FILE 86

 【 石割松太郎 『人形芝居の研究』(『人形芝居雑話』)挿図一覧 】

(2007.05.05)
(2007.09.17補訂)

 

石割松太郎『人形芝居雑話』(更生閣版)口絵とともに『人形芝居雑話』(春陽堂版)・(修文舘版)の図版を一覧とした。

 

『人形芝居雑話』(更生閣版)口絵図版 一覧

『人形芝居雑話』(春陽堂版) 挿図目次

『人形芝居雑話』(春陽堂版)『人形芝居の研究』(修文舘版) 挿図一覧


『人形芝居雑話』(更生閣版)口絵図版 一覧

「義経千本桜」道行きの段「仮名手本忠臣蔵」城渡し「義経千本桜」鮓屋の段「菅原伝授手習鑑」二段目菅相丞の分れ
「平仮名盛衰記」逆櫓の段「仮名手本忠臣蔵」七段目の段切「菅原伝授手習鑑」車場の段「伽羅先代萩」土橋の段
「重井筒容鏡」番付異例の二部興行番付芸人の身分位置を
示せる現今の番付
異例の二部興行番付

『人形芝居雑話』(春陽堂版) 挿図目次

昔の近松座  002享保十八年七月の古番付  005書卸「忠臣藏」の二枚番付  016紋下太夫を欠く番付  019
御霊文楽座最後の番付  023「化け物」の例を示した番付  030二部興行太夫の語り場の番付  036細字を一切抜いた珍しい彦六座の番付  046
三味線欄のみを示した番付  052因会顔付  058人形場割本位の番付  068人形遣本位の番付  070
「中軸一字」を示した番付  072「用明天皇職人鑑」の挿絵  081人形遣の風俗  082出遣ひの風俗と舞台下駄  084
多爲藏の「日向島」  094玉蔵の「日向島」  095文五郎の「酒屋」のお園  108玉藏の「酒屋」のお園  109
榮三の霞ケ關の由良之助  117御霊文楽座におけるとや触  125ちか女自筆「文楽芝居引一條書」  134名人団平妻ちか女の小照  135
明治九年三月創祀の浮るり神社  152書卸「絵本太功記」番付と口上  161或る日の九日会  172名人豊澤団平の小照  175
三代目豊澤廣助の絵像  176三代目鶴澤清七の絵像  177団平自筆の澤市の三味線の手  190書却「壷坂寺の段」の稽古本  191
団平・その葬儀・最後の番付  198七代目野澤吉兵衛と野澤吉彌  206御霊文楽座の総稽古と摂津  215絵入八行本の挿画(五葉)  224
丸本「薩摩守忠度」の奥付  230泉州堺が生んだ巨匠五代目竹本春太夫  239近松座新作「乃木將軍」  245近松自筆と伝ふる辞世  252
床裏の朱付  259人形部屋の一部  293人形頭の整理(人形部屋の一部)  295
人形頭の品目  297・  299・  301・  303・  304・  305・  306・  307・  309
人形の各部分  313吊り肩を吊した肩板  315裸身の人形  317人形遣左手が人形胎内の働き  319
「ツキアゲ」の遣方  321手と人形小割帳  323人形遣舞台の下駄  325首振の古番付(石井飛騨掾、伊藤出羽少掾)  330
機巧芝居の番付(竹田近江大掾)  331人形細工師欄(現行の番付)  334近松平家女護島舞台面[栄三・玉幸・政亀]  352新築文楽座の開場式の表正面  369
総稽古始めの儀[津太夫・友次郎]  371栄三と文五郎との「壽式三番叟」  373榮三の「鬼界ケ島」の俊寛  374栄三の弁慶  375
越路太夫、名庭絃阿彌七回忌出演の太夫三味線[空也念仏]  376戻橋の舞台面  377栄三の「神崎揚屋」の梅ヶ枝  379「本朝廿四孝」筍掘りの舞台面  381

 

『人形芝居雑話』(春陽堂版)『人形芝居の研究』(修文舘版) 挿図一覧

:春陽堂版、 :修文舘版

修文舘版で、挿図の裏ページにある説明文は図と並べて掲載した。

著者肖像
     
    
人形芝居の研究
一、紋下という位置
p2p5   
   
 p4-p5   
    
二、番付の読み方(太夫の部、一)
p16 p19p23 
   
p16-p17p16-p17p20-p21p22-p23  
   
三、番付の読み方(太夫の部、二)
p30p36   
   
p30-p31p36   
   
四、番付の読み方(太夫の部、三)
p46    
     
p50-p51    
    
五、三味線欄の読み方
p52p58   
   
p56p64-p65   
   
六、人形遣ひの位置の読み方
p68p70p72  
  
p74p76p78  
  
七、人形の発達と人形遣ひの風俗
p81p82p84  
  
八、人形遣ひの修業と其専門
p94p95   
   
  p104-p105  
    
九、人形の構へといふ事
p108p109   
   
 p118-p119   
    
十、人形の足の「構へ」と手の種類
p117p125   
   
p128-p129    
     
十一、文楽座の歴史
p134p135   
   
p146-p147    
     
十二、因講と浄るり神社
p152    
     
十三、文楽座の危機・・・「説教讃語」一埒
p161    
    
p178-p179p178-p179   
   
人形芝居の博物館的保存
p172    
    
団平節付の苦心と「彦六」の由来
p175p176p177  
  
名人団平と「壺坂」
p190p191p198  
  
七代目を継いだ野沢吉兵衛
p206    
    
焼けた文楽座の断片
p215    
    
絵入八行本の発見
p224p224p225p225p226
「薩摩守忠度」の上演時代について
p230    
    
人形浄るりと泉州堺
p239    
    
人形浄るりに新作の可能性なし
p245p252   
   
人形芝居当面の事
p259    
    
人形の頭(カシラ)の話
p293p295p297p299p301
  p188p190p192
  
人形の頭(カシラ)の話
p303p304p305p306p307 
 
p196p198p200p202p204 
 
人形の頭(カシラ)の話
p309    
     
p206    
       
人形の遣ひ方とその組立
p313p315p317p319p321 
 
p323p325    
       
人形の遣ひ方とその組立
p212-p213p212-p213p216-p217p216-p217p218-p219 
 
p218-p219     
        
「人形師」研究の断片
p330p331p334  
   
人形芝居の台帳としての近松の浄るり
p352    
    
新築移転以来の文楽座
p369p371p373374p375 
 
p376p377p379p381 
 
 
:ここでひとつ、後世のためにも訂正しておきたいことがあります。昭和八年に出版された石割松太郎さん著『人形芝居の研究』の、口絵に使われている写真の説明について。二頁目に「城明渡し」の由良助の写真が載っている。人形遣いの名前が「吉田栄三」、初代栄三師匠となっていますが、これは三世玉蔵さんです。[顔は写ってないのですけど、着付けの右袖の紋が見える。栄三師匠なら、鐶菱に火焔のはずですが違います。それよりも、衣裳の拵えが異なる。]写真の由良助は、袴の股立ちをかなり大きく取って、足の脛が剥き出しになっている。栄三師匠は、こんなに高くまで裾を上げておられませんでした。これだとまるで奴さんのようでしょう。勘平のような身分ならまだしも、家老職の姿としてはふさわしくない。私は栄三師匠よりさらに少ないくらい、股立ちは気持ちだけ取っています。
 ついでに、六頁目には「一力茶屋」の写真も出ている。栄三師匠の由良助、文五郎師匠のおかる、門造さんの九太夫に、うちの師匠(玉次郎)の平右衛門です。昭和二年四月、弁天座の舞台[、あるいはそれ以前、御霊時代でしょうか]。私が入門したじぶん、玉次郎師匠は、神経痛で足を悪くされていて、老役に回られることが多かったのですけど、若い頃は荒物遣いだった。平右衛門は拝見していませんが、「竹中砦」の注進と、栄三師匠の代役で「天拝山」の菅丞相を勤められたのを見て、往時の面影を偲んだことでした。
「玉男芸話6」上演資料集:160-161(2000.9) 後に 上演資料集<増刊>文楽芸話92-93(2007.9)([ ]内が省略されている)

 

提供者:ね太郎