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【 紅雨荘主人(平井真次郎) 緑煙亭雑記(二) 】

(2023.03.01)
提供者:ね太郎
 浄瑠璃雑誌 389号 20ページ
 
緑煙亭雑記(二) 
   本誌同人 紅雨荘主人(平井真次郎)
◇杵屋栄蔵氏の著に「長唄のうたひ方」といふのがあり、続編も出てゐる。長唄の主な曲につき、こゝはどう唄ふ・こゝはどう弾く、こう云ふ唄ひ方もあるが此方がよい、この文句はこう云ふ音味、これは聞違ひでこう直して唄ふのがよい、といふ風な事が書いてあり、続編の方には道成寺物の研究と云つたやうな貴重なものも載つてゐる。私は拙作「道成寺開基」の為めに続編を買ひ、ついで正編を手にしたので、それも長唄に興味がある為めではなく、浄瑠璃の方に一向著書が無いので、長唄でも歌舞伎でも謡曲でも、凡そ「芸」といふものにして少しでも私に何かを教へるものを手当り次第に私は捜す訳である。
◇其「続長唄のうたひ方」に古靱大夫氏の序文があり、自分もこう云ふものをこさへたらと常に思ふが心に任せぬといふやうな事が書いてある。大家にして勉強家たる同氏を除いてかゝる事のやれる人が外にあるとも思はれぬ。
◇浄瑠璃の方では杉山茂丸氏の「浄瑠璃素人講釈」があり、百段近くの浄瑠璃について一々語り方の註釈を加へてある事人の知る通りであり、古くは岡鬼太郎氏の「義太夫秘訣」の巻末にやゝこれに似た記載のあつた事を記憶して居る。「素人講釈」は震災後無材料で書かれた由であり、従て多少の誤謬もある事著者も認めてゐる通りであり、全体が例の漫談式長広舌であるが、伸々貴重なものであり、この補遺完成を著者自身切に希望もして居る。
◇此頃浄瑠璃の振興につれ、評論界も賑ひを呈し、浄瑠璃の風を論じ語り口を議する人、一語一句につき細かく字の切りやう息のつめやう撥の入れやう迄批評する人等、従来の文学として浄瑠璃を研究する人、広い意味の浄瑠璃の歴史を研究する人に加へて、音曲としての浄瑠璃そのものにつき深き関心と研究とを示される人が輩出し、誠に多士㑪々の趣があるこれらの人々は概ね芸評とか感想文の形式で其蘊蓄の一部を発表するといふ現状であるが、私はこれらの人々が古靱大夫氏を扶け、外に三味線方面からも動員して、一つの浄瑠璃玄人講釈を編纂大成するとしたら、大凡これ以上の貢献は無く永く後世をも益するものと思ふ。そしてそれは古靱氏百年の後には恐らく不可能となるであらうと考へる。費用の点もあるが「吉田栄三自伝」の例に見る如き特志に訴へる方法もあるべく又かの文楽に対する補助金の如きはこんな事にこそ使ふべきものと思ふ。(僕が某々師等への進言と合致す。吾笑)
◇右は重要なる一例であるが、其外浄瑠璃関係の参考書、ことに「芸」に関するものは相当有るものゝ如く、書名だけはちらほら引用されたりするが実物は図書館が其道の研究家の書斎にでも行かなければ見られぬ現状である。これらを容易に買へる何々全集式の活字本にでもして発行する事が出来たらさぞ斯界の発達に資する事であらうと思ふ。そして右云ふやうな書物の内容が苟も事に浄瑠璃に当るものゝ常識化するやうな時代が来て、始めて生命のある新作浄瑠璃や、旧作の語り方の時世適応や、其他の飛躍が望まれるので、現在の様に大夫は原則として無学、学者は高い所から痛い目薬をさす計りといふ状態の下では、云つてみるだけで何事も行はれず時にはヒイキの引仆しで、浄瑠璃を銭にならぬ方へ〳〵と導くやうな事も有り得ると思ふのである。
◇こう云ふ種類の事は財団法人大日本浄曲協会などの仕事の一つかも知れぬ。私は其評議員の席末を涜し乍ら、現状を以てしては恐らく何事もなし得ぬと考へる事を深く恥ぢるものであるが、これ豈同協会のみの問題ならんやで、かく書いてみる次第である。
◇これに関連して考へて見たいのは稽古本の改良である。今ある五行本の黒朱は余程前に出来たものと見え、フシの数も目下は其倍以上に殖えてゐると聞いたが、何れにしても黒朱は有り乍ら、それとは違つた事を師匠の口から教はり、それを覚えて語る現状で、黒朱に例へば「色」とあるのを師匠が「詞」で教へても、「ハル」を「ウ」に語つても、其まゝ呑み込む外無いのである。かゝれば黒朱は普通の素人などには殆んど無用の長物で、私などは床本を書かせても朱を入れさせず、師匠の教へた通り、と思ふ所を自分で入れる事にして居る。(一向語りもせず、そんなに習ひもせぬのに床本など書かせるのは、そうせぬと片付かぬといふ気持からで他意は無い)
◇所が飜つて他流を見るとこれはまた百花燎爛である。例へば長唄の如きは三味線譜まで付いてゐるのがあり、謡曲に至つては譜章が詳細を極め「サラリ」とか「荘重に」とかいふ風の注意書がある外、一字一字の発音まで書添へてあり、欄外には其場の能の所作まで図解してある。巻頭や巻末に全体の註釈、字句の解釈が添えてあるのは云ふ迄も無く、万事インテリ向きに、半独案内式に出来て居る。これは家元制度で芸が微細な点まで確定して居る為め可能なのでもあるが、一方芸人自身に頭の働きがあり、分り易い譜を發明したり、集会教授を考へ出したりする事の出来る状態にあるから可能なのである。
◇かく便利になると、一方早呑込みを誘致し、芸が上辷りがし、半可通が多くなる弊もあるが、一方道に入り易くして芸を世に弘め其流行を助ける功能は否定出来ぬ。現に浄瑠璃にもレコード稽古が出来、一部で悪く云はれ乍らも段々流行しつゝある。
◇右の如き他流の状態に比べて浄瑠璃はどうかと云ふと、殆んど無朱に近い、と云ふよりもどうかすると邪魔になる黒朱の這入つた大書の稽古本で、師匠の語るのを聞いて精粗区々の我流の印や心覚えをつけ、何十回も聞いて漸く声を上げ、その粗製品を根気よく、或はいゝかげんに直されて少しづゝ前進し、或は大急ぎで上げて了ひ、かくて出来上つたものにナマリさへ取れて居らず、或は時に口先の鼻唄浄瑠璃に了るといふ、極めて原始的の稽古法を用ゐてゐるので、一体ならばアクセント位は稽古本に書いて無くてはならず、無いならまづ稽古にかゝる前に素読でナマリを直すとか(尤も師匠自身怪しいのもあるが)全体の作の構成、人物の性根等の講義をするとか、何とか少しは進歩した方法が有りさうなものである。さればフシの名などは始めて何年も経たねば分らず、風だとか云ふやうな事は三十年やつても分らなんだりする。浄瑠璃の稽古をモ少し合理的にするには個々の師匠の向上は云ふべくして望めず、寧ろ手つ取り早く稽古本を改良して標準を与へるのが肝要で、それには前段に述べるやうな語り方の標準がきまる事が先決問題となる。それでないと云つてみるだけで実行の手蔓が無い事になる。無論義大夫が他流の如く固定すべからざる事、従て異説紛々たるべき事なども分つてゐるが、やらうと思へば或程度迄やれる筈である。
◇応急策の一つとして、松葉家のレコードに詳しい註釈をつけるとか、又詳しい註釈付新稽古本を添へるとかいふ事も考へられるが、これも誰れか肝煎りが無くてはなるまい。この場合は松葉家が一つの家元を形作り、其決定版をこさへるといふ事になる。「決定」といふ事がよいか悪いか、又松葉家の芸の細部について同業者から異説が出ぬかといふ如き事も考へられるが、そんな事を云つて何もせぬよりは折角五十何種のレコードも已に有る事であり、それを完成するとふ意味からででも望ましいと思ふ。
◇之に比べると前に云つた玄人講釈は、あゝも語りこうも語るが、この方がよいといふ風な学問的な比較研究的なものになるから、両立も許される筈である。
◇それにつけても「何大夫はこう語つた」と云ふ事に三文の価値も無いやうに云ふ人のあるのは、事は違ふが、不思議でたまらぬ。
◇大分勝手な御馳走を書いたが、願はくは「画餅」に畢らぬ事を。序だからも一つ書く。
◇それは浄瑠璃音韻学の提唱、平たく云へばナマリの組織的研究とアクセントの字引の編纂の事である。これは森下氏や鴻池氏、武智氏等、関西出身の新進研究家に是非お願したい
◇ナマリに就ては或はもつと詳しく書く機会があるかも知れぬ。しかし学問上は所謂音韻学の領域に属するものなのであらうと思ふ。従て学問的に考究し得られる下地が有ると思ふが、常識的に一寸考へても東京と大阪とは音の出所が違ひ、且大阪の方が上下の音域が広い。これが義大夫、浪花節等のやうな語り物に適する一つの理由ではないかと想像するが、一方私は大阪の発音と支那語の発音とに共通の点のあるのを感得するもので、支那語の四声の研究が大阪音と東京音との差の説明に役立ちはせぬかと考へてゐる。又アクセントが違ふと云つても恐らく個々出鱈目に違ふのでなく、或程度迄規則正しい違ひが有らう。又説明にしても一字一字の上げ下げの説明では埒が明かず、寧ろ文法的に助動詞あたりから感授詞、代名詞、形容詞、副詞、名詞、動詞等の順で研究したら案外「原則」とでも云ふべきものが握めはせぬかと思ふ。そして一字一字の発音は付属の字彙に譲り、字彙にも出来れば節ナマリ、武士ナマリ等拾ひ得るものは書き添へてあるやうに出来たら、浄瑠璃の稽古の上に素玄何れを問はず稗益する所実に少くあるまじく、紋下がテツを拾はれて頭を掻く事もなげれば、反対に六ツかしさのあまりナマリ軽視論などの飛び出す事も無くならう。かくて日本国中の浄瑠璃がこの必要にして厄介な問題から救はれ、現在のスフ入りが純綿になる日も遠くあるまい。其功徳実に広大無辺と云はねばならぬ。
◇御馳走の画は今日は此位にしておく。あとは果物の出る順床だが、此上飲まぬ酒の管々しいのもと思ふからこゝらで止める。(一五、四、一五)