二段目「安井汐待」約23分(呂/清治)

れさよ。 世につれて海の面も風さわぐ、湊に御船をとゞめしは菅原の道真公。終には讒者の舌強く覚えなき身に罪極まり、筑紫宰府へ流罪の籠船(らうせん)津の国安井に着きしかば、警固の武士は法皇の旧臣院の庁判官代輝国、逢坂増井に陣幕打たせ見るめ厳敷き鑓長刀。余多の官人四方を囲ひ出船を松の下かげに日和、見合せ居たりける。ゝる折から桜丸宮姫君を御供申し、先に進んで馳せ来り、「菅丞相流罪と承はり、縁類の者暇乞(いとまごひ)の願ひ。又一つには科(とが)の様子も承はりたし。御役人へ直談」と立ち寄るを余多の官人、「ヤア直談とは慮外者暇乞とは無法者。油断ならず」と取り巻くを、夫れと悟りて輝国、「ヤレ聊爾すな」と押し鎮め、「“科の様子聞きたくば言ふて聞そふ。上より咎(とがめ)の条々具さに云ひ開き給へ共、斎世の宮と刈屋姫密通の云訳、御存じなき迚あかり立たず是非なく科に落ち給ふ”」と、聞いて悲しく刈屋姫宮共に駈け出で給ひ、「何我々故囚はれとや。情なや浅ましや不義は二人が誤りぞ。流し成り共切る成り共罪に行ひ丞相を助け得させよ。」「父上に逢はせてたべ助けてたべ。対面させよ」と二方は泣きさけび給ふにぞ。輝国遥かに頭をさげ、「“恐れながら御対面有つては、弥々丞相の罪おもく成る道理。元此のおこりは去る比、君天子に成りかはり御姿を唐僧に写させしは菅丞相の計らひ。『唐土迄天子と思はせ我が娘を后に立て外戚とならん下工み』と、讒者の舌に懸る内宮姫を連れ御出奔。いよ/\夫れと叡聞に達し罪なくして罪に沈む。殊に姫君とは親子の中。是天子への恐れ有ればよもや対面候まじ”。兎角此の上菅丞相の為を思し召さば、是より刈屋姫と御縁を切られ、二度(ふたたび)禁庭へお帰り有つて、“謀叛なき趣を仰せ分けられ、丞相帰洛を御願ひ候へかし”」と、申し上ぐれば斎世の宮、「我故罪に沈むも悲し。又我をのみ恋ひ慕ひ付き添ひ来たる契をば、見捨てて何といなれうぞ」と喞(かこ)ち給へば姫は猶更、「父の為には怨敵(あたかたき)我を罪して御流罪を、赦してたべ人々」と伏し沈み/\、え入る計りに泣き給へば、媒(なかたち)したる身に取つて、つらさ苦しさ桜丸、骨にも身にもしみ渡り、「思へば/\我なくば此の恋誰か取り持たん。人は外ならず」と悔めど今更詮方も、涙先立つ計りにてとかう、詞もなかりしが。立直つて宮のお傍に恐れ入り、「“私元は土百性の世倅(せがれ)、御扶持を下され君の舎人を勤めるも皆菅丞相様のおかげ。其の恩有る方を流罪させのめ/\見ては居られず。と申してから我々風情の及ばぬ所。輝国殿の仰せのごとく、是より姫君と御縁をお切りなされ、他人と成つてお願ひ有らばよもや叶はぬ事も御ざりますまい。再び丞相様御帰洛有つて後、表向きの御縁結び”、しばしの間のお別れ御聞入れ下されよ。」と身にかゝつたるせつなさに、にひれ伏し願ふにぞ。斎世の宮は猶ほ涙、姫君に指し向ひ、「我恋草の思ひに迷ひ、丞相の帰洛を願はずば天道怒り給ふべし。契は尽きず変はらね共親の為と諦めて、別れてたも刈屋姫」と涙と倶にの給へば、「“コハ勿体ない。お歎きを掛けるも元は自ら故。いつそ焦れて死んだらば今の思ひは有るまいに”。お名残惜しや」と御顔を、見るも涙見らるゝも、涙、片手に、「逢ふ迄は随分まめで。」「おまへ様にも御機嫌で」と、跡は涙のすがり泣きわつとえ入り給ひける。ゝる折節、いづれ共知らぬ女中の乗物つらせ、おめず臆せず判官代に指し向ひ、「“私事は土師の里立田と申して、菅丞相の伯母の娘”」と、聞くに嬉しき刈屋姫、「レ姉様ナフ立田様かいの」と、取り付き給ふを突退けはね退け、「“母の覚寿左遷の様子を聞き及び、年寄つての悲しみ御推量下さりませ”」と、いふ内に又姫は取付き、「其のお歎きが身に取つて猶ほ悲しい」と、歎くを振切り、「“何とぞ此の所の汐待を土師の里にて御一宿あらば、心よく暇乞も致し度き願ひ、明日をも知らぬ老の身の、少しは歎きも止ゞめ度く無体な御訴訟。夫直禰太郎が参る筈なれ共、郡役も勤める身で身勝手な事申すもいかゞ。女の慮外は常の事と、不調法も返り見ずお願ひに参りし”。お役人の御了簡偏へに頼み上げます」と、願へば輝国、「イヤ一家(いつけ)の願ひ叶はぬ事。“大切な囚人(めしうど)波打際の一宿心元なく、只今用心の為土師の里へ立越する。一宿は覚寿のもと”」と、聞いて嬉しく、「“エヽ夫れはマア結構な御用心”」と、悦びいさむ立田が袖、姫はひかへて「コレ申し、とてもの事に父上にお目にかゝるお願ひ」と、頼む袂を振り放し、「“れ多い。丞相様へどの顔さげて逢ふと思し召すぞ。元あなたに菅秀才といふお子のない先、母様がおまへをば藁の上より遣はされ、私が為に妹でも今は菅原の姫君様。勿体ない宮様へ恋仕かけて今此の大事に成つたでないか。恋は心のほかでもな、是はあんまり外過ぎて姉のわし迄人々へ顔が出されぬ”。恥かし」と呵(しか)る心もはらからの、さすが誼(よしみ)と知られける。輿の内には菅丞相態(わざと)詞をかけ給はず。事を計るは判官代、「“コリヤやい桜丸何をうつかり。一時も早く宮を法皇の御所へ御供申せ。立田殿は刈屋姫を御同道は必ず無用。ナ合点か。コレサ土師の里の親元へ、急度(きつと)お預けなされよ”」と表を立てて、心は情け。乗り物はゆるやかに、常の旅行同前に輝国が引つ添ふて土師の里へと急ぎ行く。「フコレ父上。」「丞相」と宮諸共に駈け行き給ふを桜丸が引き留め、立田がおさへて引きわくる。名残尽きせぬ妹背の別れ。おふぎの別れと遉(さすが)又、姉が情けで引き合はす。とゞ思ひは増井の浜。目は泣き、はらす赤井の水。いつか安居と逢坂の、水の哀れや泣き別れ。「らば」、「さらば」と 声残る
幕が開くと、舞台上手から中央奥手まで海。下手から中央上手へ安井の浜、松林と和式木製灯台を描く。中央に菅丞相護送の白木の輿を据え、左右に警護の役人、輿の下手横に輝国。黒衣。「哀れさよ」三重(ヲクリは人物の入退場時、三重は場面転換時に用いられる。ヲクリより速く二と三の絃にかけて弾かれるから印象もより強くなる)。

「かゝる折から」から早足取で運ぶ。「菅丞相」から詞ノリ(詞を三味線に乗せてテンポよく語る)。桜丸上手より急ぎ出。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「消え入る計りに〜」二人の愁嘆、桜丸は歯ギリギリと無念さを堪える。

「科人は外ならず」桜丸、後悔無念苦しさの切迫した語り口。
 
 
 
 
 
 
 

「土にひれ伏し願ふにぞ」スヱテ(通常のフシ落チならばトントントンドンジャンで締めるところを、ドンドンドン…と一の開放弦を弾き流して最後ジャンと締めるために強く印象付けられる)で、桜丸無念愁嘆の極。
 
 
 

「又逢ふ迄は」からノリ間。

「絶え入り給ひける」スヱテで二人愁嘆の極。
「かゝる折節」下手から立田の前登場。

「コレ姉様」他、姫の科白はすべて地で語り、哀願の抒情を際立たせる表現法。立田と輝国の科白は詞で語られる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「恐れ多い」以下、立田の詞は厳しい。が、「はらからの、さすが誼と」のフシが慈悲味あり。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「御乗り物は」以下格調を持って語る。菅丞相の輿は輝国・警護とともに下手へ。

「ナフコレ父上」から段切りまで情感あふれるいい節付がされており、リズムよくやや足早に語り弾き進むにつれて哀感も漂う、聴き所である(呂清治よし)。下座は浪の音を太鼓で聞かせる。

「いとゞ思ひは増井の浜」高い音を辿って琴線に響かせる。

「さらば、さらばと」三重。宮・桜丸は上手へ、姫・立田は下手へ去る。幕は引かず、道具替りで次段「杖折檻」へ。

「杖折檻」の三重「声残る」がどれほど哀切なものであるか(高くハッて語られるのはそれが東風であるからだけではないのだ)、この一段を知らない者は永久にわからないのであろう。『菅原』三段目切場「桜丸切腹」がもう一つストンと腑に落ちて来ないというのは、すべてこの一段を省略するところに起因している。人形役割で梅王丸が桜丸よりも顔がいい時の『菅原』はニセモノだと言わざるをえないのではないか。

大序「大内」二段目「道行詞甘替」二段目「安井汐待」四段目「北嵯峨」五段目「大内天変」