平成六年七・八月公演

第一部 『西遊記』


 「さらに詞章に手を加え、効果音を極力減らし、装置・照明を文楽風にした」とは制作担当者O氏の鑑賞ガイド上の言葉だが、今回はその言に違わず成功を収めたと見た。本当なら大成功と言ってもよいほどなのだが、残念ながら手放しで喜べない点がある。すなわちテキストだ。新仮名と旧仮名がごちゃまぜなところへ、文語文と口語文がその双方へ混濁している。しかし、これは序の口。特にひどいのが閻魔王宮の段と火焔山の段より芭蕉洞の段で、古語とは似ても似付かぬ動詞の活用の誤りや係り結びに語意表現、その他諸々。ここを創作した人物は擬古文のつもりだろうが、これこそ正真正銘の偽古文、エセ古語の羅列。これから美しい日本の古典にふれていく小学生が観客の中心である事を考えると、その罪は「舌を抜いて地獄の責めを受ける」に値しよう。戦前の文章(今でも丸谷才一など)が口語文でも旧仮名表記である事の裏返しで、このテキストが平成の創作偽古文であっても新仮名表記である事は正当だとは言えまい。逆必ずしも真ならず。最近流行の和製ポップス・ロックの歌詞同様、音痴ではなく「言痴」そのもののテキスト。日本語の音感・リズム感・ハーモニー等々に全く鈍感な世界に属するものだ。ではどうするか。現代語にすればよいのだ、すべてを。この「西遊記」はもはや「五天竺」になんら縛られる必要はない。人形で大成功し、三味線でも所期の成果を収めた以上、残るは肝心要の浄瑠璃語りそのもの。ちゃんと小学生でもわかる平易な現代語で、語りのおもしろさ、間・足どりも伝えられるはずだ。「月に代わってお仕置きよ!」「丸書いて茶書いてサントリーの緑茶」の全く見事な入れ事も(ただし、「タキシード仮面様」は柳の下、蛇足蛇足。)そこだけが現代語でわかってもらって大笑いでは語りの本領は一向に表れない。むろん、現代語を浄瑠璃の語りのリズムに乗せるのがいかに至難の技であるかは、数々の新作浄瑠璃の瓦礫の山から一目瞭然である。偽であろうがエセであろうが、古文のフリをしていた方が楽は楽だ。しかしそれでは浄瑠璃ではない、義太夫ではない、そして、文楽でもない。今回の公演で「西遊記」は国立文楽が生んだ最大で最高のヒット作になれる可能性が見えた。無論このままでも、興業成績を上げ、客の大入りを呼び、ああ面白かったと言わせることはできる。さあ、どうです、血を出してもこの「西遊記」を完璧なものに仕上げるか、それとも、子供相手の派手な客寄せパンダの地位に止めるのか。次回の「西遊記」の公演が楽しみだ。
 「閻魔王宮」の津国は声を痛めていた、初日から。よって評せず。ただし、悟空の言葉が働かないのは、声のせいではないぞ。団吾はなんとか食えるようになった。定九郎の演出は面白い。ロビーにビデオもなかなかのやり方。ただし、釘抜きが小さい。あれでは二枚の舌で笑いを取るだけ。等身大の釘抜きを作ってそれを最初にみせるべき。観客の子供達と言うのは、虫歯治療で歯医者のあの恐ろしい道具によって痛い目にあっているちょうどその年齢。「わあ、痛そう!」と定九郎とともに恐怖を味わい、閻魔の恐ろしさをここで感じさせないと、もうこの後閻魔は孫悟空にいいようにやられるのだから、折角の真っ暗闇に真っ赤な炎という開幕のすごみのある演出が無駄になる。大釘抜きでスポンと抜けた二枚舌、このテラーとユーモアとの落差がいよいよ大きく、効果抜群間違いなかろう。

  「人参果より釜煮」
 緑・弥三郎は余裕もあり、かつ、きちんと聞いてもらおうという姿勢が好ましい。三点ばかり、語りの内容と人形の動きとがぴったりせず、よくわからない所があった。木の根につまずくところ、釜の底が抜けて煮え油が下官にかかるところ、悟空の呪文によって才覚延が釜に飛び込むところ。まあ、子供達はのっけの閻魔王宮から「何言うとるかぜんぜんわからん」とそこここで言ってたから、別にかまわないのだが。

  「一つ家」
  ここへ来ると、「すべて現代語にせよ」という言葉も力がなくなる。それほどこの「一つ家」はしっかりした詞章でできているし、浄瑠璃も三味線もいかにも本物だなあとつくづくと感じる。しかも伊達と清友がきっちりと正格の浄瑠璃を聞かせるものだから、あの子供ばかりの客席がシーンとして聞いており、浄瑠璃の持つ力(それはまたとりもなおさず伊達と清友の手柄なのだが)に改めて驚かされる。ここは【偽】ではないきちんとした文章だから、子供たちにとってはますますわからない意味不明のはずなんだが。つまりはわかりやすいようにと手を入れたところは全くダメで、唯一「五天竺」をほぼそのまま引き継いだこの「一つ家」が逆にきちんと聞かせられているというパラドックス、とはいえ、この見かけの逆説は国立からみた見かけなのであって、真理はそれとは別の所にあったというお定まりのパターンであるのだが。などと皮肉っていても始まらない。「安達四」のパロディーも、「日高川」の龍蛇の焼き移しも初めてみる子供達には関係ない事。「五天竺」ではない「西遊記」としての「一つ家」は、やはり現代語の詞章にして、子供達のものとすべきだろう。「近松物」がこれだけ青年層に受け入れられているのだから、古語の正格浄瑠璃は高校生・大学生そして社会人になってからの「近松」で味わってもらうという素地ができている。その先は興味を持った人びとが「菅原」「千本桜」そして「忠臣蔵」へと向かうだろう。もちろんそれが正格浄瑠璃であればの話だが。(11月の「忠臣蔵」の通しはその意味でも重要だ。今の陣容で果たして可能なのか。いや、不可能という文字は許されないという一世一代国立文楽の大勝負というのが第一で最大の課題だが、もう一つ、「近松」などで掴んだ層をいかにいわゆる古典的浄瑠璃の中へ吸収できるかというこれまた難題があるのだ。この「忠臣蔵」でへこんだら、レイトショーも子供向け公演も全く無意味になってしまうから。よもや、わざとへこんでみせて、「さあ、新しい時代の文楽は八月公演のような形態に限られた。これからは口伝や稽古の時代じゃない。いかに客受けして興業成績上げて収益を向上させるかだ!」と宣言しようという企みではありますまい。まさかね。)で、劇評は一カ所だけ。小猿のところの人形長すぎる。折角たくさんのチビ猿が出てきて歓声をあげていた子供たちも途中で飽きてしまっていた。「過ぎたるは猶ほ及ばサルが如し!」

  「流沙川」
 ここはつまらない。沙悟浄が仲間に加わるための段でしかないから。まあ、瓢箪舟は大変面白いもので、子供たちも喜んでいたけれど。結局これも、沙悟浄改心のところの詞章がまったくもって子供たちに不明だから。となると、首に掛けた骸骨ネックレスの意味も不明で、折角のアイテムが無駄になる。やはり分かりやすい現代語にして子供たちに理解してもらわないと。松香と団治は悪くないというよりも積極的な評価をしてもいいだろう。松香が沙悟浄の剽軽さを表現できたなら、上級の賛辞を贈呈する所なのだが。語り方や声質からいったら出来る大夫だと思うのだが。三役クラスの味のある立端場語りになれるものは持っているはず。

 「火焔山より芭蕉洞」
 「行く空も、黄色く曇る砂ぼこり、見渡す限りの砂漠にて、草木の緑目にふれず」以下、噴飯の限り。これが一段のマクラですもの。いっそのこと「日本語相談」に提出して、「子供向け平成国立文楽の分かりやすい詞章です。如何なものでしょう。」とお伺いをたててみては。「あ、これはいいですね。」とお誉めにあずかれるかどうか。おそらく丸谷氏などは大激怒の一刀両断でしょうな。(まあ井上ひさし氏なら同情くらいはして下さるでしょうが。)この偽古文浄瑠璃詞章には正常な日本語感覚を持っている人は誰一人として耐えられないはずだ。早急に現代語への対応を望む。美しい日本語の範を国立が示さなければ。大切な仕事。あるいはギブアップして「五天竺」の詞章に戻しますか?さて、この場は相生と団七にはうってつけ。詞の動く相生は面白いが作曲者団七のノリが悪い。足どりと間も。これこそ寛治師匠の独壇場だったはずだが。あと芭蕉扇が小さくて伸び縮みが今一つよくわからない。こういうものは釘抜き同様デフォルメすべきだ。(詞章にも「芭蕉扇を引担げ」とあるではないか。あんなちっぽけな芭蕉扇を肩に担ぐなど大馬鹿者だ。懐に入れれば済むわい。)いい意味での人形劇としての利点を生かすべきだろう。化け比べは面白い。良い趣向だ。

 「祇園精舎」
 三蔵法師の解脱のところ、子供にはわからないのはしかたがないが、やはり現代語にする事で、高学年の生徒ならわかるようになるのではないか。教典拝領の場面は視覚聴覚とも文句なし。嗅覚の試みは斬新すぎるかも知れないが、甘く柔らかい花の香りを会場に薫らせてみるというのも、この世の極楽が体感できて面白いのでは。(しかしこれは前衛的な映画・演劇でも行った例はほとんど無いだろうから、況や伝統芸能においてをや!ということになるか。)大夫・三味線についてはわざわざ筆を取るほどの事は何もない。人形も同断。しかし孔明かしらというのは見事に超人的性格を備えているものだなあ。釈迦如来そのままではないか。
 さて、これも子供たちが言っていた事だが、いったいいつになったら終わるの?、いつになったらインドに着くの?ということであった。これだけ短くカットしても子供には長すぎるということでもあるのだが、人間というのは自分の置かれている現在地を確認しないと不安になるというところがある。つまり子供(観客)もまた人形とともにインドまで旅をしているのであるから、各段の位置づけをはっきりさせたいという事だ。もちろん大人なら、それが長安であり、西域であるとはわかる。それを子供がわかるためには?そう、視覚効果だ。いちばん手軽な方法は「西遊記イラスト双六」を作って、主要登場人物を描いて置く。(蓑太郎がいるから簡単に出来るはず。RPGゲームでも、パーティーを組むはずのどのメンバーがどこどこの町に居てどの場所で出会って、というふうになっているから、「双六」というと古くさいが、結構トレンドなのですよ、これが)いちばんいいのはハイテクで今現在の悟空たちの位置と道中の後先を電光で知らしめるというやり方。(あの「てなもんや三度笠」のオープニングにあったやつの平成版みたいなものですな。)
とにかくこの「西遊記」は「五天竺」とは全く別個の位置づけで国立文楽の財産にすればいいと思いますが、どうお考えですか。

     

第二部 『生写朝顔話』


 「宇治川蛍刈」
 三輪はここのところ頭打ち状態。「筆法伝授」の口で詞に進歩を見せたのはいつを昔の事だろう。「店は人絶えなかりけり」ベタ付き。「底の濁りもなく(夏川との掛詞)、涼しげに、風吹き渡る、往来も繁き、たぎる茶釜の湯気に立つ名」、そして店は人絶えないというマクラの描写が全く出来ていない。ふわふわの薄腹が嫌みな音(オンではない。三輪の場合はオトと読むべし!)を辿って行くだけ。この情景描写はそのまま阿曽次郎の人物描写につながっているのだから、ここが語れていないということは、阿曽次郎が語れない。とすると剽軽な僧月心の人物も描かれず(しかし幸いなのは、人形がうまく遣いこなしたから、舞台を見ていると、その剽軽さが感じとられたということ。後ろの現代風の若い女性も「あの坊さん面白い」と言っていた。玉也のお手柄である。)何とか得意の高音で女どもとりわけ肝心の深雪を語ろうとするのだが………、「慕ひ来て…」の唄もここまでの地を歌って来ているから(地で音(この場合はオン)が遣えてないから)メリハリもない。阿曽次郎がそのやさしい調べから三拍子揃った美人だと思わず連想するという、その感じが全然出ていない。千歳ならきちんと表現してくれただろう。夏の夕暮れ、澄み切った水、川涼み、蛍、名物茶の薫り、そして賑やかさ、人いきれもかえってこの宇治川の夕涼みを引き立てるものとなる…。これだけのことを千歳クラスならちゃんと語ってくれたろうに。観客まで気持ちが良くなるムード満点の情景描写、ロマンスが芽生えて当然じゃないですか。マクラをきちんと語ったらこの若い二人の恋はストンとこちらの胸に落ちるのですよ。短冊も単なる風のいたずらではない、恋風が吹き送ったものだと自然に感じられるのだ。「釣婦三婦内」「寺子屋」の口もそうだったが、千歳大夫のおかげで、端場とはどういうものか、端場の魅力を味わえたことは、この平成の国立文楽にあって奇跡とでもいうもの。神仏の思し召しか、これからも精進されたい。ということで、ここもぜひとも千歳で聞きたかったということです。浅造のマクラの三味線も歯切れ悪し。文昇の阿曽次郎は絶妙。今回の「朝顔話」の人形の秀逸はこれで決まり。この「蛍刈」だけでもまず端正さが底にあり、恋に動く色の出し方、悪者の始末での節度の見せ方等々、源太かしらの性根を見事に捉えた遣いぶりだった。どこかの人形遣いが「大夫の語りの巧拙によって人形の性根も違って見えるのはしかたがない」とボヤいていたが、性根を見抜くほどの客は下手な浄瑠璃は聴覚神経の途中で止めておいて、頭の中では優れた浄瑠璃を再生させているはずだからそんなことは言わないはず。その発言がおかしいか、それとも人形遣いの性根が座っていなかったかのどちらかだろう。とはいえ、浄瑠璃がしっかりしてもらわないと困るというこの新人間国宝の発言は無論正しい。問題は当然なことを発言しなければならないという国立文楽の現状(特に大夫の)にある。
 奥は咲と清介。ここは逆に大夫の詞の働きと三味線の良さにも助けられて、浅香がいい。「なんの御用でござります」の女と侮られないよう強さを底に持った詞、二人の仲を呑み込んでの気の利かせ方、そして縋る深雪を押し隔てての言い含め方・諭し方、「浜松小屋」が出ないから活躍の場はないとはいえ、この奥だけで十分に「ああこの浅香という乳母はしっかりしているなあ。この乳母がいる限り深雪姫は安泰だ。そういえばひと昔前は格式のある良家の娘には、必ずこういう人間世界に通じた乳母が付いていたものだった。そうそう、春日局などもその例に入るだろう。徳川二百五十年の最初期に長期安定政権を確とした家光の業績も、この乳母の蔭の働きを除いては考えられなかったろう。」という思いまで起こったのは、この浅香が生き生きとしていたから。それなればこそ、浅香に死に別れた後の深雪の哀れな境遇にも納得がいくというものである。「宿屋」の朝顔の出の所「杖柱とも頼みてし浅香」の地が真実となる。そして「大井川」でその浅香の父が徳右衛門と判明、命を投げて深雪を救うのもこの浅香にしてこの徳右衛門あり。あの腹切りが唐突で深雪の目を明かせるためのあざとい仕掛にすぎないと見る人あらば、それは「宿屋」の徳右衛門に問題があったのは当然の事として、この浅香の性根、浅香の存在感の有無にも遠因があるのだ。さすがに勘寿はその点がわかる程の修行は積んでいるとみた。しかし「浜松小屋」まで出たらやはりこれは文雀に遣ってもらわないといけないとは思うが。その文雀の深雪は家老の娘の品格と初々しい恋心を描出していた。さて「いはでの山の岩つつじ、あたりまばゆき風情なり」の所の三味線、文句の通り恋心の照り映えがあってよし。咲大夫もよい。ただし、阿曽次郎に火急の用件が知らされるところで、初日は阿曽次郎の心中の動揺が見えず平板と感じたが(無論慌てふためくことは阿曽次郎の性根に反するが)、楽日にはそれもクリアーしていたことを一応記しておく。

 「明石船別れ」
  ここもなかなかいいところ。大船の風待ちに小舟での海上の月見。そして二人の出会いと別れ。「宿屋」の伏線とはいえ、琴唄もあり、深雪の真情吐露もあり、ちょっとした聞かせどころ、見せどころ。「宿屋」の嶋大夫が力量不足で、この「船別れ」なら万全だっただろうなと感じさせた所。小松大夫の声を云々するのはどうにもならないこと。あの声でもちゃんと聞けるのはそれがまさしく浄瑠璃の格を捉えているから。それが三輪との大なる差。三輪の方はまだまだどうにもなるから苦言を呈するのだ。小松の浄瑠璃が耳障りという人はいわばSPレコードの雑音が邪魔で名人の浄瑠璃は聞けない、聞きたくない、果ては名人だとは聞こえないと語る人と同じこと。錦弥はそんな小松をよく助ける。大夫の声がダメだから俺の三味線で客をウーンといわせようなどとはこれっぽっちも考えないよい女房役。錦弥の音ならそれが出来るだけに好ましい。錦糸の遺訓をしっかり胸に刻み込んでいるようだ。阿曽次郎はここでも秀逸。ただの端正ではないというのは、深雪の恋を抱き止めて、船頭に指図するところの阿曽次郎(自分)と深雪と船頭と三方への遣いぶりの心配りが絶妙であったことからも伺われる。文雀の深雪は、「思ひ詰めたる娘気の真実見えて可愛らし」で清新さがあるが思い詰めたとは見えない。だから「そりや聞こえませぬ〜」のきっぱりした本当に恋に死ぬというところが弱い。タラタラしている。こういうところは蓑助の方が一枚上手。

  「笑い薬」
 千歳は今回も期待に違わず口・端場をきちんと聞かせる。今回は清二郎の三味線ということもあり、このあとの住・燕三にきちんとつながるように、楽しみにさせるように出来た。完璧である。傷を求めるなら萩の祐仙が未だしということなのだが、これは作ってもダメな年功の積み重ねがものを言う役なので是非もない。お鍋の詞(人形ではなく)で笑いを取るのは実力のある証拠。それよりなにより、枕の、東海道の宿場町島田きっての老舗旅館戎屋の間口広く繁盛している様子を清二郎の三味線とともに見事に描写したのが絶賛ものだ。これでもう「笑い薬」全段の成功が見えるわけで、座頭級の前を勤める口語りとはこうあるべきだという見本のようなものだった。とにかくこっちの気持ちが晴れ晴れして快く、全身の筋肉もほぐれて次の大笑いを引き出す準備完了というわけだ。  住・燕三が切場を譲ってというより嶋・富助に修行をさせるべくそしておそらくは住さんの好みもぴったりでこの大看板の「笑い薬」。祐仙が絶妙なのは言うもさらなり。徳右衛門の詞、駒沢の帰還の描写、岩代の押さえ方、これらがすばらしい。作十郎の素朴、文昇のここの駒沢も絶品で「旅中ながらも武士の行儀くづさぬ羽織野袴」の浄瑠璃の見事さにぴたり応じた遣いぶり。文吾はもう余裕、敵役としての大きさもある。玉幸の不器用さは滑稽の色を岩代に自然に与えることになり怪我の功名。問題は蓑助の祐仙。はっきり言ってあれは間寛平と同じレベル。つまりこういうこと。勘十郎の祐仙は「笑い薬」の登場人物としての祐仙。自分では普通で自然な動作・言語のつもりが他者からみると滑稽風変わりとなるという人物性根をきちんとふまえての遣い方。だからよけいな振りはしなくても笑いを誘発する。ところが蓑助のは観客までも意識した祐仙、もっと言うと遣い手蓑助が前に出ている祐仙。笑いのキャラクター、チャリ頭として笑いを生み出すためだけの祐仙なのだ。だから思いきり動く。笑わせるために。頭は挟むし、床に打つし、最後には観客に手まで振る。この蓑助の祐仙の振りをどこまではよくてどこからはやりすぎといってみても始まらない。前述の通り捉え方の違いだから。この、劇中人物が劇から飛び出して対観客という立場で第三者的な性格を表すというやり方は、落語の枝雀も必ず毎回の高座で一カ所は取り出してみせている。観客にみられている「劇中人物」としての自分=客体を意識させることにより、その客体が逆に見る主体の観客に働きかけて緊張(笑い)を生み出すのである。しかしこれは実は勘十郎もちゃんと一カ所で遣っているのだ。「そしらぬ顔で奥に入る」のところ、上手へ消える手前で客席にかしらを向けてニッとするというその一瞬である。勘十郎は一瞬(枝雀も同じ)だが、蓑助は初めから仕舞いまでノベツである。だから吉本新喜劇の間寛平と同じなのである。観客へのサービス満点。その芸人根性は見上げたもの。しかし寛平を嫌悪する者もまた多かったのはご存知の通り。過度の対観客意識、それがともすると自意識過剰、売り込みと前受け、果ては劇の中での自分の役割を見失い、肝心の芝居そのものをぶちこわして元も子もなくなることも多かった。今の寛平はもう当時のその寛平を通り越している。原哲男や花紀京の芸域に迫ろうとするまで成熟しつつあるから。蓑助には成熟したところのほかに若々しいというより子供っぽい一面がいつでもかいま見られる。土門拳氏ほかの写真に写っている、あの少年紋二郎の表情がチラリと覗く瞬間がある。もちろんそれがまた蓑助のたまらない魅力の一つなのでもあるのだが……。蓑助が文五郎か紋十郎かを襲名すればもうこんな遣い方は出来まい。いやひょっとすると今回のこの徹底した萩の祐仙の遣い方は蓑助という名への決別の証なのかもしれない………。しかし、次の点だけは好みの問題ではなく苦言を呈しておく。それは祐仙が茶碗を割るというやり方だ。祐仙は医者である。当時の知識階級である。茶を嗜むのは当たり前。にわか仕立てではない。しかも祐仙の性格から言って、茶道具・点前どれをとっても一家言持っているに決まっている。茶の道に隙はない。茶碗を割るほど力を入れることは決してない。断じてない。これまで何百回と無く茶を点ててきた祐仙の手が覚えている。とすれば、茶碗を割る可能性はただ一つ、それはこの茶がただの茶でないという緊張感、通常とは甚だしく異なった茶の点前だという所からくる異状性、そしてこのヤバイ茶を早く点ててしまわなくてはという焦燥感からくるというものだ。しかし口からここまで、祐仙は駒沢を害するに付いてはこれっぽっちもなんとも思ってはいない。うまい金儲けの手段であるだけなのだから。この薮医者祐仙は患者を何人も見立て違いで殺してきているに違いないし、緊張も異状も焦燥もあるはずはない。それでもなお茶碗を割るというのならこれはもう自分から怪しい点前だということを暴露しているわけで、駒沢にも当然疑われ、それこそ芝居の底を割っている動作以外の何物でもないのだ。これをチャリ頭祐仙のお笑い動作とするのは浅薄この上無い。こればかりは決して許されない遣い方である。
 最後に、この「笑い薬」がチャリ場の代表と思われているのはなんとも悲しい。チャリ場としては二流である。なぜならば祐仙一人で引っかき回しているだけだから。(だから今回の蓑助のような遣い方があるとそれが典型的に現れる。その点このチャリ場の二流性を図らずも露呈させてくれた蓑助には感謝しなければなるまいて。)「宝引」これですよ。ところが国立文楽になってからこの宝引の上演は何回ありましたか、いや、一度としてないですね。古典は亡びるのではない。滅ぼされていくのです、理解の無い者の手によってね。合掌。

 「宿屋」
 もう少し聞けるかと思ったが、まだまだ修行がいたらない、といったらかわいそう。浄瑠璃の奥の深さを見せつけられたと言うべきだろう。嶋・富助は健闘しているのだ。マクラ一枚から「なんとまあ不仕合わせな者もあるものでござります」まで、これが大難物。残念ながら今一歩も二歩も及ばない。ここやはり住・燕三で聞かせてもらいたかった。こういう段は美声の大夫が声を振り回すところではないと名人の芸談などでよく言われるが、まったくそのとおりだと理解できる。「笑い薬」の口での宿屋の情景描写は一転して「つれづれわびる仮宿」となり、すきま風に瞬く灯火に、灯影淋しい奥の間が描き出される。そして端正なまさしく古語の「うるはし」がぴったりくる駒沢の独白、徳右衛門の実直・誠意と暖かい心、さらにその詞によって知らされる深雪=朝顔の境遇。これだけをしっくりと語り聞かせて、こちらの胸の底へストンと落とさせることができたなら、いくら「笑い薬」がうまくても、この切場を食われるということはないのである。ところが今回は食われてしまったと言わざるを得ない。しかたないですよ。これも修行。富助とて同じ事。師匠の後の切場を勤めるのですから。食われてそれをバネにして精進・稽古。浄瑠璃の道は深くもまた遠い。しかし「日暮れて途遠し」と嘆く必要はない。伍子胥と違って嶋・富助には将来があるのだから。それにしても初代の古靭太夫がこの徳右衛門の一言で観客をホロリとさせたというのはさすが越路以上の名人の芸の力とは恐ろしいものですな。(無論その一言だけではなく、前述のマクラからここまでの語りがあってのその詞だということ。ここを押さえておかないとそういう名人の芸談を読む人が「ウソだ、誇張だ、そんなことありえない」と自分の甲羅に合わせて穴を掘る浅はかな即断をするものだから。)さて、朝顔の出から琴唄になっても哀感も快感も今一つ、食い足りない。清太郎の琴はこの人の楽器遣いの天性の良さを示すか。今後の三味線の成長が楽しみ。文雀の朝顔は確かに盲目。耳からつまり音から判断して行動に出るというツボをしっかり押さえてある。そして秋月の娘深雪の面影が奥底に残してある遣い方。文昇の駒沢は心動くところ色めくところがきちんと遣われていて、しかも武士としての心得も忘れず。やはり全段通しての秀逸に違いない。こういう男に心奪われてしまった女はもうどうすることもできまい。岩代は「気のせまい女だ」というが、君のような男では一生かかっても女のこういう気持ちはわかるまい。駒沢ならではこそ。しかも今回はそれをそうだと納得させた文昇の遣いぶり。「アア、あつぱれの侍ぢやなあ」の徳右衛門の詞はそのまま「アア、あつぱれの人形遣いぢやなあ」という賛辞となろう。それにしても琴唄はいい。駒沢が感涙するのも無理はない。四月の「雛流し」にも感涙したが、こういうカタルシスを味わえるのも人形浄瑠璃文楽の優れた点だ。観客の方も一度この浄瑠璃菌に取り付かれたら一生蝕まれてしまうのも無理はない。私などはもう脳細胞まで食われてますな。(だから毎回劇評と称して性懲りもなく駄文をだらだらと書き続けているのだろう。)天も感じればこそ、唄の願いの文句の通り「一むら雨のはらはら」をこの段切りから降らし始める。ただし、あまりのすばらしさに感じすぎて大雨となり、結局川止めにまで至って肝心の朝顔から「天道様、聞こえませぬ」と恨まれては、お日さんも合わせる顔があるまい。段切りから「大井川」の朝顔は蓑助だなあ。プチンと切れてしまった女を遣わせては彼の右に出る者はいない。「女の念力」とか「この目はいかなる悪業ぞや」と自分の頬を殴る自虐行為とか、「拳を握り、身をふるはし」というこの一途に思い詰めた女の悲哀(ある面では恐ろしさ)はそれを見せつけられた男にしかわかるまい。蓑助は迫られたことがあるに違いない、と思わせるほどの迫真の遣いぶりだった。文雀は初役だがおそらくもう遣うことはあるまいから、気にしなくて良い。文雀の本領はもっと別の所にある。「忠臣蔵」で逢いましょう。楽しみにしてます。

  「大井川」
  掛合とはいえ津駒は前回よりも長足の進歩。前回の朝顔は大声で叫んでいるだけ。今回は確かに悲哀の叫びであった。南都は徳右衛門ではそれこそなんとも評しようがない。工夫も技もあるものか。しかし誠実さと実直さは感じさせないと。徳右衛門らしく聞かせようと年寄りの声を作るために気が行ってしまっているからねえ。工夫も技もあったのが敗因だ。文字栄はここまで語れるようになったことをまず評価しよう。しかし次回公演からはそれが当たり前となるからね。燕二郎の三味線は前半もっと鬼気としていいはず。それにしてもこの「大井川」、幕開けに唄が入って駒沢と岩代が渡り、そして「追うて行く」から眼前川止め増水した大河大井川を描写するマクラ。いいですねえ、ドラマチックですねえ。と思わせて狂気の朝顔の登場と、良くできてます。ホント。
 
 

第三部 『曾根崎心中』


 「生玉社前」
  喜左衛門がここをやる。さすがにできる。まあできてあたりまえだが、観客としては満足できるのだから、別にかまわない。事件の発端の段。いろいろ押さえておくこともあるのだが、それも合点。徳兵衛の言うその銀、大丈夫だろうか、あ、その九平次の登場。や、こいつは危ないのでは…云々、観客の心の動きの掴みどころも心得て、安心してみていられる。もちろんその第一は玉男と蓑助のコンビによる。

 「天満屋」
 織大夫は前半がすばらしい出来。お初の九平次への詞からはこの段の眼目であるが、ここはもう一息。しかしとにかくマクラからここまででしっかりと掴んでしまっているからその勢いで乗り切る。浄瑠璃における前半の語りの大切さがここでも証明された。この前半の良さが段切りまで続き、掴んだ心を離さず行ければ、師匠綱大夫の域に届こう。清治はこのところ織大夫を弾くこと多く、息もうまく合いだしたし、織の長所も短所も弁えつつあるようだ。とすれば女房役として、この亭主の、すばらしい点はあるのにいつもどこかでスッと気を逸らされるところがあるという性格を呑み込んで、弾き立ててやってほしい。合三味線というのはこういう点からも非常に大切なものであるのだが。ここの人形も書けば枚挙に暇がない。「生玉社前」のお初がこの「天満屋」では恋しい男を守るため主導権を握る大人の女の一面を見せるという、女性一般の心理・行動にも見事に通じた展開など、あらゆる面からアプローチ可能なのだが、「曾根崎」については多くの人が多くの事を書いているし、私がここでどうのこうのと書くまでもないのでやめる。

 「道行」
 呂と英・団六、悪かろうはずがない。贅沢な話である。が、長たらしかった。たっぷりやり過ぎた。まさか人形からの注文ではないだろうとは思うが。この「曾根崎」は大近松の最初期の心中物で単純明快、晩年の「天網島」などの錬り込まれた彫琢された作ではないが、いわば一刀彫のような魅力がある。新鮮な恋の味、さわやかな味が残る清新さが心地よい。ところがこの「道行」が演じられて行くにつれてしつこさが残った。もともと「恋の手本となりにけり」といういささかの陰りもない純愛謳歌のこの大切れが、「森の雫と散りにけり」と改悪されて上演されているということもあるのだが、今回は特にねちゃついた道行であった。後味が悪かった。人形は徳兵衛の顎のラインの良さとお初の横顔の素晴らしさを記しておこう。確かに「曾根崎」はとっておきの人気曲だし、それに応じた上演もなされているからそれでいいのだが、どうももう飽きてしまった。「曾根崎」はこれからも新しい文楽ファン層が支えていくであろうし、逆にその層を育ててもいくだろう。今の私にとって「曾根崎」はそういう意味で大切にしたい狂言なのである。したがってサマーレイトショーで取り上げるのはまさに当を得た出し方だと思う。ただ、近松=サマーレイトショーばかりでは「国性爺」が上演されないので困ってしまうが。心中物ばかりで初演以来の命脈を保つ時代物が冷や飯を食わされるというのはやはりいただけない。まあ「国性爺」は別格として一・四・十一月に上演するつもりなら問題はない。

 終わってみると早くも心は十一月の「忠臣蔵」の通しへと向かっているのがわかる。「天川屋」が出ないのはもう仕方がないが、伝承が亡びないように何らかの機会を見つけて上演されるよう切に望む。定期公演外でいいから「ワシントン条約調印寸前浄瑠璃段物特集」とかを組んで、その他の諸段とともにぜひともお願いしたい。一般の観客向けでは銭が取れないというのなら、こういう諸段の事を知っていなければならない(知っておきたい)人々に対してだけでもするべき義務を負うのではないのか、国立は。なにせこの段は「忠臣蔵」の一段であるとともに、口にはちゃんと「人形廻し」という名が付けられているほどのものなのだから。