「ふしぎな豆の木」
親子劇場の狙いは何か。それは、子供の頃から人形浄瑠璃文楽に親しんでもらい、その後も劇場に足を運び、生涯の観客と(親共々)なってもらいたいということである。そのためには、わかりやすい作品を上演し、面白かったとの感想を持ってもらう必要がある。ジャックと豆の木に目を付け(舞台上の水平移動に垂直移動が加わる)、かつ、母親の笑顔を見たいというのをプロットにしたというのは、うまい。詞章も浄瑠璃を知っている筆運びで破綻はないが、大阪弁を基調にしていながら不完全で、違和感ある標準語が混じっていたのは残念であった(例えば、前者は「今でこそ痩せ細ったれ(ど)、餌さえ十分(に)与え(れば)[たら]、皮はつやつや角(は)しっかり」としただけでノリ間にも合う。ちなみに、この助詞の省略は、日本語の古典的リズムの要であり、太宰の小説中にも多く見られる文体の特徴でもある(昨今の芥川賞ブームで読まれた方も多いはず)。彼はSPで浄瑠璃義太夫節を好んで聞いていた。後者は「いつも[お]掃除を(ありがとう)ご苦労さん」などが恰好の例(なお、こういう新作は大抵一度切りで二度と上演されないから、これ以上詳述しても次にはつながらが、ここらで止めておく)。節付けは、弾出しなどまさに現代風アレンジだが、西亭松之輔もそこに個性を遠慮無く発揮していたから、「にほんごであそぼ」でお馴染みの清介(子供達もよく御存知。さすがに声は掛からなかったが、客席がざわついていた)だけに、観客をまず引き付けることに成功していた。ここの胡弓(龍爾)は上手。マクラが終わってからは、正当な浄瑠璃義太夫節の手の組み合わせで進行し、親子劇場の観客が次に来た時にも違和感がないであろう。
本若丸(咲甫/一輔)は心優しい真面目な少年で、好感が持てるが、詞章に勇気と知恵が加わっていたなら(鑑賞ガイドに「知恵と勇気で」とあるが、これは人形のことを書いている。しかしそれも、豆の木の助けに従ったまでである)、冒険活劇としても面白さが増したであろう。龍魔姥(芳穂/幸助)はまず名前で損をしている。なるほど、漢字は表意文字だから、この人形ならこうなるのも必然だが、浄瑠璃義太夫節はもとより語り物である。耳で聞いてパッとわからないようでは、人形浄瑠璃文楽の作品としてはいただけない。カシラは景事でお馴染みのガブだが、初めてのお客さんにはインパクトがあり、良い選択である。もっと大仰に語り遣ってもよかった。お十(靖/勘弥)は典型的な大阪のあかあさん(そのまま大阪のオバハンになる)で、お馴染みクドキの旋律に乗った語りを聞いていると、それだけで笑い転げそうになった。そういう意味からは、人形がやや上品すぎた。みどり(希/紋臣)は典型的なお姫様で納得、四九三(小住/玉翔)は最後踊りの輪の中へ入れてもらう程度の小悪党で十分。おじいさん(小住/簑一郎)は、まずカシラが西洋風の長老でいけない(髭の付け方が間違い)。なぜ寿老人を参考にしなかったか。そして、語りも遣い方も非日常性が欠落していた。いくらなんでも、牛一頭と豆三粒とを交換させるには、超越的な不思議さが漂っていなければならないだろう。別に小難しいことではなく、ちょっと変わっているしかし何でも知っている爺さんでよいのである。その意味からも、「いつもお掃除ありがとう」は無い。
さて、この話の眼目の一つが、「急いで地上に戻ったジャックは豆の木を斧で切り、追って来ていた巨人は落ちて死んでしまう」というところである。もちろん、原作通りにする必要はないが、姉弟そして龍魔姥が地上に戻る所が、詞章だけで舞台上に再現されないからまったく不明である。登る演出が秀逸だから降りる所は大目に見ろと言われれば、ハイそうですかと引き下がるしかない。しかし、ここはどうやって強敵を倒したかというところだから、当然子供達も注目するし、それこそ見せ場にもなる。例えば、遠見の人形で豆の木スライダーを颯爽と滑り降りる姉弟に対し、真似をした姥は年寄りの冷や水で見事失敗(あるいは豆の木の意志で倒壊して真っ逆さまでも良い)とすれば、観客の興味も惹き付けて笑いが巻き起こったに違いない。この辺り、まだまだ子供達の心を掴みかねており、今ならさしずめアニメ妖怪ウォッチ、やむを得ずディズニーならギャグもの(フィニアスとファーブ)等は見て研究し(あるいは見ている人間のアドバイスを受け)、ウケるパターンを頭に入れておくべきだった。ともあれ、今年も親子劇場新作は成功したと総括できよう。
なお、妖怪が襲いかかる場面、妖怪共には今一歩工夫が欲しかった。もっとも、人気の妖怪は著作権云々よりも友達に出来ない時点でこの舞台では使えないが。本若丸の攻撃はハリセンなど面白く出来た。
「解説 ぶんらくってなあに」
いつものお子様による人形遣い体験はなかったが、時間の制約上やむを得まい。むしろ、これにより正攻法の「膝栗毛」を出したことの方が評価できる。解説は定番となったもので贅言は不要だが、一点。例の騒動中に、三人遣いは無駄だという言い掛かりがあった。もちろん、的外れというより的もない乱射(あるいは、映画「十三人の刺客」暗君のおぞましい狂射)の類だから、無視しても一向に構わないが、解説の中で、一人遣いでは十分に表現出来ないと発言した以上は、目の前で三人遣いとの違いを決定的なものとして見せてもらいたかった。今の見せ方では、人形がいかに巧みに、人間そっくりな所作動作をするかというところに主眼が置かれていて、結局は人間の形代にすぎないということにもなる。ここは、人形芝居として進化の過程を見せることで、古典芸能(芸術)として世界遺産となった意味を、観客に実感させていただきたい。その差に愕然とするであろうこと請け合いである。
「赤坂並木より古寺」『東海道中膝栗毛』
狂言の名乗りから始まり、道行となる。弥次喜多は江戸っ子だが、英と津駒がピタリ。不自然さがないどころか、本の中からそのまま出て来たかの如くで、掛合の息もよく合い、観客は弥次喜多滑稽本の世界にスッと入り込めたのである。「堀川」や「茶屋場」のパロディーも面白く出来て、確かな実力者なればこその成果と納得された。段切も、現今日本の拝金主義においては無一文こそ負け組の典型となるところ、宵越しの金は持たない江戸っ子二人、明日は明日の風が吹く、世の人の笑いの種となるも酔狂の極み。この相棒さえいればどうにかなる、人間性そして仲間への無一文ゆえの信頼は、芥川が杜子春を仙境へ赴かせた趣向よりは、百倍勝っている。この段切の晴れやかさを、英と津駒が現代日本において描出できたところに、大きな意味がある。客席の親子連れはこの狂言をどのように感じ取ったであろう。高学年男子児童の一人は、面白かったと笑顔になっていた。もちろん、団七をシンとする三味線陣の力が大きく関わっていたことは言うまでもない。
人形陣、玉也は最近老け役に存在感を見せることが多いが、三枚目や敵役もよくこなし、故師玉昇の巧みに動きながら肚も示すという、一つの行き方を示している点で重要な人である。玉男系が動かない芸の極致で、簑助/勘十カ系が派手な動きを見せる中、今回の弥次さんは意味があった。喜多八の文司はその相手役ということでよし。和尚は津国がラッスンゴレライを披露して湧かせるが、正体は化け狐という軽妙さが不足。折角障子越しに影絵で示す親切設計であるのに、読経など真面目と不真面目の落差も乏しかった。しかし、この人の舞台経験は貴重である。勘市の人形も、狐の正体である尻尾との連携が今ひとつ冴えなかったが、巫山戯るのが苦手なのは悪いことではない。親父は虎王カシラでその出から一方的に攻め立てるから、怒り心頭キャラでよいのだが、それでも喜多八との掛合漫才を面白く出来なければいけない。その点始は津国と同一印象で、文哉もまた勘市に同じ。なお、亘はここの仙松一役で、本来ダブルキャストになるはずの太夫に比して冷遇感があり(若手会然り)、制作側の逆配慮(恐懼)ではないかと言う人がいるのだが、幕内の事情は知らないという、当「音曲の司」開場時よりのスタンス(偏骨をモットーとされた師ならびに制作担当氏との確認)であるから、一般論として、ホトトギスは鳴くまで待つより他はなく、とにかく腐らない(そして潰されない)ことだ、と書いておく。
『生写朝顔話』
「宇治川蛍狩」
昭和三十年代後半、朝日座からの劇場中継ラジオで、山川アナは「今日なら、君の名は、あの橋の畔で、と言ったところでしょうか」と放送したが、要するに、男女のすれ違いドラマである。そして、すれ違いがドラマとして成立するためには、男女の出会いの場面が視聴者に強く印象付けられなければならない。その意味で、初日は不十分であった。もっとも、今回の建て方からして、お家騒動という大歯車に巻き込まれる小歯車という、事の発端を示す一段であるという意味からは問題はなかったが。船中の二人を見守る観客は、観客というメタレベルを外れれば、浅香のように気を通すか、あるいは、船別れの船頭のように、あちらを向いていなければならなくなる。盲目中である恋仲の二人はよいが、理性の目が開いている人間は、とてもまともには見ていられないからである。思わず観客も恥ずかしくなり、熱さのあまり自身を扇がざるを得なくなる、そういうものでなければ。もっとも、十日経った舞台は、何とかその域に届いていた。阿曾次郎の三輪と玉男は、悪党退治か最も良く、次いで月心・鹿内との対話、肝心のラヴシーンは一歩踏み込みが足りない。要するに、有能な儒者であり武士という点では納得出来ても、その男をしても踏み込ませる恋という迷い道そして深い沼、この感覚は抱けなかったということである。深雪の南都と一輔も同断で、阿曾次郎と二人きりの場面では匂い立つようなものが欲しかった。もちろん、深窓の令嬢という基礎条件は当然だが。月心は始と亀次、僧としては納得だが、堅物ではない気さくなところの描出に変化が(とりわけ太夫に)欲しかった。深雪は希と和生で、太夫は悪くないが例えば「通り者」の高低アクセントなど不安がまだある。人形は、深雪の様子と目遣いからすべての事情を察するところなど、保護者たる乳母らしい。
浪人二人は文字栄と小住、真面目かつ一杯に勤め好感が持てるが、「イタタ…痛み入ったる」など面白くなく、観客が嘲笑できるには程遠い。人形は初日、最後で船頭と悪巫山戯をいていたが、「妹と背の遠ざかるこそ」と三重で、すれ違いドラマ開始の重要な場面であるのに、目障りかつムードぶち壊しなことこの上ない。しかも人形で笑いを取るのは、この直後の段から続くものを、ここで執拗に繰り返したのは、朝顔日記の主眼は笑いにあり、全段のメインは「笑い薬」であると、あらゆるメディアを通じて情報作戦を展開している劇場側(ハシモト戦争に際し、住大夫師と勘十カにより、義勇兵を得て勝利することができたからには、そのまま正規兵として温存したいとする方向性に合致していることは理解出来るが)の意に添ったものか。「ざんぶと水煙」(人形を投げ捨てる思い切りの良さは評価する)でそのまま退場すればよいものを、わざわざ下へ回って再登場し遣い続けるとは。これだから、戦後日本を代表する音楽家三人の会の一人で、炯眼の持ち主でもあった黛敏郎に、「義太夫というものはもともとこの太夫と三味線の語りだけでできていたのに、その理解を妨…、あの、助けるために、この人形があとからついたということをよくうかがいますけれども」と喝破されてしまうのである。当然三十棒だが、十日後には控えていたから、反省した結果と認めて不問にする。鹿内は咲寿、奴詞など至らないと想像していたが、何のきっちり仕上げて来た。容貌や振る舞いが貴公子然としていることに加え、着実に力を付けているとなれば、兄弟子に続きスター誕生となるが今後に期待したい。三味線の喜一朗、悪いはずはないのだが、二度目に聞いた時はマクラなど丁寧さに欠けた弾き方のように感じた。もちろん、手抜きなどではないのだが、ひたむきさと気力の問題だろう。このところ、掛合専用になっている感は拭えないが、格付けとしては決して低くないのだから、大名跡の四代目に向けて精進していただきたい。なお、ラヴロマンス感は三業中最も描出できていた。
「真葛が原茶店」
四半世紀いや半世紀近くご無沙汰をしていた一段。勘十カの祐仙ゆえ(観客本位のスターシステムは悪いことでもない)とは想像に難くないが、秋の「玉藻前」をも見ると、大阪劇場側の姿勢が変化したことの現れか。まずは評価したい。松香・清友のコンビを持ってきたのは最善で、非上演はツマラナイのが理由という印象を与えず、むしろ次もとまで思わせたのは大成功であった。足取りと運びに間や変化、こういうのはベテランの域に入らなければ、容易には奏演出来ない。
騙す桂庵、騙される祐仙、「落つれば同じ谷川の水」とは立花本人の言だが、前者がすっかり顔の表裏を使い分けられるほど、骨の髄まで拝金主義が浸透しているのに対し(薬売りで後家と駆け落ち云々は粗忽の蛇足)、後者は初段では惚れた娘の家に婿入りし安定した生活を、四段目では金儲けの上に自身の才知承認を願うという、青臭い造形が不快感を免れさせている。とりわけ、桂庵に乗せられ元服してからの再登場が真骨頂で、惚れ薬に疑問を持ちつつも試してみるところなど、勘十カの遣う祐仙は嘆息するほかはない。祐仙がこれほどのキャラになったのは、先代と当代の勘十カによるものであり、三百年の伝統を誇る古典芸能の世界において、現在が過去よりも勝るという希有の現出である。これこそ文字通りの名人に相応しい。これをリアルタイムで見られるとは、「いま・ここ」に生きる喜びに、人間としての存在を肯定出来ることでもあるのだ。素晴らしいの一語に尽きる。立花を遣う簑二郎は、鼻動きカシラの性根をとらえ、カクカクとした多動を以て描出する。よく遣えているとは思うが、秋月家へ自由に出入りし、桂庵老と呼ばれ、悪事発覚後も「桂庵殿の粗忽ゆゑ」で済まされる、社会的地位を築いている人物にしては軽すぎたと評せざるを得ない。「匙より口のよう廻る」そして「肩から爪の立」花桂庵は、現代なら悪徳弁護士ほどのステータスと胡散臭さを感じさせてもらいたかった。もちろん重厚になってはダメだが。お由は文昇、正直襲名後も以前と大きく変わるわけではなく、堅実な遣い方でよいがどこか個性を出せればという印象であった。今回の役は、上手くいけば儲け役だが、祐仙と立花の陰に隠れてしまう可能性は大いにある。ところが、実にうまく遣い、しかも性根を描出しての成功だから、高評価を与えられるものであった。カシラはお福だが、宿屋の下女とは異なり、こちらは生活力のあるたくましさを感じさせる造形。その大ぶりなどっしりとした雰囲気を、まず茶店から出て来る所から描出する。立花との掛合も現実味があり、ここで悪乗りや前受けをしないのも好ましい。眼目である祐仙との絡みは、薬の効き目=人為的なヤラセを明瞭に打ち出し、ガバとむしゃぶりつくところなど、滑稽かつ傑作であった。かといって、やり過ぎ感はなく、嫌らしさも不快感も残さなかったのは、清十郎系である本筋の遣い方が身についているからであろう。器用とは言えないが、うまく工夫して見せたことで、先代の印象がまだ残っている文昇という名前の継承に、ようやく実力が伴ったと言えよう。上にも下にも実力者揃いの人形陣にあって、自らの個性をどこに求めどう位置付けるか。大変であるのは明白だが、今回の功績を土台として、今後とも精進していただきたい。次回からは、意識(期待)してその遣い方に注目したいと思う。
「岡崎隠れ家」
逆勝手に加え襖には送別の漢詩(「送劉評事充朔方判官賦得征馬嘶」高適)と、「山科閑居」そっくりの舞台にしておいて、雪ではなく朝顔があり季節が逆転しているから、パロディーのお膳立てが揃っている。小浪の嫁入りを祐仙の婿入りにして戸無瀬が桂庵。それにしても「鳥屋の戸開けてちやぼどりの、米見つけたる風情にて、ぱつぱと鍋炭を、撒き散らしつつ出で来たり」とは、ここまで書くかというほどのえげつなさ。かと思うと、「アノ深雪殿のお屋敷はもうここかえ、おりや恥づかしい」と声色そのままそっくりに仕立て上げるのがまた憎い。下女のりんの件も馬鹿馬鹿しいが、十種香まで持ち出して祐仙を悪乗りさせるに至っては、そのサービス精神に脱帽するしかない。人形浄瑠璃も後期の作品だからこそ為せる技である。これを、千歳そして彼をここまで引き上げた富助の床が、元ネタをしっかり踏まえてのパロディーとして奏演し、切場を勤める実力があることを逆に浮かび上がらせた。
さて、このもじり部分を背景(地)として一旦沈め、ここを挟んで端場と後場を対比させると、深雪のクドキそして朝顔の花がパラレルに主題(図)として浮かび上がってくる。蛍狩りで始まった物語からすれば、もちろんこちらが主題である。二度同じ図を繰り返すと、当然相互の異同に注目することになる。まずわかりやすいのは、深雪のクドキの深刻さで、端場での嘆きは直後浅香の詞により解消され喜びと期待へと変わる。後場は高まった期待の反動としてより深い嘆きが出奔とまで思い詰めるまでに至る。ここにはまた、観客がその結末を知っているという手法が使われているから、端場での深雪が喜びと期待は強い悲哀に包まれて観客に受け取られる。しかも、前述のパロディーによって散々笑い転げた後の深雪のクドキは、下手をすると滑稽さ(舞台上の人物のみが事実を知らない)を伴うものになりかねないから、三業の力量を試す後場ともなっているのである。そこで重要になるのが、朝顔の花である。
まず、それに心を慰める閑居中の秋月弓之助を象徴する。朝咲き誇っても昼には萎む儚さが一層似つかわしい。とはいえ、その丁寧に世話をされ美しく咲き誇る姿は、娘深雪そのものでもある。偶然の出会いであった宮城阿曾次郎が実は、地位をなげうってまで手塩に掛けて育て上げた娘への婿養子という必然。ゆえに、咲き誇る朝顔はそのまま願いが叶った笑顔となるべきところ。したがって、ここでの朝顔は悲恋の象徴とはならない。むしろ、扇の絵と唄との偶然の一致が喜びに転ずるものである。しかし、待ち焦がれた甲斐も味気も無くなった後場では、喜びとして一体化するはずであった深雪と朝顔が、悲恋という象徴を介して唱歌を伴って合体し、クドキとして早くも現出する。加えて、蛍が、和泉式部の歌を持ち出すまでもなく、あくがれ出るという形で出奔を予兆するのである。そして段切、阿曾次郎の登場、男の側からの直接的接触は今更の感があるが誠意は伝わり、すれ違い劇を増幅させる効果もある。だが、関助に追い出される始末は滑稽さまで催させ、一方的な悲恋劇へ収斂することはない。そうしてみると、祐仙が絡むこの二段を長らく上演しなかったのは、恋人の物語にとっては逆効果ともなるからとも考えられる。しかし、朝顔のクドキをそれとして観客の耳目にしっかりと届かせ印象付けられたならば、もちろん悲恋物語は一層深い味わいを持つことになるのである。
端場の靖と清馗は、安心してその奏演に身を任せても良いレベルまで達しようとしている。今回はしかし深雪の描出は合わないだろうと予想していた。ところが、まずその出に続いてクドキで届かせ、「辛気で辛気で」「阿曾次郎さんがござんすとは」の詞に、恋に積極的で出奔までに至る深雪の性根が感じられ、これは本物だとまたしても感心することとなった。さらに、乳母浅香の、深雪のことはすべて承知で、ここは勿体ぶって深雪を喜ばせるその詞、これもまた上出来で、若手最右翼の地位を確定したと感じた。このように、劇場の椅子で収獲出来る楽しみと喜びがあればこそ、台風による交通機関の乱れにより通常の倍の時間を立ち尽くめの混雑に費やしても、毎公演必ず足を運ぶのである。
一方、奥ではクドキもさすがに床の実力で聞かせたが、やはりパロディーでの大笑い直後だけに、難しいものであるとあらためて実感した。人形は、夫婦を遣う玉輝と清十郎がここだけでは役不足でもありもったいない。関助の玉佳は奴そのもので、この程度の役はもう卒業証書授与である。深雪の一輔は、上記の詞などの内に秘めた激しい気性が漏れ出る辺りに、物足りなさを感じたが、端正に遣う筋の良さとどこがどうということもないのだが、自然と浄瑠璃義太夫節に合って見えるというのが、かけがえのない個性であり、もう一つの系譜、亀松までの襲名を期待出来る。注進(玉勢)も型に従いきっちりと遣い、「尼ヶ崎」のもじりとも見られる出来であった。
半世紀近いご無沙汰は、次回以降頻繁になるだろうと感じさせ、今回の建て方は成功裏に終わったと総括するものである。
「明石浦船別れ」
マクラ一枚で風情や情緒が際立つ寛治師の三味線。津駒は初日より二度目に聞いた方が格段に良く、深雪のカカリそしてクドキなど耳に残った。初演時に重太夫がここも(「宿屋」とともに)語ったというのがよくわかる、重要かつ魅力的な一段である。人形の船頭、存在感を示そうと下手に動かれるとせっかくのラヴロマンスが雰囲気共々ぶち壊しになるのだが、よく心得ており、かつ、それぞれの場面で的確な遣い方を見せ、話の展開をサポートしたのは、玉の字を納得させるものであった。
「薬売り」
鹿踊りからマクラ、三味線が冴える錦糸、咲甫も街道の賑やかさを活写する。不動参りツメ人形の面白さ、目を付けた商人の売り口上、商売を仕舞っての冷静な客観視、そして輪抜登場の描写となる。変化も利いて、足取りも間も心地よい。ただ、熊鷹眼の悪者にしては詞に真っ直ぐなところも感じたが、カシラが陀羅助でなく小団七で、筋書き次第ではモドリもある性根との考察か。しかしやはり、人買いに終始するこの話では、物足りなさが残った。今後ともこのコンビが続くのなら、もっと実力を要する場を与えてもらいたいし、こちらもそれを聞きたいものである。
人形が二度目見た時に公演チラシやペットボトルで笑いを取っていたが、そもそも幟に書かれた「笑ひくすり」の笑の字がポップアートに仕立ててあるから、問題視することはない。それにしても、これでやはり今回の朝顔日記はすれ違い悲恋物語よりもお笑いがメインと感じられることとなった。もちろん、お家騒動などはスパイス程度でしかない。なお、後家と駆け落ち云々は、商人を無理矢理桂庵として本筋中に据えようとするものであり(笑いの積み増しはあるが)、「肩から爪」を再度しかも今度は輪抜の形容に用いたのも安易かつ統一性を欠き、やはり継ぎ接ぎ感が色濃い。
「浜松小屋」
浄瑠璃義太夫節後期の作品は、前期や最盛期のそれに比して評価が低い。それは、やはりドラマとしての側面からするとやむを得ず、実際、作品自体も近松物や三大狂言そして半二以下を引き合いに出すまでもなく、万人の認めるところである。しかし、後期作品には、それを補って余りある魅力もあるのであり、それは、浄瑠璃義太夫節の音曲性という魅力が、ふんだんに盛り込まれていることによる。ただし、その魅力を再現するには、太夫と三味線に適任者が必要であり、かつ、観客もそれを聴き分ける耳を持っていなければならない。とりわけ後者は、ラジオから頻繁に曲が流れ、サワリレコードも売れて、その一節を口ずさむ者は数多く、素人天狗の裾野も大きく広がり、パトロンに関しても、例えば鴻池善右衛門の如く贔屓の太夫に語らせ膨大な数のレコードを制作させてしまうなど、人形と切り離して浄瑠璃義太夫節を愛好する人間が当たり前に存在した時代と、ここ半世紀で隔絶した現代(司馬遼太郎の言によると昭和四十年代以降)においては、上演されなくなった狂言の数々からも一目瞭然のように、甚だ困難を極める(故人となった名人の素浄瑠璃会を支援されていた、最後のパトロンと称しても良い御方は、芝居やお話のような浄瑠璃義太夫節が巾をきかせるようになったと、半ば失笑しておられた)。音楽教育という点から見ても、自由に作曲させるとヨナ抜き音階になってしまう日本人などほぼ絶滅しかけている以上、浄瑠璃義太夫節の真の魅力を語っていても、正当に評価されることは難しいのである。西洋におけるオペラの音楽性の位置付けと比較しても、現今の人形浄瑠璃を巡る状況は、歪なものと言わざるを得ない。もっとも、現況のものを「文楽」という語で再定義するのであれば、それはそれで問題ない。
この「浜松小屋」も、かつて(古き良き日本の伝統が断絶する昭和四十年代以前)の人気曲であった。理由は明瞭で、三下り唄で始まり、子供の登場、御詠歌、クドキに愁嘆、魅力的な節付けが続き、輪抜の登場で手強く一変しての立ち回りとメリヤス、段切は三味線尽くしのロマン的詞章と節付けという、浄瑠璃義太夫節詰め合わせお楽しみギフトの一段だからである。詳細は、聞所を参照されたい。今回は、第二部の追い出しであり、しかも、簑助師がここだけ深雪を遣い、浅香を文雀師の一番弟子和生で相手役という、明らかに切場扱いとなっている。観客の期待はこれだけでも高まろう。そこを勤めるの床の責任は相当のものだが、配されたのは清治師の三味線で呂勢大夫という、望み得る最高の形であった。まず、三味線でハッとさせられた箇所を列記すると、「泣き潰したる」「しほしほと」「託ち涙ぞ」「どの顔下げて」「鐘に哀れを添へにける」「うつとりと」「木陰に偲び」(すべて各詞章前後の手も含む)となり、以後、感情が流出してからは、いちいち書くまでもあるまい。呂勢は摂津大掾の越路太夫時代が甦ったかのようで、現時点での年齢と経験ではこれが最も望ましい。四代越路も最初は声屋と呼ばれ、八世綱もSPつばめ時代を聞くと流麗そのもの、二世古靱もまずは巧さが際立っている。いずれも、大成した際には深みや滋味そして精神性の高さ等で評価されるが、その青年壮年期の浄瑠璃義太夫節がヤンヤの喝采を浴びていたのは当然のことである。なぜならば、そういう風に節付けしてあり、それをきっちり語り聞かせているからである。そして、最後に「情」へと到達した者が名人と称される。始めから「情」を掲げるのなら、詞章を素読しても十分であるし、第一にわざわざこんな古ぼけたものを求めずとも、小説でも映画でも至る所に「情」は存在している。「音曲の司」たる浄瑠璃義太夫節の土台に、「情」が乗っているからこそ、三百年の伝統継承があるわけで、世界無形遺産ともなるのである。その呂勢であるが、浄瑠璃義太夫節の申し子と称してもよいほどで、東京藝術大学での講師が務まるのも彼のみであろう。冒頭陰影ある雰囲気を醸し出す三下り唄の良さ、これで「今は我が身の上に降る」が真に迫れば完璧になる。深雪と浅香のやりとりもうっとりとせざるを得ないが、果たしてどうなるのかと目前のドラマに惹き付けられるようになればとも感じる。深雪は独りの時は自立ゆえの気も張るし、これまでの憂き苦労の結果年齢より老けた語りはよく研究されており、その分乳母浅香に甘えて外面をかなぐり捨ててからのお嬢様ぶりが見事に際立った。浅香は乳母としての豊かな包容力による大きさがあと少し出ればより素晴らしかろう。客席から手が二回来たのも、あながち人形の素晴らしさによるだけではない。呂勢に「情」の描出が加わるようになったとすると、いよいよ摂津大掾再来への道は開かれたということになろう。段切も詞章と節付けがもたらす魅力を見事に現出した。清治師の教育が確実に功を奏している。
それにしても、秀逸なのはやはり簑助師の深雪で、よく言われる盲目の表現など、例えば輪抜が差し出す提灯の明かりへの反応等、今回の録画さえ残っていれば、後は何も無くとも完全な遣い方の手本となるし、その時々の場面で、深雪の心情が手に取るように伝わってきた。浅香も素晴らしいが、やや受け身なところがあり、ここは主従関係以上に、深雪の庇護者として前面に押し出して来た方がよかった。とはいえ、「叱ってたもるな謝ったと縋り嘆けば」の二人舞台は、時よ止まれ、お前は美しい!と、叫びたいほど至高であった。現在では不明になってしまった乳母とはどういう存在なのかについて、完全なる回答をもたらしてくれるものでもある。ここに輪抜が加わるが、清五郎はニンでなくともこの世紀の大舞台に名を連ねたということが重要で、その遣い方に信頼を置かれている証拠である。語る太夫相応には出来ており、下手な前受けをしないことに何よりも好感を持つが、「日本国を股にかける人買商売」と臆面も無く自称し、「売られて絹のべべ着い」と嘲る人外の雰囲気は、太夫ともどもまだ至らなかった。とはいえ、単純な敵役のように憎まれる嫌な奴と見えたのでは小団七カシラに映らず、目付きを最大の特徴として、悪の魅力(生命力)というようなところへ至れば素晴らしいのだが。中々に手強い役どころである。
総括すると、今回の「浜松小屋」こそ、文字通り幕見に相応しいものであった。
「きぬたと大文字」
まず、きぬたは李白「子夜呉歌」の世界をそのまま映し、清十郎の想いを内に秘めた、しかし時に漏れ出す支那夫人が素晴らしく、納得の一場。
一方の大文字だが、よくわからない。景事だから気楽に鑑賞すればよいのだろうが、大文字も別れの哀愁がテーマだと指摘されると、なるほど詞章(「逢はでも夏ははや過ぎぬ」など実はぞっとするほどの虚無感)や節付け(冒頭に曾根崎心中場のメリヤスなど西亭松之輔の感性は驚異)ではそうなっている。だが、実感がない。理由は、まず人形にある。見る方からすれば、浄瑠璃義太夫節舞踊のようなもので、妹娘(簑紫カ)の動きが鮮やかで巧み。一方、姉娘(紋秀)は地味で一見の客には遣い方が下手と見られかねない。しかし、動いてなんぼの遣い方が普段であるしずなのにと思い至った時、初めてなるほどと納得出来るのである。もっとも、妹は頑是無いから別れ(死)という概念が今ひとつ理解できないと解釈すれば、これはこれで構わないとも言える。しかし、二度目の観客席、その妹もしっとりした遣い方となり、姉ともども父母への追憶が表現され、主題が描出されていた。床(三輪/清志郎以下)は、取り立てて非難するところはないが、この大文字送り火を観光資源大文字焼きなどとは決して言わせない、深遠かつ絶妙な詞章と、それを浮き彫りにする節付けを再現するには至らなかった。こうなると、この曲の真髄を完璧に表現した床を聞きたくもなるというもので、調べると昭和三十三年再演時のつばめ喜左衛門/南部勝太郎他(人形が紋十郎/文雀紋之助)が床しくてたまらない。本狂言の劇評は都合三度目だが、こう書くまでに至らせるきっかけを与えてくれた紋秀には、今後とも注目せざるを得ない。加えて、プログラムの鑑賞ガイドにも感謝の意を呈するものである。また、大道具、照明、音響も素晴らしかった。
『生写朝顔話』
「嶋田宿笑い薬」
中、芳穂/清丈。マクラの喧噪はそのまま繁盛の印、下女と手代の悪洒落、徳右衛門が収めた後に祐仙登場して岩代と悪巧み。以上、きっちり語り弾いて盆が廻る、優秀な若手コンビ。
次、今日の隆盛を迎えるに至ったのは、ひとえに七世竹本住大夫と桐竹勘十カ父子が見事に完成させたことによる。現今、チャリ場を代表する一段。それゆえに、人形は必須であるし下座を除いても成立せず、素浄瑠璃では到底満足はされない。総合芸術人形浄瑠璃文楽を体現した最たるもの。昭和後期から平成の世が持ち得た一大遺産でもある。従って、SNSはもちろんのこと、門外漢の演劇評論家でも言及するに違いないから、ここでは多言を避け、太夫と人形について最低限のことを記す(三味線の藤蔵の手柄はこれまでも今回もこれからも当然のことである)。
文字久は引退した師匠の一番弟子として、よくその後を継いだ。とりわけ、笑い薬を飲んでからが、久の字を取っても良いと思わせる出来で感心した。また、徳右衛門の二度の受け答えは師匠にもなかった工夫で恐れ入った。全体として、祐仙が第二部から通した造形としてよく考えられていたのが素晴らしい。ただし、前半でメリヤスに合わせ語りを置きに行ってはいけない(それだけ藤蔵が一枚も二枚も上手ということか)。
勘十カは、人間と比して人形芝居だからという不自然さや不足感が微塵も無く、それどころか、人形ならではの動きで人間芝居では不可能なことをやってのけ、人形を遣うということの究極にまで達している(人形の衣裳を丸裸にして遣って見せたら、如何に文楽人形の構造やら何から何まで隈無く知り抜いて―というより体得してあるいは感じ取って―いるかが、よくわかるはず)。さらに、日々遣い方に工夫(研究)して変化(進歩)もあるから、毎日通い詰めても一挙手一頭足まで見逃せない。
「宿屋」
道具返し三重を弾く場合もあると、綱弥七の中継録音で知った。もちろん、重太夫風も。そして今回、喜左衛門系でない咲大夫(燕三)で、その綱―古靱―大隅―団平の系譜伝承の確かさを耳にし、『浄瑠璃素人講釈』の重要性を再認識するとともに、「風」とはいかなるものかを些かながら知り得た気がする。もちろん、「風」は難解であり(というよりも武智鉄二が難解にしてしまった)、軽々に発言することは控えなければならないが、まず、初演者あるいは再演者の個性とでも呼ぶ分には間違いはなかろう。西洋音楽を持ち出せば、モーツァルトとベートーヴェンの作品を聞き比べたら、どちらの作品かはその曲を知らずとも判然とする。こう書くと、浄瑠璃義太夫節は定型旋律の組み合わせであるから、当てはまらないと反論が来るであろう。しかし、例えばモーツァルトのクラリネット作品が実際の名演奏者を念頭に置き、リズム・メロディー・ハーモニーの組み合わせで作られたものであるように、初演あるいは再演者の個性に応じた、節付けや運び・足取り、間や音高によって作られているのである。重太夫が「宿屋」と「船別れ」を語ったというのも、朝顔の琴唄とクドキがあるからではなく、両者のマクラを聞いてこそ納得されるものなのである。よって、「風」を蔑ろにすることは、西洋音楽の作曲者を無視することと同断であり、そのようなことは、少なくとも音楽という範疇で考える限りは、あり得ないことなのである。咲大夫が、亡父に内定していた紋下(櫓下)の空白期、いわば失われた半世紀を取り戻し正常化する使命を帯びているというのも、浄瑠璃義太夫節が「音曲の司」である以上は、絶対的な真理なのである。
咲大夫の「宿屋」では岩永もまた抜きん出ていた。「岸に曲れる」「意地くね悪い」詞章そのままの描出は、他に例がない(もちろん亡父は完璧)。注目すべきは、この(道具替わり三重も弾かれることのある)段における岩永は、武士という裃を脱ぎ捨てた風呂上がりの怠惰な姿であるという点にある。よく、先生と名の付く職業には気を付けろと言われるが、確かに日常の場においては先生と呼ばれるべく言動に留意しなければならないだけに、内実がそれに相応しくない人物の場合、非日常ともなるとその反動からとんでもないことになるのである(某高校では打ち上げの宴会に羽目を外しすぎ、その店から出入り禁止を喰らったとか)。「笑い薬」までは、外面たる武士の岩代(もちろん内面はそこここに露呈するが)、それが「宿屋」では丸裸を浴衣で包む程度、すなわち前述の詞章の性根がそのまま現出するのである。しかも、それはまた三段階に変化しており、まず駒沢暗殺作戦失敗による不機嫌さを引き摺って「ナニ朝顔」(この一言が抜群)からのいちゃもん、引き続きしっぺ返しの不快からの朝顔拒絶発言、続いて、琴も器量も惚れ惚れし傍へ引き寄せるべく鼻の下を伸ばした詞と、それを拒否され悪者ではなく本心から残念がり身の上話に振り替える調子の良さ、最後は、その貞節(岩代の価値観とは正反対)に興味も失せての詞。なお、最後駒沢への詞は今回笆久蔵を出さないから不問となる。徳右衛門もよかったし、「宿屋」は朝顔の琴唄とクドキだけを楽しむものではないことを、現実に体験したのである。三味線については、まだ病後の快復が完全ではない印象で万全とは言えないが、切場の三味線として問題があるはずもなく、二度目に聞いた時はよりハッとさせられるところが多くなっていた。
「大井川」
お家騒動が第二の軸ともなる半通しに準ずる狂言だが、前場で笆久蔵が出ないから、この冒頭でも箱根八里と蓮台渡しもない。というよりも、第三部の休憩時間からして、単純に上演時間の都合であろうか。睦は顔順として妥当なところだが、そう簡単にはいかないことは想像できる。それを、宗助が文字通りに弾き立て引き立て、年上の女房役として理想的な姿を示す。今回特筆すべきはこの三味線で、この「大井川」がどのように節付けされ、運びや足取りそして間、音の高低等々がどのようになされどの辺りがポイントであるか、耳へ如実に聞こえてきた。苦しい高音も、二度目聞いた時はある程度コツを掴んでいたし、太夫は予想していたよりはよかったと総括して良いだろう。ただ、眼目の朝顔に心血と勢力を注いだ結果、関助との愁嘆が平板で、奴詞も応えず、徳右衛門も映るまでには至らずと、課題は山積したままであったが、不器用を克服するだけの努力の人に違いないから、これもまた自らの糧として日々精進を積み重ねてくれることであろう。普通に語っていては、弟弟子二人の方がしっくり来る現状であるから、もちろん技巧に走るのでは無く、浄瑠璃義太夫節のシャワーを浴び続け、心身に浸透させ、血肉化するまで頑張ってもらいたい。四段目よりは三段目が似合うはずだ。
最後に、人形陣について。朝顔の紋寿は初日不安感まで持ったが、二度目見た時には流石の芸歴を示した。徳右衛門の勘寿はまたしても燻し銀の、現陣容に不可欠な存在感を見せ、祐仙のアシライなどここにも笑う場があったのかと、改めて教えられることとなった。駒沢は安定の玉男で、阿曾次郎よりも映えて見えたのは、時代物立役として座頭格も視野に入ったことを示している。加えて、朝顔に零落した深雪への思いは、確かに心で泣き、かつ、唄が琴線に触れていることを、少ない動きの中で描出し、見る者にも確実に届いていた。岩代の玉志は、武士としての基本が据わっており、後は床の好演によって性根が自然に滲み出ていた。これがしゃしゃり出で遣うと、逆に不整合感をもたらしたことであろう。関助の玉佳は前述の通り、立役に至るルート上にいる。
なお、プログラムは省略の段々をあらすじで紹介し、通し狂言への見通しを示したことで、今回の準半通し狂言を望みうる形で観客に提供し得たと言えよう。