五段目「大内天変」約22分(英/勝之輔)

井のどけき大内山早や立ちかはる水無月下旬、日毎/\に時違へず光雷火霹靂(はたゝがみ)、打ち続いての天変事ならず。玉体安全雷除(らいよけ)の加持有らんと勅使三度の召しに応じ、法性坊の阿闍梨参内有り。紫宸殿に檀を構へ幣帛押し立て、独鈷(とつこ)三鈷鈴(れい)錫杖(しやくぢやう)ふり立て/\祈らるゝ、擁護も嘸(さぞ)と知られける。寛平法皇の御使として、斎世親王刈屋姫菅秀才を伴ひ参内あり。「“兼ねて法皇貴僧に談じ給ひし通り菅秀才に菅原の家相続、天気宜しく次手(ついで)を以て御沙汰有つて給はりしが”、次には麿が虚命の逆鱗、申し晴らして給はれ」と丁寧に述べ給へば、「“愚僧もとより菅丞相とは師弟の中。霊魂の怒りをやすむる菅原の家相続”、宜しく奏し奉らん。各々はこなたへ」と、打ち連れ奥に入り給ふ。斎世親王菅家の兄弟密かに参内致せしと、春藤玄番が知らせによつて、時平の大臣大きに驚き、希世清貫前後に従へ逸参に駈け来たり。寝殿遙かに窺ひ見れば、「にも玄番が申すに違はず。時平が怨(あだ)と成るやつばら片つ端打ち殺し、天皇法皇遠島させ我れ万乗の位につかん。清貫希世ぬかるな」と八方へ眼(まなこ)を配り、事を窺ひ待つ共知らず、奥より出づる菅秀才「ソレ」と時平が掛声に、左中弁つつと寄り、小腕(こがいな)取つて捻ぢ伏せたり。時平の大臣から/\と打ち笑ひ、「“同然の小忰なれ共、生け置いては後日の怨。首打つたると思ひしに小ざかしくも我を謀り、今日迄存命せしは松王めが計らひよな。贋首くらふたうつそりめ”」と、春藤玄番が肩骨つかみ「不忠油断の見せしめ」と、首引き抜いてかしこへ投げ捨て、「“ヤア/\両人、此の小忰は麿に任せ、斎世親王刈屋姫引つ立て参れ”」と下知するにぞ。清貫希世「心得し」と奥をさして行く所に、俄に晴天かき曇り、雨発(おこ)つて絶え間なく電光虚空にひらめき渡り、天地も崩るゝ雷(かみなり)ぱち/\/\/\ぐはら/\/\。二人はがち/\胴ぶるひ色青さめて逃げ惑ふ。時平の大臣はびく共せず、「“ヤア臆病な腰抜け共。鳴ればなれ落ちれば落ちよ。雷神雷火も足下にかけ”、踏み消してくれんず物」と菅秀才を小脇にかい込み、虚空を睨んでつつ立つたり。猶ほもはためく震動雷電希世は生きたる心地なく、御階(はし)の下に屈み居る頭の上に車輪の火の玉、つると見えしが左中弁五体炎に燃えただれ、天罰目の前師匠の罰(ばち)心地よかりし最期なり。是にも屈せぬ強気の時平、「ア三善の清貫いづくに有る。麿に敵する雷神なし。怖くば爰へ来たれよ」と、呼ぶを力に立ち寄る清貫。あはやと三善も雷火に打たれ、即時に息は絶え果てたり。二人が最期にさしもの時平、心臆して膝わな/\。擒(とりこ)にしたる菅秀才げて行方も知らばこそ。此の上頼むは法力と檀上へ駈け上り、両手を覆ふて踞る。左右の耳より尺余の小蛇、顕はれ出づれば悶絶し「うん」とのつけに反りかへれば、二疋の小蛇は抜け出でて檀に立つたる幣帛に、入るよと見えしが忽ちに、此の世を去りし丸夫婦が姿と顕れ出で、かげのごとく檀上にすつくと立ち、「立ちや恨めしや。汝故に菅丞相、無実の罪に浮き沈み、心筑紫に果て給ふ。其の怨念は、晴れやらぬ。にとゞろき、神の炎変じて紅桜(くれないざくら)と、倶に散らさん来たれや来たれ」とを掴んで引立つる。に驚き法性坊紫宸殿に駈け出で給へば、物の怪の姿はあり/\有明桜。「祈り加持して退けんず物」と、数珠さら/\と押し揉んで、千手の陀羅尼くりかけ/\、祈りいのれば時平は夢共現(うつゝ)とも、思はず知らず立上り、逃げんとするを、「逃さじ」と向ふにちまち八重一重、「“かに僧正祈る共、此の怨念はいつ迄も”、付きまとはつて糸桜。退かじ放れじ」幻は、打て共去らぬ犬桜。「“ヤア/\僧正、菅丞相を讒言し、帝位を奪ふ時平を助け給ふは心得ず。扨は貴僧も朝敵に力を添へ給ふか”」と聞くより僧正大きに驚き、「ヤアかゝる天下の怨共知らで、数珠をけがせし勿体なや」と法座を立ち去り入り給へば、時平も恐れ諸共に御座の間さして逃げ入るを、(たぶさ)を取つて引戻し、「今こそは思ひの侭、冥途の闇路に伴なはん」と、桜の笞(しもと)を振り上げ追つ立て、/\追ひ廻し笞を持つててう/\/\、打たれてうつゝ空蝉のもぬけの骸(からだ)。「扨こそ恨み晴れたり」と死霊は時平を上に、どうど蹴落し嬉しげに、形は花の散るごとく、消えて見えねば、丞相の、霊も鎮まり空晴れて日輪、光り暉やけり。かくと見るより菅秀才刈屋姫庭上に走り出で、「“父上の敵遁さじ”」と用意の懐剣抜き放し、「恨みの刀思ひ知れ」と、刺し通し/\悦び給ふ折こそ有れ。法性坊親王を伴ひ立ち出で給ひ、「“人々の願ひのごとく、『菅秀才には菅原の遺跡を立てさせ、菅丞相には正一位の贈官有り。右近の馬場に社を築き、南無天満大自在天神と崇め”、皇居の守護神たるべし』との宣旨なり」と述べ給へば、皆一同に悦びをきくに北野の千本松、栄へ栄ふる御社は千年万年朽ちせぬ宮殿(くうでん)。栄へまします此の御神、縁起をあら/\書き残す筆の冥加や御伝授の、はる和国に灼然(いちじるき)徳を、崇め奉
幕開くと全面屋台、中央に階、屋台中央奥には祭壇設営。黒衣。ソナヱの変形(最後をテンテンテン…と三の開放弦を弾き流す)で始まる。
「電光雷火霹靂」から下座囃子、舞台照明で描出。
「只事ならず」ハッて語る。その後に三味線の合。
 
 
 
 
 

「事丁寧に述べ給へば」スヱテで重みを出す。
 
 
 
 
 

「げにも玄番が」以下詞ノリ。
 
 
 
 

「蠅同然」前後、屋台中央に時平、上手に希世、下手に清貫。階に玄番。
 
 
 
 
 

「風雨発つて」から下座囃子激しくなる。

「大雷ぱち/\」下座囃子鐘太鼓で大きく、三味線はメリヤスで描出。
 
 
 
 

「落つると見えし」希世への落雷、稲光を見せ大音響。(清貫の場合も同断。)
「ヤア三善の清貫」以下、詞ノリ。
 
 
 

菅秀才「逃げて」上手へ。
 
 

「桜丸夫婦」亡霊の出、ゆっくりと悲しく恨めしい語り口。下座でドロドロ(亡霊・幽霊等の出)を聞かせる。
「腹立ちや恨めしや〜心筑紫に果て給ふ」丸本に鼓歌と表記。
 

「鳴神の」からは早く。

「頭を掴んで引立つる」下座のドロドロ激しくなる。
「音に驚き」法性坊上手から登場。
 
 

「たちまち八重一重」下座ドロドロ。
「いかに僧正祈る共」以下の詞、三味線はメリヤス。
 
 
 
 

「髻を取つて引戻し」下座ドロドロ。
 
 
 

「庭上に」時平の人形、階の真ん中を割って階下へ、そのまま仰向けにして放置。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「伝はる和国に」四人共に立ち上がり衣服を整える所作。
「威徳を」で柝頭、舞台照明明るくなる。
大団円、屋台上手に斎世親王、中央に法性坊の阿闍梨、階下下手に菅秀才と刈屋姫。幕引く。

大詰の常として形式的であるのは上演省略の理由にはならない。むしろ菅公御昇神千百年紀の今年「千年万年朽ちせぬ」ことの意味と、「伝はる和国に灼然威徳」がこの現在日本を賦活させるということをも考え併せるべきであろう。

大序「大内」二段目「道行詞甘替」二段目「安井汐待」四段目「北嵯峨」五段目「大内天変」