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【 森下辰之助 本誌の使命と天職 】

(2023.03.01)
提供者:ね太郎
 浄瑠璃雑誌 390号 8ページ
 
 本誌の使命と天職
    本誌同人森下辰之助
 
 本誌の使命と最近より行ふ事となつて居る問題を発表せうと思ふて居る矢先、本誌前月号「緑煙亭雑記」に本誌同人東京の平井真次郎氏が執筆された同氏の希望と偶然暗合的一致しました事は私の最も欣幸とする所であります。爰に本誌の使命と行ふ事実を発表し愛読者の諒解を求める一方、同人平井紅雨荘主人へもお答へする次第で御座います。
   私の浄瑠璃批判
 私は幸か不幸か両親が斯道の好き者であつたお蔭で母の胎内から浄瑠璃を耳にして居つた訳で、まだ肩あげの取れぬ十四五からこそ〳〵浄瑠璃を習ひ初め、四十五六まで凡そ三十年の間それこそ某氏の御自慢の様に月謝こそ払はなかつたが語つたり聞いたりして居りましたが、感ずる処あつて茲許十五六年前から自分で語ると云ふ事は全廃しまして、唯聞いて味ひ喜ぶ方に許りつかつて居ります。実際自分が下手ながらに語つてをる間はほんとの事が分りませんでしたが、自分が語る事を廃してから真実の芸のよしあしや味がわかるやうに感じます。本誌同人鴻池幸武氏や武智鉄二氏や辻部円三郎氏、中野孝一氏、扨は太宰文学博士の如き一言半句の浄瑠璃を語らないで斯道に精通して居らるふ事全く母の胎内から聞通し、三十年間語り通した私共の遠く及ばぬ判断力を備へて居らるゝのは、酒呑みに酒きゝが出来ぬのと同様である事を染々と知る事が出来ました。実際語る人は自己の語るのを中心にして聞くから其判断は必らすハンディキヤツプがついたり割引が伴ふたり所謂不純分子が交るものです。私は十五六年以前語つて居つた時分、常に生じつか浄瑠璃を語る人を前にして語る事は好みませんでした。寧ろ浄瑠璃を知らぬ人に聞いて貰ふ事を望みました。これは決して臆病からではありません。生じつか一寸でも語る人は技芸枝葉の巧拙をのみ聞かうとして精神的のものに触れようとせないのが面白くないのです。「あこの処は自分の語り風とはちがう、私ならこう語る」などゝ自分を本位にした聞き方をされるのが好ましからぬのです。この感想は恐らく自分丈ではなく、語り手の全般に流れて居る心理作用だらうと思ひます。そこで私はこゝ十余年文楽へ行つても語つた昔を思ひ出して聞いた事はありません。只一筋に聴手になり切つて聞いて居ります。此の点から前述の太宰、鴻池、武智、辻部、中野の同人諸氏の斯道の原文研究と芸術的深趣味から立脚した批判には其一語にさへ私は頭が下がるのです。殊に武智、鴻池両氏が、年歯三十に足らぬ青年三十年も月謝を払ふた事を無上のブライドとして居る東京の某氏等から見れば取るに足らぬ若輩、嘴青きひよことでも云ふべき人々でありながら其論旨の井然たる、調査の綿密なる理想的見地、厳然たる批判こそ実に斯道の指針です。斯道の為め今後尚幾十年間斯道の警柝者として仰ぐ事が出来ると云ふのは実に斯道の為め心強き極みであります。例へば私が斯道に於ける正しき唯一の批判者であると仮定しても既に還暦の身です。あと幾年の努力が出来るでせう。此点から考へ見れば武智、鴻池両氏の如きは実に斯道の至宝と云ふも敢て過賞ではないと信じます。是等の得難き批判者を同人とした本誌の批判評論には何の遺漏もないと信じます。
   本誌の使命
 昨夏以前に於ける本誌の態度は全く素人浄瑠璃界の通信に過ぎなかつたのです。斯道の為めに警柝たるの責務を等閑にして居つたと云はねばなりません。昨夏以来同人諸氏の努力により全く従来の面目を改め、八方美人的の態度より厳粛なる批判態度に一辺したのです。それが為めにか文楽座紋下竹本津大夫師は本誌購読を謝絶して来ました。私は此報を樋口氏より伝聞して実に噴飯しました。彼津大夫師の性行に就ては具さに苦味を嘗めさせられた私です。日常の言行に対しては隻語の批判を下す価値をも認めません。云はゞ眼中にありませんが、苟も師は文楽座の紋下であります。斯道の代表者であります。其の技芸こそは斯道の代表芸と云はねばなりません。是れが批判に対しては本誌の存続せん限りは厳粛その物を以て当るべきものと信じます。其批判に対しては私交関係とは全く別箇の問題と確信します。此点に対しては本誌同人藪田和一郎氏の言行こそ以て鑑とすべきものであります。同氏は文楽座の誰よりも津大夫師と親交ある人であるに拘らず同氏は曰く「親交あればあるだけ率直な批判を下すこそ信義です。然かも芸術批判は自ら別です。私交に何の関係がありませう。自分は斯道に深き趣味をもつ上から進んで本誌同人に列して斯道の為めに努力します。其間親交ある津大夫師の批判がどうあらうと問題ではありません。芸の批判に遠慮はいりません」と此同人藪田氏の言と本誌の購読を謝絶し来りし津大夫師の態度と比較せば蓋し思ひ半ばに過ぎるものがあります。
 扨本誌の今後行ふべき事は当代の代表芸術家の語り風の詳細を千古不磨に遺す事であります。本に朱を入れて後人の為めに遺すことは従来先人が斯道の為めに尽すべき義務だとして寸暇をもこれに費したものです。然しこれ迚も只テンとかツンとかツンツンとかの三味線の手や節の形を知る丈けで其息だの心持に到つては到底知る事は出来ないのです。又私が今を距る二十年以前日向島を稽古しました時に「松門」の謡と「所に住みながら」の謡をレコード両面に観世の家元に吹込んで貰ふた事があります。然しレコードでは其音や曲節の高低や足取や間は習ふ事が出来ますが、其強弱や息や腹がわかりません、其点は家元より口伝を受ける外はありません、縷々数万言の口伝を受けこれを別に文筆を以て記してやつと其形骸を知る事を得ました、これを聞いた或大夫は其レコードを貸してくれいと申込んで来られましたが、私はレコード丈けでは駄目だ、口伝をもお伝へするから入らつしやいと云ふてやりましたが遂に素人輩の私の処へ大夫は来ませんでしたが、全く朱本は三味線の手を知るの栞となり、レコードは朱本以上に尚幾多の指針になる事は確実でありますが真の感じや心持ち、気の変化等に到つては口伝の外はありません、此変は多年レコードなるものを製造して居つた私としてレコードの短所を知りての上の偽らざる告白であります、所謂写真物云はずと同様声の写真たるレコードでは心の動きを現はすには物足らぬ物がある事は争はれぬ事実であります、此点からして其口伝を連載して後世に遺し後進の指導に充当する事は全く本誌の重大な使命と信じます。そこで順序から云ふて紋下竹本津大夫或は竹本土佐大夫或は豊竹古靱大夫の此三師に語り物に一々詳細な所信と語り方の口伝を受け之れを本誌に連載する事を思ひ立ち、一切の文責は私が引受ける覚悟の下に編纂する事に決心しましたが不幸にして前述の如く竹本津大夫師は本誌に絶縁を宣言され竹本土佐大夫師は既に文楽座を引退され齢正に八旬に近づいて居られるので老駆を此渦中に投ずるには余りに痛々しいと断念しました。ずれば残るは豊竹古卿大夫師一人と云ふ事になります、素より同師は斯界切つての研究家なり閑さへあれば机に向ひ文書を繙き斯道の書冊を漁るを日課として居られる程の人で無二の適任者ではあるが如何せん、謙譲無比で苟もおこがましい気に聞える事は一言半句も口にせぬと云ふ人である丈に、私の希望を容れてくれられそうにないのは日常の性行でも明白であるし、と云ふて外に適当な師匠は見当らず、熟考の結果まづ当つて砕けの決心で六月十一日古靱師を訪問して次の問答を交はしたのです。
 
   古靱師と一問一答
 「私」 浄瑠璃雑誌が同人諸氏の努力で定見ある批判を下すことになりて或る一部の人から重視される様になりました事は斯道の為め喜ぶべき事ですが、どうも褒められる芸は尠くてけなされる芸が多いので、自然悪む人が多くて喜んでくれる人が尠いのは困りますくさゝれたと云ふて購読を断る人は顔に墨がついて居ると云はれて鏡を見て墨を消しにかゝらないで鏡を打砕くのと同様で、実に気の毒な人です。くさゝれゝば其くさす人に面会して意見を交換して自分が誤つて居れば従ひ、向ふが誤つて居ればそれを改めさすと云ふ男らしい気になつて欲しいと思ひます。此辺は綱造師の気性は私大にすきです。扨それについて今日伺ひましたのは雑誌の使命として師匠の語り風を後世に遺すべく外題外題に対し口伝的にお話を願ひたいのです。それに対しての責任は私が持ちますから是非聞き届けて戴きたいのです。
 「師」 それは真平です。私は第一おしやべりが下手ですし、殊に物知らずで、いつも自分の所演に対しても研究不足を感じつゝ止むを得ずやつて居る位ですから、後人の為め後世に風を遺すなどゝは以ての外です。
 「私」 御尤も師匠の気質ですから、そう断はられるのも承知です。然しよく考へて下さい無論浄瑠璃は一生稽古だと先人も云ふて居るのです。これでよいと云ふ限度はないのです。然しこれは浄瑠璃に限りません。商売でも生活でも大きく云へば人間の生涯が皆そうです。一生修行です。際限がありません。然しそこにおのづから他の認識が下されるのです。仮りにこれも研究中これも修行中と云ふて居つては一言も半言も人の前ではやれぬ事になります。師匠の様だと「自分もゆるし人もゆるし」ではなくていつまでも、「人はゆるしても自分はゆるさぬ」と云ふ事になるのです。そうこう云ふて居る内に段々老境になつて気ははやつても口が伴はぬ事になり、遂に語り現はす事も出来ぬ様になります。是非今の内に自分の語つて来たもの、語らうと思ふものゝ考へや風を口伝にして戴きたい。それが斯道の為めです。
 「師」 私共に風だの口伝だのがあるものではありません。先年語つた仮りに「引窓」を今語つて居りますが、先年の語り様と今の語り様とは違ふ所があります。それがいろんな文書を見たり研究して居る内にあれではいかん、これでなくちやと、あと〳〵と気がついて改める。時に改めたつもりが却て悪く改める様な滑稽な事もあります。そこがまだ自信のない為めと一生修行の為めの動きと思ひます。どうしても自分の風だの型だのとおこがましい事をおしやべりするなどは以ての外です。
 「私」 其お説は師匠丈けではありません。心ある芸術家は皆そうです。清元の家元延寿大夫師の如きも常に私に云ふて居られた所論です。それですからやる度にやり方が変つてゐます。其言に「一生修行です。あとから〳〵従来のいかん所に気づきますとすぐ改めます」と、おれは家元だから改められぬとか、おれは立て者だから軽々しくかへられぬなどゝ云ふのは実に芸道を思はぬ心なき人の言行です。それでは風だの型だのと言はず「自分は斯う語ります」と告白するのならば差支へないでせう。尚質問は全部私が致します。
 「師」 それでは「自分はこう語ります」として其語り様がわるければ大に叱正して戴けますか、間違ふて居る処があれば是正さして戴く事をお約束して下さいますか。
 「私」 これは逆襲ですな……、私に師匠をどうする力もありませんが、そこが所謂聞手としての希望から意志表示をすると云ふ事ならやりませう。実際摂津大掾や木屋の弥大夫や法善寺の津大夫や先代大隅大夫の諸大人の口伝が今日に遺されて居つたらどれ位後人が喜ぶ事でせう。それを思へば師匠の様に斯道に対して忠実な研究を行ひ、其の研究発表は是非必要の事だと思ひます。
 「師」 それを云はれると何も云へません。其意味では一言もおしやべりが出来ません。
 「私」 いや〳〵これは取消しです。私の腹の思ひを口走つたのです。それではいよ〳〵やつて戴けますね。中途でお互ひに屍古たれぬ様お約束致しませう。
 「師」 外ならぬ斯道に熱心なあなたの事です。「自分は斯う語ります」と云ふ事でお話しさして戴きませう。
 「私」 所でこれはまづ何十段と云ふ程外題を定めて「送り」から「段切り」まで詳細に渉つてお話しを願ふのですが、最初はまづ何から話して下さいますか。
 「師」 考へさして戴きまして外題を決める事と致します。此問答の下に豊竹古靱大夫師は
 自分は斯う語ります
の題下に最近より外題を定め詳細に渉つてお話を願ひ是れを連載する事と致しました。
 以上が本誌の使命であり、天職であると信じます。(六月十三日誌)
 
 参考 続長唄のうたひ方序文