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【 金王丸 ラジオ浄曲漫評 昭和16年6月 】

(2023.01.19)
提供者:ね太郎
 太棹 127号 19ページ
 
ラジオ浄曲漫評 金王丸
 
大阪女義〔六月八日〕
さわり 二題 =加々見山と柳
     竹本雛駒
   絃 豊沢住繁
 又たBKのお得意「さわり二題」かと、新聞をよく見ると、これは昼間の海外放送を、内地のわれ〳〵へお裾分けといふ品物、聴いてもよし、聴かぬでもよし、とは申すものゝ、役目なれば、と折柄の閑ふさげにスウヰツチを入れる。雛駒さんといふのは、我等どうやら初耳らしく、記憶が無い。「第一」は長局の中ほど、影見ゆるまで見送りて……から尾上のくどきを聴かせ、続いて、お初の例のからす啼きから書置きの事、一字も読まず一散に、御門の内へと……までゞ了るのであつた。女義としては平々凡々、最近東京の伊達子改め土佐広の「長局」熱演を聴いた我等を感心させる訳にはゆかず『身も浮くばかりせき上げて、前後不覚に歎きしが』など、チツトも前後不覚になつて居なかつた、アハヽである。次は『柳』の早やしのゝめの街道筋……からキヤリを二つ神妙にうたつて段切りまで、住繁さんが、それでも骨を折つて弾いてゐた。
 
大阪女義 〔六月十四日〕
日蓮上人御法海=勘作住家の段
    竹本雛昇
  絃 豊沢小住
 上方の女義の中でも、中堅か若手か、相当の語り手らしく、放送でもかなりお馴染の多い方である。好い声柄で殊に音づかひに工夫もあり、この勘作など、まづ恰好のだし物であらう。最近では、カケ合の堀川で、たしか、伝兵衛を持つてゐたと覚える『お伝はあとを打見やり……』からの、すぐ勘作の出である。亡霊になつてゐる勘作の詞は、無論難物であるが、ある程度まで落付いてそれらしくうなづける出来であつた。母親が出て、付き歎くので、お伝の『わつさりと打ちうるほうて悦んだがよござんす……』のあたり、少しく異論もあるが、まア〳〵としておいて、老母の自害は大切りの処を懸命にやつて退けた。勘作の死を知らせに来る庄屋は、ひどく三枚目にならず実体に語られたのもよろしい。愈々本段のクライマックス『扨も〳〵世の中』のとお伝のクドキ『鵜の咽締めたる報ひなら……』も相当に『波立ち騒ぐ』で終つたのだが、時間の都合とはいへ、此れでは、この浄瑠璃の筋も理窟も一切判らず唯だ『親子婦夫四人の内今日一日に三人』が非業の最後を遂げるといふ悲惨の出来事だけを聴かした事になる。後の日蓮出場、経市救助の結果を何とかしたいものではないか。小住さんの絃、例によつて太夫を威圧するやうに聴こえて確かなものと申すべしか。
 
 文楽新星〔六月十八日〕
 摂州合邦辻=合邦作家の段
    竹本叶太夫
  絃 鶴沢寛治郎
文楽の巨星相踵いでの他界によつて、久しく第一線を退いてゐた叶太夫氏の復活第一声である。六月の文楽座本興行に角太夫氏と一日代りのだし物になつた合邦を、けふは、舞台中継ではなく、特にBKからの放送となつたらしい。摂津大掾系の古強者、どうやら近く春太夫を襲名するといふ噂もあり、文楽の巨星として迎へられる人であつて、浄瑠璃は無論本筋である。そして、尚ほ元気もあり、艶気も失せてはゐないから、将来、しばらくは愉しませて貰へる人である。聊かすんなりとせぬ癖のある語り口で、一般には、取つ付きが悪いかも知れぬが、耳馴れて来たら無論随所に閃き渡る妙音に随喜する信者も出来るであらう。後家になつた津太夫未亡人寛治郎師の再縁で、絃も相当に骨折りを見せるであらう。『しんたる夜の道……』の語り出先づはつきりして、本当の年齢からいふと、やゝ老けたかとおもふ玉手御前も、進むにつれて品位も出、艶気も添うて相当なもの合邦のイキリ立つ例の長ゼリフも気組がはいつて完全である。母親も気あつかひの真実味が充分にあらはれてよく『心のへだて聴き寄りの、真身の誠ぞ哀れなる……』など、頗る古風な語り口でほゝゑませた。玉手の『なほいやまさる恋の淵』もよく、母親の『今更あきれ我子の顔、唯だうちまもる』が、かなり自然に語られる。合邦の刀の鯉口の次の尼法師のくだり、これからは色町風のあたり大に飛ばして『納戸へ』までゝ、三十分の時間は終つた。絃の寛治郎氏は、たしか昨年の暮れに、故津太夫氏で同じ合邦が放送されたやうに覚えてゐるが、叶さんとの初合せに、その感想や如何に、である。