七月の二番煎じ
無二とあるのに二番煎じとは如何なものか。
さりながら、
「河庄」に違和感を覚えたが故に、
ピッチ修正版(半音)を参考に供した次第。
ご批判ご意見等お寄せいただければ。
さりながら、
「河庄」に違和感を覚えたが故に、
ピッチ修正版(半音)を参考に供した次第。
ご批判ご意見等お寄せいただければ。
七月の無二
口三味線:綱=弥七[195901]
河庄:綱=弥七195207東京
大和屋:綱=弥七【義太夫特集219660911NHKR
この演目ならこの人。
もちろん横綱相撲は取れるのであるが、
鮮やかに決まるというのはまた特別。
たとえば、
いくら「情を語る」のが第一と喧伝してみても、
小春が陰気で沈み込むばかりではお話にもならない。
演者があっての演目設定、
しかしこれも今は昔。
河庄:綱=弥七195207東京
大和屋:綱=弥七【義太夫特集219660911NHKR
この演目ならこの人。
もちろん横綱相撲は取れるのであるが、
鮮やかに決まるというのはまた特別。
たとえば、
いくら「情を語る」のが第一と喧伝してみても、
小春が陰気で沈み込むばかりではお話にもならない。
演者があっての演目設定、
しかしこれも今は昔。
六月の感興
沢市内・壷坂寺:若=重造【邦楽演奏会[19661108?]
沢市内・壷坂寺:土佐松津の子=清六徳太郎・清好196002演舞場
面白い、実に面白い。
演者の個性が際立つのも、
「壺坂」が魅力的な曲なればこそ。
傾聴しながらニヤニヤしてしまう、
大団平の節付に脱帽しながら、
堪能するのである。
沢市内・壷坂寺:土佐松津の子=清六徳太郎・清好196002演舞場
面白い、実に面白い。
演者の個性が際立つのも、
「壺坂」が魅力的な曲なればこそ。
傾聴しながらニヤニヤしてしまう、
大団平の節付に脱帽しながら、
堪能するのである。
五月の節付
沢市内:山城綱=弥七19510103NHKR
沢市内・壷坂寺:津=寛治19700201TV
『道八芸談』「壷阪寺の段」
とりわけ、間とノリ
沢市内・壷坂寺:津=寛治19700201TV
『道八芸談』「壷阪寺の段」
とりわけ、間とノリ
4月の「風」
「師匠の節付は、前に申した「三十三所」とか「三信記」のような通し狂言のときは、
さきに役割を定めて夫々場を語る太夫に合うように節付をされたので、
例えば「良弁杉二月堂」は柳適さん、「志賀の里」は朝さん、
「壷阪」は前の島太夫さんのと別にまた大隅さんに合うように付け変えられたのです。
また「油屋」は組さんの為に作られたのです。
こんな風ですから、書卸しの方は大当りに定っていたのです。
この外短い物でも、勤める太夫によって「お前がやるのならこの方がえゝ」と仰っしゃって、
ところどころ直して渡して居られました。
語る太夫の芸のたちに基いて節を付ける、または付け変える。
ということは義太夫の節付の骨張です。」(「清水町師匠の節付」『道八芸談』)
さきに役割を定めて夫々場を語る太夫に合うように節付をされたので、
例えば「良弁杉二月堂」は柳適さん、「志賀の里」は朝さん、
「壷阪」は前の島太夫さんのと別にまた大隅さんに合うように付け変えられたのです。
また「油屋」は組さんの為に作られたのです。
こんな風ですから、書卸しの方は大当りに定っていたのです。
この外短い物でも、勤める太夫によって「お前がやるのならこの方がえゝ」と仰っしゃって、
ところどころ直して渡して居られました。
語る太夫の芸のたちに基いて節を付ける、または付け変える。
ということは義太夫の節付の骨張です。」(「清水町師匠の節付」『道八芸談』)
Re:[50] 3月の公開音源について
先日掲示板にて質問させていただいた者です。本日「二月堂の段」を拝聴できました。ありがとうございます。
3月の良弁杉
志賀の里:綱=弥七[19620119]R
桜の宮:綱織文字十九=弥七団六団二郎19600819
東大寺:伊達路=徳太郎19690511
二月堂:越路=喜左衛門19690511
「表現に当って、いうところの彦六系文楽系ということもあります。
変えようのないものもあって、それは、初演は誰であろうと、
大正昭和には古靱師匠しか勤めていないもの、そうです、「二月堂」とか「鬼界ヶ島」。
古靱師匠が完成したようなもんですから、これはそんなに直さなかったですよ。」
(「喜左衛門師匠(二)」『四代竹本越路大夫』)
桜の宮:綱織文字十九=弥七団六団二郎19600819
東大寺:伊達路=徳太郎19690511
二月堂:越路=喜左衛門19690511
「表現に当って、いうところの彦六系文楽系ということもあります。
変えようのないものもあって、それは、初演は誰であろうと、
大正昭和には古靱師匠しか勤めていないもの、そうです、「二月堂」とか「鬼界ヶ島」。
古靱師匠が完成したようなもんですから、これはそんなに直さなかったですよ。」
(「喜左衛門師匠(二)」『四代竹本越路大夫』)
2月の彦六座
豊竹山城少掾引退披露口上:津つばめ綱若195901
二月堂(対面部分):山城綱=藤蔵195901【名人山城少掾を聞く
二月堂:綱=弥七196502朝日座
「彦六座こそ、あらゆる困窮と戦い、芸術的には実に絶大なる存在意義と功績を残した
(この具体的説明をすれば非常に長くなるから、残念乍ら省略する)に拘らず、
営業的には遂に敗退の憂目を見たもっとも適切な例である。
そこには、『舞台で死ね』と根本教訓をして遂に自らその範を垂れた大団平を首班として、
大隅大夫、組大夫等が真に死物狂いの芸をして、前受が悪うて客が続かず
華麗な文楽座に営利的敗北をしたのである。」(鴻池幸武)
二月堂(対面部分):山城綱=藤蔵195901【名人山城少掾を聞く
二月堂:綱=弥七196502朝日座
「彦六座こそ、あらゆる困窮と戦い、芸術的には実に絶大なる存在意義と功績を残した
(この具体的説明をすれば非常に長くなるから、残念乍ら省略する)に拘らず、
営業的には遂に敗退の憂目を見たもっとも適切な例である。
そこには、『舞台で死ね』と根本教訓をして遂に自らその範を垂れた大団平を首班として、
大隅大夫、組大夫等が真に死物狂いの芸をして、前受が悪うて客が続かず
華麗な文楽座に営利的敗北をしたのである。」(鴻池幸武)
1月の継承
質店:山城=弥七
二条城配膳:伊達路=団六【玉男19701025TV
夕顔棚:小松=団二郎・尼ヶ崎:(前)省略・相生=重造【沼亀松紋十郎19680421TV
懐古と聞くか温故と聞くか。
それにしてもこのナツカシサは、
まさにナツクの原意そのままである。
昭和四十年代を知る人ならば。
二条城配膳:伊達路=団六【玉男19701025TV
夕顔棚:小松=団二郎・尼ヶ崎:(前)省略・相生=重造【沼亀松紋十郎19680421TV
懐古と聞くか温故と聞くか。
それにしてもこのナツカシサは、
まさにナツクの原意そのままである。
昭和四十年代を知る人ならば。
十二月の大作
殿中刃傷:相生=重造19671223NT
判官切腹:山城=藤蔵19530729NHK
暮れの第九が定番となった経緯、
訳知り顔にここへ書く必要もありませんが、
あらゆる意味で大作であるということと、
関係があるのはやはり確かでしょう。
ならば、
浄瑠璃義太夫節における暮れの大作とは、
独参湯を置いての他はありますまい。
相生重造は現下の新時代において再評価されるべきで、
越路・清六いずれも三代目の薫陶を受けた人ですから。
「音曲の司」復権の令和であります。
山城については今更何を付け加えんやではありますが、
越路・津とこれはともに四代目の証言通り、
最盛期は受領直後までと心して耳を傾ければ、
藤蔵の功がいかに大きいかを感じ取れます。
判官切腹:山城=藤蔵19530729NHK
暮れの第九が定番となった経緯、
訳知り顔にここへ書く必要もありませんが、
あらゆる意味で大作であるということと、
関係があるのはやはり確かでしょう。
ならば、
浄瑠璃義太夫節における暮れの大作とは、
独参湯を置いての他はありますまい。
相生重造は現下の新時代において再評価されるべきで、
越路・清六いずれも三代目の薫陶を受けた人ですから。
「音曲の司」復権の令和であります。
山城については今更何を付け加えんやではありますが、
越路・津とこれはともに四代目の証言通り、
最盛期は受領直後までと心して耳を傾ければ、
藤蔵の功がいかに大きいかを感じ取れます。