凡そ事物の何たるを問はず、盛栄と衰枯とは絶えず常に相往来して居る。からして何にまれ、彼にまれ、世人の嗜好に適するものは、所謂流行に投するものであつて、即ち其ものゝ盛衰時代である。併し此盛栄とても何時までも長(とこしな)へに続くものではない、この盛栄の隣には衰枯が控へて居て、一朝世人の厭倦を来たすの場合には、漸次衰枯の時代と変じ来るのが、社会の定則である。此定則である=即ち相往来して居る盛栄と衰枯の間に立ちて何時までも盛栄を持続して行くのが世に処する事の上手といふものである。
我が義太夫曲が茲十四五年この方、社会の嗜好に投じて年一年に盛栄の方面に向つて進んで来たのは、世人が現に目撃しつゝある所の事実である。確に現今は義太夫の盛栄時代である。が此の盛栄を維持し、否今一層盛大にせんとするには、決して此儘では行かぬであろうと考へらる。若しも此儘=今の有様で行たならば、将来一層の盛大は惜置(さてお)
き、現下の盛栄を持続する事も覚束なかろう。夫は何故であるかといふに、毎晩寄席にて語りつゝある所の語物である。
目下各寄席にて演ずる語物は、何れも千篇一律で、毎夜同じ曲(もの)を繰り返すものが十の七八であるといふ有様にて、一ヶ月を通じた所で百段内外の段数しかない。今、最近一ヶ月の語物統計を記さんに左(さ)の如しである
曲名 | 演数 | 曲名 | 演数 | 曲名 | 演数 |
酒屋 | 61 | 太十 | 55 | 柳 | 52 |
先代御殿 | 46 | 弁慶上使 | 46 | 野崎 | 38 |
壺阪 | 36 | 小牧山 | 36 | 紙治 | 36 |
寺子屋 | 34 | 鳴戸 | 32 | 雪責 | 32 |
玉三 | 30 | 本蔵下邸 | 27 | 十種香 | 24 |
蝶八 | 23 | 合邦 | 21 | 宿屋 | 21 |
鈴ヶ森 | 21 | 安達三 | 21 | 沼津 | 20 |
新口村 | 17 | 堀川 | 17 | 毛谷村 | 16 |
阿漕 | 16 | 岸姫 | 15 | 揚屋 | 15 |
布四 | 15 | 又助 | 14 | 躄瀧 | 13 |
日蓮記 | 12 | 重の井子別 | 12 | 百度平 | 11 |
白木屋 | 10 | 質店 | 10 | 宗吾子別 | 10 |
喜内住家 | 10 | 油屋 | 10 | 忠四 | 10 |
湊町 | 9 | 大文字屋 | 9 | 陣屋 | 9 |
志度寺 | 9 | 吉田屋 | 9 | 長局 | 9 |
逆櫓 | 8 | 鰻谷 | 8 | 五斗 | 8 |
小四郎恩愛 | 8 | 嘉平治 | 8 | 小磯原 | 7 |
岡崎 | 7 | 松王屋敷 | 7 | 鮓屋 | 6 |
忠六 | 6 | 秋津島 | 6 | 市若初陣 | 6 |
花川戸 | 6 | 宮守酒 | 6 | 帯屋 | 6 |
八陣 | 6 | 梅由 | 5 | 八百半 | 5 |
皿屋敷 | 5 | 赤垣 | 5 | 大星出立 | 5 |
宮内邸 | 5 | 吃又 | 5 | 沓掛村 | 5 |
明烏 | 5 | 饅頭娘 | 4 | 累 | 4 |
三代記 | 4 | 葛の葉 | 4 | 日高川 | 4 |
(三段以下は略す) |
斯の如き有様だから、現今の語物は、最早聴客(きゝて)の耳に蛸といふ始末にて、又酒屋か、又太十かと聴客は既に倦厭の感を以て甚だ冷淡に聞流す傾きがあるのは免れない理勢である。この冷淡に聞き流す即ち倦厭の傾きとい
ふのが所謂衰枯の萌しである。従来(これまで)語物の事に就ては、改良しなければ宜(いけ)ない。一変しなくてはならぬといふ事は、屡々本誌の上でも議論があり。特(ひと)り誌上でのみならず、芸人その者に就て直接に語物の陳腐を難じ、
変更を促す熱心家もあつたが、ドウも更にその効(しるし)のなのは実に歎かはしい次第てある、扨その芸人が何故に語物を更めないかといふに、席亭が演じさせぬからといふ、何故に席亭が演じさせぬかといふに、ビラが利(きか)ぬからといふ。是は誠に其一を知つて其二を知らぬ・・目前を知つて将来を考へない理屈である。今こそ盛に語る弁慶上使は二十年前は余り演じなかつたが綾瀬太夫が上京以来頻りに寄席で演ずる様になつてから盛になり、小磯ヶ原は和国翁及び故若濱太夫より他にはトント語らなかつたを素行、花友(くわいう)等が伝へて今では口二三迄も語る様になり、壺坂なども熊梅、小土佐などが盛に語り出してから今は一般に語る様になつたのである。斯いふ訳であるからして、面白き珍らしき曲(もの)を撰んで語り出したならば強ち変更の出来ない限りはない、・・既に倦厭を来たして居る聴客を挽回する事も出来なくはない。併し是に就ては、目下の真打株若くは切前(もたれ)の地位にある演芸者に向つて、大いに是等の事を望まなければならぬ。右の表に漏らしてある月に僅か一度か二度か語らぬ曲(もの)の中に、甚だ面白き佳曲がある一寸挙て見れば、国性爺楼門、爪先鼠、先代竹も間、日向島、片岡忠義、俊寛物語、伏見里、お園出立、の如きものである。尚表中に掲げたる宮守酒の如きは甚だ好ましくない曲(もの)で是等を堂々たる真打が語るのは尤も不感服である是等は全然語らぬ様にしたいものだ。予輩は社会に相往来しつゝある盛衰の両者に就て我が義太夫曲が傾向の運命が甚だ危まれるまゝ当局の演芸家に向つて図る訳である。
【義太夫雑誌 51:1-4】