FILE 101

【 武智鉄二 近江清華様に 】

(2023.03.01)
提供者:ね太郎
 浄瑠璃雑誌 387号 6ページ
 
 近江清華様に
 本誌同人武智鉄二
 
 貴方が「太棹」第百十一号に書かれました「樋口吾笑氏に」と言ふ一文を拝見いたしまして、大へん感激した者でございます。と申します訳は、昨年十一、二両月刊行の「浄瑠璃雑誌」の文楽批評を読まれまして、鴻池、樋口、森下三氏の文楽評が極端に走つて不穏当だと思つたとの意味を述べて居られるからです。私もその両号の合評会に出席して居るのですから、前述の三氏の名前を挙げて、私の名前をお挙げにならなかつたのは、私の批評が適切な名評だとお認め下さつたからでありませう。男手は知遇に感ずるものです。茲にいさゝか感謝の意を表すると共に、その御礼の印までに、貴方と多少御意見を異にする点につきまして述べさせて頂きます。若し何らかの御参考にでもなりましたならば、御恩に報ずる途としで、これ以上のことはないと存じます。
 御文章中にて承りますと、貴方は「小三十年間楽しみとして月謝を納め」て浄瑠璃を学ばれたさうであります。此の文章を拝見いたしました時、私はいみじくも旧友Hのことを思ひ出し、懐かしく存じました。Hは私の中学校の同窓でしたが、中学を卒業するのに丁度十年間月謝を納めました。ところが十年間月謝を納めたHが、中学を四年で了へた私と比べまして、より以上に中学校の課程に精通してゐたとは、残念ながら考へられないのです。それと同様に、いくら長い間御稽古をなさいましても、それだけで直ちに御歳二十七歳の鴻池さん以上に浄瑠璃がお分りになるとは申せません。殊に貴方は浄瑠璃を「楽しみとして」習得せられたとのことですが、此の難解深奥な芸術は、そんなのんびりした気で居ましては、到底理解出来ますまいと存じます。私どもは批評するにあたりまして、いやしくも「楽しみ」の気持で事に当つたことは唯の一度もございません。いつも「苦しんで」月謝を納めて居ります。喩へて申しますならば、貴方のは中学へ遊びに行く生徒ですし、私どものは中学へ勉強しに行く生徒なのであります。
 年齢のことが問題になりましたから、序でに申し上げておきます。吉弥になつて逝くなりました二代目吉三郎、俗にちんばの吉三郎と呼ばれてゐる方は、行年僅かに三十三歳でありまして、名人豊沢松太郎、それからこれも早世しました豊沢新三郎と共に、当時若手の三羽烏とまで謳はれた名人ですが この人がその中でも一番腕利きであつたとのことで、二十六歳のときから名人組大夫の相三味線を勤め、三十二歳から立物重大夫の相三味線を勤めて居り、いつも大夫付が雨ざらしの地位に優待されてゐました。すると吉三郎は歳二十六にして貴方や、或ひは他の年長の大夫三絃のあるものよりも、斯道に精通してゐたと申して過言であるまいと存じます。更に先代大隅大夫が立物となつたのは僅か三十一歳、斯道へ入つて十二年目であり、紋下になりましたのが三十八歳、組大夫が紋下に坐りましたのが三十六歳、いづれも三十年月謝を払はなくても斯道に精通したのであります。要するに天分もなく、努力もしないやうな人は「何百年月謝を払ひましても一人前にはなれず、天分と努力との人は若年にして名人となれるのです。批評の方も同じことで、聞く耳(天分)があり、絶えず勉強して居れば、七十七の爺さんや一知半解の先輩から智慧をつけて貰はなくても、立派な批評が出来るものなのです。又、どんな正しいことを教へて貰つても、それを理解する頭脳がなければ、永遠に斯道に縁なき衆生であることも、改めて申すまでもありません。
 「諸芸には皆好き不好きがあります」との仰せです。これは遊び半分の、のんきな気持で諸芸を弄ばれる限りでは左様でありませう。ところが厳粛なるべき批評はそれでは済まされません。世間には白砂糖が好きだといふ人もあり、黒砂糖の方が風味がよいと申す人もありませう。然し批評家はそれではいけないのです。白砂糖と黒砂糖とはどちらが品物が上等であるかといふ価値判断をするのが批評家の任務なのです。若し或る大夫が間違つた浄瑠璃を語つたといたしますと、その悪い浄瑠璃を悪いものだぞと世間へ注意してやるのが、批評家の任務なのです。これは「文楽」といふ雑誌に西村紫紅といふ方が書いてゐられること、即ち「評者が演者の欠陥を見出したならば」どうすれば「他日大成の可能性ありや否やを示唆してやる雅量がのぞましい」との御意見に対する御答にもなると思ひますが、批評家と申しますものは、より多く社会的な任務を有するものなのでございます。勿論演者が大成するための忠告も及ばずながら致しては居りますが、あまりに老齢の演者には他日に俟つことが不可能ですし、又勉強する気のない演者にも同様のことが申せます。だから「冷評熱罵」と紫紅氏に叱られた批評家は、実は紫紅氏の希望せられる「否やを示唆してやる」方の批評家なのかも知れません。 然し、批評家の任務は、前述の通り、より多く社会的なものであることを御忘れなきやう御願ひいたします。或る演者が一つの演題を公開の席で演奏しました以上は、それは社会的な効果を生ずるのです。だから若しその演奏にして誤まつてゐるならば、その演者が社会的に権威ある地位にあればある程、世人がその誤まれる演奏を以て正しいと信じ、模範として仰ぐおとに依つて生ずる害悪は、誠に量り切れなものがあると言へます。そこで、その演奏の誤れることを指摘し、或ひは正しき演奏を賞場して、社会を誤まれる演奏から護り、社会をして正しき演奏を知らしめる役割として、批評家が登場するのです。それはコレラやペストの蔓延を防止しようとする防疫官の任務にも等しいのです。既に間違つた演奏をなして、害毒を社会へ流した大罪人の演者に、私交私語の間に於て注意したとて、その効果たるや微々たるものでありませう。それを以て一旦流れた害悪は解消しないのです。コレラの場合、患者を療治するよりも、伝染を防止する方が遙かに重要です。患者が治る治らぬは、社会的な問題から比べてはむしろ第二次的な意義をしか持ちません。浄瑠璃の場合も同じことで、批評によつて演者がその非を悟ると否とは第二の問題です。何よりもその社会に与ふる悪影響を防ぎ、世人をして浄瑠璃の正風を知らしめることが肝要第一の任務なのです。森下氏が紋下のテツを拾つたことも、鴻池さんが広助文字大夫を熱罵したことも、前述の通り、前者の場合はその権威ある地位に対しては些細なテツをすらも問題にしなければならぬと考へたからであり、後者の場合は「文楽」誌に云ふ「素義界と最も馴染ある、而して我等の最も信頼敬意を表してゐる」広助文字大夫であればこそ、その社会的影響の甚大さを思つて熱罵したのであらうと、私は推測して居ます。従つて大夫三絃が喰へるの喰へぬのは問題ではなく、批評家たるものゝ任務上からは、浄瑠璃の正しき風の振興のためには、彼等の失業餓死などはむしろ望ましい事だといふ位に考へて、一向差支えないのです。以上をもちまして、批評の意義といふことは、貴方にも紫紅氏にも大体分つて頂けたと存じます。
 次に貴方は「沼津」を語つては、「当今津大夫の右へ出る者はなく」、古靱も「津大夫には及ばぬかと思ひます」と申して居られます。古靱との比較は一概には申せませんが、仮りに津大夫の沼津を当今随一としますならば、今日沼津の語れる大夫は一人もなく、むしろ沼津を廃曲にする方がましだと私は考へます。大体沼津は前の咲大夫風と後の染大夫との照り合が十分に出来なければならないのに、津大夫のは前も後も少しも違はないで、まるで浪花節のやうなものだからです。更に、古靱大夫の良弁杉を柳適大夫のそれと比較せられるに至つては、浄瑠璃研究の第一の目的が何処にあるかを、三十年も月謝を払つた今日ですら御存知ないのではあるまいかと、残念ながら疑はざるを得ません。御承知ではありませうが、柳適大夫は良弁杉書下しの大夫です。いはゞ良弁杉の風を定めた大夫とでも申すべき人で、後世の大夫はその風を狙つて、研究して語るのが、一生の仕事となる訳です。だから、若しこんな比較が許されるならば、たとひ津大夫の沼津をよいものとしましても、染大夫よりは下手だと批評することが許される訳になります。これでは批評にも何にもならないではありませんか。殊に古靱大夫の良弁杉は柳適大夫を書下した弾いた絃阿弥から直接に習得したものでありますから、古靱の芸力から考へてさう無茶なものだとも思へませんし、更に又、柳適大夫は近世の名人ではありましたが、果して一段の風を決定するだけの芸力があつたかどうかも、よく〳〵考へられなければなりません。要するに、この点を拝見しまして、貴方は三十年来浪花節を研究なさつたと申し上げても、酷評ではないと言ひ切れると存じます。
 又、友次郎のことを書いていらつしやいますが、これも滑稽だと申し上げる他はございません。なる程、「友次郎には古靱大夫も度々稽古に行つて」はゐませう。それは恐らく友次郎が物を識つてゐるからです。然し物識りだといふことは楽屋内の話であるに過ぎません。批評は演奏そのものに対して下されるのです。例へば、貴方や私がいくら物識りであつても、実際に語る場合には到底その知識の半分も表現出来るものではありません。知識と演奏とは別個のものです。友次郎が譬ひ物識りであつても、実際の演奏にそれがあらはれてゐなければ、三味線紋下であらうが何であらうが、下手糞だど言つて「こき下ろして」何の差障りがありませう。そんなことをしては「浄瑠璃の発展に反しはしないでせうか」 御心配は御無用です。寧ろこき下ろされて当然なやうな大夫三絃が紋下に坐つてゐる事こそ、浄瑠璃の発展を阻害するものだと申せます。
 人形に関しまして「栄三に女形は遣へませぬ」とは近頃の珍説です。試みに鴻池さんの名著「栄三自伝」を御覧になることを御勧めします。その芸格から論じまして、私共の間では「文五郎に女形は遣へませぬ」とすら申して居ります。
 最後に「天狗雑誌は………浄瑠璃の為めに生活してゐるならば、常識を以て批評すべきではないでせうか」との、樋口氏に宛てられた御忠告は、私としても誠に御尤至極と存じます。唯私といたしましては、何等個人的な関係を顧慮するところなく正しい浄瑠璃は褒め悪い浄瑠璃は斥けることが「常識」であると考へますから、樋口氏が正しい浄瑠璃が栄え、悪い浄瑠璃が亡びるときが即ち浄瑠璃の繁栄する時であり、従つて浄瑠璃の為めに生活出来る時であるとの考へに基いて、私どもに貴重な本誌を開放せられたのである以上、今日まで執つて来た態度は飽くまで固守し、持続する念願で居ります。それとも他に何か適当な常識がありますならば、その概念規定を明白にして頂きたいと存じます。でないと、抽象的な「常識」といふやうな言葉の含む複雑怪奇な意味などは、私ども常識ある人間には到底諒解出来ませんから。
 猶、私は貴方が国宝と称され、指南番と頼まれる観西翁の芸術を一度も拝聴したことがありません。唯、私が信頼していゐる耳のある人達の間では、氏の芸術はあまり好評を博して居りません。それは私としても非常に残念なことであります。貴方の名誉のために、一度適当な機会を得て一聴し、その上で常識ある批評をして見たいものだと存じて居ります。
 以上、貴方の知遇に応へて、一文を草した次第でございます。