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【 田中煙亭 だがしかし 私のプログラム 】

(2025.02.18)
提供者:ね太郎
 
 
 太棹 87 6ページ 1937.6.30
 
だがしかし 私のプログラム
   田中煙亭
 
 たとへそれが、大入の景気に付上つての日延興行にせよ、文楽三巨頭が揃つてゐて、忠臣蔵の通し、と銘打つて。九段目を出さないのは怪しからぬ、といふのが、今度の非難であり、問題であるが、無論、尤も至極の非難であり、又た、問題とるなのも、当然過ぎた当然であらう。
 だがしかし、松竹さんの興行方針は、何でも彼でも、お客さへ来ればよいし、連中さへ拵らへて呉れたら、それでよいのであるから、非難するのが、野暮であり、問題とするのは莫迦気てゐるのかも知れないのだ。
 だがしかし、津太夫は、チヤンと九段目の床本を持つて来てゐたといふ話、その紋下が当然過ぎる当然を、仕打の命令通り、カケ合の由良之助で納まりて、抗議一つ持出せないといふのは、紋下の権威いづこにありや、と言ひたい処です。人形が無いから、といふ言訳も聞いた、飛行機で取寄せれば間に合ふ、といふ元気なフアンもあつたとの話。又、その津太夫が、此の秋に東上の時、必らず九段目をお聴きに入れます、と言つたとやら、忠臣蔵の通しを、初夏から秋へ、連続で聴かせるといふ珍妙不思議な言訳も、後世への話しの種だ。
 だがしかし、仕打の方から言へば、イヤ仕打の言訳を想像して見ると、時間の都合、といふのが第一であらうし、前語りの連中に、それ〴〵役をつける関係、といふのもあらうし、追出しに道行が賑やかで好い、といふ建前もあらうし、と数へ立てれば、いろ〳〵御尤な理由もあらうといふもの。
 だがしかし、あの立て方にした結果が、古靱太夫に、端場にも等しい三段目の喧嘩場などを、早い時間に語らせる事になり、三千以上の組見をこしらへた古靱会の人々を驚かせ、困らせる始末になつたなど、とにかく今度の忠臣蔵は失敗であつたことに間違ひはない。
 素人考への、私のプログラムによれば、開演時間の二時半を二時に繰上げて、大下馬先の場と五段目の山崎街道をカツトすれば、九段目を出す時間は出ると思ふ。そして、本蔵松切りを呂太夫に、刃傷を大隅太夫に、四段目を古靱に、二ツ玉を新進の源太夫に、身売りを相生太夫に、勘平切腹を錣太夫に,一力はその侭の三巨頭顔合せとして、八段目の道行を土佐太夫、吉兵衛に頼んで、切りへ紋下の山科、といふ事にする、どうでせう。道行をカケ合にせず土佐老を煩はすといふ破格と、追出しが淋しくて遅くなるといふ苦情もあらう、それよりも、三味線の紋下、といふ友次郎の出場が無くなつてしまふのは困る、といはれるが、これは私は七段目の全部を友次郎に弾かせれば可いと思ふのである。無論、後の祭りなり、又た円満に通過しさうも無い案であらう。
 だがしかし,忠臣蔵を出して、九段目をオミツトするといふタレ義太式の破格、堕落を敢てする今日の文楽である.、躍起になり、ムキになる方が野暮であり、コケである。唯私は、もう二三年後の文楽がどういふ風に崩れゆき、腐り果てるかゞ、眼に見えるやうで、ムキになり、躍起になる人々を気の毒がるよりは、関係当局者の方が、不憫で〳〵ならないのである。をはりツ。