定之進切腹の段
|
・平成十二年四月公演評を参照されたい。
|
沓掛村の段
善し悪しの、身は世に連れて与之助の、乳母が在所は沓掛村、草鞋取りの一平も巡り巡りて親里へ、戻り馬の八蔵と、変はる渡世も口強き、伊勢道中を一跨げ、稼ぐ足さへ繋がれし、母の病ひに働きやめ、馬の沓打ち草鞋も、躄仕事のつまみ銭、煙も立たぬ貧家の軒、その日過ぎとぞ見えにける。
|
・マクラ、「沓掛村」とは宿駅に縁のある名、街道の賑わいをふまえた軽快な語り出し。 「巡り巡りて」で一旦ヘタって、主筋没落して馬方となった八蔵を描く。 「伊勢道中を一跨げ」から再び元の運びとなるが、 「躄仕事のつまみ銭」が本フシで、義太夫浄瑠璃本来の、しんみりと物寂しく沈んだ抒情を表現。 「その日過ぎとぞ見えにけり」のフシ落で、この貧しくも慎ましい一家と一段の雰囲気を押さえる。 ・「与之助さん、門にぢやないか」から八蔵の詞で性根が大切だが、ここは強すぎてはいけない。
・「時ならぬ」から掛乞の米屋登場で変化、早足かつ滑稽味も含ませる。
・「さればいの」以下、八蔵の述懐が言い訳でなく「正直者」の真実として衷心衷情響くかどうか、肝心なところ。
・「二人の掛乞、おろおろ涙」
・「喜ぶ声に母親は」のカワリから母親の登場、貧苦、盲目、死病。
・「死んだ後でも」の母の泣き声は、自らの死を嘆くものではなく、後に残る八蔵を気遣うためである。 ・「表の方へのさのさと」でカワッテ馬方の出、粗野かつ乱暴な強さも含む。
・「豆板程な涙」が写実的な三味線と語りで、滑稽かつ人情味もある掛乞衆退場のヲクリとなる。
・「与之助は」から五歳児の登場、床も無邪気かつ調子に乗って描く。
・「オヽ戻らしやつたか」からは乳母としての詞で、自然にやや高く元気な声(微妙だが)の応対となる。 ・「オヽこれ見やしやれ。漸々買うて着せたこの布子」驚きは明瞭。
・「乳母は『ワツ』と泣き出だし」からの述懐。
・「親子御巡り逢はしやれ」が太夫の音で語る魅力的なカカリで、以下クドキとなる。
・「乳母よ泣くな」は幼い与之助の心にも悲しみが共鳴するから。
・前述の乳母のクドキ以下、
・「七つの日脚傾けば」から気を変えて、以後の主役座頭の慶政登場。
・「火をフヽ吹き起こして」効果音を写実に語る。段切、灰の中から官金を取り出すところも同断。
・「アヽ秋の日は短いなあ」慶政の述懐がわずかに感じられるかもしれない。あからさまは×。 ・「納戸の」しんみりとしたヲクリ。夜も更けて寝に行く。 ・「八蔵は表に出で」大きく強く、恐しいまでの描出。
・「どきつく胸も」以下ノリ間で、三味線の手も多く派手に面白くなる。 ・「障子をそつと閉め開けに」三味線ともに写実的な効果音で表現。 ・「藤巻柄の大脇差」以下は、夜の火影に刀が研がれて光を見せるまで、恐怖心を催させる描写。
・「母は夜冴えに目も合はず」「座頭の慶政聞き耳立て」それぞれの不審・恐怖感を活写。 ・「きらめくばかりに研ぎすまし」から急速調。 ・「ヤ、母者人。未だ寝ずか」どぎまぎと正真正銘の驚き。
・「言ふ事がある、下にゐよ」以下、母の叱責と嘆きは正直一遍、ナキの手とともに直道に迫る。
・「アヽ成程」から八蔵の忠義と正直一途、母への愛が存分に感じられる詞。
・「後は涙に暮れゐたる」が文弥落シで母親愁嘆の極となって、落着する。 ・「納戸の内をごそごそと」カワッテ慶政の出、剽軽な描出で深刻さの解消。
・「ホンニマア、大胆な座頭殿」以下、何の屈託もない母子の会話に戻る。
・「表の戸を、ぐわらぐわらと引き開けて」二人の追剥は軽薄に。
・「ムヽヽヽ八蔵どん、許して下され」「はうはう逃げて、立ち帰る」、絶妙な写実表現。
・段切、二人の掏摸を片付けるところに、
(参考:住・勝太郎)
|
坂の下の段
|
・平成十二年四月公演評を参照されたい。
|
道中双六の段
|
・平成十二年四月公演評を参照されたい。
|
重の井子別れの段
興にぞ入り給ふ。
|
・「大和風」の一段。
「大和地」のノリ間が魅力的だがこれほど音遣いの難しい一段もない。
『音曲の司』の真髄、義太夫浄瑠璃面白味の極。 太夫・三味線の不即不離も絶妙。 “魔法の絨毯に乗って、地上から少し浮いたところを微妙に上下しながら行く感じ。” 「恋十」も、ただ母子の情愛に涙するだけなら、セリフ劇でも芝居でもお話でも可能。 「大和風」のうっとりする面白味がもたらされなければ、義太夫浄瑠璃としては未だし。 …が、これを言語で表現するのは至難の業、よって、次の表示を手掛かりにして、一段の構成を掴んでいただきたい。 【 】で囲んだ部分だけが詞。詞が少ないことがわかる。 「フシ」―下降旋律で詞章ならびに曲節が一段落する―の部分を太字。 ・「お側の衆にはやされて」から間の詰開き、絶妙な音遣いがたまらない。太夫・三味線の会話!
・「稚な心の姫君」、家老、「お乳の人」、そして「馬方」と変化あり。 ・「独り言してゐたりけりイイ…インニ」三ツユリ。情感が広がる。 ・「お乳の人は大高に」低い音で位あり、荘重な感じ。 ・「お菓子」=「おくわし」である。「懐胎」(くわいたい)「関東」(くわんとう)。 ・「見れば」低く強く表現し、見つめる描写。 ・「そんならおれが母様」早足になるが、「ア、こは慮外な」で格を持って拒絶。 ・「引退くれば」高く優美に、「縋りつき」が色(地から詞への移行)で三吉。面白い。 ・「甲斐もない」悲しみが底にあり、涙を含む。このあたりでもう聞く方は情味が胸一杯になってくる。 ・「懇ろに教へて…」は地色で、直前「父様は殿様の…」・直後「やうやう馬を追ひ習ひ…」以下の地のノリ間はない。
・「一日なりとも三人(チンチン)、一所にゐて下され」たまらない。聞く者は早涙ぐむであろう。 ・「草鞋作り」見事に音を遣って語る。
・「取り付き抱き付き、泣きゐたり」スヱテ。愁嘆の極み、一の音まで下がる旋律で、ジャンと締める。 ・「お乳は」低く強く、「守り袋も覚えあり」まで胸中で確認する趣。
・「さても大きうなりゃつたの」しんみりと万感の思いあり。以下のセリフは当然非難ではない。 ・「又さめざめと泣きけるが」三ツユリ。 ・「摺れつ縺れつ」若き恋の思い、床の絶妙な表現。 ・「勿体ない、わしに代つての御切腹」一杯。 ・「飽かぬ離別を、したわいの」哀しみがしっとりと美しく表現される。 ・「男の子は稚なうても、御勘気の末気遣ひな」ひっそりと心を配る詞。
・「アヽいかなる因果な」「なることと」上(カン)の高音へ至り、思いが高調する。 ・「子は生れつき賢くて」以下、足取りが早くなる。
・「手を取って引出す」厳しい描写。 ・「(チンチン)不憫や三吉(チチチン)しくしく涙」以下、悲哀の極。
・「なんの罰ぞ咎めぞ」堪えられず激しく強く、
・「母でも子でもないならば」からの三吉の詞、健気なり。評言も不要。ただただ聞き入るのみ。 ・「母様覚えてゐさしゃれ」以下早足、急速調となり、この一段の最高潮へ。
・「時に奥ロざゞめいて」から段切、足早にかつ格を保って。
・「『畏った』と」卑俗な「宰領ども」の登場は、終曲の情感を対照的に引き立てる。
・「坂は照る照る」馬子唄。床と手摺、そして客席が一体となる、涙。
(参考:越路・喜左衛門)
|
※なお、「双蝶々曲輪日記」については、公演評(平七秋・平十二秋)、ならびに、「引窓論」を参照いただきたい。