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【 森暁紅 「おあそび講 ふところ帳」 】

(2025.06.25)
提供者:ね太郎
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『まゝよ三度笠 道中あごの紐』(1919.3.30)掲載 原載『文芸倶楽部』23(14) 1917.10
 田中煙亭が鼻糞先生のモデルと考えられる
 
 おあそび講 ふところ帳
    森暁紅
 
 成金のお茶代嘘八百の千のと、あけて見れば風説[うはさ]の一割がむづかしかつたのださう、景気の好いにはヨタが飛んで、暮らし向きの物価[ものなり]ばかりか真正直[まつしやうぢき]に高くなる、成金の鼻息と、生活難の唸り声が、新聞の上段下段に火花を散らして、丁々発止と斬結ぶ其時分[そのころ]、どつち着かずの無事とある僥倖者[しあわせもの]が幾人[いくたり]か居た。
 月に一度を放楽日[はうらくび]ときめて、誘ひ合はして気散じのあらん限り、家[うち]へはそれ〴〵交際[つきあい]らしく、迷惑な顔を見せて出て来るが、出ての後[のち]の、いふ言[こと]、為[す]る事、武士は相見互ひと家と世間へ極内[ごくない]の金丁[きんちやう]、謂はゞ其日はさらけ出した膓[はらわた]の洗濯[せんだく]、おあそび講とこれを名称[なづ]けて、気の向いたのが世話人となつて時の会触[くわいぶ]れ、講中へ案内の状は発するが、用があれば勿論、気の向かないのに義理で出て来るべらぼうはなく、気乗のしたのが寄つたとこ勝負、されば交際[つきあひ]の無理から出て来るといふ様なのは一人もない。
 会と称[つ]けべきを講と称[よ]んで、なるたけ文明に触れないのを尊がり、何かと古きを懐かしむ、講中〆て十二三人とあるが、大抵集まりは三分の一、つまり暢気の中の暢気が寄つて、フラリ〳〵と遊ぶの外、意味も巧みもなんにもないのは、物に苦情の起り様もなく、此講始まつて十年の久しきに及んだり。
 十年月々遊びのさま〴〵、彼の時の珍、この時の妙と、度毎の想出も数々、会うては何れも若やいで打興じて、年齢[とし]取らう気色はないが、思へば其間一トむかし、心静かに人々を見れば、どこともなく誰れも誰れも、巫山戯て居ながら其心持、気取つて居ながら其見る様、いつしかに変つて居る。
 が、おあそび講の月並に休みはなく、折柄は秋の泌々[しみ〴〵]と遊び心。
『草枕、一夜泊りのチヨイ旅とは何うだい。』
『オツと其事さ、久しく遠出の罪つくりをしなかつたからね。』
と此月の世話人を買つて出たのが、富田屋[とんだや]の伯父貴[をぢき]と、鼻糞先生。
 註に曰く、伯父貴と云つても別に編中へ出る誰れの伯父でもなく、唯これは皆[みんな]に立られる此人の通り名、亦鼻糞先生とは隠し芸に鼻糞を伸ばす真似をして道成寺は鞠唄の一曲を演るといふ、それ故の綽名にて続いて出て来る人々の名も亦其類と知るべし。
 某[それ]の日午後四時上野駅集まり、何れどこかの草枕万事は寄つたとこで相談、宜しく好い智慧御持参の事、と云つた会触れが講中へ飛んで、さて当日集まつたのは、世話人の富田屋の伯父貴と鼻糞先生の他に二人、古川端[ふるかはばた]の家主[いへぬし]に、木場の多助さんといふ〆て四人[よつたり]。
 『これツきりは心細い。』
と鼻糞先生時計を見て、
 『まだ四時には間[あひだ]があるがら、一人二人は殖えさうなものだ。』
と、駅の雑沓、自働車、俥、脊負荷[しよいに]の草鞋と旅客さまざま、目まぐるしい入口の方を気にして視るが、暢気さうな同行[どうぎやう]の顔は一人も見えず、チヨツ、と一ツ舌打をして、
『ねえ伯父貴、数寄屋町の御亭なんざア、昨宵[ゆうべ]会つて彼[あ]れ程約束をして置きながら、平気でうしろを見せるンだから助からないね。』
『そこを他人行儀でなくツて嬉しいとして置くさ。』
『やれ〳〵争はないこツてす、トルストイには誰れがなるツてね。』
『ウフ変な言をいふ、おあそび講の白[せりふ]ぢやアないね、あーあ。』
と誇大に嘆じるのが伯父貴の癖。
『時に伯父さん、今日の成行はどんな事になりますンで。』
と訊く皮肉な口調は木場の多助さんと云つて、こゝに集つた四人の中で一番若手、若手と云つても、伯父貴の半白五十を出たのと口合[くちあひ]の対手[あひて]、三十代を四十の方へ近くなつて居る、鼻糞先生は四十より五十迄の間に相違ないが、生来色が真黒なので顔付の推移が分らず、亦古川端の家主といふのは、何かと物に理屈をつけて、尤もらしくするのに妙を得て居るので、即ち小さんが得意の小言幸兵衛と見立て、綽名して、古川端の家主といふ、此の人小柄の美男子にして、いつまで経つても年齢[とし]を取らず、又の綽名を万年息子とあるが、あゝ此の頃事実の年齢は争はれず、只今こゝの待合はせに、途中で買つた夕刊を読むにも老眼鏡[らうがん]をかけ、難かしい顔をして読んで居る。
『結局同行四人と決つたらしいね、三人旅には一人余るし、五人男には一人不足だし。』
と古川端の家主はこんな言を云ひながら、夕刊を畳んで、老眼鏡[めがね]を脱[]はづして、ぶら提げた合財袋へ入れながら、
『で、どツどこへ行く事になつたンだい。』
と少し訥[ども]つて早い音調[てうし]。
『さアそこなんだがね、世話人の方の相談は、中仙道の本庄に心当りがあるンだが、亦皆の方に御持参の智慧もあらば承まはらうといふわけさ。』
と伯父貴が云ふ、本庄に心当りとは、駆落者の追手でもありさうだが、これが此おあそび講の持つてゆき所、駅路の花の珍化粧、面白かんべえの押廻しで十年此方江戸近在[ちかまはり]の肥桶[こえたご]の花探り、東西南北あらん限りを漁り尽したが、間々[あひだ〳〵]のこぼれ花、姉さん本庄かへと洒落て、中仙道をぞめかうとなり。
『本庄とは不思議な所を拾ひ出したものだね、えゝ伯父様[おぢさん]例の又薄汚ないのぢやアないかい。』
と古川端の家主、些[ちと]潔癖の顔をすれば、
『まつたくだよ、伯父様と来た日にやア綺麗汚いを言はないンだから酷い……』
と木場の多助さんもチヨイと迷惑さうな顔をする。
 と伯父様亦苦々しさうに多助さんを睨んで、
『オイ〳〵多助さん、其麼[そんな]言[こと]を云はれた義理かい、はゝアだ。』
と其罵るが如く嘆ずるが如き「はゝアだ。」といふ音調[ちやうし]に、如何にも若やいだ元気があつて、若手の多助さんを一気に圧[おし]つける、尤も実際其麼言を云はれた義理ではなかつたけれども、実際に於て多助さん、当時左様[さう]した遊びを興がらない、其れが近来急[には]かの変化で講中から不思議がられて居る一ツ、されば其多助さんと呼ぶのも近頃の綽名で、本名ではなかつた、放蕩ツ気が無くなつたのを口惜[くや]しがつて、草鞋を拾ふ塩原多助と誰[た]れいふとなく左様[さう]命[つ]けたが、当人も其気で通り名にして居るなどは、これ亦おあそび講の暢気さを想はせる。
 されば多助さん、ツイー二年前までは、何が行先に詮議をしよう、講中一番の毒断[どくだて]なしで、おあそび講の会触れを待つては居ず、思ひもつかない隠し売女の巣を見出すやら、あらゆる遊びに放気[はうけ]たもので而[そ]して時折手数のかゝつた惚気[のろけ]の種をこしらへて、講の会日の手柄話、「イヤ出来[でか]した〳〵。」などゝ富田屋の伯父貴に褒られたもの、いゝ道楽者の一人だが、さて今日[こんにち]は何ぞといふと「清遊に願ひたいね。」なんかんと変り果た、伯父貴の嘆ずるも亦無理からず。
『イヤ伯父様に左様云はれると一言もないが、多助と云ふ名まで貰つた今日[こんにち]、もう少し分別のあるおあそびに願ひたい、ねえ古川端の………。』
と顧れば、
『と云つて他に智慧もなし……寧[いつ]そ何[ど]うだい人数[にんず]も不連だから、遠出を見合はせて東京で淡白[あつさり]遊びといふ寸法は。』
と家主の考へ。
『イヨウ賛成ツ。』
 と多助さん大きな声で同意をしたが、伯父貴は何[ど]うも気に入らない。
『然しそいつはあんまり智慧がなさ過ぎるなア、え鼻糞先生、君は何うだい。』
『左様[さやう]さ。』
と先生はどつちでも宜[よ]ささうな顔。
 他[ほか]にをかしい土地でもあるなら知らず、東京で遊ぶくらいなら本庄へ行かう、遊びは知らない所に限るよ、それだけ新智識を得る道理で………。』
と伯父様聊かせツかちに云ひながら時計を見て、
『や、最早[もう]四時廻つた、四時廿分に中仙道行が出るのだぜ………えゝ本庄にするよ、いゝかい切符を買つて来るよ。』
 と伯父様頑固に独りで決めて、とツとゝ切符売場の方へ駈けてゆく。
『あツあれだ。』
『いゝ元気だ。』
 と其駈てゆく伯父様の、群を抜いた大柄の肥肉[ふとりしゝ]、後ろ姿を看[なが]めて、三人何となく感心した。が、中で多肋さんは独り密かに、自分の此頃変つたのを今更に感じると共に、彼[あ]の威勢よく駈てゆく伯父様の近頃めつきり白髪の殖えた事をフト想つた。
 暢気に遊ぶ月毎[つきごと]の会だが、久しい十年、其初の頃から想へば、当然[あたりまへ]だが、皆[みんな]年齢[とし]を十づゝ老[と]つて居る。
 不思議に思はれる程目立つて変つた多助さんにしてからが、斯様[かう]してこゝに出掛て来るだけ、変つたとても世帯の屈托と云つたやうなものはなく、何れ暢気の一群[ひとむれ]だが、自然から来る十年の変化!
 おあそび講の最初[はじめ]の時分[ころ]は、多助さんはまだ独身[ひとりみ]、古川端の家主は老眼鏡[めがね]を用ひず、富田屋の伯父貴の髭は黒く、鼻糞先生のいつも同じ様な黒い顔にも何となく艶があつた、而[そ]して寄合つて繰出す時は、何れも活気が満て居たものだ。
 大きな声で駅夫が発車を知らせてゆく。
 
     二
 兎に角に暢気に揃つて出掛るだけ、世に苛められて居る身の上はなく、誰れは代々から懐ろよく、彼れは月々物足る収入[みいり]、謂はゞ世間の中通り、汽車は二等とあるべき筈を、これを所謂、女郎買の糠味噌汁といふのか、揃つて妙に吝[しみ]ツたれた所があつて、見得もなく帽子の鉢巻から赤い切符を半分見せて、三等室の鮨詰、膝と膝との真ン中へ割込んで、四人[よつたり]一列に並んで立つたつきり、身動きも出来ず、乗詰つた人々の息がぶつかる様にムシ〳〵して、秋の部へこぼれて入る暑さかなと、こんな句が想はれる。
 いゝ年齢[ねんぱい]のが打揃つての遊山旅[ゆさんたび]、暢気さうなのが真面目の多い地方客の真ン中へ割込んだので、込合の視線がヂロ〳〵と寄る為め、流石に例の冗言[むだ]も云へず、顔見合はせて汗を滲まして居る。 
 だが伯父様は一晩元気だ。
『なアに其内に空[す]くよ、たとへ立つて居たつて、二時間やそこら…………。』
 何でもないと頑として居る、髭は白さを増したが其精力、体力、物に悩むといふ所がない、一番年長[としかさ]の伯父様はこれだが、一番年若の多助さんは、此込合にすつかり悩んで情けない顔、話も出来ない興の無さに、黙つて而[そ]して、並んで立つた人々の事や、此講中の其度々の回想を、纏まらずにいろ〳〵と思ひ出したり、考へたりして、而[そ]して亦自分の此頃の心持の変り様を、此落着かない込合の中で、泌々[しみ〴〵]と感じたりした。
 多助さんは今日[けふ]此[この]伴立[つれだ]つて居る人等[ひとたち]の中で一番懐ろさびしい人、全然[まるで]富田屋の伯父貴や、古川端の家主とは違つて居た、そりやツイ先頃まで、あらん限りの遊びもしたが、時の収入[みいり]を時に散らす、所謂宵越の銭を持たない威勢、時には無理してのトチ狂ひ、出来る限り思ひのまゝを振舞つたものだが、今思へば何が面白かつたのだらうと、真面目に片寄つて来た自分を人が不思議がる様に、自分は嘗ての自分が不思議でならない。
 秋の日短か、其日は曇りの暮れ急ぐ様、笹の根岸、ひぐらしと、窓外の低い景色へ黒い煙を鼠に曳いて、汽車は田端、王子と過ぎる。
 四人[にん]はまだ立つたきり、いろんな思ひに耽つて居る多助さんの顔を、擽[くす]ぐつたさうに視[み]た伯父様は、ニヤリと笑つて鼻糞先生に囁く。
『オイ〳〵見給へ塩原多助の顔をよ、濁游を苦々[にが〳〵]しがつて居る所が変だよ。』
『ちと鼻糞でも呑ませるかい。』
 と先生は亦難かしい顔つきなのだが、どこともなく巫山戯[ふざけ]て居る。
『どうだい多助さん立つて居て苦るしさうだが、先生の丸薬でも呑むかね。』
 と伯父様はまぜつかへす。
『官許道成寺丸といふやつかい、イヤ有難う頂いたも同然。』
 と多助さんも受答への口を切れば、至極洒落た調子なのだが、それが其よんどころなしといふ様にも聞こへる。
 伯父貴の元気、古川端の老眼鏡[めがね]さへ脱[はづ]して居れば若々しい顔つき、気にして見るから変つたと思へるものゝ、伯父貴や古川端のは生来が家豊[いへゆたか]で、浮世の苦労は見ては居るが、身にふりかゝつて屈托の世帯の悩みは知らず、潰さぬ程に加減をして来た道楽一代、其れと、ありとこ勝負で浮かれて来て、フト気の着いた多助さんでは考へずには居られまい。
 と云つておあそび講をぬけるまでの、そんな詰らぬ気にもなれず、何うあらうと十年続いた楽しい中、出て来て喋舌[しやべ]れば洒落も出る、されば出て来て此通りだが、以前の興はほつても出ない。
 尤も多助さんが斯様[かう]変るには、一ツ大きな原因があつた、此亦原因が云つて見ればあんまりな平凡でばか〳〵しくも感じられる、人も左様[さう]感じる、多助さん自身も左様[さう]感じる。
 何故なれば、女房を持つと同時に、斯様[かう]にバツタリと変つたからで。
 嘗て多助さんは他人[ひと]のを見て笑つたものだ、其頃曰く「へン嬶アを持つて堅くなる様な、そんな窮屈な世の中に居たくねえ。」なぞと道楽者なら言ひさうなこと、おあそび講ともあらう仲間なら、痰呵を切つた多助さんとみんな同感、「当然[あたりまへ]よ」と一同も亦云つたものだつた。
 ところが即ちバツタリ変つた。
 後に斯様[かう]塩原多助を通り名にする程、変化の土台が据つたが、変り初めの其当座は「何うしたンだい、確固[しつかり]しろよ、先祖の助六に済むまいが、そんなに女房は有難いものかい」など浴びせられたもの、が、其れが別に女房有難しといふ様な意味ではなく、たゞ何となく自分を縛る様に足掻きが悪く、遊ぶどころか、世間体といふものが頻りと気になり出し、あした、晦日、将来[すゑ]、子供と云つたものが、頭脳[あたま]のどこかをつツ突く様に、急[せ]き立る様に--宵越の銭を持たなかつたきのふの事を並べ立て叱る様に、亦其きのふの方が恋しからうといふ様に、いろ〳〵にオビヤカス、「あゝ、独身[ひとり]の方がよかつたなア。」と熟々[つく〴〵]想ふ事もある、が、其遊びたさに働きもし無理もしたきのふを変へて、銭[ぜに]の持越[もちこし]、あしたを済ませ、晦日を納め、将来[すゑ]を考へる方に廻して見ると、白然々々道楽の国に遠くなつて、浮いた興味より野暮な実味[じつみ]が身に沁[しみ]て来るので、左様[さう]変るに不思議はなかつた。
 とてももう伯父貴の様な気にはなれない。
 と、遊んでは来たが育立[そだち]が違つて、近頃世帯にかまけ出した多助さんは、羨ましい様に莫迦々々しい様に、人の元気を看[なが]める方[はう]になつて居る、嘗ては平常[ふだん]の遊びの惚気[のろけ]を脊負[しよ]つて、おあそび講へは皆[みんな]をあてに来たものだが、当時は平常[ふだん]働く骨休め僅かに一日の放楽日、十年月並に来た懐かしみで出て来るのだが、それも野辺に乱れる白粉花[おしろいばな]になどふざけるより、湯の湧く宿に昼寝する様な、静かな遊びを好もしがつた。
鼻糞先生は、伯父貴や古川端のより物豊[ものゆたか]ではないが、多助さんの様には考へ込まず、至極洒落で、遊ぶ事なら何でもよく、此講へ出て来ては、伯父貴に負けずに若い気を出して居る。
 鉄瓶の川口町で四五人降りて、恰度四人[よつたり]相対[あひむか]ひに掛けられる、立つたツきりのせつないのではお喋舌[しやべり]も途切々々で、駄洒落にものりも来なかつたが、席が出来て身動きがつくと、何れもお話の調子がはづむ。
 『此頃大門[だいもん]の阿兄[あにい]がちツとも出て来ないが、田舎行となると彼[あ]の阿兄[あにい]は是非欲しい役者だね……一体何うして居るのだらう。』
 と伯父貴が何か非常に惜しさうに云へば、
 『何うして居るなんてのは伯父様少し遅れたものだね、当時彼に対して田舎行には欲しい役者などは失礼になります、えゝ伯父様御存じなくばお教へ申さう、それへ出い、デイデーイと云ひたいくらゐのものさ。』
 と鼻糞先生、殊の外の落語通にて、その『御存じなくば……。』は小さんの物真似、例の猫久といふやつなり。
『ウム左様々々大分旺[さか]んだツて噂は聞いたが、ほツ真個[ほんたう]なのかい。』
 と古川端の家主は、其訥[ども]る調子で事実を訊き度[た]さうに膝を寄せる、事の由を薄々知つて居る多助さんは、自分の昨今と神明[しんめい]の阿兄[あにい]の昨今を想ひ比べて、亦何か考へに入つた顔、鼻糞先生は人の事だが面白さうに、
『迚もおあそび講などへ出て来られるものぢやアない、当世だゞら大尽と人に知られて闇の夜も、吉原ばかり月夜かなと来てね。』
『ふむ感心だ。』
 と伯父貴は元気に嬉しがる。
『何しろ大門の家[うち]へなどは全然[まるで]帰へらず、廓[さと]を住居[すまゐ]にしての勤め通ひ、奥方がお安もどきで花魁に会に行つたなんてお芝居などもあつてね、イヤモウあつぱれな活動振りさ、第一其凝[こり]始める序幕といふのが面白いのだて。』
『うむ〳〵。』
『すがゝきで幕が明く、云ふ迄もない大籬[おほまがき]の事さ、お職花魁を買つた其初会に憎からず思はれたといふわけで、泌々[しみ〴〵]花魁の打明話[うちあけばなし]か何かあつたンだね、何でも其時二枚目の花魁に全盛な客があつて、其れが為に其お職花魁が二枚目へ下[さが]りさうになつて居るといふ、松の太夫の位ゐ争ひ、美しい裲襠[しかけ]の喧嘩腰といふ場合だツたので、さア堪らない、大門[だいもん]の阿兄[あにい]と云はれる位ゐの江戸ツ子の通人だ、よウし俺が引受た。褌を質に置いてもおめえを二枚目には落さねえ親船[おやふね]とまではゆくめえが、まアモーターボートへ乗つた位[ぐら]への気でおゐで……と来た。』
『ふーむ鳥渡[ちよつと]やつたね。』
 と古川端のが感服すれば、
『イヤ近来の大出来だ、それからどうしたね。』
 と伯父貴の嬉しがる事
『それからモウ雨の降る夜[よ]も風の夜[よ]もサ、彼奴[やつ]幾干[いくら]かあつた貯金をブチまける、亦無理な借金もして居るだらうが、何しろ左様[さう]いふ次第でだゞら大尽、まだ〳〵火の手が強いさうだから、おあそび講の田舎遊びにはぞは出て来まい。』
『なアる程。』
 と聴き終つて伯父様曰く、
『どうだい多助さん、羨ましくはないかい、同じ講中の一人[にん]でも、大した相違だね。』
 
     三
 おあそび講の人々は、総じて程を知つた道楽者だが、其中で、嘗ては多助さんが稍[やゝ]線を脱[ぬ]けて揮[hじゅる]つて居て、此神明[しんめい]の阿兄[あにい]といふのが甚[はなは]だ無事な方だつた、それが近頃ドンデン返しに、阿兄[あにい]の発展鼻糞先生の語る所となり、多助さんの神妙さ、伯父様にまぜつかへされて居る所となる、道楽株の相場の変動、同じ人間一代でも互ひ違ひに、固まるが是[ぜ]か、固まらざるが非か、恰度[ちやうど]阿兄[あにい]と多助さんとは同じ様な年齢[としごろ]だけに、対[つい]して想ひが一層深い。
 駅の窓下[まどした]に、鶏頭、鳳仙花が、田舎さびしく、美しい風情をして、車窓[まど]から首を出す暢気連にも旅心、土臭いお茶、名物の五家宝[かばう]、廓話が終ると程なく熊谷、深谷、本庄へ着つと、最早[もう]秋の日は暮れて居た。
『何の了簡でこんな所へやつて来るのだか、埼玉県本庄のブラ〳〵歩きなンざア、実に、ふツ不思議だね。』
 と古川端の家主は、此不思議な遊び方に、いつもながらの興をおぼへて、停車場[すていしよん]前の広場に立止り
『何しろ先づ何処かで何か喰つて、其れから御約束の方面へ発展しようぜ。』
『何か喰ふツたツて宿[しゆく]の本通[ほんどほ]りへ出なきやア駄目だらう。』
『一体本通りつてのは何方[どつち]なんだね。』
『介[かま]はず真直ぐに行つたらいゝだろ。』
『たゞ真直ぐは乱暴だよ、暗さは暗し、提灯はなしさ。』
『あの弥次さんはなぜ遅いか。』
『よう〳〵。』
 と鼻糞先生。
『へヽへんな声を出すぜ。』
 と古川端の家主、其亦変な声を出したのが、堅くなつて考へてばかり居る多助さんだから妙、何の彼のといふものゝ、遊び馴れの気が揃つて、世間離れの野痴言[のだわこと]、本庄駅を本通りへと練つてゆく。 多助さんは、はづみで洒落たり喧[さは]いだりするが、多くは黙つて考へるのが此頃の癖か、神明の阿兄[あにい]の吉原の遊び振りを想つて、羨やましいより、莫迦々々しく、物豊[ものゆたか]の伯父貴や古川端の様な身ではなし無理な工面もするだらうに、今更花魁買でもあるまい、お職が二枚目に下[さが]らうと、何[ど]うしようと、好[い]い気な男を見せたものだな……イヤ左様[さう]でない、左様[さう]した真似の出来なくなつた此方[こつち]が元気がぬけたのか、ひよツと亦神明の阿兄[あにい]の其れは真剣の恋とでもいふのか、其れならそれで遅撒きに咲いた人間一代の花時[はなどき]、莫迦々々しがるのはよく〳〵、俺が野暮になつたのかも知れない………。
『オイ〳〵又ぼんやり考へて居るよ、多助さん考へて居る場合かいそれ〳〵そこを覗き玉へ。』
 と鼻糞先生が背後[うしろ]から体を押へて、多助さんを左りへ向ける。
 中仙道の本通り、流石街道名代の宿[しゆく]、道巾広く繁昌の家並、其軒続きに囲ひの目隠しゝて入口[いりくち]に紺暖簾、多助さんをねぢ向けながら四人[にん]一緒にドヤ〳〵と囲ひの横から覗き込めば、店格子[みせかうし]宜[よろ]しく内にはものものしく、金蒔絵の莨盆がズラリと並び、紅い座布団が一枚ヅヽ、正面の襖障子は塗縁[ぬりぶち]の燻[くす]ぶつたやつで、未[ま]だ暮て間[ま]がなく、莨盆の主は見えぬが、遺憾なく調つた宿場女郎屋の店構。
『どうだい〳〵、これで油屋のお鹿の様なのが並ばうといふのだね。』
と古川端が面白がれば、
『何しろ斯様[かう]街道筋にあらうとは思はなかつた、何[いづ]れ例の新地といふやつで廓[くるわ]になつて居ることゝ思つて居たが、昔時[むかし]の感じがして有難い、斯様[かう]いふ所に凄い掘出し物があるものだよ、吉原に居たのが板橋へ落て、其れから流れて本庄宿と来ます、二の腕に剳青[ほりもの]か何かある年増でね。』
と伯父貴は興に乗つて覗きながら頻[しき]りと喋舌[しやべ]る。
『其れで登[あが]れば、部屋がジメ〳〵して、厭[いや]に臭くつて。』
 と多助さんは不景気な言ひ草。
『直ぐあれだ、結局君は諸国商人宿[あきんどやど]といふのへ泊る方だね。』
と伯父貴は口惜[くや]しさうに云つて、
『何[ど]うだい彼[あ]の莨盆の立派な事……然し中々代物[しろもの]は現はれないね。』
『莨盆ばかり看[なが]めて立つて居たつて仕様がない、斯様[かう]いふ家[うち]がまだ何軒もあるのだらう、何しろ何処かで腹でもこしらへてから押廻さうぜ。』
 と囲ひへ入れた四人[よつたり]の首を外[おもて]へ、又ぞろ〳〵と喋舌[しやべ]つて歩く、宵闇ながら宿[しゆく]の真ン中、店商人[みせあきんど]、繭屋の板敷、両側の軒並の人々は土地違ひの人の姿とよい年齢[としごろ]の暢気さを、何だらうと云つた様に皆ヂロヂロと見送る。
 何と見ようと笑はうと、知らない土地の一夜流し平気なもの、往来に佇[た]つてキヨトンと此方[こつち]を見て居る婆さんの側へツカ〳〵と行つた古川端の家主。
『鳥渡[ちよつと]訊くがねえ婆さん。』
婆さんビクツとした様に、
『ヒイ。』
 と云つて顔を見る。
『こゝらで一番好[い]い喰ひ物屋といふのはどツ何処[どこ]ですね。』
『左様[さう]さね、料理店だらば、そこな横丁へ入えると喜楽ツてのがありますだが、牛肉だら、それその南側の甘楽亭といふが一番えらいでさア。それからモウ少し上[かみ]の方へ行きますとな、ねぎしといふ立派なのがありますぜ、それから……。』
 と、もう大概分つたが、御親切に諄[くど]いことで。
『イヤ有難う。』
と切らうとしても、
『それでな何で御座います、喜楽といふ方は広間もあります、だがはア旦那方には、左様[さう]さね、ねぎしといふ方が堅[かた]え家[うち]だから宜[よ]うがせうか、それともハア………。』
 と気が長い、古川端の家主は訥[ども]つて早口だけに癇癪持で、教はりながらヂリ〳〵して。
『わ、分つた、有難う。』
 と逃出して来て汗を拭き、
『とんだ悪女の深情けだ、うツうつかり物も訊[き]かれない。』
 とホツと息。
『然しよく分つたよ、何でもこれから少し先のねぎしとかいふのが一番好[よ]ささうだよ、喰物だけはいかがはしくない物にしたいからね。』
『其事さ、いつかの八木[ぎ]の里の様に鮫のゆでたのを味噌で喰はせるなんざア恐れるからな……然し彼[あ]の時も面白かつたね、何れも大優遇[おほもて]で帰りは出口の田圃まで姫達の見送りと来たツけね。』
 と其れは過ぐる年の春、太田の呑龍[どんいる]から少し戻つた八木の廓[くるわ]、をかしく情趣のあつた遊びを伯父貴は想出して、其時の興を繰返し、亦今夜、今覗いて来た本庄の宿[やど]のこれからも想はれて、楽天長者の喜ぶ事頻り。
 わや〳〵と来るり側、根起志[ねぎし]と記した点燈[てんとう]を出した広い間口を土間の踏込み、半分を板場に取つて帳場の前から下手を奥へ下駄のまゝで通ると立派な高欄付の中二階。
『芝居の殺しに宜[よ]さゝうな道具だね。』
 などろくな言[こと]は云はない、たゞの一歩にもお喋舌[しやべり]は尽きず、通されたのが、其中二階の突当り、高欄を折廻して奥庭を見込み、鳥渡[ちよつと]立樹[たちき]をあしらツて離れの小座敷、そこでトテンと調子を合はせる三味線の音が聞こへる、道具立万端頗るオツにて、何れも曰く
『こりやアいゝ。』
 と納まつて、
『オイ姐さん、此土地に芸妓[げいしや]は何人居るンだい。』
と多助さん亦、考への間から道楽の名残を出してこんな事を訊く。
『オイ〳〵其人に芸妓[げいしや]の事なんぞ教へる必要はないよ、薪[まき]の出る山でも教へてやつてくれ。』
 と伯父貴が例のまぜツかへし。
『オホヽ貴方苛められるンですのね。』
『つまり、一番色男だからさ。』
 と多助さんフザケた調子でいふものゝ、其れが何[ど]でもいゝと云つた風。
 楼婢[ぢよちう]も意外にアクがぬけて、浅草辺の牛店[ぎうや]のよりは物が好[い]い。
『芸妓[げいしや]は九人しか居りませんの、芸妓[げいしや]は熊谷の方がそりや宜[よ]う御座います、待合はありますし、貴方[あなた]百人も居りますわこゝのはろくなのはありやしません、ダメですよ貴方[あなた]。』
『だが離れの方に居るのはチヤアンと三味線を弾いてる様ぢやないか。』
 と家主は皮肉な言ひ方。
『そりや貴方、少しは弾きますわ。』
『ぢや一ツ二人[ふたり]ばかり招[よ]んで見ようか。何うです、伯父貴[おぢさん]。』
 と云へば、伯父様[おぢさん]はそこが度を知つた道楽者で。
『廃[よ]さうぜ、芸妓[げいしや]なんぞは無益[むだ]でせう、其れよりやア、先刻[さつき]の楼[うち]さ、時に姐さん女郎屋は何[なに]かい、何といふ楼[うち]が一番好[い]いのだね。』
と一切露骨[むきだし]。
『寿楼[ことぶきろう]、梅林[ばいりん]といふのが好[い]い方なのです。』
『何うだい随分美[い]いのが居るかね。』
『さア、どんなものでせうか……何しろ女郎屋は貴方がたのいらツしやる様な楼[うち]はありませんわ。』
 と、うやまふ様で見損ねた言草[いひぐさ]、鼻糞先生、瓢軽に曰く。
『我々の如何なる人間であるかゞ解らんのだな。』
 
     四
 身代に障りなし経済的の道楽、遊びの長持其れある哉の伯父貴の老練、腹が出来たら暫時[しばらく]は街[まち]の散歩、寄席か芝居を安く覗いて夜更を待つて暖簾口の懸合[かけあひ]さうして安く優遇[もて]ようといふ案じ、結局苦情のありようはなく、一同根起志[ねぎし]でホンノリと染めて、空腹[つきつぱら]を調へ、楼婢[をんな]に芝居を聞き合はせれば、宿[しゆく]の中程を南北の小路[こうぢ]に一軒づゝ、北のが 分[くさわけ]の小屋の本庄座と云ひ、南のは土地の有志が株式で新築、の常磐座とあり、どちらも旧芝居で開場中といふに、こいつ観物[みもの]と一同大喜び、帝劇歌舞伎の名優揃ひより、田舎廻りの珍味を喜ぶ所、是亦、飛んだ宿廻[しゆくまは]りのお色気で一夜[や]を茶化すのと同じ心持。
 先づ教[をそ]はつた北側の小路[こぢ]へ入つて見れば、こゝにも囲ひの目隠し、暖簾口。
『オイあるよあるよ。』
『大通りよりは小さい店付きだが、何しろ街[まち]の所々に在るのは、廓にしない内に追々取潰すといふ寸法なのだらう。』
『だから今の内遊んで置く事だ、代々の記録に残らうといふもので』
『アハヽ、何の彼のと……時に芝居はどこなのだい。』
 小路[こぢ]を真直ぐ二丁ばかり突当りに電気の燈[あかり]が賑やかな様で淋しく点々と見える。
『彼処[あすこ]らしいぜ。』
 と来て見れば電燈[あかり]は招[まね]ぎの化粧看板、狂言名題は浪花侠客、魁梅次切狂言として安達原三段目とあり、大阪歌舞伎音羽屋一行とむづかしい字で記[し]るしてある、小屋は其看板から左りへ入つて左り手のぞんざいな建物。
『いやアーツ。』
 と一声、褒て居るらしい客の声が高く漏れたが、小屋から彼方[むかう]は田甫[たんぼ]でもあるよう、いやに四辺[あたり]が寂[しいん]とさびしく、持廻つて居る汚れた幟が、夜るの湿りにグツタリとして一二本、あやしげな絵看板が心細い電気に目玉をむき、入口の札場に凄い顔をした人柄の悪い男が二三人胡坐をかいて。
『入[いら]つしやいツ。』
 と野太い声。悉[こと〴〵]く現代[いまのよ]に遠い。
 場内[なか]へ入れば外のさびしい割に詰つて景気よく、舞台は今、魁梅次の幾幕目か、梅次を隠まつた吉兵衛とかいふ侠客の住居[すまい]、三尺の戸棚仏壇と小汚なくとも御約束の書割、正面出入りの暖簾口、世話木戸も一通りだが、長火鉢が板箱の間に合はせで、然も其れが釈台でも置いた様に、後を客の方へ向けた所、鳥渡[ちよつと]何だか受取れず、長火鉢とは後[のち]にぞ知る。
 そこで、此場のいきさつは、旧主の若殿を仔細あつて、隠まつた侠客の吉兵衛といふのが、其れが為めの詮議を受けるやら数々の難場となり、女房を離縁して、ドヾ迎ひを受けた何某といふ敵の邸[やしき]へ出掛るのを、身代りに行かうといふ乾分[こぶん]を叱つて別れの愁嘆。
 何とも彼とも云ひ様のない役者の大車輪[おほしやりん]、矢鱈無性に眼を寄せる、腕を突張る、脚を逆に曲げて見得を切る。
 いろ〳〵あつて、魁梅次といふのが、印袢纏で胸高に三尺を締めた変な恰好、親分の後を追つて行くといふ其幕切れの珍妙不可思議。
 法華太鼓の音を聴かせて、
『辰の口より我が身の難儀、こりやかうしては居れぬわい。』
 と一刀ブチ込み、愈々以て眼を寄せ脚を曲げ、其花道へ駈込むまでおあそび講の同行四人嬉しがるまい事か。
『ウムーン彼の脚つきが珍らしい。』
『よく彼様[あゝ]逆に曲がつたものだね。』
『まつたくエライよ、こツ斯様[かう]いふ工合にやるのだが。』
 と鼻糞先生は這麼[こんな]真似が大好き、後方[うしろ]の空[す]いた所に立つて居るので面白づくに自分の脚を曲げで見たが。
『あツ痛ツ。』
 と忽ち筋がつれて其痛いこと、前の方の観客が振返つてクス〳〵。
『オイ出ようぜ〳〵。』
 と伯父様、いくら見得なしでも、鼻糞先生の脚の逆曲げ、あまりの暢気さ、前の観客のクス〳〵に面喰つて、困り笑ひでこそ〳〵出る、続いて後から鼻糞先生はビツコひき〳〵、
『あゝ痛い〳〵。』
 外[おもて]へ出ると多助さんは亦、気紛れにハシヤイで、只今の梅次の声色。
『辰の口より我が身の難儀……。』
 と妙な声を出す。
『莫迦だなア。』
 と古川端の家主は、我が友ながら莫迦々々しさに感心する。
『塩原多助と弥次喜太のテレコで、其れで時々利いた風な言[こと]を云ふのだから扱ひ憎い、彼[あ]れで女の子の傍へ行くと、あの声色か何か聴かせてモテ様[やう]といふのだらう。』
 と伯父機は何ぞといふと多助さんを言葉敵[ことばかたき]にして面白がれば、
『ヘツあんな言を云ふ伯父様の、吝[けち]と遊ぶのとがテレコになつて居るのもあゝ困つたもンです。』
『黙れ〳〵。』
 と仲好しの言葉争ひ、よくもワイ〳〵喧ぎながら元来た小路[こじ]を本通りへ出て。
『まだ〳〵情夫[まぶ]の行く時刻にならない、もう一軒常盤座といふのを覗かうぜ。』
 と南の小路[こぢ]へぬければ、こゝには吹矢玉ころばしの店、小料理店、どこかで何か騒ぎ唄、亦例の娼家の稍小綺麗な紺暖簾を見かける。
『此所にもあるな、此横丁は此土地での粋な所に相違ないよ、何となく浮いた気分がして来る。』
 と伯父様弥[いや]が上に元気が増して、
『芝居帰りのそこらの暖簾、宜しく本庄の通にならうぜ。』
『変なのを買つてね。』
 と多助さん亦憎まれたり。
 浮気な小路[こじ]を出抜けると、新しい建築の此土地柄には立派な小屋、これが株式の常盤座といふ、今見て来たのとは今昔の差で、入つて見れば役者も左程に手酷[てひど]からず、衣裳大道具万端亦見悪[みにく]からず、狂言は今明いて居る所、三日太平記の嘉平次住家で、嘉平次の役者綿入の梅玉と云つた型、藤吉の役者はどこか八百蔵の面影態度、幟に記した市川八之肋とは其れか、八百蔵の遠い弟子とでもいふのだらう、台詞は尻が伸びてドサのネバリだが、演る所珍でない大真面目。
『斯様纏つて居ちやアをかしくねへ。』
 と古川端の家主、実はそろ〳〵へ眠むくもなつて、トロンとしながら詰らながれば。
『では愈々本芸に取かゝるかね。』
『最早[もう]宜からう、都の客人[まらうど]女の子が待つてませう。』
 と、これより本庄宿の夜更を廻る、在の阿兄[あにい]の浪花節と、袖裾合ふのも他生の縁、つまらぬ女も縁の端、旅の恥をかきの種、洒落の尻はまつかいな偽はりでない、実際斯様した連中[れんぢう]から、五家宝と共に作者への土産話、もう一条[ひとくだり]は御用捨。
 
     五
 暖簾口であたじけない懸合、兼て之に巧妙を極めた居たのが、彼[かの]噂に出た大門[だいもん]の阿兄[あにい]で、田舎遊びの好[い]い役者になつて居たのだが、彼は若返つて当時吉原に引取られ、乍憚[はゞかりながら]それ所ではなく、けふ来た一行の四人[よつたり]共、無益[むだ]は喋舌[しやべ]るが左様[さう]した懸合の無器用さ、然し遣[つか]ふまいといふ一念が力強く、何[ど]うにか安く相談を纏め、暖簾を潜つて正面の階段[はしご]、おひきつけと運び、
『えゝお見立は。』
 と番頭さんズツと四人[よつたり]の顔を見て、
『えへゝ。』
 と笑つたもの。
『遠慮のないのが揃つて居るから、見立[みたて]つこだと喧嘩になる、一つ籤と願はうか。』
 と何れにしてもヨカ〳〵飴屋のする様な白縮緬のしごきを巾のありたけ、胸元まで広げて締て、野暮つたい棒縞の銘仙をいかり肩に着た何れもガツシリとした肉付のいゝ代物、これが裾を曳いて、それぞれ国違ひの声を出す。
 イとエの違ふの、ズウ〳〵いふの、言葉尻の上るの、巻舌に訛るの而[そ]して顔付を分けて見れば、歯茎の出るの、鼻のペシヤンコなの、顔の四角なの、外道の様なの、と斯様[かう]列[なら]ぶ。
 遊びなればこそ、これが一層面白く、珍なるかなと、其れ〴〵籤を頂いて敵娼[あひかた]を定め対[つい]に坐わらせて納まる所が気丈夫だつた。
 ところへ、
『へいお誂へ。』
 と径三尺もあらふといふ大皿へ、チョボ〳〵と塩さばの焼いたのを四切れ、お調子が四本ついて、芝居の道具方の様な風体のがかつぎ込む。
『金ちやんや、エツ本を貰つておいでユウ。』
 と鼻糞先生のお敵娼[あひかた]、もう良人[うちのひと]扱ひで、先生の巻莨入から三本と掴み出し、一本点[つ]けて其[その]道具方の様な金ちやんに、次ぎの一本を先生へ、残る一本を自分が喫んで、ペシヤンコな鼻の穴からフーツと煙[けむ]を吹き。
『あんたや、何か他の物を取つてお呉んなせえユウ』
 と来た。
『いらないユウだ。』
 と鼻糞先生口真似をして軽く断つた所、器用なもの。
『あれまツ、憎らしいぞ此の人はユウ。』
 と抓られて、
『痛いユウだ。』
 とやり返す、是より一同其れ〴〵のヘラズ口、田舎女郎を煙[けむ]に巻いて、呆きれさせ、実は、ふられる、もてるが問題でない遊びのばらがき色気のある様で色気のないこと、扱ひいゝ様な扱ひ憎ひのが揃つたもの。
 女郎共廊下へ寄合つて曰く、
『何だろかね今夜のお客は、手に貧[お]へねえユウ。』
 左様[さう]して更けて、恐しくもなく其夜[そのや]、ばつたと共の草枕とは是れ!
 其きぬ〴〵の心持。
『珍だね。』
『妙だね。』
 といふばかり、戯談[じやうだん]半分出まかせに、謂はゞ化物退治の手柄の程と云つた様に、惚気[のろけ]くらべをやつたりするが、それも去年[こぞ]より今年は変つて、おあそび講[かう]十年、年々[とし〴〵]に、どこかに年齢[とし]の争はれないものがあるなと、例の考へ出した多助さんは帰りの汽車中で、沁々[しみ〴〵]想つた。

※ 田中煙亭と鼻糞先生
「亦鼻糞先生とは隠し芸に鼻糞を伸ばす真似をして道成寺は鞠唄の一曲を演るといふ、」=「煙亭さんは襷がけの姿で立ち上つて、『鼻毛の一曲』と云ふのをよくやつた、鼻の穴から一本の長い鼻毛を引き出し、それを立てものにしていろ〳〵の芸をやるので、」(故田中煙亭を偲ぶ
「鼻糞先生は四十より五十迄の間に相違ないが、生来色が真黒なので顔付の推移が分らず、」=「自分がこの黒い顔をその東桟敷に現はした時は、・・・」(007-4a)なお、田中煙亭は1917年に47歳くらい。
「鼻糞先生、殊の外の落語通にて、」 田中煙亭には落語家についての記事も多い
「鼻糞先生は、伯父貴や古川端のより物豊[ものゆたか]ではないが、多助さんの様には考へ込まず、至極洒落で、遊ぶ事なら何でもよく、此講へ出て来ては、伯父貴に負けずに若い気を出して居る。」
 
 「木場の多助さん」のモデルが森暁紅か。「木場の多助さんと云つて、こゝに集つた四人の中で一番若手、若手と云つても、伯父貴の半白五十を出たのと口合[くちあひ]の対手[あひて]、三十代を四十の方へ近くなつて居る、」「そりやツイ先頃まで、あらん限りの遊びもしたが、時の収入[みいり]を時に散らす、所謂宵越の銭を持たない威勢、時には無理してのトチ狂ひ、出来る限り思ひのまゝを振舞つたものだが、今思へば何が面白かつたのだらうと、真面目に片寄つて来た自分を人が不思議がる様に、自分は嘗ての自分が不思議でならない。」「何故なれば、女房を持つと同時に、斯様[かう]にバツタリと変つたからで。」=「私は晩婚のはうでしてね三十六で今の嬶を貰つたんです。/それで以前は御承知のやうに勝手気まゝにまあ花柳界を飽きる程遊び廻つたわけなんです。するとお定まりの借金ですな。/その嬶つてえのも貴方、私が質を入れにいつてゐた質屋の娘なんですから」(読売新聞1929.10.9)「この頃、深川で質屋を営む宇田川市太郎の娘と結婚。」(神保喜俊彦『演芸評論家・森暁紅はかく語りき 明治篇』p200)
 
 なお、けむり生に「同行四人 一泊会」(『文芸倶楽部』25(11)がある。もうさん、今戸の先生、小石川の御大、けむり生の伊香保旅行記

本庄町
根起志 広告・写真
常盤座 写真