義太夫レコード談義 【『上方』掲載】 参照:『文楽芸術掲載分』『文楽掲載分』

安原仙三
上方121:86-90(1941.1)125:281-285(1941.5)

義太夫レコードの吹込まれた数は明治三十四年初めて平面盤がプレスされて以来今日迄に約四千九百面(昔は片面物が多い関係上枚数で云はずに面で数へる方が適当と思ひます)位ある様です。比の内所謂玄人太夫の吹込みが約三千四百面、女義が約千四百面素人のが約百十面位を押へてゐます。比の内名盤、珍盤の順を追つて漫談的に話して見ませう。
古今の名人摂津大掾は十種香を六世豊澤広助の弦で六面残してゐます。之れは確かに名盤です、第一面が「臥床へ行水の」から「悠々」として迄で、僅かですから勿体ないと云ふ人もありますが、矢張り端折らずにきちんと語つてある処が誠に好ましいと思ひます。此のレコードは両面三枚のものと片面六枚のものとありレーベルも色々あります。好事家は最初の黒地に金文字入りのレーベルを好みますが、針音が少くて音の明瞭なのは何と云つても青レーベル、コロンビヤ、マヂクノートのマークある片面六枚ものでせう。何時か神戸の大丸で黒レーベル半地球マーク印片面六枚が一組六十円で出てゐたのには驚きました。名盤ではありますが名人のもの丈あつて数もあり、こんなに高いものではありません。大掾は大阪の紳商、土居通夫氏の懇望で北区常安橋の土居邸で吹込み、最初の約束はほんの好事家許りに分譲するに止め、一般には売出さぬ事になつてゐたものを何時の間にか一般的に買出されて了つた為め、非常に立腹、門弟越路太夫に今後吹込罷ならぬと命じたとか云ふ話です。その為か名人越路太夫が遂に一面のレコードをも残さなかつた事は返す/\も残念で、大掾もいらぬ御節介をしたものです。此のレコードの吹込みは明治三十八年十一月と推考してゐます。従つて弦は勿論六世広助である事には間違ひありません。或人は五世広助(松葉屋)であると云つて非常に珍らしがつてゐますが、之れは勿論誤りです。六世広助は後の弦阿弥で、之亦吹込みは比のレコード丈しかありません。東京の人の中には余り好くない様に云ふ人もある様ですが、品と云ひ格と云ひ全く申分のない古今の名盤たるを失ひません。せめて此の段一段が全部吹込まれてゐたならと、残念に思ふは私一人丈ではありますまい。(レコード番号旧コロンビヤ2716A-F)
次は天才的偉人三世大隅太夫のレコードに就いて少々書いて見ませう。大隅太夫のレコードは明治三十九年二月三世鶴澤清六の糸で吹込んだコロンビヤレコードと明治四十二年頃三世豊澤団平の糸で吹込んだシンフオニーレコード(後にワシ印となる)と二期あります。前者には壷阪澤市内が十二吋で七面、鮓屋が十吋四面鰻谷が十吋十一面、陣屋が十吋七面と量的にも相当残してゐます。壺阪は後年ワシ印の方録音も好いし、殊に最近コロンビヤで電気再生してから一層よくなりましたから、之れに一歩譲りますが他のものは珍盤たるを失ひません。鮓屋は「父も聞へず」から吹込んでゐますが、お里を可隣な娘に語り、蓮葉な浮気娘をむき出しにしてゐないのは流石と思はせます。鰻谷は大隅独特の語り物ですが残念乍ら私は未だ聞きません。先日一足違ひで買逃し今でも口惜しくてなりません。陣屋は「鐘は無常の時」から吹込んでゐます。之亦実に素晴らしい出来栄へで「陣屋々々の燈火に」の情合全く申分なく、広々とした陣屋に薄明るい燈火が揺れてゐる感じがあり/\と限前に浮ぶ様で此の一句でさへ之ある哉と膝を叩かす結構な語りです。ワシの方は相当広く売出されてゐるので御承知の方も多いと思ひますが堀川が鳥辺山を三面(ツレ仙之助後の六世源吉)猿廻しを四面都合七面、壷阪が四面と此の二種丈です。此の方コロンビヤより録音も好いしそれに団平の糸が素晴らしいので珍重すべき名盤と思ひます。コロンビヤ歴史記念レコードとして堀川猿廻し四面と壷阪四面を電気再生して呉れたのは有難い事で序に堀川鳥辺山三面も電気再生して呉れゝば好いなと思ふのは之亦私許りではありますまい。此の再生盤をコロンビヤが発売するに当り大隅を初代大隅とし、団平を大名人初代団平と大ヨタを飛してゐますが、之れが為め私の知る人が此の団平を名人団平だ、いや次の団平だと大口論しやつと私が仲裁して名人団平は明治三十一年死んだので、レコード会社が出来たのが明治四十一年だから名人団平でない事を説明して仲を直した事があり、コロンビヤ会社も飛んだ罪作りをしたものです。
二世津太夫(七世綱太夫)は四世猿糸即ち今の六世友次郎の糸で沼津五面、猿廻し五面、白石噺二面、を明治三十九年二月コロンビヤレコードに残してゐます。私は此の内堀川丈しか持つてゐません。出来は余り上等ではありませんが、津太夫の声を聞き得る丈でも珍らしく思つてゐます。沼津は好いものと思ひます。友次郎も此の頃からこんな名人を弾いてゐたので、流石に後世の名人になる人哉と感嘆致します。
五世住太夫は龍助の糸で酒屋を十二吋十面コロンビヤ盤に残してゐます、之れも未だ聞いてゐませんが名演たるに間違ひないと思ひます。明治三十八年十一月頃の吹込みと想像してゐます。
九世染太夫は三味線四世広作で之れは又太功記十段目はコロンビヤ盤に十吋で十一枚、十二吋で十枚、又ライロホンに十吋で十二面(六枚)と御丁寧に何度も吹込してゐます。コロンビヤ吹込の時には語り出すと夢中になるので一枚の吹込みの終り頃になると拳固で頭をこつんと撲つて貰ひ乍ら十何枚かを語り終つたと云ふ面白い人です。此の外堀川鳥辺山を四面、合邦を七面何れもコロンビヤへ、又寺子屋八面(四枚)組打三面、宿屋を四面(二枚)八陣を四面(二枚)何れもライロホンに吹込んでゐます。組打の残り一面には広作の櫓太鼓の曲弾が入つてゐます。染太夫のレコードはライロホンよリコロンビヤの方が概して良い様です。
三世南部太夫も亦寺子屋をよく入れたものです、コロンビヤには四世鶴太郎即ち今の四世叶の三味線で十二吋盤に十面、四世猿糸即ち今の六世友次郎の糸で十二吋八面、又四十二年には同じく猿糸の三味線でシンフオニー即ち後のワシ印レコードに八面吹込んでゐます。此の中ではワシ印レコードが最も宜敷い様です。此の外コロンビヤに鶴太夫の糸で野崎村が二面、堀川が二面が入つてゐます。野崎、堀川は共によく出来てゐるものと想像してゐます。
七五三太夫も亦四世勇造後の五世文蔵の糸で明治三十九年に日吉丸小牧山城中を五面、弁慶上使を十面、箱根権現筆助内を二面コロンビヤ盤に残してゐます。日吉丸は大変出来が宜敷しい。勇造の三味線も亦歯切れがよくて面白い。
二世春子太夫は今の二世新左衛門の三味線でコロンビヤ、ビクター、ライロホン、シンフオニー(後にワシ印)等と各種のレコードに亘つて吹込みをしてゐます。此の内コロンビヤには宿屋が七面、酒屋三面、袖萩祭文三面、六助住家四面と比較的長いものを入れてゐますが、ビクターには紙治内二面、宿屋二面を酒屋二面を除いては柳・鈴ケ森、八陣、日吉九、壷阪は口と山と云ふ様に皆一面宛と云ふ短いもの許りです。然し出来の上から云へばビクター吹込みのものが一番と云へませう。ライロホンには八陣、鮓屋、十種香各一面、酒屋三面、シンフオニーには十種香二面、酒屋四面、八陣二面を入れてゐます。此の内の酒屋四面は大変よく出来てゐます。殊に初めの二面が宜敷い。恐らく春子の吹込中の最上のものでせう。十種香が最も劣ります。東京では春子のものが非常に歓迎せられてゐると云ふ事ですが東京人には春子の様な歌ふ浄瑠璃が向くのでせう。
東京と云へば朝太夫、松太郎のレコードが地元の関係からか評判が好い様です。朝太夫も晩年はあんな浄瑠璃になりましたがレコード吹込時代にはまだ崩れてゐない為め好いものもある様ですビクターには明治四十年頃酒屋、太十、先代萩を、明治四十四年頃堀川、寺子屋段切、野崎段切を前者は十吋、後者は十二吋盤に吹込んでゐます。野崎村は段切を松太郎が連引なしにて弾いてゐますが変なものです。ライロホンには柳、酒屋、十種香、宿屋、日吉丸、先代萩、野崎段切何れも二面堀川、阿古屋琴責を各六面入れてゐます。此分には流石に連引を入れてゐます。富士山印東京レコードには先代萩四面、酒屋、新口を各二面吹込んでゐますが之れが朝太夫、松太郎最後のものでせう。
二世相生太夫は八世竹澤弥七の三味線でビクターの前身グラモホンレコードに千両幟曲引、野崎村口、箱根権現、堀川を十吋盤に、千両幟、沼津、宿屋を七吋と云ふ今頃の子供の玩具見たいなレコードに各一面宛に入れてゐ[ま]す。之れは平面盤の吹込としては最も古い明治三十四年頃の吹込と伝へられます。尤もビクター盤としても出てゐますが原盤は古いグラモホンレコードです。相生太夫は今の三世相生太夫の祖父に当り、後に二世綾瀬太夫を名乗つた人です。弥七は高松の生れで櫓太鼓の名人です。ビクターでは櫓太鼓を電気再生して発売してゐましたが原盤がよくない為めに余り再生栄へがしてゐません。
三世大島太夫、三味線五世仲助の柳、白石噺、寺子屋、野崎段切が独乙ベカレコードに残つてゐます。明治四十一年頃の吹込みです。大島太夫は竹三郎即ち今の七世廣助の三味線でライロホンに野崎村及堀川を一面宛入れてゐます。ベカのレコードには三味線が鶴澤三吉と印刷したレーベルのものもありますが之れは勿論仲助の誤りです。
六世弥太夫は六世源吉の三味線で赤垣出立六面、佐倉曙四面、忠臣蔵四段目二面と云ふ変つたものを大正六年頃ワシレコードヘ八世吉弥の糸で加賀見山又助内をオリエントレコードヘ四面吹込んでゐます。ワシ印の分は持つてゐないので何とも申上る事が出来ません
祖太夫後の三世呂太夫は団八の三味線でビクターに吃又佐倉曙、白木屋、沼津、鎌腹、赤垣出立と云ふ之亦風変りなものを吹込んでゐます。此の内赤垣出立は十二吋盤で発売数が少い為めか仲々手に入らぬ珍盤の様です。
七世時太夫、三味線燕四のレコードがワシレコードに、廿四孝四面、八陣二面、新口二面入れてあります大正七年頃の吹込みです。
五世さの太夫、団七後の団翁のレコードがワシレコードに千両幟二面、寺子屋二面入つてゐます。さの太夫は越路太夫の事ではないかと騒いだ人がありましたが之れは勿論誤りで五世さの太夫即ち東京に転居してゐた人です。越路太夫のレコードは一枚もありません。又越路太夫がさの太夫を名乗つてゐた頃はまだレコードが出来てゐませんから論ずる程の事はないのですがそれ程越路太夫のレコードを熱望してゐた人々の間に故意か、悪戯かデマを飛した人があつたものと見へます。
今の紋下三世津太夫のレコードは相当な数に上り、而も名盤が少くありません。文太夫時代に勝太郎即ち先年死んだ四世勝市の三味線で明治三十九年頃コロンビヤレコードに寺子屋三面、淡路町二面、逆艪三面、玉藻前三段目、加賀見山又助内を各一面入れてゐます。此の頃は青年文太夫の勢が満ち/\てゐる様です。降つて大正年間に入つてはワシ印専門で六世友次郎の糸で沼津東路十面、平作内三面、松原五面が吹込まれてゐます。東路は後の吹込みで平作内、松原の方が先に吹込まれたものですが、之れは大変出来が宜敷い。殊に友次郎の糸は神品に近い様です。その次に白木屋が四面、陣屋四面、忠臣蔵六段目八面、河庄六面、鳥羽離宮四面、吃又八面以上が旧吹込です。白木屋、河庄は之亦出来が宜敷い。殊に河庄の方が好い様で友次郎の糸が何とも云へません。河庄のレコードは割合に少いのですが、恐らく標準盤と云ひ得ると思ひます。鳥羽離宮と吃又はずつと後の吹込みです。尚ワシには此の外忠臣蔵四段目が吹込まれてがる筈です。其の後貝印内外レコードに、四世叶ツレ叶太郎で沼津が一段二十四面完全に入れてあります。之れは数年後に電気吹込みでコロンビヤに友次郎の糸で吹込まれてより存在の影を薄めました。新コロンビヤには三味線六世友次郎、ツレ三世友之助のコンビで二十四面完全に録音されてゐます。此のレコードは演奏、録音等を綜合して考へる時は義太夫レコードの最高峰とも云ふべきものと断言致します。かゝる立派なレコードが残る事は誠に慶賀に堪へぬ事と喜んでゐます。此の外にあるものは堀川十六面、之れも好いものですが途中一部省略あるのが惜しまれてなりません。而も各面共相当余裕がありますので吹込を深くすれば二十面位にて一段完全に録音出来るものと思はれ又十六面にしても今少し多く吹込む事が出来るのに何故あの様な吹込を浅くしたのかと非常に残念に思ひます。勿論之れは吹込技師の罪と思ひますが、太功記十段目も好いレコードです。何時かラヂオドラマに阿波人形を主題にしたものがありその伴奏に此のレコードを使用してゐましたが、津太夫、友次郎のレコードを阿波人形の伴奏にする非常識に憤慨したものは私一人ではありますまい。津太夫氏から放送局若しくは編曲者に当然抗議すべきものと思ひます。と同時にレコードを伴奏に使用する時は一応吹込者の諒解を得る制度も必要かと思ひます。話が飛んだ余談に入りましたが、此レコードに対する不満を述ぺさせて頂くなら第十九面がまだ余裕あるのに途中で省略がある事です。ほんの僅かで完璧となるのに惜しいものです。忠臣蔵六段目も手堅い語り口で名盤の中に数へられます。又四世叶を相三味線としたものに寺子屋十八面、鮓屋六面あります。昭和十三年の夏には四世綱造、ツレ寛市の三味線にて猿廻し四面、弁慶上使四面がキングレコード赤盤として吹込まれてゐます。津太夫、綱造のコンビを追想する記念盤ですが流石に津太夫もやゝ衰へが見へる様です。キングには此の外沼津が吹込まれてゐる筈ですが発売になつてゐません。まさかその儘にて廃盤されるものとも思つてゐませんがどうしたものでせうか。
六世友次郎は古曲復活の趣旨にて御祝儀相生松を弾語りにて四面吹込んでゐます。今は病む名人友次郎師の声を聞く丈でも興味深いものですのにレコードに残つてゐる事は更に有意義の事と思ひます。好事家に丈け分けられたもので勿論今は発売されてゐません。友次郎師の家に恐らく原盤が珍蔵されてゐる事でせう。斯う云ふ短かくてお目出度い曲が新年にでも利用せられると非常に好い事でせうに。幸ひ友次郎師に依つて朱が残されてゐます。之れには鼓が望月朴清に依つて調べられ、望月太津吉が打つて吹込みをしてゐます。(以下次号)
六世竹本土佐太夫の吹込は比較的新しい事です。以前蝋管吹込に意に満たなかつた事があつたらしく、又師匠摂津大掾の誡があつた為めか吹込を中々致しませんでした。レコードになつたのは伊達太夫から土佐太夫に改名した直後の大正十三年が最初と思ひます。得意の酒屋四面、壷阪二面、柳二面、先代萩二面、紙治内六面の五曲でワシレコード、勿論旧吹込みです、三味線は三世野澤吉三郎後の七世野澤吉兵衛です。次いで昭和十二年キングレコードに電気吹込を吉兵衛と共にしてゐます。曲は柳四面、酒屋四面、宿屋二面、大井川二面、壷阪二面計四曲十四面です。旧吹込はまだ、それ程衰へを見ませんが、電気の方は晩年の息切れがよく目立つてゐます、私の好みから云へば電気の方が枯淡味があつて好いと思ひますが、人に依つて若々しいワシ印の旧吹込を撰ぶかも知れません。酒屋は確かにキングの方が宜しい。旧吹込中では先代萩と紙治内が宜しい。まだ健在な人ですから今の内に酒屋一段或は又桜時雨一段省略なしに残しておいて貰ふとどの位後世の為めになるか知れないと思ふのですが、太夫とレコード会社の奮発を望んで止みません。若しレコード会社に意志がなければ、邦楽同好会あたりで吹込みが出来るのですが。
三世豊竹古靱太夫は非常に澤山のレコードを残してゐます。出来の良否は別として後々どの位裨益するか知れないとその努力に感謝せずには居られません。極く古い処では明治三十九年頃竹本津ばめ太夫時代四世鶴澤綱造と共に日吉丸三面、菅原三段目三面をコロンビヤ盤に、又旧ビクター盤には野澤吉松の弦で妹背山杉酒屋岸姫三段目、三十三間堂.本蔵下屋敷を各一面宛入れてゐます。津ばめ太夫時代のレコードは今では珍盤に数へられてゐる様です。次いで古靱太夫を名乗り名人三世鶴澤清六の三味線となつてから以下列記する様大量吹込を敢行してゐます。先づライロホンに壷阪六面、三十三間堂四面、千両幟二面、此の千両幟の裏に清六が櫓大鼓の曲引をしてゐます。此の曲引は邦楽同好会で電気再生しましたが好結果を齋らさなかつた様です。再生盤は故清六を廻る極く関係深い間に丈珍蔵されてゐます。それからライロホンには三味線竹三郎(七世豊澤広助)ツレ野澤春治郎(三世野澤歌助)で日蓮記三段目、野崎段切、太功記、壷阪万歳唄を各一面宛入れてゐます。その次がワシ印レコードで沼津里を八面、太功記を二十面、三味線は清六ツレ芳之助(五世鶴澤弥三郎)です。沼津は一面の吹込が可成深く平均三分五五秒位かゝります。又太功記は恐らく一段完全に吹込んだ最初のレコードと考へられます。其の他安達原三段目六面、短いものとしては彦山権現六助内、日蓮記、合邦等何れも二面宛で大正六年頃の吹込と思はれます。その次がオリエントレコード。之れには日吉丸三段目八面、寺子屋四面があります。大量吹込の本領を発揮したものは何と云つてもニツトーレコードです。まだ義太夫熱の旺んであつた大正九年から十三年頃ではあつたでせうが一段省略なしに入れたものは吹込の順から云つて、三世清六の糸で御所桜、寺子屋、加賀見山又助内、合邦内、堀川、(ツレ芳之助)本蔵下屋敷等。此の本蔵下屋敷の吹込が完了して数日にして三世清六は風邪で歿しました。云ほば清六記念のレコードとでも云ふべきものでせう。三世清六の歿後合三味線を一時その養子鶴澤芳之助とした時があり、此の時代に引窓を一段、その次が四世清六の糸で野崎村、壷阪、太功記十段目、伊賀越政右衛門内、安達原三段目、忠臣蔵四段目等です此の外掛合物では忠臣蔵七段目、阿古屋琴責がありますが、之等は後で詳解致しませう。ニツトー以前には富士印トウキヨウレコードに三世清六の糸で堀川や野崎村が二面宛入つてゐます。以上は皆旧吹込です。新吹込電気になつてからはビクター盤に之亦一段宛合邦、野崎村、太功記、堀川、本蔵下屋敷、御所桜、寺子屋以上三味線四世清六、ツレ猿太郎六世猿糸です。又名人六世鶴澤友次郎の糸で鮓屋が入れてあります。概して古靱太夫のレコードは電気吹込の方が旧吹込より出来が好い様です。殊に寺子屋は文部大臣賞を援けられた丈あつて、津太夫の沼津と共に両横綱とも云ひ得られるでせう。唯第二十面に一部省略があるのが玉に大疵です。各面とも今少し吹込を深くすればこんな省略せずに済んだでせうに実に残念です。合邦は出来が宜敷しい。発売された時文句なしに購めました。堀川は二十六面と云ふ大物です。鮓屋は友次郎の三味線がとても素晴らしい。之れ丈でも値打物です。惜しい事には縄付迄で終つてゐる事です。こう云ふ名コンビですからせめて終り迄完全に吹込んでおいて貰ひたかつた、恐らく三十面にはなつたでせうが敢て長たらしいものとは思へますまい。此の外旧吹込ですがヒコーキ印として太功記二面、御所桜四面、鎌倉三代記四面、朝顔日記二面、壷阪六面ありますが之等は富士印東京レコードの複写盤かと思ひます。比較してゐないので断言は憚ります。又ニツトーから長時間レコードとして、十二吋盤に陣屋八面、鎌倉三代記六面、沼津六面がありますが、特殊装置がなければ再生が出来なくて徒らにレコードを塵に埋める許りです。
七世豊竹時太夫、三世鶴澤燕四はワシ印に十種香四面、八陣二面、新口村二面吹込んでゐます。大正七年頃の吹込みと思ひます珍らしいものゝ一つです。
竹本菅太夫は豊澤竹三郎(七世廣助)の糸でライロホンに太功記一面豊澤小団の糸で白熊レコードに之亦太功記を六面残してゐます。之れも世間の注意を惹かない丈に今では珍盤の部に属します。
竹本叶太夫は野澤吉松の糸でライロホンに十種香二面、玉藻前三段目四面、明烏山名屋二面、中将姫四面を入れてゐます。又ハ卜印トーアレコードには四世叶の糸で酒屋が四面此の外まだ二三種ある事と思ひますが調べが届いてゐません。御教示を願ひます。
盲人七世駒太夫のものとしては大正六年頃野澤一弥(三世野澤錦糸)の三味線でワシ印に先代萩四面、重の井子別れ二面、吉田屋二面、オリエントには七世鶴澤才治にて鳴戸四面があります。然しニツトーに同じく才治の糸て酒屋十六面、紙治内十六面の出来栄へは断然他を圧倒してゐます。酒屋は前半が殊に宜しい。お園の口説きになつてからは少々調子に乗り過ぎて、やゝ上滑りしてゐますが段切はよく調つて面白く語り了せてゐます。数ある酒屋の内では傑作の部に入るものでせう。電気吹込になつてからはビクターに柳四面、野崎段切二面、それから普通のレコードではありませんが清二郎の糸で酒屋をフイルモンと云ふフイルム式レコードに一段完全に入れてあります。円熟せる駒太夫の芸を聞くには格好のものです。然しニツトーのレコードが駒太夫のものとしては代表的出来栄へと云へます。
竹本錣太夫も病氣で逐に再起不能となりましたがレコード丈は澤山残してゐます。曲目を一々挙げる煩に堪へませんから、極く大掴みに申上げて見ますと、旧コロンビヤに十七面、パテーと云ふ縦振動のレコードに八面。ワシ印に五十面、オリエントに五十四面、ライロホンに十六面、フジ印東京レコードにも数面あると思ひますが、私の調べでは白石噺の二面丈、又ニツトーには十六面位、まだあるかも知れません。コロンビヤの電気には三十八面此の内一部はワシ印で発売されてゐます。又リーガル或はオリエントのマークで出てゐるものもあります。ショーワレコードにも十面位,新ピクターには百四面、合計して三百五十一面、どうです実に多いものではありませんか、此の内玉石は混淆してゐますが、概してオリエント時代のものが一番宜敷い、三味線は徳太郎即ち今の四世清六です。ワシの中にも白石噺とか合邦等は好い様です。ライロホンへの吹込が最も劣ります。電気ではコロンビヤよりビクターの方種類も多いし、出来も好い様です、推奨し得るものとしてはビクターにて紙治六面、宿屋四面、之等はよく語れてゐます。明烏、伊勢音頭等は珍らしいものです、吉田屋も宜しい。帯屋は錣らしいチャリが上出来、鰻谷は十四面比較的省略が少く又珍らしい点に於て注意すべきものです。ビクター盤が吹込の分の欠点は限られたる枚数の内に出来る丈一段を初めから終り迄入れんと企画したる結果無理な省略が多い事です。我々は一段の中の一部分でも好いから省略のない方を希望します。営業政策と好事家の意見は何時も対立し易いものです。尚電気吹込になつてからは合三味線は二世新左衛門許り、旧吹込は主として徳太郎(四世清六)、及団六(三世寛治郎)、稀に仙之助(六世源吉)、竹三郎(七世広助)、猿二郎(五世仙糸)、等があります。昔から語り口の品は余りよくありません。
四世鶴澤叶は弾語りで紙治、白石噺、橋本吉田屋、壷阪、柳、寺子屋、野崎村、鳴戸、新口村の十枚二十面を邦楽レコードに昭和十年に吹込んゐます。一般には勿論発売されてゐません。只希望者丈に特に分譲されました。邦楽レコードはマザーを取らない為め恐らく原板は摩滅して再プレスは困難でせう。して見ると之等二十面のレコードも珍品の内に加へて差支へありません。
竹本錦太夫の吹込みにはライロホンに紙治内、鳴戸、御所桜、寺子屋が各二面、三味線は竹三郎(七世広助)。ワシ師{印}には三味線豊澤仙市で帯屋四面、寺子屋四面、寺子屋は源蔵の戻りの部分で珍らしい語りものです。又忠臣蔵七段目を四世雛太夫と共に豊澤新造の糸で八面入れてゐます。錦太夫のレコードは以上二十四面で全部です。尤もヒコーキ印には忠臣蔵七段目がありますが之れはワシの複写盤です。
四世竹本雛太夫も古くから吹込んでゐます、旧コロンビヤには鳴戸、千両幟、酒屋、cc廿四孝狐火、此の内千両幟は十二吋盤です以上三味線は猿二郎今の五世仙糸です。又竹三郎(七世広助)の糸で先代萩二間、寺子屋三面、宿屋一面、ライロホンには鈴ケ森、白石噺各二面、沼津、新口村、鳴戸、日吉丸各一面、糸は竹三郎です、ワシには豊澤新造の三味線で忠臣蔵六段目身売りの段二面、十種香狐火四面、此の外まだあるかも知れませんが調べを整へて居りません。身売りはヒコーキ印としても出てゐますが勿論ワシの復写盤です。ハト印レコードには同じく新造の糸で先代萩三面、堀川一面、日吉丸二面、太功記四面ありますが之亦此の外にあるかも知れません。調査未了です。取立てゝ云ふ程のレコードはありませんが身売り(ワシ)宿屋(コロンビヤ)日吉丸(ハ卜)堀川(ハト)等は面白いと思つてゐます。
竹本角太夫のレコードは猿糸(七世広助)の三味線でヒコーキ印として宿屋十面、大井川二面、忠臣蔵が三段目四面、山崎街道四面、八段目道行四面、之等はヒコーキ印で発売されてゐますが原盤はワシレコードではないかと思つてゐます。貝印には先代萩酒屋各四目,安達原三段目六面、三味線仙之助(六世源吉)オリエントには団六(三世寛治郎)の糸で宿屋、大井川、箱根権現、廿四孝狐火各二面宛、以上は何れも皆旧吹込みです。電気吹込みになつてからはポリドールに五世勇造ツレ徳岩の三味線で堀川、宿屋、太功記各四面、先代萩二面、リーガルに太功記四面、宿屋四面入つてゐます。太功記はポリドールヘリーガルが続き、丁度八面続きとなります。宿屋はポリドールとリーガルは吹込個所がダブつてゐます。ポリドールの方が好い様です。リーガル盤はオリエント或はヒコーキ印ともなつてゐる様ですが原盤ほ皆同じ事です。角太夫の美声は電気盤の方がよく窺はれます。
七世竹本源太夫も錣太夫と同様数多くレコードしてゐますので之亦目星しいもの丈拾つて見ませう。旧コロンビヤには野澤市松の糸で八陣三面、本蔵下屋敷三面、逆艪一面、先代萩三面、ビクターには帯屋、恋女房沓掛村、御所桜各一面、逆艪、伊勢音頭各二面、沓掛村ほ珍らしい語り物です。ライロホンには十六面、ワシ印には九十八面、此の内出来の好いものは朝顔大井川二面、寺子屋八面、日吉丸四面、珍らしいものは朝顔笑薬六面、国姓爺獅子ケ城四面、躄仇討三人上戸四面等です。電気吹込になつてからはコロンビヤに柳四面、太功記十二面があります。太功記はリーガル盤として発売されてゐますが吹込みはコロンビヤ盤です。三味線は五世豊澤仙糸、源太夫最後の吹込みです、柳の四面は出来が宜しい。
竹本文字太夫は八十太夫時代に鶴澤友之助の三味線で堀川鳥辺山、鮓屋を各二面ラクダレコードに入れてゐます。まだ聞かないので良否は何とも申されません。
竹本鏡太夫はチョボに転落しましたがビクター盤に野澤市之助の三味線で陣屋、野崎村、寺子屋を二面宛吹込んでゐます。陣屋が一番宜敷しい。流石文楽で鍛へ上げた丈あってチョボ式語り口でなく本格的です。
竹木米太夫は鶴澤新次郎の糸でスヒンクスレコードに沼津四面野崎村、寺子屋,帯屋各二面入れてゐます。大正八年頃の吹込と推定してゐます。之れも未だ聞きません。
竹本昇太夫、豊澤兵吉のコンビは旧コロンビヤに十一面、ワシ印に四十五面吹込んでゐますが之亦玉石混淆、石の方が多い様です。然し妙によく売れたレコードらしい様で今でも澤山残ってゐます。珍らしい語物はワシ盤の七福神三面、橋弁慶五面位のもので、他は取るに足るものがありません。
竹本播磨太夫、豊澤猿之助もワシに大井川三面、野崎村六面、壷阪四面、沼津四面、紙治内三面、吹込んでゐますが皆感服出来ません明治四十二年頃の作と推察します。
五世豊竹和泉太夫、三世鶴澤友之助、琴豊澤新之助は貝印内外レコードに寺子屋、本蔵下屋敷、先代萩を各二面宛吹込んでゐます斯う云ふ一家を成してゐる太夫は今少し積極的に吹込んで置いて頂きたいものです。
七世島太夫(三世呂太夫)もレコードには向く語り口ですからも少し沢山吹込んだら好さうに思へますが之亦貝印内外レコードに清三郎の三味線で忠臣蔵六段目四面、太功記二面、日吉丸二面丈です、尤も掛合には出てゐますが。
豊澤猿次郎はパテーレコードに堀川四面、阿古屋琴責三面、野崎村,廿四孝狐火、壷阪万歳唄各一面の吹込があります。五世豊澤仙糸の事と思ひます。ツレは三世野澤吉作です。縦振動ですから普通の機械では役に立ちません。
豊竹新靱太夫、鶴澤直三郎の旧ビクター吹込沼津外一面、竹本羽太夫、鶴澤仲治の之亦ビクター吹込鈴ヶ森一面の如きは珍らしいレコードの部に属します。
編者曰、本稿は昭和十五年師走のことで,錣、駒、土佐の三巨匠歿前執筆であるにより今日ではむしろ追悼の料となつてゐる。


【 NHKラジオ義太夫番組記録 抄 】