瑠璃なる語 浄瑠璃の発端はなかなかに古し 『浄瑠璃姫物語』の作者 お通の作なりとするの説は信じ難し お通の伝記−各種の異説 『俗曲の由来』のお通改作説 柳亭種彦の非お通作考証 『足新翁記』と『還魂紙料』 『浄瑠璃姫物語』にも各種の異本がある 『麓の花』の著者が見た『浄瑠璃姫物語』の『正本』『牟芸古雅志』に載せた目録 初段の本文 十二段の大意
 
 参考資料(014) 『麓の花』『江戸名所咄』『昔々物語』『門岡雑談』『望海毎談』『筆のすさび』の一節
 
第二章 扇拍子時代の浄瑠璃と三味線の由来(022)
 
扇拍子時代の浄瑠璃 平凡単調な曲節 扇拍子 盲人一派の世業 当時の遺風 奥浄瑠璃
三味線渡来の年代 永禄説と文禄説 伝来の径路−伝記区々 胡(小)弓と三味線
参考資料(026) 『糸竹初心集』『世事百談』『糸竹大全』『琉球年代記』『竹豊故事』『本朝世事談綺』の一節
 
第三章 傀儡子の起源と伝説(032)
第四章 創始時代の浄瑠璃と操り芝居(047)│略
第五章 杉山丹後と薩摩浄雲(069)
第六章 江戸浄瑠璃の前半期(087)
 
第七章 義太夫節以前の京阪浄瑠璃(141)
 
○ 京阪浄瑠璃の勃興時代
源太夫上京以前の京都の浄瑠璃 京阪浄瑠璃の恩人、偉勲者としての源太夫の位置 源太夫が伝へた曲風 京阪両地に流行した金平節 其の流行の渦外に超然たりし山本土佐と宇治加賀−著しく金平節化せる井上播磨の曲風
 山本土佐  宇治加賀  井上播磨
 
○ 義太夫節[創設]前後の京阪浄瑠璃と操り芝居(156)
義太夫出づる迄の京阪の操り芝居 大阪に於ける大勢力伊藤出羽の芝居 京の御内裏様と併せ数へられたほどの出羽の芝居 文弥節と山本飛騨等の木偶 出羽の芝居の金平節 木偶の伎巧と趣向で持つた景気 当時の操りの伎巧 糸あやつり 手妻つかひ 水からくり ぜんまいからくり 南京あやつり 要するに木偶七分の人気
浄瑠璃本位の義太夫の興行方針 「三五の十八」で算盤あはぬ不成績 義太夫の失望−出雲の人気取り改良案 京都を掩有した宇治加賀、山本土佐の人気 歓ばれざりし義太夫節 加賀と土佐とを喪ふた後の京都
 
第八章 近松門左衛門(167)
 
○ 近松の伝記
文筆趣味に富んだ近松の一族 彼が系統生地に就いての伝説 斯界の本伝させられた長州萩説−唐津近松寺縁故説 されど此の説は孰れも年代若し 古きは京都説‐近江三井寺錦の近松寺説 京都説‐近江三井の近松寺説ははるかに萩説−唐津近松寺説に優る 京都説の祖述者たる『竹豊故事』の著者−斯界の通人−一楽山人 京都説の考証資料として『近松傑作全集』に引用された『寶蔵』の近松一家の俳句 『声曲類纂』『竹豊故事』『音曲道智論』の一節
近松が奉仕した公家 初歩時代の作者生活 放浪生活当時の作物 義太夫と相識りたる初め 両者の黙契 近松の健康と著作 墳墓の地 谷町妙法寺の廻向塔やうの空墓−久々智広済寺の墓 辞世と自選の法号 水谷不倒氏の唐津近松寺の遺跡に付いての考証
 
○ 近松の作物と文章(182)
作者生活の最初の十年 修業期−練習時代 古浄瑠璃の故習を脱せざりし浄瑠璃の型式 此の期の卒業論文『出世景清』 純乎たる古浄瑠璃の筆致
研究期−実修時代の元禄の十六箇年 凡ゆる研究工夫は此の間に成つた 構想行文の秘訣を語つた近松の直話 彼が人生詩人としての卒業論文『曾根崎心中』 心中物浄瑠璃の流行
円熟大成せる晩年の二十年 此の間に成ツた幾多の傑作 世話浄瑠璃の最終作『心中宵庚申』
近松独創の雅俗折衷文 豊富なる文藻と自在なる筆致 忙中閑ある余裕 口を衡いて出る軽妙なる滑稽 景情併せ叙した自在なる用筆 其の例として『寿の門松』と『夕霧阿波鳴渡』の一節 馬琴と西鶴と近松 慾を描いた西鶴−自我的処生観道義的長談義の小説化した馬琴の作物 性を描き‐時代を描き−周囲−人生−実世間を描いた近松
 
第九章 義太夫節浄瑠璃の興衰(233)
 
○ 流祖竹本義太夫
理太夫時代 嘉太夫の芝居に入る−一座を組織し宮島に下る 竹本座の初興行 義太夫伝記中の疑問−宮島に下るまでの消息 竹本義太夫なる名乗りの縁由
義太夫の曲風 彼の声曲的所見と遺訓
 
○ 斯流勃興時代の三十三年(246)
其の前期−竹本座創立後の十八年 中心人物 興行年表(247) 当時の道頓堀の各座(252) 七ツの芝居 振はざりし筑後の芝居 銭が安うても面白い竹田の芝居
其の後期−竹豊両座対立後の十五年 竹本座の中心人物 義太夫の死−権右衞門の退隠 竹本政太夫 政太夫の曲風−其れを伝へた西風(竹本派溌)の浄瑠璃
豊竹座の中心人物 若太夫の単身孤闘的奮闘 豊竹若太夫 若太夫の曲風−其れを伝へれ東風(豊竹派)の浄瑠璃−豊竹座創立迄の若太夫−意外の事故より成功した堺の興行−豊竹座の開場−若太夫の名誉 紀海音 海音の素養−浄瑠璃作者としてよりは寧ろ読本作者−取り立てゝ云ふほどの傑作もなし−被の作物に対する定評 『心中二ッ腹帯』の一節
竹豊両座の対立後俄に緊張した斯界の空気 世話時代物浄瑠璃の流行 構想作意の一変
 竹豊両座の興行年表[自元禄十五年(七月)至享保二年](289)
 
○ 昌隆時代の四十年(294)
其の前期の三十年 竹本座の中心人物 『国性爺合戦』興行後の竹本座の大異動 在来の顔振の一新 一種の老朽淘汰 孰も有力なる後継者 
豊竹座も亦多士済々近松の死−竹本座の打撃 出遣ひ出語りと人形の工夫 竹本座に上場したる幾多の佳作 『夏祭浪花鑑』に文三郎の凝らした工夫 礼拝斎戒戒して勤めた『菅原伝授手習鑑』当時の盛況
『仮名手本忠臣蔵』の紛擾 『忠臣蔵』の上場−紛擾の顛末‐紛擾の主選−双方の主張 東西両座の混乱 此太夫の後を承りた竹本大隅掾
後期の十年 斯界の最盛爛熟時代 竹豊両座の中心人物 空前の盛観 吉田文三郎を中心とした前期三十年間の人気 太夫の声と伎とで人気を左右するの外なき浄瑠璃本位時代となる 『双蝶々曲輪日記』の不評 駒太夫と麓太夫とで呼んだ『祇園祭礼信長記』 豊竹駒太夫 合作浄瑠璃 両座の作者 僅々十箇年間に連発した佳作 著しく歌舞伎脚本化した浄瑠璃正本 地の文は次第に減じ詞の部分はます/\ 加はる 操り芝居敗頽の素因 近松作正本の改作−要するに『三人寄れば文珠の智慧』の出し合 浄瑠璃の型式の一変 当時の歌舞伎芝居 当り浄瑠璃となれば直に歌舞伎に奪はる 木偶よりは活きた役者 合作浄瑠璃の流行 合作ものゝ長所 勢ひ詞本位の浄瑠璃 千変一律の「と」の字受けの格法−殆ど詞ばかりの浄瑠璃正本 合作浄瑠璃の長所と短所を併せ見るべき適例『菅原伝授手習鑑』
 
  [昌隆時代]竹豊両座の興行年表(332)
 
○ 衰滞時代の百二十五年(360)
漸衰期の二十五年 吉田文三郎 余りに世才に聡く自我的であった−別座創立の野望−父子相次いで竹本座を退く−作者としての吉田冠子 座主近江の入牢 竹本座の人気の失墜 竹田竹本打込み興行 さま/\苦心した恢復策も更に効無し 僅に景気を挽回し得た『本朝二十四孝』 竹本座の顔振 京阪竹本座の入替り興行 竹本座の退転 再興 一向に客足附かず 窮すれ出るさま/\の愚痴 竹豊両座の打込み興行 僅に一と興行にて分離 近松半二が智慧を絞つた『妹脊山婦女庭訓』 四、五年の不入を一時に取り還す
一層悲惨なりし豊竹座の末路 重々の不幸 遂に閉座 北堀江市の側の芝居の創立 『妹脊の門松』の大当リ 再興した豊竹座 堀江座の顔振
 
[漸衰期二十五年間]各座の興行年表(373)
 
沈滞期の百年(389) 操り各座の概況 幾多小勢力の対立 引続き人気を占めて居た市の側の芝居 文楽芝居の勃興 文楽御霊市の側三座の人気を中心とした文政−天保時代 爾余の各座 小は小なりに夫々相応の人気 社寺境内芝居の禁令 文楽−御両霊座の退転 禁令後の五芝居 西横堀清水町濱の文楽の芝居 稲荷社内文楽の再築 明治初年の操り各座 松島の楽座  彦六座との対立となる
次第に種切れとなった新作正本 旧作浄瑠璃の洗張り興行 斯界の景気は減退する一方 当時の歌舞伎興行の一般 首振り小供芝居 されど浄瑠璃の伎巧はいよ/\銑錬の極に達した
二代目政太夫の門系より出た幾多の秀才 越前少掾の系統より出た斯界の大立者 筑前少掾の流より出た名人上手 爾余の幾多の名人 三絃と人形の名手 妙声第一と云はれた駒太夫 いよ/\ 練熟して来た麓太夫 父に劣らぬ二代目駒太夫 初めての出座よリ楽屋中を驚かした初代巴太夫 中古の名人 二代目内匠太夫 其の余の幾多の名人上手 然るに景気は次第に沈衰すると云ふ不思議な現象
沈滞時代後半期の大立者 名人上手続々斯界に現はる 天保、嘉永比の中心人物の顔振 三絃界の妙手名人
 [天明三年以降]新作正本表(424) [自天明三年至明治十八年]操り各座興行年表(429) 主なる太夫の略歴(509)
 
第十章  江戸浄瑠璃の後半期(544)
 
江戸的気風の軟化 『我衣』『病間長語』『独語』の一節 宮古路豊後の系統 豊後江戸に下る 豊後節禁ぜらる 豊後の曲風−時人の批評 豊後の遺鉢を伝へて大成した常盤津文字太夫 幾分改良せられた豊後節 文字太夫の流系
文字太夫と並んで盛名を馳せた富本豊前掾 豊後の直系なりとするの説−文字太夫の門下より出たとするの説−豊前掾の略歴 富本の流系 富本より出でゝ更に一派を為した清元節 初代齋宮太夫 二代目齋宮太夫 清元の流系 五代目延寿太夫
宮古路加賀太夫の創めた富士松節 富士松より別れた鶴賀節 鶴賀の祖若狭掾 富士松の系流 七代目加賀太夫 鶴賀派の流系 鶴賀新内 繁太夫と薗八
豊後節以外の各派 一中節 元祖一中 一中節の流系 菅野派と宇治派 大薩摩節と河東節 大薩摩節の系統 河東節の流系
江戸浄瑠璃革命時代の各派の混戦 『浄瑠璃三国誌』の一節 江戸浄瑠璃の変遷 次第に江戸化せる豊後系浄瑠璃 江戸浄瑠璃衰微の径路
 
 自正徳至文久江戸浄瑠璃重要年表(589)
 
第十一章 江戸に於ける義太夫節(600)
 
江戸義太夫節輸入の祖辰松八郎兵衛 二流三流の輩で徐々地盤を固め始む 八郎兵衛江戸入り前後の消息 一旦大阪にて興行し夫れより江戸に下りたるが如し−されどXX急盛んなる流行を作ると云ふ段取には運ばざりし 豊竹新太夫江戸に下る 俄に勃興し始めた義太夫趣味 越前少掾一行の江戸興行 延享三年の大火−操り各座の焼失−肥前座単り再興 勃興の勢成る 菅原伝授手管鑑の大当り 菅原屋敷と紅梅の杜−新太夫の退隠 二代目新太夫と相続した伊勢太夫
江戸義太夫節の正本 操り各座 肥前座、外記座、結城座 寛政比の江戸の芝居
  新作正本上場年表(609)
 
江戸作者(613) 紀上太郎 烏亭焉馬 福内鬼外 容揚黛 松貫四 江戸作正本の異色 江戸的気分に醇化された義太夫節の曲調−「開東義太夫」なる一種の称呼さへ出来た異色ある筆致語格−一例として『糸櫻本町育』『神霊矢口渡』『白石噺』の一節
 
太夫の顔振 江戸生抜きの太夫としては僅に筆太夫綱太夫あるのみ 江戸に墳墓を残した京阪の太夫 『塵塚談』の著者が見た安永前後の斯界 享保以後江戸に徂徠した主なる太夫(631)
 
江戸義太夫節の盛衰 嘉永当時の消息
 
第十二章 明治時代の義太夫節(642)
 
明治初年の操り各座−其の顔振 明治七年の堀江座の顔娠 明治八年の文楽座の顔振 明治六年の大番附 斯界の古老は次第に凋落し太夫の貫目は下落し来る−されど逆に復活盛隆の機運に向ふた斯界の景気 彦六、文楽両座の対立 当時の彦六座の顔振 文楽座の顔振 二十三、二十四年の彦六、文楽両座 二十八年より三十年に至る文楽座 彦六座の瓦解 其の後を承けて起つた稲荷座−其の顔振 明楽座起る 堀江座の再興−其の顔振 堀江座の好評−時人の堀江座評(664)
越路太夫の隠退と大隅太夫の退座(671) 機運の急転直下 近松座の瓦解−首振り芝居となった近松座
明治の斯界を代表した越路太夫と大隅太夫(675) 越路太夫の略伝 養父に素人浄瑠璃の仲間−彼の初稽古−太夫志願−野澤吉兵衛の門に入る−初めての旅興行−江戸に下る−越路と改名−江戸興行中の苦心と難行−吉兵衞の死−京都に帰り春太夫の下に頼る−彼の不平−春太夫の懇諭−初めて文楽座に入る−当時の文楽座の顔振−次第に名誉をあらはし来る−櫓下と成る 越路の長所と大隅の長所 越路に対する批評 大隅が人気を博した二ツの原因 大隅太夫の略伝 大隅の死に対する世人の同情−近松座より発表した退座前後の消息 時人の大隅評(695)
落寞粛条の現下の斯界 明治人に歓ばれた流行浄瑠璃
 
○ 補遺と余論(705)
 
素語り璃瑠璃 木偶と離れて別に開拓すべき天地−運命 潔く木偶と絶縁すべし−聴くべき浄瑠璃−視るべき歌舞伎 近松作正本の特色と浄瑠璃としての真価 出雲半二等の筆致 歌曲と劇との中間を往くべき浄瑠璃 見る眼の面白味よりは聴く耳の感じ 活きた人間と死んだ木偶との角力 文三郎ほどの技両を以てして尚ほ且つ爾り 木 偶劇より出でゝ歌舞伎に入った浄瑠璃正本 流行は趨勢である 時人の操り趣味は既に去つて居る
明治に入つての新傾向 浄瑠璃正本の研究−紳士浄瑠璃なる新熟語 漸次に衰退廃亡すべき在来の正本 徳島政育会の社会教育上より観た義太夫節正本の調査報告 首肯し離き廉太だ多し−余リに偏狭なる観察 現在の正本は尚ほ幾多の淘汰を免れざるべし 素浄璃瑠となつて保つべき晩年の余命古浄璃瑠の複活 人気を支配するも流行を左右するも要するに鼓吹の仕方一つである 津太夫の復興した『日吉丸』三段目 左までに流行せざる浄瑠璃中にも佳作多し されど孰れも可なりの難物である−大に奮動努力を要する 浄瑠璃正本の制作 現代語にて書いた浄瑠璃は果して義太夫節の節調と調和せざるか 元禄時代を直写した近松の世話浄瑠璃 渾然として融和して居る 能はざるに非ず人なき也 浄瑠璃正本の用語は必ずしも現代語の速記的描写たるを必要としない 近松が案出した一種の台詞 十分に元禄時代調を以て響いて居る 文語と現代語との中間を縫ふた文章らしき詞−詞らしき文章
 
 
義太夫大鑑 下巻 目次 下巻PDFファイル
 
第一章 浄瑠璃を語ると云ふ事の意義(001) ()内の数字はページ数
 
義太夫節本来の約束(001) 麓太夫の太功記 播磨少掾と順四軒の狐の子別れ 浄瑠璃を語ると云ふ意義 浄瑠璃を語る−声を語る 宇治加賀掾の教訓の一節 越路太夫にしても一部の批難がある 髄を語つた大隅太夫 二代団平の稽古振 大隅太夫と三代目団平の追懐談(007) 悪声より大成した五代目弥太夫(011) 弥太夫の熱誠−長門太夫の教訓
鼻唄式前受専問の浄瑠璃(014) 外連決の弁 無理当自然の弁 よた語りの泉太夫 一例として『艶容女舞衣』の酒屋 太夫も太夫ななれば、三絃弾も三絃弾である 三絃は弾けるが浄瑠璃を弾き得る者幾人かある 原武太夫の『断絃余論』(019) 斯曲の妙機を道破した至言
不即不離の呼吸(026) 三絃と離れて三絃に外れぬ呼吸 節を語らずして浄瑠璃を語る 節に捉はれて情を尖ふは悪し、声に任せて情を失ふは尚ほ不可也 竹本播磨少掾の教訓(027) 情語りの達者は比較的悪声の人々に多し「当分凌ぎ」の太夫や三絃弾 誉められて腹を立てた有隣大和ほどの誠ある太夫幾人かある 中の誉めと上の誉めと下の誉め
 
第二章 声音と其の習練(030)
 
二の音が大事 (031)三の音専一の浄瑠璃は余りにケバ立つて厭気が来る おツとりとした妙味 基く所は二の音である 三絃の調子 宮古路豊後の『都の錦』の一節(032) 『竹豊故事』の呂律五音十二調子の弁(036) 所謂一声−大将声、下手声、きばり声 真の美声 悪声も練磨と工夫
発音の調子の習練(037) 咽喉の適不適よりは耳の良否 小音難声も或程度までは矯正助長すれば其の格に入ることが出来る しはがれたきばり声は義太夫節本来の要望に非ず 声音の習練と云ふ事の意義 声を似せるよりは心を似せよ 声音習練の三大要頂 声の力、声の重み、声の色彩
  仏教の声曲科 声明(041) 仏門の声曲家−式衆 各宗各派の声明 真宗の和讃念仏 声明の音節を応用した平家の節調 声明と日本の声曲
 
第三章  語り方の理論(044)
 
○ 通論
浄瑠璃を語ると云ふ事の二の意義 筋を語る−情を語る 浄瑠璃五段の型式 一段の浄瑠璃には起承もあれば転結もあり、承応もあれば段落もある 一段の大綱を語り活かすと云ふ事の必要 静山急の呼吸(050) 即ち語り方の三原則 間違ツて居る稽古の仕方 半端稽古は断じて廃すべし
声音の適不適は節を語り地合を語る上のみの事に非ず(052) 詞を語るにも亦適不適がある 詞の調子−抑揚−頓挫 語ツての味−はたらき−変化の妙は寧ろ詞に多し 地合では泣かねど詞には泣かされる 泣かせるばかりが浄瑠璃の極致でもなければ能事でも無し 要にホロリとさせる位の程度 泣かして泣かせぬ呼吸 泣味噌太夫とならぬ用心
詞には七分の強味がある(052) 地合は或程度迄也(055) 詞の呼吸、活殺の妙用は底知れず奥の知れざるほど深し まづい浄瑠璃を一層まづく聴かせる 四代目住太夫の研究苦心の逸話(057)
要するに一種の模倣(060) 形を模倣ずして情を摸倣る 声を模倣ずして心を模倣る 模倣なるが故に上手もあれば下手もある 稽古の必要もあれば修練の必要もある 三歳児の時より経験して来たおぼろげな観念を、修練工夫して伎巧化するのが浄瑠璃の修業 全然技巧一片、口頭ばかりにては真箇の情味は出ないのである 作中の人物となり境遇となる 稽古よりは自覚 浄瑠璃に情の籠らざるは型ばかりに拘々として根本的の研究を勿諸に附するの結果である
世話と時代との語り方の区別(063) 時代物を語るに就ての通則 生やさしき稽古と伎両にては出来ぬ時代物 世話もの語りとしては古来幾多の名人上手も輩出して居るが、時代もの語りの達人として伝へられたるものは洵に少し 時代物浄瑠璃の本来の性質 世話浄瑠璃の特長 世話時代物 世話時代物を語るに付いて第一に心得べき事項 一例として『平仮名盛衰記』の松右衞門 世話時代物浄瑠璃の特色と妙味 浄瑠璃の重みと軽み 其の一例 間と云ふ事 阿吽一瞬の呼吸−間髪を容れざる刹那の気合 黒いも白いも間の持ち方一ツの巧拙に由る 間は息に非ず(069) 寸分の油断も不用意も許さゞる義と心得べし 三絃が弾き出せば語り出し、「節」が終れば息を継ぐと云ふやうな浅薄な了簡ではまだ/\也 間を持ツ一例 息一ツ継ぐにさへ注意を要す 息を盗む−鼻から息 其の一例
節に切字(071) 詞にも切字の必要 息を切らずして句を切る工夫 湯を呑む心得と扇拍子 太夫と三絃の阿吽表裏の関係 自らにしてぴたりと合体したのが真の呼吸
 
○ 詞と地合(074)
詞七分地合三分の現今の浄瑠璃正本 融通自在を極めた近松作の正本と流祖義太夫の節附 其の一例『丹波与作』の重の井子別れの一節 後の作者の増補した詞本位の『沓掛村』
勢ひ詞の研究工夫が急務となる(081) 浄瑠璃の情を語り活かすには地合よりは詞 地合は主とした語物 詞本位の語り物 詞七分−地合三分の語り物
詞の研究の要項(082) 最も大切にして興味のある助語の研究 助語の妙用 先づ其の意味合の研究 其の例 詞に情趣を持たすのも助語の妙用−浄瑠璃の黒いも白いも甘い不味も助語の語り方の巧拙如何に由る
詞の調子(086) 詞の調子を定むる原則 例令ぱ勘平と弥五郎−半兵衛と宗岸−浮舟と桐の谷を語り分くる工夫 年輩により夫れ/\変則融通の工夫 地声を第一とする 殊更に仮声を使ふは悪し−ワク/\の実盛、ひよろ/\の平作 発音は畢竟情の発露、気分の響である 盲人、聾唖者、阿呆を語るに就ての研究の要点 盲人 盲人を語るに就ての工夫の楔子、捉へ所−中年者の盲人の気分は多少の加減を要する−相手に話し掛ける時の発語の調子 仮擬盲人−仮擬の仮擬たる特徴 阿呆(091) 阿呆の阿呆たる特徴−締りの無い調子外づれの大声 一風変ツた人物 工夫の要点 一 例として『近頃河原の達引』の与次郎
詞の字配り(095) 五七、七五調の浄瑠璃の詞 やゝもすれば雨だれ調子となり易し 字配り研究の必要 其の一例 詞の抑揚 詞を語るに就ての原則 詞に節あり節に詞あり 尻刎と引き字 其の病根は一ツである 詞の治定
発音の高低と緩急(099) 其の一例 されど余りに型式に拘はり理論に偏して融通の妙を失ふはわるし 活殺自在の妙諦極致に悟入するの途 サラリ/\と語つて聴客を釣り込んで往く呼吸
地合研究の要項(102) 単に節を語るこさの修練工夫計りには非ず 節を語ることの困難よりは意味を語ることの困難 地合を語ると云ふ事の意義
地合研究の妙味と困難(104) 作意に応じて附けられた節 地合を語るに就ての要項 地の文を詞の呼吸で語る工夫 其の例 地合を語るに就ての注意の要点 『音曲口伝書の一節』
 
○ 理論の応用=先人の遺訓(108)
実際問題としての理論の応用の困難 其の例 『忠四』の笑と泣『壷阪』の「澤市さんいの」の掛呼け 『志渡寺』のお辻 『合邦』の難所 『忠六』の弥五郎と郷右衞門 『伊賀八』の政右衛門の呼掛けとお谷 『近江源氏八』の首実験の呼吸
竹本越路太夫の芸談(113) 芸の立替 今の太夫の修業振 三味に附かぬ工夫 容器の内部を辿ると外部を辿るとの差 攝津大掾の息 先づ正本を六十遍読め 浄瑠璃の文句を語り殺す 文句研究の一例−『紙治』の「ヤァ−ハア」 東風と西風−竹本派と豊竹派 近松原作の復旧−俗受け悪し−地色 可惜名文句も捨てゝ仕舞はねばならぬ 世話物が困難 時代物は「キュツ」と一ツ 握つて根強くやると語れる 世話物研究の苦心 私の稽古 採長補短 辛かりし修業時代 厳竣な団七師匠 覚束ない「おいだき」の太夫 塩辛声の小僧 不動尊に祈る 団七師匠の声の遣ひ方と大掾の声の遣ひ方 似るに良い所は似ぬ 自己の物とせよ 下手でも素人でも夫れ/\自己の特色 自然の貫目 浄瑠璃の「品」−太夫の品格 附焼刃−自然に剥げて来る 三味の音にも自然の妙 豊竹呂太夫の芸談(133) 初代鶴澤重造 お菓子を貰ふた坊チヤン太夫 西風と東風 先代呂太夫と住太夫−古靭太夫 其の『三勝半七』『質店』『二十四孝』『鳴八』の絶句−却て評判 綱太夫の『三十三間堂』と古靭太夫の『吃又』 昔は凡べて地声で語る 芝居の真似をする現今の太夫 太夫の調子−同じ鐘楼で打つ鐘の音でも同じ様には行かぬ 文句の研究 『阿漕』の「冥途に急ぐ」−『菅原』の「はしごくて」『壷坂』の「初めて拝む日の光り」『箱根霊験躄』の「紅葉のあるに雪が降る」『忠九』の「浅きたくみの塩谷殿」『吃又』の「何ンなく姫君奪ひ取られ」『国性爺』の「手を上げ」と「手を下げ」十三の『弥作鎌腹』−イタイ/\ 『腰越状』の稽古−冒頭の「酒」の一句−浄瑠璃ぢやない狂言だ−団平師の教訓 『加賀見山』の「待つ間もとけし長廊下」 作者殺し 『播州皿屋敷』の「手許もゆらに汲揚げる」 浄瑠璃を廣く大きく語る工夫 語らずに語ることの研究 語り方の工夫 其例 唇を使ふ老爺の詞−語尾を上げる姫言葉 下町風の娘の詞 娘言葉には歯を使ふ 笑ふ時は奥歯に舌を 攝津大掾の声の使ひ方 鼻で息 詞のだれぬやう−次の詞との聯絡 泣くべき人が泣ては不可 調子がイヌ 一杯に語れ 一枚/\を丁寧に語る 忌み言葉 侍なまり−奴言葉 サワ−ラワ−カワの秘伝 老爺にラワ−侍にカワ−若い者や女中にサワ 空鉄砲一発で酔の醒めるやうな「後藤」では詮なし 明治前後の浄瑠璃芝居
『太功記』十段目に就ての竹本津太夫の口授大要(154)
先人の道した教訓(161) 宇治加賀掾の教訓 『鸚鵡ヶ柚』の序文の一節 『浄瑠璃秘曲抄』『竹豊故事』の一節
 
第四章 節(170)
 
節の称呼 『江戸節根元記』の一節−『世事百談』の一節 節の変化 極り節の実例(177) 正本の節章に就いて注意すべき廉々 情愛−文義に応じて節の形もさま/\也−節附にも真(楷)行草の三体−書き下し当時とは語りやう も節附も変つて居る 地の様々 竹本四季太夫の『浄瑠璃道の技折』(193) 丁寧親切な斯道の指南書 上と下 紛らはしきの章 フシハルとウフシ 太夫癖の節 『音曲両節弁』の一節(199) 『章句故実集』(200)
産字の意義(215) 其の例 産字を必要とする二の理由
 
第五章 稽古の心得(219)
 
稽古の順序(220) 最初は音調と曲節の修練 夫れには適当な景事、道行もの 古人の至言 猪稽古 百日に百杯の道理 赤素人の三段目 熱心は稽古の要訣
声音修練の意義(222) 順的 助長的 修練と逆的 対抗的 修練 稽古の手初めには先づ順的−助長的修練より入るべし 一方に偏固過ぎたる片輪者とならぬための逆的−対抗的修練 逆的−対抗的修練の意味 声昔修練の原則としては何処までも順的修練
斯道には卒業期限無し(225) 攝津大掾もまだ/\なれぱ大隅太夫もまだ/\ 稽古に臨んで心得べき廉々 (225) 根気と辛抱−口を開くまでの辛抱一ツ−稽古の紙数−稽古本の研究−要所/\は直ぐに備忘の為めに書き留めよ−師匠の態度表情に注意すべし 「節」を覚ゆるよりは 「程」「間」「拍子」「呼吸」「情趣」を呑み込む事の苦心 初学者の悪癖 正しき稽古の姿勢 二度稽古、三度稽古 気合のかゝつたのは最初の一回−結局悪い所/\と覚えて行く稽古の仕方−一回稽古に限る 杉山其日庵主人の『義太夫の稽古』の一章(229)
浄瑠璃を語る姿勢と態度(234) 昔の出語りと今の出語り 首一ツ振らず、口一ツ歪めずには浄瑠璃の情味は語り難し 要は何処までも格を崩さぬと云ふ事が肝要 『浄瑠璃早合点』に云へる出語りの弁(237)−余リに偏固な見解である 自然に出て来る表情的態度と姿勢なるべし 満座の中で恥をかいて見るのも亦必要−何処までも真摯に自己の限りを尽して語れ 形ばかり学んださま/\の誤解
 
拾遺=参考資料(232)
蜀山人の見た浄瑠璃詞章の批評=『俗耳』鼓吹 浄土双六と『丹波与作』の道中双六=『還魂紙料』(247) 白獅の尺八に武太夫の合奏=『俗耳鼓吹』(247) 元の吉原=『異本洞房語園』(248) 辰松髷と文三郎羽織=『我衣』『塵塚談』(251) 説教節と歌念仏=『用捨箱』『柳亭記』(251) 浄瑠璃本刊行の初=『用捨箱』(256) 『東西評林』の竹豊両座の[太]夫評判記(258) 『浪華其末葉』に載せた竹本豊竹陸竹三座の太夫評(272) 半太夫節より転じた河東節=『奈良柴』(281) 京阪の芝居=『劇場』新話(283) 三代目筆太夫の硬骨(284) 源与清の三絃考(286)