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423]
演芸通話会脚本朗読の写真
1931年6月29日放送の演芸通話会による脚本朗読「今木伝七」に関連して撮影された、
田中煙亭の写っている写真が朝日新聞フォトアーカイブに掲載されていました。
その説明文から、1933年5月21日の脚本朗読放送の見落としに気づき、補訂しました。
https://www.ongyoku.com/F1/j165/j165b.htm尚、前項「摂津大掾」は、「このみづ」の田中煙亭の死亡記事を探していて、目にしたものです。
田中煙亭。本名田中基臣、俳名塵外、「赤城下の三座」「その昔女義物語」の黒顔子。
ね太郎 
2026/02/27(Fri) 19:11
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422]
余談
此三世吉兵衛師ノ稽古ニ於テハ。非常ニ厳重ナルモノデアリシト申ス事ニ。私ノ子供時代。四代目播磨太夫師ニ付イテ。寄席ヲ廻ツテ居ル時。日本橋瀬戸物町伊勢本ノお婆さんガ。ヨクオ噺ヲ。キカシテクレマシテ。コレつばめチヤン。今ノ越路サンガ江戸ヘ来テ、吉兵衛サンニ弾テモラツテ。毎夜語ル物夜通シニ稽古付テ頂イテ。夫ヲ翌日ノ床デ語ルンダヨ。ソレハ/\大変苦シイ稽古デアツタノダヨ。夫デアノ越路サン。目ヲ見テ御覧。マブタガ真赤ニナツテイルダロヲ。アレハ其時ノヱラカツタ修業ノ跡ガ残ツテ居ルノダヨ。一人前ノ義太夫語リニナロヲト云フ事ハ。一通リヤ二通リノ苦労デナイヨ。併シアノ越路サンノ様ナ修行ヲ仕タ太夫ハ。沢山アルマイト。イツモ噺テキカシテクレマシタ。
https://www.ongyoku.com/D1/j169/jouhou169f.htm#yodan
ね太郎 
2026/02/27(Fri) 19:10
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421]
戦乱
道々家内に、今からはけつして愚痴をいふことならん、躰だけ無事に逃げおふせりやあとはなんとかなる、といひ聞かして、ともかく松竹本社へ行つてみようと思つてその方へまゐりましたが、火と混雑で近寄れず、社の裏の吉田玉七さんの宅で一と息入れ、それから玉七さんとこで貰つた布団を肩にかけて御堂筋へ出て北の方に向ひました。周防町の角で恰度清六君の一家が荷物を積んだ乳母車を押して避難するのに出遇ひまして、若しさしづめ行先の当てがないのなら、弟子の団伊佐−−今の友松君−−が上本町二丁目にゐる。花蓮亭といふ旅館と訊けばわかるから、それへおいでなさい、私もあとから行きますから、とすゝめられました。清六君の一家と別れ、ともかく風上へ廻はらうと思つて、熱風と人波のなかを御堂筋の本町の角まで落ち延び、あすこの電車道で、雨に濡れながら朝まで憩んでをりました。……あの晩、さうして火に追はれて逃げてゐる最中に、なんべんも念頭を掠めたのは、こんな時に子供たちがゐたらどんなに気がゝりなことだらうといふことでした。子供たちがゐなくつてよかつた。本当にさう思ひました。それと、文楽もこれでいよいよお仕舞ひだと思ふと、なんともいへない寂しい気持がいたしました。(山城少掾聞書)
勘定場 
2026/02/25(Wed) 17:20
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420]
戦災
……あの晩(二十年三月十三日)ですか? 文楽座は休座中で、ズツト宅にをつたんですが……はじめの内はすぐお向うのお医者さんの三田さんの地下室−−川ツぷちの家なので、うしろが地下室になつてる所へご近所の方と一緒に、家内とふたり避難いたしてをりました。南のはうの空がボーツと赤くなつてるのが窓から見えてをりました。常から大事なものを容れてゐる手提げ鞄と、ほかに風呂敷包み一つだけ持つて出たんですが、珠数を忘れたことに気がついて家内に取りに戻つて貰ひました。私どもは本門仏立派なんです。二度家内が家へ物を取りに戻り、三度目に私が出かけました時には、もう、そこら中燃え出してゐて宅にも火が廻はつてゐましたので、こりやいけないと思つて、家内を連れ出しに三田さんへ引返して戸口を這入らうとすると、ガラスの庇をぶちぬいて、私の右の肩へドスンと一つ焼夷弾の破片のやうなものが落ちてきました。私は背中と胸とを座蒲団で挟んだやうな恰好のものを着けて、その上に頭巾をかぶつてましたので怪我はありませんでしたが、ほんの一と足の違ひで脳天をやられてゐたことを考へると寒くなります。せつかく持出した僅かなものも地下室に残したまゝ、居残つて消火に努めてくれてた家の山郷といふ女の安否を見届ける暇もなく、家内と私はそれなり島の内の方角へ逃げました。(山城少掾聞書)
勘定場 
2026/02/14(Sat) 16:53
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419]
戦禍
……院[まる]本だけは、まつたく惜しいことをしたと思ひます。近松物は慥かあと一、二冊で皆揃ふ筈でした。普通に学者がたの研究では百二十何冊といふことになつてゐるんですが、近松と推定されるものを入れて百五十冊ありました。紀海音が五十冊、それにご承知の絵入りのシラミ本なども相当にありました。版下まで聚めてたんですが、これなど永久に湮滅したわけです。(山城少掾聞書)
勘定場 
2026/02/12(Thu) 13:54
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418]
小津賀と伊達
大隅太夫、団平の一座は、久しく北国地方を興行中なりしが今度帰京して、明後十六日より浅草花川戸なる東橋亭に於て、毎日午後五時より興行するよし。(明治21.10.14 やまと新聞)
浅草の吾妻橋の近くにあつた東橋亭といふ寄席へ、団平さん、大隅さんの一座が出演されました。当時私は竹本小津賀太夫と申して、子供太夫で寄席へ出てをりました。そんなことで東橋亭の持主の倭太夫さんとも心易かつたので、その興行中は毎晩のやうに出かけて行つて、高座の際にひつついて聴いてをりました。(山城少掾聞書)
これは又大隅一座が花川戸の東京[橋]亭にかゝつてゐた時の事である。私は毎夕御簾内を語らされたが、其時は廿四孝の四段目、十種香を稽古してゐたので毎日/\十種香ばかりを語つてゐた。(我が身の上)
ね太郎 
2026/02/11(Wed) 08:48
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417]
山城少掾聞書
勘定場 
2026/02/07(Sat) 17:39
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416]
弐月
衣更着。
やはり通常の冬ではない。
暖かいかと思えば猛烈寒波である。
これも夏と冬でしかなくなったためであろう。
春秋という言葉も今やどこへやらであるのだ。
勘定場 
2026/02/01(Sun) 08:39
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415]
正月公演評
例年の初日観劇は所用によって三日目になった。
昨日の今日とて早速に公開する。
勘定場 
2026/01/06(Tue) 12:01
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414]
壱月
謹賀新春。
恭賀新年。
頌春。
春の訪れも旧暦ならばこそ。
本日は十一月十三日である。
勘定場 
2026/01/01(Thu) 00:01
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