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【 金王丸 ラジオ浄曲漫評 昭和16年9月 】
(2023.03.01)
提供者:ね太郎
太棹 130号 18ページ
ラジオ浄曲漫評
文楽中継〔九月八日〕
双蝶々曲輪日記=引窓の段
豊竹古靱太夫
絃 鶴沢清六
先月、放送で「堀川」を聴いたばかり、又た、この引窓は、同じく近く、新橋の日延べ六の替りに感服させられたばかりのもの、今夜は、唯だ、器械を通しての古靱ツあんの引窓はどうかナとおもふばかりで、愉しめる訳だわい、とゆつくリスヰツチを入れたものである。先づ例の文楽獨特の口上触れがある、それが、放送を意識してか、特別に声張り上げて、シカモ大層入念なるトザイトーザイーであつたのも嬉しくほゝゑませられた。『人の出世は時知れず』から、声の調子も中々によろしい。『母上、女房ども』でガラリかはつて『唯今帰つた』の侍言葉『両腰させば十字兵衛……』の時代、世話の遣ひ分け、誰れがやつてもさう語るのではあるが、そのイキと鮮明さが違うのである。すつと聴き込んで行つてやつぱり、渾然珠玉の如き妙技に魅せられる。由来賞讃の語彙に貧困な我等は、何といつてよいかを知らぬほど、圧倒されたのであつた。圧倒された事と、雑用其他に妨げられ、聴いた日から約十日ほど軽つて今、原稿紙に向ひ、さて何と書いたら好いか、劇場とちがひ、雑音や、人形や、無神経の見物人などに邪魔をされないだけでも、浄瑠璃としては、直接充分に聴き得た訳であつて、今瞑目して当夜を回想すると、我等の耳には母親、濡髪、十次兵衛、お早の順位に推賞されるのであゐ『かたじけなや、と』の高い所もよく出たし、お早が、母親に気乗ねの、夫への佗言なども、真情溢るゝばかり、例の河内への抜け道を知らするお約束のキヽゼリフで『あゝ、よもやそれへはゆくまい』と軽くかはる巧さ、駆け出す濡髪を抑へて、婆の『罰当りめ』の強意見、何と巧いことぞや、である。『生きられるだけ生きてくれ』や『昼夜と分けるまゝ子ほんの子』あたりの音使ひの妙、母親の『長五郎召捕ツたぞ』のイキ、数へ立てゝ切りはない。終りに、少しの邪魔にもならぬどころか、段切れ近くに及んでの、清六の撥さばき、益すその研鑽の功を加へ来つて、此のコンビこそ、今日では無くてならぬまでになつたを称たへる。
東京女義 〔九月十八日〕
一谷嫩軍記 =熊谷陣屋の段
竹本津太龍
絃 鶴沢清一
又も女義には大それた陣屋である。聴くまいとまで思つたが、家人が聴くので拠なく耳へはいる。やツぱりおもしろくない、聴いて幾日かの、今、更らに印象に残らない。津太龍といふ人は、一向我等に馴染が無く、恐らく誰れかの改名なのであらう事は、三味線に清一老嬢が当つてゐる事でも察せられるのである。時間の都合で、『軍治はをらぬか……』までゆかず、藤の方のくどきで了つた事などは覚えてゐるが、怪しげな批評は此の次に聴くまで遠慮する事に致さうとおもふ失礼。
東京京女義 〔九月廿三日〕
卅三間堂棟由来=木やりの段
弾語り 竹本素女
「何やらの夕」といふやうなバラエテーの中に挟まれて、女義の大御所素女さんが、柳の奥を十五分間、ほんのちよつぴりお突合ひをしてゐたのであつた。木やりだけでは、それでも時間が足らぬ処からか、前の『随分親子長生きして、末の栄えを……』あたりから、老母のクドキを少し聴かせて、お約束の『早やしのゝめの街道筋』へ飛んだのである。評無し!
文楽中堅
伊賀越道中双六=沼津の段
文字太夫改め
竹本住太夫
絃 野沢喜代之助
胡弓野沢勝之助
文楽も名人が殖える〳〵。文字太夫君は先月住太夫を襲名した。今月は又、叶太夫が春太夫になり、角太夫が重太夫になつた。全く以てえらいこツちや。今夜は、我が住太夫師の初放送であり、その語り物は『沼津』とある。さて出来栄はどうだつたか、少しく名前負け、だしもの負けは仕なかつたか『お米は』からで、少し堅くなりは仕なかつたか、どうやら御連中にお稽古でもしてゐるやうに、こまかい節を一々克明に割つて刻んで、先づ総体に味の無いものゝやうに聴きなされた。それに、時々、唐突な、大きな声を出して脅かされた、例へば、お約束の『櫛笄も』などもそれであつた。又た、こなれぬ節も時折あつた。最初の方で、例の平作の『お米、お米、お米』や『真ツ暗がアリ……』は、あまりに技巧が無さ過ぎた、それから、お米の盗みをした、といふに、驚き方が皆無で、直ぐに大泣きに泣いてしまうのも、どうかとおもふ。重兵衛は年配が老け過ぎて困つた位、尤も奥の松原で、最後の『おやぢ様、平三郎でござります〳〵』あたりは、別人の如く若い声になつて大に聴き直したものである。お米のさはりは、当て気味更らに無く、むしろ結構で『一日暮らしに日をおくる』など大に可かつた。総てサラ〳〵と語り捨てるやうなのには却つて好感が持てる。平作の『子のかはいゝといふ』など真実味が出て最も上乗。『不思議にはじめて会うた人』を殆んど詞でやり『親子一生の会ひはじめ会ひ納め』も先づ及第点であらう。若手三絃、有望者の一人である喜代之助君の上達も認められる、勝之助の胡弓は御苦労。
東京古老〔十月五日〕
八陣守護城=政清本城の段
竹本都太夫
絃 鶴沢辰六
目下築地に興行中の、南北座人形浄瑠璃とのカケ持放送は豪い事である。八陣とは近頃好い見つけもの『二重に建てし思惟の間』先づ充分に重みを持つて、絃と共に失礼ながら存外に期待させられる。主計之助が凛とした若々しさも出来、予て松虫雛衣は、都師天禀の美麗に品位を有たせ『不孝のとがにもよも成るまい』や『聞えませぬと娘気に』などヤンヤ〳〵である。あらはれ出でたる数多の鼠のくだり、無法に大騒ぎせず、むしろジツと締めて語られた寸法もさすがである。正清の高笑ひは、師には難物を、どうにかやつてのけ、『おのれ生年十七歳』から『女に迷ふ大馬鹿者』あたり、立派には出来たやうだが、器械の工合か、その中に病苦の呼吸、音づかひの微妙な工夫が聴き取れなかつたのは残念であつた。『離れがたなき女気はあはれにも…』でチヨン。