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【 浄瑠璃文句評註 難波土産 】
(2023.02.01)
提供者:ね太郎
○版本
「『難波土産』は、度々出刊された。最も早いものは、《A》「元文三年午正月本出来、浪華書肆本屋吉右衛門、伊丹屋茂兵衛寿梓」として後篇の予告のあるもの(天理図書館蔵)。次が、《B》上の本屋吉右衛門の名を丹波屋半兵衛に改めたもの(大阪府立中之島図書館蔵)。以下《C》「大阪心斎橋筋塩屋平助板」とか、本屋名なくして、「午正月本出来」の文字をのみ残したものなど樣々である。」(『虚実皮膜論の再検討』 中村幸彦著述集第一巻 p124)《ABCは引用者補足》
題簽 I (AB)
2 浄瑠璃文句評註 なにはみやけ 上ノ末
関西 霞亭
3 浄瑠璃文句評註 難波土産 中ノ本
中百舌 霞亭
題簽 II(C)
題簽 III(C)
○翻刻
難波土産 水谷不倒校訂 新群書類従第6 1907.8.25
難波土産 山本二郎校訂 淨瑠璃研究文献集成 北光書房 1944.7.20
新群書類従版、浄瑠璃研究文献集成版は原本の読み仮名の一部のみ翻刻。
また、一部伏せ字、空格あり
巻之四 24ウラ
文献集成は空格 p209
巻之四 26オモテ
新群書類従は伏せ字(○) p397
文献集成は空格 p211
○参考
有朋館版 はしがき 《文憲堂版も同文》
やつがれ年十―二の頃より、いはゆるまる本を好み、その佳句をぬき、そのしくみのあらましをゑがき出て、のちにはをこがましくもこれが品定めなどなしゝ事ありき、わかき頃のたしなみとしては、いさヽか健気のやうにも覚ゆれども、その後先哲がものしたる種々の書ども見もてゆくに、はづかしき事多くいで来て、今となりてはたゞむかしのいたづら事をくやしとのみ思ふなり、おもふに今の若殿原が中にも、むかしのやつがれの如き人なしとにはあらじ、茲に此書を校訂してこれを公にするにあたり、特にこれらのわかとのばらにもの申す、なには江のよしあしは、さきだてる人のはやくもかきわけてありけるものを、まさなごとして、後に悔ばしのこしたまふなよ、
明治三十七年の春
上田万年識
難波土産は斯道愛好者にとりて修養参考となるべきもの多ければ本号より順次転載す、その目録左の如し 編輯者誌 (浄瑠璃雑誌311号 p12)
『浄瑠璃文句評注 難波みやけ 上ノ本』 《表紙》
見性却清醇
享齢擬壮椿
春温渾満腔
空眼転洪釣
句翰譫歌玅
少牋綺語神
申休門榜爍
楽隠特相親
右題近松平安翁像
穂積 已貫《見返》
序
おしてるや難波のみつの賑ひ余国にこえ、港に出入百千の船。ヤンラ目出度やの声絶ず、就中南江の歌舞妓浄瑠璃芝居の軒をならべて繁昌の時を得たり。僕もとし比浄留りの作文に種々の事共取あつめたるが面白さに、数本一覽をなすに、唐倭の引事聞しらぬ俗の諺など時々抄せしを懐にし、ひそかに博識の隱士に便てこれを問に、其解こと流水の如くなりしをこと〴〵く筆《序1オ》記し見れば、おのづから善をすゝめ悪をこらすの一助共成けるまゝ、頓て清書し篋に藏んとするに、書林某来て是を梓に寿ふせば四方好事の本望ならんといふにぞ、吝べきにもあらねば吾子が心に任せんと、直に難波みやげを題として茅舍の窓下に筆をおきぬ。
元文三年戊午のほし
西海の蘭皐書《序1ウ》
浄瑠璃評註巻之一
発端
抑浄瑠璃といへる来由を尋るに、むかし豊臣秀吉公の御台政所の侍女に小野於通といふ人あり。才智人にこえ手跡も普通に勝れたりければ、時の人殊におもくもてはやしける。一日御台所於通を召て仰けるは、いにしへの淸少納言・紫式部などいへるは、源氏・枕双紙等の文を作りて其名を千歳に残しぬ。汝が才をして小女にひとしく朽なん事いと口をしきわざなり。何にてもあれ作物がたりして後世にとゞむへきよし命ありければ、小通かしこまりて退き私に思ひけるは、いにしへの才女の仕わざにならはん事思ひもうけさる事也。しかりといへ共主命もだしがたしとて、閑窓に閉こもりて長生殿十二段といへる物語を書て参らせける。其趣ひとへに矢矧の浄瑠璃姫の事を主とし薬師の十二神に表して十二段として《序2オ》書たるにより、時の人此草紙を浄瑠璃本とぞ申ける。こゝに岩橋検校といへる有て、この双紙に節を付ケ、夫よりして以来好事の人間出て浄るりの作文をし、音声すぐれし人に曲調して豊なる世のもてあそびとす。又人形とあはする事は、往じ慶長の比六字南無右衛門といふ女太夫四条河原に芝居を立興行せしに初る共いひ、又同し比西の宮の傀儡師みやこに出てかなでしが濫觴也共いひ伝へり。近世にいたりては或は座敷浄るり、あるは芝居浄るりなんど專らもてはやす事には成ぬ、然ども其文勢筆力なく何となく拙く感情もなかりければ、只下々のもてはやすのみにして、中人以上は曽て其本とて取あげみる事もなかりしに、元祿年間に近松氏出て始て新作の浄るりを作り出し、竹本氏が妙音にうつさせたりければ、聞人感情を催し、ひそかにその本をもとめて其作文をみるに文体拙からず、儒仏神によく渡り、《序2ウ》譬を取り故事を引にも人の耳にするどからず、貴賎のさかひ都鄙のわかち、それ〳〵の品位につきてさこそあるらめとおもはせ、道行等のつづけがらもいせ・源氏の俤をうつして、しかも俗間の流言をおかしくつらねければ、自然と貴人高位も御手にふれさせ賞し翫し給ひしより、打続て数多の浄るりを作り出すに、佳言妙句挙てかぞへがたし。終に其名を天下にあらはし、彼浄るり本を見るに恥なく成て、專ら世上に流行する事数十年に及べり。是偏に近松氏が力なり。然して近松死したれた共猶余光うせず、其門に遊ぶの人相続て作文をなす。夫より数多の作者出来りて、今に於て燦然たり。皆是近松がながれをしたふが故に、其おもかげ残て甘味ある事すくなからず。然はあれど元来近松が器なければ古語の取あやまり古実のたがひまゝ有て、気の毒ながら気転発明がおとらぬ所も有て、近年の浄るりにも世人の耳目を悦しめ、或は希有の一趣向《序3オ》を出して大に当りを取事、是また達人といはんに強て難有べからず。
○往年某近松が許にとむらひける比、近松云けるは、惣じて浄るりは人形にかゝるを第一とすれば、外の草紙と違ひて文句みな働を肝要とする活物なり。殊に歌舞伎の生身の人の芸と芝居の軒をならべてなすわざなるに、正根なき木偶にさま〴〵の情をもたせて、見物の感をとらんとする事なれば、大形にては妙作といふに至りがたし。某わかき時大内の草紙を見侍る中に、節会の折ふし雪いたうふりつもりけるに、衛士にあふせて橘の雪はらはせられければ、傍なる松の枝もたはゝなるがうらめしげにはね返りてとかけり。是心なき草木を開眼したる筆勢也。その故は橘の雪をはらはせらるゝを松がうらやみて、おのれと枝をはねかへしてたはゝなる雪を刎おとして恨たるけしき、さながら活て働く心地ならずや。是を手本として我浄るりの精根をいるゝ事を悟れり。されば地文句せりふ事はいふに及ばず、《序3ウ》道行なんどの風景をのぶる文句も、情をこむるを肝要とせざれば、かならず感心のうすきもの也。詩人の興象といへるも同事にて、たとへば松島宮島の絶景を詩に賦しても、打詠て賞するの情をもたずしては、いたづらに画ける美女を見る如くならん。この故に文句は情をもとゝすと心得べし。
○文句にてには多ければ何となく賎しきもの也。然るに無功なる作者は、文句をかならず和歌或は俳諧などのごとく心得て、五字七字等の字くばりを合さんとする故、おのづと無用のてには多くなる也。たとへば年もゆかぬ娘をといふべきを、年はもゆかぬ娘をばトいふごとくになる事、字わりにかゝはるよりおこりて自然と詞づらいやしく聞ゆ。されば大やうは文句の長短を揃て書べき事なれ共浄るりはもと音曲なれば語る処の長短は節にあり。然るを作者より字くばりをきつしりと詰過れば、かへつて口にかゝらぬ事有物也。この故に我作には此かゝはりなき故、手にはおのづからすくなし。
○昔の浄るりは今の祭文同然にて花《序4オ》も実もなきもの成しを、某出て加賀掾より筑後掾へうつりて作文せしより、文句に心を用る事昔にかはりて一等高く、たとへば公家武家より以下みなそれ〳〵の格式をわかち、威儀の別よりして詞遣ひ迄、其うつりを專一とす。此ゆへに同じ武家也といへ共、或は大名或は家老その外禄の高下に付て、その程々の格をもつて差別をなす。是もよむ人のそれ〳〵の情によくうつらん事を肝要とする故也。
○浄るりの文句、みな実事を有のまゝにうつす内に、又芸になりて実事になき事あり。近くは女形の口上、おほく実の女の口上には得いはぬ事多し。是等は又芸といふものにて、実の女の口より得いはぬ事を打出していふゆへ、其実情があらはるゝ也。此類を実の女の情に本づきてつゝみたる時は、女の底意なんどがあらはれずして、却て慰にならぬ故也。さるによつて芸といふ所へ気を付ずして見る時は、女に不相応なるけうとき詞など多しとそしるべし。然れ共この類は芸也とみるべし。比外敵役の余りにおく病なる体や、どうけ樣の《序4ウ》おかしみを取ル所、実事の外芸に見なすべき所おほし。このゆへに是を見る人其しんしやく有べき事也。
○浄るりは憂が肝要也とて、多くあはれ也なんどいふ文句を書、又は語るにもぶんやぶし様のごとくに泣が如くかたる事、我作のいきかたにはなき事也。某が憂はみな義理を専らとす。芸のりくぎが義理につまりてあはれなれば、節も文句もきつとしたる程いよ〳〵あはれなるもの也。この故にあはれをあはれ也といふ時は、含蓄の意なふしてけつく其情うすく、あはれ也といはずしてひとりあはれなるが肝要也。たとへば松島なんどの風景にても、アヽよき景かなと誉たる時は、一口にて其景象が皆いひ尽されて何の詮なし。其景をほめんとおもはヾ、其景のもやう共をよそながら数〳〵云立れば、よき景といはずしてその景のおもしろさがおのづからしるゝ事也。此類万事にわたる事なるべし。
○ある人の云、今時の人はよく〳〵理詰の実らしき事にあらざれば合点せぬ世の中、むかし語りにある事に当世請とらぬ事多し。さればこそ歌舞伎の役者なども、《序5オ》兎角その所作が実事に似るを上手とす。立役の家老職は本の家老に似せ、大名は大名に似るをもつて第一とす。昔のやうなる子供だましのあじやらけたる事は取らず。 近松答云、この論尤のやうなれ共、芸といふ物の真実のいきかたをしらぬ説也。芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也。成程今の世実事によくうつすをこのむ故、家老は真の家老の身ぶり口上をうつすとはいへ共、さらばとて真の大名の家老などが、立役のごとく顏に紅脂白粉をぬる事ありや。又真の家老は顏をかざらぬとて立役がむしや〳〵と髭は生なりあたまは剝なりに、舞台へ出て芸をせば慰になるべきや。皮膜の間といふが此也。虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰が有たもの也。是に付て去ル御所方の女中、一人の恋男ありて、たがひに情をあつくかよはしけるが、女中は金殿の奥ふかく居給ひて、男は奧方へ参る事もかなはねば、たゞ朝廷なんどにて御簾のひまより見給ふもたまさかなれば、余りにあこがれたまひて《序5ウ》其男のかたちを木像にきざませ、面体なんども常の人形にかはりて、其男に毫ほどもちがはさず、色艶のさいしきはいふに及ばず毛のあな迄をうつさせ、耳鼻の穴も口の内歯の数迄寸分もたがへず作り立させたり。誠に其男を傍に置て是を作りたる故、その男と此人形とは神のあるとなきとの違のみ成しか、かの女中是を近付て見給へば、さりとは生身を直ににうつしては、興のさめてほろぎたなくこはげの立もの也。さしもの女中の恋もさめて、傍に置給ふもうるさくやかて拾られたりとかや。是を思へば生身の通りをすぐにうつさば、たとひ楊貴妣なり共あいそのつきる所あるべし。それ故に画そらごとゝて、其像をゑがくにも又木にきざむにも、正真の形を似する内に又大まかなる所あるが、結句人の愛する種とはなる也。趣向も此ごとく、本の事に似る内に又大まかなる所あるが、結句芸になりて人の心のなぐさみとなる。文句のせりふなども此こゝろ入レにて見るべき事おほし。《序6オ》
浄瑠璃評註巻之一
目録
○御所桜堀川夜討
○お初天神記
巻之二
○北条時頼記 幷雪之段《序6ウ》
○安倍宗任松浦簦
巻之三
○大内裏大友真鳥
巻之四
○国性爺合戦《序7オ》
○刈萱桑門筑紫𨏍
巻之五
○蘆屋道満大内鑑
○大塔宮曦鎧
浄瑠璃評判目録終《序7ウ》
浄瑠璃評註巻之一
外題
此浄るりは九郎判官との京ほり川の御所に御座有し時、鎌倉の頼朝卿より土佐坊を討手にのほされ、堀川の舘にて夜うちの始終をあみ立たる故、かく外題する也。げだい当世の気に応じ尤面白し。
序
○恩は春のごとく威は虎のごとく訓は父のごとく愛は母のごとしと李厳をうたひし吏民の詞
李厳は三国の時の郡守也。民をよく治し故民の吏や民共が其徳を《2オ》ほめてうたひし詞也。民をめぐむは春の陽気の草木をうるほすがごとく、下を畏すに威のある事は虎のはげしきがごとく、民を教るに道の明かなる事は父が子を教るがごとく、民をあはれみて愛する事は母が子をいつくしむがごとしと也。こゝは平家ほろび源氏の世となりて、頼朝義経の民を治め給ふになぞらへいふ也。
○義形せり
儀刑と書べし。儀とし刑といふ事にて、君の徳が天下の手本となりて四海がのつとるといふ事なり。
◎評、右の序文、近松の筆法とは大にたがひ、句作りの格何となくいやしく、理もまたとくと本意に妥貼ず。しかしこれらは全体の文づらの巧拙の論なれば、何許を指てその好悪をあらはしがたし。但し漢和の文共を多く見たる人の目には、おのづからみゆる事也。是ぞ古人のいへる知人ぞ知の場なるべし。
○兄によろしく弟に宜して国民をおしゆといふ《2ウ》
大学に詩経を引て、国ををさむるの本は家の内にて兄弟中よくするが肝要なりとおしへたるを引なり。よりともよしつね兄弟にかけていふ。
○呉越とへだゝり
春秋戦国の間、呉の国と越の国と不和にしてたゝかひにおよびし故、中のあしくへだゝるをいふ。是に付て世俗あるひは間のはるかにへだゝる事を呉越になぞらへ思ふは誤り也。呉と越は遙ならず。唐詩に到江呉地尽隔岸越山多といへるも、呉越の界たゞ江をへだてたるのみなる事知るべし。但し間のへだゝるは胡越なり。唐人も間の遠くへだゝる事を胡越のごとしと書簡に書る事あり。
○摩利支天
軍をまもる天部の本尊なり。
○その咎をしらためるに
しらためるの語淺ましゝ。是は京大坂などの側陋の匹夫などが、調るといふ事と改るといふ事とを聞はつりて、両語を一つにしてしらためるなんど《3オ》いふ。それを直に取たるならん。殿中にてかぢはらが口上には似合ず。
○甲がしやり
大友真鳥の抄に出せり。
○梵天帝釈
仏法にいふ卅三天の司にて、天帝也。
○闔魔法王
是も仏法にいふゑんまわう也。閻魔こゝには双王といふ。但し苦と楽とをならび受給ふゆゑ也と名義集にみへたり。
○五道の冥官
地藏十経王に出たり。めいどの官人なり。誓文に請ずる所の本尊、この外に十二神あり。
○泰山府君
是も誓ひにもちゆる神也。陰陽者流のたつとぶ神にて、史記にもみへたり。
○阿鼻地獄
阿鼻こゝには無間といふ。呵責の間しばらくも間なき故に名づくといへり。
○龍の腮の珠
此事列子に出たり。河上翁といふものゝ子、川に沒て千金の珠を得たり。《3ウ》河上翁がいはく、石を取て是を鍛、かならず名珠ならん。惣じて珠といふものは驪龍の腮の下にあり。汝是を取えしは龍の睡たる時に出あひしならん。さなくば汝が身を粉にせられんものをと嘆じけるとなり。
○衆星北に拱して
天の衆の星は四方にめぐりて、北斗は北にありて動ぬゆへ、衆星がめくりては北の方の北斗に拱を北にたんだくすといふ也。論語にも此たとへ見えたり。
○靜はたへかねコレのふと立よるを駿河がへだてゝどこへ〳〵もう泣ごとはかなはぬ我君に見放されて身のたてらいがならずば
身のたてらいとは何々の詞ぞや。身が立ずばとか、身を立るたつきがなくばとか、身を立るあだてがなくばなんどいはゞ、か程には鄙からじ。《4オ》
○流殺の法は黄帝の御代に始て
流罪の事、書経の舜典に出たる四罪が、たしかなる書にみへし始とすべし。書は尚書よりふるきはなき事、漢以来の諸儒の説也。こゝに小ざかしく黄帝に始るといひしは、後世の雑書の端にさだかならぬ事の記せるを見ていふなるべし。今の作者は誰もすべき事也と、近年世上に評判するも其理ある事也。みな此類の誹諧学文なる故なるべし。
○施は財と法と無畏の三つ
在家より沙門へ金銀などをほどこすを財施といひ、出家より俗へ法をほとこすを法施といふ。又真実の妙道を得て畏る事なき徳をほどこすを、無畏をほどこすといふ。此事つぶさに起信論に出たり。
○剛臆を見て
剛はつよき也。臆は臆病なる也。しかし此語は日本の軍書詞にて、漢文には通ぜぬ詞なり。《4ウ》
○四民
土農工商也。士は官につかへる人をいひ、農は百姓をいひ、工は諸職人をいひ、商は諸商人をいふ。此四つにはづれたるを遊民といふなり。
◎評、 此間の追はきの段、理句義文句共はなはだ面白し。針右衛門はおかしく、ばくち打は小きみよく、親孝行の貧者は思ひの外にあたゝまりて、よそのみる目をこゝろようす。さりとは作意也。殊に伊勢ノ三郎が我身につまされての感心、尤人情のいやといはれぬ所にて、又むかしも是に似たる例有て賢者の論にも合へり。むかし漢の代に呉祐といへる郡守の掾に孫性といふ者ありて、其父まづしく寒気をふせぎかねし故、孫性がわたくしにて支配の在々へ公用金なりとて民の金を出させ、衣服をこしらへて父にさづけゝるに、其父いたりて簾直なる者にて、汝いかなる術をもつて此衣服を得たるぞと問ける故、有のまゝに答ければ、その父おゝきにいかり、官につかへる身としてかゝる私の非道、天道のおそれあり。急ぎ郡守へ参りて此趣を白状し、その罪を乞候へといゝ付ケける《5オ》にぞ、孝心ふかき余り父の下知にしたがひ郡守に其旨を白状しけれは、郡主呉祐かへつて是を感じ、汝は父をいつくしむ故をもつて民のたからをかすめ汚れたる名を取れり。勿論民をかすめしは汝が過なりといへ共、又父のためにする所もだしがたし。是すなはち孔子のの給ふ、過を見て仁を知るといふもの也とて、天子へ奏してその衣服をゆるしあたへけると也。今伊勢ノ三郎がみづから劫盜をなすも、おやの故なれば誰か不義也とにくむべきや。尤見物のひいきをうながすものなるべし。
○耆婆や華駝
ぎばは天竺の人にて釈尊時代の名醫なり。くわたはもろこし三国時代の名医にて、蜀の関羽を療治せし人なり。
◎評 此浄るりは二段目一段丸ぐち無疵の上々吉、扨〳〵よくは作意を煉たるもの也。しかも瑣細な所に気のついて隅から隅迄みぢんのぬけめもないとは《5ウ》此事、是を思へば三段目はよつぽどまだるい事がち也。惣じていせの三郎に付たる趣向の筋、一から十迄尤ずくめ、しかも骨つぎの段には余程おかしみ有て気の尽をさんじ、其跡土佐と出合てのせりふ、老母の立あひ何から何までよくも〳〵揃ふたりとみゆ。但し場が三のしゆかうとならぬが残念也。二段めには打てつけたる極上々の作意なるべし。
ある人難じて云、伊勢ノ三郞は道を守るひんぬきに仕立たるに、浪人のならひとは云ながら劫盗をさせたる所が少しいさぎよからず。もしも学者などが見て評せばすこし云ぶん有べきか。 答 学文の理屈と世間の人情とは少しづゝ違のあるもの也。こゝをよくのみこまねば右のごとき難ある事也。殊に世上の人ごゝろには判官ひいきといふ僻ありて、おゝだゝいが実方にて手抦なんどある人の事なれば、疵有てもよく云なし、又よく思ひこむ所が、芸にもちこむ骨髓なり。されば歌舞伎浄るり共義理を本とする事なれ共、その《6オ》義理に右のかけ引ある事也。それを一向に理くつぜめにして評判すれば、芸の本意を取失ふ事、たとへば西と東との違ひができるもの也。それに付ちか比京都のさる学者を門弟がふるまひて芝居をみせければ、此学者都に住ながらよく〳〵無風雅に偏屈なる人にや、当代の役者の名も顏も見た事なく、みごと其日は一日見物せられしが、帰りて後門弟共問けるは、かの芝居の立役の内いづれが上手也と思しめすぞといふに、答て、かの若殿に成し悪人形が芸ぶり甚だおもしろかりし、是が上手ならんといはれし故、それは嵐三右衛門とて実形にて候。かの継母と一つになりて若殿の遊女ぐるひを云立にして、家を追出さんとたくみし家老が悪人がたにて候といゝければ、いや〳〵それは理にちがひし評判也。あの若殿がごとく淫酒におぼれて放埒至極のおこなひをなさば家の滅亡ゆへ、そこをとがめて追出さんと謀るまゝはゝや家老は至極の尤也といはれしとかや。芝居を此やうにみられてはいかなしばゐも仕廻成べし。《6ウ》
○風の勢ひは大海の波をうごかせ共井の内の水をうごかす事あたはず
語の心はよく聞えたり。但しこの語は正しき古人の成語とはみへず。それゆへ経子史集の四部には大かたみへぬ語ならんと思へば、穿鑿に及ばず。此国にて出来たる管蠡集といふ書に、日月は大地をてらせ共海底をてらさずとある下に、此語に似たる事あり。然れ共たしかる語にはあらず。
○親〳〵矛楯の折からに
こゝのむじゆんといふ事、世俗は中のたがふ事共思ひ、又は相違する事共おもへり。みな誤り也。是は故事にて、自身の口上が自身にくいちがふ事にかぎりていふ詞也。むかし一人の士矛と楯とを売ものあり。矛を売んとては此ほこをもつて突時はいかなる楯もつきとをさずといふ事なしと《7オ》いひ、又楯を売んとては此たてにてうくる時はいかなる矛をも請とめずといふ事なしといふ。ある人難じて若又なんぢが矛にて突かけ汝がたてにて請とめばいかゞととがめければ、此者何共こたへんやうなく自身の詞の相違せるを恥たり。是より自言の相違せるを矛楯とはいふ也。作者その義をしらず。是たゞ今やう作者の斗筲の輩文盲の罪也。
○伊勢の二字を偏と傍に引わくれば人平に生るゝは丸が力とよむとあれば
辻談儀する物もらひが神道を講釈する迚、何がな仏法をそしらんとて、西は西方極楽とて仏法には西をたつとむ。されば西の心になればたちまち人の道にそむく故、悪とは西の心と書なんど、おのが胸のくらきにまかぜて盲蛇におぢずのたは言、世間はひろき物《7ウ》なれば目あき千人めくら千人、みんごと口過をしてとをるもおかし。されば伊勢の二字を此に書たるごとくいひならはす事、愚俗の世話にある事はある事なれ共、偽銀もにせがねと知ては取ましき道理なれば、僻言を取もちゆるは作者の目がかすむ故とおしはかられて浅はか也。近松なんどはかやうの所に自分の力量のあらはゝるゝを恥、一向学者などの笑ふ事は除て書ず。さればこそ近松有てより後は浄るり本が下におかれず、上〳〵がた迄も御覽あるやうに有しに、近年は本のもつたいぐわつたりとおしさがりて、公家武家のうへを書も町屋下ざまの挨拶体になり下り取あげてみられぬ事多し。伊勢の伊の字の傍は尹の字也。平の字にはあらず。勢の字も又生るゝの偏にあらず。本字勢なり。俗に㔟とかくはやつしよりあやまりたる也。但し此の本文には平産の縁をとらんため俗説を用ひたらんか。俗の耳には尤らしく聞ク事も有べし。然共盲千人《8オ》の誉たるより目あき一人の笑ひにかゝるは身の汗をしぼる種なるべし。賢者の詞に身かならずみづから侮てしかふして後、人これをあなどるといへるごとく、作者も自身に我道の威光を引さげる事又口をしからずや。されば悪の字を西の心と書と思ふも、伊の字を人平とよむとおもふも担ふておるゝ棒にあらずや。
○伯夷叔斉はその罪をにくみて其人をにくまずといへり
論語にはくいしゆくせいは旧悪を思はずとの給ひし孔子の意を取て、其語を作りなをして用ひたる也。
○倶不戴天
礼記に君父の仇には倶に天をいたゞかずといひて、君と父とを殺されたる敵とは同じ天をいたゞきて同じ世に住べき義にあらず。すみやかに其讎を討ほろぼすべしと也。《8ウ》
○古の高良の臣は湯起請取て
高良のしんとは武内宿祢也。人王ノ十六代応神天王三十一年、たけちのすくね勅使として筑紫におもむきける其跡にて、弟むましうちのすくね帝へ讒して、武内三韓をかたらひ謀叛の志ありと奏す。天皇おどろき給ひて使を下し武内を討しむ。武内の臣まね子といふ者武内に代りて死す。武内是よりひそかに上洛し咎なきよしを奏す。みかど疑ひ給ひて武内兄弟を神前において湯をさぐらしむ。是湯ぎしやうの由来なり。
◎評 蜀紅の錦も衣服の裁縫があしければ木綿布子におとるべし。比所の梶原が名字そなはりし慥なる連判状を義経公やき給ひて、鎌倉の大小名の中にも此連中あるべければ、みな〳〵心を安堵のためわざと焼捨給ふとの意、遠くは楚の君、ともしびをけさせ冠の纓をきらさせ給ふの徳に似、近くは《9オ》魏の曹操我にそむける百官共の天子への奏状を箱の内にて焼せたるふぜいにて、あつばれ大将の胸中広大なる一器量のみゆべき所也。たゞ残念は筆さきしぶりて其意を尽さず。跡先の文言はつきりめかぬ故にや、泣ねいりに肝心の甘美がぬけ、見る人きく人の感ずる段迄とゞきかねるは残念〳〵。アヽ近松恋しや。
○勇士の戦場におもむく時三忘とてわするゝ事三つあり
この本文七書の中にみゆ。本文の心はきこえたるとをり也。
○もろこしの樊噲が母の小袖を母衣と名づけ戦場迄も持たりといふ
此事史記・漢書等の実録にはみへず。通俗などの中に出たるならんか。《9ウ》
◎評、弁慶は一代にたつた一度女犯せしといふ諺、子共迄いひ伝ふる事にて、しかも是迄狂言に取くまぬ事なればまことに結搆なる一口趣向なるべし。是によつて作者の思ひつきとみへたれ共、浄るりに仕立あげたる上にてみれば当世の気にくいちかふやうにおもはれ待る。それ故にや世上にこの所の評判はづまぬよし。今の時代、女形があら事するを悦ぶ気にはのらぬ筈也。尤もべんけいがせりふづけ弁慶らしくぎごつなくはきこゆれ共、いかにしても女房といふ道具おとし一体がなまけて見へ、芥子酢のきぶい所へ砂糖水をくはへたやうに、底があまふて見物にもたれのくるきみ多し。是を思ふに大事のもの也。かの鹿を逐ふ猟師は山をみずとかやいひて、鹿に計り目が付て向ふみずに追かくれば山に行あたる。難ある所に目がつかず。べんけいに此しゆかうははづむと計り目が付て、かんじんのべんけいにぬるみのくる所へ目がつかず。ついに当世のはづみを失へり。されば此浄るりあつたら二段目を三で引もどすやう、十ぶんのあたりとは《10オ》みへず。誠におしむべし。そのうへ両人が肌にわけしふり袖は、淸十郞おなつの土用ぼしかびくさく、播州ひめぢのしのび寢は、七小町に名にしあふ大原のざこねの夢まださめず、殊にべんけいが娘を切てより後のせりふ、うれひの中にすこしおかしみの出る文句あり。どこ共なふうれいもしらけて諸見物のうるほひすくなし。
又ある人の難に弁慶が肌着は童の時よりして昼夜身をはなさず今此場の役にたちし事、あまりに見物をうつぶけたる趣向ならずや。弁慶がおさなだちより是迄の越方、いか計りのへんれきとかせん。矢島のうら波、一の谷のしほ風、数十年のあらばたらき戦場の大汗にひたしては、おそらく斎の晏子が名を得し三十年の狐裘なり共有べき事とは思はれず、事のかけたる仕組かなと嘆息せしもさる事なるべし。
○道行
注なし。《10ウ》
この道行に評注なきはいかん。答。この道行一つも注すべき事なし。其上近年の道行の文句は生玉祭文あるひは手まり歌・絵双紙やうの口気におちて、多くは評ずるにたらず。近松が筆勢の光燄はたへ果たり。おしいかな。近松が道行は何となく句がらけだかく、やゝもすれば歌書の体源氏なんどのうつり有て、優美なる事かくべつ也。それに目なれて今時の道行は一向評議におよぶべからず。
○須弥の四州の四天王
仏説に世界をしゆみせんといふ山に作り、東西南北の四州にわかち、四方をつかさどる四天王也。多門・持国・増長・広目の四天にて、謠などにも多くある事ゆへつまびらかにはしるさず。
○夜討によせたる正俊が心をみする此ゑびらと《11オ》重藤と共になげ出すを伊勢ノ三郞おつ取てみれば弓には弦もなく鏃をぬいたるゑびらの矢幹
この正俊が義を立し所、よく聖賢の意にかなへり。孟子離婁の篇に此義と同じき事あり。鄭の国より衛の国をうちし時に、鄭の大将を子濯孺子といふ。衛の国よりは庾公之斯といふを大将として向はしむ。しかるに戦場にてしたくじゆし俄にやまひおこりて弓を引事かなひがたく、其士卒に云けるは、我かならず今日の軍に討るべし。我レ病て弓をひく事かなはずとて其日の衛の大将を誰なるぞと問に、士卒こたへて庾公之斯なるよしをいゝければ、孺子聞てしからば命をたすかるべしといふ故、士卒ふしぎに思ひ、ゆこうしゝは衛の国にて声にきこへし弓の上手なるよし。然るにかれが向ふと聞て命を《11ウ》たすからんとの給ふはいかなる故ぞと問ふ。孺子こたへて庾公之斯は弓を尹公之他といふ人に学べり。尹公之他はわが弟子なるが日比たゝしき人なれば、其人が友として弓をおしへたる庾公之斯はかならずたゞしき人なるべし。此故に我レをたすくるを知るといふ。果してゆこうししせめ来て孺子の弓をひかざるをうたがひ問に、じゆし病おこりたるよしを答けるにぞ、ゆこうしゝがいはく、我レは弓をいんこうしたにまなび、いんこうしたは弓を君にまなべり。我レ君の術をもつて君を害するにしのびず。然れ共今日のたゝかひは我君の命なれば捨られずといひて、矢をぬきて乗たる車の輪にたゝきつけやじりをぬき拾て、中ても孺子に害なきやうにして矢をはなつて引しりぞけりと也。此事義によくかなひたるゆへ、孟子是を取て教とし給へり。
○けいほうきそくの日
此事いまだかんかへす。
○呉子孫子張《12オ》良陳平韓信に諸葛が術をそらんじ給ひ
呉子と孫子とは戦国の時の兵法の達人也。すなはち呉子も孫子も兵書をあらはして七書の中の一つなり。ちやうりやう、ちんべい、かんしんは漢の高祖の臣にていづれも名将なり。しよかつは孔明にて蜀の劉備の謀臣なり。
◎評 四段目の奥、いそのぜんじが舞に取まぜ藤弥太がはたらき、尤気を取ル仕くみ也。さて土佐房を善にしたて、初段の口にかまくらにて誓紙を書せたる所、世上のいゝつたへを反へなして、新しく今この場にてよしつねにもせいしを奉り、御父義朝公の重恩を思ひ、よりともよしつね御兄弟へ共に奉公の筋を立たる尤おもしろきしゆかう也。べんけいが尻馬は番場の似せ土佐、正真の土佐は忠信をたてぬき伊勢ノ三郞にうたれし所、始終《12ウ》よくぬけたるもの也。すべて此段もあなのあく所みへず。いかさま佳作といふべし。
○馬歴神
馬櫪と書べし。厩の神なり。
◎評 正俊と正尊と、むかしより土佐が実名を二樣に云ならはせるを拠にして、真と偽とをわけ、真の土佐ぼうは正しゆんにして正ぞんが偽土佐なりとの事、尤似つこらしき作意なり。これより奧のかんたんのまくらの一きよく、諸見物ながことのたいくつを引たて、罷顔のよきやうとの取くみ、尤さもあるべし。《13オ》
曽根崎の天神のやしろの境内にて、天満屋おはつ心中したるよりして、此天神をお初天神とよびならはせり。此浄るりおはつが心中の始終を作るゆへかく外題せるなり。
○げにや安楽世界より
此語田村のうたひの語をすぐに取て書たる也。あんらくせかいは極楽といふにおなじ。示現はかりに形をあらはし給ふとの意なり。
○のぼりて民の賑ひを契り置てしなにはづや
是は仁徳天皇高津にのぼりなにはづの体を見給ふに、貢ものをゆるされて民が富さかへて賑ひけるを御覽まし〳〵ての御製に、《13ウ》高きやにのぼりてみればけふりたつ民のかまどはにぎはひにけりと詠じ給ひ、すへの世迄も此所の民のにぎはひをことぶき契り置給ひしなにはづ也との事なり。さて大坂をなにはといふ事は、むかし神武天皇日向の国より御舟にてのぼり給ふ時、此所にて浪速く御舟こえ難かりしかば、此所を浪速の国と称給ひし事日本紀にみへたり。浪速もなにはとよむ。又なみのあらき心にて難波共書、みな此時の故事也。さて大坂を三津の里共大江の岸共いふなり。
○三つづゝ十と三つの里
大坂三十三所の観音のある所三十三所ゆへ、三つづゝ十と三つといふ。こゝの文句がら雅にして面白し。近松が手段にあらずばかく優美にはいひがたかるべし。是は伊勢物語の歌に、鳥の子を十づゝ十はかさぬ共といへる詞がらをかりて書たり。しかも大坂を三津の里といふにいひかなへて、三つづゝ十と三津の里と《14オ》詞を引うつりたる所妙也。大坂を三津の里といふは高津・敷津・難波津の三つある故也。
○罪もなつの雲
つみもなしといひかけてなつのくもといふ。
○かほよ花
杜若の事也。是も娥は妍よき事故云かなへたるもの也。
○てる日の神もおとこ神
神道にては日を天照大神とす。天照だいじんは陰神なり。しかるをかくいひしはいぶかし。但し日は陽なるゆへ、陰陽の方より取ておとこ神といへるならん。
○むかしの人も気のとをるの大臣の君が塩がまの浦を都へ堀江こぐ
融のおとゞは嵯峨天皇第十五の御子也。むかし加茂川のほとりに家づくりして住給ひ、六条河原院と申す。官位は従一位左大臣にて《14ウ》まします故大臣といふ。しほ竈の浦はもと陸奥宮城郡にある名所也。とをるのおとゞ、此塩がまの景を都の宅にうつし給ひしが、今なにはの堀江をこぐ舟の其しほがまのうらのけしきにて、茶ぶね・荷ぶねのかよひは塩くみ舟のことく也と也。
○弘誓の櫓べうし
くはんをんめぐり故、廿五の菩薩の来迎のぐぜいの舟によそへていふ也。ぐぜいは一切衆生を弘く済度せんとの誓願を立給ふ故、しゆじやうのいのち終る時、極楽より観音を第一として、廿五の菩薩がぐぜいの舟にて来迎し給ふと也。
○法の玉ぼこ
玉ぼこは道といはん枕詞也。故にのりのみちとのこころ也。
○ふだらくや
普陀洛迦山とてくはんおんの浄土なり。
○久かたの
久かたは空といはん枕詞也。空にまばゆきと云たるゆへ、久かたの光とうけたり。
○光に移る《15オ》我かげのあれ〳〵はしればはしる是〳〵又とまればとまるふりのよしあしみるごとくこゝろもさぞや神ほとけてらす鏡の神明宮
この段文句はよく聞えたり。空の日のひかりをうけてかゞみをいひ、鏡は神の御正体ゆへしんめいぐうをいふ。空にまばゆきと云出したるより以下の文句、みな神明宮をいはんためのまくら詞也。しかもはしればはしるとまればとまる等の詞、人形にふりを付たるもの也。女一人の道行ゆへ、ながきもんくの中には此文句のごとき事あれば、一入人形の所作がつきてふりがあるゆへなるべし。
○御仏も衆生のための親なれば
一切衆生悉是吾子と法華経に説給ふにもと付ていふ也。親の縁よりおはせと移たり。《15ウ》
○かもめなれも
鳥類畜類虫などをよびてなれもといふ也。歌ことばなり。
○はづかしのもりて
はつかしの森といふ名所ある故それにかけていふ也。山城の国乙訓の郡にあり。
○七千余巻の経堂
一切経をおさめたる堂也。一代の説経七千よくはんなりと也。
○経よむ鳥のとき
ほとゝぎすを経よむ鳥といひ、又はめいどの鳥共いふ。此事くはしく十王経に出たり。経よむ鳥といひてすぐに日暮の酉の時といひうつしたる也。
○きぬ〴〵も
きぬ〴〵は別れの事なり。
○空にきえては是も又ゆくゑもしらぬあいおもひぐさ
西行の歌に、 風になびくふしのけふりの《16オ》そらにきへてゆくゑもしらぬわか思ひかな。 此詞を取て書り。相思草はたばこの異名なり。
○夢をさまさんばくらう
獏といふけだものはよく夢を食ふといふ故事あるゆへ、ばくらうといひかけたり。されば枕屏風の絵などにおほく獏を書も、あしき夢をくはせんとの心也とかや。
○仏神水波のしるしとていらかならへし
仏は神の本地にて神は仏の垂跡なれば、神とほとけは水と波とのごとく也となり。いらかは甍と書て瓦なり。棟をならべたるをいらかならべしといふ。
○さしも草
たゞたのめしめじがはらのさしも草われよのなかにあらんかぎりはと、観音のちかひをよみたる歌によりていふなり。
○三十三に御身をかへ
観音は人を済《16ウ》度せんために卅三の身をあらはし給ふ事、くはんおん経にある故それによりていふ也。
○恋のやつこ
奴は下部の惣名なり。然れ共和語にやつこといふに二種あり。一種は鑓持などの髭やつこ也。是は常のとなへのことくやつことよぶべし。又やさしき童僕なんどは。や。つこトやの字を截てよぶべし。こゝは恋の。や。つこなるべし。
○とくゐ
あきなひ且那をとくゐといふ事京大坂の常語なれ共、遠き田舎にはしらぬ事也。先年奥方の学者、此浄るりをよみて、此詞をあんじ煩ひしよし聞つたへし故爰にあらはす。
○死手の山三途の川
めいどに死手の山とさんづの川ある事仏説に出たり。三途は火途・刀途・血途とて三つの途ありといへり。
○うつせ貝
身のなき貝殻なり。
○袖と〳〵をまきのとや《17オ》
和歌の恋の詞に、待わぶる付ケ合せに真木の戸ざゝぬといふ事あり。この本文も徳兵衛がまちたるにいひかけたるなり
道行
○あだしが原の道の霜
あだし世・あだし野・あだちが原みな化の字を書て、さだめなきあだなる心也。さればあだし野・あだしがはらはおほく墓所を指ていふ。今死にゆく身なればむしよへの道行の心也。又あだちが原といふ詞もあり。大和詞にあたちが原とはおそろしきをいふといへり。然ればあだちが原と見ても遠からず。しかれ共其本意はあだしが原也。さて命のはかなきを露霜にたとへたる古語おほし。その意を取て道の霜といひ、霜より取てきへて行といへる、皆おもしろし。
○ひとあしづゝに消てゆく
道の霜といふより縁を取て、一足づゝにきへてゆくと受たる、尤おもしろし。しかもひとあしづゝにきへてゆくの意は、人の命の一日〳〵にちゞまる事を、仏経に屠処《17ウ》の羊のあゆみにたとへたる語あり。羊を殺すものを屠者といふ。その屠者が羊を屠場へ引てゆくをみれば、ひかれゆく羊は一あゆみ〳〵にておのが命がちゞまるなれ共それをしらず。凡夫のいのちのちゞまるをしらぬもかくのごとしといへり。これらの心をふまへて書たるゆへ、底に意味をふくみたる文句也。
○夢のゆめこそあはれなれ
うき世は夢なるに、又我身のいま死にゆくはかなさ、さながらゆめの内にまた夢をみしこゝちなれと也。此世を夢といふ事は仏説におほき中に、唯識論に云、いまだ真覚を得ざれば常に夢中に処す。故に仏説て生死の長夜とすといへり。金剛経にも一切有為の法は夢幻のごとし共いへり。又詩にも人間一夢中などゝ作りて、浮世のあだなるを夢にたとへたる、これらの語をふみて書たる文句也。
○鐘のひゞきの聞おさめ寂滅為《18オ》楽とひゞくなり
涅槃経の偈に、諸行無常是生滅法、生滅々已寂滅為楽と説給ふ。此心はうき世のもろ〳〵のものは一つとして常ある事なし。生ずればかならず滅するの法也。されば生じては滅しめつしては生じひたすら生滅を経て、其終り寂滅としづかに滅しおはりたる所を、真実のたのしみとするとしめし給ふ也。されば今死ぬる身にじやくめつをたのしみとするのひゞき也と聞とれば此世よりさとりしこゝろもちあり。
○雲こゝろなき水の面北斗はさえて影うつる星のいもせのあまの川梅田の橋を鵲のはしと契りていつ迄も我とそなたはめうと星かならずそふとすがりよりふたりが中にふるなみだ《18ウ》川のみかさもまさるべし
陶渕明が帰去来の辞に、雲無心以出岫といふ語あり。その外詩人の詞に、雲の心なきを人情のうき思ひの胸にふさがる目より見てうらやむ心多し。こゝも其心にて書なせり。我〳〵はうき思ひにかきくれしに、うらやましや雲は心もなく何の苦もなくみゆると也。それより水の面とうつりて、しゞみ川のけしきをいひしも、彼の空はひとつに雲の波といへる心もちに書なし、空の景気と今目前の川辺のけしきとを打混じて、上と下とでいひたる甚だめづらか也。空のほくとはこゝろよくさへて、其かげ水にうつりてかゞやくも、我むねのくもりたるには事かはりてうらやまれ、わきてうらやましき事は、七夕の星のいもせのちぎりをこめ給ふ天の川もあり〳〵と、さぞな二星は千歳をかけて、つきぬ契りをむすぶらん。さらば我〳〵もあやかりて、今わたる梅田のはしをかさゝぎの橋とちぎり、かならずそはんとす《19オ》がりよる有さま、その景その情その態いづれもさも有べし。かさゞぎの橋とは牽牛織女の二星落合給ふ夜かさゝぎがきたりて羽をのし天の川をわたすとのいひ伝へなり。扨ふる雨よりいゝかけて川のみかさとうつりたるも、筆のあゆみこゝろよくおもしろし。みかさは水のかさ也。水のかさ高くなるを水かさもまさるべしとはいへり。
○きくに心もくれはどりあやなや
応神天王の御時、使を呉国へつかはして綾をる女をもとめ給ふに、呉国四人の綾をり女をおくれり。其中に呉織・穴織と名付るありしゆへ、是よりしてくれはどりといふ詞をうけてはあやとつゞる也。爰も心のくるゝといふをいひかけてくれはどりと云たる故、あやなやと受たる古歌の心にかなひておもしろし。古歌に、くれはどりあやにこひしく有りしかばふたむらやまもこえずなりにき。
○せめてしばしは《19ウ》ながゝらで心もなつの夜のならひ
心もなしといふ心をもたせて心もなつといひかけたり。此類のいゝかけは結句きれいにして雅なり。
○だんまつまの死苦八苦
いのちの終んとする際のくるしみを断末間のくるしみといふ。死苦はもとより死する時のくるしみ也。八苦は人間の八苦なり。死苦といひたる故八苦とうけたる、是もいひかけの類なり。
浄瑠璃評注一之終《20オ》
『浄瑠璃文句評注 なにはみやけ 上ノ末』 《表紙》
此浄るりは伊予守みなもとの頼義、御子八幡太郎義家の両将、奧州あべの貞任・宗任を退治して凱陣あり。其後都にて山純親王のむほんをふたゝび平治し、その上むねたふを度〳〵ゆるし、其終に奧州の旧地をあたへ松浦党と名のる事をつゞりたり。外題当世の気に応じ諸人の評判よろし。但し簦の字をきぬがさとはめづらしき和訓なりと、黒字を見知りたる人は咲するもいやとはいはれず。
序
○飛禽也恩耶義を知る猛虎尚恵与仁しる治乱我にあり敵にあらず帰心叛意おのれが《1オ》身たり同一甘味の民と君
この最初の二句は詩の語とみへたれ共、其出所つまびらかならず。其心はよくきこえたり。空をとぶ禽だにも恩義を知り、たけき虎さへ恵仁の心はあり。是らにさへ恩義仁恵あるをみれば、まして人たる者誰か仁恵を捨んや。しかれば此方よりさへよくあしらふ時は、敵となるもの有べからず。たゞ世のみだれて敵多きは、此方よりのもてなしのあしき也。かくみる時は此方のしむけ次第なる程に、治乱我レにあり敵にあらず。我にきぶくする心と我にそむく心とのさきさまに出来るは、皆おのれよりの仕むけによる。然れば帰心叛意おのれが身なるにあらずや。さて右のごとくみる時は、怨と情と二つにあらず。同一なりと也。此序のこゝろ義家卿が宗任をしたがへさせ給ふをふまへていふ。其文面よく意にかなひ面白し。但し筆者のあやまりにや、智の知の字を智の字に書たる見苦し。又同一《1ウ》甘味の甘の字鹹の字にあらざれば意義通せず。その故いかんとなれば、作者には御存なきかもしらねど、此語はもと仏書におゝく出たる語也。是は古歌にいふ、わけのぼるふもとの道はおほけれどおなし高根の月を見るかなと詠ぜしごとく、仏のおしへさま〴〵に別るれ共、つまる所の本は一理に落るをあかさんとて、千川万河の水、その流のすじはわかるれ共、おちこむ所は一つの大海にして同一に鹹味となるとのたとへ也。海水の鹹をいふなれは甘の字大にあやまれり。作者よく〳〵引るゝ所の本書を見られよかし。
○上意にまかせ天奏をもつて上聞に達せしに
天奏は伝奏のあやまり也。堂上に議奏衆・伝奏衆とて事を天子へ奏する役なり。その内に伝奏は別して武家の事を奏するゆへ武家伝奏共いふ。いま天の字に書たる笑ふべし。又上聞といふ《2オ》詞も、天子へそうするには耳なれぬ詞也。但し今の浄るりには何方もかくのごとき胡椒丸のみなる事多し。然ればかやうの僻言は当世浄るりのはやり物共いふべし。
○大みや人
禁中の人々を指ていふ詞也。
○うぐひす蛙も歌をよむ
かはづの歌はむかし紀の良貞といふ人住吉もうでの時、浦の草をもとめに出けるに、木の下にうつくしき女の立居けれは、心をかけていゝよらんとするに、かの女今は露ばかり思ふ事あり、かさねて爰にきたり給へかならず相見んとちぎりてわかれし故、其明る年けいやくのごとく、良貞又かの浦に出て待けれ共其女は来らずして、たゞ砂の上にかはづ有て前わたりせしかば、其蛙の跡をみれば卅一字の歌也。 すみよしのうらのみるめもわすれねばかりにも人に又とはれぬる。良貞おどろき是を見て、扨は過し比女と見しは此かはづよとそしりける。又《2ウ》鴬の歌は孝謙天王の御宇に、大和の国たかま寺の軒端の梅へうぐひす来りてさえづる。老僧その声を文字にうつせば、初陽毎朝来不遭還本栖とあらはれて、是を和訓にてよめば、はつはるのあしたごとにはきたれ共あはでぞかへるもとのすみかに、といふ三十一字の和歌なりしとかや。
○周処心をあらたむれば忠孝のほまれをとる
しうしよは三国の時、呉の人なり。始は其里人に迄おそれられて、周処が三害とて三ケ条の害の内へ入し程の悪人なれ共、後には大将となりて忠孝のほまれを取れり。
○なんぢ予譲が義を思ひ
晋のよじやうといふ者、主人の敵趙襄子を討んとねらひたりしを、一たんてうぢやうしにとらへられたれ共、主の敵をねらふ忠義のこゝろざしを感じてたすけし事《3オ》也。しかれ共其後橋の下にふして趙子をねらひし故、後には殺されたり。
◎評 初段ずらりと大概きこえたるとをり也。さして替ししゆこうもみへず。文句もありべかゝりの内に、匡房おつぼねなんどのせりふ、余りいやし過てみゆる所多し。
○衆愚の諤々いつはりの変言
衆愚はおほくの愚なる者といふ事。諤々はげう〳〵敷ていなり。
○囲碁
碁をいごといふ。但し碁を打を碁を囲といふゆへなり。
○もろこし玄宗皇帝すごろくをもつて后をさだめしためし
此事通鑑の唐書又は唐鑑などにはみへず。小説の中にあるにや。
○いざ手談と
碁をうつを手談といふ。相手向ひに手にて談といふ心なり。《3ウ》
◎評 碁の所おもしろし。殊にごばんがすぐに八幡太郎の塀を飛で切付らるゝの用にたち、其後まさふさの北の方が早成へ碁石を打付らるゝ場にても入用のものとなる。道具はかくのごとく始終用に立やうに遣るゝ事尤働なるべし。ある人のいはく、初段より二段目の段切迄打みた処がさらりとして、訳はよく聞へ気のつきぬ芸とはみえたれ共、底に意味のある事見えず。何とやら請取ぶしんをみるやうによみがこまぬと存ずる。 答、尤さる事有べし。然れ共せかいの事は一概にいはれず。見物にさま〴〵のすきこのみあり。是を料理にたとへていはゞ、下戸の口と上戸の腹と物ずきがうらはらなるごとく、其芸の見手によりさらりとしたるが気にいる有り、ねちみやくしたるを好もあり、兎角何をまいらふもしれぬは客の心也。殊にしばゐでのあたりは第一あやつりのはなやかなるが肝要にや。此二段め八まん太郞のしのびの段、前太平記の移りにて趣向はありべかゝりなれど、あやつりの踊どうもいは《4オ》れず。是を思へばあたりを取は、陰の舞の理屈よりは、目の前で仕てみせるが十分の理也。しゆかうがわるふ入くめば一段で一場程づつ長物がたりの居せりふ、しらぬ京物がたりにけんぶつの精をつからす事又ある事なるべし。されば近比ある人の説に、あやつりを見やうならば今のしばゐにしくはなく、本を読てたのしむには中古近松が作にしくはなしといはれしごとく、迚も文句のうへでは今時は人のなぐさみになる程の事なければ、太夫衆の音曲とあやつりの色とりにて評判をたのむも一手だてといふべきか。しかれば場所により趣向もさらりが勝なるべし。
○桃薗
源氏の先祖六孫王経基しん王の事也。
○本国河内へ引こみ
かはち石川郡香爐峯、今いふ壺井通法寺也。山のうへに頼信・よりよし・義家三将軍の墓あり。つぼゐごんげんとあがむるも右の三将軍《4ウ》を祭る也。又壺井と名づくる事は、頼義奧州の水を壺にいれ本国へもち帰り、此所に井をほりて其水をうつし給ふゆへなり。
○六任の兄弟
貞任・宗任・家任・重任・正任・則任なり。
○青龍朱雀白虎の籏
天の二十八宿を四方へわかち、四方に名あり。南をしゆじやく、東をせいりう、西をびやくことす。即ち天子即位の時、是にかたどりたるはたを立るなり。
○波羅門白駝四天王
ばらもん王・はくだ王・四天王みなあらき姿なる故、いきほひのはげしきにたとふ。
○韋駄天班足王軍多利夜刃提達達多
いだてんは足疾鬼を追給天部也。はんぞくわうは天竺にて暴悪の王也。ぐんだりやしやは五大尊の一つ也。だいばたつたは《5オ》釈迦に敵せし悪人にて法華経につまびらか也。
○佞人賢人に似たれば非もまた理にまがふことはり
この文句古語にはあらね共、此道理なるがゆへに、作者の筆さきにて古語のやうにつゞりなしたるならん。
○もろこし陳の大夫に秋胡といふ好色者わが婦としらで戲れ後代のそしりを受る
しうこは魯国の人なり。春秋の時陳の哀公につかへて太夫となり、楚より責られて陳の国やぶれしかば、城の東門よりぬけ出て古郷に帰らんとするに、既に古郷に近く成て平山桑埠の間をとをりしに、ひとりの婦人桑を取居しをみるに、其かたち甚だうるはしかりければ、しうこ是を恋てたはふれ寄、女の心を《5ウ》引見んために云けるは、百姓の耕作を精出すよりは、豊年に出合たるがまされり。織おんなの桑を取事をはげまんよりは、一国の卿太夫にまみへて寵愛にあふがまされり。今婦人終日桑を取給ふ共筐にも満じ。もし我心にしたがひ給ふ物ならば我レに金あり。婦人にあたへて辛苦をたすけんとて金を出してみせければ、婦人こたへて云、桑を取て絹をおり辛苦して姑媂をやしなひつかふるは婦たるものゝさだまりし道也。我には夫ありて今他国につかへたり。我金をもとめず、又太夫にまみゆる事もねがはず。君はやく其金をおさめてかへりたまへといふ、折ふし秋胡が僕ども来りけるゆへ其まゝわかれて立去、しこうは古郷に帰り着けり。此しうこといふ者、五年いぜんに妻をむかへ五日過て陳ヘ行つかへたりしが、此たび久々にて帰りし程に老母よろこびて対面し、るすの内は嫁の白氏みづから桑を取てよくやしなひよくつかへし事を語りて、かの嫁をよび出してあはせければ、最前平山にて桑を取居たる婦人なり。夫婦と成て《6オ》間もなく久しくわかれ暮せし故、双方共に見わすれてかくのごとし。白氏おつとを見ておどろき泣てはぢしめて云、君先年妻をよびて五日にして遠つかへ母に別るゝ事久し。今日古郷へ帰らば万事をなげうつて途を急ぎ、母にまみへてやしなふべき事なるに、途中にして女にたはふれ、母の孝養にそなふべき金を捨んとせしや。母をわするゝは不孝也。色をこのみて行作をけがすは不義也。親につかへて不孝なれば君につかへて忠あらじ。家に居て不義なれば官して理にしたがはじ。されば我レは君を見るにしのびず。君他の婦をめとり給へといゝをはりて奧に入り、うしろの園よりぬけ出て河に身を投て死したり。しうこ大におどろきて我あやまりをくやみ、泣かなしみて白氏が死骸をほうむり、ふたゝび奉公の心なく一生母をやしなへり。魯人白氏がために廟を立、年ごとに祭をなし潔婦の社とあがむといへり。
○あやまちを改るにはゞからず《6ウ》と申せば
論語に出たる孔子の語なり。
○冥途黄泉
大友真鳥の抄に出せり。
◎評 三ノ口趣向おもしろし。忍びの段の浪人が、夫婦のやくそくを云立て景正を不義ものといふを義家卿もつともとしてかげまさを罪に落し給ふ所、すこしまだるきやうなれ共。奧で打わつた所が元来義家卿がつてんの謀なればさも有べし。惣じて大塔宮の三ノ口程にはみへ侍る。第一しゆかうの筋が先へ少しもみへぬ所が何よりの珍重。此場より奧迄よく練れたるしゆかうとみへて、当目がたしか〳〵。
ある人難じて云、むかしより女を男の体にやつしたる事は、本朝にも其例を聞及ぶ事あり。此段のごとく男を女にしたつる事其ためしをきかず。ちかくはかぶきの女形など、うつくしき孌童を地女の臙粉よりもなをこまやかに飾たるもの故、打みたる所は取なり物こし女に正のやうなれ共、よく気を付たる時は《7オ》あるひは手の筋あらはに青みだち喉骨高くあらはれ、中々真の女とは格別なる所あり。いかん。 答云。 難のごとく男を女に似せたる事狂言には多き事にて、実事には見及ばず。もろこしの歴史などにも見あたらぬ事也。但し魏晋以来六朝の雑伝をあつめたる歴代披砂といふ書にたま〳〵此類の事あり。晋の恵帝くらゐに即て至ておろか也。その妣賈皇后淫乱ほういつのあまり、近侍の宦官共にひそかに命して市井に人をつかはし、美少年の者あればだまし誑て後宮へ召よせ給ふに、内外の目をおほはんため、かの少年を女儀に出立せ、あまたの女官の中にまじへて給事させ給ふ故、恵帝をはじめ朝廷の大臣もその事をしらざりしと也。是をもつてみる時はたま〳〵其例なきにしもあらずといふべし。
○是人於仏道决定無有疑
法華経其外の経にもおほく出たる語なり。《7ウ》此文の心はこの人ほとけの道においては、決定して疑ふ事ある事なしと也。
◎評、三ノ奥一場注の入ルべき文句なし。但し諸見物ひいきせぬ方の最後故かうれひはしんみりとせざれ共、りくぎのやりかた十分こゝちよし。但しこしもと共が噂のあたりより奧方鶴はぎの口上などに、少し奥へ気のつくべき文句あり。それ故か此所ではそろ〳〵筋みへるこゝち、是は作者が奧のこゝろを心にもちて書れしゆへ、思はずしらず其もやうがふでさきへあらはるゝ成べし。但はそろ〳〵見物へのみこましもてゆく合点でわざとかふ書れしか、それなればわるい合点。惣じて先を隱す事は隨分かくすが宜そうに思はるゝ事ぞかし。勿論おゝとうの宮などは三ノ奧におどり場で身がはりを切る下づくろひに、三ノ口に燈籠づくし、斎藤が切子の使者、又奧の口あけに右馬頭がおとりなど、先のみへるやうなれど、是は肝心の趣向にはちつ共かまはぬ事にて、しかも其狂言の時節盆の比ならねば、宮《8オ》の首きる場になりて俄におどりを始ては、時ならぬゆへ見物の気がけうとく、万一わるふ呑こみて踊に物のあるやうに成ては主意の邪魔になるゆへに、是はわざと手まへよりそろ〳〵おどりをもよほして、踊の時節じやといふ事を見物の虫にがつてんさせんためなれば、此格とは別なるべし。しかし此やうにいへばとて、此場に疵を付るにはあらず。是は栄耀の上のせゝり箸とやら、先は三段目口奧共十ぶんの大出来、文句しゆかう共諸人の難ずる所なく、みな当りとの評判なり。
○道行
注なし。
◎評 此道行、ざしき浄るりにしては差たる事もなけれ共、芝居ではあたりを取ル文句共おほく、尤花やかにおもしろし。
○鳳凰は徳を見て下り鳥は視《8ウ》肉にまよふとかや
この語文選に見えたり。ほうわうは諸鳥の長にて、聖人の世ならではあらはれず。雄を鳳といひ雌を凰といふ。羽虫三百六十の長也。からすは注に及ばず。視肉は鳥けたものなどの肉のある所を見てまよひくだるとなり。
○もろこし郭巨といふ者母にちぶさをあたへんとて我子を土中に埋しといへり
くわつきよは廿四孝の中の一人にて、此事廿四孝伝にみへたり。此時くわつきよ土中をほりて金釜を得たりと有り。それに付釜は斤目の事にて、金を釜ほど得たりとの義なるを、此方にて取ちがへ、金のかまを得たりと訓故、絵又は作り物などに釜を掘出す体をなすは誤也。
◎評 道行の奧の場より段切迄、しゆかう文句共に上々吉。飛脚の籠をやく《9オ》所一際おかしく、奧にいたりてのうれひあはれにひあひに、別して女中などの好そうないきかた也。吃の置みやげ、ふし事の段だてにあはれに面白し。終にはおさな子は命たすかり、結句沼太郞が思ひかけなき切腹、さいごの際に吃のなをりたるいゝわけの所、きつくりと見物のむねにこたへて尤らしく、女房かたわのなをりしに付ケて。いとゞくやみなげきの体、人情の感ずるたゞ中始終この段も上出来なるへし。
ある人難じて、沼太郞が心の臟を切てより物いひが正しき事、舌は心に属する故との事はきこへたれ共、心は真君の霊府なれば、すでに心を傷て暫時も精神の有べきやうなし。然るを弁舌が正しきなんどゝは、医経にうとき事也とさみせり。尤狂言綺語とはいへど、かく難ずればいやとはいはれず。然れば筆を下す時少しは学文の心もつけらるへき事ならずや。
○諸神もとより形なし《9ウ》正直をもつて心とす虚霊不昧の御神徳
是も古語にあらず。作者のつゞりたる文句なり。神体は鏡の中のむなしきがごとく、さだまれる形なし。神はたゞ正直を心として物をてらし給ふ事、かゞみの体の虚霊にしてくらからざるがごとしと也。虚霊とは形は虚してしかもあり〳〵と霊なるをいふ。不昧はかゞみのくらからぬにてすなはちあきらかなる事也。
○野夫漁人
野夫は土民をいひ、漁はすなどりにて魚をとる人をいふ。
○御欝然をはさらせ給ふ一興
この然の字あしゝ。惣じて然の字を卒然・儼然・鬱然などゝ用ゆるは形容字とて其体をかたどるための付ケ字也。それ《10オ》ゆへ鬱然としてとよまるゝ所ならでは用ひてのらず。是等は作者が文章をしらざるのあやまりなり。
○冥感
惣じて仏神のたすけは、目にみへぬ所より力をくはへ給ふ故、冥の心にて冥感の、冥加のなどゝいふ詞を用る也。
○酒宴たけなはの折から
酣の字を書て半酔半醒の時をいふと注する字なれ共、古来おほく熟酔の方へつかふ事也。軍にても酣戦といへば戦をはなはだきびしくするになる也。
○五調
五臟がよく調和したるといふ心にて用ゆれ共、漢文には見あたらず。誹諧師などのおほくもちゆる事なり。
○猿田彥
神事の先へ悪魔をはらふ鼻高の事なり。《10ウ》
此浄るりは最明寺殿鎌倉執権の時節の事を取くみて、末には近松の残し置れし女はちの木の雪の段を切くはせて、始終をよくむすびあはせたり。それゆへ北条時頼記と外題を置也。
序
○葵の花は日を見て転じ芭蕉は雪を聞てひらき 《※ 雪
中百舌 は貼り紙して「雷」と修正》
此事円機活法又は本草綱目などに出たり。
○桑の門薙髮
出家は樹下石上とてさだまる家なく、あるひは石のうへにたゝずみ又は樹の下にやどるものゆへ桑の門といふ。薙髮はかみを薙ことにてすなはちしゆつけする事なり。
○将軍職の《11オ》除書
将軍職に任ぜらるゝの書也。惣じて官位をさづけらるゝを除せらるゝといふ。但しふるき官を除といふ意なりとかや。
○唐の盜蹠が邪智
とうせきはいにしへのぬす人也。伯夷といふ賢人は飴を見て、此食物は老人の口をやしなふに便りよき物也といふ。とうせきは飴を見て此ものは盗に入とき鎖にぬりて鎖をあくるにかつてよきもの也といへりとかや。
○節刀といふ
天子より将軍しよくをたまはるしるしとて、斧・鉞・刀・籏などを給はるを都て名づけて節刀といふ也。
○かのもろこしの鴻門の会沛公がまぬかれし項伯が恩陳平が情
沛公は漢の高祖也。楚の項羽関中に入て鴻門に陳を取し時、苑増がすゝめに《11ウ》よつて高祖をまねき、酒えんのうへにて剣をまはせ沛公をうたんと計しを、項伯と陳平とがなさけによつて其座をまぬかれ給ふ事、史記および前漢書にみへたり。
○功有て賞ぜず罪あつて誅せずんば唐虞といへ共化する事あたはず
唐虞は尭舜の天下をおさめ給ふ代の名なり。化とは治化・教化とて天下をおさめ給ふをいふ。此語は七書の中に出たり。
○孟宗郭巨
もうそうもくはつきよも二十四孝の中の人にて、両人共に親孝行の名をえし人也。
○魍魎鬼神
もうりやうは山の神の類也。鬼神も山川などの鬼神なり。
○寿をやしなふものは病にさきだつて薬をぶくし世を《12オ》おさむる君は乱にさきだつて賢にまかす
この語の心なる文句は儒書又は醫書にもあまた有ル事也。但シ正しく此語の出所は見あたらず。古語にはあらず。
○謀計は眼前の利潤といへ共終に神明の罸をかうむる
天道の正直にまかせずして、私の謀計にてりじゆんを得る事有といへども、終には神罸をうくると也。此語は三社の託宣に出たり。
○もろこし周の世に魯国と戦ふ事あり一人の匹夫二歳の子をすて十歳の子をつれ走る《12ウ》
この本文のわけはよく聞えたり。此事は左氏伝に見へたり。
○道行
此道行大概上上の出来なり。但し注におよぶ事なきゆへ略しぬ。
道行ノ奥
○こも僧しゆぎやうのぼろ〳〵と
こもそうの事をぼろ〳〵と名づくる事つれ〴〵草に出たり。みなかみは京都明あんじ元祖は普化ぜんじ也。むかしはこも僧といはずしてぼろ〳〵といひけるとなん。又尺八を洞簫なりと思ふ人あれ共さにあらず。洞簫は今いふ一重切の事也。尺八はむかしより尺八と称ず。羅山文集に尺八の賦出たり。かんがへみるべし。
○世の中をいとふ迄こそかたからめかりのやどりを何《13オ》をしむらん
西行法師の歌なり。
○げに人間の一生は岸のひたいの根なし草
身を観ずれば、岸のほとりに根をはなれたる草、いのちを論ずれば、江のほとりにつながざる舟、といふ詩の句を取て書たる也。
○発心門さとりの門
はじめてぼだいにこゝろざしたるがほつしんもん也。後にぼだいをさとりへたるがさとりのもんなり。さとりのもんはすなはち悟道門なり。
○易行門難行門
他力念仏などが心やすき修行ゆへ易行門なり。戒をたもち座禅する等がむつかしきしゆぎやうゆへなんぎやうもんなり。
○観念門天台二十四門《13ウ》
くはんねん門は天台止観あるひは一心三観などゝて、空仮中の三諦等の仏法の一大事をくはんずるをいふ。天台の廿四門は右のほつしん・ごだう・いぎやう・なんぎやうもん等みなその内なり。
○空門非空亦空門
これも三諦より出たる事にて、諸法を空とくはんずるを空門といひ、空にもあらずとくはんずるを非空門といひ、空にあらざるにもあらずとくはんずるを亦空門といふ。みな仏学の奥義なればたやすくえとくせらるゝ事にはあらす。
◎評 五段目にいたりては、近松の作の女鉢木雪の段を切くはせて五段の都合首尾まつたし。かく古き名作物を取合せ給ふ所偏に作者の機転也。さるにより此じやうるりは大評判にて今も人のよろこぶでき物なり。さて此奧には最明寺の道行の謠の出端ば《14オ》かりにて浄るりに移る文句よりして道行の間はぬけたるか。此道行の文句には筆勢のおもしろき事共多し。まづ蝶のつばさのおしろいをくさにこぼして梢には鶴のしもげをぬぎかくる、雪は花より花おほきと書る所、円機活法の雪の部に鶴毛蝶粉といふ四字を出して石曼卿が雪を詠ぜし詩を出せり。その詩を和語にうつしたるもの也。其詩に云、蝶遺粉翼軽難拾、鶴墜霜毛散未転といふ二句あり。是をなをして右のごとくにつゞりしは、彼の楽天が青苔帯衣掛巖肩、白雲似帯繞山腰の句を、苔ごろもきたるいわほはさもなくてきぬきぬ山のおびをするかなとなをしたるにもおとるまじ。殊に雪を六出花と名付るは、常の花は蘂が五つづゝ出るもの故五出といふ。雪のみごとさは花にまさるの心にて、唐人も花のうへをゆくの心をもつて六出とよぶの意によりて、雪は花より花おゝきといへる、尤佳作に《14ウ》あらずや。其外雪中に最明寺一人道行し給ふを見立て、さながら雪の一筆烏といひ、からすの縁よりお羽打かれしといひ、其むすび文句には、叡山の僧正の雨ごひの勅をかうふり給ひて詠せる、 おほけなくうき世の民におほふかな我たつそまにすみぞめの袖、といふによりて浮世の民におほふかなの句をもちゆ。一句〳〵意味ふかく筆さきかんばしゝ。さて道行奥にいたりては、宿をかりかけ給ふ時墨のおれか木のはしかとあるは、つれ〴〵に法師ばかりうらやましからぬものはあらじ、人には木の端のやうに思はるゝと書しをかたどりたる詞、さながら最明寺殿の詞共おもはれ、又娘がこたへ、鼻そげでもいぐちでもの詞大に下へ落て見物のはづみをうけ、又其跡をおさへて、天下をさばく御身にも此へんとうにゆきくれて、たゝずみ給ふぞしゆしやうなるとは、又及ばぬ手段にあらすや。爰の問答、一人は天下の執権職ひとりは在所の若むすめ、諺《15オ》にいふ下駄とやきみその相手とち、其相応にせりふを付られし事自然とそなはる妙手なるべし。さて爰の娘が詞について思ふに、惣じて今の世下がゝりにあらざれば下へはづまず。さりとて下がゝりを無調法に書くづせば、千枚ばりの女形をみるやうになり、一向下鄙てけうがさめる。さればこゝのむすめがせりふの跡、天下をさばく御身にもの語にあらずんば、なか〳〵花車にはおさまるへからず。然る時はおかしい事げびた詞も、跡のおぎなひやうにていやしからず。天下取の御前でも耳にたゝぬやうにもなるものなるべし。其外評したき事山〳〵なれ共、此浄るりにかぎるにあらねばまづは筆をとゞめぬ。
太上感応編といふ書をみるに、趙州の奥に白虎山といへる深嶺あり。その峡に鳳鳴観といふ道士の庵あり。ある夜雪いたくふりすさびて暗夜のけしき常ならぬに、扉をしきりにたゝく者《15ウ》あり。道士立出何者なるぞとたづぬれば、平生おとづれを通じてむつましき麓の農民胡班といふものゝ娘也。此むすめよはひ二八斗りにして近所に名を得し美女なりしが、心に願ふ事有て此峯の絶頂なる神の祠にまふで日の内に帰るべきを、いかゞしけんをそなはりし内雪にふゞかれ道にまよひ、這〳〵夜に入てこの観にたどり着たる也。道士うちへ入るゝ事をゆるさずして云、ぜつてうより是迄さへあゆみ来られしうへ是よりふもとへは程近し。今すこしの艱難をしのぎ我家へかへらるべし。若き女性を此庵にとゞむる事かなふへからずといふ。娘聞でうらめしく、此庵迄たどり着をちからにして来りしを何とて扉をあけ給はぬ。日比親たちのよしみは思ひ給はずや。其うへ此山中に人倫はなれておこなひすまし給ふ身が、わかき女をとめたりとの世のそしりをはゞかり給ふは、扨は塵の世をはなれ給ふの道《16オ》心はおはせぬかやとゝがむれば、道士聞て、いやとよ世のそしりはしばらく置、我いま道義を修するとはいへ共猶いまだ肉眼なれば、御身が色のうるはしきを人なき庵に引いれさし向ふて見るならば、いかなる煩悩かおこるべき。然れば某がしゆぎやうを害する悪魔外道心魔をふせぐためなれば、やどりはふつ〳〵かなはずと、彼があはれをよそに見捨身のつゝしみをなしたるとなん。是に付て思へば最明寺どのをやどさゞりし娘が遠慮もさる事なるべし。殊に最明寺どのは道徳すぐれ給ふ故、世には老人のやうに思ひなせ共、三十歳にて入道し給ひ卅七歳にて逝去し給へば、回国は三十一二歳の比にて男ざかりなる時は、其身はたしかにおぼしめす共わき目にうたがふもことはり也。されば人ごとにたしかならぬ心をたのみて我身を正しきものと思へど、心ほど手綱のゆるされぬものはなし。されば孔子は心を論じて出入時なく其向ふ《16ウ》所をしらず、あやふき物也との給ひ、別して仏法には心は縁にひかれてはさま〴〵に変ずる事を説給ふ。しかるに仏心はいかなる縁に出あひても其境につれて変ずる事なき故に、是を不変真如といふ。いまだ仏心にいたらぬ内は、いかに道徳の人たり共悪縁にひかれては悪業におちいる事をまぬかれず。故に衆生の心を随縁真如とはいふなり。是によつて仏説には心は孤生らずかなるず縁に託て起るといへり。此心を書写山一雨ときこへし僧の歌に、 にほはずばそれ共しらじゆふま暮心をつくる梅の下かぜ、と詠ぜり。うす暮の比むめの樹のあり共しらず心せはしく打通りしを、風がもてくる匂にさそはれ心ときめき、色よき花の咲みだれしを打ながめてはあかぬ思ひになづみ、終に下陰の立さりがたきも縁にひかるゝのゆへなるべし。
二之巻終《17オ》
《17ウ》
『浄瑠璃文句評注 難波土産 中ノ本』 《表紙》
浄瑠璃評注巻之三
外題
むかしの内裏は今の内裏よりは広く大きにして、南北卅六丁東西二十丁なり。それゆへ今の朱雀が古の内裏の朱雀門の跡也。今の東寺が禁中の鴻臚館なりしを後に弘法大師へ給はりたる也。かく広大なりし故大内裏といふ。真鳥筑紫に於て是をうつして宮殿を作りしと也。大友の真鳥は、人皇廿六代武烈天王の朝に仕へし人に真鳥宿祢とも又は平群大臣ともいふありて勇猛なる公家あり。此人の曽孫に大友金鳥といふ人、勇気大胆の武夫なりし《2オ》が、後に曽祖の名を取て大友真鳥と名のり、筑紫にをいて謀叛をおこせしを、朝廷より宿祢金道に勅して誅罸させ給ふ。此浄るりの全体真鳥がむほんを金道が退治せるを主意にのするゆへ大友真鳥を外題とす。殊に大内裏を立たるが大事ゆへ別して大内裏とは題号せり。其実記は近年板行なりし大友真鳥軍記といへる軍書にくはしく記せり。
○周の世に八士あり一母四乳の伯仲叔季双生るゝ王佐の才
この事は論語に出たり。八士とは八人の学者をいふ。周の世に一母双生を四たびに乳て兄弟八人を出生せり。四乳とは四たびに乳といふ事也。伯仲叔季とは唐にての兄弟の次第也。日本にてもむかしは宗領を太郎とよび、次男を次郞、三男を三郞などゝ次第して呼しごとくに、宗領を伯とよび、其次を仲とよび、その次を叔とよび、末子を季とよぶ也。故に太郞次郞三郞四郞といふがごとし。扨ふたごを双生といふは即ち双生るゝといふ意也。王佐の才とは天王の天下を治め給ふを佐る程の才能といふ事也。周の世に此兄弟八人が士となりて天下をおさむるほどの才能有しと也。是迄双生の才能すぐるゝ事をいひて金道になぞらへたる也。金道はもと双生なるゆへなり。
○人に双生樹に連理康叔が二穂の稲王濬が二《3オ》茎の瓜
人に双生ありて其才能すぐれたるをめでたき御代の吉瑞とするのみならず、樹には連理の枝をめで度事とす。連理とは根が二株にて枝が一つにつらなるをいふ。康叔とは周の文王の子にして衛の国の君也。此人が衛をおさめたる時、異畝同影とて、田地のならび畝に禾のかぶは二株にて畝を異ながら穂先が一つになりたるを、吉瑞也とて天子へ奉りければ、朝廷にもいわひ給ひて嘉禾といふ文を作り給へり。王濬は晋の武帝の時の人也。此王濬といへる人の園の内に、瓜の茎二本が一つになりてその末に瓜が一つなりたるを、是も吉瑞として天子へ献じて祝へり。是みな人の双生のごとく天下の吉瑞とする事也。されば金道の双生にて有しもめでたき御代のためしとなり。《3ウ》
○みな皆是代々の吉瑞のためしを爰に日の本や文武天王の皇居ある藤原の宮所
吉瑞とはめで度瑞相也。上にいふ所の吉瑞とものたとへをこの国へひくといひかけて、たとへを爰に日の本やといふ。金道の時は文武天皇の御宇也。此時ならの京ゆへ藤原の宮所といふ。宮所とは天子の御所といふ事也。是も古は下々の屋敷をも宮といひしを、秦の始皇の時より始て天子の御殿にかぎりて宮所といふなり。
○壌り
土地がよく腴て膏のある如くに潤として柔なるをはらゝぐといふ。是は書経の禹貢の《4オ》篇にみへたり。
○今上
何の代にてもその時の帝を今上皇帝といふ也。
○聖徳ふかく
聖とは徳の至極にいたりたるをいふ。
○神代の古風
天神七代、地神五代を神代といふ。此時は上代ゆへ上下共に人の心すなほにして質朴なる風なりしを古風といふ。
○四十二世
文武天皇は人皇四十二代なり。
○律令をはじめ給へば
律令とは朝廷の法度おきてなり。
○礼楽たゞしく
天子の天下をおさめ給ふ根本が礼楽なり。礼は貴賎上下の等をわかちて、其身の節につけて衣服道具等も次第あり。朝廷のつきあひにも貴人をうや《4ウ》まふ等也。楽は聖人の道徳をうたひて楽に合せ舞也。是も礼がたゞしければ貴賎上下のあらそひなく、上下が和して楽を用る故、礼と楽との二つが世を治むる本となる也。
○主水司の貢の冰ひむろのもたひ
禁中にて水を支配する役所を主水司といふ。六月朔日に主水司より旧冬の氷を奉る。是を氷のためしといふ。四海ゆたかなれば其氷とけずしておほく有といへり。是は山里に氷室とて冬のこほりをたばひ置室をこしらへ、六月朔日に其里人が主水司の取次にて天子へ奉る也。毎年きはまりて春日野のさと人が献ずるが佳例なり。貢とは下々より君へたてまつるをいふ。かすが野とは今の奈良なり。《5オ》
○深山幽谷
おくふかき山を深山といふ。歌には深山とよむ也。おくふかき谷を幽谷といふ也。
○陽気おそく発するゆへ
草木みな陽気にて発生する也。春は陽気が発する故梅さくらに花さくが常なれ共、深山幽谷は寒気つよきゆへおそく発するなり。
○鳩は三枝の礼ある鳥
鴟夷全書云、烏有反哺之孝、鳩有三枝之礼云々。烏は巣だちして後おや烏へ哺をふくめ返すもの也。是すごもる内におや鳥に哺をふくめられし恩をおくるの心也。鳩は木の枝にとまる時おや鳥よりは三枝づゝ下にとまるもの也。これ親をうやまふの礼ある心也。されば詩経にも《5ウ》諸侯の夫人を鳩の性の専一なるにたとへてほめたる事あり。
○鷹は鷙鳥
惣じて鷹・はやぶさ・鵰などの諸鳥を鷙鳥をすべて鷙鳥といふ。同じ鳥類の命をうちとるゆへ悪鳥とする也。
○仲春の月鷹化して鳩となる事礼記には見へたれ共
礼記に月令篇とて十二ケ月の月々の気候をしるして其時をしり天下へ令し給ふ事をしるしたり。その中にこの語出たり。
○天地の変怪
天下に悪事おこらんとてはさま〴〵にあやしき事あるを変怪といふなり。
○百官百司
禁中の百の官人百《6オ》の司なり。司とは一役をつかさどる役人なり。
○躑躅と
けだものゝ両足を折ておどる体を躑躅といふ。さればつゝじの花を躑躅花といふも、此花のつぼみ羊の乳によく似たるゆへ子羊が是を見て母の乳ぞとおもひて、躑躅と足を折ておどる故也とぞ。
○小牡鹿
ちいさき牡鹿をいふ。
○秦の趙高
秦の始皇天下を取てのち諸国をめぐりて途中にて崩ず。李斯といふ者と趙高といふものと両人共に佞人にて、始皇の太子扶蘇といふ人の正しき人がらなるを忌恐れ、此人を嗣にせずその弟の胡亥といふ人の愚なるをかれらが便として、始皇の遺言也と偽りて扶蘇を自害させ胡亥を位につけたり。右の《6ウ》趙高はもと宦官とて女中につかはれ奧方へ徘徊し始皇の気に入て御前近く立身せし者なるが、此たび我はからひにて胡亥を位に立たるにほこり、朝廷の臣もしおのれを恐ざる者はたちまち罪に落しけるが、猶もおのれが権威を試んとて、ある時鹿を奉りて馬也といひければ、胡亥あやしみて群臣に問にみな趙高が権威におそれていかにも馬也とこたへし也。是より人をうつけにしては馬鹿なりといふ詞はじまれり。
○前表
先だつてあらはるゝをいふなり。
○九州の探題
探題とはもと大内にて政をしらべ給ふ役にあたるをいふ。但し題を探といふ事にて事をぎんみしてしらぶる意也。諸国にて一方の《7オ》惣領となるをむかしは探題といへり。真鳥は九州の籏がしら故かくいへり。されば今の俗に物をぎんみする事をたんだへるといふも此こゝろなるべし。
○霊仏霊社
霊はあらたなる事をいふ。
○両部の社
神道に唯一と両部との二つあり。伊勢・加茂などのごとき仏をいむは神道一すじに立るゆへ唯一神道といふ。両部といふは神道に仏法をまじへ、神の本地は仏にして神は仏の垂跡也と立る故神仏を合せて両部といふなり。
○武士
武士をものゝふといふは日本のむかし物部氏の人、朝廷にてはじめて武官をつかさどりたるゆへ後の世迄も物部とよぶなり。《7ウ》
○兵部省
省は禁中の役所なり。禁中には八省とて八所ある。その中に軍兵をつかさどる役所を兵部省といふなり。
○つの髪
わらべのひたひの両旁に髪をつかねて結たるは、角ごとくにみゆるゆへ唐にては童のまへがみを丱角共又総角共いふ。和訓にて角がみ共あげまき共いふ也。みな前髪の事なり。
○不肖
我身を卑下する詞也。もとは肖ざる事にて賢人には肖ざるとの意なり。
○とび梅の筑紫
菅丞相つくしへ流され給ひ、都の梅をしたひ、こちふかば匂ひをこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ、と詠じ給へば、都にのこし置れし梅た《8オ》ちまちつくしへとびさりしとの故事をふまへていへり。尤作者の頓作なり。
○堂上堂下
公家衆を堂上方といふ。いづれも官位を経て御殿の堂上へあがり給ふ家なる故也。公家にあらざる官人を堂下とも地下人共いふ。堂上へあがる事を得ず、階下に伺候するゆへなり。
○軍神の血祭
軍に出る時に軍陣をまもる神を祭るには、けだものゝ生血をそゝぎ其肉をそなへるを血まつりといふ。唐よりして其ためしある事也。
○馬鹿
上に出たる故事をふまへて馬鹿もなしと書たる作者のはたらき也。
○王化
天子の教化といふ事なり。化はおしへなり。《8ウ》
○ふりわけ髪
いとけなき時のまへがみを中より二つにわけたるをいふ。歌に、くらべこしふりわけがみも肩すきぬきみならずしてたれかあぐべき。
○三種の神器
天子の御位をゆづり給ふに、此三つの御宝をゆづらせ給ひて御しるしとし給ふ。神璽・宝剣・内侍所なり。この三つ代々の天子御くらゐをまもらせ給ふ御たから也。
○瀟湘の夜の雨
からの八景のひとつ也。うたひの文句を直に引もちひたり。
○手向山
たむけは近江の名所なり。菅家の御歌に、 此たびはぬさも取あへず手向山もみぢのにしき神のまに〳〵。
○かたそぎや
やしろの棟のかつほ木也。上代は質朴にして神の御殿も茅ぶきゆへ、風をおさへるためにかつほ木を《9オ》もちゆ。かつほ木は風おさへ木といふ事也。その端をそぐゆへかたそぎといふ。是も神代の神は内へそぎ、人王以後のかみは外へそぐ也。口伝也。
○額づきて
ぬかはひたひ也。ひたひを地につくるをかくいへり。
○柏手
神道にかしはでのはらひとて、神をおがむに手を拍てはらひする事あり。これにいろ〳〵の口決ありて神道に伝授とする事也
○かへりもふし
賽と書なり。神を拝して祈念する事なり。
○瓢簞酒
うちみの薬なる故なり。
○瑞籬
神前の垣をいふ。たまがきといふに同じ。瑞はあらたなる意なり。
○庶流
宗領のすじを嫡流といひ次男すじを庶流といふ也。
○孹子
妾ばらなどの末の子《9ウ》といふ事なり。
○傅
いとけなき時より其人の傅につきて諸事をおしゆる役なり。
○国に杖つく
つえは老て歩行をたすくる也。礼記の王制に、五十にして家に杖つき六十にして国に杖と云り。
○金巾子の冠袞龍の御衣
巾子は冠の髪をおほふ所をいふ。其うしろに立るものを羅といひ其うしろにたるゝものを纓といふ。巾子を金にてしたるを金こじといふ。袞龍はのぼり龍くだり龍を袍にゑがく装束をいふ。金こじのかんふりにこんりやうのぎよいは天子のよそほひなり。
○こうがしやり
甲が舎利也。甲はよろひと訓じて、甲虫といふは亀や螺・蛤などのかたくよろひたる惣《10オ》名也。舎利はもと梵語なり。翻訳名義集に舎利こゝには骨といふとあり。かの甲虫のごときかたき物が骨となる共といふ心也。
○補佐の臣
補佐はたすくるとよみて君のたすけとなる臣をいふ。
○九州二島
九州に壹岐・対馬をこめていふなり。
○掖門の扉
正面の門の両旁に小門あるを掖門といふ。人の脇の下のごとくなる故也。掖は腋と同じ。
○大紋
布びたゝれの事なり。
○なまめく
媚の字也。うつくしく艶しきなりふり也。
○伽やらふ
今は旅人のつれ〴〵をなぐさめの伽をやらふといふ事に成たれ共、もとは下ざま惣嫁やうのたぐひは土の上・野中などの契りなれば唐土の書にも是を《10ウ》土妓野合といふ。すべて世俗の僻言そのいはれある事おほし。但したび人なぐさめの伽にやらふと転じたるも又一興也。
○おもゝち
面もちといふ事也。源氏に見へたり。
○舟玉
ふねをまもる神なり。
○九百九十九の鼻かけ猿
此こゝろはきこへたるとをり也。但し文選六臣注李善が注にみへたり。
○景行天皇
人皇十二代の天子なり。鹿島もふでの事は本朝通記にみへたり。貝あはせの始り此浄るりの本文のごとし。
○両夫にまみへぬ教訓
通鑑に出たる斉の王蠋が詞也。燕の国の大将楽毅といふ者斉の軍をやぶりたる時、王蠋が賢者なるをしり燕につか《11オ》えん事をすゝめける時、王蠋がいはく、忠臣は二君につかへず烈女は二夫にふれずといひてうけがはざりしと也。是より貞女は両夫にまみへずといふ詞あり。
○尾に泥をひく亀山
荘子に諸侯より荘子をまねきし時うけがはずして云けるは、トのためにもちひらるゝ亀は人が尊敬をなせ共かへつて其身を殺さる。泥中のかめは尾にどろを引て見くるしけれ共無事也と云り。是を取て亀山に恥をあたふる詞にいゝかけたり。
○逆鱗
龍の頤にさかさまに生たる鱗あり。此うろこにふれたる者はかならず死するゆへ、天子のいかりにふれたるものはかならずいのちをとらるゝにたとへて天子のいかり給ふをいふ。
○綸言ふたゝひ帰らぬ《11ウ》と汗をぬくふて立帰る
古語に綸言如汗とあり。天子の詞を綸言といふ。天子の詞一たび出ては跡へかへらぬ事身の汗のふたゝび帰らぬがごとしと也。此本文にはりんげんよりあせをぬぐふにいひかけたり。是作意なり。
○てんば
顚婆と書也。顚き婆といふ事なり
○いぶせき
詩には無聊といふ。源氏岷江入楚に不審と書り。
○すゞめかまたか
これは駕かきの山椒也。すゞめは百に成てもおどりわすれぬといふ諺より取て百をすゞめといふ。股とは二本との義にて二百をいふ。
○骨肉同胞
兄弟は同じ骨肉をうけたる故にこつにくといひ、同じ胞にむまれしゆへ同胞といふ。《12オ》
○みさほ
操とも介とも書て共にみさほと訓じて人のまもりめのかたきをいふ。
○既に孔子も季孫のうれひ蕭墻のもとにあらんとの給へり
此事論語に出たり。魯の国の季孫氏といふもの君をないがしろにして政道を我まゝにさばきしが、魯国の傍なる顓臾といふ国をうたんとする事を孔子聞給ひて、季氏がごとく我まゝにては臣下の内より乱がおこるべしといふ事を、季孫のうれひは顓臾にはあらずして蕭墻のもとよりおこらんとの給へり。蕭墻とは外門と内門との間にある墻也。畢竟は季孫が家内より乱がおこるべしと也。俗にいふ足もとからおこるの意也。《12ウ》
○聡明睿智
耳に善悪をきゝたがへぬを聡といひ、目によしあしをあきらかに見るを明といふ。睿はふかき心にて智の千万人にすぐれたるをそうめいゑいちといふなり。
○つたへきく燕丹王
この事史記に出たり。秦の始皇は燕丹の敵ゆへ人をたのみてころす事をもとめ、田光先生といふ勇者にたのまれしに、田光がいはく、某は年老たればうつ事かなはずといへ共、我友に荊軻といふ者あり。是をたのみて本望をとげ参らせんとてけいかゞもとへゆく時、燕丹王田光を門外迄おくり出、この大事かならず人にもらし給ふなと申されしかば、心得たりとてやがて荊軻が方へゆき此事をよく〳〵たのみて、田光はけいかゞ門前の李の樹にかしらを打わり死したり。是ひとへに燕王丹がうた《13オ》がひをはらさんがため也。今かずへの身のうへに尤よく相応したる故事にて尤おもしろし。
○此やい鎌のとかま
中臣秡にやいかまのとがまをもつて切はらひ給へばといふ語あるをすぐにもちひたり。かねみちが鎌を持ての所作なれば尤とりあひよき作意也。
○邯鄣鏌耶
晋の雷煥といふ者、天にむらさきの雲気たなびきしを見て其下をほりたれば、つるぎの鏷となるべき鉄丸二つを得てすなはちこれを地がねとし、干将ばくやといへる夫婦のものに剣をうたせて名剣となる。是より名剣をいふにはかならずかんしやうばくやと称するなり。
○孝弟忠信
孝はよく親につかふるをいひ、弟はよく兄につかふるをいひ、忠は君に《13ウ》よくつかへ、信は人にまことを立るをいふ。此四つのものは人道のおもんずる所なり。
三段目
○猩々よく言へども獣をはなれず
礼記曲礼篇に鸚鵡よくものいへども飛鳥をはなれず、猩々よくものいへ共禽獣をはなれずといふに本づきたり。人として礼義をしらざるはきんじう同然なりとの意なり。猩々は面は人のごとく身は猿のごとしとあれば、此語に引つゞきて獼猴をいへるも取合よろしき引ことなるべし。
○獼猴の冠
是は楚の項羽、みづから覇王と称して我まま無礼をおこなひしを、蒯徹といへるもの《14オ》是をそしりていへる詞也。今の真鳥が無礼我まゝに引あてたり。
○麒麟大王
きりんは四霊の一つにて毛虫三百六十の長なり。身はくじかのごとく、尾は牛のごとく、ひづめは馬のごとく、額に一つの角あれ共つのゝ端を肉がおほひて物にふれず。されば生たるものをくらはず生草をふまず。至て仁あるけだもの故その徳を聖人になそらふ。真鳥みづからほこりてかゝる徳ある号を称ぜしと也。
○卿相雲客
卿は天子の朝廷にてまつりごとを相る官ゆへ卿相といふ。天子の殿上を雲のうへになそらへて殿上人を雲客といへり。
○浮へる雲のうへ人
論語に、不義にして富貴なるはうかべるくものごとしといふ孔子の語あり。此語《14ウ》のこゝろは有もなきがごとくなるをうかべる雲といふ。又あぶなき事を浮雲共いふ。こゝの文句右の両意をかねてしかも雲のうへ人といひかけたり。
○しらぬひの筑紫
むかし景行天王海上より火のみゆるを見給ひて御舟を其火のある所へ着しめ給ふ。すなはち今のつくし也。是よりしてつくしといはん枕詞にしらぬひといふなり。古歌におほくよめり。
○色やむかしの色ならぬ
春やむかしの春ならぬと詠したる古歌のもじりなり。
○麻につるゝ蓬
此語の出所つまびらかならず。童子教にもこの語あり。意はあさの中に生たるよもぎはあさにつれてなをく立のびるとなり。《15オ》
○子を妊では寐るに側ず座するに辺ず立に蹕ず
是は漢の劉向といふ人の作りたる列女伝といふ書の語をすぐに引たる也。是は胎教とて懐胎の内のおしへ也。
○姫ごぜは三界に家なし
三界の事はこゝに出あふ事にあらね共、俗は世界の事をさんがいといふ故俗説にしたがひていひたる也。たとへば子はさんがいのくびかせなんどいふも皆せかいといふ心にもちゆ。女に家なしの事は女は夫をもつていへとすと礼記にもみへたり。又は孔子の語に婦人は三従の道あり。家にありては父に従ひ、人にゆきては夫にしたがひ、おつと死しては子にしたがふ、あへてみづから遂る事なしとあり。みな家なしの義なり。《15ウ》
○よめいりを帰るといふ
詩経の注に朱子のいはく婦人謂嫁ヲ為帰といへり。是も女は夫をもつて後はおつとの家をわが家とするゆへ嫁は我家へ帰るの意也となり。
○猶予せしに
事を決せずしてためらふをゆうよといふ。猶はけだものゝ名也。此けだものうたがひ多くして、人が来らんかとおそれ樹の枝へかけのぼれ共、樹のえだは安からぬ故たちまち地へおるれ共、又人をおそれてのぼり又くだりてふだん居どころを决せず。予は犬の事也。いぬは主人に付したがひて主人の行さきに待ゐるもの也。若かへり来る事おそき時はいかゞとうたがひて往つもどりつするなり。しかれば猶も予もうたがひてさだまらぬこゝろをいへり。《16オ》
○形容枯槁
形容のやせかれておとろへたるをいふ。屈原が漁父の辞に出たる語なり。
○つくも髪
藻をみるごとくばら〳〵として見苦しき髪なり、江沢藻と書なり。
○夫婦は義合
五倫の内に天合義合の別あり。父子・兄弟は天然と生れ合たるもの故天合といふ。君臣や夫婦や朋友は今日のうへにて人と人とのやくそくづくにて義理をもつてまじはりをなす故義合といふ也。
○はらから
兄弟をはらからといふ。伊勢ものがたり初段にいとなまめいたるおんなはらからすみけりとあり。
○恙なければ
いにしへ恙といふ虫ありて人を害せしゆへ人の無事なるをつゝがなしといふ。《16ウ》
○いふに岩手の神ならで通ぜん事もあら気の雅道
役の行者大みね山上をひらき給ふ時、神をつかひて道を作らしめ給ふに、日をへて成就せざりし程に行者これをいかり給へば、一言主といへる神そのかたちの甚だ醜を恥て夜ならではたらき給はぬ故かく延引するよし、岩手の神かうつたへられしかば行者やがて一言ぬしの神をしばり給ふ事元亨釈書にみたり。其故事をふまへて書たる文段にて尤よくかなひたり。
○琉黄が島
薩摩にある島也。軽大臣燈台鬼となりて此島にて死せられしより鬼界が島共いふよし。くしはしくは真鳥実記といへる軍書に出たり。昔より科人をながすところ也。
○地獄へみちびく五逆《17オ》罪
往生要集に一百卅六地獄を出せり。八大ぢごくにおの〳〵十六づゝの小ぢごくありて、八大ぢごくを合せて百卅六となる也。五逆罪は父母を殺し仏身より血を出し和合僧をやぶる等の五つ也。
○丸がはからひ
此注はあしや道満の初段にくはしくしるす。
○順逆の二門忘縁にあらざらんや
仏語也。人の生死老たるか先へ死しわかきがおくるゝは順也。わかきがさきだち老たるがおくるゝは逆なり。この順逆の二門ありといへども、ともにりんゑのきづなをきりて縁をわするゝの端にあらずといふ事なしと也。
○傍若無人
晋の桓温といふ人、王猛といへる高官の人の前にて道をかたるに、虱をひねりながら物がたりせられし程に、其さま傍に人なきがごとく見へたるゆへ、是よりして《17ウ》法外なるはたらきを傍若無人といふ也。
○さすらへ
左遷と書。もとは官職を貶らるゝ事なれ共今では流罪の事にももちゆるなり。
○欣然と席をあらため
きんぜんはよろこばしき体也。席は座なり。
○双六かてうばみか
てうばみといふ事源氏にみへたり。今いふおりはの事也。おりはといふもの塞の目の偶にてとる故にいふ。偶食と書なり。食とは石を取事也。十六むさしに食といへるも是より出たり。
○皇后も御懐胎
人皇十五代神功皇后なり。御くわいたいにて出陳し給ひ新羅・高麗・百済をうち、御凱陣のみぎり筑紫にて誉田の天皇を産給ふとなり。
○子をもち月のいわた帯《18オ》
みちのくのならはしにて、我恋にして妻とらんとおもふ女の門ぐちに手拭ふくさやうの物を竹につけて立をく。是を縁むすびのしるしとするなり。これをいわたおびと名づくとなり。
○口さへいまだ乳くさき大将軍
史記・漢書等に、大将のわかきをあなどりていふ詞に口尚乳臭といふ語あり。それを取て国石が至て幼稚にして大将となるをいふ。
勢そろへの段
○五大力
五大力ぼさつとて夫婦の縁守りの本尊也。津の国にも住吉の神宮寺に有。
○じびにいふてぞ通りける
じびは自鬢也。自身に髪をいふ事なり。こゝは自身にほめる事に取なしてそれより自鬢にもいひかけたり。おぐしあげが口上にはよくかなひたり。《18ウ》
○九牛が一毛
九は老陽の数なれば数の至極として物のかずおほき至極をかならず九をつけてよぶ。九天・九淵・九重の類のごとし。されば多き牛の中での一毛といふ心にて大海の一滴などゝいふにおなじ。但し仏書におほき語なり。
○婦人城
是は晋の朱徐といふ者の母、軍勢を引うけておほくの女を士卒とし籠城せし事あり。世に是を婦人城といふ。くはしくは晋書に見えたり。
○一声の玄鶴そらになき巴峽秋ふかし五夜の哀猿
是は円機活法に出せる詩の語也。作者はつまびらかならず。あきの比巴峡といふ山道を夜のくらきにとをりたる景象を詠じたり。闇の夜の物すごきに鶴の一こゑ物かなしき折し《19オ》も、猿のさけぶこゑいとあはれにきこへて心ぼそくなるとの意也。この城外へしのびきたるもやうもかくやあらんとなり。
○秦の孺徐が母
是はあやまり也。晋の朱徐が母也。前にいひたる婦人城の故事也。歴代に外の例なければ必定あやまりたる也。作者いかゞこゝろへられしや。
○扨は双方手はおはぬなこはいかにともぎ取て火影にすかし能みればきれぬこそ道理なれ是も刃引これも刃ひき
文句はきこへたるとをり也。
◎評 ある人難じていはくこゝの刃引の文句のてには、初の是もといふが《19ウ》きこへず。是は刃ひき是も刃引と書べき事也。其故はものてにはは旁及の詞とて一つ主なる事ある上に是もといふ事也。是は刃引と一方を見て又次に今一つをみれば是も刃引也といふべきを、最初から是も刃引といへるは作者のそこつ残念なり。いかん。 答て云、 これ文章の法をしらぬ難也。漢文にこの格おほき事也。和語の。も。といふてにはは漢字の亦の字のきみなり。たとへば翰文に賢者亦有夭者、不肖者亦有寿者といへるも、上の亦は下の亦へかけていひ、下の亦は上の亦へかけていひて両方をもちあはせたるもの也。是に同じく上の是も刃引といへる。も。は、下の是も刃引といへる。も。にかけ、下の是も刃引といへる。も。は上の是もの。も。にかけていひて、両方をもち合せたるゆへ、結句文の法をよく知て奇に書なしたる作者《20オ》の器量のみゆる所也。それをしらずかへつて咲する事文章にうとき故也。 難者又いはく、文法はさもあるにもせよ人形に合せてみるべし。まづ一人の刃を見て是は刃引とおどろき、次に又一つをみて是も刃引といふべきを、あたまから是も刃引といへるは何に対して是もとはいへるぞ。心得がたし。尤作者は二腰ながら刃引とする趣向にて書たるゆへ、作者の心には初より両方刃引としりたる故あたまから是もといふ詞出さうなものなれ共、虎王が一方をしらぬ口からは是もとはいふまじ。是作者が我心をすぐに書たるはあやまりならずや。 答云、この時虎王が人形はいかゞつかひたるかもしらね共、もし両腰を二度に見たるやうにつかひたらば人形遣のあやまり也。作者のあやまりにはあらず。まづ浄るりの文句を跡先よくみるべし。虎王が心に双方共手をおはぬをふしんし、双方一《20ウ》時にもぎ取て火影にすかしてよく見れば、きれぬこそ道理なれ、両方共に刃引也との意也。火影にすかしよくみればといふ内に、二腰をためつすがめつとくと見たる心こもれり。さればこそ両方共に刃引なるを見とゞけて、きれぬこそ道理なれ、是も刃引是も刃引といひたるが、何とあやまりといふべきや。 難者此一句に閉口しうなづいて退きぬ。
○十月にたらぬおろし子の諸仏一度に御声をあげなげかせ給ふ御なみだ
是はくめのもりひさ地獄のゑときといふむかし浄るりの古文句をすぐにはめ句にしたるもの也。今のわかき衆は多くしらざる所なり。
○もろこし衛の国出公輙《21オ》
しゆつこうてうといへるは衛の霊公の孫にして蒯聵の子也。くわい〳〵罪を得て衛の国を立のきたる跡にて、霊公死し給ひしゆへ、しゆつこうてうを君とす。しかるに蒯聵このよしをきゝ国へ帰りて衛の君とならんとす。しゆつこうてう是を入まじとして軍おこる。この時子路といへる人しゆつこうてうにつかへゐたる故、しゆつこうの父をふせぎ給ふをいさむれ共しゆつこう聞給はぬゆへ、しゆつこうのゐ給ふ楼を焼んとせしを、やがて矛にてつきころされたり。此事くはしく史記にみへたり。
○首陽山の伯夷叔斉
これも史記に出たり。伯夷は兄しゆくせいは弟にて孤竹といふ国の君の子也。周の武王籏をあげて殷の封王をほろぼさんと出陣し給ふに、この兄弟武王の馬前にすゝみ臣とし《21ウ》て君をうつ事あるべからずとて轡を取ていさむ。左右の者共是をころさんとせしを太公望見て義者也といひていのちをたすけゝる。其後周の天下になりしかば、武王の徳をけがれたりとして周の粟を食ふ事をはぢ、首陽山といへる山へ引こみ蕨を折てくらひ終に飢て死したり。
○娑婆と冥途
名義集に娑婆こゝには忍土といふ。しやばば梵語にて唐の詞にすれば堪忍土といふ事にて、娑婆世界はもろ〳〵の苦を堪忍せねばかなはぬの意なり。冥途とは和語のよみぢといふ事也。
○一重つんでは兄のため
是よりさいの河原を移してものもらひする鉢ぼうずの口うつしなり。此たぐひの事はなには辺の人ならでは遠国へは通じがたし。《22オ》
○あはれはかなき我ら迄
是も地藏の和讃に出る口うつしなり。
○神力勇者に勝ことあたはず
仏力ゆうしやにかつ事あたはずといふ語をなをしたるもの也。此理は儒仏神道共におなじ事也。近くは織田信長ひえ法師と争論の事共あり。怒りて山王廿一社をこと〴〵く破却す。この時当分には何のたゝりもなし。かゝるたぐひをいへり。しかれ共ついには神罰のがれず明智がために本能寺にをいて自殺せり。おそるしべし。
○樗
散木とてやくにたゝぬ木也。荘子に出たり。
○黄泉
人死すれば体魄土に帰す。つちの底の泉は濁るゆへにめいどともくはうせんともいふなり。《22ウ》
○栲器の柱
もと科人を責る時に繋るはしらなり。今こゝにてはごくもんの台をいふ。
○俑桶
いにしへは貴人の死去の時近習の護衛になぞらへて蒭にて人形をつくり死骸にそへてほうむりしを、後になりて真の人形をつくりて俑となづけてほうむる事はじまりたる也。今の俗それより取て棺をようおけとよびならはせり。
○月日をつかむ修羅
あしゆら王が梵天帝釈とたゝかひて日月をつかみし事仏書に見えたり。
○紅梅のあははませ
馬を急にのりて駈させれば口わきより血まじりのあはを吐をいふなり。
○威風凜々
其いきほひの物すさまじきをいふ。
○天下創業の旗《23オ》あげ
はじめて天下をとるを創業といふ。されば親のゆづりの天下をうけてまもるを守成の君といひ、みづから始て天下取たるをさうげうの君といふ也。
○力士ごし
りきじとは本名は那羅延といふ仏塔などのやねの四隅に棟を負て鬼がはらのごときが是也。はなはだちからのつよきものなり。
○韋駄天ごし
是も天部の本尊にて足疾鬼が玉をうばひて迯るを追かけ給ふもこのいだてんなり。
○おぢ坊主の白藏主
つり狐の狂言にあり。
道行
○かくれがの軒もる
山ざとなどに小家をしつらひたるをいふ。はにふの小屋とて軒もまばらなるさまをいふ。
○月にこがれ出
あはれをもよほす折ふし《23ウ》月のさえたるにさそはれ出るていなり。西行の歌に、なけゝとて月やは物を思はするかこちかほなる我涙かな。
○露にやしなふ
月に対して露をいふ。袖がうろにてしばらく気をやしなふとなり。
○すがり
きやらのたきさしが下著に香の残りたる故に香取姫といひかけたり。本は繒とて好絹をいへ共こゝには云かけに用ゆ。
○契りを
手と手をもちにぎりてちかふ事也。もちにぎるを略してちぎりと訓じたるなり。
○二世
仏説におや子は一世といひ夫婦は二世といひて一蓮託生と説給ふ。かねみちに深きちぎりをかけたるを二世とかねみちといひかけたり。
○未来のため
仏教に過去・現世・末来の三世をたつ。過去は前の世をいひ、現世とはこの世をいひ、未来とはのちの世をいふなり。《24オ》
○そぎ尼
そきとは髪を薙事也。大内などにては菩提に入るとき尼になり給ふとては髪をきり給ふ也。是をそぐといふ。剃髪にはあらず。
○うつぶし色
黒き色をいふ。すべてくろき色に染るには五倍子にてそむる也。さて五倍子は子の中空なるものゆへ空五倍子といふ。蝉のぬけがらを空蝉といひ人の気のぬけたるを空気といふがごとし。
○けさよりも
今朝と袈裟とをいひかけたり。
○づだ袋
天竺にては乞食を分衛共頭陀共いふ。出家の人修行のために乞食に同じく身をなして、食を乞て袋へ入るゝ故に其ふくろを頭陀袋といふなり。又ふくろの訓は物をいれてふくれるの義也。れとろと通ずる故にふくろといふ。
○かたみに持し《24ウ》
筐とはもと竹籠也。継体天王いまだ位につき給はず男太迹のの皇子の時、西国にて女にちきりくらゐにつき給ひて後つね〳〵もち給ふ花筐をかの女へつかはし給ふ。それより人の別れのなごりにおくるものをかたみといふ也。形見とも記念とも書なり。
○なぎさの
川などのほとりをいふ。むかし淀川のほとりに宮をつくりて渚の院といふ。今の牧方の傍に禁屋といふ村あり。又渚といふ村もある也。
○身なし貝
貝の名にあらず。浜辺の貝の殻を身なしがひといふ也。
○片しく袖のかた思ひ
君まちがほのうたゝねにひぢまくらしたるをいふ。あはざる恋のことばなり。
○菩提
天竺の詞なり。こゝの詞にては得道といふ。仏のみちを得たるのこゝろなり。
○五戒
一に殺生戒と《25オ》て物のいのちを取事をいましむ。二に偸盜戒とてぬすみをするをいましむ。三に邪婬戒とてよこしまなる婬欲をいましむ。四に妄語戒とていつはりをいましむ。五に飲酒戒とて酒をのむをいましむる也。
○三界
欲界・色界・無色界これを三界といふ。今このしやばは欲界なり。
○家を出たる法のみち
法華経に三界無安有如火宅とて此界を火の宅なりといふ、故に仏道を修行すればさんがいの家をいづるの心にて出家といふなり。
○むすぶすゝきはまねかねど
古歌に、花すゝきまねかばこゝにとまりなんいつれののへもついのすみかそ 〽ふく風のまねくなるべし花すゝきわれよふ人の袖とみつれは。
○あだし野の煙《25ウ》
あだなる野といふ事也。名所にはあらず。嵯峨の奥愛宕のふもとに化野といふ墓所あり。つれ〴〵草にあだしのゝ露きゆる時なく鳥部山のけふり立さらでとあり。こゝには墓所に用ひたり。
○楊柳観音
洛東清水のくはんおん也。むかし音羽の瀧のみづ五色にみへしを、諸人あやしみたづねのぼりしに、みなかみに金色のひかりさし朽木の柳に花さきたちまちやうりうくはんおんとあらはれ給ふと也。
○はた物
刑罰ものを幟物といふ。但し唐にてはその傍に罪におこなふ樣子を書たる幟をたつる故なり。たぐり〳〵といひかけて糸くる体より織機にいひかけたり。
○千引の石
ものゝ至ておもきをいふ。千人もしてひく石となり。みちのくに千引の石ありとぞ。おほく恋によせて古歌によめり。人のこゝろのひけどもゆるがぬにたとへたり。《26オ》
○恋のぬすみ
貧のぬすみに恋の歌といふ俗言をあはせていふ也。
○白浪
ぬす人をいふ。伊勢ものがたりに、 風ふかばおきつしらなみ立田山よはにや君かひとりこゆらん。 立田山にぬす人あらんかと業平の山をこへてかよひ給ふをあんじて井筒のよめる歌なり。
○暗はあやなし
ものゝ文采もみへぬをいふ。躬恒の歌に、 春の夜のやみはあやなし梅の花色こそみへね香やはかくるゝ。
○かねのみさき
はりまの国の名処なり。
○諸行無常
涅槃経の四句の文にてもろ〳〵の世にあるものはみな無常にして終には寂滅すると也。
○ひヾきの灘
是もはりまのめいしよ也。
○たまの緒
いのちの事なり。《26ウ》
○あられ釜
いま茶の湯にもちゆるかまの一つ也。あしやがまといふも有ルゆへあしやのうらといひかけたり。
○いさり火
在所の家内にてたく火也。ある説に海士の朝にすなとりするをあさりといふ。ゆふべにするをいさりといふと云々。いさり火はその時ともす火也と鴨の長明がいへり。
◎評 惣じて此道行首尾全体近年の上作なり。しかしかとり姫がかねみちの首をぬすみとらんとてのびあがり、とゞかぬ足のうらめしく世のせいすいやとなきしつむといへる詞何ンぞや。世のせいすいといふては其心をだやかならず。今すこしあるべき所なるに不自由千万なるくり言。かとり姫には残念なる不相応の詞なり。是おしむべし。
四段ノ奥
○ふとんの内むりやうのしあんぞこもりける
ふとんといふより織ものゝ文《27オ》綾と無量とをいひかなへたる面白し。しかし是より前近松が筆に既にみへたり。是は口まね也。
○経陀羅尼
経は唐の詞にて仏説の惣名しれたる事也。だらには梵語にてこゝには惣持といふとなり。
○魂魄髑髏
魂気体魄とて神は陽に属して魂なり。人死する時は天にのぼる。体は陰に属して魄なり。人死する時は地にかへる。髑髏はしやれかうべなり。
○六根五体
眼耳鼻舌身意を六根といふ。五体は手と足とを四体とし首をそへて五体といふなり。
○四十九の餅
亡者の七々四十九陰に表したるもの也。人死してより四十九日の間は中有にまよひていまだ生を受る所さだまらず。七日〳〵に生滅していまだ形なく虚空に住して香を食す。《27ウ》この間を中有共中陰共いふと也。中陰経にくはしくみへたり。
◎評 ある人難じて云、 四段目の趣向の内かね道と助八とを見ちがへたるにつき、かとり姫がごくもんのくびをかねみちと見ちがへしは死くびなればさもあらん。後に助八が家にて真のかねみちを疑ひし所その意をえず。いはんや嫁のお作が近比まで助八と一所にゐて、このたび来るかねみちを助八と取ちがへしはいよ〳〵有べき事ならず。世間に双生はよく似るものとはいへ共いか程似たり共すこしはちがひのなくてはかなはず。さればこそ世間によく似た人多けれ共取ちがへるといふ事は其ためしなき事也。然れば同じしゆかうならば実に見物のうけとるやうにしたき事也。惣じて噓もまことのうらにて諸人の尤とうけとるやうに書ではおもしろがらぬ筈也。此所いますこししゆかうの未熟なるにあらずや。 答て云、 兄弟のよく似て夫婦の間にも《28オ》取ちがへたる事唐にもその例あり。張伯階といふ人の弟を仲階といひしが其かたち甚よく似て人の取ちがへる事おほし。あるとき弟のちうかいが妻うつくしく化粧して立出るに、兄の伯階が立てゐたる傍へより我夫のちうかい也と思ひてさゞめごとをいひて手を取しゆへ、伯階興をさまし我は兄の伯階なりといひけれはおどろき恥て立去しが、又伯階がたゝずみゐたるを見て是こそ夫ぞと思ひはしり寄て手を取、さき程兄ぎみをあやまつて君ぞと思ひはづかしきたは言をいひたるといふ。伯階又我は兄なり仲諧にてはあらずといひければ、いと恥かしく思ひて奥に入て久しく出る事を得ざりしと風俗通にみへたり。是はまさしく枕をかはしたるふうふさへかゝるためし有。お作が見ちがへしは尤也。又かとり姫がうたがひも既に我手にかね道也と思い込しくびがあるうへ、最前より《28ウ》かねみちの狐つきの体を見てはそこつに信ぜられざりしもことはりなるべし。 難者尤とうなづいてしりぞく。
五段目
○乱臣の栄花は出沒螢のごとく太陽に照されその身を失ふ
是は古語を取あつめ成語のやうに書たるもの也。ほたるのひかりはひかるかと思へばそのまゝきへて、ある共なきともさだめられぬをしゆつぼつほたるのごとしといふ。太陽は日の事也。らんしんのえいぐわをなすは、やみの夜のくらき間にほたるがひかるごとくなれ共、徳ある人に出あひては日にてらされて蛍のひかりのきゆるごとく終にその身をほろほすとの意也。
○民を虐
虐は民をむごくする事也。今の俗にいふ人をせめせたげるといふが此字なり。《29オ》
○課役をかけ
課はおほせるとよみて日に幾月にいくらといふ員数をきはめて公儀へ役をとる事也。
○金殿紫閣
こがねの御殿むらさきの閣にて美をつくしたるをいふ。三体詩に金殿当頭紫閣重といふ詩の語を取て用ひたり。
○闘鷄
には鳥合せの事也。闘鶏とて唐にもあり。
○闕〳〵
御殿〳〵也。禁中には御殿の門に高楼ありて其両掖を闕たるごとくに門をあくるゆへ掖門とも門闕ともいふ。それより取て御殿を闕といふなり。
○大宮人
禁中の人をさしていふ。貞任が歌に、 わがくにのむめのはなとは見たれどもおゝみやひとはいかゝいふらん。
○東天紅
にはとりの時をつくる声也。文字のごとく東の天くれなゐなりといふ事にて夜あけをつぐる鳥のこゑをいふ。《29ウ》
○てうけける
寵戯と書。人をなぶる事也。今も北国仙台あたりの詞に物をなぶるを寵するといふ。この字也。
○秋津島
和国の異名なり。秋津はもと蜻蛉の事なり。日本の地形あきつむしに似たりとてあきつしまといふ也。
◎評 此真鳥全体上出来、おさ〳〵近松がしゆかうにおとらぬ所おほし。双生のいりくみ始終にわたり、お作かとり姫が二度のびつくり、助八が養母のくり言、まとりが猛悪、かねみちが勇気、女の勢ぞろへの発明ひとつとしてぬけめなし。それゆへ見物のよろこび数月の大入を取し事作者のまんぞく座本の大慶いはん方なく、いかなる家にもねづみの糞と真鳥の本なき所はなかりき。
浄瑠璃評注之三終《30オ》
《30ウ》
『上るり 文句評注 なにはみやけ 中ノ末』 《表紙》
此浄るりの一体は、大明の末に思宗烈皇帝の御子福王南京にて即位ありし時、先帝の時より韃靼王中国へせめ入り北京を居城として又なんきんへせめ入、此福王をもほろぼさんとするに、先帝につかへし鄭之龍といふ者、先帝御存生の折讒言にあひてやう〳〵命をたすかり日本長崎へわたり、それより肥前の平戸にて妻子をもふけしが、大みんの乱いまだしづまらざるを聞て妻子を引ぐしふたゝび大みんへ帰り、一子国性爺と共に明朝の味方をなして韃と合戦する事をしるせり。始終こくせいやがはたらきを第一とするゆへ此外題を置也。しかし性の字を性[せん]の音にとなへさする事いぶかし。是は唐の土地の名や人の名などは唐音にとなふる例もあるゆへ、作者の狡黠にて性の音をはねて国性爺[こくせんや]とかなを《1オ》付たりとみゆ。松江の鱸を松江[ずんがう]のすゞきととなへさせ、南京[なんけい]を南京[なんきん]とよふ例也と思へるなるべし。然れ共性は唐音にては性[しん]なり性[せん]にはあらず。殊に唐音にてよぶならば国性爺の三字共みな唐音にして国性爺[こをしんゑゝ]とよふべき事也。され共人の名に限りて唐音によびて益もなければ国性爺[こくせいや]ととなふるがよしと知るべし。是等はもし浄るりをもてあそぶ人〳〵学者なとにふしんせらるゝ時の心入レなれば弁じ置也。世上のかたりならはしなればかたるは国性爺[こくせんや]とかたれ共、根はとくとせぬ事也とわきまふべし。
序
○花とび蝶おどろけ共人うれへず水殿雲廊別に春をおき曉日よそほひなす千騎の女
是は鄴宮を詠ぜし詩の詞にて陸亀蒙が作、すなはち三体詩に出たり。《1ウ》此意は花がちる故春の尽んとするを見て花にたはふれし蝶はおどろけ共宮中の人はうれひなし。その故は帝のおごりにて禁中には水をゑがきたる御殿や雲をゑがきたる廊などが有て、其内はいつも春のたのしみ有て世間とはかくべつに春を置たると也。さて曉がたには千騎もあつまりし宮女共が靚粧て、白桜桃の下にてむらさきの綸巾をいたゞきてたはふるゝと也。此奥にせんだんくはう女の縁さだめに女官の花軍があるゆへ、其事にあてゝ此詩を序文とする也。殊に兄みかどは奢つよくして、多の宮女に花いくさをさせ給ふ事、実録にも有ル事なれは、かれこれよく相応したる序也。
○紅唇翠黛色をまじへ
宮女共が口臙をよそほひ翠の黛をかざりて色をあらそふとなり。
○三夫人九嬪廿七人の世婦《2オ》八十一人の女御あり
礼記に天子につかふる宮女の数をしるしたる通り也。夫人は本妻也。嬪より下はみな女官なり。嫡妻にあらず。
○をよそ三千の容色
禁中に内家叢とて宮女のあつまる後宮ありて其内に容色ある女くはん三千人ほどあるをいふ也。
○諸侯
一国を領する君をいふ。日本の大名と称するがごとし。
○二月中旬に瓜を献ずる栄花也
唐の王建が花清宮に題する詩に、内園分得温湯水、二月中旬已進瓜と賦したる語を取ていふ。瓜は六月にならでは熟せぬ物なるを、たいりのそのゝうちには温湯の水をわけ取て種をくだし、二月中じゆんにはすでに瓜をすゝめたてまつると也。栄耀の体をいふなり。《2ウ》
○越羅蜀錦
越の国の羅、蜀の国の錦、いづれも名物なり。
○侍女阿監
侍女はおもとひとゝよみてこしもと也。阿監は女中かしら也。
○珊瑚のたま
珊瑚樹は海底にある樹なり。八月十五夜の満月に是を取て珠にみがく也。七宝の一つなれば至て重宝するにたとへたり。
○虎の皮豹の皮
虎は山獣の長にして、かたちは猫のごとく大さ黄牛のごとく黒き章あり。爪は鉤のごとく牙はのこぎりのごとく両眼はなはだ光あり。一目よりはひかりをはなち一つの目にては物を見る。その皮甚だ貴とす。豹はめとらと訓ずれ共虎とはかくべつ也。毛色は赤黄にして黒文ありといへり。
○南海の火浣布東海の馬肝石《2ウ》
火くはんふといふは布也。但し火中に火を食する鼠あり。其ねづみの毛にて織し布也。垢づく時は火中にて焼ば白くなる。もし水へいるゝ時は損ずる也。ばかんせきは馬の肝に似たる石なりと也。
○米粟
粟はあわとよめ共日本の稷の事にあらず。米のいまだすらざるをいふ。日本にいふもみごめなり。
○三皇五帝孔孟のおしへ
三くはうは伏義・神農・黄帝也。五帝は少昊・顓頊・帝嚳・尭・舜なり。孔孟は孔子と孟子と也。其教は仁義忠信人倫の正道也。
○五常五倫の道
五じやうは仁・義・礼・智・信なり。五りんは君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友なり。其まじはりの道は親義別序信也。これをも五常といふ。
○断悪修善
悪を断て善をおさむるをいふ。《3ウ》
○道もなく法もなく飽迄くらひ暖に衣て
孟子に、飽までくらひあたゝかにきて逸居して教なきは禽獣に近しといふ語あるに本づきていふ。口には飽迄物をくひ身にはあたゝかなる程物を着て人の道をしらぬは禽けだもの同然なりと也。
○北狄
中国の四方のはし〴〵をゑびすといふ。俗のいふ大いなかなり。だつたんは北のはづれ故ほくてきといふ。
○官仲が九たび諸侯の会もかくやらん
周の世の末に天子の御家おとろへたる故、天下の諸侯勅命をもちひざるゆへ、斉の官仲といふ人その君桓公をもり立て諸候の伯とし、天下の諸侯を会して国々をよくおさめさせ、天子をたつとむやうに下知したる也。それゆへ天下のしよこう天子の威にはおそれね共、桓公やくはん《4オ》ちうにおそれて我まゝをなさず。それゆへ天下が靜謐なりし也。
○伍子胥が余風
ごししよが眼をくりて呉の東門にかけし事前にしるせり。余風とは其余りのふぜいにてなごりのこりたる体也。
○范蠡がおもむき有
はんれいは越王勾践の忠臣にて越王をもり立て呉王を討しめたり。呉三桂が君をしゆごするにたとへていふ。
○万乗の位
天子のくらゐをいふ。礼記の王制に、天子は万乗の国、諸侯は千乗の国といひて、天子の御領地は軍車を万乗いだす程あるものゆへにいふと也。
○頭にさせば二月の雪と散もあり
折梅花挿頭、二月雪満衣といふ詩の句のこゝろを取て書り。《4ウ》
○一家仁あれば一国仁をおこし一人たんれいなれば一国乱をおこす
大学の語をすぐに書り。君の家一つが仁愛の風になれば其教が下へおよびて一国中が仁愛のならはしとなり、君一人が貪欲無道なれば下もそれを見ならひて国中が乱をおこすとのぎなり。
○五刑の罪
つみに軽重ある故刑罰の法に五ケ条あるを五刑といふ。五刑は墨・劓・剕・宮・大辟なり。墨とは科人の額を刺ていれ墨をするをいふ。劓は鼻を断をいふ。剕は足を斬をいふ。宮は男なれは勢を割女なれば幽を閉るをいふ。大辟は斬ころすをいふ。
○宗廟の神
先祖の神霊を祭る処を宗廟といふ。宗は源にて先祖は子孫のみな《5オ》もと也との意なり。廟は神主を置殿也。廟は貌也とて先祖の貌にかたとるとの義なり。
○大の字の金刀点
筆法に点の名さま〴〵あり。大の字は三点にて、大の字の一文字を玉案と名つけ、左へひく点を犀角と名づけ、右へひく点を金刀と名づく。其形刀の身に似たるゆへなり。
○宸翰
天子の御筆をいふ。
○かし水
米をあらふ水也。浙と書也。もと米をたくを炊といふゆへ、それより取てこめを炊んとてあらふみづゆへかしみづと訓ずるなり。
○龍顏
天子の御顏をいふ。天子の徳を龍にたとふるゆへ也。
○刃のさびは刃より出て刃をくさらし檜山の火は檜よよりいでゝ《5ウ》檜をやく。
この語は成語にあらず。是は作者が意をもつて造語たるもの也。藍よりいでゝ藍より青く朱を研て朱よりもあかしなんどいへる語の勢ひを摸てあらたにつゞりたる詞也。さびは銹と書が正字なり。
○印綬
もろこしには天子より百官迄その位につきたる印あり。その印を腰におふる紐を綬といふ。是は天子の御位のしるしのいんじゆ也。
○たまの緒
いのちの事を大和詞にたまのをといふなり。
○綿蛮たる黄鳥丘隅にとどまる人としてとゞまる所にとゞまらずんば鳥にしかざるべしとかや
是はもと詩経の詩にて大学に出たり。鳥のなく声をめんばんといふ。黄《6オ》鳥はうくひすと訓じて毛の黄なる鳥也。丘隅は峯の樹のはへふさかりたる所をいふ。此詩の心はめんばんとさへつりとぶ黄島も人ちかき所には居をやすんぜす、かならず山おくの樹の生ふさがりて猟師の弓矢などもとゞかぬ所にいたりてとゞまり居ると也。然れは人の住居もとゞまるべきよき所にとゞまらずんば鳥にもおとりたるなるべしと也。
○長沙の罪をさけ
漢の賈誼といふ賢臣讒言にあひて朝廷をしりぞけられ長沙王の傅に貶せらる。いま鄭之龍もざんげんの罪を避て日本へわたり居と也。避るはよけるなり。
○砂頭に印をきざむ鴎
唐詩の語なり。かもめが浜辺の砂を足にてかきさがす体を文字を印に彫きざむの体に見立たる也。
○蛤よく気を吐て楼台を《6ウ》なす
蚌・蛤・蜃みなはまくりと訓ず。蚌と蛤とは常のはまくり也。蜃には二種あり。一種は大蛤也と注して一名を車螯といふ。是は貝の類なれ共楼台をなすものにあらず。よく気を吐て楼台をなすといふ。蜃ははまぐりと訓じても其かたち蛟に似て龍の類なる物なり。本草綱目に其かたち虵に似て大なり。角ありて龍の形のごとし。紅の鬛あり。よく気を吐てろうたい城郭の形をなす。まさに雨ふらんとしてみゆ。是を蜃楼と名づけ又海市共いふと云り。又唐詩訓解の注にも、蜃は蛟の類にて気をはき楼台人物のかたちのごとしといへり。然るを近松は鷸蚌のはまぐりと思へるは麁末のいたりにあらずや。又謝肇制が五雑爼に、登州の海上に蜃の気あり、時〳〵むすんで楼台のごときかたちをなす、是を海市といふ、但し是海の気にして蜃の気にあらず、をよそ海水の精多く結んでは形をなし散ては光をなす、海中の物何によらず其気を《7オ》得る事久しければみなよく変幻をなす、蜃のみにかぎるにあらず共いへり。日本にても近年安芸の厳島に此気あらはれ所の人みな是を見たり。三刻ばかりの間はその辺金色のひかりさし五色の岩くみさながら金楼玉台のごとくなりしと也。
○あさる羽おと
鳥の餌をもとめんためにさへづるをあさるといふ。
○雪折竹に本来の面目をさとり臂を切て祖師西来意のわをさとりしも
初祖に神光といふ僧来り参ずるに、祖はたゞ端座して教の詞なければ、かの僧庭に立けるに大雪ふりて竹を折レ共しりぞかず、夜あくる迄立居たりしかば、初祖あはれみて汝何事を求んためにか雪中に有やと問給ふに、かの僧なみだをながし師たゞ《7ウ》ねがはくは教給へといふ。初祖のいはく、諸仏無上の妙道はなんぢがごとき小智小徳の慢心をもつて得べきにあらずと。かの僧聞やいなや刀をもつて左のひぢをきり師の前に置て云く、諸仏の法印聞事を得べしや。祖のいはく、諸仏の法印は己が心にあり、他よりもとむべけんや。かの僧のいはく、我心いまだ安からず師ねがはくは我ために我心をやすんぜよ。祖の云く、なんぢか心を我前へもちきたれ。かの僧心をもとむるにとらへ得べからず。祖のいはく、今なんぢかために心をやすんぜりと。かの僧つひにさとりをひらけり。
○しぎ蛤のあらそひ
是はもと韃靼より梅勒王を大将として大明をせめしむる時、闖王李自成といふ者其虚にのつて南京へせめ入帝を害し王位を奪ふたる故、呉三桂いそぎ靼王の陣へ至り、此たび力をくはへて闖王を討しめ給へと願ふに付、だつ王いかゞせんと評議有しに、ばいろくわうが謀には此度《8オ》ごさんけいが乞にまかせ加勢をやりて闖王とごさんけいとをたゝかはせ、其虚に乗て両方をだつたんの手に入べしとて、此鷸蚌のたとへを引てだつ王をさとしたる故事也。今此浄るりには国せんやが事にもちくみたる尤作意也。さて此故事の源は戦国策に出たり。
○秦の始皇六国を呑んため連衡の謀
この時天下に七ケ国あり。秦・燕・趙・韓・魏・斉・楚なり。しかるに秦の始皇、のこり六国を攻ほろぼしてみな秦へあはせ天下を一つにして皇帝のくらゐにつき給へり。連衡とは此時蘇秦といふものと張儀といふものと謀をなして、あるひは六国をつらねて秦につかへさせんとし、あるひは秦を討んとし又は六国を討んとする等の謀共をなしたるをいふ。
○楊貴妣
唐の玄宗皇帝のてうあいし給ひし女官なり。《8ウ》
○なむきやらちよんのうとらや〳〵
あみだ如来の根本だらにの詞に、のうほあらたんのうたらやゝといふ事あり。それを略してかくいひたる也。是もよき作意なり。是より奧の唐人ことば皆やくたいもなき事なりとしるべし。
○くひの八千度
いくたびも〳〵くゆるをいふ。和歌のことばなり。
○本卦師の卦にあたつて
師の卦は六十四卦の一つにて、八卦の坤を上卦とし坎を下卦としたる卦体なり。卦の義理は専らいくさの事を断たる卦也。
○天の時は地の利にしかす地の利は人の和にしかず
孟子に出たる語なり。軍を出すに天の時をかんがへ歳月の吉凶日取時とりの吉凶、又はその日によりて或は勝利を得《9オ》あるひは敗北する等の方角もある事也。然れ共要害堅固なる土地の利城にこもりたる時は、何程よせ手の勝べき時日にせめよせても勝れぬか治定なれは、是天の時は地の利にしかざる也。又たとひやうがいのよき地に陣を取たり共、士卒の心和合せずして大将をうらむるは、いかなる堅固なる城をも士卒が捨て逃る時は大将一人してまもる事あたはず。つひに打負べき時は是地の利は人の和におよばざるなり。
○三韓退治
新羅・高麗・百済これを三韓といふ。神功皇后さんかんたいぢの時ともへにあらみさきの立し事日本紀に見へたり。
○もろこしの望夫山
婦人その夫を虎に喰ころされし者、この山へのぼり虎に似たりし石の有しを敵虎と思ひ矢をはなちしかば、婦人の念力にて其石に矢が立たり。其石を望夫石といひ其山を望夫山といふ。
○我朝のひれふる山《9ウ》
狭手彥が東夷征伐に発足の時、その妻まつらさよ姫其別をかなしみ、この山へのぼりて袖をふりてなげきしと也。大和詞にひれふると袖ふる事なりといへり。
○潯陽の江これ猩々のすみ所
じんやうは隠なき大江にてこゝには別してせう〴〵おほくすむといへり。
○赤壁とてむかし東坡が配所ぞや
赤壁は三国の軍に魏の曹操が呉の周瑜に舟をやかれて敗北せし所也。宋の蘇軾を東坡と号す。朝廷よりつみせられて流され此赤壁のもとにあそぶ。東坡が赤壁のあそび前後に二度にて前赤壁の賦後赤壁の賦をつくりてそのあそびのたのしみを詠ぜり。
○廿四孝の楊香が孝行の徳に《10オ》よつてしぜんとのがれし悪虎の難
此事二十四孝の伝につまびらかにしるせり。
○西天の獅子王
しし一名を白沢共いふ。狻猊といふも是也。かたちは虎に似て黄なり。銅のごとき頭にて鉄のごとき額あり。牙は鋸のごとく目のひかりいなひかりのごとく吼る声いかづちのごとし。よく虎豹を食ふ。天竺にあるけだもの也。天ぢくは中国より西にあたるゆへ西天といふ。
○あまのぶち駒
神代の馬なり。
○しやぐはん
射官なるべし。火砲弓箭を射る役也。
○ちやぐちう左衛門
是より国所をかしら字にしてよび名とす。その国々の文字は東埔塞・呂宋・東京・暹羅・白城等也。
○仁ある君も用《10ウ》なき臣は養ふ事あたはず慈ある父も益なき子は愛する事あたはず
古語のやうなれ共慥なる書には見えず。その理もちかく似たれ共正しき聖賢の意には的当せざるかごとし。
○夜まはりのどらの声
とらは鉦と多く書共刁の字よし。史記・通鑑等に出て陣屋の用心をいましむる夜廻りかうつ鐘也。もと刁斗といふを和訓にて刁とよませり。此字を刁とよむに付て今の俗子・丑・寅のとらの字の略也と思ひて寅の字の代りに用ゆるは笑ふべし。是さだめてかなの濁を見をとしたる麁相ものゝ取ちがへそめたるなるべし。
○いしゆみ
弩弓とて此方の人のいふ石はじきの類也。
○いしびや《11オ》
仏郎機なり。
○胡乱
胡国は天竺の際にて中国よりは甚だ遠きゑびす故言も中国へ通ぜぬゆへ不埒なる詞を胡説乱道といふ。胡乱は此二字を切て唐音にていひならはしたるもの也。
○きこらい〳〵びんくはんたさつふおん〳〵
此浄るりの唐音は前もいふ通り訳もなき事也。きこらいは帰去来の字を用ひたれ共是も唐音にては帰去来[くいやいらい]なれば合ず。ひんくはんたさつふをん〳〵も唐音をもつて文字に合せなば相応なる事も有べけれ共、すべて近松が唐音はみな頓作にて其かゝはりなし。前の所にはだらにをもぢりて唐音にまぎらかしたり。又大職冠の唐音は唐菓子や膏薬の名にてまぎらかせり。又本朝三国志の大王の道行に、御いたはしや大わうはちりくちくすい引かへてあほす峠のよるの道と書り。京都のさる俳諧師此ちりくちくすいの語をあんじ煩ひて《11ウ》問ければ、是は大王夫婦の道行ゆへくちりくちすい引かへてといふかなを上下へ置かへて用ゐたりとこたへしとかや。又唐船はなし今こくせんやの口に唐の木やり有。其文句に、 らうがときろくほにやふたうにやくこんもつきんとゝいふ事あり。是はむかしの東国歌に、うらか斎坊にや豆腐こんにやくきんもつだといふを、かなを上下へ置かへて用ひたる也。此類にて埒もなき事を知るべし。近年鼎軍談の唐音はまことのたういんなり。
○足かせ手かせ
足械は足にうつ械也。手械は手鎖なり。
○延平王国性爺鄭成功と号し
本伝を按ずるに鄭之龍が児鄭森廿歳の時父と共に大明の皇帝隆武爺につかふ。身のたけ六尺八寸ちからは大象を取ひじき、殊に倭国の産なれば日本の両刀を善つかふをきこしめし、忝くも宮中にて元服し成功と字し明の朱姓を《12オ》たまひ、常に左右に侍し奉れば、臣民これを貴み国性爺と称す。後又延平王と号せりと云々。
○章甫の冠花紋の履
しやうほは殷の代のかんふり也。花紋ははなの紋を織つけたるくつ也。
○幢のはた幡のはた
幢幡共にはたにて天子諸侯のもたせらるゝ道具なり。
○会稽山に越王のふたゝび出たるごとくなり
呉国を討んとて越王の勾践くはいけいさんより籏をあげ給ふ体也。前にいふかごとし。
○父が庭訓
孔子の子伯魚ある時庭を通りたるに、孔子立給ひて詩と礼とをまなぶべしと教給ひしより故事と成て父のおしへを庭訓といふ。
○玉ある淵は岸やぶ《12ウ》れず龍すむ池は水かれず
この語文選にみへたり。
○むかし唐土の白楽天といひし人日本の智恵をはからんと
此所の文段つぶさに白楽天の謠に有て誰もよくしりたる事ゆへ是を略す。
道行
○唐子わげには薩摩ぐし島田わげには唐ぐしと大和もろこし打まぜて
此文句うはべは何事もなけれ共、底意にふまへたる故事有て書出したる也。荘子に蝸牛の角のうへに国二ケ国あり。左の角のうへなるを蛮の国と名づけ、右の角の上なるを蜀の国と名づく。此左右の国たがひに《13オ》あらそふて戦ふといへり。蝸牛はかたつむりと訓じて俗にいふでん〳〵虫也。荘子は人の耳をおどろかす事を書上手なるゆへ右のとをりにいゝたり。此語の心をふまへて、中むかしの毎句付の笠に、かしらの上に国二ケ国といふ題ありしを、加賀笠の下にさしたるさつま櫛といふ句をつけて勝句となり、世上の人の語り草となる。此の道行の出の文句又是をやつしたる也。唐子わげには和国のさつまぐし、和国の島田にはもろこしの唐ぐしとやまともろこし打まぜてといひかけて、せんだん女と小むつと打まじりてのたびだちをことはる也。
○枕をたゝむ夢たゝむ千里を胸にたゝみこむ
船中などに用ゆる懐中のたゝみまくらより邯鄲の枕をふまふへて夢たゝむといひ、飛張房が縮地の杖の意をふまへて千里をむねにたゝみこむといふ。殊に二人が渡海のはるけさ《13ウ》千里あなたへ着意を胸にたゝみたくはふるの情によせていふ。
○我は古郷を出る旅君は古郷へ帰るたび
此句情をいはずして情その中にこもる。尤詩などにこの格多き事也。小むつは古郷を出る旅なれば古郷をはなるゝ物うさいか斗りぞや。それにくらべてはせんだん女は古郷へ帰り給ふ旅なれは旅のうさにも便ありと、小むつがせんだんによへ力をつけていさむる体也。それゆへ此下の文句に小むつがいさめちからにてといへり。
○ふたはに見せてせんだん女
古郷を出ると帰るとの二端とうけて又せんだんの二葉といふにいひかけたり。
○親と妻とを持し身は何かなげきは有明の月さへ同じ月なれどなふ二人見馴し閨の月《14オ》
小むつが身の上にて小むつが情をのぶる也。月を見て夫婦ねやにてながめし思ひをのぶる。尤さもあるべし。
○なごり数〳〵大村の 是より ぬれてかはかぬ旅衣
といふ迄の文句其心はよく聞えて注に及ばず。たゞ文句のずら〳〵として何共なうおもしろく筆にうるほひのある事よく〳〵気をつけてみるべし。是らが筆さきにうまみの有といふならん。
○二千里の外故人の心
白楽天が月の詩也。三五夜中新月色といふの対句なり。月をながめて二千里の外に別れある所の故人の心もさぞや此月を見て我をしたふらんとなり。
○うなばら
滄海の二字をあをうなばらとよむ也。
○鬼界十二の島
きかいはさつまのいわうが島也。それより目通りに打つゞきて十二の島ありと《14ウ》なん云り。此所の島々みな今に有ル島共也。
○あれはいにしへ天照神の住吉の明神に笛ふかせ舞曲を奏し二神のあそび給ひし所とて二神島共申す也
そさのをの尊暴悪なりしかば、天照神いかり給ひて天磐戸へ引こもり給ひしかば、天下常暗となりたるゆへ、住吉の明神をはじめ八百万神かぐらを奏し給ひしかば、それより岩戸をひらき給ふ。爰のすみよしのふえふき給ふは此故事也。又二神島にてふたがみのあそび給ひしは余の事なれ共、かぐらをいふ故住吉の明神を引て立たる也。二神島はふたがみしまとて今に有となん。
○敷島のはや秋津洲の地を《15オ》はなれ
敷島もあきつすも日本の別名なり。
○あまの鳥舟岩舟の
たゞ舟の事をいふ歌ことばなり。
○まだ秋風に鱸つる松江の湊
古来ずんがうとよみ来れ共唐音は松江[そんきやん]にてすゞきの名処なり。日本にても出雲の松江は鱸の名所にて、まだあき風にすゞきつる也などいへる古歌あり。其古歌を取てこゝの文句のいゝかけに用ひたり。
○陶朱公
越の范蠡官を去て後陶朱公と名のり大に富をえたり。
○宮前の楊柳寺前の花
三体詩に出たる詩の句にて其こゝろはきこへたるごとし。
○鸞輿属車
天子の御車をらんよといふ。跡につゞくくるまをしよくしやといふ也。《15ウ》
○谷のましら
ましらは猿の事也。
○かたにかし
肩に駕といふ事也。
○さいくはいの山路に
崔嵬と書也。山のけはしき体也。詩経に有。
○手談のわざ
前にみへたり。
○斧の柄もおのづからとや朽ぬべし
列仙伝に此事あり。仙人の碁を打を見る内に年月移りて手につきゐたるおのゝえくさりたりとなり。
○とりのそら音ははかる共
孟嘗君といふ人秦に囚られし時、ひそかに秦を夜の内にぬけ出たりしが、追手のかゝらん事をおそれ道をいそぎしが、函谷関といふ関所をひらかざりし所に、もうしやうくんにしたかひし者に鷄のなくねをよく似する人あり。鶏のまねをせしかば其辺の鷄《16オ》みななきし程に関守やかて夜明ケたりとて関所をあけて通しけるとの故事なり。
○驪山のふもと
りさんといふ山のふもとに花清宮といふ御殿あり。
○楊貴妣の御廟所大真殿
唐の玄宗皇帝の十八番目の御子に寿王といふあり。楊貴妣はもと此寿王の妣なりしが美事すぐれたりしかば、寿王へは別に妣をあたへやうきひをば玄宗寵愛し給ふ。すなはち楊玄琰がむすめにておさな名を大真といふ。貴妣は女官の名也。後に安禄山といふもの乱をおこせし故玄宗は貴妣ともろ共に蜀へにげ給ふ。其みち馬嵬といふ所にて軍兵が貴妣を殺したる故、その後玄宗したひかなしみて臨邛の方士に勅して貴妣の魂のあり所をもとめ給ふに、蓬萊山へいたりて大真殿といふ額のかゝりし所へゆきいたり楊貴妣にあひしとぞ。《16ウ》
○楚人の一炬に焦土となんぬ咸陽宮共いつゝべし
是は杜牧之が作りたる阿房宮の賦の詞なり。秦の始皇がおごりをきはめて花麗に立たる咸陽宮なれ共楚の項羽が一戦にほろぼされ項羽楚人にやかせしかばさしもびゞしき宮殿共も一つの炬にやきつくされて焦土となりたると也。
○目擊一瞬
目擊はまたゝき也。一瞬は一たび目をひらきて閉る間をいふ。故にまちかく見るをももくげきすといふ。
○福寿海無量
法花経普門品の語也。福と寿との徳を得る事海の量なきがごとしと也。
○鵲のわたせる橋
前にみへたり。
○くめの岩はし
大和の国大峰山をかづらきといふ。此所《17オ》にくめの岩はしといふ名所あり。
○泰山を挾んで北海をこゆる事はあたはず
是は孟子が梁の恵王へ教給ふ語なり。此心は魯国の泰山のやうなる山を脇の下にはさみて、北海のごとき大なる海を飛こゆる事は何程したき事とねがひてもかなはぬ事也。君の位ある人が民をおさめて王となる事は此類にあらず。君の心に為とさへ願ひ給へばなる事なれ共君の心にその事を為給はざるゆへなりとなり。
○御幸
天子の御行を御幸といふ。但行給ふ前々にてたまものあるゆへ民みな幸とするのこゝろあるゆへなり。
○鴆毒
鴆といふ鳥は甚だ毒あり。此鳥もし水に影をうつせば其所の鱗こと〴〵く死すと言り。是によつて唐にては酒又は食物に此毒を入レて毒餌するの術あり。又井の傍に桐を植るも、桐は鳳凰のすむ樹にしてほうわうは諸鳥の《17ウ》長なる程に、この樹を見てはもし鳳凰や有べきと鴆鳥も恐れてよりつかざる時は水にその影のうつる気づかひなきがため也とかや。
◎評 右国性爺合戦五段の趣向外にいゝぶんなし。只一つ老一官が甘輝か城へゆきし時、かんきが妻の金祥女がやぐらのうへにて一官がすがた絵を月かげにうつしてよく見合する所、理のくらき書やう也。一官は城外にたゝずみ、きんしやう女は櫓の上に居、その間遠きゆへ鏡にうつして引合すとの心、是は昼ならばさも有べし。月はもと日の光をうけてひかるものなれば夜にいり太陽地にしづみては月光が本影也。それに復かゞみをうつしたりとて照すべき理なし。是はさだめて古人の云る書をよむに雪をあつめ蛍をあつめし格と思はるべけれ共、それは目の前にて目にさし当てみるなるべし。それさへあるべき事ならず。いはんや数十間をへだてゝその影あきらかに鏡にうつるべきや。何として直には見られぬぞ。此段はなはだいぶかし〳〵。《18オ》
《18ウ》
此浄るり全体がかるかやの事を取組たる故此外題也。かるかやの事はむかしより説経又はぶんやの浄るり其外かぶきにも多く仕来る事にて今さら語にも及ばず。次に此げだいの轢の字をいへづとゝ訓ずる事たしかなる出所ありやおぼつかなし。惣じて外題は三字五字七字等の奇の数をもちゆる事俗の胡婆の業より出て、かならず字わりを偶にはせぬ事有ふれたる例なる故、字数を奇にかなんへための無理訓と聞へたり。尤狂言綺語とはいへど近比わがまゝなるよし評ずる人もすくなからず。いかさま文字の形を分てみれば、家の土産に栄ものを車につみて帰るの心を会意して此字を製しかくよませたるにや。此やうな事が格になりなば金扁に遣といふ字を大臣とよませ、紫帽子を冠《19オ》にして爺といふ字を孌童共よませるやうになりゆくべし。
序
○大道すたれて仁義おこり国家みだれて忠臣をあらはす此語をもつてかんがみれば道にもまた誠の本あり其まことのみなもとを尋れば恋慕愛執にしくはなしと豊芦原の陰神陽神さぐり給ひし天の逆鉾
この序の詞木に竹をつぐとやら。前後の語つゞきはなはだ不都合也。まつ大道すたれて仁義あり国家みだれて忠臣をあらはすとは老子経に出て、老子が道とする所の虚無自然の眼より聖人の仁義忠孝を打やぶりたる詞也。この語をうけて道にも又誠のもと《19ウ》ありとは何事ぞや。しかも恋慕愛執を道のもとゝいふ事、いかに狂言なればとて余りにつたなき書やうならずや。勿論男女のまじはりより父子兄弟等と人倫のひろまる事は諸書に多き事なれば、その心をいはんとならば聖書にもあれ神書にもあれ此所へ引べき語幾等もある事なるを、かくのごとく妄言を書ならべて一部の発端とする事作者の恥也。さて豊芦原は日本の別名にて、伊弉諾伊弉冊の二神あまのさかほこをもつてさぐり給ひ此国がはしまりしといふ事は、子供もしつたる事なればくはしくしるすにおよばず。
○世々のひつき
祚の字にて天子の御くらゐをいふ。
○君子国
日本の別名なり。日本は礼儀たゞしき国なるゆへ称美していふとなり。三才図会には日本の外に別に君子国といふ国あれ共、日本の事をくんしこくと称する事昔よりふるき事なればまづは《20オ》日本の別名とすべし。
○踏歌の節会
正月十六日に内裏におこなはるゝ節会なり。
○とのゐもり
だいりへ御番にあがりて守護するをいふ。
○いなにはあらぬいな船
古今などに最上河によめる歌の詞也。出羽の国の名所もがみ川は川水ことの外はやくして舟を引のぼすにふねのかしらのふる態が人の物を否といひてかぶりをふるに似たる故かくいひかくると也。
○公卿
内大臣・右大臣・左大臣を三公といふ。又内大臣をのぞきて太政大臣をくはへても三公といふ。その内にだいじやうだいじんは常になき官なればまづは内大臣と左右の大臣を三公といふ。さて三位以上を卿といふ故に三公と三位以上とを公卿といふ也。
○比翼の友羽がひ
山海経にいはく、常晋山に鳥ありて《20ウ》翼も一つ目も一つゆへ二鳥相ならびて飛その名を鶼といふと。又爾雅にも南方に鳥あり比ざれば飛ずといへり。皆ひよくの鳥の事なり。
○香染の袈裟
絳色に染たるけさをいふ。
○おどろの髪
荆はいばらの事也。いばらのごとく乱れたるかみといふ心也。
○叡感
叡の字は深明也と注して智の至てふかき事也。書経には叡は聖をなす共いへり。されば時の天子をあがめて聖主などゝ申す故、天子の事にはほめ奉りて叡の字をつくる也。
○常陸帯
ひたちの国かしま明神の祭の日、女に思ひかけたる男のあまたあるを布のおびに其名を書付て神前におけば、其多き中にすべき男の名書たるはおのづとひるがへるを祢宜が取てとらすれば、それを聞て男かこちて終にしたしくなるといへり。それゆへいもせの縁むすびの事に引ていふなり。《21オ》
○大悲のおちから
大日経に大慈大悲といへり。仏菩薩の衆生をあはれむをいふ。
○念彼の段
観音経の偈に念彼観音力といふ事多く有。その所を俗にねびの段といふ。
○雲雷くせいでん
念彼の段の文也。もし雲おこり雷なり電はげしき時彼観音の力を念ぜば時に応じて消散する事を得んとのこゝろ也。
○胎金両部の峯
真言家に仏体を陰陽にわかちて陽を金剛界とし陰を胎蔵界とし是を両部といふ。それより取て大峰かづらきの山上をたいこんりやうぶのみねといふ也。
○幕下
大将の籏下をばつかといふ。大将の陣所に幕を打たる其幕の下といふ事也。されば其手下につくをばつかにつくといふなり。
○大玄谷神の咒《21ウ》
幻術などをつかさどる神にて其本尊の咒なり。
○雲井のかほり蘭奢の乗もの
こゝのらんじやは蘭麝なるべし。匂ふ乗物との心也。又蘭奢は南都東大寺にある奇楠の名也。むかしより東大寺に伝はる宝物也。それにつき世俗のものがたりに寺を東大寺となづくる事此蘭奢待といふ奇楠ある故也。其故は蘭の字の中にて東の字を取り、奢の字の上にて大の字を取り、待の字の旁にて寺の字を取て東大寺といふと也。此説久しく云つたふる事なれ共蘭の字の中は東にはあらず、柬の字なれはいぶかしき事也。さて此序に伽羅の事をも弁ずべし。世俗に奇楠を伽羅とよぶ事漢語のやうに覚へたれ共伽羅はもと梵語也。漢語になをすれば黒といふ事也。仏法に大黒の真言を摩訶伽羅といふ。是すなはち漢にては大黒といふ義也。翻訳名義集に摩訶此には大といふ、伽羅《22オ》こゝには黒といふと云り。然れば漢にては黒といふべきをそのまゝ梵語をもちひて伽羅といふなるべし。さるによつて伽羅といふ字義を穿鑿しては奇楠の名とする事其義知レがたし。是に付て薰物の方を黒方といふも伽羅の方也との意なるべし。是等は世間に多くしらざる事ゆへ序ながら書付ぬ。
○たそかれ
黄昏と書く。暮方の事也。
○男山のむかしを尋るに豊前の国宇佐の郡より勧請
男山とは八幡山の事也。元来ぶぜんの国うさのこほりひしかたの山に広幡八ながれあらはれて八幡大神宮とあをがれ給ふを、其のち神亀四年に今の山城のおとこ山にうつし勧請し奉るとなり。
○餓死
餓の字に餓[がつ]のかなを付ケて餓死とかたるは何故ぞや。大かたうへ死をがつしと覚たるならん。鄙〳〵。
○大行は細瑾をかへりみず
戦国策に出たる語也。天下などを取んとのぞむやうなる大事をおこなふものは瑣細なる事には目をかけぬもの也とのこゝろなり。
○外面似菩薩内心如夜刃
阿含に女人地獄使能断仏種、外面似菩薩内心如夜刃といへるを截ていふ也。
○まよふが故に三界の火宅
仏法のさとりの意をのべて迷故三界城悟故十方空、本来無東西何処有南北といふ偈あり。此心をふまへて書たる也。三界の事火宅の事は前に注せり。
○輪廻のきづな
恩愛にほださるゝものは三界をはなるゝ事あたはず。車の輪のめぐるごとくに生れかはり〳〵て三界の間をうろたゆる。是をりんゑのきづなといふ也。《23オ》
○無明のさとり
無明は煩悩の事也。無明の暗といふはあれ共無明のさとりとはめづらしき詞也。無明を悟で破るのこゝろにて書たるにや。
○妻子珍宝不隨者
経に妻子珍宝及王位臨命終時不隨者といへるをきりて用る也。
○愛別離苦
前に出たり。
◎評 此段の本妻と妾とが碁盤の枕のうへ二疋の蛇の咬あふ趣向は、もと藤沢の一遍上人の俗の時の事也。くはしく爰にしるすべき事なれ共北条九代記にもあり、又は近年出たる小栗実記といふ軍書にも遊行の由来を書たる所にくはしくあり。作者大かた小栗の中より得られたる思ひつきならん。
○富で奢らず貧してむさぼらぬは未《23ウ》可なり富貴にして礼をしり貧してたのしめと弟子にしめせし孔子の詞
此語は論語に出て、孔子の弟子に子貢といふ人問かけられしを孔子のしめし給ふ詞也。其心は文面にてよく聞えたり
○鏑矢
矢じりに煉ものゝ丸きを付たる矢也。
○一天の主となる某十二人迄女房持てもくるしからず
天子の妣は十二人をさだめて一年の十二ケ月にかたどると白虎通に出たり。日本の天子にも女官は典侍四人お下四人内侍四人合せて十二人あり。これを局といふ。俗多く取ちがへて十二の后といふ。后は天子の妻也。一人に限る。局は官《24オ》女にて官なり。
○もろこし臨潼の会に善をもつて宝とすと伍子胥がいひし
りんとうは秦の哀公天下の諸侯を会せられし所の名也。この会闘宝の会なりしが、楚にはいか成ル宝かあると問し時、伍子胥こたへて我国には金銀殊玉の宝をもつては宝とせず、惟善人をもつてたからとすと答たり。伍子胥この時楚の霊王にしたがひて臨潼にゆき此会の明補たり。
○つひに妹背の道しらず
本朝の神代に鶺鴒ありてその尾をびくめかせるを伊弉諾いざなみの二神見給ひて是にならひて其腰をびくめかし給ふより婚婤の道ひろまり長くいもせの道をつたふ。さればせきれいを《24ウ》恋おしへ鳥といふも此故事也とかや。
○智仁勇
此三つ人道の大徳也。智はちえ也。仁は天よりうけたる本性の徳なり。勇はすゝみていさみある也。人に此三つがそなはらねば道徳にいたられぬ也。智はたとへば行所の道すじを目をもつて見わくるがごとし。仁はたとへば行べき道すじを足にてあゆむがごとし。勇はたとへば行べき所へゆき着へしといさみすゝむがごとし。故に此三つを天下の達徳共いふ也。
○もろこしには卞和がたま我朝の驪龍のたま
荆の国にへんくわといふ人あり。山より璞を堀得て是を荆王に奉る。荆王かのあらたまを玉尹といふ目利に相せしめ給ふに是石なりといふ。荆王へんくわが上をあざむくと怒て左の足を刖せらる。其のち荆王死し給ひその子武王くらゐにつき給ひしかばへんくわ《25オ》ふたゝび是を献ず。玉尹又見て石也といふ故、武王もいかりて右の足をきらせらる。其後武王死し給ひて共王くらゐにつき給ふ時、へんくわは荆山に引こもりかのあらたまをかゝへて哭ゐたるを荆王めし出し給ひかのあらたまをみがゝせ給へば至極の名玉にて有しと也。ざて驪龍のたまといふも唐の事也。こゝに我朝といひしは心得ず。是も又めつぽうに書たるものなるべし。
○張華が博物志
はくぶつしは書物の名にてちやうくわといふ人の作なるゆへちやうくわがはくぶつしといふ也。
○万劫
劫は数の名也。仏書におほくいふ事にて一劫といふもはなはだ久しき事也。四十里四方の岩あるを天人が三千年に一度づゝあまくだりて羽衣にて一遍づゝなづるになでつくしたるを一劫といふ共いひ、又四十里四方の藏に粟のみのりたるを三千年に一度づゝ天人がきたりて一粒づゝ是を取に其取つくしたる時を一劫といふ共いへり。《25ウ》
女之助の趣向尤おもしろしとはいへ共、仕組のすじ入くまぬ故か一つ〳〵さきがみへて気の毒。それゆへ素人目には感ずれ共推はのみこまぬ所多し。さて守宮の事俗説にいひふらす事なれ共慥なる拠を見ざりしが、先年長崎の人にちなみて煕々子といふ南京人の伝授の書也といふをみるに、薬方も多くのせたる中に女のほれる薬とて此事を書り。その方守宮の雌と雄とを取り生ながら竹の筒へ入レ、但し竹の筒に節を一つこめ雌と雄とを節をへだてゝ入レおけば、一夜のうちにかのふしを咬やぶりて二疋がつるむを直に霜となし、是を煉る汁には好尼の自漏婬とて妍のよき尼の男にまじはらずしておのづともらしたる婬水を取てとゝのへ、ほれさせんと思ふ人にしらせずして是をつくれば、其人たちまち心ほれ〴〵として其つけたる人を恋したふといへり。今按するに唐人は日本より偽りおほきものにてかゝる得しれもなき事をいひたるならん。しかも尼の自漏淫《26オ》といふごとき取得られぬものを薬味にくはへたるは嘘のはげざる前置なるべし。
○それを力のしのぶ草
しのぶ草は歌に多くよみて忍ぶ事にいひかくる也。人家の軒につるしのぶといふくさなり。
○爰はやもめのかたを波
惣じて波にはめなみおなみありて、女波は多く打てその間におなみがうつものなるに、紀州和歌の浦はめなみはうたずして男波のみうつゆへかたをなみといふ也。山辺の赤人の歌に、わかのうらにしほみちくればかたをなみあしべをさして田鶴なきわたる。
○婬犯の病
犯の字誤り也。婬奔と書べし。婬乱といふに同じ。
○ひなの者
鄙はいなかの事也。
○屠処のあゆみ
譬如屠所羊歩々近死といふ語ありて羊が屠にゆく時は一足づゝにて死に近しとなり。《26ウ》
○陰徳あれば陽報あり
陰はかげにて陽ははひなたの事也。人の目にかゝらぬ陰にての徳を陰徳といふ。又人の目にみへたる報のあるを陽報といふ。陰にて徳をつむ人はかならず目にみへたる善報を得ると也。楚の叔敖といふ人いとけなき時出てあそび両頭の蛇を見る。たちまち殺して是をうづみ帰て泣。母そのゆへを問ふに答て云く、我きく両頭のへびを見るものはかならず死すと。さきにこれをみるゆへ母をすてゝ死せん事をおそるといへり。母のいはく蛇今いづくにか有ル。いはく他人の又見ん事をおそれて殺してこれをうづむと。母のいはく、我きく陰徳ある者は天かならずむくふに福をもつてすと。汝かならず死せじといへり。果して無事に成長し後に相となりしとかや。
○浮木の亀の対面
仏書に多くある事也。盲亀とて目の盲たる亀大海の底にありて千年に一度海上《27オ》へうかみ出づ。しかるに此かめ甲はひゆれ共腹はなはだ熱す。もし赤旃檀といふ木をえて其身に添れば熱をさます薬となる。それ故亀の心に赤せんだんの浮木に乗て腹をひやし甲を日にほしてあたゝめばやと思へ共、目はみへずあまつさへ千年にたゞ一度うかみ、又しやくせんだんが浮てながるゝに出あふ事甚だまれ成ル事なればあふ事の希なるたとへとはするなり。
○奇恩入無為
奇の字あやまり也。棄恩入無為とて出家する人は恩愛を棄て無為の菩提に入ルとの心也。しかるを奇の字にては通ぜず。今の作者の義もしらず書ちらすめつぽうかいこれらの所にて見るべし。
○今此三界悉是吾子
法華経の文にて今この三界の衆生はみなこれわが子也との意也。
◎評 高野山の案内、作者はしられぬにや、文句に間違あり。はじめ石動丸《27ウ》が登リし坂は不動坂よりのほりたり。それ故苅萱の詞に、来た道すしは難所にて草臥足にはかなふまじ、こちらへゆけば花坂とて平地も同然といへり。さて次の文句に息をはかりに玉やの与次みだい所をおい奉り女人堂迄来りしがと有て、又其次の文句に石動丸はかちはだしかくとみるよりはしりつきノウ情ない母様といへり。是大キなる間ちがい也。其故は大師の廟の前より花坂の方へゆけば大門といふ門有て女人堂はなし。但し女人は大門より内へは入ル事かなはぬ也。右の通りゆへ花坂へゆけば女人堂へは行あはず。花坂と女人堂とは大に方角たがふ也。いかさま近年の作にはふぎんみなる事すくなからず。ちか比ある人の物がたりに、今の浄るりは東西となくたはいもなき事がちなるを似つこらしく語なして見物をまねかるゝは、いかさま日本一人の名太夫なるべしといひしも思ひ合すれば過論ならず。その一理はある事なるべし。《28オ》
『浄瑠璃文句評注 難波みやけ 下』 《表紙》
浄瑠璃評注巻之五
此じやうるりみな蘆屋のだうまんが事を主意にして書たる故蘆屋道満の四字を置也。あし屋は氏なり。道満は名也。大内は内裏の事也。鑑とは唐の代の詞に、古をもつて鑑とすれば興替を知り、人をもつて鑑とすれば得失を知るといふ事貞観政要といふ書にみへたり。それよりして物をかんがへみるを鑑と名付る事多し。是もかんがへみるの心にて大内鑑と外題す。此浄るりげだい評判はすぐれざりしが、与勘平といふ名趣向よりして浄るりは近年の大あたり世上にかくれなき事也。《2オ》
序
○風にさけぶ青嶂の外雨にうそむく古林の中
青嶂は松柏などの生しげりて青々としたる峯也。屏風を立たるごときを嶂といふ。狐が風にむかひて吼さけぶ体をかくいふ也。嘯といふも雨にむかひて打あをのき息をつく体也。古林はふるき林の物さびしき所也。是みなきつねのあそぶありさま也。
○尖れる鼻はびこる尾小前大後
これ狐のかたちを詠ず。小前大後とは狐の形は前の方小く後の方大たるもの也といふ事なり。
○色中和をかね死すれば丘を首とす
是はきつねの徳を詠じたり。狐の色の黄なるが中和の徳にかたどる。中和といふは徳の至極にて、天気にていへば寒からず暑からず春の日ののどかなるが《2ウ》ごときを中和といひ、人の気にていへば聖人の気象の剛からず柔からずほどよきを中和といふ。されば五色を方角に配当すれば、青は東にあたり赤は南にあたり白は西黒は北にあたりて黄なるが中央にあたるゆへ是を中和の色とする也。さて狐は死する時丘をまくらとする事礼記にみへたり。狐は丘にて生るゝもの故死する時又丘を首として死するは本をわすれざるの心也。これみな狐の徳なり。
○是この妙獣百歳誰かしらん女と化し苔の褥に草まくら契りを人におなじうす
こゝには狐の妖る事をいふ。妙はふしぎなるをいふ。字彙に狐はよく尾をうつて火を出すと云り。仏法には狐のよく妖るを報徳の通と名づく。事文類聚といふ書の中に百歳を経し狐名ある人の髑髏をかしらに《3オ》いたゞき北斗を拝するに落ざる時は淫婦とばけて人をまよはすと云り。されば狐がばかせば苔をしとねと思ひ草を枕として真の美女と思ひて人にちぎりをおなじうすとなり。
○日月星度
日や月や星やなどのあゆみの度を度といふ。惣じて天には形なき故、二十八宿の星を東西南北の四方へまくばりて是を天の体とさだめ、月日や星のあゆみをさだむ。故に日月星度といふ。
○比翼連理
比翼鳥とて雌雄つばさを比てとぶ鳥ゆへいもせの中むつまじきにたとふ。連理は前にみへたり。唐の玄宗皇帝楊貴妣を愛しある時ちかひて天に在てはひよくの鳥となり地にありては連理の枝とならんとの給ひしとかや。
○気候
天地の気を一歳に廿四気七十二候にわかつ。即ち春夏秋冬の気のめぐるをいふ。
○月かげの《3ウ》白虹日つらぬけは甚だひかりを失へば
むかし荆軻が秦の始皇をうちに行たる時、白虹が日をつらぬきし例あり。すべて虹が日月をつらぬくは不吉のしるしなり。
○日蝕月蝕
蝕はむしばむとよみて日月がひかりを失ふ事也。もと日と月とがたがひに光を衝て蝕する也。日蝕は君よはきの象、月触は臣よはきの象也といへり。
○身まかり
罷と書てしりぞく事也。死する人はこの世をしりぞくの心ゆへ死するをみまかるといふなり。
○天文の博士
日の月の星のといふものは天の文ゆへ天文といふ。博士は官の名にて其道を博くきはめたる学士といふ事也。
○薄氷をふむごとく
恐るゝ体をいふ也。詩経に戦々《4オ》兢々として薄氷をふむがごとしといふ語に本づきて書たるなり。
○胸はうつせの
おそるればむねがだく〳〵とうつやうなる故胸はうつといひかけてすぐに空蝉へ取付て、心がうつゝぬけがらのやうになりたるをたとへいふ。みな御前をおそるゝ体なり。
○おめず
おめるは臆の字也。人に恥る所ありておそるゝきみなり。
○分野
唐の九州の地を天の廿八宿に割付て何州は何の星のぶんや也とさだむる事也。
○白虹日をつらぬけば天子のお身のたゝりなれ共月の体をつらぬきしは親王さま
日は君の象、月は大臣の象なり。又月は日に次ものなれば儲貳の象あり。ちよじはすなはち親王なり。《4ウ》
○二十八宿
東方の七宿は角・亢・氏・房・心・尾・箕なり。北方の七宿は斗・牛・女・虚・危・室・壁なり。西方の七宿は奎・婁・胃・昴・畢・觜・参なり。南方の七宿は井・鬼・柳・星・張・翼・軫なり。かくのごとく四方におの〳〵七宿あるを四方合せて二十八宿にて是を天の体とする也。
○しなとの風の天の八重雲を吹はらふやうに
神書にある事也。たゞ雲を天の八重雲といふ。八は神道にたつとぶ数ゆへ別して八重といふ。しなとの風は神風なり。
○聞でんほふ
聞伝法なり。耳に聞たるばかりのおしへといふ事なり。
○易は変易
易は陰陽のうつりかはる妙用をいふ。故に易の書に易はへんゑき也、時にしたがつてへんゑきして道に随ふといへり。《5オ》
○大元尊神
大元帥明王とて惣身に蛇のまとひ付たる本尊也。いくさをまもり給ふゆヘ大元帥といふなり。
○和歌三神
住吉・玉津島・人丸をいふ。
○そこにお暇たまはらばみづからも身をすべり
そこは足下なり。今の俗の貴樣といふ程の事を雅語には足下といふなり。
○丸が心にあり
丸といふ事を天子の自称と心得るはあやまり也。是は上を恐れて我身をよぶ詞なれは親王以下臣下の自称に用ゆべし。其故は元来まるはちゞまるといふ略語なり。君をおそれて此身がちゞまるとなり。都て和語にまるといふ詞の付はみな物が一所へあつまりちゞまるの義也。これ和訓の一つの秘事なれ共こゝに明す。まづまるといふてにはの付語《5ウ》共を案ずべし。あつまる・ちゞまる・わだかまる・こまる・つゞまる・つまる・せまる等みなちゞまるの意あり。されば子供の大小便を取る小厠をまるといふも腰がかゞまり身がちゞまるの意也。朝臣にもいにしへは麿と名を付たる人多し。後世には麿を転じて丸の字をもちゆと見えたり。
○無状
無為共書て埒もなき事をいふ。
○おぼろけ
小縁と書てすこしのゆかりといふ事なり。
○久かたの空
ひさかたは空といはんとてのまくら詞なり。
○うちはへて
打栄と書。にぎはふ体也。又みごとなるきみ也。
○簠簋内典
阿部の晴明が作りし暦数をしるしたる書なり。
○注連縄
神前にはる縄なり。惣じて神事の清めにもちゆ。紀貫之が土佐日記にはしりくめ縄とあり。諸社根元記云、《6オ》いわとのまへに縄をはりて日の神の還り入り給はぬやうにする也。是今のしめなわ是也。わらを左にない七五三と数をわくるは七五三は合て十五也。天道は十五にして成なり。ひだり縄にするは天道の左旋に取る。左は陽也。陽には陰が添もの也。縄の二筋まとふは是すなはち陰陽也。はしをたゝざるは質素の義なりと云〳〵。
○非相非々相
みな三十三天の中の天の名也。
○大ト師
占の官をいふ。周礼に大トの官といふは天子のうらかたをつかさどる官也。
○暦算推歩の術
暦をつくる算をれきざんといふ。日月星の歩を推量てつもり知るを推歩の術といふ也。
○吒枳尼
天部の本尊なり。
○咒咀の文
まじなひにて人をのらふ文なり。
○三百六十四爻の占《6ウ》
易の卦は六十四卦にて爻は三百八十四爻あり。今こゝに六十四爻といへるは六十四卦の数を取ちがへていひたるもの也。作者の文盲なる尾の出る所もつともかやうなる所に於てみつべし。
○坤の卦乾の卦
坤も乾も共に八卦の中の一つなり。
○ふかみ草
牡丹の事なり。
○塵にまじはる宮柱和光の影もあきらけき
神の威光のひかりをやはらげて塵の世にまじはり給ふといふ事を和光同塵といふ也。此語はもと老子経に出たり。
○鴻飛で冥々弋者なんぞしたはんや
感遇の題にて唐の張九齢が作りたる古風の詩也。鴻の大鳥がめい〳〵たるおほぞらへ飛あがりとび去たる時は弋いる《7オ》ものも取んとしたふ事あたはずとの意なり。
○蟻の穴から堤のくづれ
老子経にある事也。蟻の穴を老子経にては蟻封となづけたり。
○恋ぞつもりて淵となる
陽成院の御製に、 つくばねのみねよりおつるみなのがわこひぞつもりてふちとなりぬる。
○詩経といふ唐のふみに桃の夭々たる其葉蓁々この子こゝにとつぐ
詩経周南にある詩也。是は詩人が嫁する女を見て桃の若木の夭々としてその葉の蓁々なるにたとへ美ていふたる詞也。とつぐは嫁をいふ。
○優曇花
天竺に在て三千年に一たび花さくといふ木なり。《7ウ》
○亀ト
亀の甲を焼て其甲のやけわれたるすじを見て吉凶をうらなふをいふ。
○身体髮膚をわけられし父
孝経にしんたいはつふは是を父母にうけたりといふ。孔子の語あり。
○伍子胥はいさめて誅せられ眼軍門にかけられしが呉王の恥辱を見て笑ひしとや
是は呉越の戦ひの節の事也。呉王を夫差といひ越王を勾践といふ。両方相たゝかひて越王勾践会稽山にて打まけ、さま〴〵の艱難に身をこらし今一度籏をあげ呉王をほろぼさん事を心がけたり。此時呉王ははなはだ奢をきはめられしかば其臣伍子胥これをいさめ斯ては又越王にほろぼされ給はん事をいふ。呉王い《8オ》かつてごししよに属縷の釼をあたへ是にてなんぢが首を刎よとわたさる。伍子胥も大にいかり今呉王知なくして我を殺し給ふ、此後久しからずして越王のためにほろぼされ給ふべし。我いま死したらば首を東門にかけ置べし。我呉のほろぶるを見んといひて自殺しぬ。其のち果して越にせめられほろび給ふ時ごししよが眼に是を見て笑ひ其まゝしほれけると也。
○随求陀羅尼
大ずいぐぼさつのだらに也。都てだらにはみな梵語にてぼんじ也。
○露ときえゆくたまよばひ
いにしへ人の死したる時、その死人の衣服を屋根の上へ持のぼりてその名をよび、かへり給へ〳〵と三度よぶをたまよばひといふ。すなはち復と書なり。
○離魂病
俗にいふかげのやまひにて異病論・病名彙解などに出たり。
○はづかしや《8ウ》あさましや
此かゝりより奧へむけて葛の葉が子に別れの口上、おほく百合若大臣野守鑑の鷹が子にいふせりふをはめたるものなり。もとよりゆり若のせりふは近松の筆ゆへ一入しつぽりとして人の感情をもよふす事多し。此場みな〳〵其移ゆへおもしろき筈なるべし。
○畜生残害の人間よりは百倍ぞや
ざんがいとは物のいのちをそこなふ事也。こゝの文句残害といふと百倍といふと文句がつりあはず。百倍といふは畜生は人間より愚痴なるゆへ愛着の念のふかき事百倍ぞやといふ事也。されば仏法に畜生の子を思ふ事人にまさるを愚痴鄙陋とはの給へり。残害はこゝへ出あはず。
○道行
注なし。
○葛の葉の恨
くずの葉といふものは風にふかれては其葉のうらをかへしてこと〴〵くうらを見するもの故歌道に恨《9オ》のまくら詞にはくずのはのうらみといふなり。
○卅一字の歌の詞は八雲たつ
素盞雄尊の御歌に、 八雲たついづもやえかきつまこめにやえがきつくるそのやえかきを 是三十一字の始なりとかや。
○丹波の父うち栗
此事世上に大に取あやまりて伝ふるは、むかし此里人に不孝のもの有て我父を殺して地にうづみたり。その墓より栗の樹はへて常の栗よりも其子大き也。今の丹波の名物てゝうちぐり是也と。是跡方もなき説なり。此栗はいがの内よりひとり割出て樹よりおのづと地に落るがこの粟の妙也。それゆへ古人出落栗と名付しとかや。それを後世はみぎのごとくに取あやまるとなん。
○司天台
天文をうかがう台なり。禁中にあり。《9ウ》
◎評 此浄るり始終の趣向文句共おほやう面白くよく出来たるものとはいへ共又格別に外の浄るりにすぐれたり共みへず。然るにかくべつの当り有し事は与勘平のたすけなるべし。まづ与勘平といふ名ばかりでも一当りがものは有べし。其上に我がおれかおれが我かのせりふおかしうて尤で底に意味のふかきやうにおもはるゝ事也。但し荘子に此趣あり。荘周ある時夢のうちに小蝶と化して翔りまはりてたのしみしが、たちまち夢さめたれば我身をみるに床に打ふして本の荘周なり。さて荘周は世上を虚なるものと見捨る見識ゆへ、今日のゆめのさめたるも亦ゆめのごとしと思へり。それゆへ此夢の事を論じていははく、今ゆめのさめたる我心より思ひやれば今迄ゆめの内に小蝶となりしは荘周がゆめなるべし。然れ共打返して思ふてみれば、今我ゆめさめて荘周といふ人に成たるが小蝶が夢にて、今我身を荘周也とおもふは却て小蝶がゆめの内やらしれ《10オ》ず。夢が現かうつゝが夢か、荘周が小蝶か小てうが荘周か其差別知れがたしと云り。仏法にも此意ありて維摩と文殊舎利弗なんと心体の入かはる事あり。入我我入といふも此きみ也。然れば此しゆこうはその心の来る所の根ざしがはなはだ高妙也。しかれど見た所がやつことやつこの所作、町中子供のうれしがる所葛の葉がせりふは女中の感心あさからず。何やかや都合よく出来立たる故の評判なるべし。《10ウ》
此浄るりは後醍醐天王太子さだめの事につき、関東ならびに六はらの我まゝをいきどほらせ給ひ大塔宮をもつて将軍とし征罰の企をなし給ふ事、大樣太平記の意を本にしてつゞりたるもの也。中にもおゝとうのみや御鎧をめされたる行粧あさひのかゞやくごときとの文句あるをもつて外題を直にあさひのよろひと名付るなり。尤よきげだいとの評判なり。
序
○舜に錐を立るの地なけれ共天下をたもち禹に十戸の聚なけれ共諸侯に王たり《11オ》上三光の明をおほはず下百姓の心をやぶらざるは王者の術
この語文選に出たり。いにしへ舜といふ聖人はそのはじめは百姓の子にてわづかの土地もたもち給はざりしか共後には天下をたもち給ふ。錐をたつるの地とは至てわづかなる地をいふ。禹といふ聖人ももとは尭舜の臣にして其はじめは民のかまど十軒もたもち給はず。十戸は家数十軒にていたつて少〳〵也。聚は落聚とて民のあつまり住居する村をいふ。禹は十軒ほどある村の主にてもあらざりしかども後には天下の諸侯の上に立て天下の王となり給ふ。さればかく舜や禹のごとくに後にてんかを取給ふ事は其身の徳、上日月星の三光のあきらかなる徳をおほはず、下は百姓の心をやぶり給はざるを《11ウ》心として天下に王たるの術とし給ふ故也となり。
○参差たる
かたたがひとよみて、世の済らずさま〴〵の出入のあるをいふ。
○山の座主
山といふものは何のやまにもおの〳〵名あり。或は愛宕山・鳴瀧山などゝ皆その名をよぶ事なるに、只打まかせて山と斗りよべばひえの山にかぎる也。是但し叡山は王城の鬼門をまもり仏法王法を鎭護ある第一の山なるゆへなり。
○扈従
君の供をするをこせうといふ。
○赤酸醬
鬼灯の事也。日本紀に出たり。
○折伏門
仏法に摂取門・折伏門のニつあり。衆生をあはれみてすくひとるをせつしゆもんといひ、悪魔外道をおどしてくつ伏さするをしやくぶくもんといふなり。《12オ》
○解脱どうさう
罪を解まぬかるゝをげだつといふ。衣はつみをげだつするゆへげだつとうさうといふ。
○若宮はおもなげに
おもなげは面目なき体なり。
○一言事をやぶり一人さだむ国津風
文句はよく聞へたるとをり也。此語は大学の書に見えたり。
○鐘馗の絵
しやうきはもと終南山の人なり。唐の太宗の時進士及第し出世をくぢかれいきどをりを発て御殿の階にて頭を打わり死しけるが、其後玄宗皇帝の御宇楊貴妣わづらひの時、みかどの夢に大臣の姿となり悪鬼を追はらふと御らんあり。終に悪鬼ごうふくの神として其像を絵にうつさせ鍾馗大臣とあがめさせ給ふ。それよりして後の世迄大和もろこし相伝て此像をあが《12ウ》め悪魔及び疫癘をはらふのまもりとする事也。
○酒は詩をつり歌をつり
唐詩に酒を掃愁箒といひ又は釣詩鈎なりといへり。
○僭び
礼をのりこゆるをひとごろぶといふ。
○釈提桓因
梵天王の名なり。
◎評 無礼講まんざい等の文句みなあたり有。その中に無礼もぶれいぬれえんさき立はだかりしとの文句あまりのやうなれ共これ下の句の受がよき故耳にたゝず。立はだかりしはの跡右少弁俊基といふものにて格別いやしからず。是又気をつけあぢはふべき事なるべし。
○臣として不忠なるは子として不孝なるにおなじと田氏が母の確言
この語円機活法忠臣の所にみへたり。確言とは名言の事也。《13オ》
○北の方より家の挑灯さきばしりのかちの者お帰りとよばゝる声に門番とび出貫の木扉ぐはつたりひつしり八もんじにひらく地に鼻手燭かゝげて扈従近習敷台におりめ高なる玄関前月にきらめく鑓印父斎藤太郞左衛門利行お帰りかいのと乗物に取つけば
文句は注におよばす。
◎評 此所太郎左衛門やしきの表へ早崎がきかゝる所へ斎藤帰り合せ、門番が門をひらけばこしやう近習出むかへ、はやさきは斉藤へあいさつをせんとする。何やかや《13ウ》一時に取まぜたる事の多き場なるを、文句を綷て小みじかによく書こなしたるもの也。貫の木とびらぐはつたりひつしり八もんじにひらく地にはな手しよくさゝげてこしやうきんじゆ敷だいにおりめたかなる玄関前の句、ずいぶん〳〵つゞめたる内に其場のもやうをよくかたどりたるもの也。まづ爰の語を一つづゝ引はなしてはきこえぬ事多し。第一ひらく地に鼻とは何ンの事ぞや。しかれ共あとさきの書まはしが奇妙なるゆへおのづと其わけよく聞ゆ。此本をよむ人これらの所にて作者のはたらきのある所を気をつけ給ふべし。此次に早崎がせりふも小りこうに書たるもの也。その故は夫に隠して参りしといはずして、もしも夫よりかず殿はみへまいかといひアヽ心せかれやといふゆへ、聞親はなを心ならず子細はしらねど立ながらのさたではあるまじ、いざまづ奥へとつれゆくやりかた、人形を活してせりふがしづまぬ書方也。是より奥に至り早崎が斎藤へものがたりの所、斎藤が返答、よりかずが立ぎゝ、みな〳〵都合よく勝手《14オ》ばやにいやといはれぬ書こなし尤妙作なるべし。
○三十年来夢空々しゆみせんくだけて盤石に花ひらく一喝
辞世の偈をつゞりたる也。よりかずが年卅歳あまりゆへ一生の間を夢とさとりて卅年来夢空々といふ也。空々は本来空の意にて元来我といふ物なしと也。しゆみせんはくだくべき物にあらず。ばんじやくは花さくべき物にあらざれ共、真理をさとり得たる時はしゆみも常あるものにあらず。盤石も一仏性なれば又さとりの花をひらくべし。一喝とは我が一念悟入の眼をひらかんため心をよびおこして喝とさけぶ也。みな禅宗のさとりの意也。
○哀別離苦
人間八苦の一つ也。いとしかはいひ親子ふうふも死わかれてかなしみくるしむをいふ。《14ウ》
○周の八疋項羽が騅呂布が石兎馬我朝の鬼鹿毛
周の穆王八疋の龍馬にのりて天下をかけめぐり給ふ。騅は楚の項羽が名馬、せきとめは漢のりよふがめいば也。我朝にては小栗判官の名馬をおにかげといふ。
○辟易
おどろきさはぐをいふ。
○弥天の暴逆
天にはびこるを弥天といふ。
○那羅延力
仏書におゝく出たり。ならえんは今いふ力士なり。
○都なる女あり車を同じうす顏蕣の花のごとしとうたふ
是は詩経の鄭風有女同車の篇の語也。蕣は今いふ槿の花也。《15オ》其顔のうつくしきもくげのはなのごとしと美女を詠ぜし詩也。三位の局にかけていふ。扨今の俗のあさがほといふは牽牛花也。なる程草にては牽牛花をあさがほと訓ずべし。木にては槿をあさがほと訓ず。詩などにいふはおゝく槿の事也。詩経の注にも蕣は槿也といへり。
○鄭衛の二風道を蕩し国をそこなふの淫声
詩経国風の内にて鄭の国・衛の国の詩は其うたひ声たはれて淫声と名付て人の心をとらかす故聖人是をいましめ給ふ。
○気焰鷹のごとくにあがり
書経に周公の勇気をほめたる詞なり。其ゆうきのいきほひ鷹のはげしくあがるかごとしとなり。
○根笹のあられに水晶《15ウ》の玉をかざり上には鳶が羽をのし鯉をつかむつくり物恋に心はとびたつばかり根ざゝにあられさはらば落よの心をさとり
こゝの燈籠のもやうづくしの文句。五十年もいぜんのはやり歌をすぐに書たるもの也。されば時代がうつれば古物があたらしく今のわかき輩にこれをふる言と知る人なし。
○ひきがいるに歌よみも有ふ事とぞさゝやきける
此まへの文句を段々よみて此落文句をみるべし。これらが正真の近松の筆勢なり。かはづの歌をふまへて太郎左衛門がふつゝかなるをひきがへると《16オ》いひたり。諸見物のどよみをつくつてよろこぶ所おかしみ又かくべつ也。是につき近松かよのつね人に語しは、をよそ落文句に笑ひを取事又はかる口なんどを書には、すこしもあんじたるけしきなく其場へふと出たるやうに書がひみつ也。しかれ共是が下手のなりにくき事也とかや。尤さも有べし。近松の筆勢には思ひがけもない所で時々ひよかすかおかしみある故、本をよみてもよむ人の気をつかさず。是近代作者の大に及ばぬ所なるべし。
○乾達婆王
法華経にあり。夜刃などのごとくあらくれたる姿なり。
○もしほぐさ
何やかや書あつめたるをいふ。
○らうたげに
此語のもとは御所に上﨟下らうありて、官位をおほく経給ふを﨟長たりと申すゆへ下々のいふ長やかのきみあり。又爰では宮の御ンものおもひにて気をつかし給ふ体にもかけていふ也。《16ウ》
◎評 三の奧のかゝり、八歳のみやの御うたの前後、文章うづだかくさながら下におかれぬ手段あり。亦近松が筆勢也。中々余の作者のおよぶ口気にあらず。今の浄るりはかやうの場になりて格かがつたりと落て正真のよみうりの絵ざうしと肩をならぶ。能々気をつけて何かを見くらべたらんはおのづからあじはひしるべし。
○充満其願如清凉池
その願を充満しめて清浄池のごとくならんとの文言にて、奈落の底の罪人も七月十六日にはちごくのほのほをのがれ出すゞしき池にあそぶ心地とて、すなはち盂蘭盆経の説なり。
○漢の紀信が忠義にこへ
きしんは漢の臣にて、かんそのたゝかひに高祖のあやふかりし時きしん身がはりとなり、かうそのしやうぞくにて車にのり楚の陣にゆき《17オ》て焼死したり。是によつて高祖はあやふき場をのがれ給へり。此事史記・前漢書に出たり。
○九品蓮台
極楽に九品あり。上品上生・上品中生・上品下生・中品上生・中品中生・中品下生・下品上生・下品中生・下品下生合せて九品也。其うてなをれんだいといふ。
◎評 斎藤が賢介を立ぬきたる所尤ぬけめなし。はじめよりかず切腹の上にて力若を斎藤がもり立んといひし所にすでに此こゝろあれ共もとより見物に思ひがけなし。扨この場にいたり斎藤が始終の心をかたるについて最初よりのいきかたをあんずれば、斎藤はしゞう武士道を立ぬきたる所あきらか也。我は六はらのひくはんゆへ我身におゐては少しも天王への荷担なく、頼員力若は天王へのたのまれし義を立させ始終てんわうの御ためにいのちを果し、しかも力若がさいごによつてよりかずがむだ死迄忠死と《17ウ》なる。みな是さいとうが一心よりあみ立し武道、尤さも有べし。をよそ三段め一段丸ぐち外の筆勢ならず。みな近松の形見なるべし。さればこそ趣向より文句にすこしもぬけめなく、おどりの中の愁なんどまはらぬ筆にはおよびもなき事共なるべし。
○道行
注なし
四段目
○北宮黝が勢ひをひらき孟施舍が義をまもる
ほくきうゆうはいにしへの勇者にてすゝんで敵にむかふ事をこのむ。もうしゝやもいにしへのゆうしやにて我身をしりぞかず敵に屈せざる事をこのむ。みないにしへの名あるゆうしや共にて此事孟子に出たり。
○分段同居の塵にまじはり
仏法に四土といふ事有て世界を四つにわかつ。其中《18オ》に貴賎ひとしく居る地をどうごどゝいふ。すなはちどうごどは刹利もしゆだもわかちなく貴賎貧富のしやべつなし。娑婆はぶんだんどゝて上下きせんのぶんざいがそれ〴〵にへだゝりて貧福のわかちあり。されば仏ぼさつは同居土より出てしやば分段土のちりにまじはり給ふとなり。
○薄伽梵
仏をぼきやぼんといふ。すなはち仏の十号のひとつ也。
◎評 四段目 殿のひやうえが潔癖にて狂気の段よめむすめのいきぢ万端始終おもしろし。しゆかう文句共に大でき。尤はんなりとして道具立迄見物の気を取よく出来たりとの評判にて有しとぞ。
○日西天に沒する事三百七十余ケ日大凶変じて一元に帰す
天王寺にて楠が見たる聖徳太子のみらいきの語なり。《18ウ》
○もろこし管仲が古主をすて桓公をたすけし
斉のくはんちうははじめ斉の公子糾が傅なり。斉の君死し給ひて糾の弟くはん公斉の君とならんとす。この故に兄の公子糾と桓公とたがひに国をあらそひて軍におよび終に公子糾うたれて桓公の世となれり。はじめこうしきうが戦場にて、くはんちうは主人こうしきうがためにくはんこうを射てころさんと迄せしか共、後にくはんこうの世になりてくはんちうがいのちをたすけ斉のまつりごとをさづけ給ひければ、くはんちうすなはちくはんこうの宰相となり斉の国をよくおさめたり。此事春秋左氏伝につまびらかなり。
浄瑠璃評註終巻五《19オ》
元文三年
午正月本出来
本屋吉右衛門
浪華書肆 寿梓
伊丹屋茂兵衛
一 後篇近日出し申候 御望み旁御覧被成可被下候以上《19ウ》
B
元文三年
午正月本出来
丹波屋半兵衛
浪華書肆 寿梓
伊丹屋茂兵衛
一 後篇近日出し申候 御望み旁御覧被成可被下候以上《19ウ》
C
元文三年
午正月本出来
大坂心斎橋筋
塩屋平助板《19ウ》