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【 浄瑠璃月報 ラヂオ義太夫評 】
(2024.12.08)
提供者:ね太郎
浄瑠璃月報 九巻二号 1932.2.25
ラヂオ義太夫評
十 月四日FK、親はほや〳〵より段切へ、佐太村として相当語れてゐるまづ上の部である。白太夫もよいが少し若い、そして笑ひは梅王の如くなる(三宝取つて頂くにぞノウこれ今が別れかと)今少し情味をもつてほしい(あつたら若者殺せし)も工夫、撞木と代はるより弾語りのせいか絃との具合ひが少々悪いやうに思ふた。
十一月十七日FK単独、四段目の内でも至難なものゝ一つ、女子では迚も語られぬものであるが東広はこれをよく扱した、之れは多年の鍛練に依る声と力量のお蔭である、時間が延びたので琵琶の間で切られたのは惜しかった。
十一月廿二日FK、始終より段切まで、(見下げ果た女め、娘を連れて早く帰れ、花の井こちへ-)歩調が同じで重なる(此身でも)私でもがよい(国を出でゝ)節長し、地合に特徴あり且つ自分で語つてゐるのはよいが自家流になる所あり注意、大体に於て良く語り奥の方は雄大に上乗の出来であつた。(さはり集は次号に紹介す)
十一月廿五日BK、いつも珍らしいものを聴かしてくれる、それがみな善い物で駒太夫の得意とする語り物、何を語つても下手はとらぬこの大文字屋も各人物の表現巧く、義理と情愛の柵みを良く語つてゐるそして聴者の心を捉へる技能を持つてゐる。
十二月三日AK単独、明治座より中継の舞台放送、別れ行より茨まで市若丸なか〳〵良し語尾に注意を要す、板額と荏柄の女房の人形別けよく総べて明瞭に語つたは特秀である、清一郎も力一杯弾いた
◎市若切腹切 竹本土佐太夫(吉兵衛)
和田合戦女舞鶴三段目の切で並木宗輔の作、役場は越前少掾で東風の八釜しい物である。本題には同じやうな人物が一人宛出るそれが皆血筋が続いてゐて登場する市若丸と金さと丸、板額と綱手、浅利与市と荏柄平太は共に同じやうな人物でこれを一々語り分けると云ふ事は真に至難な事であらうと思ふ。土佐の口唇より出ずるそのものは我等の期待し要求するものであつた、与市の詞などちよつと言はれぬ事である、板額も絶品。
十二月六日BK、さはりより段切迄前を語らずさはりょり出たのは利口であつた、また徳である。さはりも瀟洒に口説も良く猿廻しは新造の絃と共に面白く語つてフアンを喜ばした、少し当て気味もあつたが先づ成功である勉むべし。
十二月十四日BK ★由良之助此助 巾もあり重量もあり役所である良く語つた(聞へたかい〳〵)は低い。★お軽 団司 迚てもよいお軽だ女義界での随一、一番良かつた ★重太郎 呂玉 声が太いので三人侍として少し貫目が過ぎた ★弥五郎 文奴は一等賞 ★喜多八の住龍も申分なし三人侍は良過ぎてゐる ★九太夫 鶴榮 相当語つてゐた ★伴内 雛駒 上乗である今少し軽妙であつたら申分はないが ★力弥 団国初 よく出来た子供らしい可愛いところがあつた ★平右衛門 東広 適材適所(ヤレ暫く〳〵)は傍に聴へたマイクロホンの傍で言ふたと思ふ、足れは矢張り向ふの方で言ふて、歩む間を置いて「由良之助様」とならねばならぬ、絃はいつ聴ゐても気持がよい。
浄瑠璃月報 九巻三号 1932.3.15
十二月十九日BKK、あら痛はしいより飛々に段切迄、女義太夫の特徴だ巧くぬいて語る、可なりの修養で稽古も積んだ良い芸である、人形もそれ〴〵扱し中将姫の苦痛もよし、語り振りに熱があり絃と共に感動を与へた、まづ成功だ。
十二月廿二日BK、只さへより見返り迄、大分鰭が着いて来た種が良いだけソツがない、先づ正確堅実といふ処、惜しい事には末だ年が若いモウ十年も仕たら我等が期待する情致を表現する事を信ずる
十二月廿六日BK中継、枕の状景十次郎の心情良し、皐月の苦衷を語る内に女丈夫の面影が窺れる、光秀は如何にも豪傑らしい詞の中に云ひ知れぬ妙味あり、十次郎の手負もよく流石良い事を云ふ。併し聴衆に受けるや否や、興行としての価値は如何であらう?
正月二日午後一時文楽座より舞台中継放送、錣太夫鏡太夫、文太夫、辰太夫、陸路太夫(友次郎、新左衛門、広助、勝平、綱右衛門、友作、吉左)文化元年一月御霊の文楽に上演されたもので春は万歳、夏は蜑の汐汲み秋は関寺小町、冬は鷺娘の四段返しで優雅な所作事であつて初春に相応しい景事である。これは三代目鶴沢友次郎(松屋清七)の作曲で三代目吉兵衛が改訂し、五代目友次郎の時より毎年正月一日一門相集り、式三と共に弾くのが嘉例となつて今日に至つたのである。
一月九日FK単独、娘はわつとよりかつぱと伏して迄(例へ)節を振るのは悪い(御無用、奥より言ふお石の詞)は共に低く傍で言ふてゐる如し、本蔵の手負を語ろうとするのは自信あつての事だと思ふそれだけの価値は認める、お石と戸浪は共に平凡である、今少し深刻な所がなけねば感動を与へぬ、彼様な所に久国の性格を表現してゐるのである、九段目を出し奥を語ろうとする勇気は感心だ。
一月十三日BK単独、その昔よりとび〳〵段切まで、生れながらに芸の恵みを享けてゐる人だ、奇麗な芸で厭な所が少しもない、そしてそれ〴〵の義理や人情の柵みを巧く解決してゆく所に見逃せぬ何物かゝある婦人として珍らしい技能者だ、最も至難な佐治兵衛、可憐なお梅のすがたお夏清十郎も美しく総べて秀逸の出来であつた。
一月十三日FK単独、鐘によりさはりの前後をぬいて落し迄、枕の状景、半兵衛とお園を良く語つた宗岸は少し執こい、さはりは先づ一通り、奥に至つては情味たつぷりで聴者を喜ばす地合に於て時代めく所多し余は別項の評を参照。
一月十九日BK文楽座放送、節季候の軽妙さ女房の素ツ気なところなど純粋の浪花ツ子で詞は巧いが余り短かくて便りなし。
◎新口村切 豊竹古靱太夫(清六)
地合の巧い人だから地節に於て言ひ知れぬ妙味がある、是れが氏の身上であり古靱フアンの随喜する所である。女房は一寸預つて置いて忠兵衛と梅川の浮いた沈んだの心の変りや、孫右衛門の子を思ふ至情なぞは存分に語つた、流石松太郎氏に研究した丈けの甲斐はあつた。扨て新口村として世話物として考察する時は如何であろうかアヽ引締めて語る声調が硬くて時代調となり、世話物の要素たる淡彩に乏しい作は悲しく出来てゐるが節調は総べて派手である、梅川といふ浮河竹の女性の述懐や繰り言を序述するさはりは如何にその至難な矯姿を描出するかゞ問題である、この点に遺憾があった。
一月廿三日AK、歎きの数々より段切(言ふまでもなけれど-)重兵衛の詞高い(此印籠はどうやら-)詞で云ふのは不可(なまろ-ぞや)(よう聞かしやれや)引張て上げる大変妙な事を云ふこんな所沢山あり相当技倆はあるが文意も何も考へず、自分で造らへて間も足取りもなくテツも多く、甚だしいお粗末なものであつた。