『義太夫秘訣』(岡鬼太郎)
袖萩祭文の段 P151
「走らんとすれど」は「親を柱」といふ例の掛調(かけちやう)なれば依然(やはり)「柱ン」と「ン」にて息を替えていふべし。
此外の掛詞(かけことば)も皆この心得ある可(べ)し。
小四郎恩愛の段 P153
「一陽の時を待つ平の時政」は家康当込みの文句なれば「時を松平」と云ふがよし。
喜内住家の段 P162
「身に曇のない言訳が為(し)たうても」と誰も続けて云へど爰は「身に曇りの」と切り「無い言訳が」と云はねば駄目なり。
揚屋の段 P168
「一字なりとも」の後は「継ぎの」といふ意味に語るべし。それには「間から」を切りて前に続くるを可(よし)とす。
随分煩(うるさ)き掛詞(かけことば)なれど書いてあつて見れば是非なし。
『文楽の鑑賞』(山口広一)
十種香 鶴澤友次郎 P195
それから、以前は「流れと人の簑作が」の「人の」で一応句切つて、ジャンと一撥入れてから「簑作が」と続けたものですが「人の簑作」は “簑”と人の“身”との掛け言葉なのですから、大掾師匠(越路時代)が団平さん、広助さんと相談して、こゝは句切らず続けて語ることに 改められましたものでございます。
堀川 豊竹古靱大夫 P421
こゝのお俊の「心はさうぢや泣いじやくり」は「さうぢやない」と「泣いじやくり」の掛け言葉です。これを大抵の方は「心はさうぢや」で一度 息を入れてチリチンと弾かせてから「ないじやくり」と語られてゐますが私は同じくチリチンと弾かせても、語り口は「心はさうぢやないじや くり」まで続けて掛け言葉の意味をハッキリさせてをります。
堀川 P44
お俊の「恨みを聞くも隔たる戸口、心はさうぢやないじやくり」も、「さうぢやない」と「ないじやくり」の掛け文句を、たいていは、こゝろはさう ぢや、合チチチン、ないじやくり、とやつてゐますが、私は、これも三味線は一しよですが、「ない」の「い」でゆりをつけて、こゝろはさうぢ やないイ−−じやくり、とつゞけていつて仕舞ます。さうやらないと掛文句の両方の意味が通じないと思ひます。・・・・ひとさんの捨てゝゐ るやうなところでも、私は拾つてゆきたいんです。
酒屋 P99
詞 オヽ道理じや道理じや宗岸殿と。跡は詞もないじやくり。となるのですが、こゝを「なアいイ」で、シユーツと三のスリ込みを入れて「 ヤ、オイ、じやくウウウり」と売りに行く人がありますが、それだと「じやくり」になります。私は、チンチン、チン、チン、チン・・・と「なアヽい イヽじやくウ・・・」までつゞけていつて、こゝでスリ込みを入れて「ウ−−ウり」とやつてをります。−−−スリ込みを入れない手もあります。
岡崎 P280
これは。これはと手を打つて。尽きぬ師弟の遠州行灯。掻立て\/打眺め。からあとは、稚い時に家出した弟子に図らず十五年ぶりに 再会して悦び合ふ師弟の情合を語るところですが、身の上を包む政右衛門、油断のない幸兵衛−−このあひだの二人の肚がなかなか むつかしいんです。「遠州行灯」が掛け詞になつてゐますが、「師弟のえん」で切りますと、あとが「しゆうあんど」になつちまひますので、 私は、チチン、つきぬしていのえエ−−んしゆう−−までいつてしまつて、チン、で息を引いて、あアアアアアん−−どオ、かアきたて、 かきたて、うちながア−−め、とやつてをります。
『浄瑠璃素人講釈』(杉山其日庵)
三浦別れ P8
『人もや』と云ふたら、掛文句であるから、止まって『三浦が、孝行の』と「ネバリ」て、乗つて語るのである、
『全講心中天の網島』(祐田善雄)
P73 小春に深くあふぬさの
小春に深く「逢う」と大幣の「大」とを掛けて語り、「おうぬさ」と太く神様の大幣を形容して、少し重く語る。
P116 どふ障子に移る二人の横顔
「どうしよう」と「障子」とが掛詞であることを示すように、「しよう」でちょっと切って、「じ」と続ける。
P116 心もせきに関の孫六
心が焦っている「せき」と「関の孫六」の掛詞はアクセントの扱い方に気をつけることが必要。
P202 おふ\/いとしや辻に泣てござんした
拍子を取って、「負う」と、あやす詞の「オーオー」を掛けて語る。
P214 七八五十六になるおば打つれて
「ム」七八で考える。この間で五十六になると掛詞がはっきり客に印象付けられる。
P288 よもや貸ぬと云事はない物迄も有顔に
「云事はない」と「ない物」との掛詞を忘れないように語る。
P404 上の町から番太郎がくる\/たぐる風の夜は
「くるーくーる」と「来る」を掛けて、しきりに咳をしながらやってくる気味。