『生写朝顔話』深雪と駒沢の恋に絞った半通し、「浜松小屋」がカットされて久しい(1984・S59以来20年間)。
この一段がいかに素晴らしいものであるか。
内容・構成・詞章に関して言えば、『傑作浄瑠璃集』において「宿屋」と「浜松小屋」にのみ、梗概とともに評がわざわざ添え書きしてあることが一例。
浄瑠璃曲節に関して言えば、上演年表を遡ればその20年前に勤めた呂・清治、また、越路・清治、文字・錦糸、そして綱・弥七へと辿られる床が物語る。
(ただし、綱・弥七―1966・S41朝日座―に関しては、『綱大夫四季』巻末の年譜には出勤の記事が見えないが。)
そして天保の初演は長門太夫なのである。(無論「宿屋」は重太夫)
「浜松小屋」での乳母浅香(と深雪との心の交流)を知らずしては、駒沢との恋もただのすれ違いと思い込みの所産に過ぎないものとなるであろう。
大阪国立夏公演第二部を鑑賞される方々の資となるべく、ここに「聞所―朝顔話」を途中経過の恥も顧みず掲載するものである。
(なお、「浜松小屋」については、相生・重造の奏演を参考としている。)
宇治川蛍狩りの段
武士の、八十宇治川と名に流れ、底の濁りも夏川や、水の緑も涼しげに、風吹き渡る宇治橋の、往来も繁き五月頃、蛍狩にと来る人の、足休めやら気はうじの、花香はこゝか一森や、貴賎老若差別なく、たぎる茶釜の湯気に立つ、名さへ出花の通円が、店は人絶えなかりけり。 透間洩れ来る三味の音。 通ふ心をいは橋の、渡してほしき思ひなり。 しんきらしげに浅香をば、見やれば呑込むとほり者。
|
・マクラ、賑やかだが、もたれずこざっぱりと。観客の心を開くように。 ・足取りが変化して唄へ、阿曽次郎の心を捉える(はずの)深雪の三味線。 ・ここだけで二人の心に恋の灯を揺らめかせることが出来れば。 ・姫と乳母、理想的な関係であることが、これだけで描写されるはず。 (参考:呂・団六)
|
明石浦船別れの段
わだつみの浪の面照る月影も、明石の浦の泊り船。風待つ種のつれづれを慰めかねて阿曽次郎、舳先に立出で月かげに、四方を見はらす気晴しの、煙草の煙り吹き靡く船路の旅ぞ物淋し
|
・このマクラで優美かつ魅力的な一段が彷彿となろう。とはいえ、特別な節付がされているのではない。もし、足取りと間を変えれば、通常の立端場のマクラに聞こえるはず。それがうっとりとたゆたうが如くになるのは、床の実力である。 (参考:南部・重造)
|
薬売りの段
賑はしき、東海道のおりのぼり、公家武家出家諸商人、つんぼ盲目いざりまで、這うて行くやら状箱を、かたげて走るお飛脚も、京と東を右左、中に遠州浜松の城下に近き小松原、二躰坊の不動尊御縁日とて
|
・一にも二にも口捌き、そして、男ばかりの語り分けも。チャリはくどからず。 (参考:咲・清治)
|
浜松小屋の段 (科白のうち、詞で語られた部分を“ ”で示してある。)
げにや思ふこと、まゝならぬこそ浮世とは、誰がいにしへのかこち言。今はわが身の上に降る、涙の雨の晴れ間なく、哀れや深雪は数々の、憂さ重りて目かいさへ、泣きつぶしたる盲目の、カと頼むものとては、わづかに細き竹の杖、あるにかひなき玉の緒の、切れも果てざる三味の糸、露命をつなぐよすがにと、背に結ひかけしほ々々と、心の闇路たどりくる。
|
・三下り唄で始まる特徴的な一段。素朴で世俗的な雰囲気を醸し出す。 ・「泣きつぶしたる」が文弥の節で深雪の登場。(「すしや」若葉内侍の出に同じ。哀感の中にも女性の華やかさが漂う。) ・「カと頼むものとては」もの哀しいタタキの節(「合邦」玉手の百万遍等に同じ)である。 ・里童の出でガラリと変化する。 ・「土にひれ伏し詫びければ」悲しみに沈むスヱテの旋律。
・「道ぐさしながら走り行く」足取りと間が絶妙で、姿が目に浮かぶよう。 ・「身を抱きしめてどうと伏し、かこち涙ぞいぢらしき」典型的な嘆きのフシ落チ。「どうと伏し」上音にクルので琴線に響く(後の浅香も同様)。
・「渕川へ身を投げて、死なしゃんしたとやら」泣き声を堪える。ここで、名乗り出て助けてもらえばいいではないか、と考えるのは、通時性も共時性も見失った、醜悪なイマ・ココ絶対主義者。
・「いひつゝ立ってかけ小屋へ、探り々々て」後ろ髪を引かれながら、手探りで小屋へ入る深雪を、太夫三味線が足取り・間で活写。
・「死ぬるいまはの際までも」音を遣って観客の心に響かせる。 ・「なぜ死んで下さんした」四ツ間でその前後に上モリ(音高∪形に辿る)・下モリ(音高∩形に辿る)あって、クドキの典型的旋律。そして「ありとも知らぬくどき泣き」はクリ上ゲフシで泣く。 ・それを聞く深雪の苦衷は「骨も砕くるばかりにて、泣くよりもなほつらかりし」が文弥落シで女形愁嘆最大の旋律。
・「ツン なにか ツン 心にうなづきて、木蔭に忍ぴ ツン 窺ふとも」三味線のアシライが、浅香の胸に一物あることを表現する。
・「とはいひながらわしが身を」以下、ノリ間でクドキ。 ・「堪忍してたも々々や」で泣いて四ツ間となり、クドキの旋律が進んで行く。
・「叱ってたもるな謝った」「オゝなんのマア叱りませうぞいナ」姫と乳母との親密な微笑ましい関係が眼前。 ・この浅香を、封建的主従関係に縛られているがための憂き苦労、と考える輩、少なくともそんな奴のために、一肌脱いでやろうと思ってくれる人など存在しないであろう。 ・一癖ある悪党輪抜吉兵衛の登場。雰囲気がガラリと変わる。(「長居は無益と弥陀六が」と語り出される前とほぼ同じ手が弾かれる。)
・浅香の詞はノリ。
・「こゝをせんとぞ」で立ち廻りのメリヤス。
・「とゞめの刀」で最後の力を振り絞る浅香、「カ・タ・ナ」と強く押す。
・深雪は盲目だから、浅香が仕留めたと聞いて怖々探り寄るので、浅香が倒れ伏したからその様子を恐る恐る見に来たのではない。
・浅香の最期の詞、自分はもう助からぬと分かっているゆえに、苦しい息の下、主人の深雪を思う衷心衷情からの悲哀がこもり、聴く者の胸を打つ。
・「刀を納め深雪が背に」からの段切は、三味線の縁語を用い、掛詞も含めて、ここで最期を迎える乳母浅香の性根を見事に描いた、美しく哀感に満ちた聞き所である。三味線は派手に手数も多く、各所に合の手もはめ込まれて、抒情的旋律が心に沁み渡ってゆく。
(参考:相生・重造)
|
笑ひ薬の段
松兵衛山の松茸とその片思ひの鮑とを焚出しにしてくれるなら 後に祐仙一人笑み、…「かうして置いて駒沢が、戻り次第に…
|
・口、「松兵衛山」との呼称があるからは、サラリと軽く笑わせたい。 ・奥、出端でお客を乗せてしまうこと。「かうして置いて駒沢が」の詞にも注目。 眼目の笑いは、案外くどくて途中白けてしまうことも多い。腕の見せ所だ。 |
宿屋の段
いづくにも、しばしは旅と綴りけん昔の人の筆のあと
立帰る次郎左衛門、… …なんとまあ、不仕合せな者もあるものでござります」
『露のひぬ間の朝顔を、照らす日かげのつれなきに、哀れ一むら雨のはらはらと降れかし』
短い契りの本意ない別れ、…
…と、杖探り取り立ちながら、虫が知らすかなんとやら、耳に残りし情の詞 「エヽあの宮城阿曽次郎事駒沢次郎左衛門とその扇に」
|
・マクラ、「しばしは旅と綴りけんンンーー」「昔のオオーー人の筆のあと」、このあたりの運び、『素人講釈』に重太夫風とある、百年余の伝承。 ・駒沢は爽やかに、そして凛として、底に情のある描出や如何。 ・この徳右衛門で、初代古靱太夫は観客にワーワー言わせた。マクラからの物寂しさの上に、サラリと慈悲ある徳右衛門の衷心衷情の詞ならではこそ。 (と、越路・喜左衛門を聴いて書いていくと、どこまでも果てしなく続いて行く。それで、以下はツボのツボのみ記す。) ・この琴唄を聴いて涙を催さぬ者は人外である。あの岩代でさえ心動かされたのである。(ただし、それが床の責任である場合もないではないが…) ・深雪のクドキ、ノリ間はきちんとノルこと。観客に浄瑠璃の心地よさを与えなければならない。もちろん人形振りにおいても。 ・三味線はアシライのツン数箇所で、不審気掛かりな心を描出。 ・段切は深雪悲しみの狂乱が胸に突き刺さること。下座囃子の雨音が一層それを急き立てるはず。(ここで緩んでしまってはすべてが台無しである。) |
大井川の段
エヽ聞こえませぬ々々、聞こえませぬわいなあ ひれふる山の悲しみも まづ々々一通り聞いてたべ。…
|
・冒頭、馬子唄箱根八里を聞かせ、駒沢等の大井川蓮台渡しを見せることもあるが一興。今や、人形浄瑠璃の舞台は、貴重な歴史民俗資料でもあるのだから。
・汚らしい叫びに陥らないように。ミが出てはいけない。 ・月並みと言えば月並みだが、やはり琴線に響かせてくれないと。 ・戎屋徳右衛門実ハ古部三郎兵衛の述懐、単なる事情説明で終わらぬように。 とはいえ、「浜松小屋」乳母浅香の件を省略されると、何もかも半減する。 |
帰り咲吾妻の路草
咲いた桜になぜ駒つなぐ、駒がいさめば花がちる々々、その駒沢を恋ひしたふ、桜にあらで朝顔が、姿も昔にかへり咲、髪も島田とたつか弓、引きも契らぬ海道に、誰も人目も大井川、跡に見附や浜松の、憂き艱難に引きかへて、昔語とあらひかへ、白すかかけて二川や、かいしよらしげにちよこ々々々々と、あゆみし姿も吉田御油、赤坂宿を打過ぎて、藤川縄手に休らひけり。
|
・二上り唄で華やかに。 ・「あゆみし」でフシオクリ。節付は三大道行でいえば「恋苧環」に近似。
|