豊竹古靱太夫 良弁杉の段 (二月堂) 昭和三年正月序 国立劇場上演資料集 536 pp39-63は 昭和五年三月序 |
扉に「昭和三年一月京都四條南座に於て」とある 「師匠の二度目になります大正一四年四月「二月堂」 だけが單獨で上演されました時、師匠の意見で 「良辨杉由來」といふ藝題がはじめて出來まして、」 (竹本綱太夫「志賀の里」と「櫻の宮物狂」 幕間6巻5号 p36) | |
豊竹古靱太夫刊 鬼界ケ嶋の段 |
昭和五年正月、四ツ橋文楽座の柿落に、その年の 御勅題「海辺の巌」に因んで、山城少掾が久々に 勤められました。明治二十三年以来四十年振りとの 口上ですが、実はもう一度出てるらしい。しかし、 いずれにしろ珍しいものなので、山城少掾がご自分で、 活字の床本に字句の解釈を添えた小冊子を 作製して、お客さんに配られました。 (『四代越路太夫の表現』) | |
断絃会 豊竹古靱太夫 博多小女郎波枕 | 見たこと聞いたこと 板東簑助(文楽2巻2号) | |
竹本摂津大掾 引退興行 徳太夫住家の段 |
その引退興行の語り物が「楠昔噺」の三段目であると 發表されると、客はもとより幕内の者もあつと驚いた。 皆はこんな大物の長丁場を大掾が七十八歳で語らうとは 夢にも思つてゐなかつた。・・・そして四月一日の初日を あけてみて、ひとびとはもう一度驚いた。七十八歳とは 思へぬ若若しい美音で、美事に語り通したのである。 高調子のところを外すやうなことも無論なかつた。 聲も枯れなかつた。 織田作之助 『吉田栄三』 | |
竹本大隅太夫朱章 鶴澤綱造訂正 朱入五行浄瑠璃稽古本 |