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[205] 十二月
年の瀬か年の暮れか。
去年今年貫く棒のやうなもの、
これが一体何であるのか、
元の解釈から派生して捉える必要がありましょう。
変異しても正体は変わらずとか。
勘定場 2021/12/01(Wed) 17:56 | 返信 | 削除 |
[204] ご遠慮なく
伊賀様のご遠慮はご無用かと。
文楽鑑賞されての投稿に、
素人も玄人もございませんので、
披露と交流の場としてご活用いただければと存じます。
勘定場 2021/12/01(Wed) 17:54 | 返信 | 削除 |
[203] 拝見出来ないところが。
体力が無くなり、スケージュールの都合でなかなか
拝聴できない所もありますので、様子が分かり
とても有難いです。素人のフアンですので、
投稿もどうかなと思っております。
伊賀 2021/11/30(Tue) 17:52 | 返信 | 削除 |
[202] 両輪
今年になり千秋氏の劇評によって、
勘定場評の片車輪曲芸運転は、
ようやく両輪正常走行になったと感じております。
単眼視ではなく複眼視をと元より自戒しておりましたが、
一人二役はなかなか難しく、
その意味からも「音曲の司」の批評空間は、
これを以て望ましい姿となり得たと言えましょう。
勘定場 2021/11/28(Sun) 11:28 | 返信 | 削除 |
[201] 国立文楽劇場 十・十一月公演(十一月十九日) その3
これは「構造」というものが理解されていないからでしょう。けれどもこの人だけでは無く平成・令和の趨勢なのです。

然しながら、「浄曲窟」による若太夫の「松右衛門内〜逆櫓」を聴くと、浄瑠璃の構造が現れて来ます。とりわけ今回の公演では、畠山が登場するので、構造は一層明確になりました。

 若太夫には仰天。正しいか正しくないか。いや「善悪の彼岸」。野生
野蛮な生命力そのものの噴出はまさにニーチェ風に言えば、ディオニソスそのものです。「ヤツシツシシシヤツシツシ」と押しまくり、それに加えて、怒涛の三味線とくれば、「樋口かんらからと」出現するのは、超自然的な荒ぶる魂。根源的な力の現成。呆然とする他ありません。世界の深奥にはこんな力があるのか。我々は圧倒され、破壊される他ないのです。
然しアポロンの理性はディオニソスの暴戻を統御し、畠山は「文武」の力で樋口を搦めとります。このアポロン畠山を登場させてこそ、この「逆櫓の段」の構造は完結するのでしょう。
近世浄瑠璃作者が、何を透視しようとしていたかな明らかです。世界や人間存在の根幹に迫ろうとし、「構造」把握によって世界を理解しようとしていた事。又最終的には「樋口、樋口」と言う幼君による完き鎮魂。
この浄瑠璃「逆櫓」は、荒ぶる魂も無ければ、明晰な理性をも失い、鎮魂からも遠ざけられた現代人への強烈なアンチテーゼであると感じ入りました。
        以上
千秋 2021/11/22(Mon) 19:51 | 返信 | 削除 |
[200] 国立文楽劇場 十・十一月公演(十一月十九日) その2

 やはり呂太夫は女聲が素晴らしく、お筆が大変良い。「忝うござんしよ」の物腰は、淑やかさとはこう言うものかと納得する程。
 しかも「改めて申すも‥」からの長丁場の詞の論理を整然と帰結させるのに、聴衆を倦きさせる事が無い。間、強弱、緩急、旋律。お筆の心情が隈無く表現されており、深い満足感を与えました。
しかし権四郎は荒々しさが乏しく、樋口が正体を現す所も「荒肝とられ」る程では無いのは、やはり繊細と洗練が、呂太夫の真骨頂であるからでしょう。その代わり「たつた三つで南無阿弥陀仏」は哀切の極みでした。

「逆櫓の段」
睦太夫を聴くのは初めてですが、面白い結果を得ました。「それよ」と膝を打つ所もあれば、大外れの所もあって凸凹なのですが。概ね「地」が良く「詞」は落ちる。しかしこの人の気迫と真摯さは本物で「樋口かんらからと」などでは、ちゃんと樋口が鬼神として現れ、見れば、玉男は鬼神を遣っているのです。
この人の語りを聴いていると脳はハズレた所をつい捨象し、アタリの所を綴り合わせて面白いと思ってしまう。結構満足してしまう。
ひょっとすると、この人は、精進の仕方によっては大化けするかも知れないと思いました。
 しかし段切りは大外れで「我が身に辛き」のみならず、「枝葉を」まで念には念を入れてしまい、それこそ「今に残しける」。
千秋 2021/11/22(Mon) 19:48 | 返信 | 削除 |
[199] 国立文楽劇場 十・十一月公演(十一月十九日) その1
コロナも沈静化し、ほっとひと息。客席を見渡すと、文楽固定ファンは戻って来たようです。

「ひらかな盛衰記」

「大津宿屋の段」
千秋楽も近いとあって、靖太夫はもうお疲れなのか、声も嗄れ気味で余裕が無く、こちらが気を揉んでしまいました。多人数の語り分けや、思いがけない運命の襲来など、難しい場面の連続でしたが、絵解きに終わったのは残念です。

「笹引の段」
一転して咲太夫は時空を構成し、推進する強い気概を持ちながら、あくまで声は芳醇、旋律は流麗、流石です。山吹御前の「生きとし生けるものごとに」哀切。
 お筆はワルキューレ(戦乙女)の一種でしょうか。武家の女中としての淑やかさの中に「忠義」を発条に仇を「やはか助けておくべきか」と燃やす炎が凄まじくも美しい。
勿論これは偏に咲太夫の声調とリズムによるもので、お筆の「竹切つて」「亡き魂送る」笹引きをも前進させる力になるのです。
戦乙女と言えるお筆は人形の見せ場であり、なかなかカッコよかつたのですが、もっとキッパリ極めてもよかった。

「松右衛門内の段」
 中
なかなか語り分けが難しい場面。こういう船頭や近所の婆嬶の会話は希太夫には実感が乏しいのでしょうか。現代風井戸端会議の様でした。
 婿の松右衛門にしても
これでは、底を割っても樋口の出ようが無い。
千秋 2021/11/22(Mon) 19:46 | 返信 | 削除 |
[198] 貴重なご意見。
将来の観客である高校生は文楽にとって大切ではないかと思います。
今回の粗筋について、確かに必要かと存じます。ただ時間の制約もございますでしょうし、説明の人は出せないでしょう。鑑賞教室でのプログラムはかなり頑張っていますが、普通の公演では、なかなか難しいですね。事前に粗筋のプリントとか、何か工夫があると良いのかと
思ったり致します。
伊賀 2021/11/14(Sun) 18:26 | 返信 | 削除 |
[197] 眼力
団体鑑賞に遭遇された際のコメント、
鋭い視点からの的確な判断に恐れ入っております。
本公演でも団体鑑賞の際にはその場に相応の解説等を付けること、
最もかつ直ちに実践されるべき献策と存じます。
やはり通しでこそ人形浄瑠璃の結構はつかめるわけで、
第二・三部はその欠をプログラムや展示で補っており、
第一部もご指摘のような方策が望まれるところであります。
勘定場 2021/11/14(Sun) 09:42 | 返信 | 削除 |
[196] 11月11日蘆屋道満大内鑑の公演にて
もしかして今日は無観客公演に近くなるかとおもいきや、某名門大阪市内高校の2年生の団体鑑賞があり、盛況でした。
来場者数の内四分の三以上は高校生ではなかったでしょうか。退屈して騒ぐでもなく真摯に舞台を見ている人が多く、演者の方々は拍手も大きくやり応えがあったのではなかったでしょうか。
劇場側に考えてもらいたいものですが、これだけ若い人を動員するときは本公演でも割り切って文楽の解説・粗筋の説明を行った方がよいと考えます。通しで演じていないので話の起承転結がわからず興味が発展していかないことが多いと思います。観客としてだけでなく、担い手として少しでも興味を持ってもらえれば有り難いと思える高校生でしたのでもったいない。
 舞台は大家の方々の安定したところと、その他大勢に分類される人形の一人つかいのレベルの格差に驚きましたが、若い太夫と三味線でも調和すると心にしみいるものと思った次第です。
mejiro4231 2021/11/12(Fri) 10:33 | 返信 | 削除 |

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