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【 近江清華 樋口吾笑氏に 】
(2023.03.01)
提供者:ね太郎
太棹 111号 8ページ
樋口吾笑氏に 近江清華
貴誌昨年十一月号十二月号の誌上に於ける鴻池氏、森下氏並びに貴下の文楽批評を拝読、聊か愚見を述べさしてもらひます。
私は両親共大の浄曲好きにて、摂津大掾、法善寺津太夫、初代呂太夫、三代目越路太夫外諸太夫の今日迄の浄瑠璃は、母に抱かれながら聴かされ、又私も廿三歳の秋頃から今日迄、小三十年間楽しみとして月謝を納め、今年七十七歳の当地在住鶴澤観西翁師よりも聞いた事等、又今日迄大阪表の諸先輩より拝承した事などを思ひ浮べまするに、三氏の文楽評は極端に津太夫をこき下ろし、古靱太夫を持上げてはいないでせうか。
諸芸には皆好き不好きがあります、歌舞伎芝居で大阪の故人成駒屋贔負もあれば、松島屋を芸の虫ぢやとか云はれて、贔屓にした人もあり、東京で現代の音羽屋好きもあれば、播摩屋贔屓もあります如く、津太夫は津太夫の持味があり、古靱太夫には古靱太夫の特色があります。
津太夫の沼津等は、当今津太夫の右へ出る者はないと申しても過言ではありますまい。古靱の沼津も拝聴した事もありますが、勿論悪からう筈はありません、誠に結構です、然し津太夫には及ばぬかと思ひます。
古靱太夫の岡崎は拝聴致しませんが、東京で上演された語り物の内良弁杉等は津太夫も及ばないと思ひます。然し、故人の柳適太夫の良弁杉を耳にしてゐられる方々は大阪に沢山ありませうが、柳適太夫の良弁杉には古靱太夫も未だ及ぶまいと思はれます。
天狗雑誌は先代より今日迄、文楽の、いや浄瑠璃の為めに生活してゐるならば、常織を以て批評すべきでないでせうか。友治郎なども悪く書いてありますが、友治郎には古靱太夫も度々稽古に行つてゐると聞いてゐます。
太夫紋下、三味線紋下をこき下ろして、此浄曲の発展に反しはしないでせうか。大阪鴻池と申せば、大阪で名高い旧家ではありますが、現在批評されて居らるゝ当御主人は御歳も三十歳前後の由、なか〳〵此むつかしい古曲芸術の批評は如何なるものでせうか、古本を調べた位では如何かと思はれます。
人形などでも私は御説の通り栄三が大好きです、然し栄三に女形は遣へませぬ。文五郎に立役は無理です。
結論として津太夫、土佐太夫、古靱太夫等は現在では国宝です。友治郎、道八、観西翁、栄三、文五郎之又国宝でばありませんか。