弥生の予祝
予習とするは烏滸がましきが故に、
予祝として言祝ぎを兼ねた。
半世紀以上に渡り未上演であるならば、
一ヶ月間は耳に馴染ませる必要もあろう。
さすれば目にも浮かぶものがあるはずだ。
予祝として言祝ぎを兼ねた。
半世紀以上に渡り未上演であるならば、
一ヶ月間は耳に馴染ませる必要もあろう。
さすれば目にも浮かぶものがあるはずだ。
如月の膾炙
酒屋:6土佐=7吉兵衛SP
酒屋:南部=吉弥SP
なますもあぶり肉も口福である。
ゆえに広く人々に愛された。
この酒屋お園のクドキもまた、
耳福そのものであった。
この時代の喜びを感受すべきである。
酒屋:南部=吉弥SP
なますもあぶり肉も口福である。
ゆえに広く人々に愛された。
この酒屋お園のクドキもまた、
耳福そのものであった。
この時代の喜びを感受すべきである。
睦月の首尾
四条河原:織=藤蔵・堀川猿廻;土佐=吉兵衛団六・若=勝太郎団六【菅権藤19640531TV朝日座
八百屋・火見櫓:越路=喜左衛門【越路喜左衛門簑助19700125NHK3TV
上々という観点ではなく、
端場からそして落合まで、
一貫してこそという意味である。
去年今年貫く棒の如きもの、
浄瑠璃もまた然りであろう。
八百屋・火見櫓:越路=喜左衛門【越路喜左衛門簑助19700125NHK3TV
上々という観点ではなく、
端場からそして落合まで、
一貫してこそという意味である。
去年今年貫く棒の如きもの、
浄瑠璃もまた然りであろう。
拾弐月の継承性
九郎助住家:山城=藤蔵19520109NHKR
綿繰馬:綱=弥七19610717
8ミリで写し取ったよう、
そう言われていたこともあったが、
こうして聴き比べてみると、
学ぶとはまねぶことであって、
本質を継承した上で、
芸はまた個性において開花することがわかる。
綿繰馬:綱=弥七19610717
8ミリで写し取ったよう、
そう言われていたこともあったが、
こうして聴き比べてみると、
学ぶとはまねぶことであって、
本質を継承した上で、
芸はまた個性において開花することがわかる。
拾壱月の存在感
引窓:相生=重造
袖萩祭文:若=重造[19650603]R
三味線は伴奏ではなく主奏楽器であるとわかっていても、
実際耳にしてそれと実感するのはなかなか困難である。
三業の中で最もわかりにくいとされるのであるが、
これらを聞けば、
その存在感を明確に認識できるのである。
袖萩祭文:若=重造[19650603]R
三味線は伴奏ではなく主奏楽器であるとわかっていても、
実際耳にしてそれと実感するのはなかなか困難である。
三業の中で最もわかりにくいとされるのであるが、
これらを聞けば、
その存在感を明確に認識できるのである。
拾月の主奏感
三味線組曲:清六清好1960
めりやすと合の手19600125
これらを聞くと、
三味線は伴奏などでは決してなく、
主奏楽器であることが如実にわかる。
三味線組曲のそれぞれがどの曲に当たるか、
思いを巡らすのも一興である。
「妹背山道行」「奥庭狐火」「中将姫雪責」「堀川猿廻し」「寿式三番叟」「千本桜道行」「野崎村」
めりやすと合の手19600125
これらを聞くと、
三味線は伴奏などでは決してなく、
主奏楽器であることが如実にわかる。
三味線組曲のそれぞれがどの曲に当たるか、
思いを巡らすのも一興である。
「妹背山道行」「奥庭狐火」「中将姫雪責」「堀川猿廻し」「寿式三番叟」「千本桜道行」「野崎村」
玖月の安心感
天拝山:十九=錦糸【大西19660324NHKFM
生玉神社前:十九=徳太郎196806
かつて、
このような三役格が何人もいて、
立端場を安心して聞くことができた。
浄瑠璃璃義太夫節に身も心も任せられる、
これが当たり前だった時代の尊さよ。
生玉神社前:十九=徳太郎196806
かつて、
このような三役格が何人もいて、
立端場を安心して聞くことができた。
浄瑠璃璃義太夫節に身も心も任せられる、
これが当たり前だった時代の尊さよ。
捌月の芸人性
文五郎大西重孝19560220
対談・吉田文五郎・高安六郎
芸術家気取りもなく、
偉ぶることもなく、
ただ一芸人としての職人気質。
それはまた市井の人でもあり、
ここにこそ真実の芸がある。
対談・吉田文五郎・高安六郎
芸術家気取りもなく、
偉ぶることもなく、
ただ一芸人としての職人気質。
それはまた市井の人でもあり、
ここにこそ真実の芸がある。
漆月の七十年
金殿:山城=藤蔵195505
長町裏:住つばめ=勝太郎19560731三越
十年一昔なら七十年は大昔である。
昭和三十年代の文楽界は不幸な分裂、
しかしそれだけで済ませられないのは、
確かな芸が厳かに存在していたからである。
聴いていてもし違和感を抱くのなら、
それこそが芸の隔世であろう。
耳を鍛え浄化しなければなるまい。
長町裏:住つばめ=勝太郎19560731三越
十年一昔なら七十年は大昔である。
昭和三十年代の文楽界は不幸な分裂、
しかしそれだけで済ませられないのは、
確かな芸が厳かに存在していたからである。
聴いていてもし違和感を抱くのなら、
それこそが芸の隔世であろう。
耳を鍛え浄化しなければなるまい。
陸月の躍動性
橋弁慶:山城・綱・織の=弥七・藤蔵19600102
殿中刃傷:相生=重造19671223NT
聴いていて心が躍るとはまさにこのこと。
魅力的な節付とそれを現出させる力量。
伝承の中の再現芸術という意味を反芻すべきである。
殿中刃傷:相生=重造19671223NT
聴いていて心が躍るとはまさにこのこと。
魅力的な節付とそれを現出させる力量。
伝承の中の再現芸術という意味を反芻すべきである。