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【 金王丸 ラジオ浄曲漫評 昭和14年11-12月 】
(2023.03.01)
提供者:ね太郎
太棹 111号 24ページ
東京床語〔十一月十四目
義経千本桜=すしやの段
竹本鏡太夫
絃 鶴沢市作
土佐太夫の門下に列し、文楽中堅を目ざして研鑽数年、事志と違ひてか再び元のチヨボ語りに逆戻つた斯界の俊鋭鏡太夫君、久方振りの放送である。堂々たるアノ体躯から絞り出す豊富な声量、何でもいける達者芸。撰まれた芸題は、千本のすしや、神ならぬから縄付、まで。内侍に今一つの品位と、弥助に今一息のふくらみとが欲しく『このおつむりは……』あたり、あまりに拙かつたは、どうしたものか。お里のさはりは存外の美声で、可愛く出来たが、権太が飛出してから、父親や母親を呼び立てる大事の所で、声の出どころが低過ぎて娘にならず。梶原の出からは、コツチのものとばかり、大きい所を充分に聴かせたが、気のせいか危ふく芝居になる所が多く、ヤリトリにイキの詰まらね難が多分にあつたは残念であつた。因に例の『私は里と申して』とおの字を言はぬはよかつたが『たとへ焦れて死すればとて……』と語つてゐた。絃の市作とやらは、初めて聴いたが、中々調子の良い三味線で、勿論邪魔もせず、よく灸所を押へて弾いてゐたのには、失礼ながら感心した。
大阪女義〔十一月廿一日〕
菅原伝授手習鑑=寺子屋の段
源蔵 豊竹団司
戸浪 竹本清糸
千代 竹本雛昇
松王 竹本綱龍
絃 豊沢小住
大阪北陽演舞場からの中継放送である。日本義太夫因会女子部の幹部連をすぐツて、寺子屋の後半『夫婦は門の戸ぴツしやりしめ』からいろは送りの段切までのカケ合である。半ば聴きかけて、早や、期待を裏切られた感に打たれ、頗るおもしろくないものであつたは、どうしたものか。最も困つたのは、団司の源蔵で、美声の節語りとでもいふか、言葉の口先だけで、ベタ〳〵〳〵〳〵する、恐ろしく聴きづらいもの、これが先づ全体をおもしろくないものにしたのではあるまいか。綱龍の松王も、例の泣き笑ひに、ちよいと巧いなと思はせたゞけで、甚だ気の抜けた感じのする演出であつた。先づ中でよろしかつたのは、雛昇の千代であらう。いろはおくり、も互ひに譲り合ふといふが、探り合ふといふか、この中の誰れでもの、一人語りの方がよほど好いものではなからうか、要するに、カケ合といふものが、斯くの如く、寧ろダラシの無いものにしたといふのが当つてゐやう。演舞場内では受けたかも知らぬが、放送では大失敗である。
大阪女義〔十一月廿八日〕
伽羅先代萩=政岡忠義の段
竹本三蝶
絃 豊沢仙平我等不敏にして、三蝶嬢は初耳なのであるが、大阪の女子部でも相当な顔の人であらう。先代の御殿は、奥の、栄御前の出からであつた。段切に近づいての、礎ぞやからの政岡のクドキは、さすがに、それでも擒従自在、とまでは行かなかつたが、普通ザラに聴くタレギタとは、一歩進んで、考へられた演出で首肯した。処が、我等は、この御殿の奥は、八汐で聴かせゐものと心得てゐる位のそれが、栄御前と八汐と同一列の意気であつたのは、大の不服で、もうそれだけで、余程、今夜の先代は点が落ちるとおもつた。八汐を今一つも二つも強く、大きく張り切つて貰ひたかつたのである。でないと金体に於て、此の劇--イヤ此の場面の覘ひが外れる訳である。仙平さんの絃は結構であるが、どうやら、中途まで、御両人のイキが合はず、所謂イタに付かぬとおもはれたのはどうしたものか。
大阪女義〔十二月五日〕
夕霧阿波鳴門=吉田屋の段
豊竹昇之助
絃 豊沢力松
他の演芸種目なら、毎月のやうに出る人も珍らしくないが、義太夫で、年に三度はちよいと無いやうだ。昇之助さんは、今年の五月に寺子屋を語り、八月に、さはり集として、現はれ、今度又た吉田屋といふ事になる、BKの重宝芸人ではある。処で、誠に以て申訳ないが、金玉丸障はる事あつて、同夜も実は聴き洩らしたのであつた。女義として、殊に美声の昇ちやんには、恰好な語り物、開き直つて云へば、難かしい近松ものではあるが、『冬編笠の赤ばりて!』の、出がどうだつたか、奥へ来て例の夕霧のさはり、唯た訳もなく、本人好い心持の、聴者も相当嬉しがつて手を叩いた事だらうと思ふ。
文楽中堅〔十二月十二日』
新作『南部坂』 食満南北作
竹本相生太夫
絃 鶴沢清二郎
八雲 鶴沢清友
大分、チラホラ義太夫の新作が現はれ出した。結構な事である。だがしかしだ。それ又た金玉丸の毒舌かとおぼしめさうが、全くの話しで、名物にうまいものなし、といふのが、新作に好いものなしである。この『南部坂』は黙阿弥の戯曲を書き直したものださうで、そして、相生師と清二郎君の御両人の作曲になるものといふが、大した曲節なく、芝居で言へばト書程度のものであつて、それはまアそれでよく、相生師も、どツしりと、大分声巾も出て近頃、芸を上げられたのは、我等も認めるし、清ちやんも中々よく手が廻つて、無論前途有望の青年三味弾であることは確かになつた。唯だ、この「南部坂」の一段、筋をよく知つてゐるから訳がわかるが、だしぬけにこれを聴かされて、大石の苦忠や、一角の出現などが判る人があつたら、手を上げろ、である。訳の分らぬ点ばかりでなく、その面白さに於ても、現にある人に、雲右衛門の南部坂の方が好いね、と不用意に評すると、その人は、雲右衛門でなくたつて、アレよりは面白いよ、と言つた。無論浪花節以下であつた事は確かである。
▲訂正 前々号本漫評、駒太夫氏の肩書に『文楽中老』とあるは古老と訂正します。