石割松太郎『人形芝居の研究』(更生閣版)(1933.10.25)をpdfファイル化したものです。
更生閣版『人形芝居の研究』は総ルビの春陽堂版『人形芝居雑話』を増補改訂したもの。後に修文舘から『近世演劇雑考』中の『浄るりの「形式」と浄るりの「風」』を加えて石割松太郎選集『人形芝居の研究』としても発行されているので、その集録内容の異同も示した。
更生閣版は口絵12葉のみ。春陽堂版の挿図を、春陽堂版と異同のある修文舘版の挿図とともに挿図一覧として別掲した。
参考:文芸と批評 第三号 「石割松太郎先生追悼号」1936.10.6
参考:森西真弓「石割松太郎と関西の演劇評論」上方芸能:155:3-11(2005.3)
人形芝居の研究 目 次
更生閣版 | 春陽堂版 | 修文舘版 | |
扉 | 000 | ||
口絵 | 口絵 | ||
改訂版の覚え書 | 001 | ||
はしがき | 001 | 001 | |
挿画目次 | PDF 図版一覧 | ||
目次 | 001 | 001 | 001 |
人形芝居の研究 | 001 | 001 | 001 |
一、紋下といふ位置 | 001 | 001 | 001 |
図 | 図 | ||
二、番付の読み方(太夫の部、一) | 010 | 014 | 015 |
番付の形式・・・庵の位置・・・春太夫系統・・・五段組織の事 | 図 | 図 | |
三、番付の読み方(太夫の部、二) | 019 | 028 | 029 |
狂言の立て方・・・付け物・・・化け物・・・弾出し・・・大序といふ事・・・人形芝居の二部制度・・・ 化物の元祖・・・太夫付三味線・・・みす内で語る端場・・・小あげ | 図 | 図 | |
四、番付の読み方(太夫の部、三) | 028 | 040 | 043 |
小あげの異例「沼津」・・・落合・・・語り場切り方の比較・・・語り場切り方の比較・・・奥と切の別・・・ 楽屋の情実と番付の書き方・・・二段目語りから師匠・・・三段目と四段目との軽重 | 図 | 図 | |
五、三味線欄の読み方 | 036 | 051 | 055 |
三味線弾は女房役・・・「澤」字の書き方三種類・・・座名は明治五年の産物・・・三味線の紋下・・・ その権与は豊沢団平・・・三味線弾位置の読み方−‐頭書「三味線」の書き方・・・三味線道の故実 | 図 | 図 | |
六、人形遣ひの位置の読み方 | 044 | 063 | 069 |
三業紋下の始り・・・二葉の異った番付・・・人形遣ひ本位の書方・・・場割本位の書き方・・・ 三味線の読み方と人形の読み方は逆・・・中軸一字 | 図 | 図 | |
七、人形の発達と人形遣ひの風俗 | 053 | 077 | 085 |
三人遣ひの始・・・人形舞台の黒色・・・人形出遣ひに古今二様の意味・・・黒子の寸法・・・人形の下駄・・・ 足と左遣ひ・・・人形遣の修業・・・三人遣の集中点・・・腰のひねり・・・「死んだ目だまを指先で生かす」・・・ 三業のイキと間 | 図 | ||
八、人形遣ひの修業と其専門 | 061 | 089 | 098 |
人形は幼少から・・・人形の類型と近世のその遣ひ手・・・「日向島」の話・・・荒もの・・・紋十郎の芸・・・ 五代目菊五郎の紋十郎評・・・頭の品目・・・人形遣の癖 | 図 | 図 | |
九、人形の構へといふ事 | 070 | 102 | 112 |
頭の名称と分類難・・・歌舞伎と人形の交渉影響・・・名作「非人」・・・人形の動的方面・・・三名人のお園・・・ 江戸系統の構へと本格的の構へ・・・鉄砲ざし | 図 | 図 | |
十、人形の足の「構へ」と手の種類 | 080 | 115 | 126 |
鳥居立・・・表象的の人形の芸格・・・型と新工風・・・ツキアゲ・・・手の種類・・・人形の手入・・・ 「奥場」と「とや触」・・・古式は廃滅し新制度がならぬ現状・・・奥役の無識・・・真の奥役手代の滅亡 | 図 | 図 | |
十一、文楽座の歴史 | 089 | 128 | 140 |
淡路の素義・・・寛政年度・・・高津新地・・・北堀江市の側の芝居・・・稲荷東の芝唐或は北の芝居・・・ 天保の改革・・・官地芝居の取払ひ・・・清水町の浜へ・・・稲荷へ復帰・・・松島へ移転・・・名人団平の退座・・・ 御霊へ移転・・・松竹の手へ・・・松竹の無謀・・・浄るりを知る者が愛す・・・古典芸術と営利会社 | 図 | 図 | |
十二、因講の歴史と浄るり神社 | 099 | 142 | 156 |
伊勢参り講中から・・・四代長門太夫自筆の記録・・・因講に「組合」の色彩・・・文書に見えた因講は 寛政九年三月・・・因講他国儀定記・・・因講の申合・・・天保山冥加金助力・・・年行司・・・因講の委員制度・・・ 浄るり神社の創祀は明治九年三月 | 図 | ||
十三、文楽座の危機・・・「説教讃語」一埒 | 108 | 154 | 169 |
蝉丸宮配下説経讃語座の組織・・・文楽座太夫の意気・・・休業・・・東奉行で負公事・・・西奉行で勝公事・・・ 西奉行の内山彦次郎・・・三代長門太夫の苦心・・・書卸の「絵本太功記」・・・当事の興行苦心・・・その興行刷新・・・ 「竹子集」の皮肉 | 図 | 図 | |
人形芝居の博物館的保存 | 117 | 166 | |
その三つの方法・・・人形舞台の映画撮影・・・浄るりのレコーヂング・・・人形芝居の記録の完成・・・九日会の成立 | 図 | ||
団平節付の苦心と「彦六」の由来 | 123 | 174 | |
三代清七と団平・・・「スエテ」の主張・・・「彦」は貧乏・・・明烏の「彦六」・・・柳適太夫初代二代の混淆・・・ 団平の逸事・・・十人斬の三味線・・・松江の客舎で完成 | 図 | ||
名人団平と「壺坂」 | 132 | 187 | |
団平作曲中の傑作・・・壺坂はちか女の作に非ず・・・作者と誤伝さるゝ妻女ちか女・・・初演は島太夫・・・ 三味線の初演は豊沢新三郎・・・二度目の作曲・・・大隅太夫の語り物・・・床で死んだ団平・・・団平の絶筆・・・ 団平の逸事 | 図 | ||
七代目を継いだ野沢吉兵衛 | 144 | 203 | |
吉三郎と吉兵衛・・・吉三郎と吉彌・・・努力の人・・・躄の餞別の代役が登竜門・・・由緒深い「堀川」と襲名の狂言 | 図 | ||
焼けた文楽座の断片 | 150 | 210 | |
白昼の出火・・・元候補地へ飛火・・・大正十五年十一月廿九日午前 | 図 | ||
絵入八行本の発見 | 156 | 218 | |
浄るり本の解説・・・加賀掾の底本−底本の絵入・・・本朝中古花鳥伝・・・義経東六法・・・義経懐中硯 | 図 | ||
「薩摩守忠度」の上演時代について | 163 | 229 | |
貞享三年二月四日 | 図 | ||
「今川了俊」の初演年月に就いて | 166 | 232 | |
終行に 貞享四年丁卯正月吉祥日 奥付に 貞享三丙寅初冬吉辰 | |||
人形浄るりと泉州堺 | 168 | 234 | |
図 | |||
人形浄るりに新作の可能性なし | 174 | 241 | |
図 | |||
人形芝居当面の事 | 184 | 253 | |
近松浄るりの再吟味・・・東風と西風・・・文楽座の診察・・・「時」の力・・・幕内の無気力・・・句仏師の断想私録・・・ 能楽と人形浄るり・・・紋下九段目の代役・・・興行師の営利一点張主義・・・仕打の耳と句仏師の断想私録・・・ 興行の標準と斯道の衰態・・・その月暮しの松竹・・・芸術的良心の欠如・・・人形の擁護方法・・・旅興行の今昔 | 図 | ||
義太夫協会創設主旨 | 203 | 278 | |
必要の所以・・・会則・・・本会員の申合規定 | |||
人形の頭(カシラ)の話 | 212 | 291 | 183 |
分類の非科学的・・・床の集大成が必要・・・朱の国勢調査・・・文楽座に初演の「壺坂」と大隅太夫と玉造・・・ 沢市は「又平」・・・八陣の正清の頭・・・津太夫は団七・・・摂津は文七・・・一頭一役の頭・・・金時と鬼若・・・ カシラとアタマ・・・文芸家の鑑賞眼・・・人形部分のテクニツク・・・眉、眼、口の開閉・・・赤い火口 | 図 | 図 | |
人形の遣ひ方とその組立 | 226 | 312 | 211 |
衣裳を脱がした人形・・・頭・・・胴・・・掌一つの工風から人形のしなが出る・・・ツキアゲの効果・・・その使ひ方 | 図 | 図 | |
「人形師」研究の断片 | 237 | 329 | |
「細工方」の意味・・・頭取と人形師・・・市野谷九十郎・・・「人形細工人」として番付に載つた始・・・古今の名人・・・ 操芝居の所在と創立年度・・・近世の人形師は手間取職人・・・木屎糊の修繕・・・人形の面影と女房 | 図 | ||
太夫三味線弾の住所と河原者 | 247 | 342 | |
天保の改革と人形芝居・・・人形遣は河原者同様・・・太夫三味線は格別の取扱・・・西奉行の内山彦次郎・・・ 説教讃語座の根帯・・・太夫三味の住所 | |||
人形芝居の台帳としての近松の浄るり Marionette所載テキスト | 255 | 351 | |
「読むもの」と「台帳」・・・近松の再吟味要求・・・古典復活の舞台・・・「封印切」と「鬼界ケ島」・・・節と舞台 | 図 | ||
名人団平は初代か二代か | 261 | 359 | |
団平名は二代目廣助の前名・・・加古家の過去帳・・・番付面の団平名・・・植畑九市への二代団平名貸与の覚書の下書 | |||
人形浄るり番付の始 | 265 | 364 | |
半切の瓦版式・・・「許多脚色帖」にある享保度の古番付・・・現今発見したうちでは享保三年正月が最古 | |||
新築移転以来の文楽座 | 268 | 367 | |
校正を終りて・・・近松座跡の新築・・・人形芝居は大正十一年二月で一段落・・・根城の焼失・・・新築以来の好景気・・・ 新築開場前の悲観説・・・好景気の原因七ケ条・・・或は八ケ条・・・昭和五年上半期の興行日数・・・挿話・・・ 新築後の芸術的方面・・・掛合の不合理・・・浄るり界空前の「切場」の分割・・・太夫の無力非力・・・ 白井松竹三年前の声明を反古にする・・・新文楽の見物・・・人形偏重時代・・・人形遣ひの無自覚・・・「戻橋」の悪趣味 | 図 | ||
国家の保護を受くる操の実体は? | 288 | ||
国家保護の手が動く−−文楽へ | 295 | ||
操評判「猿轡」 | 306 | ||
浄るりの「形式」と浄るりの「風」 近世演劇雑考 | 227 | ||
一、「形式」と「風」との意味・・・「風」が操全体を支配し・・・技巧が操の総てである・・・「風」は操の生命線 | |||
二、浄るり五段組織が提唱された経路・・・十二段から六段が最初の形式・・・次が五段組織・・・古浄るりと当流・・・ 謡曲と浄るりの関係・・・加賀の正本と謡曲のゴマ・・・五段と西洋劇詩の関係・・・『竹豊故事』の記載・・・ 『雲錦随筆』の記載・・・千賀太夫の謂ふ「語りやうの心得」・・・能の五段組織説 | |||
三、序破急の本来の面目・・・言葉の意味・・・『学習条々』 | |||
四、机上の空論としての『忠臣蔵』の五段組織・・・黒木氏の誤れる五段還元法 | |||
五、正しく実際の舞台に即した『忠臣蔵』の五段組織への還元・・・書卸し当時の分割・・・後世の分割 | |||
六、「段」と「場」との浄るりの位と「立端場」の意義・・・テクニツクの説明・・・術語に内在する芸術の根本義 | |||
七、各段の趣向とその語り口・・・各段の目安・・・その語り口・・・『音声巨細秘抄』から | |||
八、五段組織の原則が確立するまで・・・浄るり本体は時代物・・・一線を画する『出世景清』・・・「風」の発生・・・ 西風東風・・・政太夫節の大成は『国姓爺合戦』・・・その五段組織・・・立端場の存在 | |||
九、『夏祭浪花鑑』の一例・・・その五段組織・・・玉島の段の異例 | |||
十、浄るりの「風」といふ事・・・「風」は各段各場の格式也・・・「播磨地」・・・「駒太夫風」・・・「宮守酒」の一例・・・ 「沼津」の一例・・・端場と小揚・・・浄るりの芸術価値・・・浄るり批判の客観性 | |||
浄るり「曲風」の発生と、今日批判の標準 近世演劇雑考 | 293 | ||
古典の繰返へし反復・・・「標準の耳」・・・「風」の成立から観て・・・竹沢権右衛門の晩年から推考・・・ 「沼津」の作曲の実例・・・この作曲の歴史を知らずして批判がなるか | |||
石割松太郎先生略歴 | 311 | ||
校正を終へて | 313 | ||
奥付 | 奥付 | 奥付 | 奥付 |