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【 安藤鶴夫 人形価値の暴露 】
(2023.01.19)
提供者:ね太郎
太棹 92号 10ページ
人形価値の暴露
安藤鶴夫
押しつまつた師走の廿三日の晩私は新橋演舞場へ出掛けた。即ち「大阪文楽人形、新橋各派合同興行」なるものゝ、清元、長唄、常磐津に依る「文楽人形」を見るが為である。
これは事変の為に、例年の東をどりを遠慮しで秋の公演を中止した、いはゞその変体興行で、十九日から五日間開かれた新橋芸妓連の浚ひである。そしてこの試みはこれより先き十一月廿六日長唄の新人杵屋弥十郎が、仁寿講堂に於ける第一回舟蝶会に、紋十郎の人形に依つて「道成寺」を演じた試みの模倣で、今度は文五郎迄も加はつて十数人の文楽座人形遣が大挙上京して、以上三つの他流の山台に対して人形を遣つたのである。
私は丹蝶会での「道成寺」を見なかつたので、その千秋楽の晩にひとり重い気持ちで、演舞場の華やかな空気の中に、開幕のベルを待つてゐた。
文楽座の人形遣が、何故他流の為に人形を遣つてはいけないのか。
例へば伝統を破壊するから。
さうした理由が、すぐ皆の口をついて出る。
勿論人形浄瑠璃のやうな古典芸が、伝統を破壊する事の恐ろしさは解つてゐる。
が、たゞそれだけだらうか。
たゞそれだけの理由では、私は何故か、もの足らぬものがあつたのである。
私はさうした問題の答案を得たいばかりに、少しも気の進まぬ「大阪文楽人形、新橋各派合同興行」なるものに出掛けたのであつた。
そして、そこで私は、例底書き尽す事の出来ない程の、沢山のまた新しい問題を得た。そしてまた多くの答案も得たのである。
先づ、古い伝統ある文楽座の人
形が、こゝではスペクタクルとして取り扱はれてゐる事を、私はなにより悲しんだ。しかも永続性のない、一時的の見世物として取り扱はれてゐる事を、こよなく悲しんだのである。
永続性のないといふ理由は、間拍子も、呼吸も違ふ清元、常磐津等といふ江戸浄瑠璃での文楽人形が、如何に無残にもたゞその形骸だけを舞台に晒してゐた事か。
演奏する精神が、全然義太夫節と異つてゐるそれらの江戸浄瑠璃に依つて演ずる人形が、如何に価値のないものであつたかといふ、いはば人形の今迄秘められてゐた馬脚が、そこに厳然と示されてゐたのである。
弟子の紋十郎のツマに東京くんだり迄連れ出されて、為す事もなく徒らに俯向いては、懐手をしてゐる文五郎の与右衛門の哀れなる姿を見よ。或は掛声沢山に、ぢたばたしたあの文五郎の幕切れのケレンを見よ。
如何に器用ではあつても、三つも立て続けに踊らされた紋十郎の人形が、どんなに悧巧にその欠点を見せまいと努力しても、同じ振りの繰り返しで、人形の芸の底を惨めにも暴露してしまつた事か。
そして、これは人形がそれ程の価値がないのにも拘らず、今迄分に過ぎた過褒を受けてゐたといふ事の暴露でなくてなんであらう。
私は最初の「かさね」の中途で既に飽き〳〵してきた自分を発見した。
今日、義太夫節がどんなに堕落したといつても、それは腐つて鯛である。
敢て津太夫、古靱太夫、駒太夫とのみはいはない。大序級の人達が語るそれらの一寸した端場でさへ、義太夫節に依る人形芝居なら、例こ随分人形はする事のないつまらぬ場合でさへ、決して退屈はしなかつた。
私はさうした場合、常に人形の芸にも尊敬を払つてゐた。つまらぬ端場でさへ、歌舞伎より面白い理由の一つに、人形の芸を算へてゐたからである。
が、今度の他流に依る人形芝居によつて、私は最早や人形への尊敬を悉く失つてしまつた。
私は文楽座の人形が、私の考へてゐた程立派な芸ではなかつた事を知つた。同時に、文楽座の浄瑠璃は、私の考へてゐた程酷いものではなかつたといふ、新しい発見
もしたのである。
腐つても鯛である文楽座の浄瑠璃に対して、大衆はその真価も知らずに、文楽といふと、人形を過大に褒めるのである。
本城の文楽座がニユウス劇場になつて、土足で荒されてゐる時にかうしてはる〴〵人形のみが演舞場の華やかな舞台に買はれて来てゐる一事を以てしても、如何に人形だけが愚劣な大衆の一部に重く見られてゐるかは解らう。しかも「新橋各派」なる一流の芸妓連の芸が、どんなにあの人形のどたばたの為に消されてしまつたかを誰が知つてゐるだらうか。
そして人形は人形で、かくも悲惨な一時的の見世物に扱はれてゐる事を、誰も悲しみ怒らうとはしないのである。
仮りに、今度のこの試みを栄三に持つていつたら、果して出演したであらうか。恐らくそれは拒絶された事と思ふ。
何故か。
仮りに、今度のやうに他流の清元なり長唄なり常磐津なり、或は新内なり浪花節なりの人形芝居の一座が、永続的に開演される事になつたら、そして今日の文楽座以上の生活保証を条件に出されたら文五郎、紋十郎その他これに同行した他の人形遣達は、恐らく自分達の人形を持つて、早速そこに走る人形遣ではあるまいか。
そしてそれでよいのか。
正しい人形遣が他流の為に人形を遣はないのは、自分達の人形は自分達の芸は、義太夫節の為に生れて、それに依つて育てられた人形だと思へばこそである。芸だと思へばこそである。、
即ちこれは、義太夫節に対する尊敬の現れに他ならない。
今度のこの試みに依つて、人形の芸がこれ程価値のないものであるといふ一事と、人形遣の自分達のやつてゐる芸に対する哀れむべき無自覚とが、こゝに改めて暴露されたのである。
但しこゝに、文楽座では食へない、生活の為になら止むを得なからうといふ問題は、当然起つてくる筈である。
今日の文楽座のやうに、僅な打ち日で、松竹といふ興行主からいひわけ的にお茶を濁されてゐる状態では、この問題は当然起る筈である。
さうした理由からならば、私はなにを好んで、かうした不愉快な文章を書かう。
生活の為になら、それは止むを得ない事である。
が、それは飽く迄止むを得ない事であつて、その場合自ら生活の為にするといふ謙虚な、つゝましい態度がなくてはならない。
よき新劇俳優丸山定夫が、生活の為に、エノケソの一座に加入して、浅草の舞台に立つた時、誰が彼を責めたか。
生活の為に自己の誇りを捨てゝレヴユウの馬鹿踊りの一座に加はつた彼の場合には、悲しい謙虚な姿が見る者の心を打つたからである。そして今度の新橋各派の合同興行なるものに出演した文楽座の人形遣達はどうであらうか。
舞台に溢れたあの得意然たる態度、あの晴がましい態度、あの思ひ上つた態度。私は不幸にして何処にも、微塵、さうした生活の為に芸を売るといふ謙譲な態度は見出せなかつた。
浪花節の出語りで客がくるなら自分達の人形を持つて早速そこに節劇の為に出演する人達でなくてなんであらう。
清元「色彩間苅豆」の一幕が終るか終らないうちに、私は忽ち問題の答案を得た。
人形浄瑠璃は、飽く迄義太夫節を尊敬しなくてはならない。
嘗て東京に文楽人形浄瑠璃擁護会なるものがあつた。
文楽座の浄瑠璃に対しては、何等積極的に働きかけた事は聞かなかつたが、人形に対しては、それが如何に国宝的な芸術であるかを強調して、事毎に人形遣の擁護をした会である。そして今日どうやらその会は消滅したやうである。人形遣に洋服を着る事を覚えさせて--
といふことは、時世に押し流されて、さびしくとも無邪気に暮らしてゐた人形遣を、突然思ひ上らせてしまつたのである。
自分の持つてゐるものゝほんたうの価値を知らない松竹が、あわてゝ、毛唐が来れば、へい国宝芸術でございと見物させる。今迄見向きもされなかつた人形の型の質問もされる。
「我々芸人」といつてゐた人形遣が、忽ち「我々芸術家」といふやうになつた。
義太夫節といふものがあればこそ、その存在を示す事の出来た人形が、忽ち思ひ上つて、自分の芸をびか〳〵とひけらかすやうになつた。
この禍根が今日の文楽座の人形には深くその根を張つてゐる。
私の得た答案は、今度の試みに依つて、生活の為にするといふ謙譲な気持ちどころか、その反対に新橋の芸コハンで人形遣ふて来ましてんと自慢する、この過れる人形遣の思ひ上りが、如何に今後の文楽座の舞台に悪い影響を残すかといふ事である。
それ程に価値のないものに対する過大な自信こそ、芸の上になにより戒めねばならぬ事でなくてなんであらう。
今こそ私は、義太夫節を愛すればこそ、人形浄瑠璃を愛し、悲しみ、そして義憤を感じたりしたといふ事を、改めて私自身知つたのである。
義太夫節の演奏に依る以外の人形などには、最早や私は少しの関心もない。
少く共、かうした義太夫節を尊敬する事を忘れた人形遣の為めには、私はもう何等の義憤も感激も持つまい。
寒い晩であつた。私は外套の襟を立てると、自動車の織なした演舞場の通りを、さむ〴〵とした心持ちで、ひとり銀座へ歩を運んだのである。