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【 義太夫レコード談義 『文楽芸術』掲載 】
CD化された音源につき注記した【NBTC-4,10、TOCF-59062,63,65】:「LP以降の音源リスト(LP・CD・カセット・ビデオ)」参照
攝津大掾のレコード
文楽芸術 3号 1941.11 p17−20
安原 仙三
名人攝津大掾の肉声が残つてゐる。即ちレコードは旧コロムビア盤の廿四孝十種香六面と、此外に岩崎家に先代萩が蝋管吹込したもの、又二見家にも蝋管が二本あるとのことで之で全部と思ひます。
岩崎家にある蝋管は恐らく磨滅して殆んど聞き取れぬ事でせう。又二見家に残されてゐるものは厳封されて誰も聞く事相成らぬ事になつてゐるさうですから何が吹込まれてゐるやら薩張りわかりませんけれども蝋管吹込と云へぱ吹込から今日迄四十年以上は確に経つてゐますし、さすれば蝋管特有の錆の為め今出しても昔の再生は困難でせう。結局大掾の浄瑠璃はコロムビア盤の十種香で窺ひ知るより外聞けない訳となります。此十種香も大掾としては上出来とは云へないと古靭太夫も云つてゐられるし、又当時の副島八十六氏の批評にもありますから大掾の真価を伝へてゐるものとは云へますまいが、我々が聞く分には誠に結構な貴重なレコードに違ひありません。
此レコードは明治三十八年十一月の吹込みで、場所は大阪市北区常安町土居通氏邸……現在の日本生命倶楽部…大掾は吹込を極力断つてゐたが、土居通夫氏の口利きの為断り切れずに吹込を敢行したもので、土居氏の尽力には感謝せずにはゐられません。大掾も最初は土居氏の近親者又は特に大掾の承諾を得た間柄だけに頒布すると云ふ条件で吹込を承知したもので発売元三光堂の当時の型録にも「希望の方は特に申込まれたし」とあつて定価は入つてゐません。それが何時の間にか一般に売出される様になつた為、後年大掾も商人は信用ならぬと大不平で、門弟越路太夫、三世南部太夫等に吹込を禁じて終ひました。南部太夫は後に今の六世友次郎(当時猿糸)の三味線で寺子屋を吹込みましたが、越路太夫はとう/\一度も吹込みを致しませんでした。
大掾の十種香レコードは前申し上げましたやうに旧コロムビア盤で、片面六枚のものと両面三枚のものとあり、又レベルも色々ありますが原盤は皆同一のものです。相三味線は六世豊澤広助即ち後の名庭絃阿弥です。(絃阿弥吹込のレコードも之れだけの筈でレコード番号二七一六Aより二七一六F迄)
第一面は「臥床へ行く水の」から「悠々として」迄と云ふ極めて僅かな部分ですが、三味線もキツシリと弾かれてあつて片面の所要時間三分丁度、最一初二十秒位の処に変な音が出ますが、大掾が鼻をかむ音だらふとのことです。一分程で「臥床へ」の文句へかゝります「流れと」は一段声を張り上げ「人の」でグツト「抑へて悠々として」迄実に品が好くて、之れだけで御殿の気分が充分に現はれてゐます。
第二面は「一間を立出で」より「絵姿かけまくも」まで所要時間二分五○秒「一間を立ち出で」より「夫と悟つて抱へしや」迄の蓑作の詞も上々「合点のゆかぬ」は老人声「館の娘」の気品比類なし、之れで次の「八重垣姫」が自然に姫になれます。「一間処に引こもり」の三味線と間のぴつたりしてゐる事誠に心持よろしい。
第三面「御経読誦」より「位牌に向ひ手を合はせ」迄、二分四七秒、「鈴の音」の後の三味線の合から」こなたも同じ松虫の鳴音」辺りの足取りは全吹込中の圧巻、広助の三味線が素敵です。「濡衣が」は八重垣姫とコロツト語り口が変ります。「けふ命日」は例の美声で、どこまで声が出るか分らない位ひ張り上げ、大掾独得の技巧が窺はれます。
第四面「手を合せ広い世界に誰あつて」より「南無幽霊出離生死頓生菩提」迄、二分五八秒。第三面の「濡衣が」で充分濡衣の気持を出してゐますので、第四面の「広い世界に誰あつて」からが、之亦自然の濡衣になつてゐます。「女房の濡衣が心計りの此手向」が世話がゝり「千部」で切つて「万部のお経ぞと思ふて成仏して下さんせ」迄の可憐さ「南無阿弥陀仏」の優しさは之又格別です。次ぎの「なまいだ」は今少し美声になるべきではなかつたでせうか。此処等が瑕瑾とでも云はれる処かも知れません。「暮れゆく月日」は何とも云へない優美さがあります。
第五面「申し勝頼さま」より「名画の力も」迄二分五五秒、広助の三味線に依る鈴の昔「チチン」が素敵な出来栄えです。「申し勝頼さま」より「添臥の」までの八重垣姫は優美「煙も香華」素敵に美しく「回向せうとて」は広助の糸が際立つて精彩を放つてゐます。大掾も聞かさうと云ふ語り方でなく、サラリとして気持が宜敷い。
第六面「名画の力」より「そゞろ涙にくれけるが」迄二分一三秒、「名画の力も」より「泣涕こがれ見え給ふ」迄のクドキも引続きサラリとしてゐます。後も何等晦渋の色なくすつきりと終つてゐます。
初めより「そゞろ涙にくれけるが」迄の所要時間十六分五三秒、テンポは早い方ではありませんが一句、一字に得も云はれぬ妙味がありますので、五六分の様な気が致します。全体を通じて、気品が素敵に高く、八重垣姫、濡衣の語り分け完璧にて此間サワリの面白さ無類。
斯ふ並べ立てゝ見ると何処が悪るいのか、実物は之より好いとすればどんなに偉大な芸かわからぬ次第ではありませんか。強いて欠点を求めると高い声が充分出切らない処とか、吹込の綴目が気分を殺ぐ嫌ひはありますが、兎に角右のやうな次第で後世迄残る貴重なレコードと申して憚りません。又広助の糸が素敵によく、大掾の語りと間のぴつたり合ふこと何とも云へません。
大掾の此レコードは比較的市中にても見出され易いやうですが、此頃の様にレコード回収時代となり、旧吹込みは何でも潰して了ふやうになつてからは入手困難かも知れません。
私は義太夫の専門家でもなければ又稽古した者でもありませんから本記事は的外れなことを云つてゐるかも知れません。唯好事家の立場として申上げた丈けですから盲言は幾重にも御詫び致すと同時に、本レコードに対する専門家の御批判を承る機会を是非得たいと思つてゐます。(一六、九、二九)
附記、筆者安原氏は三井物産株式会社神戸支店の枢要椅子にある実業家で、録音の蒐集家として夙に知らる。特に義太夫レコードの蒐蓄共種類一千余組に及び、あらゆる古今の珍品を蔵せられてゐる。(記者)
義太夫レコード談義 [(一)]
文楽芸術 4号 1942.1 p17〜18
安原 仙三
本稿昭和十六年一月「上方」誌文楽号及同五月同誌続文楽号より続くものです。右両号を御参照下されば一貫する事になります
ニツトー、ツバメレコードには掛合物の大物が三つあります。その一は忠臣蔵七段目の掛合で、顔触れは次の如き豪華版です。由良之助−六世弥太夫、平右衛門−古靭大夫お軽−綴太夫、件内−八十太夫(六世住太夫)、九太夫−静太夫(四世大隅太夫)、重太郎−島太夫(三世呂太夫)、弥五郎−越登太夫、喜多八−越名太夫(四世南部太夫)、力弥−つばめ太夫(四世織太夫)、亭主−辰太夫、三味線−四世清六、全段省略なしに完全に吹込まれてゐます。此の内弥太夫の由良之助が傑出してゐます。七段目の由良之助は「頭抜き」(言葉の初めの力を抜いて語る方法)と云はれてゐますが実によく此の頭抜きが表はれてゐます。殊に酔つてからと、正気になつてからとが実によく区別がついてその味合何とも云へません。力弥に会ひに行く前「四条の橋から灯が見へる……」の捨小唄が又素敵に宜敷い。伴内、九太夫の例の謎の掛合はおまけが多過ぎてあくどい。之れはあつさりと一つ位で結構、古靭の平右衛門は定評あるものですがレコーデングが悪く聊か不明瞭、錣のお軽も品が悪くて感服出来ません。全部で十枚二十面、大正十二年頃の吹込みと思ひます【NBTC-10】。
他の一つは阿古屋琴責、之れは十三枚、二十六面と云ふ大物です。重忠−古靭太夫、阿古屋−錣太夫、岩永−静太夫(四世大隅太夫)、榛澤−島太夫(三世呂太夫)、三味線‐新左衛門、ツレ芳之肋(五世弥三郎)、琴及胡弓−団六(三世寛治郎)、此のレコードは絶対三味線方が勝つてゐます。団六即ち今の寛治郎の琴及胡弓は勿体ない位です。一段全部声くには相当根気が必要ですが省略なしに吹込まれてゐるので非常な参考品です。大正十一年頃の吹込みと思つてゐます【NBTC-4】。
四世竹本太隅太夫のレコードは四期に分けて吹込みがあります。第一期は静太夫時代東京レコードです。此の時には三味線芝之助で本蔵下屋敷が二枚(四面)、之れは比較的出来が好い様です。他には団六(三世寛治郎)の三味線で太功記十段目が九枚(十八面)、まだあるのでせうがよく調べてゐません。確か御所桜三段目もあつた様に思ひます。第二期は大正十二年頃ニツトー、ツバメレコードです。此の時は確か逆櫓が一段あつた様ですが三味線及枚数等の調べが届いてゐません。ツバメには前記の様掛合物にも出てゐます。第三期はビクターになつてからで、電気に依る新吹込みです。三味線は鶴澤道八、吹込んであるものは寺子屋四枚(八面)、之れは出来が好い、道八の三味線とも呼吸がぴつたり合つてゐます。之れは七、八枚位に吹込まれた筈ですが発売になつてゐるのは前記の通り四枚丈です。此の四枚のうち後の二枚は廃盤になり前二枚即ち玄蕃、松王の出から首実験になる迄が今型録に残つてゐる丈です。それから源平布引瀧、鳥羽離宮が八枚(十六面)、之れは大変結構なレコードです。ちよい/\省略がありますが非常に面白いものです。道八の琵琶も野心的で面白く弾いてゐます。此のレコードも早く廃盤になつて了ひましたがどうもレコード会社のやり方はとんと合点が行きません。こんな結構なレコードを廃盤にして了ふなどは全く義太夫に対して理解がないと申して差支へないと思ひます。こんな風ですから義太夫レコードに好いのが出ないのです。それで以て一ケ月位しか寿命のない新小唄などへ力を入れるのですから全くどうかと思ひます。其の他には堀川猿廻し、ツレ団六(三世寛治郎)二枚(四面)、壷坂二枚(四面)、忠臣蔵三段目刃傷二枚(四面)、本蔵下屋敷(四面)、逆櫓二枚(四面)合計三十二枚(四十四面)です。猿廻しは道八、寛治郎の三味線が素敵ですが之亦初めに三味線の省略があります、大変惜しい。壷坂は道八の弾出がとても宜敷い。こんな結構な壷坂の弾出しはありません。忠臣蔵三段目は大隅が大変宜敷い。此のレコードは名盤です。本蔵下屋敷は後の一枚二面に琴を小庄、尺八を関和童で三千歳、本蔵の合奏が大変美しく吹込まれてゐます。大隅の唄はいさゝか糸に乗り過ぎる嫌がありますが面白い事は無類です。初め一枚三千歳のさわりは余り感服出来ません。第四期はポリドールレコードで三味線は道八です。入れてあるものは壷坂澤市内二枚(四面)、万歳唄一枚(二面、ツレ福太郎、隅栄太夫が初めに口上を云つてゐます。それから逆櫓二枚(四面)、寺子屋二枚(四面)、合邦二枚(四面)、御所桜弁慶上使二枚(四面)、本蔵下屋敷二枚(四面)、布引四段目二枚(四面)計十五枚(三十面)です。総じてビクターのより劣つてゐますのでビクターとダブつてゐる壷坂、逆櫓、本下、布四はなくもがなです。寺子屋は千代のさわりといろは送りですからビクターの寺子屋と共に揃へぱ続く訳です。例の通り甲の声が充分出ないので苦しさうで聞きづらく余り結構なものではありません。合邦は道八の三味線との間が好いので儲かつてゐます。御所桜三段目も道八の三味線が聊か衒気的ではあるが面白いからその意味で残るべきレコードでせう。
義太夫レコード談義(二)
文楽芸術 5号 1942.2 p23〜24
安原仙三
最近の珍盤に二世鶴澤観西翁のレコードがあります。観西翁七十七才祝ひの記念レコードですが、実際は昭和十五年十月に吹込んだので、観西翁七十八才の時です。観西翁の事は御承知の方も多いとは思ひますが、蛇足乍ら経歴を申上れば、二世寛治郎の兄弟子に当り、五世鶴澤寛治の弟子です。初代寛治が晩年に観西翁を名乗つたのでその跡を継いで二世を名乗つた人です。松島文楽へ出勤してゐたと云ふ古い経歴を持つてゐます。鶴澤小寛、文吾、野澤和三郎、野澤八兵衛、鶴澤大造等を名乗り、又一時太夫になつて竹本若太夫を名乗つた事もあります。
吹込レコードは浄瑠璃として三味線三世寛治郎で沼津一段十二枚(二十四面)、三味線としては四世竹本南部太夫の浄瑠璃で太功記十段目一段十二段[枚](二十四面)の一種丈です。此の二種を第一回としてあるのでまだ跡から続いて出るのかも知れませんが、あの年ではもう続かないと見る方が妥当でせう。レコードは邦楽レコードで希望者があれば東京市赤坂区田町一一一、香伯会へ申込めば分譲せられる事と思ひます。太十より沼津の方があらゆる点に於て宜敷い。唯三味線に連弾がないのが聊か物足らない感じがします。然し沼津は津太夫の大傑作があるので比較される好い対照物があつて損です。何か他に得意なものがあればそれを吹込んで貰ふ方が好かつたでせう。
邦楽レコードと云へば七世豊澤広助が非常に沢山のレコードを入れてゐます。稽古用にと云ふので入れたのですが希望者があれば分譲して貰へます。一段宛入れてあるので出来の良否は別として研究用には有難いものです。非常に沢山あるので取あへず列記して見ませう五枚(十面)物、合邦上、下総屋、三勝長町、妙心寺、六枚(十二面)物、一の谷組打、忠臣蔵六段目、恋女房、忠臣蔵三段目、七枚(十四面)物、油屋、喜内住家、花川戸、十種香、修善寺物語、忠臣蔵四段目、大晏寺堤、八枚(十六面)物、白石噺、宿屋、佐田村、新口村、松王下屋敷、本蔵下屋敷、鎌腹、赤垣出立、大文字屋、阿漕、九枚(十八面)物、玉三、岡崎、鎌倉三代記、酒屋、御所桜、壷坂、鰻谷、野崎,河庄紙屋内、明烏、吉田屋、十枚(ニ十面)物、陣屋、帯屋、城木屋、岸姫、志渡寺、太十、鳴門、寺子屋、柳、質店、長局、忠臣蔵七段目、十一枚(二十二面)物、袖萩祭文、堀川、先代萩御殿、十二枚(二十四面)物、忠臣蔵九段目十三枚(二十六面)物、鮓屋、計五十四曲、四百五十九枚(九百十八面)と云ふ大したものです。まだ続いて出るさうですからその数は相当なものになるでせう。尤も資材の開係上これからはそう沢山は出ない筈ですが、これ丈のものを吹込んだ広助の精力、努力に感服しますが、又利益を離れてやる邦楽同好倉の理解あるやり方にも難有い処があります。吹込みは昭和九年頃から初り今日迄続いてゐて、初めは月に三三曲も出てゐましたが最近は三ケ月に一曲位の割です。忠臣蔵七段目を除いては跡は皆弾語りです。出来の好い物は修善寺物語、大晏寺堤、佐田村、河庄、紙屋内、忠臣蔵九段目等です。全部をまだゆつくり聞いてゐないので出来不出来を云々する事は出来ませんが以上六曲は好いと思つてゐます。残つた中にも勿論まだ好いものは沢山あると思ひますが、弾語りの為め充分三味線の手の廻らない処があるので損をしてゐます。私の希望を叶へて貰へるのなら人のあまりやらない端場を少し残して貰ひたいと思ひますが、矢張り売らねぱならねもの丈にさうは行かぬでせう。広助の弾語りは邦楽レコードに限つた訳ではなく古くよりオリエントレコードに白石噺二枚(四面)酒屋四枚(八面)堀川一枚(二面)等此の外まだあると思ひますがこんなに昔から経験済なのです。又邦楽レコードには千本桜道行を静−三世常子太夫、忠信−隅若太夫、三味線−広助、ツレ広二、仙作等にて昭和十四年六月五枚(十面)吹込んでゐます。千本道行では恐らく一番纏つたものです常子、隅若両太夫の懸命な努力にも好感が持てます。
千本桜道行のレコードは比較的沢山ありまして、電気吹込のものは右の外ビクターに忠信−つばめ太夫(四世織太夫)静−越名太夫(四世南部太夫)ツレ豊竹辰太夫、三味線−野澤勝市、鶴澤友衛門、野澤勝三郎、豊澤団伊三、鳴物入があつて、之れが一番録音は好い様ですが、僅か二枚(四面)丈で物足りません。それより少し古いものではニツトーに忠信−三世相生太夫、静−越名太夫(四世南部太夫)ツレ辰太夫、宮太夫、三味線−二世野澤歌助、猿太郎(六世猿糸)吉左、望月社中にて三枚(六面)物があり、之も亦独特の面白さがあります。殊に「雁と燕」のくだりが大変好く入つてゐます。電気吹込以外では同じくニツトーに越登太夫、つばめ太夫(四世織太夫)辰太夫、三味線−芳之助(五世弥三郎)浅造(四世重造)清一、清丸、望月社中、二枚(六面)、錣太夫、三昧線徳太郎(四世清六)広太郎、田中社中のものワシレコードに三枚(六面)七世源太夫、三味線五世仙糸、ツレ清二郎、松川社中のものワシレコードに三枚(六面)堀江女義達の一枚(二面)ワシレコード以上が千本桜道行レコードの全部です。此の中では好き好きに依りませうが、邦楽レコードか相生、南部等のニツトーレコードなどが好いでせう。
義太夫レコード談義(三)
文楽芸術 6号 1942.3 p10〜12
安原 仙三
竹本越登太夫は有望視されてゐましたが惜しい事に夭折して了ひました。然しレコードが残つてゐるのでその芸風を窺ふ事が出来るのは幸せな事です。レコードは全部がニツトーレコードです。三味線が浅造(四世鶴澤重造)で何れも一枚二面のもの許りです。吹込順に申上ぐれぱ十種香、恋女房、先代萩之れ丈は二枚(四面)、中将姫、大井川、玉三、酒屋、鳴門、太十、柳、鈴ヶ森、宿屋、琴唄、壷坂、野崎段切、明烏、宿屋、寺子屋、日吉丸、三味線団六(三世寛治郎)ツレ団次郎(七世団六)で堀川二枚(四面)、団六を合三味線にしたものにはまだ外にあるかも知れません。此の中で甚だ奇妙な事は野崎村段切レコード番号一○六六Bが同一番読で二種類ある事です。之れは何かの都合で二回吹込まれたものが同一番号で売出されたものと思ひますがこんな例は極めて稀有な事です。ツレは鶴澤浅丸です。中将姫が好いとの事ですが私は持つて居ません。堀川、鳴門、先代萩が好い様です。何しろ一枚物ですから真価が充分に表はれてゐません。義太夫レコードは尠くとも五枚位続かねばその人の真価が窺はれぬ様に思ひます。
四世豊竹織太夫はつばめ太夫時代に師匠古靭太夫に負けず盛んに吹込みをやつてゐます。その多いのはビクター盤です。三味線四世野澤勝市を合三味線としたものに太十二枚(四面)鮓屋二枚(四面)壷坂二枚(四面)新口村一枚(二面)御所桜五枚(十面)宿屋二枚(四面)寺子屋いろは送り一枚(二面)酒屋六枚(十二面)袖萩祭文四枚(八面)があります。此の内御所桜は大変よく出来てゐます。酒屋は駒太夫や土佐太夫の好いのがある丈聞き劣りがします。年功が足らぬと語れぬもの丈まだ/\と云ふ感じがします。然し一般に勝市を三味線にした時代はよく三味線に従つてゐるせいかそう悪いものはありませんが次ぎの仙糸を合三味線にした時代の吹込みは聊か自信附き過ぎた為めか荒つぽいものが多い様です。吹込レコードは同じくビクターに白石噺二枚(四面)八陣二枚(四面)忠臣蔵六段目三枚(六面)紙治河庄三枚(六面)合邦一枚(二面)忠臣蔵三段目裏門二枚(四面)壷坂段切二枚(四面)之れにはツレ仙三郎日吉丸二枚(四面)阿古屋琴責四枚(八面)之れにはツレ団次郎(七世団六)琴・胡弓仙三郎、一の谷組打三枚(六面)恋女房三枚(六面)妹背山竹に雀二枚(四面)です。此の中どれが好いか一寸撰択に困ります。妹背山、裏門、河庄等は珍らしいものですが何れも余り感服出来ません。河庄の如き単に語つてゐると云ふ丈で薩張り情合がありません。白石噺は仙糸の糸が光ります。同じく仙糸の三味線のものではポリドールに太十二枚(四面)鈴ヶ森一枚(二面)紙治一枚(二面)袖萩祭文二枚(四面)タイヘイに忠臣蔵道行二枚(四面)ツレは仙三郎、寺子屋二枚(四面)先代萩二枚(四面)御所桜二枚(四面)酒屋二枚(四面)壷坂一枚(二面)があります。忠臣蔵道行は珍らしい物ですが出来は余りよくはありません。その他のものもビクターにあつたり、出来がよくなかつたりして感心するのが割合尠いのはどうしたものでせうか。実演とレコードとは確かに違ふ様で、実演に好い人必ずしもレコードに好いとは限らず、又レコードに好い人必ずしも実演が好いとは限らない様で、此の事は義太夫許りではなく他のものにもその例は多くある様です。
四世竹本南部太夫も沢山レコードがありますが非常に出来にむらがあります。越名太夫時代四世勝平の糸で酒屋と新口村が二枚(四面)宛ありますが、出来の好い新口村の方が廃盤になつて酒屋の方が残つてゐます。酒屋なら残しておいても売れるだらうと云ふレコード会社の近視的政策の結果と思ひます。リガルレコードには糸八世野澤吉弥、先代萩奥一枚(二面)、太功記二枚(四面)、朝顔二枚(四面)新コロムビヤには同じく糸吉弥で十種香二枚(四面)酒屋二枚(四面)御所桜二枚(四面)等ありますが特に之れと云ふ出来のものがありません。新ニツトーレコードには糸同じく吉弥で次の様に大量吹込があり、佳作も尠くありません。一枚(一面)物として壷坂、酒屋、鳴門、朝顔大井川、紙治内、二枚(四面)物には御所桜、鳴門、恋女房子別れ、太功記、十種香、先代萩、寺子屋、柳、新口村、白石噺、明烏、鮓屋、忠臣蔵六段目、朝顔宿屋、合邦、酒屋、伊勢音頭油屋、野崎村、堀川猿廻し(以上二曲、ツレ野澤八造)長局、帯屋等です。一般に甘い様ですが吉弥の三味線が大変結構なので大分救はれてゐます。之等の中ビクターの新口村、ニツトーでは白石噺、玉三、野崎村等が好いと思ひます。之等ニツトーレコードは現在は帝蓄に引継がれたらしく今日ではテイチクレコードの型録に南部太夫、吉弥の名が載つてゐますが、内容は何れもニツトーレコードと同じものです。右の外二世鶴澤観西翁の三味線で太功記十段目が一段十二枚(二十四面)邦楽レコードに吹込ま
れてゐます。観西翁七十七才(吹込みは七十八才の時)の三味線を記念する貴重なるレコードですが期待した程のものではありませんでした。
四世竹本伊達太夫は小春太夫時代に三味線鶴澤清二郎でニツトーレコードに先代萩、酒屋、十種香、鳴門、宿屋、柳、野崎村(ツレ野澤吉季)、壷坂、大功記十段目、を何れも二枚(四面)吹込んでゐます。伊達太夫になる前ですから例の鼻声がゝりまだ素人臭を脱し切れず、今日の様な進境がありません。将来伊達太夫が大成した時には、こんな時代もあつたと追憶するレコードになる事と思ひますのでその意味に於て残して置く意義があるかと思ひます。此の外円盤レコードではありませんが、フィルモンと云ふフィルム式録音に六世鶴澤友次郎ツレ鶴澤友駒で十種香と狐火宿屋、恋女房を一段宛吹込みしてゐます。伊達太夫が友次郎に鍛へられた時代の記念品で伊達も一生懸命、それに友次郎の結構な三味線が、普通のレコードの如く休む事なしに一段完全に聞かれるので非常に珍重すべきレコードと思ひます、惜むらくは特殊装置なければ聞かれない事で、現在此の機械もフイルムも会社が潰れた為め手に入りません。
義太夫レコード談義(四)
文楽芸術 7号 1942.4 p23〜25
安原 仙三
二世竹本七五三太夫は陸路太夫時代にリーガルレコードに鶴澤綱右衛門の三味線で玉藻前三段目を一枚(二面)吹込んでゐます。例の精力的な語り口がよく窺はれますが、又持痴たる言葉の曖昧な処も同時に表はれてゐて七五三太夫の善悪両方面むき出しです。此の外、同じくリーガルレコードに八世源太郎夫と共に三味線、綱右衛門、友衛門、友駒、小綱、おまけに洋楽伴奏迄入れて式三番を二枚(四面)吹込んでゐます。翁は勿論源太夫です。仲々景気の好いレコードです。
八世竹本源太夫は源路太夫時代に鶴澤友若の三味線で得意の太十を二枚(四面)オリエントレコードに入れてゐます。之れは旧吹込ですが割合に好い吹込みです。
此の辺で極く古い処を御紹介致しませう。明治三十四年頃平円盤レコードが初めて日本に渡来した頃の吹込みレコ−ドはグラモホンレコードと称し、天使が羽ペンを持つてレコードしてゐるマークのものです。此の時代には既述の二世竹本相生太夫のレコードと茲に申上げんとする竹本和佐太夫、三味線鶴澤語左衛門のものとがあります。和佐太夫のレコードは七吋盤に合邦、阿漕、忠臣蔵三段目、廿四孝狐火が各一枚(一面)十吋盤に安達原三段目、野崎村、加賀見山又助やが各一枚(一面)等です。此の内十吋盤は後ビクターよりも発売されましたが原盤は古いグラモホンのものです。之等和佐太夫のレコードにしても又前記相生太夫のレコードにしても、聞いて見ると語り口が今頃の様な理智的語り口でなくして、面白く聞かせると云ふ風な語り方である事は注意すべき事と思ひます。好い悪いは勿論別問題です【TOCF-59062】。
竹本殿太夫、三味線竹本和佐太夫のレコードが旧コロムビア盤に残つてゐます。廿四孝十種香、太十、鳴門、白石噺、堀川、野崎、廿四孝狐火、朝顔琴唄等で、ツレ及琴は鶴澤豊造となつてゐます。レコーデングが悪く音が不明瞭です。一枚片面宛のものと両面にしたものと色々あります。
チヨボ語りとしては豊竹巌太夫のもの、三味線鶴澤蟻鳳ツレ鶴澤蟻三郎で壷阪三面、野崎二面、新口村二面、柳四面、ライオンレコードに大正四年頃、三味線豊澤新造で壷阪一枚(二面)寺子屋一枚(二面)紙治河庄、野崎、酒屋を一枚(二面テイチクレコードに、三味線野澤吉作で日吉丸一枚(二面)ウオールドレコードに吹込まれてゐます巌太夫のものは此の外まだあると思ひますがよく調べてゐません。
竹本重寿太夫のものは三味線豊澤猿七で柳、宿屋、鮓屋、白石噺、明鳥各一枚(二面)三味線竹澤仲造、ツレ竹澤仲三郎で先代萩、新口村、野崎村、三勝酒屋各一枚(二面)テイチクレコードに、三味線同じく仲造で酒屋、御所桜各一枚(二面)パーロホンレコードに
八陣一枚(二面)トウキョウレコードに吹込みしてあります。
豊竹生駒太夫(後に都太夫)野澤粂造のレコードはポリドールに壺阪一枚(二面)酒屋二枚(四面)宿屋一枚(二面)等あります。電気吹込と云ふ丈で余り好いとは思ひません。
豊竹豊太夫、豊澤猿七の御所桜一枚(二面)テイチクレコード。
竹本民太夫の合邦、宿屋紙治、野崎、新口村各一枚(二面)大正六年頃スヒンクスレコードに残つてゐます。民太夫は東京歌舞伎座附のチヨポ語りでした。
竹本鶴登太夫、三味線鶴澤燕四、ツレ綱之助にて式三番、太功記杉の森各一枚(二面)オリエントレコードに大正六年頃吹込みしてゐます。杉の森は珍らしい物です。
変つた処では竹本都太夫と云ふのが鶴澤森助の三味線で義太夫稽古用レコードと云ふのをトウキョウレコードに残してゐます。私の知つてゐるのは宿屋丈ですが、まだ外にあるのかも知れません。一枚の片面で語り、裏では三味線丈入つてゐて、片面で覚へ裏の三味線丈の部で語つて稽古する様に仕組んだものです。
尚此処で最近調べのついたレコードに付いたものを補逸に御報らせ致します。
二世豊竹古靭太夫、鶴澤重造の良弁杉が十一枚(二十二面)邦楽レコードに残つてゐます。古靭太夫は出来が悪いと云つて数枚プレスした丈ですから世の中には殆んど出てゐません。原盤は大阪森下と云ふ仁が所持してゐられる由、私も古靭太夫さんに切りに分譲方御願ひしてゐますが御許しがありません。御本人は出来が悪いと云つてゐられますが、何しろ良弁杉は得意中の得意のもの丈何とかして手に入れたいと思つてゐますが何とかして望みを叶へたいもの
です。
四世雛太夫、豊澤新造のレコードがハト印にある事は既述の通りですが、此のハト印の中には既記の外朝顔宿屋が二枚(四面)あります。
又竹本叶太夫(七世春太夫)四世鶴澤叶(二世鶴澤清八)のレコードも既記の外ハト印に合邦が一枚(二面)あります。右雛太夫と此の叶太夫の分の事は鴻池氏から承りました。
六世鶴澤友次郎は本誌古賀氏の懇望で、 邦楽レコードに次の通り浄瑠璃の吹込をしてゐます。昭和十六年一月に三味線竹本小仙で鮓屋三枚(六面)三味線鶴澤友花で忠臣蔵三段目喧嘩場から裏門五枚(十面)先代萩四枚(八面)同年五月に同じく三味線鶴澤友花で由良湊山之段四枚(八面)本下を四枚(八面)都合五曲二十枚(四十面)です。概して初めの三曲の方宜敷い。友次郎師自身は出来がよくないと断つてゐられますが、私は古賀氏及友次郎氏の許を得て全部手許にあり、珍盤として大切にしてゐます。レコード面には友次郎師の名が出ずに吹込者を十文字楼としてあります。鮓屋、三段目は悪いどころか仲々立派なもので、教へられる処が多々あります。山之段の最初の一面は友次郎師の解説が吹込まれてゐます。
竹本越登太夫、鶴澤浅造(四世重造)のレコードには既記の外ツバメ印に明烏や八陣が各一枚(二面)宛あり、共に最近入手しました。出来はまあ/\と云ふ処です。
七世豊澤広助のレコードには本誌第五号に記した外に最近源平布引瀧松波琵琶之段十枚(二十面)及び本誌第六号にある通り節と手順が五枚(十面)出ました。松波琵琶は割合面白く聞かれます。節と手順は今回出たのは上の巻とありますから続いて中巻及下巻が出る事と思ひます。上の巻にはオクリ各種、三重各種、ハリマ、ハルブシ、ユリ各種、行儀グリ、ギン、投込ミ、タタキ、表具、文弥、長地。ニシキ、本ブミ、ヒロイ、道具屋、スエ等が吹込まれてゐて仲々参考になります。中、下が出る位なら今少し秩序立つて入れて貰ひたかつた様に思ひます。邦楽レコードも原材料が尠くなつたので今迄の様に楽に手に入らなくなりました。
四世豊竹織太夫、七世竹澤団六の逆櫓がダイヤモンドレコードに十枚(二十面)吹込まれてゐます。かなり野心的な吹込みで、熱演です。之れも一般には余り知られてゐない珍盤レコードの部に入るでせう。私も幸ひ入手する事が出来玩味して聞いてゐます。
以上で男の太夫のレコードは九分九厘迄紹介が済みましたので、次号から女の太夫のレコードを御紹介する予定です。古くは長広(旭嬢)呂昇、小清、綾之助、小土佐、団司、東広等の名盤、珍盤から弗々御話し申上ませう。
(続く)
義太夫レコード談義(五)
文楽芸術 9号 1942.6 p28〜29
安原 仙三
前回予告通り今回よりは女義の分に入る訳ですが、その前最近判明した男の太夫の分が二三ありますのでその方を先に御紹介申上ます。
五世豊澤猿糸(七世広助)弾語りの宿屋が六面(三枚)オリエントレコードにあります。琴は鶴澤清丸です。出来は割に好い様です。
三世竹本常子太夫(本年四月三世田喜太夫を襲名)はチヤンピオンレコードと云ふ特殊レコードに新口村三面、質店三面、お七二面、計四枚吹込んでゐます。昭和十六年九月の吹込みで、三味線は鶴澤友衛門です。レコードが悪いので損してゐますが仲々好く出来てゐます。質店が特に好い様です。此の太夫の語り物は此の種の世話物に適してゐるので此の方面へ精進すべきでせう。
古靭太夫、外若手、三味線道八をシンに数名で三番叟が新ビクターに吹込まれたさうです。六七月頃発売になるでせう。今から楽しみにしてゐます。
竹本長広(後に旭嬢)は何と云つても女義の中で横綱です。レコードは比較的多く、古くは旧コロムビヤに太十一面(一枚)酒屋二面(二枚)先代萩二面(二枚)寺子屋二面(二枚)柳三面(三枚)十種香一面(一枚)、旧ビクターには鳴門二面(二枚)寺子屋一面(一枚)酒屋一面(一枚)沼津二面(二枚)十種香一面(一枚)中将姫一面(一枚)、十二吋盤に野崎村一面(一枚)十種香一面(一枚)等あります。此の中旧コロンビヤ盤は平均して皆宜敷しい。殊に十種香など傑作です。旧ビクター盤の内では沼津などは好いものです。十二吋盤は大変珍らしいものと思ひます。オリエントレコードには先代萩二面(一枚)壷阪四面(二枚)御所桜六面(三枚)合邦四面(二枚)本蔵下屋敷四面(二枚)朝顔宿屋二面(一枚)大井川二面(一枚)寺子屋二面(一枚)六助住家二面(一枚)松王下屋敷四面(二枚)岸姫六面(三枚)等、又ワシ印に酒屋六面(三枚)がありますが総体に旧コロンビヤ及旧ビクター時代の方が好い様に思はれます。電気吹込みになつてからは昭和十年に三味線竹本広春で山科十二面(六面)酒屋十面(五枚)合邦十二面(六枚)先代萩十面(五枚)邦楽レコードに吹込んでゐます。勿論一般には売出されてゐなく、極く限られた間にのみ頒布されてゐます。私は幸に先代萩を除く他の三種を所持してゐますが此の内山科が殊の外好い様です。酒屋が一番不出来ですがそれでも仲々大したものです。晩年を飾る好いレコードを残して呉れたものです。邦楽レコードに問合せましたらもう原盤が磨滅してプレス困難との事ですから今後入手難しいでせう。さすれば之等は珍盤となる事と思ひます。
豊竹呂昇は長広と反対に俗受けのする語り口ですが、之れは又凄じく大量吹込みをやつてゐます。曲目を一々拳げる煩に堪へませんからレコード名と数丈申上げて見ませう。旧コロンビヤには十八面、此の内先代萩がありますがレコードの終りで「私は呂昇でござります。どうも御退屈様」と如才なく宣伝してゐる様に呂昇の人気は宣伝と彼女の美貌から出てゐる事は申上る迄もありますまい。旧ビクターには十三面、此の中十二吋盤三面あります。面白い事に十二吋盤の中の紙治内のレコードは始めから少し行つた処で吹込みの時回転が落ちた為めか急に早口になり調子もうんと上り暫らくして又元の通りとなります。吹込技師の失敗でこんなレコードを平気で売出すのも呑気な話です。一説に呂昇は絶対吹込み直しを承知しなかつた。若し吹込技術者の方でやり直しを要求すると改めて吹込料を請求したと云ふ様なチヤツカリ屋だつた為め失敗ものを其儘売出したのではないかと云はれてゐます。ライロホンレコード(象印)に十四面、パテーと云ふ縦振動十一吋半のレコードに十面、次にワシ印に九十七面、同じくワシでも新吹込になつてから百五十面、此の内大部分は新コロンビヤとなつて売出されてゐます。オリエントレコードに三十四面、ニツトーレコードに二十四面、ヒコーキ印に四十二面、スヒンクス十面、其他東京レコード等々合すれば五百面位にはなるでせう。何れも二面から四面位の短いものが多く、長いものと云へぱワシ印に酒屋、太十十面、十種香より狐火十二面、壷阪十四面、鳴戸十面位なものです。壷阪の如き大衆的なものはあらゆるレコードに吹込み居りその数も十二種に及んでゐます。以て呂昇の行方如何を窮ふ事が出来ます。概して呂昇のものは晩年に近附く程出来が宜敷しい。若い時代は徒らに美声を振り廻す丈で枯れた味が薩張りなく、唄を歌ふ様ですが、ワシ印でも電気吹込頃のものは落附きもあり、味のあるものもあつて一概に棄てたものでないものも数種あります。壷阪は得意なもの丈あつてワシ印にある十四面(七枚)物など、又同じくワシ印の酒屋八面(四枚)物などは確かに名盤として残るものと思はれます。古い方ではワシ印朝顔大井川二面
(一枚レコード番号一七七三、一七七四)等は傑作の部に入るでせう。(以下次号)
義太夫レコード談義(六)
文楽芸術 10号 1942.7 p22〜24
安原 仙三
娘義太夫として東都の人気を一人で背負つた竹本綾之助のレコードが明治三十四年のグラモホンレコードに先代萩、岸姫、鳴門、三勝酒屋、壷阪、御所桜と六面吹込まれてゐます。此の内先代萩と岸姫が十吋で残りの四種は七吋と云ふ此の頃の童謡レコードの様な小さい盤です【TOCF-59063】。降つて四十年頃ビクターに寺子屋及先代萩が二面、四十二年頃ワシ印レコードに先代萩九面、野崎村一面、柳三面、酒屋三面、堀川三面残してゐます。美貌で鳴らしたかは知りませんがレコードに残つてゐる浄瑠璃は御世辞にも上出来とは申されません。殊にグラモホンレコードのはひどい様です。三味線はグラモホン及ビクター盤が竹本土佐尾、ワシ盤が竹本綾女です。
竹本小土佐のレコードはスヒンクス印に先代萩六面、寺子屋三面ありますがまだ聞いてゐませんから批評は避けます。大正六年頃の吹込みと思つてゐます。古くは旧コロンビヤ盤に鳴門、壷坂御詠歌、野崎段切、十種香、太十の五面があり、流石に老練な語り口です。殊に壺坂が大変宜敷い様です。
竹本小清のレコードは旧コロンビヤに加賀見山又助内二面、安達三段目、壷坂、陣屋、寺子屋、野崎各一面、太十及朝顔大井川各二面、ライロホンレコードに寺子屋、御所桜、壷坂、陣屋、太十各二面残つてゐます。ライロホンレコードは三味線の音が低くて殆んど聞き取れぬ所さへありますが、此の欠点を除けば出来は好い様です。
竹本小豊後、三味線鶴澤団光のレコードも同じく旧コロンビヤ盤にあります。先代萩、新口
寺子屋、鈴ケ森の四面丈です。私は此の中寺子屋を持つてゐますがそのレーベルが桃色のコロンビヤ売出最初のものとてレーベルが珍らしいと云はれてゐます。レコード趣味がレーベルを云々する様では外道です。
豊竹和広も旧コロンビヤに新口、鳴門、先代萩、壷坂、沼津、太十、御所桜、安達三段目、ライロホンに三味線豊澤伝之肋で先代萩及壺坂各二面残してゐます。
竹本広春、三味線豊竹東馬鶴も同様旧コロンビヤに白石噺、宿屋、合邦、日吉丸、酒屋、朝顔大井川各一面吹込んでゐます。当時は花形であつたのでせうが今日では二人共女義の大御所で明治三十八年頃のコンビが揃つて今日迄健在は御目出度い限りです。
竹本七五三之助、糸竹本三九二も同じく旧コロンビヤ盤に鈴ケ森、野崎村、太十、寺子屋、御所桜、柳各一面入れてゐます。先日不図とした機会に鈴ケ森のレコードを入手致しました。
竹本時子、糸鶴澤団次郎(多分竹澤団次郎の誤りで現在の三世寛次郎と思ひます)の松王下屋敷二面、柳、新口、紙治内各一面旧コロンビヤ盤にあります。竹本時子とはどんな人か存じません。
竹本東猿も旧コロンビヤ盤に太十、壷坂、柳、野阪各一面宛入れてゐます。流石に聢りした語口です。中でも壷坂が傑作です。
竹本東広も豪快な芸を持ち乍ら昨年遂に惜しまれつゝ物故しましたが、レコードは比較的沢山残してゐますので今日でもその芸風を偲ぶ事が出来るのは何よりの幸ひです。一番古いのはオリエントレコードで年代は何時頃か分りませんが若い時であつた事はその声で分ります。レコードは城木屋と三日太平記一面宛です。余りにも神経質的な語り方なので或は人が違ふのではないかとさへ思つてゐます。何れにしても非常に拙い出来です。同じオリエントレコードでも年代が下つた時と思はれる鮓屋、箱根霊験記、三人上戸、伊勢音頭の各二面は東広風がよく出てゐます。この分は東広である事に間違ひありません。それから後は貝印に糸豊澤仙平で陣屋、寺子屋、鮓屋各四面、ヒコーキ印に糸豊澤東重で野崎村、源平布引瀧三人上戸、帯屋、箱根霊験記の各四面、寺子屋、沼津の各六面は油の乗り切つた時代とて大変よく出来てゐます。殊に沼津が好い様に思ひます。沼津の胡弓は竹本雛寿です。以上は何れも電気に依らない旧吹込ですが、電気吹込みになつてからは新オリエントレコード及新ヒコーキレコード之れは後に共にリーガルレコードに変更されましたが此のレコードに三味線豊澤東重、ツレ又は胡弓豊澤東歌のもの伊勢音頭二面、沼津六面太十四面、箱根霊験記三人上戸四面、三味線豊澤仙平、ツレ豊澤東歌のもの御所桜、太十、布引三人上戸、忠臣蔵六段目、合邦、寺子屋、猿廻し、野崎、帯屋、御所桜、八陣、陣屋、先代萩、城木屋、鮓屋の各四面、壷坂沢市内、万歳唄、寺子屋の各二面等があります。又ポリドールレコドに糸仙平で忠臣蔵六段目、陣屋、沼津平作内各二面、沼津千本松原四面、テイチクレコードに糸豊澤東重で野崎、先代萩、堀川、寺子屋の各四面、ニツトーに御所桜四面、野崎村二面、キリンレコードに太十及堀川四面、壷坂二面等があります。ニツトー及キリンには此の外まだ沢山あると思ひますがよく調べてゐません。電気吹込になつてからはやゝ濫作の気味がある様です。リーガル、ヒコーキ、オリエントは何れも同じ系統ですから注意せぬとレーベルが異つても中味は同じものを買ふ事があります。同様の事がテイチクレコードとスタンダードレコード及タイヘイレコードとニツトーレコードに就いても云へます。私は不注意にレーベルが違ふから中味も違ふだらうと買ふ時調べずに買つて来て家へ帰つて聞き比べたら同じ物だつたと云ふ物が沢山あります。一寸御注意迄に申添へて置きます。
再び古い処へ立帰れぱ竹本文福、三味線竹本土佐尾のグラモホン太十一面、竹本京子、糸竹本京枝のグラモホン七吋レコードに鳴門、先代萩、太十、柳の各一面、グラモホン十吋(後にビクターになる)堀川、佐田村、寺子屋、柳の各一面、竹本友之助、糸竹本福之助のグラモホン七吋に野崎、大文字屋、十種香、宿屋各一面、グラモホン十吋(之亦後にビクターとして出る)蝶花形、太十各一面、竹本友之助、糸竹本文福のグラモホン十吋に太十、柳、蝶花形各一面、チヤリ物を得意とした竹本糸吉の旧ビクター盤城木屋、伊賀越新関、帯屋、阿漕、布引四段目、のらこや猫独逸ベカと云ふ軍艦旗をレーベルにした数尠いレコードに鎌倉三代記、玉藻前三段目、大井川、忠臣蔵三段目、以上何れも一面宛、竹本但玉、糸鶴澤三吉の同じくベカレコードに柳、野崎、十種香、堀川各一面宛と云つた様なものがあります。之等はその昔娘義太夫華かなりし頃活躍した連中ですから御紹介申上げておきます。(以下次号)
義大夫レコード談義 [(七)]
文楽芸術 11号 1942.8 p28〜30
安原 仙三
前回に引続き古い処を一括御紹介申上ます。
竹本素女がトウキョウレコードに寺子屋二面、此の外まだあるかも知れません。竹本綾菊、糸鶴澤三平、旧ビクターレコードに酒屋四面、鳴門二面、大井川二面、トウキヨウレコードに朝顔宿屋二面、寺子屋二面、柳二面、堀川、十種香各一面。竹本二三龍、糸鶴澤一二の寺子屋、紙治内各二面旧ビクターレコード、此の二三龍と云ふのは巧いと思ひます。竹本美光の壺坂及堀川各一面ワシレコード。豊竹喜昇の玉三二面、鳴門、大井川各一面ライロホンレコード。豊竹右昇の柳二面、袖萩祭文一面同じくライロホンレコード。竹本本朝、糸鶴澤龍之助の加賀見山四面ワシレコード。竹本越寿、糸花澤梅達(梅幸?)の酒屋四面メノホンレコード。柳三面、鈴ヶ森一面、明烏四面、堀川二面ライオンレコード。竹本綾香、糸竹本素雪の日吉丸二面、柳二面、野崎村四面、小磯原四面、安達三段目二面、恋女房子別れ二面、スヒンクスレコード。竹本素昇、糸竹澤弥栄吉の明烏、太十、千両幟各二面、スヒンクスレコード。竹本本朝の大井川、太十各二面、スヒンクスレコード。竹本朝重、糸豊竹昇菊の太十二面、竹本芙朝、糸豊竹巴住、ツレ竹本米光の野崎村四面、柳四面、竹本美朝、糸豊竹猿都糸の壺坂二面、何れもパイオニーヤレコード。竹本愛三、糸豊竹愛太郎の壺坂四面、竹本愛三、糸豊澤仙勇の堀川鳥辺山四面、竹本老寿、糸豊澤東重の新口村二面、豊竹東昇の御所桜四面、白石噺二面、宿屋二面、何れも貝印。東昇の宿屋琴唄には伴奏にロホン、コルネツト等を入れた賑かなものです。竹本伊達若、糸竹本長勝の鎌倉三代記四面オリエントレコード。豊竹仙龍、糸豊澤小住の宿屋二面、柳二面、オリエントレコード。竹本末千代、糸豊澤小住の柳四面、オリエントレコード、此の吹込は割合に好い出来です。末千代の吹込はまだ此の外にもある事と思ひます。少し纏つたものとしては次の物があります。竹本住広の太功記十段目二十二面(十一枚)噺子入で芝居風です。住広のものは此の外、糸豊澤歌子で鳴門、壷坂、十種香各四面(二枚)糸豊澤綱之助で太十、朝顔宿屋、柳、野崎村、堀川鳥辺山、日吉丸各四面(二枚)鎌倉三代記、玉三、鈴ヶ森、壷坂各二面(一枚)以上何れも貝印内外レコードです。此の外キリンレコード電気吹込に大井川が二面ありますがレコード面には吹込者竹本小住としてありますが之れは確かに住広の間違ひと思ひます。糸は綱之助でせう。こんな大きな間違ひは稀有な事です。
竹本雛昇もレコードで売出したとも云はれる位沢山な吹込をしてゐます。新しい人丈に殆んど大部分電気吹込みです。先づオリエン卜(又はリーガル)に糸豊澤仙喜代で御所桜、鳴門、柳、安達三段目、十種香、先代萩、酒屋、壷坂、太十、日吉丸、堀川、宿屋、白石噺各四面(二枚)タイヘイレコードに新口村、壷坂、堀川猿廻し各四面(二枚)堀川鳥辺山、酒屋、柳、大井川、玉三、日吉丸、寺子屋、安達三段目、野崎村、先代萩、御所桜、太十、鳴門、宿屋
各二面(一枚)八千代レコードに鳴門二面(一枚)ツルレコードに日吉丸。鮓屋各二面(一枚)ニツトレコ−ドに旧吹込として野崎、柳、先代萩、鮓屋、酒屋、御所桜、白石噺、太十各二面(一枚)電気吹込として玉三、大井川、鳴門、紙治、壷坂沢市内、段切、鈴ヶ森各二面、堀川猿廻しツレ竹本雛玉で四面(二枚)センターレコード(旧吹込)に琴みき子で宿屋四面(二枚)コツカレコードに柳、野崎、
壷坂、宿屋各二面(一枚)酒屋四面(二枚)又フヰルモン
と云ふフヰルム式長時間フヰルムに糸豊澤小住で太十一段先代萩一段吹込みしてゐます。大量吹込み丈に玉石混淆です。名手竹本小仙の吹込みには旧吹込みとして、ニツトーに鮓屋、太十、壷坂、酒屋、堀川、先代萩、逆櫓各四面(二枚)合邦六面(三枚)宿屋八面(四枚)同じくニツトーの電気吹込に酒屋四面(二枚)電気吹込みには此の外リーガルに糸鶴澤鶴栄で太十八面(四枚)此のリ−ガルレコードは前にヒコーキ或はオリエントとしで発売されたもの
もあります。又オデオンレコード堀川(ツレ仙久)鮓屋各四面(二枚)等あります。概して皆出来が好い様です。古い処で竹本団路が象印ライロホンに伊勢音頭、堀川さわり新口村、鳴門、安達三段目、湊町各二面(一枚)太十四面(二枚)十種香、野崎各一面、竹本久国、竹本団路で同じくライロホンに先代萩、鎌倉三代記、大井川、御所桜、日吉丸各二面(一枚)寺子屋、八陣、合邦、野崎連弾各一面吹込んでゐます。野崎連弾には洋楽伴奏を入れた賑かなものです。
豊竹団司のレコードは旧吹込としてトウキヨウレコードに糸豊竹長勝で太十、大井川各二面(一枚)鳴門、先代萩各一面、オリエントに糸豊澤小住で太十、十種香、鈴ヶ森各二面(一枚)ヒコーキに同じく糸小住で紙治二面(一枚)新口村四面(二枚)貝印に糸小住で先代萩六面(三枚)酒屋、寺子屋、八陣、恋女房子別れ各四面(二枚)紙治、鮓屋、先代萩各二面(一枚)電気吹込みになつてからはキリンに糸小住で鳴門二面(一枚)等があります。貝印は当時女越路と盛んに宣伝しで売出した様に記憶してゐますがそれ程でもありません。(以下次号)
義太夫レコード談義(八)
文楽芸術 13号 1942.11 p34〜38
安原 仙三
引続き女義のレコードを羅列しませう。
竹本朝重、糸竹本素雪の御所桜、酒屋、白石噺、各二面(一枚)スヒンクスレコード。竹本春華、糸鶴[澤]綱助の鳴門四面(二枚)リーガルレコード。之れは電気吹込みです。竹本駒若、糸鶴澤二三龍の柳、野崎村各一面(一枚)コクチクレコード。之れはピアノ伴奏入りと云ふモダーンなものです。此の外進義会連中、糸鶴澤綱助外で野崎二面(一枚)堀川四面(二枚)と云ふ賑やかなものがオリエントレコードに電気盤として入れてあります。竹本越駒、糸竹本駒路の野崎、柳各一面(一枚)パーロホンレコード。竹本光一、糸野澤吉和歌の野崎二面(一枚)オリエントレコード等もありますが、何れも評は略します。一時東都で娘義太夫として鳴らした竹本越喜美のレコードも次の様なものがあります。柳、壷坂各二面(一枚)ピコーキレコード。糸鶴澤清一で、玉三、白石噺、八陣、太十、寺子屋、十種香、安達三、鳴門、明烏、御所桜、日吉丸各二面(一枚)野崎、柳各一面(一枚)ポリドールレコード等。越喜美も大阪で修業してから後はウンと腕を上げた様で、之等はその修業後のものですから好いものが相当あります。竹本清糸は紙治内、質店を各二面(一枚)ヒコーキ印に入れてゐますが之れは比較的好い出来です。豊竹豆之助は太十、堀川各一面(一枚)壷坂、宿屋、寺子屋、酒屋各二面(一枚)新ビクター、竹本伊達子は紙治、鳴門、新口各二面(一枚)新ビクター。竹本綾千代、糸豊澤猿玉、ツレ竹本仙君は宿屋、大井川各二面(一枚)新ビクター。野崎、御所桜各二面(一枚)新口四面(二枚)スターレコード等に入れてゐますが何れも大衆向と云ふ程度のものに過ぎません。
竹本三蝶には兎角の評はありますが、確かに名手たるを失ひません。此の人はレコードより実物の方が好いのではないかと思ひます。レコードとしては糸豊澤仙平で宿屋、大井川、酒屋、新口各二面(一枚)鳴門、壷坂、先代萩、安達三、柳、十種香、玉三、各四面(二枚)リーガルレコード、寺子屋、安達三、太十、新口、各四面(二枚)柳、壷坂、先代萩奥、酒屋各二面(一枚)タイヘイレコード、米豊澤東重で新口二面(一枚)オリエント、酒屋、壷坂二面(一枚)コメツト、糸豊澤力松で柳、壷坂各四面(二枚)等があります。好い声をしてゐるのですがその割合に感銘が薄いのはどうしたものでせう。
豊竹昇之助も沢山レコードに入れてゐます。極く古い処では糸豊竹昇菊で壷坂、鳴門、千両幟各一面(一枚)を旧コロンビヤ盤に、御所桜、壷坂、酒屋各二面(一枚)トウキヨウレコードに、堀川、壷坂、御所桜、先代萩、酒屋をヒコーキ印に入れてゐます。又古いニツトーには豊竹昇之助事玄蕃米子として鳴門、炬燵、太十、酒屋、壷坂、柳合邦各二面(一枚)入れてゐます。芸名を使はないのはどうした訳でせう。又ツル印にアサヒオーケストラ伴奏で堀川鳥辺山、壷坂万才唄各一面(一枚)入れてゐます。以上は皆旧吹込ですが、電気吹込みになつてからは糸豊澤力松で野崎二面(一枚)酒屋四面(二枚)パーロホン。さわり集八面(四枚)大井川二面(一枚)ヒコーキ。柳二面(一枚)リーガル。さわり集十二面(六枚)オリエント。酒屋、宿屋より大井川、太十各四面(二枚)テイチク。酒屋四面(二枚)大井川、紙治内、白石噺各二面(一枚)鮓屋、茶屋場各一面(一枚)ポリドール。先代萩、酒屋、壷坂、玉三、太十各二面(一枚)ニツトー。壷坂、酒屋、大井川各二面(一枚)オ−ゴン等があります。又糸豊澤東重でビクターに先代萩四面(二枚)鳴門八面(四枚)があります。之等の中ではビクターの鳴門が一番纏つてもゐるし最も光つてゐます。此の外特許金鳥レコードと云ふ薄いセルロイド盤の壊れないレコードに紙治鮓屋各二面(一枚)ありますが評する程のものではありません。
豊竹呂之助の吹込んだものでは旧吹込としては糸豊竹金昇で鳴門六面(三枚)ヒコーキ印。御所桜四面(二枚)オリエント。糸不明鈴ヶ森二面(一枚)白石噺、日吉丸各一面(一枚)トウキヨウレコード。新吹込みになつてからは糸不明先代萩、新口各二面(一枚)鳴門、八陣、十種香各四面(二枚)テイチク。鳴門、酒屋各四面(二枚)朝顔宿屋より大井川、狐火各六面(三枚)新コロンビヤ。米豊澤猿糸(七世広助)望月社中の鳴物入りで戻橋六面(三枚)ワシ印。糸仙平で鈴ヶ森、御所桜、柳、壷坂各二面(一枚)宿屋四面(二枚)糸豊澤新造ツレ豊澤新三郎で野崎、堀川烏辺山、十種香、酒屋、日吉丸、先代萩、壷坂各四面(二枚)太十、御所桜各二面(一枚)糸鶴澤綱助で新口村四面(二枚)何れもリーガルレコード。糸豊澤綱之助(鶴澤綱助の誤りか)で御所桜二面(一枚)ワシ印等があります。此の中狐火、戻橋等は変つたものです。
此の外竹本春駒、糸鶴澤綱助で鳴門二面(一枚)オリエントレコードにありますが、まだ此以外あるかも知れません。
尚既に御紹介したものゝ内其の後判明したものがありますので補逸として此の機会に御報告申上ます。
チヤリ物を得意とした竹本糸吉の事は第六回に申上ましたが、その外ワシ印に伊賀越新関、白木屋、楠どんぶりこ阿漕佐田村各一面宛入れてあります。チヤリ物を得意とした丈入れた物もチヤリ物です。
豊竹仙龍、糸豊小住のもの第七回に御紹介しましたが、その外新口酒屋、宿屋、八陣、堀川、柳、三吉子別れ各二面(一枚)白熊レコード。十種香、太十各二面(一枚)鈴ケ森、日吉丸各一面(一枚)オリエントレコードに入つてゐました。
竹本素行改め瓢のレコードもワシ印旧吹込として堀川、白石噺、日吉丸、小磯原各一面、堀川鳥辺山三面、柳二面等も入つてゐます。どれも余り感服出来ません。此の内柳の第一面、日吉丸は発売後間もなく廃盤となり今では殆んど入手の途はないでせう。
以上で女義のレコード紹介は一応済みました。恐らく全吹込の九割位迄は申上げてゐる積りですが、御読みの通り型録の羅列の様なもので、甚だ無味なものとなつて了ひました。然し実を云へばこれと思ふものが尠いので、書く方にも力が入らなかつたのです。
次は素人の部に入ります。
井上里貴司、糸豊澤新左衛門で忠臣蔵茶屋場、柳、本下鮓屋各一面、太十二面、鳴門面二、先代萩四面、旧ビクター。合邦、茶屋場、先代萩各一面、ワシに入れてあります皮肉なのはワシの茶屋場で、三世大隅太夫、三世団平の堀川第三面の裏に組まれて一枚にしてあるので、結構な大隅と比較され、てんで物にならぬ事です。レコード会社も罪な事をしたものです。素人でこんな沢山吹込をしてゐる人は珍らしいでせう。
素義一方の旗頭、貴鳳の吹込は糸豊沢団吉で堀川、忠九紙治、寺子屋各一面をワシ印に、糸豊澤竹三郎(七世広助)で紙治、合邦各一面をライホンレコードに入れてゐます。此の貴鳳は先般物故した貴鳳太夫の先代と推察してゐます
菱文、糸豊澤団吉の油屋一面ワシ印。笹村分銅、糸豊澤新左衛門の油屋二面旧ビクター。貴若、糸鶴澤三二で明鳴柳各一面ライロホンレコード。貴若は此の外糸豊澤小住でパテーと云ふ縦振動のレコードに紙治、柳、堀川、壷坂、十種香、太十各一面、新口村、酒屋、明烏各二面吹込んでゐますが、特殊装置がなければ聞く事が出来ません。小清水と云ふ人は、滑稽三国関所を糸野澤文平で旧ビクターに七面、ライロホンに糸豊澤竹三郎(七世広助)で二面吹込んでゐます。
初音、糸四世鶴澤綱造、ツレ鶴澤綱左で堀川鳥辺山を四面(二枚)ワシ印に、鱗連鱗と云ふ人が糸鶴澤三木造で明烏六面、躄仇討六面、日吉丸四面、壷坂三面、野崎段切一面(ツレ松葉とあり)之亦ワシ印に
西村銀司氏が糸竹澤団六(三世寛治郎)で中将姫二面(一枚)オリエントレコードに入れてゐます。西村銀司氏のレコードには都新聞主催十傑とされてありますから、競技会か何かに入賞として吹込み売出されたものではないかと思つてゐます。
此の外素人とは云ひ乍ら芸人かと思はれる小松家助八と云ふ人の八陣、堀川各一面、ライロホンに。きた、糸鶴澤三木造の新口村四面、本下一面ワシ印に入つてゐます。きたと云ふ人のレコードは吹込後間もなく曲不良として廃盤になって了ひました。又女素人として大阪南地幅助の柳、寺子屋、野崎各一面旧ビクターに。富田屋玉子、糸紀庄末八で紙治、聚楽町、式三番、蝶道行各一面旧ビクター。富田屋玉子、糸伊丹幸梅八で先代萩竹の間一面旧ビクター。伊丹幸梅八、米伊丹幸末八で三日太平記嘉平次内一面旧ビクターに入つてゐます。聚楽町、蝶の道行は珍らしい物です。北陽北助、糸吉助で太十、鈴ケ森、日吉丸、本下各一面(一枚)ニツトーレコードに。東京へ飛んでは、新橋幸喜の彦山六ツ目、朝顔宿屋各二面(一枚)旧ビクターに、肥田喜美子、糸豊澤広兵衛の酒屋二面(一枚)トウキヨウレコードに入つてゐます。之等は何れも明治の末期より大正の初めへかけての頃で、当時は此の如く素人と云ひ、芸人と云ひ、余技にはせよ吹込をやつてゐた事は当時が如何に義太夫熱が高かつたかと云ふ時相を推察する好い資料になります。
此の外毛色の変つたものとしては、徳永里朝の五目義太夫、櫓太鼓曲引が旧グラモホンに【TOCF-59065】、滑稽義太夫として住友天のハイカラ壷坂、野崎がトウキヨウレコードに入れてあります。又豊澤新左衛門、鶴澤団郎(三世寛治郎?)の万歳の曲が旧ビクターに、豊澤広兵衛の阿古屋、夕霧各一面(一枚)旧ビクターに入つてゐます。之迄申上げた分は全部旧吹込みですが、電気吹込になつてからの素義吹込みは、邦楽レコードに若干ある丈で、一般市販されてゐるものは一つもない様に淋しいものです。
下村海南氏が七世野澤吉兵衛の糸で、酒屋と紙治内とを吹込まれてゐるとの事ですが、之れは珍中珍とでも申すべきものでせう。
最後に、第五回に一寸書いて置きました古靭太夫其他の吹込みになる寿式三番叟の事に触れて置きませう。此れは昭和十七年二月頃吹込まれたもので、顔触れは「翁」豊竹古靭太夫、「千歳」四世竹本大隅太夫、「三番叟」四世竹本織太夫、アド三世竹本相生太夫、ツレニ世豊竹つばめ太夫、三味線鶴澤道八、四世鶴澤清六、野澤吉五郎、鶴澤清二郎、七世竹澤団六、豊澤団伊三、鳴物、笛梅屋竹次、胴脇梅屋福一郎、頭取梅室金太郎、胴先梅屋勝昭、太鼓梅屋勝松、太鼓福原春之助、と云ふ豪華盤です。全部で十四面(七枚)といふ大物ですが、少しも省略なく、完全に吹込まれてゐるので大変結構と存じます。全体的に見て勿論申分ありませんが、唯三味線の音を今少し大きくして貰ひたかつた様に思ひます。之は吹込技師の罪です。殊に第十四面では三味線が太夫に消されて了つてゐるのは誠に惜しいものです。大分吹込直しをやつたらしく、相生太夫に聞いた処に依れば、吹込遂に深更に及び、疲れて眠くなつて困つたとの事でした。然し義太夫レコードの発売尠き時に、かゝる大物の出た事は、旱天に慈雨の思ひが致します。
之れと前後して、キングレコードよりも歌舞伎義太夫として竹本鏡太夫、三味線鶴澤市作、ツレ鶴澤八重造、鳴物福原百之助社中で同様寿式三番叟、三枚六面のレコードが発売されました。此の方は「おさえ/\おゝ喜びありや」から初つてゐて、中に処々省略があります。悪くはありませんが、何しろ古靭太夫一派の模範的なのがあるので、発売時が悪く損してゐます。之れには河竹繁俊氏の詳細な解説があり、
大変結構なものです。
此の外、本年四月吹込、七世豊澤広助弾語りの邦楽レコード「沼津」一段十枚二十面が最近出来た事を御知らせしておきます。
以上で義太夫レコードの紹介一通り済みましたが、上方文楽号及続文楽号に掲載の攝津大掾、先代大隅、津、染、南部等のレコードの事再録方要望せらるゝ方が大分あるとの事に付、次号より前後は致しましたが之等を再録する事に致しませう。(以下次号)