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【 中野三允 通話会劇 】

(2025.02.11)
提供者:ね太郎
 
 
 太棹 3号 23ページ
 
通話会劇
   中野三允
 
 当昭和三年八月二十七、八、九日の三日間午後二時から明治座で開演、一番目「敵討天下茶屋聚」、中幕上「青山播磨」同じく下「摂州合邦辻」、二番目江戸育お祭佐七と四つとも揃へも揃つて殺害芝居、そんなことは何うでもよいとして、同劇は皆素人放れがして、而かも鈍帳臭くなく、偶々半熟があつてもそれがまだ玉子と来て居るところが納得される、特に田村西男なんといふ古強者は明治年代、中州の真砂座あたりで狭衣や故贋阿弥などゝ同座して敏腕?を振つた以来の余が贔負の一人、或る時は何の芝居だつたか忘れたが、俳諧師の役になつて、「趣味がない」とか何とか、当時吾々俳人間で口癖にして居るところをソツクリ舞台でやるので、無暗に嬉しく為に異例の喝采を送つた記憶が蘇る。
  初汐や中洲の芝居夜を景気  三允
 などゝいふ句も其当時の吟であるのだ。
 三宅孤軒、田中煙亭(元と塵外と号す)等は、俳句の上で、これ又た明治時代からの旧馴染、其他の名優一々は断らぬが、種々なる機会で承知して居る。
 二十八日天下茶屋三幕目「天神森返り討の場」から見た、五人の持役皆よし、煙亭が伊織の顔の作り、面長なので鬘との調和がとれ、それに声が如何にも若々としてゐた、扨て筋書について一言するが、伊織がゐざり寄つて西男の三郎右衛門のうつかりしてゐるところを右の小手に恨の一太刀を浴びせる、それが浅手であるとはいへ、花道の引込みに疵を押へてギツクリと極まる丈では物足らない、その一太刀を功果づけるに大詰本懐の場で三郎右衛門のセリフとして、疵は癒つたが、時々痛みを起す、今も生憎く痛いので十分に刀が揮へない、併し何程のことやあらん、三人共に返り討ちにしてやるといふ意味のことをいはせたい、又た南花の掃部之助も、ただ元右衛門を討取つたと告げるのみでなく、元右衛門の首を此場へ携へると、三郎右衛門の勇気をくぢくと共に源次郎、染の井、葉末をして愈々力強く感ぜしめる、そして槍なんかつけることを止めて、いざといふ時には助太刀するぞと槍を構へてゐる丈の方が内容が充実すると思ふ、
 「青山播磨」に於ける孤軒の播磨、きみ子の腰元おきくが左団次と松蔦の意気ソツクリとは誰もいふところで、改めてこゝに書くのが気のさす位よくも手に入れたものだ、尚此脚本は申分のない出来だ、ただ筋を運ぶ方から考へて無理もないのか知らのが、山王下の衝突の場で、南花の後室真弓が仲裁した後、駕に入つてから、播磨が未だ独身故喧嘩などするのだから、嫁を貰へといふのはよく〳〵の喜劇式で面白くない。そんなことは一言もしなくとも、後にお菊のセリフで十分納得は行く、若し何とかいはなくてはとなら、あつさりと只だ「独身だから」といふ丈けに止めたい、
 「合邦」もよかつた、併し余は新橋演舞場で文楽の人形を見たばかりな為めツイそれと較べたくなるので何うも……が実際鳳仙の合邦も、南花の玉手御前竹魚の俊徳丸も十分である、鳳仙について思ひ出すのは吉原引手茶屋西の宮のお楽、後に待合鳴子の女将の記事を国民に連載したことである、其後お楽も中気で死に、鳴子の襖にかいた鳳仙の鳴子の画も仮りに震災まであつたとしても、必ず焼けてしまつたであらうが、今は頭を丸めての合邦役が若い時は隅に置けなかつたものだと、芝居と事実をチヤンポンに余一人に丈けは受取られてならなかつた、呵々、次は舞台装置について一言するが、蓮の花の真盛りなのは役々の重ね着して居るのと対照してドンなものだらう、赤い花青い葉で舞台を引立てやうとするのか知らぬが寧ろ之れは枯蓮にした方がよいと思ふ、その方が枯淡の趣を加へて合邦の住ひらしくなる、西男、孤軒煙亭等は俳句の方から、モツト季節感念に注意して却て本職の役者をして学ぶところあらしむるがよい、すれはそこに素劇としての通話会の長所か発揮されるのだ、
 「お祭佐七」は素劇には持つてこいの狂言だ、賑やかに大勢を舞台に出して邪魔にもならず、清元連中は霊巌島の芸者と来てゐる、猿冠者、藤亭其地の役々にも一々敬意を表さねばならぬのだが、お世辞でなく皆よくしてゐるのだから、それで諒承して貰ひたい、二階に飾られた贈り物の内沢田として通話会諸先生へとある沢正の花輪が眼を惹く、沢正も舞台以外に何かと心遣ひが大変なものだ、
 休憩中中島操中将(陸軍)と逢つた中将は余の碁敵である、佐賀県の出身なので、万朝の記者で鳴らした、同じく佐賀県の出身故園城寺清君の子が蔦谷きよみで、徒弟関係にある叔父さんが田中煙亭だ、きよみ後援の催が昨日あつたのだが、昨日は都合が悪かつたので今日来たのだとのこと・・・・・・戻る時に下駄を取り代へられてしまつた。
 
□芳河士付記===通話会では三階の切符は売らなかつたといふことだが、そこが通話会だと言ひばそれまでだが、三階のがら空きは見た眼に景気が悪くていけない、次回には何とか考慮の必要があると思ふ、つまり、一階二階の切符を引受けた人に三階の切符を、ある限りの数丈けつけてやるとか、青年団とか若くは他の可然団体を招待するとか、そんな風にするのも悪くはないと思ふ。