人形浄瑠璃 平成廿五年四月公演(初日所見)  

第一部

『伽羅先代萩』
「竹の間」
  シンの松香がマクラ一枚をしっかり語り、この一段の結構を決める。竹の間とはもちろん竹に雀の紋所を利かせたものであるが、文字通り飾り気のない真っ直ぐな一間は、そのまま乳母政岡の心情でもあり、奥州五十万石の現状をも示している。その襖を開けて人々が入り込んでくることにより、端場としてのストーリー展開が始まるのである。忍びも願書もあざといが、ここは鶴喜代君と政岡との心の交流、とりわけ幼主から乳母への一言が、天性血筋を示すとともに、愛情と教育の美しい結実を涙とともに現出させることに主眼がある。従って、必然的に乳母子の重要性(「源氏物語」なら光君における惟光、「平家物語」なら義仲における兼平)、すなわち千松の存在も浮かび上がることになっている。さらに、八汐、沖の井そして小巻の人物像を観客に呑み込ませておく必要もある。となれば、床の成否もそこに掛かってこよう。津国、南都、始と掛合専門職と化した感があるが、それぞれ十分なものであった。これは皮肉ではない。立派に勤めたとの謂いである。咲寿もその詞に万感の思いを込めていた。小住は「お傍のお伽も同い年」これだけでハッとさせられ、将来大いに期待させてもくれた。清友の三味線には安定感があり、弾き分けながらまとめ上げる。そして、今回それにもまして際立っていたのは人形陣であるが、これは最後にまとめて述べる。ただ一つ、舞台転換が幕を引いて行われ、その幕引きの早いこと。「心は隔つ竹の間の襖」「押し開け入りにけり」これがヲクリだから急いだのであろうが(三重ならもとより舞台転換だから焦る必要は無い)、詞章の途中になど前代未聞。さすがに文楽を見に行こうと言う観客でも、この詞章すなわち床軽視(無論そのような意図は皆無だろうが、実態としてそうなっている)には唖然としたに違いない。

「御殿」
  寛治師の三味線に尽きる。飯炊き場はお楽しみのところであって、決して退屈なものではない。それが今回、師の三味線によってよくわかった。これほど素晴らしい手があの詞章に付いているのだ。聴き所にならないはずはなく、耳を持っていた義太夫好きが待ってましたとうっとりするのも当然なのである。続いて雀親子の件の三味線がまたすばらしい。足取りと間はとりわけ絶妙である。本当に良いものを聴かせていただいた。津駒は最後の泣き笑いで手が鳴ったが、それほどでもない。しかし敢闘賞には値する。政岡の衷情が必死の語りを通して体現されつつあったからである。寛治師の導きによる一層の高みへ到達してもらいたい。津大夫系統を今や双肩に担う立場でもあるのだから。もちろん、彦六系(団平系)の伝承も忘れずに。

「政岡忠義」
  以前にも書いたが、戦前の松竹文楽PR用フィルムでの古靱清六に文五郎の政岡愁嘆場。(FILE2【名人たちの知られざるエピソード集】映画「文楽・伽羅先代萩」日本古典芸術文化抜粋版を参照)
わずか8分間であったが、人口に膾炙し、待ってましたと声も掛かり、客席を魅了した人形浄瑠璃のいわゆる「サワリ」というものが目の前にあった。今回は、この再現かと思われるものとなった。とりわけ、床の呂勢が節付けの意図をよく汲んで、ほぼ理想的といってよい語りを聞かせた。もちろんそこには、三味線清治師による指導がある。まず、栄御前の権威が決まり、八汐は下卑ずに憎々しさを表し、政岡が烈女の鑑もともすれば胸中熱く烈火の怒りの炎が燃えるように聞こえてしまうところを、客席はそうなっても政岡自身は休火山の富士が如く偉大に聞かせたのは見事であった。とりわけ愁嘆場が圧巻であったのは先に述べたとおりであるが、ノリ間の前半と後半の対比といい、節付けの妙と詞章の意味をよく活かした惚れ惚れする奏演であった。確かに、深みとか幅とかにはまだまだ奥が深いことは言うまでもないが、「情を語る」以前に「音曲の司を語る」ことができていなければ、話にならないのもまた事実である。今回聞いて、若手時代から期待していたもの、すなわち受領級の再来がどうやら現実のものになりそうで、心が豊かにそして愉快にもなったのである。なお、八汐を成敗して床下に移るところ、怪しいコワリの音などそこここに清治師の見事さがあったことも当然ながら記しておく。また、呂勢は肩衣見台などのこだわりも見もので、実力が付いてきただけにこれから特記してもよいだろう。

「床下」
  人形の場だが、相子と清馗は力感あってなかなか。しかし何と言っても、舞台設定と大道具方に讃辞を贈りたい。
  ここで、その人形陣について総括する。第一にはやはり文雀師の栄御前である。その登場で俄然舞台が引き締まった。その権威は客席にまで緊張感をもたらし、お家騒動ものの黒幕的存在の怖ろしさまで伝わってきた。さすがに人間国宝は違う。かつて、先代勘十郎が妹背山二段目の鎌足を遣ったときもそうだったが、こういう一種超越的存在は、動かずしてその威光が自然に感じられなければならないのであって、それはとりもなおさず、人形遣いそのものの存在に負うている。大したものである。続いては小巻の清五郎である。これまでは、その衣装からしても地味で老けた存在で注目もしなかったものが、今回はその出から女医たるの趣あり、しかも沖の井から呼び掛けられての反応は、実は示し合わせてのことだったと後からわかる伏線としても十分で、性根をふまえた存在感のある人形となったことに目を瞠った。これまで、清五郎は分を弁えた遣い方がさすがに師匠譲り兄弟子習いと好感は持っても、もう一つ弱いところがあって歯がゆい思いを如何ともし難かったが、この小巻を見て、一段乗り越えたのではと喜ばしかった。次公演からも一層期待したい。次に、ここのところの上達で新世代人形陣の一角に間違いなく場所を占めた勘弥である。今回の沖の井もその出から見事で、舞台上の格付けとしては栄御前の次、八汐はもちろん政岡よりも上である、その風格高さが遣い方はもちろん静止した姿形にも現れていて、感心すること頻りであった。鶴喜代の玉翔も、奥州五十四郡の主たるの幼君とは斯くの如くあろうと納得のいくもの。八汐は文司で、憎々しさよりは卑しさが、意地の悪さよりは軽薄さが出ていて、それはそれでよい。千松に対しても、小動物を虐待するようなむしろ機械的な感じが、逆に陰惨さを表現していたが、これは意図的ではなく遣い手の技量が自然にそうさせたものであろう。政岡の和生については、予想に反した意外な感を持ったのが新鮮であった。具体的には、まま炊きのところで特段の思い入れもなく、さっさと片付けてしまうが如きであったのが、確かに何があるかわからぬ御殿の内、油断はもちろん述懐に耽る間もないのであり、とりわけ食事は手早く作るに限る。茶道具を使っているのもやむを得ないからであり、ここで作法云々を見せるのは本末転倒でもある。ただし、節付けが耳を楽しませるようにもなっているのと同様に、人形も観客の目を喜ばしむるという役割があるから、全段を通してやはりあっさりしていたとの感はある。節之助の玉佳は金時ながら忠臣の力感をよく出していたし、勘解由の幸助は怪しい大物の雰囲気を醸し出し、両者とも突然出てきての舞台で、歌舞伎にはさすがに及ばないものの、違和感なく状況を納得させる遣い方であった。中堅として安定したといってよい。さて、残ったのが千松の紋秀である。よく動くというのが特徴の若手だが、刮目と目障りが同居しているところに成長の期待もあるし問題もある。今回はそれがいつも以上に現出した。「竹の間」では、幼君の近習となった積極性がよく出ており、母に諭された通りの武士の子として意気込んでいるところも、微笑ましいものであった。空腹を紛らわすところと握り飯を食うところは、鶴喜代との身分差階級差が歴然として明快でもあった。このように、ずいぶんよく動き工夫しているのだが、詞章との矛盾も目立つ。「何を泣き顔する事がある」とあるところ、言われてメソメソするのは実に滑稽。つまりそれまで泣き顔をしていないのだ。では何をしていたか、親雀をとらえようと躍起になって(遊んで)いたのである。空腹の我慢も幼君の言葉にほどけてしまい、辛さに涙がこぼれてしまう、それを母はわかっていても侍だと叱る。そこの段取り、詞章がまったく読めていない。奥で幼君の身替わりになるところ、毒菓子では詞章の錯乱状態をただ苦しむだけの所作として、なるほど覚悟ができているとの解釈かと思えば、八汐に虐殺される場面では必死に暴れる。しかも、さかんに母親の方を見るものだから、政岡の烈女が際立つというよりもその非情さが苦しく、観客の心に封建時代の残酷さを後味悪く残してしまうことにもなるのである。暴れるのなら毒から、暴れないのなら惨殺まで。これらの不統一は、人形遣いの工夫ではなく未熟さの露呈に他ならない。とにもかくにも、詞章の読み込みである。それが至らないようでは、黛敏郎のあの言葉をまたしても引用しなければなるまい。「だいたいこのねえ、義太夫というものはもともとこの太夫と三味線の語りだけでできていたのに、その理解を妨…、あの、助けるために、この人形があとからついたということをよくうかがいますけれども、やはりその一番の中心になるのは、人形ではなく太夫さんだと思うんです。」

『新版歌祭文』
「野崎村」
  端場。マクラからなかなかのもの。春先の片田舎の情景が出来、そのまま盆が廻るまできわめて自然に聞けたのは、三味線の清志郎が一段上達したことと、文字久に余裕が感じられるところだ。これなら、いよいよ切場語りへとも言いたくなる。ただ、一つだけ疑問が。「出難い所からよう出たな」の「所から」を「ところから」とまともに語っていたが、これは大阪弁で「とこから」「とっから」と小松大夫を始め語っていた記憶があるのだが。もしそれが正しいのなら、やはり文字久は未だに耳からではなく目から義太夫節浄瑠璃が入っているのかと、落胆することになってしまうのである。
  切場、前半は英の代役。だがしかし、本役と聴いたほどの出来、というよりも、もう切語りの資格十分で、当然十一代襲名の力量ありというところである。面白いなあ、よいなあと浄瑠璃世界に浸れる幸せ、「くわんのん」と発音も確か。敢えて言うなら、お染のクドキが快感までに至らずだが、美声家の持ち場ではないという芸談そのままとしてよいであろう。三味線の藤蔵はもちろんよいが、英とのコンビでとなればまた別途評価する必要がある。
  後半は住大夫師と錦糸。文楽界の象徴。それはとりもなおさず、大阪古典芸能の象徴でもある。観客もその登場に拍手と掛け声で答える。願わくば、これが劇場の外にまで連なることを。
  人形陣は、簑助師のお染が秀逸。「思ふが無理か、女房ぢやもの」の色気など、「悪縁深き」と詞章にある通りのものであった。おみつを勘十郎が遣う。女形については明確な評価をしていないが、このおみつは、田舎娘の裏表ない喜悦と覚悟の悲哀が前後半で対照的によく表れていた。久松は簑二郎で、端場終盤のおみつとの対比などよかったが、お染と二人になって動きが出てくると、若男の形が崩れたのは(懐手など)、このカシラの難しさを思わせた。久作は玉女、映るというのはどうかと思うが、いけないところがあるわけでもない。評言に困るがこのままにする。お勝の勘寿はベテラン脇役の手本となるものであった。
  全体として、「野崎村」が人気狂言であることを再確認できたことは、劇場の椅子に座った収穫としてもよいだろう。

「釣女」
  マクラが前口上になっているのが面白い。狂言は象徴性のそれとして、歌舞伎舞踊でも文楽でも、生々しくなる醜女をどう扱うかが問題となる。最初は笑っていればよいのだが、太郎冠者の態度が積み重なると、近現代人としては、醜女に情が移る分気持ちが真面目になってくる。もちろん、醜女の怒りと同調できればそれはそれで問題ないのだが。その点、南座歌舞伎鑑賞教室での演出、醜女が逆に太郎冠者を釣竿で引き連れていくというのは、尻に敷かれる男の情けない表情とともに、何とも優れた行き方であった。「顔で差別するのはいけないが」と中学生が感想を書く時代において、この狂言が生き続けるにはそれなりの現代化が必要なのである。
  三業自体については、時代性を考えに入れないなら問題ない出来であった。  
 

第二部

『心中天網島』
「河庄」
  端場は久しぶり復活の千歳を清介が弾く。よくこなれていて、口三味線も不自然さがない。清介は嶋大夫と切場を何度もこなしているから、その三味線のお陰もあって、ここまで語れる以上は、やはり切語りを目前としてよいのではないか。また、してもらわなければ困るのだが、休演が続いた後だけにホッとしたこともまた事実であった。
  切場を嶋大夫富助。どちらかというと「紙屋内」という印象があり、前半は少々重たいと感じたが、善六太兵衛の処理が上手く、後半孫右衛門の述懐で涙した。さすがはこの床である。それにしても、「河庄」はつくづく名作だと聴くたび観るたびに思い知らされる。

「紙屋内より大和屋」
  端場は咲甫と、剃髪は二代喜左衞門師かと思った喜一朗。登場人物の語り分け、交通整理もポイントだが、おさんの母の台詞が主眼である。となると、今一歩と言わざるを得ないか。とはいえ、千歳―嶋―咲の間に挟まれているのだから、致し方ないのもまた事実ではある。
  切場、中の巻から下の巻まで続けて勤めるとは、紋下格咲大夫ならではであり、その相三味線としてついに高みにまで登った燕三だからでもある。登場人物の性根がそれぞれ浮上し、近松の絶妙な筆致が伝わり、「大和屋」では得も言われぬ情緒が描出され、さすがは現在近松物第一人者たるの浄瑠璃であった。

「道行」
  大作の道行としてはまったく物足りないが、極端な刈り込みもこの長丁場では仕方ないのであろう。小春のクドキにおける三味線の美しさが印象に残った。
  人形陣。小春の勘十郎、遊女の経験値とでもいうものが見えた。心の苦衷はもちろんのことである。治兵衛の玉女、小春と別れ腑抜けのニートになってしまったところと、請け出せるとなった後の正直な反応とが印象的であった。おさんは清十郎で、今回一番納得させられたのはこの人形であった。良妻賢母、野暮ったいまでの関わり(立場として当たり前ではあるが)は、この悲劇の一翼を担っているとまで思わせた。孫右衛門の和生、きっちりしていて、弟治兵衛とは真逆だとよくわかった。
  全体として、やはり近松の作が超絶的であるので、それが三業を動かしていた。ということは、作品の素晴らしさを知らしめた三業もまた、すばらしい出来だったということである。なお、作品解釈についてはこれまでそれぞれに検討をしたので、それらを参照いただきたい。外題別索引
  それにしても、「月頭に一枚づつ取交したる起請合せて二十九枚」とは。遊女も客も記号に過ぎないと承知で取り交わす起請文であったはずだが、それが実体化するに至ったのは、小春治兵衛双方にとって、それぞれの日常生活が記号だったからに他ならない。なぜなら、生そのものである日常が実体化しているなら、究極は相対死にまで至る非日常的起請など、記号以外の何物でもないはずだからである。「河庄」のマクラは、遊郭のその記号性を遊女と客と双方の視点から描いて見せる。そして、まさに「その中へ」小春が、陰暦十月心中者の「しるし」すなわち記号を持って登場してくるのである。しかしながら、記号は実体と異なり厚みも幅も持たないから、純粋無垢とも言える。そして、残念ながらこの世とは、そしてまた人間とは、その純粋無垢とは対極の複雑な混合物に他ならない。遊郭という記号で客が日常世界を忘れて遊ぶのは、至極当然のことであろう。ただし、その人間自体が純粋無垢であったとき、というよりもそれを記号でなく実体化しようとしたとき、そこに待つのはこの世でも人間でもないことは、明らかなのである。「治兵衛みたいな男はあかん」、そう言ってのけられる観客は幸いなるかな。少なくとも、この世で人間として生き続けられるわけであるから。