FILE 57

【 義太夫大鑑 津太夫の太十 】

 
下巻 p154-161    義太夫大鑑
 
尚ほ左に友人河辺香澄氏の稽古覚書の一節を載録して、竹本津太夫氏の意見の一端を紹介することゝする。
河辺香澄氏は、斯道に於ける著者の同人である。左の稽古覚書は、氏が上阪の砌津太夫氏に就いて『絵本太功記十』の稽古を試みたる際、師の口授の要領を書き留め置ける備忘録の一節なるが、参考として乞ふて掲載することゝした。
    「絵本太功記十」 に就いての津太夫氏の口授の要領
往時 「太十」は声量充分なる人の語物とせられ、「フシ」 も小廻りせず、総して大風の吹くやうに、唯バーツと大まかに語り来りたるものなりしと雖も、近年次第に細き節を付け、文楽一派では、攝津大掾が美声を利用して振廻しを多くしたるなど往時とは大に趣を異にする事となり、自然声量豊富ならざる人の口にも合ふやうになつた。
光秀の出其他、声細き人でも工夫によりて大きくきかすことを得べし、あながち大きい計りがよろしき訳でもなし。 箇所により様々の節付あり、何れがよろしとは言ひ難し。 要するに語り手の声量を考へ、適当のフシ廻しを教へることが、師匠たるものゝ注意すべき点である。
美しき質の声を無理に太くせんとしてツブズは大の禁物也。素人筋に於殊に然り。黒人筋にては、初め美声なる者も次第に太くなり、遂にツブレ、数年間は上が支えて二以下の音のみに変す。 此間最も苦心を要する時代にして、さまざまに工夫し、高き調子にも耐え得るやうになり、所謂サビ付いて情趣多きものとなるのであるが、摂津大掾の如く始終美声を維持し得たる人は稀である。
 黒人筋にてはタンといふて、咽喉のうちにゼロ/\のあるのが渋味を添ゆる第一の必要とし、大物語には無くては叶ぬものとせられて居るのであるが、此等は天性にして、ワザと為し得るものにあらず。要するに素人筋にては、持前の声を充分に使ひ、キタナイ声に変ぜしめぬ様心掛けるがよしとする。
 詞 詞にて最も注意を要するのは「ナマリ」である。又地合とのウツリ方である。特に二人以上のセリ合の場合に於ては、詞又は地合の取やりを判然区別する事肝要である。
身構 男女格式夫々身構に注意すべし。大体に於て腰部をシツカリ据ゑ−腹部に力を入れ−肩以上はシナヤカにする。(のの字をかくなどの事)花恥しき姫などは、肩に力を入れてゐては、迚も其情を写し難し。元来多人数の言語挙動を一人の口より夫々区別することなれば、身振りをせねば到底ダメ也。 さりとて余りに身振を多くし、妙な顔付などすることは、此亦よろしからず。
 ウミ字の事 詞又は節廻しには、ウミ字の使ひ方如何にて大に切拙を生ず。例へぱ「コンナ殿御を持ちながら」コンナァトノゴオォモチィナァガァの如し。ウミ字をつかはず真直に、「コンナトノゴオ」といふては、誠に味合なし。「現はれ出でたる武智光秀」ミツゥゥゥの如くすれば大きくきこゆ。
詞の早き箇所 腹で急ぎ口にて急ぐ可らず。アワテル故マクレルなり。之れは極めて六つかしきことなれど、単り詞のみならず、地合にてもまた此心掛けが肝要也。
 枕 文章の意義を能く弁へること最も肝要也。さればとて、余りうれいを利かせる為陰気になりてはわるし。「花一つ」の花、陰なるうちにハンナリと語るがよし。「しほるゝ計り」うれいを利かせ「計り」にて走る。「やう/\」にてまたのばす。かくして緩急を計るべし。枕の全文にて一場の光景を描出する事、ひとり「太十」のみにはあらす、決して軽々にすべからず。
 「母様にも」よりの詞 詞は大抵の場合地合より一本位調子を高む。此十次郎の詞は前髪物にてむづかしきものとせらる。 幾分世話がゝりたるがよろし。調子を高めたる上、語気凛としては勝頼となる。述懐なれど其場に母様も祖母様も居る心持にて語るべし。「母様にも」にて切り、別に「祖母様にも」と両人に対し別々に噺しかける気持也。「思ひ置く事」にて十分声を替え、「更になし」と唄ふ気味也。
 「十八年が其間」は太く語るがよし、十段目の特色也。「思し召し」を「思し」だけ語る人もあり、其場合は「し」をゆる。「召し」と本文通りとせば、「思し」をツメ 「召し」にてノバシユルべし。「先立つ不幸はゆるしてたべ」「先立つ不幸は」はうれいにて、「ゆるしてたべ」をあまり引かず。
「残らず聞いておりました」「残らず聞いて」を早め「おりました」をのぱすべし。総じて年若き女の詞は早きが却て情あるもの也。 此種の緩急はいづれの場合にも同様にして、長短緩急宜きを得て始めて面白くきゝうる也。
 「妻が知らいで何とせう」「何と」にてモチ或はユリ、うれいを利かせ、「せう」をかわいらしく又いぢらしく語るべし。「二世も三世も」「二世も」は息の永き人は充分に振廻はしてよし。併し、「三世も」にてシメねば、女太夫めきてきゝにくし。
 「祝言さへも」「祝言」にてタクリ込み、前の光義様に応ず。此等は足取を早むる場合の一例也。「済まぬうち」よりうたふ気味。「討死」にて気、声を替へる。「わしやなんぽうでも」「わしや」少々唄ふ気味也。
 「白木に土器白髪のはゞ」なるべくスラ/\と語るべし、ばゞに力を入れる。「蝶花形」「蝶」にてハル「親と小手脚当」より気をかへて力を入れる。「鍬形の」は糸にはなれて、「辺り」はアアと幾分スゴミ。「サァ/\早ふ」前の「一所の盃」 までの祖母の詞、あまり抑揚変化の要なし。サア/\にて気を替へる也。
 「目出たい/\嫁御寮」最初の「目出たい」を太きく、次はうれいを利かせ、又幾分慰めの気分。「こんな殿御を持ながら」斯様の箇所は体でのの字を描く心持にて、身構より注意せざれぱ、情を写出すこと出来ざる也。老男は惣じて肩を後にひき、老女はアゴを出すなど、矢張りこの呼吸也。 総じて身振りは、多きに過ぐれぱ却て見憎きものなれど、或程度までは身振りもせねば、詞や地合の情を現はすこと能はず。 シャンと構へ、肩を張り、頭を真直にして「こんな殿御を」といひうるや、試めして見れば直に了解すべし。「殿御を」にてうれひを利かせ、「持ながら」 をハンナリと、「是が別れの」 にて中ウとなり、落著かせ、「盃かと」にて更に張る。「さかー」までうれいを持ち声を大きくし、「づき」を細くし少しモツて、「かと」のかにてまた高くなる。「笑顔」笑いのいにて泣を利かす也。「察しやつたる」より「兼たる計なり」までスラ/\とよどみなく語るべし。「攻太鼓」太のダにてハル。「顔見合せ」は全く糸をすてゝ語るべし。
 「むざ/\」の累詞(かさねことば)、後の方に多く力を罩(こ)める。「祝言によそへて」よりの地色、少々唄ふ気味が面白し。「思ひあまつた」にてうれひをふくむ。「ぱゞが心の」にてまた唄ふ気味也。
 「推量しやと計りにて」の推量は詞にて、「始て」にてまたうたふ気味也。「聞初菊も母親も」は糸にはなれて語るべし。「襖押明け何気なう」秀吉の仮装せるもの、ヨシ旅僧なればとて、重々しき所なくては叶はず、所化坊主の様に軽々しく語りては詮なし。
 「泣顔かくし」 のくユツクリ、しにてうれい。「オヽ」にて全く気を替へ、何気なきさま。「マア、お先へ御出家から」にて、ぱゞの思惑ありさうに、「アいか様」にて、旅僧もまた思惑ありさうに一寸考へ、「湯の辞義は水とやら」とやゝ重く、「左様ならば」にて稍軽く語る事、心得あるべきである。
 「月もる片庇」の「片庇」は、あまり堅からぬやう、や〃ドウラクに語り放し、「夕顔棚の」は凄味を帯ぶるやう、「こなたより」なにてツヨクハリ、たよりはツメ、「顕はれ出たる」は、あ、ら、わ、れと一字/\力を入れ、ハツキリと語り、「武智光秀」はた、け、ち……にて充分に息を出し、また一パイに息を吸ひ、「光秀」と強く大きく出る也。光にてヒキ、ひでのひよりでにうつること極めて早くし、でをあまりヒカズ口を結び、息をツメる。ヒデーと延ばせば、だれて聞き苦し。
 世間一般に、光秀の大きいとか少さいとか云ふことを云へど、あながち斯様な所で声量の大を誇るに及ばざる也。、寧ろ武智の三字、二の音をまぜてすごくする工夫肝要と知るべし。細く低き声にても、発音正く稍々ゆり加減に一ッパイに語れば、それにて可なり。
 「ひつそぎやり」「やり」のりの産字をイ、イ、イ、イと糸につれてキザミ行くもあれど、キザマズしてウミ字を働かす方却て面白し。
 中にはや、アアアアアとやのウミ字をユルものもあれど、之れはわるし。古人の上手には此の事なし。「手練の鎗先」は、手練をシユレンとツメるがよし。
 「ヤア、ヤヽヽヽヽ」之れは素人筋は申すまでもなく黒人筋にてもマクレ勝ちとなる、極めて六かしき所なるが、初めのヤアを下に押へ付け、後のヤヤヤヤヤをホリ出す心持にてアゴを働かすべし。「残念至極」より「仰天」まで糸にかまはず「唯忙然」にて始めて糸につく。
 「忙」にて切り「然たる」にて切り、「計なり」と語るは、唯大きくせんが為めの節付なれば、息の長き人なれば「唯忙然たる」を一息にて語るも差支なし。されど這は恐らくは爲し難かるべし。
 「計なり」バカンナァリは当節(あてぶし)にて、大阪にては流行せず。バカアァリイ、ナァリと語るもの多し。何れが非(わるし)といふにはあらずと雖も、前者は余り誇大に過ぐるとの説より、丈楽一派にては後者を取ること〃なつたのである。
 「声聞付てかけ出る操」「初菊諸共走り出」此両人の挙動を能く/\考ふべし。一率に語りては更らに妙味なし。此種の場合を常によく/\注意し、各人の挙動情趣を語り分ける工夫が肝要である。「ノゥ母様か」は操の詞なれば、声聞付けてかけ出る操に属し、其情趣を翫味すべし。
 「歎くまい」より呼(つ)く息に注意。「百万石に」「に」にて充分息をツメて更に出すべし。「猪突鎗」詞にて語る。シヽにてツツカケるはわるし。「此通り」はツヨク。「ゑぐり」もツヨク。「此通り」より「気丈の手負」までは、声を奇麗に使ふては面白くなし、寧ろキタナキがよし。「妻は」にて高き奇麗な声に移るにより、却て引き立ちて面白くきこゆる也。「むせ返り」は充分三絃にノツて可也。声工合にてはウラを使ふも却て面白し。
「コレ見たまへ」は詞也。兎角フシになり易し注意すべし。「軍の」にてや〃唄ふ気味。「首途」うれいを利かせ、にに力を入れスカシ糸につれて「くれ/\も」と語り、「其時に」は詞のつもり、「思ひ留つて」よりまたうたふ気味、「有まいに」又詞のつもりと、絶えず調子を変へて語るべきである。云々
以て浄瑠璃を語ると云ふ事の、如何に深甚の用意を要し、又如何に研究工夫を要すべきものなるかの一端を知るべきである。
浄瑠璃を語るに付いての心得として、先人の遺した教訓はさま/\あるが、左に其の一、二を摘録すべし