平成廿一年七・八月公演(18日・31日―第二部のみ―所見)  

第一部

「五条橋」
 三味線シンに清友が座ればこそ。道八の弟子であったことの真価が見事に現出された。音の良さと大きさ、ノリ間と足取り、そして何よりも気合いの入り具合。二枚目以下とあまりにも差が開きすぎ、重層が単層に聞こえかねないのはよろしくないが、これはもちろん清友に何の罪もないことである。太夫陣も経験豊富な三輪と津国だが、マクラの謡ガカリなど平板で十分とは言えないし、牛若丸も源家の御曹司という風韻には乏しい。弁慶は弁慶で重厚に届かず鬼若カシラ程度であったものの、出会いの時はまだ若いということなら及第点は出せる。問題は人形陣で、初日だったせいもあろうが、共に動きがぎこちなく、眉間打ちなどの段取りをこなすので精一杯、この一段を楽しんで遣っていないのが一目瞭然。これは、人形遣いは黒衣であって主体の人形こそが表情豊かに云々という話ではなく、作品の魅力を人形遣いがそもそも体得しているかということである。この狂言は、『鬼一法眼三略巻』の五段目から切り離され、かつては「橋弁慶」と呼ばれることの方が多かった。つまり、これはもはやご祝儀曲なのであり、相応の目出度さが体現されなければならないのである。まあ、今回は百歩譲って親子劇場の幕開きレベルだと位置付けるにしても、客席の子どもたちの反応があれでは、やはりいけませんと言わざるを得ないだろう。

「解説 文楽へのご案内」
 実質は、文楽―人形芝居へのご案内である。ツメ人形の方が子どもは遣いやすいだろうが、文楽人形が如何に難しいものかが伝わってくるのは、三人遣いをやってもらう方なのだ。例年文七級の武者人形を遣わせていたが、もっと軽い人形で三人遣いを体験してもらえば、それなりのものになるのではないかと考える。もちろん、それでも三人遣いの大変さは確実に客席へも伝わるであろう。

『化競丑満鐘』
「箱根先化住居」
 口上が井戸の中から出た幽霊とは洒落ている。が、洒落とは子どものものではない。洒脱でもよいが、要するにさっぱりと脱ぎ落とすということだ。詞章の冒頭にもちゃんと書いてある。「箱根の先は化物のお定まりなる隠れ里」なのだから、読本作者の馬琴は狂言綺語の浄瑠璃も所詮は俗世の人間界を扱った物として、化物にしてみせたのだが、「野暮に隣れる化住居」であるゆえに、人間世界を本体としてそこから変化したものは、そのズレと差異とに意味があり、それは結局、俗世俗情にどっぷりと漬かっていることが大前提とされるわけである。つまり、さっぱりと脱ぎ落とすには、身に纏っている物が必要だと言うことである。その一枚が、通常の浄瑠璃作品であることは言うまでもない。本作の洒落・洒脱を江戸の庶民は十二分に味わうことができた。では、現代日本ではどうか。いわゆる「情を語る」浄瑠璃作品に慣れ親しんでいることが土台となるが、これはもう難しい状況になってしまっている。さらに厄介(義太夫節を聞き慣れているものにとっては魅力)なのが、節付が実にうまくなされていることである。戦後最高の床である先代綱大夫と弥七のコンビは、この作の本体としての確かさを感じ取り、正攻法で臨んだ。もちろんこれは大正解なのであるが、その結果、義太夫節を聴く耳を持たなければ、本体はもちろんのこと、洒脱・洒落などはとうてい楽しめないことになったのである。雪女のクドキ「生別死別の隔てはあれど」のカカリはうっとりとするばかりであり、段切の汁尽しも絶妙というより他はないパロディーなのである。
 さて、当作を親子劇場に持ってくることは、上記の理屈からすればまったくの的外れであり勘違いも甚だしいということになる。しかしそれはもはや半世紀以前、今頃は半七さんが人口に膾炙していた頃の話である。洒脱でも洒落でもなく、パロディーとも思われず、もちろん風雅でもなくとなれば、ここはチラシやプログラム通り、妖怪や動物たちが繰り広げる笑いと涙の物語として、奇抜な趣向を楽しむ新作として扱うのが至当ということになる。そして、この矛盾する二者を共存可能な床は、咲大夫(燕三)しかないのであり、人形陣も新四天王を中心とする陣容になる。結果は予想通り、本体の魅力とさっぱり脱ぎ落とした面白さとがしっかりと感じられたのである。なお、劇場側の思惑が当たったかどうかは、小学生の感想やら個々のブログ記事を参照すれば一目瞭然であろう。何はともあれ、浄瑠璃義太夫節の手法として至極真っ当な本作が親子劇場に置かれたことで、その観客が二度三度と通常公演にも通うようになれば、幸いこれに過ぎたるはないのである。
 

第二部

『生写朝顔話』
「宇治川蛍狩」
 阿曾次郎の造形は二律背反、床は物堅く手摺は柔軟、無論両方内包していたのが玉男であり掛合以前の太夫連であった。深雪は手摺については言及せぬことにして、床はニンではない。高い声が出るからとこの太夫に女を割り振るのはやめることだ。どうにもならないし(三味線まで引きずられ音を外していたのにはさすがに苦笑した)むしろ良さを殺している。男の方が数段よいことに奥役は気付かないのだろうか。浅香も手摺には触れず床のみ評するが、初日はまるで深雪を聞いているようなものだったのが、二度目に聞くとみっちり修練したとみえて乳母の風格を描出するに至っていた。とはいえまだ作られたという印象は強い。次に月心、カシラは定之進だがあの手摺では正宗になってしまう。床もその嫌いはあったが、詞に技が感じられたのでよしとする。浪人二人は床のみ、ゲップが出るのは詞を畳み込むからのはずだが…。もう一人は千歳のよい意味でのコピーゆえに途中退座が惜しまれる。鹿内は素質は買うが奴詞が未だし、と初日に聞いたのが改善されていたのは結構なもの。これらを三味線が一人でまとめるのだが、団吾の奏演には責任感が伴うようになってきて、いよいよ中堅の枠内に入ったかと聞いた。それにしても、聞く者の感受性が鈍ったせいか、出会いのロマンスがまったく感じられなかったのには、失望を禁じ得なかった。酷いといえば柝頭も無茶苦茶で、本来段切の詞章と節付から自然と決まるものであるのが、近年人形の動きから打つようになって大いに乱れている。ということは、人形遣いが浄瑠璃をわかっていないということになるのだが、ともかく今回はあまりの酷さに顔が歪んでしまった。吉田兵次存命時の公演記録映画会を見てもらえれば、正しく真っ当な柝頭とはどのようなものかがおわかりいただけるだろう。いや、あまりに自然すぎて、むしろ何とも感じられないかもしれないが。

「明石船別れ」
 マクラ一枚の三味線、足取り、間、そしてカワリと絶妙にして自然である清二郎は、もちろん父綱大夫の薫陶を受けて来たればこそで、その綱師はさすがに役不足だが体力を考えてのことゆえ致し方なし。本当は「浜松小屋」を聞かせてもらいたかったのだが、ともかくも、芝居臭やコトバ肥大に陥るを潔しとしない正統的太夫の浄瑠璃義太夫節を、観客は心して耳に留めておくべきである。それにより、売店に並ぶ歴代名人の至芸(現役は除く)を真に味わうことが可能となるはずである。なお、琴はこの寛太郎のがもっとも好ましかった。これもさすがに祖父寛治師の側にあって、浄瑠璃義太夫節が体に染み込んでいるからである。考えるな、感じろの好例である。

「浜松小屋」
 point0408.htm
 自分で言うのも何だが、今読み返してみると、耳目がよく働いていたなあと感じる。それは、参照した浄瑠璃義太夫節が素晴らしかったからに相違ない。分析は分析だが、まず一段をうっとりと自然に引き込まれて聴き、そのあとで、ここはこうそこはそうと次々に思い浮かんでくるという具合なのである。今回は、二度目に聴いた時、寛治師の三味線に導かれ、津駒の詞も最後の本心を明かし合う所で情感が溢れ出し、これならば「浜松小屋」は成功したとしてよかろうと感じた。しかし、前記リンク先の聞き所に関しては、いずれもまだまだである。とにもかくにも、大きく開いた拡散する語りを心掛けてもらいたい。話はそれからである。
 人形は簑助師と文雀師を配し、立端場としては「組討」「妙心寺」「杉酒屋」の格に相当する一段の魅力を十二分に引き出したところであった。

「笑い薬」
 マクラから軽々としかもツボを押さえて、それぞれの人物像を活写する。それを小手先でなく前へ前へと大きく広く語ってゆく咲甫に、ようやく実力が人気に追いついたという思いを強くした。三味線が従に聞こえたのも、それは当然だというところまで来たということである。
 住師と錦糸の「笑い薬」は当代一というのはすでに知れ渡っていることであるが、それは祐仙の笑いを取り除いても面白いからこそなのであって、祐仙の笑いによってここがチャリ場と呼ばれると考えるのはまったくの誤りである。「宝引」にせよ「辻法印」にせよ、足取りと間とカワリとが出来ていて、その上に詞の面白みが乗っかっているがゆえに、チャリ場として認められるのである。そういう意味からも、ご両人の床は初日からそう日を置かないうちに聴くべきである。今回とりわけサラサラとして上善は水の如く、まさしく名人の芸であった。紋寿の人形もまた、クドくはならず笑わせて円熟の境地を披露した。この「笑い薬」で床も手摺も張り切り過ぎて、観客を疲れさせるようではいけない。無論、立端場でもなく端場であることをわきまえれば、そのような振る舞いは出来るはずもないのであるが、近年、ややもすればこの一段の構成すら蔑ろにされる嫌いがあるから、ここに附言しておく。

「宿屋」
 嶋大夫富助。マクラ、切場の重厚さはあるが寂寥は至らず。駒沢の詞は凛々しく、徳右衛門の詞も正宗カシラすなわち元武士の剛さを底にしてあり、何とマア云々も悲しみが出るが、マクラから押してばかりでは如何。下女お鍋の詞など卑俗がやはりよく似合う。そして、段切の狂乱、初日は客席から笑いが起こったのは、朝顔の心情が観客の胸に十分入り込んでいないから、知らぬは朝顔ばかりなりと客観視されてしまった結果である。しかし、二度目はさにあらず、悲痛な叫びはきっちりと届いて、半狂乱の朝顔に共感できた。これで、下座の雨音との相乗効果がもたらされていれば、故越路師の域に踏み込めるかというところであったのだ。なお、ここの琴は底に哀感が秘められてなければ、いくらうまく弾いても届かないものなのである。なお、人形の徳右衛門、岩代ともに悪くなかった。

「大井川」
 冒頭に箱根八里を聞かせる趣向は、切場からの緊迫感をぶった切るものだとの非難もあろうが、それならば、跡場は口上も付けず三重の柝で道具替わりをすべきである。第一、近年においてはそれほど緊張感が持続するものを聞かないのだから、現行のでよい。輦台渡しも川止めも、眼前に見せなければ想像すらできない時代の断絶(というよりも文化伝承の放棄)が、現代日本には横たわっているのだから。さて、肝心の床は英と団七で、きっちりとした真っ当な奏演、高い所も届くし徳右衛門や関助までも行き届いているし、まだ余力もある。しかし、これは立端場の床であろうと感じた。収まりすぎ整いすぎなのである。ここは跡場、しかもマクラは大雨洪水警報が発令されているに違いない描写であり、
ここへ半狂乱の朝顔が登場してくるのであるから。こう考えると、今回は切場から道具返しで続けるべきであったのかもしれない。
 

第三部

『天変斯止嵐后晴』
 これは要するに、英国王立劇場が英語版オペラ『曽根崎心中』を英日友好のため創作上演しようとしたものの、間に合わなかったために本国で一般公開することにしたということになろう。しかし、決定的に異なる点がある。英国で、近松の作品だから見に行こうという手合いは皆無であるが、シェイクスピアだから見に行こうという日本人は結構いる。その上、文楽は日本の古典演劇、シェイクスピアは世界の古典劇という単純な対照関係で考えるから尚更である。この時点ですでに矛盾は明らかなのだが、沙翁は戯曲を書いたのであり、近松は人形浄瑠璃上演台本を書いたのである。読むものそして見るものと、聞くものそして見るものの差は歴然たるものがある。こう書くと、近松物は文学作品だから読むものだとの声が上がるだろうが、浄瑠璃本を読むとは、自然にその節付、音曲が頭の中で響くものなのである。「長局」の尾上が浄瑠璃本で楽しむばかりと言うのも、ちゃんと脳内奏演が出来るから楽しめるのであって、もし筋立てを詞章で追うだけでも感動できるというのなら、それは作品を褒めているのではなく、浄瑠璃を冒涜しているのである。ゴマ譜はさておき、地、フシを始めとする節付が最初から書かれている浄瑠璃本を読めば、自然と語りなり三味線なりが浮かび上がってくるのであるから。
 さて、それでは今回どういうスタンスで臨むか。評論家は創作も出来ないくせにすぐ作品を貶す、こう言われるのなら答は簡単である。よくもまあ、短時間でしかも異文化の翻案を成し遂げたものだと賞賛するより他にはない。しかし、プログラムの解説にある通り、「同時代の演劇としての文楽を再発見することを目的に」というのであれば、注文は山程ある。第一、この解説こそがあまりにも自虐的である。元台本は四百年前の作品であり、舞台設定は江戸期の時代物というところだ。それをこう書くのは、沙翁ならば時空を超えた普遍性があるということに他ならない。いえ、新作だと言いたいだけです、それならば、是非とも日本神話を題材に新作を上演してもらいたいものである。まあ、次年度の夏公演第三部の演目により、その回答の当否は一目瞭然となろう。
 それにしても気持ちが悪い。擬古文体は偽古文体で、おまけに現代仮名遣いと来ている。戦前の作品が、口語体でも歴史的仮名遣いであったことの逆だなどとは言わせない。紋付袴でミュージカルを見ても構わないが、ホテルの浴衣とスリッパで劇場へ来るのは完全におかしい。そういうことである。なお、この点に関しては以下の劇評も参照されたい。   平成六年七・八月公演 西遊記

「第一」(前奏とすべきである)
 これを聞くと、清治師が四代清六の弟子だということを痛感する。もちろん良い意味で。目を閉じて嵐を実感出来ること。舞台装置の力を借りては聞く力がますます劣化する。

「第二」(大序 阿蘇左衛門住家の段)
 新作それも沙翁名作の翻案に、朱を入れていくことの高ぶり意気込みが如実にわかり、英理彦という造形が加わればなおのこと、新しさを求めていくのも納得がいく。しかし、浄瑠璃義太夫節に仕立てるとなると簡単ではなく、結果として中途半端に終わった感は否めない。

「第三」(初段 浜辺の段)
 カシラが鬼一と正宗と小団七、各々の人物造形を説明する詞章となると、節付も自ずから決まってしまう。前段の教訓もあって、ここはやはり従来の浄瑠璃義太夫節の骨格を成す旋律を持ってきて、全体を組み立ててみたというところに落ち着いた。

「第四」(二段目 美しが森の段)
 マクラから気合の入った節付で、男女の恋模様に相応しく、段切りまで見事というほかはない。男の方は久我之助というところ、カシラは源太でなく若男にすべきで、娘との応対や左衛門の前での言動など、どう見てもカシラ割のミスである。娘の方は、糸滝と海女千鳥を足して二で割ったようなものか。少なくとも、赤姫でも町娘でもない。

「第五」(三段目 左衛門物語の段)
 ここも全身全霊の作りで、まさしく三段目の格に相応しい節付となった。前段と本段によって、真剣に鑑賞するに足る作品であると思うに至った。それほど自然に引き込まれていたのである。また、この二段を任されたのが千歳でなく呂勢であるというのが、色々と考えさせられるところでもあった。

「第六」(四段目―本来ならば道行― 森中出合の段)
 あくまで翻案である以上、この一段を省略するわけにはいかないのであるが、そのために、筋を進めるだけでの旨味にもコクにも欠けるものとなってしまった。ならば、道行仕立てにすればよかったのではないか。五段構成ならば四段目に当たるところであるし、三人が浜辺から岩窟に至る道中でもある。前半の二人の扱いは、例えば「恋苧環」で省略されることの多い冒頭の里子の如く、滑稽な踊りを交えて前座とすればよかろう。

「第七」(五段目―前段を道行として四段目切から五段目― 再会帰国の段)
 浄瑠璃の場合、五段目は決着の段というよりも分かり切ってはいる結末を見せておくという、いわば予定調和の一段である。よって、省略されることも多い。この一段、四段目切場と見るには軽すぎて深みのない解決であり、五段目とするには説教臭く今更の感が大いにある。あと、大問題なのは最後の客席への独白である。原作がそうだからで済むことではない。最初に述べた通り、戯曲と浄瑠璃の違いという文学形式の根本に関わることなのである。浄瑠璃は神の視点から語られる物語である。地の文の処理からして難しいところであるのに、こう安易に原作通りでございますとされては、失笑すら叶わぬことになってしまうのだ。とはいえ、そう理屈ばかり述べていると翻案自体完成しないではないか、批評家はいつもそうやってクリエイターになれない無能さを鬱憤晴らししているのだ、という声も聞こえてこよう。だから、冒頭に述べた如く、よくもまあ短時間でしかも異文化の翻案を成し遂げたものだと賞賛するより他はないのである。
 なお、床、手摺ともによく語り、弾き、遣っていた。今作の上演成功の過半は、これら次代の核となる三業の成果によるものであると総括しておきたい。