語物の変遷

 
現時斯曲の語物は、千篇一律にして変化の手段なし、とは前々号の社説に於て縷陳され、殊に都下寄席一月分の統計表をも掲げて証明されたるは、全く記者の婆心に出て、営業者の反省 促さん為にして、誠に価値ある文字なり、之を物に譬へんか、如何に滋味(うまき)ものなりとて、常に口に馴ては漸く倦の来て他を求むるは通情の慣ひ、鰻も毎日喰へぬと一般、品の換り味の異なりてこそ調理の法を得たりとも申べけれ、然るを毎日六七人の出方が交番に同じ出物なるは、櫛形蒲鉾に栗のきんとんといふ極り物にて、目に倦き鼻に着きて甚閉口の次第といふべし、一体佳き新作の出し時代には自然語物に変化の妙あれども、奈何せん今時の如く新上るりに乏しき時代に在りては、唯々古物保存的の温習(さらひ)返しに過ず、よしそれも珍らしき物の洗濯ならんには、少しく慰むる所もあるべきを、いつも、酒屋、太十、柳、御殿、弁慶と極り居りては倦厭の感に堪ず、聴客(きゝて)も漸く新奇を望む傾向の見ゆれば、早晩語物の変化を見るべき時機に際したるものゝ如し、依て今王寺に遡りて其語物の流行を通視すれば、大抵三十年乃至五十年間には自然に異動を生ずるが如し、頃日(このごろ)余が家に久しく筐底に埋れありし昔時(むかし)の番組を見出したれば、左に掲げて同好者の参考に供せん、但、其年月も知れず、又何処にて開演せしかも詳かならざれども、鶴澤寅次郎といふ者催主となりて温習(さらひ)の大会を催すに付、諸方へ配りたる大奉書紙木版摺の番組なり、紙上本町連、両国連、小田原町連、等文字なれば江戸の物には相違なく、又其連名中、竹越太、野庄治、野豊八、竹要太、越寅、越庄、越造酒、越豊、越千代、越寿賀、等あれは越太夫門下の輩多数なるが如し、察するに文政天保の交(ころ)と覚ゆれば、七十年乃至八十年前のものと知るべし、
萬戸将軍 雪ノ段  川中島  三ノ切
小田舘  五ツメ  九重錦  三ノ切
崇禅寺  ハカ所  新薄雪  カヂヤ
信仰記  鼠の段  女護島  二ノ切
由良湊  鶏娘   緑陣幕  イノリ
大友真鳥 三ノ切  隅田川  三ノ切
花襷   八ツメ  大塔宮  三ノ切
木曽   舘ノ段  博多   海賊
神年越  笑茸   寿門松  新マチ
紅葉狩  剣ノ段  酒呑童子 山入
お初徳兵衛 教興寺 太功記  焼香場
当世かの内の段   長柄人柱 アシカリ
ひらがな 辻法印  八重霞  新ヤシキ

  掛合ものには

菅丞相冥加松梅  花扇かんたん枕
乱菊枕慈童    美人揃
右番組数十段の内にて今の世に流行らぬ物のみを抜抄(かきぬき)しなり、其太夫は皆素人天狗連のみなれば其頃の普通語物たるは推して知るべし、中に就て崇禅寺の墓所と新薄雪の鍛冶屋とが数段あるを見れば当時の流行物なりしならんか、又チヤリ物には持丸屋が三段程もありし、其他概して時代の三の切物等随分至難の物もあるをもて考れば、其頃の素人には侮り難き大天狗のありしと覚し、是を以て観るも千古不易の名作は別として、語物の世の流行に伴ひて、変遷するは争ふ可らざる数とやいはん。
【義太夫雑誌 53:4-5】