平成十九年七・八月公演(21日、4日所見)  

第一部

「金太郎の大ぐも退治」
 未見。不及評。

「瓜子姫とあまんじゃく」
 未見。もはや完成されたもの。前二回の劇評を参照されたい。
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第二部

『鎌倉三代記』
 初日は部分的以外惨憺たる有様、作品の大きさに対し三業の意識が脆弱に過ぎた。公演後半はというと打って変わって充実した感動的な舞台であった。さて、どう評言すべきか。足して2で割るのが公平だろうが、進捗した芸の到達点を書き記せばいいだろう、未だ至らざる諸点も含めて。もちろん比較対照は外せないが。

「入墨」
 口 新・喜一朗。太夫の課題はどれだけ覚悟ができるかということ。サラブレッド故の弛みは白湯汲みを見ても明らかである。初日などいったい稽古をどれだけしたのかというレベルだった。同世代中での三段目語り第一候補であるのだが、このままでそれが実現するかは保証できない。あと数年は世代交代が加速して実力以上の語り場が回ってくるだろうが…。三味線も同様で、いつも平均点以上では…。ただし、4日はマクラから気合十分で、大曲の端緒にふさわしかった。時政が映らないのは、悪の描出が下卑になると権力者としての威厳とが釣り合わないからだろう。それが両立するためには相応の年輪が必要だ。『妹背山』の入鹿にも同じことが言える。
 奥 伊達大夫・清友。三味線の大きさの違いはヲクリから顕著である。太夫は持ち役。とりわけ入墨前後の藤三とおくるの夫婦愛がほほえましい。血が通う人情味、絶妙である。段切も同様で実情実感であった。

「絹川村」
 中 松香・宗助。三味線が随分肉厚になってきた、三重で驚いた。ここはいわゆる典型的な端場で登場人物と状況の説明。太夫の経験からしても拘らずサラサラと難なく勤めるのが好ましい。
 次 英・団七。このところ定着しているコンビだが、なかなかにすばらしい。このまま若大夫襲名で大曲を演じれば、思った以上の収穫が得られるように思うが。「米洗い」と段書きもするように、ここはチャリが主眼に思われるが、それは前半しかもマクラからおらちが出てくるまでの仕込み次第である。要するに時姫がきっちり語られるかどうかだ。初めて登場するということもあるが、三浦之助や三浦母との絡みがない純粋に深窓の姫君としての本性が語られるのはここだけなのである。二人の局を前にしての気高く貴い物言いと態度は、まさにそれを思わせる。フシ付けもそうなっており、マクラはもちろん「姫も斑の染め分け躑躅」のキンなど美しいものである。そこを両人はよく心得ていて、ベテランの力量恐るべしと聴いたのである。ところで、この肝心の詞章を床本集は「染め分け尽し」と書いている。これは五行本から活字に起こす時に、板本「つゝじ」の踊り字の墨継ぎが「つくし」と見えたからだろう(いや、それよりも簡便な戦前の活字本からの丸写しなのかもしれないが…)。しかし、そうだとしても語彙・語感ともにおかしいと気付くはずだ。さらに、今回は字幕にまで堂々と「染め分け尽し」と出てしまった。文字通り恥曝しとなったのだが、それはそのまま劇場側が(いつの時点からか検証などする気もないが)義太夫浄瑠璃を知らないという無知を暴露したことにもなる。局の「御上意」という言葉遣いを注意する姫自身が「不調法な」という言葉を使ってしまう、それを「姫も斑の染め分け」と続け、「染め分け」と来てしかも姫君であるのだから、「染め分け躑躅」と美しい花のイメージで収斂させているのだ。そして直ちに「暖簾押上げ」とおらちの地にカワルのだから、ここの詞章は時姫を印象付ける重要なフシなのである。英はもちろん「染め分け躑躅」と語る、流石である。しかし、若手たちはどうだろう。師匠連からは口写しで教えられるにせよ、自ら語る時安易にこの便利な床本集を参照し、「染め分け尽し」と語ってしまう可能性は少なくないであろう。本来なら、このようなことに筆を尽くす必要はなく、「染め分け躑躅」とさえ言えば、日本人なら誰でも共通理解しうるものだったはずが、三百年の伝統文化や自然観をわずか30年足らずで平然と捨てて顧みないという、戦勝国の謀略にまんまと陥りながらそれと知らずに嬉々としている国民性故に、敢えて発言しなければならないのである。ともあれ、英と団七は「こがらしの風にも当てぬ育ちにて」なども結構であった。この床の描出の見事さは儲け役のおらちは無論のこと、藤三の「うつかり立つたは御堂の前の売れ残り」もまた然りであった。おらちだけを捉えるのならば、もっと面白可笑しい床はあるだろうし、確かにここは切場前のくだけた一段でもある。しかし、今回この全体を見通しての好演に、次代の切場を聴いたような思いを抱いたのである。おそらくこのあたりであろうなと想像した奏演のレベルを優に超えていた。だからこそ、劇場には通わなければならないし、通った分の楽しみがあったときの喜びはまた格別なのである。
 切 富助。東風の大曲で、越前風云々については『浄瑠璃素人講釈続編』に詳説がある。ともあれ、雄大で華麗しかも輪郭が明確でなければならない。しかもこの長丁場、聴いていて一ヶ所として気が弛むところがない。西洋風に言えばメロディーラインが途切れるのは前半母の諌言の詞だが、ここは三浦之助命懸けの帰着と知った上での身を削るが如き諌言で、聴く者はじわじわと涙がこみ上げてくるから、ここで心を掴まれてしまうと、あとは展開も早いし詞ノリも含め節付けは多彩であるし、大落シまであっという間なのである。しかも最後に木登りまで用意してあるのだから、カタルシスは十二分である。つまり、マクラから諌言まで語れたら、この一段は成功間違いなしということだ。ただし前後半で交替することが常態となっているから、前半担当は骨折り損になる可能性が高いのも事実である。まずはマクラ「身に引きしむる兜の緒若宮口の戦場より一文字に取つて返す」この緊迫した詞章に付けられた節付けを耳にすれば、たちまた東風の何たるかがわかるはずである。ここの奏演が出来た太夫と富助には、もはや一段(前半のみなのが残念)の成功は約束されているのである。以下は詳述にも及ぶまい。
 綱大夫師の重要無形文化財保持者認定は喜ぶべきことだが、少なくとも10年前にそうあるべきだった。人間国宝とは功成り名遂げての勲章ではなく、次代を育てる親方の称号なのだから。掲示板上で清治師に千歳が大成するかどうかだと注文を付けたのもそのためである。その綱師が孤高の人になってはいないか、知音はもちろん子息清二郎だが、伝承は何処へ行くのだろう。白湯汲みは、弟子は、御簾内で聞いている若手は幾人いるのだろう、いやそもそも存在するのか。越路大夫本の写真にあった光景、それが失われたのは大序から通す建て方が滅んだことにのみに帰されるものなのか。若手太夫に期待しようにももはや不可能な時勢となった今、綱大夫師の認定は実のところ清二郎にすべてが掛かっていることの謂いになろう。これを機に襲名しその覚悟を示してもらいたいとも思うのだ。さて、今回の奏演もまた清二郎がよく支えて、三浦之助必死の述懐まで来ると綱師の語りにも脂が乗り、段切まで堪能することができた。大曲未だ滅びず、何よりである。
 人形について。初日の不甲斐なさについてはもう触れず、4日で評す。高綱の玉女、型は大きく美しく極まり座頭の風格も出てきた。逆に故師の動きの少なさを意識しすぎて藤三など面白味に欠ける。まあ動くのは勘十郎に任せるというのも悪くはないが、とりあえず現状は作為的な不動性が目について嫌らしい。ぜひ60年代の録画を見て欲しい、玉男は決して動かない人ではなかった。とにかく今回の藤三については、床のダイナミズムを帳消しにしたとまで極言されても仕方ないはずだ。三浦之助の和生はやはりニンではない。気合はともかく、時代物源太カシラ特有の男前なり爽快なりという気分が解放発散される魅力が出せない。段切も色男特有の瀕死の美学とでもいうような、ゾクゾクする感じがまるでなかった。さあ、ではニンの者を探さなければならないのだが…。清之助そしてまだ先だが幸助あたりか。別に和生を非難しているのではない。現状はあまりに肩入れしているとさえ感じられるほどの役回りだということである。本公演で言えば、彼の本役はお紺に限られるだろう。おくるの紋豊はすばらしいワキの人。篝火の清之助は結構だが評価は「蝶の道行」でなされるから…。三浦母の玉英はすっかり婆が持ち役になってきたが、皐や越路など今回のも含めて時代物の婆はそう簡単なものではない。とはいえ、玉男遺産の一つである不動の動をいつの間にか身に付けていたのが驚きである。ただし玉五郎に理想を見た滋味や慈愛・温かみといった要素は年輪が解決してくれるのを待つしかないだろう。局は讃岐の清三郎が姿形雰囲気とも格段に阿波との違いを見せた。富田はやはり勘緑の卑近さを買う。時政は床が新だと相応に見えても伊達さんだと物足りないとことから実力が分かる。最後、紋寿の時姫が妙。局・藤三に対して、三浦母に対して、三浦之助との恋模様、表情豊かに遣いわけていた。あとは思い詰めた時の芯、意志の強さがぐっと伝われば、番付別書出しの格に至るであろう。
 今回、三業が一体となった4日は感動の一語に尽きた。「いづれを見ても義理故に死なねばならぬ定りか」後半に時姫が漏らす詞だが、だからこそそれを演じる三業も必死にならないとウソなのである。観客の胸に迫るのも当然のことだ。ただし、死は損で生は得・勝ち組は生きて金を手中にし負け組は実験の踏み台としてただ死にゆくのみ、そう考えよと本国から洗脳された属州民には伝わりようもないであろうが。「美しい国」確かにかつてここには存在していたのである。

『釣女』
 気楽に見て聞いて笑って劇場を後にしてもらえば結構、そういうことなのだろうが、少しも面白くなかったのは所詮性に合わないからか。ならば評も書きようがない。太郎冠者の千歳は頑張ったと思う。文吾は中年の剽軽者という遣い方でツボを心得ている。大名の文字久は正攻法でそのまま、玉輝もそのまま。美女は太夫・人形ともに書くまでに至らない、つまり良くも悪くもなく相応か。ただし三味線は床を見てああ清志郎かと確認しただけのことはある。醜女、これが主役なのだろうが、和生は代役がこれほど失敗した例を知らないし(被衣から面相の一部が見えているなど最悪だろう)、呂勢はまた美女としか聞こえずで、いかにももったいない。それならば、三味線シン清治師を堪能すればということになるのだが…。今回は人間国宝認定記念の松羽目物だったと結論付けるしかない。そう考えるよりほか、この三業の豪華使い・・を自らに納得させるのは困難だった。
 

第三部

「蝶の道行」
 駆け込めばギリギリ間に合ったのだが、暑さも暑し、走るのも馬鹿らしく思えて、無人のロビーでモニター鑑賞という結果となった。観客の拍手に力がないと感じたのは間接的に聞いたからか?それにしても、寛治師の三味線がここだけだったとは…。

『伊勢音頭恋寝刃』
「古市油屋」
 住師でここを聴いたのは何と平成2年だった。三味線は燕三。このときの記憶から、早く出せ早く出せと冤罪の投獄者の如く叫び続けてようやく実現した。そして今回、至高の絶品と評していたはずと訴えられても冤罪になるだろう。最長老が酷暑の中連日1時間近くお勤めになるということ自体が奇跡なのである。今回これ以上はないという鉄壁の布陣、これを人間国宝の会という形で、天覧の一世一代一度限りの公演としていればどうだったろう。秒針が進むのを追っても長針の動きはほとんど感じられず、まして短針が動いているなど誰がわかるものか。しかし時が過ぎゆくのは当然の理。前回から短針が回転すること一万二千回以上という事実…。さて、「泣く泣く硯引き寄せて書置く鹿の巻筆も」ここになぜあのように美しい陽気な手が付いているのか、そう感じた人は義太夫浄瑠璃の真髄に一歩近付いたことになる。この浄瑠璃はお紺が主役だな、そう聴いた人もまた同然。貢は所詮ボンボンでむしろ喜助に惚れる、そう宣う女性は男を見る目がある。万野と岩次の味わいが格別だな、これはスパイス使いの料理名人ということ。ということは、まず住師に錦糸の床の表現力が至上であったということであり、動く簑助師の動く万野に、色男貢が勘十郎の源太カシラで、検非違使カシラの性根そのままの喜助が玉女とはこれ以上望むべくもなく、その上岩次は勘緑でお鹿が簑二郎も大当たりだったのである。至高の絶品とは「いま・ここ」においては真実の言となるはずだ。

「奥庭十人斬り」
 万野を事故で斬ってしまうまでが重要。貢の十人斬りが観客の目にどう映るかの分かれ目だからだ。今回は楽しませてもらったというのが正直な所で、三味線の手も実に面白く付けてあるなあとニヤニヤしながら聴いてしまった。人形も鮮やかだったが、精神がキレて(イッて)しまっている恐怖感は今ひとつであった。全体として凄絶には遠かったが、咲は技も効き、燕三は巧みで、勘十郎は冴えていた、というところだろう。夏狂言の追い出しとして成功裏に終わったと言っていい。

 第三部の評を書き終えて、『道八芸談』をあらためて読み直してみた。「明治は遠くなりにけり」そんなことを言うつもりはない。ただ一言、「敗戦がすべてを灰にしてしまった」。