FILE 108

【 金王丸 ラジオ浄曲漫評 昭和15年1-2月 】

(2023.03.01)
提供者:ね太郎
 太棹 112号 14ページ
 
口上
 旧臘中から、身体の工合を悪くして、懊悩呻吟、かなりの苦患を嘗めましたが、二月にはいつて、漸く少しは軽快を覚えるやうになりました。処で此の漫評ですが、十二月二十六日の南部太夫の鳴門は、送つた筈の原稿が紛失して、富取主幹と手紙の押問答、再び書く勇気も記臆もなくて、遂に失敬と決め、それから呂太夫の野崎?は全然、知らずに済んでしまつたのでこれまた失敬、次に、大晦日の午後、海外放送に、大阪の春駒、綱龍、東重などの壼坂があつた事翌日になつて新聞で知り、何とあまりに申訳の無い事とひた謝まりに謝まる外はありません。以下、昭和十五年に入つてから漫評も漫評、前述の通り、一月中は病苦の連続であつた為め、その都度克明に書き留めてもおかず、今、思ひ出しての責塞ぎ、乱暴至極の評言、我ながら愛想の尽きた不仕鱈、これから気を付けます、と口上書きも気の乗らぬ事夥だしい次第です。
 
 
  文楽幹部〔一月一日〕
  寿式三番叟=カケ合=
   翁   竹本津太夫
   千歳  竹本錣太夫
   三番叟 竹本相生太夫
       竹本文太夫
   ツレ  竹本越名太夫
     絃 鶴沢重造
       鶴沢清二郎
       野沢喜代之助
       野沢八造
       鶴沢寛治郎
    鳴物 望月太津吉社中
 謡曲から出た祝儀物、荘重典雅なる一曲である。その翁の役に、紋下津太夫氏を煩はして、千歳の錣太夫、三番の相生太夫、文太夫は、正に適材適所で、殊に御大の翁などは、実に満点と言つて可からう。千軍万馬、も大袈裟だが、錣の千歳も大によし、中堅にして今や人気を盛り上げて来た相生の三番も懸命な演奏亦た推賞するに足りる。絃も、重造、清二郎、キヤ〳〵と来てゐる出世盛り、改名後、更らに重用されんとしてゐる寛治郎亦た大に努めて、効果を挙げた。元日早々のめでたき演奏、我等も惣花的に讃辞を呈する次第である。
 
 
  文楽中継〔一月五日〕
 関取千両幟=猪名川内の段
  おとわ 豊竹駒太夫
  猪名川 竹本織太夫
  鉄ヶ嶽 竹本文字太夫
   絃  鶴沢清二郎
 四ツ橋文楽座一月興行の一幕中継である。稍や老け過ぎてゐたやうだが、正にこれは駒さんのおとわの演し物であらうほどに気を入れて盛んに聴かせてゐた。織さんの猪名川は、鉄ヶ嶽に対する隠忍から、後のおとわとのやりとりまで、無類といつて良いほどの出色の出来であつた。文字さんの鉄ヶ嶽も適任ではあつたが、今一ト息手強い処を聴きたかつた。清二郎の絃、さはりの間も結構なり、大体に於てこの天才三味引を発揮すべき大役をやり了せたと言つて可からう。千両幟といへば、我等は、ウツカリ櫓太鼓の曲弾きを連想したが、成るほど、人形ではあり、清二郎では、といふ事で、それは聴かれなかつたのであつた。
 
 
  東京女義〔一月十六日〕
 絵本大功記=尼ケ崎の段
    竹本駒若
  絃 鶴沢三生
 駒若さんは、浅草に演芸館を経営して男勝りの活動を続けながら、決してその本業の浄瑠璃を捨てず、常に研究を怠らず(?)といふ訳で、女義男特異の存在である。放送は昨年三月に「日吉丸三段目」を聴かせて呉れたのが、我等の初耳であつて、割合に(も失礼だが)シツカリしたものとの記臆がある。今回は太十といふ大物であつたが、我等病蓐にあつて、隣室から、幽かに聴いた為めか、今、ハツキリとした記臆がない。老母が聊か若きに過ぎたが、例のキカセドコロも相応な出来で、初菊など可愛い出来で、光秀の出も充分に堪えたのは豪いとおもつた。絃の三生さんは確かな腕である。
 
 
  大阪女義〔一月二十三日〕
  伽羅先代萩=政岡忠義の段
      竹本清糸
    絃 竹本東重
 所謂、国策の線で、女義といへば直ぐに先代萩が出て来るが、今夜のは、近頃割合に語られぬ前半「まゝたき」を充分に聴かせるといふ訳である。寧ろダレ場ともいふべき「まゝたき」は、通してならともかくも、それだけでは、と私かに我が清糸さんの為めに、危ぶんでスヰツチを入れたのであるが、さすがに本場の大阪因会女子部の売出し、中堅の腕を揮つて遺憾なき出来栄を示した。特に裏声も使はず、千松のキカセドコロもハツキリとうなづかせ、政岡の品位も先づ〳〵といふところで結構、絃の東重さんも若手の売出し、重宝がられる三味引と首肯した。
 
 
  東京古老〔二月六白〕
 一谷嫩軍記=熊谷陣屋の段
    竹本米翁
  絃 鶴沢紋左衛門
 米翁とは申すまでもなく、此間までの東都因会々長竹本津賀太夫である。老齢引退後、重患に悩まされたと聞いてゐたが、今夜久振りの放送に、先づは祝福せねばならぬ事である。シカモ、其の演し物の「陣屋」とは又大きな事、大元気である。お世辞でも何でもなく、その芸たるや無論本格的で、少しの危なげもない。が、唯だお年と、御病後のつかれとは、総体に弱々として、いた〳〵しいのである。性来の美声で、熊谷が女義のやうに聴こえる処があり、又た半音が巧く出なくなつた恨みがあつた。軍次迄、さすがに絃の方で鍛え上げた芸、間がよいので如何にも聴いてゐて気持が可い。絃の紋左衛門は近年の合三味線、よく太夫を助けてゐた事を推賞する。
 
 
  大阪女義 〔二月十五日〕
 日本振袖始=大蛇退治の段
  岩永姫実は大蛇 竹本清糸
  素戔嗚尊    竹本久国
  稲田姫     竹本綾助
    絃     豊沢小住
          豊沢仙平
          鶴沢東重
          鶴沢鶴栄
 紀元二千六百年奉祝プロの、時節柄選まれた芸題である。東京では目下新橋演舞場で、文楽の呂太夫仙糸の一座が特別出演で、歌舞伎に移し『剣』と題して上演されてゐる。それへ冠せて、女義の中堅が、三絃の精鋭をすぐつて、おはやし入りで賑やかに聴かせるのである。語りの方は、特に取立てゝ言ふ処もなく、それ〴〵人に嵌つて懸命の演奏であつたが、絃の方は、正さに驚くべき緊張振りの、シカモ稽古がつんでゐると見えてタテの小住をはじめ、一糸紊れぬ撥捌きで、近頃結構な聴き物であつた。
 
 
  大阪女義 〔二月二十日〕
 伊賀越道中双六=沼津の段
      竹本東広
  絃   豊沢仙平
  ツレ引 鶴沢東重
 東広老嬢は久し振りである。出張所か、本城か、稽古を朝鮮京城に移して、浄曲道に精進するといふ。我等は呂昇の名人会以来のお馴染である。沼津はお得意の筈であつて、その千本松原などは、私かに期待してゐたのであつたが、聴いて見ると、珍らしく、前半の小アゲを充分にやるのであつた。そしてお米のサハリ直前で、お時間の三十分!そしてその小アゲは仙平の絃、東重のツレで、近来の面白い聴き物であつた。唯だ難を言へば、平作のヤツトマカセや、乱れかゝつてやのアトの笑ひなど、今一つ軽く行かぬものかとおもつた。重兵衛は非常に結構であつた。