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【 岡田蝶花形 『三悪道』及び太十の『逆賊非道の』問題 】

(2023.03.01)
提供者:ね太郎
 浄瑠璃雑誌 386号 本文前1ページ
 
 『三悪道』及び太十の『逆賊非道の』問題
     本誌同人岡田蝶花形
 
 本文は沼津中の三悪道が三マク道と云ふ事が正しく、太十中の逆賊非道のが少しも意味不明でなく、之を逆賊非道になどゝ直すことが以つての他であると云ふ学術上の論議であるが、その前に少しく事は本誌上から起つた問題で、他の義太夫雑誌たる文楽の本年一月号(三十四号)及び太棹の本年一月号(百十一號)に掲載の事柄及び、逆賊非道の問題につき浄曲往来本年一月号(第三年一月号)に掲載の矢野津の子氏の逆賊非道の名を汚すについての間違つた議論について いづれも私の駁論を掲げて見たいが 之は私が決して本誌同人である事からの排他意識で書くのではない事を御断りしたい。多分御存じであると思ふが 私は本誌の経営者ではない 又鎗玉に上げる三誌のいづれにも憎悪を有するものではない 寧ろ三誌とも誌友として常に寄稿してゐるものである 偶々私の駁論は其の誌に出た或る執筆者の一部に対して云ふ事で、之れが全体の価値を損するものではない事を明かに御断りする。
 最初に文楽に出て居た西村紫紅氏の「義太夫の批評に就て」及び太棹に出て居た近江清華氏の「樋口吾笑氏に」と云ふ一文を対照として申上げたい。両者とも東西の素義の大家として、然も私の知人であるが、それ等の人が期せずして同一口調で、主として浄瑠璃雑誌三百八十四号の批評の一文を対照として述べられてある言葉は、要するに東西軌を一にした声とも云ひ得るであらう。一言にして云へば最近の浄瑠璃雑誌の批評が余りに峻烈であると云ふことに対する反感に帰すると思ふ。その内でも西村氏の】文は云ひ方が少し柔かで、津太夫が三悪道を三ナク道と云つたとしても、それは開口及び節調上の方便故そのまゝにせよ、又欠陥があつてもそのまゝにして敢て雑誌で云はない方が雅量があると云ふ様な書き方であるが、之は真にその人と思ふ心ではない、つまり全体の名人であつても、字句の誤の部分では名人と云ふことは出来ない、全体論に於て津太夫は名人と云ふことは、(森下氏が如何に沼津中のテツを挙げても否むことは出来ないから、それは心配ないのであるが、批評と云ふものは、演者が一度口を開けば取り返しのつかない、その日その日の出来栄を書くのであるから、悪評でも少しも構はない。例へば三ナク道と聞いた場合に、之は直ちに三マク道であると批評する事は批評家の権利であるし、又一度その批評が出た以上は、演者はそれについて考証しなくてはならない、然るにまだ演者から何等の回答のない中に、第三者が出て来て、あれは名人が云つてゐることであるから、間違ひであつても、開口節調の一方便として云つてゐるのであらうなどと、想像的の嘴を入れることはよくない、言語の正しい用ゐ方などの事は一つの学問であるからこんな事はその道の専門の人に聞き正して、然る後によき方を取る事が本当の斯道の名人の道であらう。
 次に太棹に出た近江清華氏の一文は正に笑ふべきあつて、樋口吾笑氏は文楽の為めに父子二代飯を食つて居乍ら津大夫をこき下すとは何事であるかとか、自分は三十年も月謝を払つて居るとか、津大夫等は国宝であるとか(国宝と書いた意味は、国宝であるから何等それに対して云ふことは出来ないと云ふ意味であらう)は、江戸ツ子流に云へば正にチヤンチヤラおかしい言ひ方である。私は内実は知らないから、樋口君が毎月文楽から補助金を貰つて居るのかどうかも知らないが、よし貰つたとしても、正常に批評出来ないと云ふことはないであらうし例へ貰つたとしてもそれは浄瑠璃宣伝の為めであらうが、多分そんなことはない、文楽入場御免位の程度であらうが、そうとすれば尚更正しい批評と云ふことが絶対に必要で、国宝だから云へないと云ふ様なことであつたら、摂津大掾の一辞一句は間違でも之を伝へなくてはならない事になり批評家と云ふものは三文の価値もなくなる、ましてその文章中に自分は三十年も月謝を払つた等と公表して書くに至つては 金力や芸の修業の長さや力のみが物がわかるすべてゞあると云ふ事になり 誰が読んでも不愉快極まるものである。
 三悪道の事に触れたから 先づその分から片付けるが 私が之から述べる結論は 同じく太棹にある斎藤山生氏の結論と違つて 三悪道は三マク道でも三ナク道でも、どちらも正しいと云ふのが結論である。但し之は三の次の次の悪の発音の問題であつて、之を摂つて直ちに斎藤山生氏が述べて居る如く、合邦の悪業深きをマク業と読まないじやないかとか、宿屋の此の眼は如何なる悪業ぞやの悪業をマク業と読まないじやないかとかは議論の的を外れたもので、それ等は当然アク業であることを申上げて置く。それで私が此処に述べても私の本職を多分国語学者でも何でもないと解つてゐる以上、信用されないであらうから、私からその事の質問をしてそれに対して解答を寄せられた東京高等師範学校教授神保格先生の全文を次に掲げやう。同氏は日本に於ける言語学の権威である事は知る人ぞ知る。
「御手紙拝見「三悪道」の発音「三」の支那の古音はSamでmで終る音です。故に「三位一体」はサンミSamiとよみます「三悪」は「サンマク」といふのが古音に合致するわけで、語原上「サンマク」が正しいのです。但し支那の古音と今日の日本の慣用とは必ずしも一致しません。輸出の「輸」は支那の音「シユ」であつて「ユ」の音は有りませんが、今日の日本語の慣用は「ユ」であつて運輸[うんしゆ]などゝいふ人はありません。之と同じく「三」は今日の音「サン」であつてSamではないので、観音、万葉集等と同じ類になつてゐます。従つて「三悪」といふ場合に
 (一)語原を探るか(二)今日の日本の慣用を採るかは各人の任意でせうから、貴殿においていづれをお採りになるかをお定めになればよいことと存じます」(以上)
 仏教に於ても今日では三マク道と云つてゐるが、語源及び正しい仏語としては三悪道は三マク道と云ふべきであらうと思ふけれど、之は後日更に仏教学者の教を乞ふ迄保留して置き、今日では先づ言語上から云つて、三マク道と云ふ方が正しい発音であると私は確信してゐることを述べ、但し慣用上三ナク道と云つても差支ないと云ふことにして置く。
 次に「逆賊非道の」問題であるが浄曲往来一月号に於て、同誌主幹矢野津の子氏は次の如く述べてゐる。鳴戸の「死んだ後でも盗賊の名を汚すのが口惜しい」と云ふ一節の「盗賊の」は「盗賊と」と云はないと意味がウラハラになりはしないか、太十の「逆賊非道の名を汚す」も同じ理由から「名に汚す」と云ふべきである と云つて居る。又知人豊竹巌太夫師からきいた話であるが、某文士が「逆賊非道の」は間違ひで「逆賊非道に」でなくてはならないと云はれてから、同師はその如く語り、多くの女義も其の如く語つてゐるとのこと。又古靱大夫師も此の処を語るにつき本文通り語らなかつたことを記憶して居る。それでもしも今後鳴戸の「死んだ後まで盗賊の」やい太十の「逆賊非道の」やが意味が通じないからとて勝手に変へたり、又某文士や津の子氏の言を信じてその通り真似したりすると飛んでもない事で、作者に対しては申訳ない。某文士の不明が取りも直さず義太夫を賊するものであると云ふべきであらう。以下それを説明しやう。「逆賊非道の」、「死んだ後まで盗賊の」の此の「の」はテニヲハ第一類の「の」で、名詞にのみつく「と云ふ」意味である。即ち逆賊非道たる悪名、盗賊たる悪名と云ふ様な意味で、正しい用ひ方で、之を「に」に変へると云ふことは以つての他である。一例を以て云へば「富士の山」と云ふのと同一である。此の「の」が可笑しいからと云つて「に」に変へて「富士の山を踏破する」と云ふ時「富士に山を踏破する」と云つたら、何の意味かわからなくなる。然し津の子氏などの文を読むと、汚すと云ふことの意味もよくわかつて居ないやうに見える。此の「汚す」は「悪名をとる」と云ふ事で、別によごすと云ふ意味ではない、丁度「忠孝の美名を輝す」と云ふ場合に、既に忠孝の美名のあつたのを更に輝すと云ふのでなく「美名をとる」のである。其反対は「名を汚す」で「悪名をとる」と云ふ意味である、それだけわかれば逆賊非道と云ふ悪名をとると云ふことで 此の文章中何一つ直すべき点はない 若し今後それを直して語つてゐる人があれば 私は其人の無智を笑つてやり 且つ作者に対して非常に気の毒に思ふのみである。お互に知らずして犯した罪は仕方ないが 今後知つた以上は慎みたいものである。