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[245] 五月
薫風
昔の人の…
なつかしきとは我が身にナツクこと
勘定場 2022/05/01(Sun) 19:41 | 返信 | 削除 |
[244] 深淵
千秋様には今公演も劇評を頂戴し、
衷心より感謝いたします。
今回も鋭い知性と感性の働きがそこここに見え、
とりわけ呂勢の語りと和生師の人形に関して、
感心の至りでありました。
玉手の崇高とはまさにそれしかないと存じます。
勘定場 2022/04/18(Mon) 19:23 | 返信 | 削除 |
[243] 国立文楽劇場 令和4年4月公演 その3
‥が、しかし、‥。
この、自分の中に兆す中途半端な不完全燃焼感は何処から来るのだろうか。‥無論太夫のせいでは無いが‥。
 けれども「合邦」とはこう言う劇なのか?と言う根本的な疑念が沸々と湧いて来るのであった。とは言えもう段切りなのだ。どうしようもない。空虚な心を抱いて帰る事なるのだろうか‥。

と思って、段切りを聴いていると、不思議な事に中央の玉手の亡骸(人形!)に「崇高」の光が射して来たのである。
そこではっきりと、この「寅の年寅の月寅の日寅の刻」に生まれた玉手と言う女人は「崇高なる死」に向かってひた走ったのだと、合点が行ったのだった。
そう言えば玉手の人形は登場した時から辺りを払う威厳があり、淑やかさの中にも凛として、人間世界を半身超えている様な所があった。(吉田和生師の造形である。)彼女の全身全霊を懸けての「死」への突進故に「後を慕うて徒歩跣、」や鬼女の如き「支へる姫を踏み退け蹴退け、‥逆立つ髪は青柳の‥嫉妬の乱行」も彼女にとっては必然の行為なのであつて、日常的な真偽の次元などとうに超えているのである。
それ故に合邦ですら躊躇する止めの一撃を、自ら加える事が出来たのだ。「難なく切り裂く鳩尾、」。至高の場所を求めて。

「合邦」理解の一般的趨勢は泣き落としである。太夫も倫理観から玉手の行状にブレーキをかけてしまう。しかし和生師はそうしなかった。故に玉手は真の理解者を得て、亡骸になっても「崇高」の光に包まれたのである。

果たして「崇高」とはこう言う行為の極みにこそ現れるのだったと、粛然とした気持ちを抱いて帰路についたのでした。
       以上
千秋 2022/04/18(Mon) 19:14 | 返信 | 削除 |
[242] 国立文楽劇場  令和4年4月公演 その2
前  呂勢太夫
「しんたる夜の道」〜「かくとはしらで玉手御前、」、この辺りは隙の無い緊密な旋律の美しさに、ウットリするばかりです。この人の発音も明確なのですが、音と音の間(あいだ)は既に間(ま)となっています。
即ち空虚から充溢へと変化しているのです。過ぎた音の余韻と次の音への予感に満たされて、聴こえぬ筈の空白の間(あいだ)に潜勢力が波打ち、次の音へと駆け上がるのです。聴衆の耳はその予兆に揺らいで、聴こえぬ筈の音を聴いてしまう。間(あいだ)が間(ま)となる瞬間です。
それ故この人の形成する旋律は絶妙の音楽となって、聴衆を陶酔させるのでしょう。清治師の三味線が、この余韻と予兆を促しているのは勿論です。
 但し合邦とその女房では、その美質を発揮する事は難しく、玉手の「今までの屋敷風はもうおいて、」辺りで本領発揮と言うところでしょうか。
願わくばこの人の美質を全開させる演目で、ゆっくり陶酔したいものです。

切 呂太夫
切語りとして、この難しい「合邦」をどう語るのでしょうか。
 この人は女聲が綺麗で、浅香も玉手もすんなりと映ります。但し玉手は要所要所踏み外さねばならない所があるのに、遠慮がちでした。
しかし手負いになってからは真骨頂で、縷々述べる玉手の詞は高低、リズムとも的確で聴衆の心に迫り、それを受ける合邦の「オイヤイ」から「南無阿弥陀仏、」「悲しみ涙忝涙、庭に波打つばかりなり」の大落しに至る迄、呂太夫は清介の三味線と共に期待に違わぬ熱演を示しました。
千秋 2022/04/18(Mon) 19:12 | 返信 | 削除 |
[241] 国立文楽劇場 令和4年4月公演 その1
4月12日 第2部 「摂州合邦辻」

御三方が切語りになられた事をお祝いすると共に、取り分け待ちに待った切語り呂太夫の「合邦」と言う事で、期待して劇場へ足を運びました。


「万代池の段」(掛合)
三輪太夫の合邦は、概ね説明的でしたが、「悪身の教化」のおかしみは堪能できました。三味線と相俟っての躍動感は、確かに「奉加の銭のばらばらと、」を促すだけの値打ちがあります。
 俊徳の希、浅香の南都、入平の津國は皆あっさりと進むばかりで、性根が感じられない。
 ただ咲寿太夫は次郎丸の性根を掴んで面白く、しかも見物の反応にも敏感に対応していました。
この人は何か吹っ切れたようです。

「合邦住家の段」
中  睦太夫
出だしはそれらしく進むのですが、徐々に単調、平坦になって、「それらしく」はあっても「それ」では無いと言う隔靴掻痒感が強まります。「後に女房は御明かしを、」からの口説き言も、身に迫る程では無く、合邦の「涙隠せど悲しさは、声の曇りに顕れし」筈の声も曇っていないのです。 
 この人は発音が明確で、それは良しとして、音から音へ飛び移るだけなので凝縮せず、意味を形成する事が出来ない。音楽的に言えば、旋律を形成する事が出来ないのです。
 音から音への間(あいだ)に何があるのかを把握しなければ、このままでは聴衆を退屈させるだけになってしまうでしょう。
千秋 2022/04/18(Mon) 19:10 | 返信 | 削除 |
[240] 若い力
望月さん、
投稿ありがとうございます。

まず「熱感」が強く伝わってきたこと、
そしてハッとさせられる箇所が多々あったこと。
素人投稿とありますが、
なかなかの見巧者聞き巧者だと感心しました。

古典芸能には若い力が必要です。
これからも鑑賞を続けていただき、
その鋭くかつ柔軟な知性感性によって、
再び三度の投稿をお待ちしています。
勘定場 2022/04/17(Sun) 16:16 | 返信 | 削除 |
[239] 大学生ふたりの文楽鑑賞6
初めての文楽観劇はあっという間でした。
11時開演で終了後、スマホの電源を入れ、
時刻を確認すると14時過ぎ。
もうこんな時間!?とびっくり!
余韻に浸りながら、
あれがよかったこれがすごかったと二人で感想を共有し、
国立文楽劇場を去ろうとしたとき、
劇場前にある桜が舞っていました。
文楽「義経千本桜」という非日常と
現実世界が重なり合い、胸がいっぱいになりました。
本当に良い経験をさせていただいたなと思います。
望月 2022/04/17(Sun) 14:44 | 返信 | 削除 |
[238] 大学生ふたりの文楽鑑賞5
そして、なによりの喜びは義太夫節を生で聴けたことです。
日本語の面白さを感じました。
緩急が激しく、速いところでは、
子音が強調され音が跳ねるようにきこえました。
ゆっくりの所では
母音が残り、音が伸びました。
この時空間の動きを
江戸から、明治、大正、昭和、平成と超え、
今の令和の時代に体験できることに素直な喜びと感動を覚えます。
望月 2022/04/17(Sun) 14:43 | 返信 | 削除 |
[237] 大学生ふたりの文楽鑑賞4
さらに、人形の動きに独特さを感じました。
例えば、静御前が義経を思い泣く姿の人形の振るわせ方。
これは人間の姿を忠実に再現してるわけではありません。
しかし、不思議とリアルさを感じます。狐でも同様です。
特に人形遣いで印象に残っていることは、「止める」ことです。
義太夫の音楽性と人形の人間性も全ての場面が
つながり流れるように進みます。
しかし、その流れの中で小刻みに止まって、
くっくっと止まっていました。
その止める動作があるからこそ、
人形が独特な動きをしている上、
文楽ならでは空気を作る。
さらに、空間に区切りをいれ、瞬間をつくりだしていると感じました。
望月 2022/04/17(Sun) 14:41 | 返信 | 削除 |
[236] 大学生ふたりの文楽鑑賞3
次に、義太夫が右側から聴こえてくることについて述べたいと思います。
今まで授業などで見た資料映像では音も正面から聴こえるように感じます。
しかし、初めて生で観ると、その詞章や三味線の音が正面ではなく
横から聴こえてくることの重要性に気づきました。
それこそが人形に命を吹き込ませる要素になっているとも感じました。正面からは、つまり人形からは、無音なことによって
人形の些細な動きに注目できます。
しかし、義太夫と人形遣いの技量によって
あたかも人形が台詞を言っているような錯覚を起こすまで
文楽の世界に没頭します。
横に義太夫、正面に人形遣い、その技巧が交わる所に観客という類を見ない舞台構造。
これは実際に劇場に足を運ばないと味わえない、文楽の良さだと思います。
望月 2022/04/17(Sun) 14:40 | 返信 | 削除 |

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