平成十五年十一月公演(前半初日、後半楽日前々日

第一部

『平家女護島』「鬼界が島」
 今回、玉男師描くところの俊寛は、非日常世界である鬼界が島に生きる、日常生活者としての人間、という側面が際立っていた。この地を餓鬼道と見、孤独をかこつ俊寛に対し、熊野三所を勧進して日参に励む康頼(その意味では玉志の抜擢はいささか早すぎたようだ。現実的な存在感が今一つ乏しかったのだ)、千鳥とあはれにをかしき恋を生きる成経の三者が、日常の喜びを告げる。海女千鳥の描写は、豊かな自然とともに生きる彼女の、謳歌する生命力の象徴である。健康的なエロティシズムを近松は歌い上げる(その点某太夫と富助の奏演は平板か)。俊寛の心身にも熱い血が駆け巡り、玉男師の遣う人形は心からの喜びを表す。もちろん恋女房あづまやとの日々を思い出してもいるのである。美しい生の輝きのある所、「硫黄が島も蓬莱の島」となり、山水も鮑も、今ここにある現実が永遠の存在としての価値を持つことを示している。簑助師の千鳥と俊寛との濃やかな情愛は、まさに親子の温かみを感じさせる。俊寛は心底楽しげであるのだ。それは、冷酷な(元よりこの島を非日常の地獄と見ている)上使の登場によって引き裂かれる時の、縋る千鳥と抱き寄せる俊寛との姿により強烈に感じられる。日常に生きているのが人間ではなく、人間が人々とともに関係性をもって生きている場所が日常世界なのである。四人帰洛が叶えば、もちろんそこが日常世界となったろう。そこが都だからではない。そして、その都から最愛の妻は除去され、今また千鳥が拒絶される。そこはもはや俊寛という人間が生きる場所ではない。「鬼界が島に鬼はなく鬼は都にありけるぞや」千鳥もまたその真実を直観する。「三悪道をこの世で果たし後生を助けてくれぬか」「俊寛が乗るは弘誓の船浮世の船には望みなし」という俊寛の詞は、決して自己犠牲の英雄的行為を韜晦する形式的な美辞麗句ではないのだ。したがって、段切の「思い切つても凡夫心」とは、都へ帰りたいなどという願いを言うのではない。死を引き受けた俊寛が、三人とともにあの輝く喜びの時空間を生きたいと欲する、「人間」としての心の叫びのことである。今回、この後半の俊寛を遣った玉女に、俊寛の意志の力と、そして何よりも生への欲求を強く感じ取ることができたのは、望外の喜びであった。俊寛のかしらは丞相である。その性根は筑紫配所、天拝山の道真。彼もまた安楽寺で悟り澄ますのではなく、怨念とともに天神と化す。、人の皮着た畜生―利己的な欲望から他者を切り取り自らの養分とする輩―を滅ぼすべく、人間としての強い生のエネルギーを照射するのである。これでまた一歩、玉女は師匠に近付いたということであろう。もちろん道は遙かであるが。なお、文吾の瀬尾は単純な悪役ではなく、栄華を誇る平家の官僚として納得のいく遣い方。成経の清之助は、貴公子、恋、が本当によく映る若男、「大職冠行平」の喩えも伊達ではなかった。丹左衛門はすべてを見届ける判者の役割。無駄に動かない紋豊の遣い方は流石であるが、もう一つ芯が感じ取れたならば…。床の太夫と富助は、テキストと人形から物語を読み取らせるべく、思い入れを抑制したものと捉えられないことはないが、そこまで超越してはいなかろうし、やはり平板と言わざるを得まい。

『鑓の権三重帷子』
「浜の宮馬場」
 近松物、というよりも、古典作品(典型的に古今集以降と定義しておく)の言葉遣いとして、掛詞の格というものが自ずと立ち現れてくる。前出の行平、和歌ならば「立ち別れ」と来て「往ぬ」と一文が収まるところを、「いなば」と掛けることで、「因幡の山の峰に生ふる」と、ポイント切り替えのように見事に別の一文に進んで行く。ところが、この改悪詞章のマクラの場合なら、「馬の庭乗り遠乗りと今日も稽古に」と来れば、当然「余念無き」とでも収まるべきところを、「浜の宮」とは躓くよりほかはなく、ひょっとしてこれは「励む」との掛詞にしたのでは、と無理矢理想像もしてみるのだが、こんなものは掛詞になるはずもなく、あわれ機関車は脱線してしまう。当然近松の原文は「遙かに出でし浜の宮」と、そのような掛詞など用いてはいない。ちなみにこのあとの近松原作から掛詞の例を示すと、「稽古に心染手綱掻繰り掻繰り乗拍子」がそれである。床の奏演で聞いても、「稽古に心染め」で心の中は稽古一色、一意専心の様子を、「染手綱掻繰り掻繰り乗拍子」でリズム良く馬を走らせる小気味の良い躍動感を、「伊達者」「好い男」と呼ばれる鑓の権三のイメージとして重ね合わせることができるのである(なお、この「掛詞」に関しては、拙HP情報資料室所収「金札瑠璃鏡」http://ha2.seikyou.ne.jp/home/Kumiko.Tada/ongyoku/ruri.htmで取り上げてあるから、参照されたい)。
 したがってこれ以降詞章を分析してみても無意味だから、三業の成果だけ書き付けていくことにする。千歳と玉女が描く権三は、初日はただ端正なだけであったが、後半は、「小身者」(以後引用は近松原作による)との自意識から来る上昇指向の如才なさも、お雪、伴之丞、忠太兵衛それぞれに対する言動に含まれていた。伴之丞は津国・文司で典型的な赤塗り陀羅助としてよし。乳母の和生・咲甫は、この遠慮のない勝手に飲み込む中年女をそれらしく表現、まさに「喚きける」である。ただ、咲甫にはいささか不審がある。「あれから後幾度かこちから文のゆく毎に」の「こちから」のアクセントを_ ̄ ̄ ̄と語っていたが、これは当然 ̄___であろう(伊達路・叶太郎もそう語っていた)。魅力ある精力的な若手太夫であるだけに、人一倍心配をするものである。貴の忠太兵衛は皮肉も効き、玉也はきっちり作十郎の後を襲う存在である。問題はお雪の始と玉英である。人形は上手からの出など、なかなか形良くこれはと思わせたものの、権三の傍によるところなど、カニのヨチヨチ横歩きか、もう少し何とかならないものか。前受けを狙わぬ素朴な遣いぶり、ならばそれなりに見せていただきたい。始は詞などよく真情を吐露していたが、地がいけない。「女は涙もろかりし」「笑顔に開く」など三味線の音階にべったり付いては義太夫浄瑠璃とは聞こえない。また、近松原作にはなく再登場をさせてまで聞き所として節付けした「いつはともあれ」以下「気にかかる時も時」まで、言ってみれば改作の性根というべきこの詞ノリ地ノリ、三味線と不即不離で面白く聞く者を捉えようとするところが…。ともかく稽古に励むより他はあるまい。シンの団七はこの場合どれほどの指導力を発揮すべきなのか。

「浅香市之進留守宅」
 義太夫浄瑠璃において、内容を一段落させるのがフシの仕事である。下降旋律となっているから、聞いていてそこで収まることが明快なのだ。とはいえ、文章表現でも文末が常に一定になってしまうと、単調でつまらないものになるのはご承知の通りで、当然そこにはさまざまな文末表現が選択されてくる。浄瑠璃でもそれは同じで、フシ落には多種多様な旋律形が用意されているが、ユリはその典型的なものである。ユリとは文字を揺り語ることによって、段落の終結を旋律的に印象付けるもので、例えば「人こそ人の鏡なれ」なら、「鏡なアアれ」と「な」の産字アで語り、三味線はトントントンドンジャンと締めるのである。中でも三ツユリと呼ばれるものは最もよく用いられ、「留守こそ心尽くしなれ」の改作での節付けがそれに当たる。ただ、このフシは「心尽くしなれ」と語ってしまった後も、三味線の長い手が続いているので、このまま語り収めては間が抜けてしまうことになる。そこで「なれ」を「なれエンネ」と、産字エから耳に心地よいナ行の音に変換して語り、三味線の手とともに終止させるという、日本語の美しい響きを巧みに応用した工夫なのである。この場合、産字エをそのまま延ばし続けると、もともと段落終結の下降旋律である上に、太夫の息も吐く一方であるから、次第に低く小さくなり、尻切れトンボで文末がぼやけてしまう事態に陥ってしまう。その意味からも、この響き仮名の工夫は実によくできているのだ。ちなみに、改悪詞章だが「法界悋気鎮めかねたる折もあれ」も三ツユリの節付けである(錦糸で奏演された時も、もちろんそう語られていた)。ところが今回、ここが二箇所とも産字エをただただ延ばすばかりで、その聞き辛い事態に陥っていたのである。これはどういうことか。改悪の新曲ゆえ敢えてそう語ったものか。しかし三ツユリのフシは典型的な旋律である。たとえ改作でも、上演する以上はその作を語り活かさねばなるまい。元々の非は津駒にはないとはいうものの、やはりこれを見逃すことはできまい。よって、申し訳ないが、晴雨表にてその責を負ってもらうことにする。
 津駒はよく語っている。義太夫の線が細く不安定な要素はあるものの、おさゐの積極性、その気性をよく知る二人の下女(勘市のまんがよく映った)、そして乳母の表現が生彩を放つ。権三も忠太兵衛も悪くない。寛治師の三味線は撥を下ろすや、その厚み豊かさ、深い音に魅入られる…。このコンビでの「楼門」もよかったが、その劇評に、「呂・咲とその下の世代との間にある大きな断層を今回はっきりと見せつけられたような気がする。これこそ義太夫浄瑠璃が迎えた究極の危機と言えるかもしれない。」と書いた。前述の三ツユリが再びその繰り返しでなければよいのだが。

「数寄屋」
 筋書きを変えたわけでもなく、ましてや内容は原作そのままであるのに、改悪とは言葉が過ぎる、との声もあろう。だがそうではない。肝心のおさゐの心情など、まるで訳がわからないものとなっているのだから。権三が姦通の「事実」を厳然と宣した時、おさゐは「さてはお前も私も人間外れの畜生に成つたか。いかなる仏罰三宝の冥加には尽き果てた。浅ましい身に成果てたか。」と、疑問つまり判断不能の混乱を、二度の「か」と「いかなる」という辞を用いて表現することになる。事実はもちろん、意識の上からも、おさゐは権三との姦通など全く思いもしていなかったことなのだ。ところが、ここを「ホウほんに、娘可愛い一念のいつかわが身の妬み草、あられもない夢うつつ、悋気嫉妬の浅ましや。いかなる因果の仏罰か」と変えているから、これはもうおさゐは、その言葉通りこの数寄屋で、娘を出汁にして権三と姦通したことになり、その犯罪の経緯を顧みて、たちまち我が身を反省してみせてしまうのだ。原作ならばこそ、ただ目の前に突き付けられた現実に対して、「エヽ是非もない」と切れてしまうおさゐが、一種凄みをもって迫ってくるのである(改悪はご丁寧にも「許して下され権三様」などと詫びる始末)。実際おさゐはその死の最期まで、この事態が自分から種を蒔いたものとは意識していない。上之巻で「子を寵愛のあひだてなく。時の座興の深戯も過去の悪世の縁ならめ」とあるのは、もとより地の文であって、いわゆる神の視点からの語りであるし、下之巻冒頭「辛気辛気の空悋気。つひに我が身の仇草」も道行文であって、語り手が聞き手に因果を含める常套句である(『天網島』道行「悪所狂ひの身の果は。かく成行くと定まりし」との詞章を、治兵衛がしおらしく反省していると取る人はまさかいるまい)。娘のことに言及するのは、ただ母性愛からであり、また、夫市之進との愛を確かめるためばかりであるのだ。第一おさゐが恐ろしいのは、不義者になることを拒絶する権三に対して、その「口惜しさ」を「三人の子をなした廿年の馴染」と天秤に掛け、比較にならないと言って退ける(原作「替へぬぞ」に対し、ここも「換へきれぬ」と納めてしまっている)のである。このように、おさゐという女の人物造形がまるで違うものになってしまっているにもかかわらず、原作(の脚色)というのは誠実ではなかろう。とはいえ、近松物の改作を否定しているのではない。「改作『重帯鑓権三』」とでも題し、その作が観客に受容されるのならば、一向に構わない。近松原作で通そうとするから、改悪という言葉を使わざるを得ないのである。
 綱大夫清二郎を聴いていると、それでも各人物の性情が破綻なく伝わってくるのだから不思議なものである。とりわけ権三の無念さはよく響いてきた。人形、浪介の勘緑はなかなかのものである。
 なお、この段冒頭の三味線の手は三重の、前段はソナヱの旋律を基にした創作となっている。次の盆踊り唄もそうだが、どうやら松之輔はずいぶん自由にこの「鑓の権三」を楽しんだようだ。ならばなおのこと、近松を基にした現代風改作でよいではないか。少なくとも人形的には面白い趣向満載だし、作品のプロットも詞章をタイル貼りにしてもなお興味を引くところが多いのだから。『曽根崎心中』同様、昭和の新作として堂々と宣伝するに限る。大近松というハリボテで覆い隠す必要などどこにもないはずである。

「伏見京橋妻敵討」
 ここは原作の「下之巻・権三おさゐ道行」からまず継ぎ接ぎして作ってある。ここに、「心も冴えて身も冴えて」という文句があるのだが、ここを太夫は前回も今回も「心も冴えて目も冴えて」と語っている。原作は「心も澄みて目も冴えて」であるから、「目も冴えて」で正しいと片付けることができればよいのだが、そうはいかない。「心澄む」とは「清らかな心境になる」ということで、「澄む」は「濁る」の対義語である。一方現代語でも「目が冴える」の意は明らかであろう。つまり、原作では、夫留守居のすべてを取り捌く昼間の喧噪から解放されると、夜独り寝に自ずから心が澄み目が冴え渡る。考え廻せば気に掛かるのは最愛の娘の夫定めのことばかり、という意味になる。ところが「心も冴えて」となると、ふだんは底に沈んでいる深層心理下の欲望をはっきりと意識し捉えるほど、心が鋭敏になっていると考えるほかはなく、そうなれば自然と「物好きも能く気も伊達に」「華奢細骨の生付」「三十七とは見えざりし」おさゐの、独り寝の疼きを明文化した「身も冴えて」が用意されていることに気が付く。「心も」「身も」と番えて「冴えて」で結ぶ一応の改変である。よって、「心も冴えて目も冴えて」とはまったく不可思議な言い回しであり、原作はもとより、おさゐ姦通の事情をわかりやすく提示しようとした改作の意も、到底伝えることはできない。また、原作の意を尊重するというのであれば、「心も澄みて目も冴えて」と語られるべきである。ひょっとして実は改悪台本自体が「心も冴えて目も冴えて」であって、それを活字化するに際し、担当者が常識的な日本語の感覚から、「心も冴えて身も冴えて」としたのかもしれないが…。これも三ツユリ同様、太夫の責任とするのは酷かもしれないが、原作尊重でもなければ改作本意でもない、まったく無意味な語りとして、晴雨表に記しておくことにする。両太夫とも学識ある人物であるだけに、納得のいく処理の仕方があるだろうと思われるからである。
 三輪の詞は利くが、原作ではこんな科白を言わせるはずもない。新も同断。南都は雰囲気を出そう出そうとしているのはよくわかるのだが、そう語れば語るほど義太夫浄瑠璃からは離れていく。「今日もまたここを伏見の宿借りと」以下、残念だが聞いていられない。その中でツレの相子・芳穂が将来を期待させるものはあると聞いた。三味線陣は宗助・弥三郎以下きちんと弾く。人形、玉女はこの昭和の新作用に用意された最後の見せ場を、見事に遣った。カッコイイ。一方、市之進の勘十郎には頭が下がる。おさゐの亭主がどのような心境でどのように妻敵討に臨むのか、忠太兵衛屋敷がカットされている(まあこの方が昭和の新作としては筋が通っている)ゆえに、観客はこの場の人形から判断するしかない。遣う方としては何とも困難を極める話である。が、そこを考えて遣うのが勘十郎の勘十郎たるところ。初日はむしろおさゐには感情移入をせず、ネムリ目で衷心衷情を堪え忍ぶという行き方だったが、後半では、心情をより前面に出し、原作「忠太兵衛屋敷」の詞章「その本望とは子供の母、我妻を斬る事を身の悦びになす事は、いかなる時いかなる悪世の契りぞと、思へばはったと胸ふさがり、鉄石のごとくなる市之進が心かきくれて、覚えず涙にむせびけり」や三人の子供の「権三めは斬殺し、母さまは息災で連れて戻って下され」との声を踏まえての、哀切極まりない表情を描出していた(ちなみに、原作のおさゐはここでも権三とは全く別に(とは言い条、逃避行中、枕は交わしているのである!)、実弟甚平に討たれるのを避けるため、権三が討たれる間も隠れ忍んでいる)。そして何よりも文雀師のおさゐが、前後整わぬ詞章の中にあっても、常に心が前に先へと動いてやまない、中年女性の熟れ切った言動をまざまざと見せてくれたのであった。

『五十年忌歌念仏』「笠物狂」
 二上リ、三下リ、俗謡あり、と景事である。それでもお夏狂乱の悲哀が伝わってくるのは、近松原作の詞章と節付けの巧みさによるものだ。もちろん勘十郎の人形もよい。とりわけ「梛の葉」から「偽りの御神」に至る表現は、見る者を慄然とさせるものもあった。ただ、段切の遣い方は「狂ひ歎く」とするには情感が別のところにあるようだった。床は英(ここだけとはもったいない)・呂勢以下、声もよく出、景事の華麗さを忘れず、かつ哀感を失わず、さすがに前段とは一枚も二枚も格の違いがある。三味線の喜左衛門は幅があるし、清志郎以下もよく弾き(龍聿はあれでよいのか?)、休演とはいえ二枚目は清太郎が座っていたのだから、やはり、床の重みは当然この一段の方に置かれていたのだ。追い出しが景事の場合、二度目の公演後半は失礼することも多いのだが、今回はもちろん、近松の名文という流れに枕して耳を洗う必要がある。そこまで考えてこの狂言にこの床の配置であるならば、大阪国立もなかなか味なことをするものである。


第二部

『嫗山姥』「廓噺」
  口、マクラの荘重、沢瀉姫の沈痛、女中の騒動と、足取り、間、カワリに心してよく勤めたのは呂勢・清志郎である。これで、局にもう一段の格が出て、姫のクドキ「どこをあてどに一筆の」の三味線は高く太夫は低く行く所がしみじみと滋味溢れれば言うことはない。「音曲の司」の将来を担う両人である。
 切は嶋大夫が八重桐のしゃべりからノッてきて、姫の詞も鷹揚で情愛あり、時行への皮肉が面白く、辱められての切腹も真実心に溢れ、と、段切まで堪能させてくれた。清介は、決して完全とは言えない嶋大夫をよく助け、浄瑠璃一段まとめ上げた。ちなみに、越路喜左衛門で聴くと、オクリ直後の時行の出でその性根がすべて描出されていたり、妹が平太を討ったと聞いての「時行はつと驚き」に近松物独特の言い回しが明確であったりと、義太夫浄瑠璃というものはまだまだ奥の深いなかなか大変な語り物である。
 人形は簑助師の八重桐に尽きる。師の遣う女形人形のすばらしさは、ここであらためて触れるまでもないことだが、以前は人形が文字通り師の掌の中で、鮮やかに人形(ひとがた)としてあたかも人間のように、その幻想的な美しさを輝かせていた。それが、大病ののちの今日目にするものは、遣う人間と遣われる人形という主体と対象の関係を超越した、我彼一如の境地、究極の無為の為の世界なのである。人事を尽くしたのち天命の致すところ、それは実に自然な姿で立ち現れてくるものなのであった。ノリ間の遣い方、足拍子もよく訓練されていた。「出入りの座頭按摩取」「馬ほどな鼠がくわへて駈出すやら」など絶妙で、鬼女となってからの「島田ほどけて逆様に」などは思わず嘆声を上げるところであった。さて、紋寿の時行はというと、「気さく者のとほり者」の表現、魂魄妻の胎内に留まれとの凄絶な死と、ツボを外さず年功を見せたが、近松の文章そこここに表現された性根の捉え方としては、今一つ表面を上滑りする感があったか。あと人形では、局の格に注意した亀次、敵役与勘平のカシラを遣って見せた勘緑が目に止まった。

『大経師昔暦』
「大経師内」
 松香が故相生やかつての咲が勤めた役場を任されるようになり、それをきちんと聞かせていて結構である。助右衛門に以春がよく映り、おさんと玉も描けている。これで、三下り唄から「元旦とこそ祝ひけれ」までのマクラが応えればすばらしいのだが。喜一朗はもう半沢の三味線である。
 奥が咲清治のコンビで、いい浄瑠璃に仕上がった。咲はすでに安心して聴いていられる域に達しており、つまりは実質切語りの大夫である。とりわけ初日は稽古工夫そのままの新鮮な語りで、段切までいささかのゆるみもなく、古朱に基づいた復曲近松物、地色の処理などさすがに亡父譲り、茂兵衛の一杯機嫌の言葉「というて盗みするではなく人の目を掠める事」以下など実に面白く、客席から飛び上がりそうになったほどだった。もちろんそこには三味線清治の、浄瑠璃一段の構成を飲み込んだ自在の撥捌きが光っているのである。

「岡崎村梅龍内」
 端場は千歳燕二郎で、このコンビも安心である。千歳の玉の表現、初日はいささか繊細に過ぎたと思われたが、後半はちゃんと強さが加わって問題なし。助右衛門のへらず口も、掛詞を意識したより鮮明な表現になっていて、実に感心した。
 切場は住大夫錦糸が、この長い愁嘆場を見事に聴かせる。とりわけ公演後半に聴いたときは、もう恐れ入るしかなかった。オクリ直後のおさん茂兵衛両人の出は、道行風の仕立てになっており美しい情感が漂う。元武士梅龍の背骨の通った諭し、玉の覚悟は四ツ間・クドキの定型旋律に乗せて清らかに語り出され、道順夫婦の出のカワリ、道順の嘆きがよく利いて、おさんのクドキも玉同様の節付けだが、こちらはよりしっとりと、しかも覚悟の決意は強く印象付けられる。悶える母、堪えかねる道順、客席はどこもかしこも涙に濡れ、劇場全体が一体となった。情を語る住大夫師ここにありである。錦糸の三味線も実に納得のいくうまさで、大名跡吉兵衛襲名はいずれ果たされるであろう。

「奥丹波隠れ家」
 納めの一段。後始末のようにも見えるが、作全体をまとめ上げる重要な巻である。正月とはいえ、山深い雪残る風情、田舎の百姓家と、伊達と清友の浄瑠璃はその雰囲気を十全に表現する。万歳も自ずから京の町中とは異なって聞こえてくるというものである。おさんの驚き、茂兵衛の不安、しかし覚悟を極めての潔さ強さは、そのまま心底の濁り無さでもある。捕り手の武士はまさに循吏列伝中たる人物、封建道徳への誤解は、現代日本の役人輩と比較すれば文字通り氷解しよう。それゆえに両人の健気さが一層際立つ上に、梅龍の無念が胸に突き刺さることにもなるのだ。これが伊達と清友の、誠実かつ血の通った義太夫浄瑠璃によって描き出されたのである。
 全体を通じた人形について。和生のおさんは文雀師の風格をよく受け継いでいる、あと少し。清之助のお玉は健気で清らか、より真っ直ぐなところを前面に出してもよかろう。勘十郎の茂兵衛は正攻法の源太カシラ、変に動くと性格造形が崩れるところをよく遣う。玉女の以春は陀羅助といえ大経師たる者、ただ、玉の言い訳に密通と立腹するところはもっと動いてもよい(ここは語りも同様)。文吾の道順、紋豊の母はともに映える。その点玉也の梅龍はいささか若いが、浪人しても侍の心を忘れずの張りとも感じられた。玉輝の助右衛門は受けを狙わずに手代カシラの卑俗で嫌みな雰囲気をよく出していて感心。あと役人の幸助が細部に目配りし行き届いた遣い方で好印象を持った。
 この作、おさん茂兵衛にいささかの罪もなく、というところだが、「奉公を出過ぎぬ気立」「茶屋の見世へ腰掛けず骨牌の打ち様存ぜぬ」の茂兵衛が「早天より暦配りて先々のびんび酒の麹の花」「一杯機嫌」を捉えた着眼、おさんに「今宵は玉の靡きやる顔で夜の明くるまで抱いて寝て、生恥かかして本望遂げたい」と語らせる近松はさすがに偉大なる作家である。
 なお、舞台照明について一言触れておきたい。「大経師内」では、おさんと玉の話のうちに夜が更けたことを見せたが、「岡崎村」では、月の出ぬ闇を描くことなく平板な照明をあてていた。さすがに影法師は印象的にしてみせたが、それが遅い月の出によって図らずももたらされたという、詞章中に近松が周到に用意しておいた仕掛けを表現してはいなかった(ちなみに人形陣は、和生と勘十郎ともに月の出を意識していた―東の方=影が映る反対側=客席側―)。本来はいずれも床の表現によって感じさせるべきものであろうが、照明効果というものを考えている以上は、統一感のある働きを期待したい。公演スタッフ全員が丸本を精読すべきことは言うまでもないだろうが。
 最後に、プログラムはずいぶん工夫され、裏表紙のツメ人形をはじめ、全体的に写真をうまく配してある。また、Y氏による鑑賞ガイドは今回も適切で(近松原作関連は除く)、とりわけ高木浩志氏の手による「文楽・知識の泉」は、すばらしい企画を立ち上げたものだと賞賛を惜しまないものである。窓口・案内係の対応も好ましい。大阪国立文楽劇場の努力に敬意を表する。