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八月の他無

志渡寺:若=勝太郎(補)
志渡寺:津=寛治(補)

この演目ならこの人より他には無い。
盤石の横綱相撲。
その綱とは白麻製の注連縄。
故に金毘羅大権現も示現し給うのである。

このように、
他は要らぬと断じさせる奏演が残されていることには、
エヽ有難いと伏し拝むばかり。
しかしながら、
放送局側の都合で致命的なカットがされている場合もある。
今回、やむを得ず他の音源にてその欠を補った。
それこそ重大な恣意的操作ではないかとの非難は承知の上で、
やはり浄瑠璃への無知蒙昧が為せる業を放置することは出来なかったのである。

お聞きの皆様には、この補綴が問題ないものかどうか、
是非ご確認いただきたい。
勘定場 2022/08/01(Mon) 06:25 No.57

七月の二番煎じ

無二とあるのに二番煎じとは如何なものか。
さりながら、
「河庄」に違和感を覚えたが故に、
ピッチ修正版(半音)を参考に供した次第。
ご批判ご意見等お寄せいただければ。
勘定場 2022/07/05(Tue) 17:43 No.56

七月の無二

口三味線:綱=弥七[195901]
河庄:綱=弥七195207東京
大和屋:綱=弥七【義太夫特集219660911NHKR

この演目ならこの人。
もちろん横綱相撲は取れるのであるが、
鮮やかに決まるというのはまた特別。

 たとえば、
 いくら「情を語る」のが第一と喧伝してみても、
 小春が陰気で沈み込むばかりではお話にもならない。

演者があっての演目設定、
しかしこれも今は昔。
勘定場 2022/07/01(Fri) 07:52 No.55

六月の感興

沢市内・壷坂寺:若=重造【邦楽演奏会[19661108?]
沢市内・壷坂寺:土佐松津の子=清六徳太郎・清好196002演舞場

面白い、実に面白い。
演者の個性が際立つのも、
「壺坂」が魅力的な曲なればこそ。
傾聴しながらニヤニヤしてしまう、
大団平の節付に脱帽しながら、
堪能するのである。

http://www.ongyoku.com/D1/j118/jouhou118_2.htm#042

勘定場 2022/06/01(Wed) 17:00 No.54

五月の節付

沢市内:山城綱=弥七19510103NHKR
沢市内・壷坂寺:津=寛治19700201TV

『道八芸談』「壷阪寺の段」
とりわけ、間とノリ

http://www.ongyoku.com/D1/j27/jouhou27.htm#c17

勘定場 2022/05/01(Sun) 19:39 No.53

4月の「風」

「師匠の節付は、前に申した「三十三所」とか「三信記」のような通し狂言のときは、
 さきに役割を定めて夫々場を語る太夫に合うように節付をされたので、
 例えば「良弁杉二月堂」は柳適さん、「志賀の里」は朝さん、
 「壷阪」は前の島太夫さんのと別にまた大隅さんに合うように付け変えられたのです。
 また「油屋」は組さんの為に作られたのです。
 こんな風ですから、書卸しの方は大当りに定っていたのです。
 この外短い物でも、勤める太夫によって「お前がやるのならこの方がえゝ」と仰っしゃって、
 ところどころ直して渡して居られました。
 語る太夫の芸のたちに基いて節を付ける、または付け変える。
 ということは義太夫の節付の骨張です。」(「清水町師匠の節付」『道八芸談』)
勘定場 2022/04/01(Fri) 06:49 No.52

Re:[50] 3月の公開音源について

先日掲示板にて質問させていただいた者です。本日「二月堂の段」を拝聴できました。ありがとうございます。
三次郎 2022/03/07(Mon) 22:37 No.51

3月の良弁杉

志賀の里:綱=弥七[19620119]R
桜の宮:綱織文字十九=弥七団六団二郎19600819
東大寺:伊達路=徳太郎19690511
二月堂:越路=喜左衛門19690511

「表現に当って、いうところの彦六系文楽系ということもあります。
 変えようのないものもあって、それは、初演は誰であろうと、
 大正昭和には古靱師匠しか勤めていないもの、そうです、「二月堂」とか「鬼界ヶ島」。
 古靱師匠が完成したようなもんですから、これはそんなに直さなかったですよ。」
 (「喜左衛門師匠(二)」『四代竹本越路大夫』)
勘定場 2022/02/28(Mon) 22:33 No.49

2月の彦六座

豊竹山城少掾引退披露口上:津つばめ綱若195901
二月堂(対面部分):山城綱=藤蔵195901【名人山城少掾を聞く
二月堂:綱=弥七196502朝日座

「彦六座こそ、あらゆる困窮と戦い、芸術的には実に絶大なる存在意義と功績を残した
 (この具体的説明をすれば非常に長くなるから、残念乍ら省略する)に拘らず、
 営業的には遂に敗退の憂目を見たもっとも適切な例である。
 そこには、『舞台で死ね』と根本教訓をして遂に自らその範を垂れた大団平を首班として、
 大隅大夫、組大夫等が真に死物狂いの芸をして、前受が悪うて客が続かず
 華麗な文楽座に営利的敗北をしたのである。」(鴻池幸武)
勘定場 2022/01/31(Mon) 19:13 No.48

1月の継承

質店:山城=弥七
二条城配膳:伊達路=団六【玉男19701025TV
夕顔棚:小松=団二郎・尼ヶ崎:(前)省略・相生=重造【沼亀松紋十郎19680421TV

懐古と聞くか温故と聞くか。
それにしてもこのナツカシサは、
まさにナツクの原意そのままである。
昭和四十年代を知る人ならば。
勘定場 2022/01/01(Sat) 00:07 No.47

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