寄席めぐり

 
寄席めぐり(一)
 
一夕の義太夫曲、聴かんとて行く客は何れも愉快を買はんが為め、其曲の巧拙は素よりなれど、其寄席の善悪も亦大いに心持ちの快不快に関する所なくんば非ず、寄席の状況を記して、事の茲に及ぶ、豈一ツの興なきにあらずや、

△東橋亭(浅草花川戸) 所謂睦五席の一ツにして席主は加藤鉄造と云て素は竹本倭太夫といふ本場所の文楽にも一度は出勤したといふ果が縁浅からぬデン/\席の主人(あるじ)とは成たる者、久しく斯道組合の役員にて有しが昨年の暮病死せし跡は清(せい)どんと云ふ老練の番頭が如才なき切盛りに依然として入のあるは感心なり、左程広くもなけれど高座の廻り舞台が都下唯一(ゐいつ)の特所にて客に飽さぬ代り出方に幾分か忙がしき思ひあるべし、高座の上に「感情和気」と題したる額は甚だ結構な語なるが能く/\落款を見れば上野の三橋の牛肉屋、快養軒主人の筆には驚きたり、偖こそ気を和らぐの二字牛肉の滋養をほのめかしたるもの歟、張出しには定員三百云々(しか/\)とあれどウント詰めれば確に七百(そく)の頭数は数へ得べし、茶番女中の掃除行き届くと見えて柱、板間、さては梯子段のツヤ/\として清らかなるは心地よし、殊に夏向きは風通しよくて納涼(すゝみ)ながら妙齢の花方がサワリの艶(つや)を聴くも甚だ愉快なり、尚この席に就て芸人の為め喜ばしきは席に付きし客のある事にて、定連以外の得意客、誰が掛ろうと聴に行くといふ客種が多き故、如何なる風雨(しけ)の夜にても五十(かたご)の客を下りし事なしとぞ。

△宮松亭(茅場町薬師境内) 是れぞ是睦席の親玉とも謂ふべきもの、其親玉の輝く威光は大したものにて何時も出方の顔揃はぬといふ事なく、顔が揃ふから客も来る、客が来るから割が揚る、割が揚るから出方が掛りたがると言た様な訳なり、畢竟(つまり)茲が睦席の難有味なり、何は兎まれ席の広きことは若竹(ほんごう)と当亭(こゝ)なるべし、客留の札を出す時は正さに千人の頭は場内に蠢き居ると知るべく、お膝送りの声を聞く時は確かに其夜の番組は出し切りとなりしと思ふべし、客に中売り茶番の女中と懇意の者多きは馴染多き所以にして、客種も七分通りは米屋町連、若しくは株式仲買筋なり、楽屋は二階と下の二室(ふたま)に別ちて真打モタレは階上に澄し込み、口語りのワイ/\連は高座の横手に割拠する事なるが、余り広からざる室なれば出方多き場合には三味線の天心にて結立の髪を引掻ける心配あれば出方は注意する事なり、何が偖て売込みし当席の事とて客に不平の声を聞かざるは席主の如才なきにも依るべけれど第一は出方が、席が席だけに腕にヨリを掛けて勉強するからであると某寄席通の言つたは至極道理ある言なり。
【義太夫雑誌 53:16-17】
 
寄席めぐり(二)
 
△若竹亭(本郷竹町) 是も所謂睦席の一席、一昨年の火事に類焼したるも間もなく新築以来は先づ以て都下一二の好席に数へらるゝだけありて広々と心地よく、広間の障子を開放(あけはな)し三方の二楷に客を満す時は優に千余の頭を数ふべし、向ふ正面の楷上は稍々太夫の音声達する事鈍きを以て左右の階上満員なる時も正面は何時も後の方に余地あるは理りなり、席主は如才なく時に印半纏を着し中売下足等と打雑りて立働くなど善き心掛けといふべし、出方は睦席の事とて自由自在に人気ものを網羅するは睦以外の寄席の及ばざる所にして、勢ひ客の来らざるを得ざる寸法にて出来たる顔触の美事なるは是れぞ睦席の専売にして蓋し専横などゝ憎まるゝ所以ならんか、

△新柳亭(両国) 睦五席中見掛けは一番小なれども客を詰込む事甚だ巧みなり二階床の支へにしたる客席の鉄棒(てつ)の柱は少々目障なれど凭掛るに頗る都合よく居眠りを誘ふには屈強の道具なり、定連席は茶番の方に寄りて定められたるには非ねど、其処に積み累ねたる座布団を楯にドウスル連の隠れ場所とも見受けらる、当席の昼席には何吉、何八などといふべき柳橋の美拍子時折客席に花を彩る事ありて景気づけには甚だ好けれど席亭は飼置きある狆が客席を駈歩きて土瓶茶碗を跳飛し、菓子など蹂躙(ふみにじ)るは大いに閉口、是等は宜しく茶番の姐さん注意されたきものなり、

△立花亭(神田通新石町) 不談糟粕嚼沈麝と題したる高座の額は何れかと言へば落語に意味ありげなる語なれど義太夫と落語と大抵等分の興行なり、近頃(きんらい)新築後めつきりと好席となり、楽屋、便所の工合も甚だよく、芸人の出入も自由に裏口より出来得るは至極妙なり、当席(こゝ)も例の五席の一にして出方に不足を感ずる事はあらざるなり、

△鶴仙亭(京橋南鍋町) 木戸に構へ居る娘の阿仙(おせん)ちやんとやら云ふ美形が「入ツしやい」の声愛らしく客種も所柄とて悪からず、此程修繕せし天井の広告は一寸変りて面白く、其数多き屋号を見ても同席の如何に贔屓に富めるかをも知らる、楽屋も二楷と下との二室(ふたま)ありて御客大明神と画きたる掛額など中々愛嬌なり欲には夏向き今少し風通しを宜くすれば申し分なからん。

△日本亭(神田五軒町) 庭園(にわ)の広く立派なること恐らく都下の寄席中第一等なるべし、夏の候(ころ)、庭の飛石に座布団を敷て涼みながら聴居る客あり、客席は然程(さほど)広からざれど聴き工合よき好席なり

△小川亭(神田小川町) 場所柄とて書生客の七八分を占るといふ女義太夫向きの寄席なり、楽屋より高座へ通ふ間を客席よりチラ/\と見受らるゝは甚だ目障りといふべし、左に寄りし客席は煎豆屋の二楷に当る故夏向きは中々暑く、然(さ)なきだに熱心なる聴客に一しほ汗を流さしむるも可笑し、

△祇園亭(中橋) 江戸の真ン中橋(なかばし)に在るだけ何処からでも足場は宜(いゝ)が其割に出方の揃はぬは蓋し睦席以外の故なるべし、客席は平ぴツたく稍々天井の低き感あれど、義太夫を聴くい別段差支へはなし、併し高座楽屋の工合から考へても素浄瑠璃よりは人形芝居を演ずるに至極適当の寄席なり、

△吹抜亭(下谷池の端) 古くより続きたる寄席にて構造余り弘からざるも鳥渡体裁よき取廻しなり、夏向廊下の障子を開放(あけはな)して庭より飛石伝ひに楽屋入りする美形を瞥見するも一興だと言ふ客あり、該席(このせき)は下谷拍子時に定連席へ出張して絶へず鬼灯を鳴し居るは甚だ煩さし、高座に掛けし宝丹筆の「金玉満堂」はキンチヤン満堂の方寄席には適当ならんかアハハ
【義太夫雑誌 54:12-13】
 
寄席めぐり(三)
 
△小金井亭(芝神明前) 昨年修繕(ていれ)せし事とて中々立派の寄席となれり、階子段(はしごだん)の広く且つ体裁よりするも女郎屋か料理店へ登る心地せらる客席もまづ広き方にて見る物凡て新らしければ座り心も何となく宜(よ)し、後の桟敷には時々神明芸妓の濃艶(なまめか)しき姿を見受く、去ば色気あるドースル連は内々張り・・・否拝顔かた/\得意の胴魔声乃至は手拍子を試みん為押登(あが)る輩多しと。此処一挙両得といふ迷案ならん?右手の長き廊下を突当たれば楽屋にして不案内の出方なぞ出入の際便所行の階子段(楽屋の直(ぢき)手前)へドシンと一ト足=誠に喫驚(びつくり)する事ありとか、尚当席には芸妓の贔屓連多しと云ふ

△萬年亭(赤坂一ツ木) 雀海中に入りて蛤となるを綟(もじ)つて相撲寄席を開て齟齬(ぐりはま)と成とは悪き洒落なるが、近所に義太夫席なきに何時も不入勝(ふいりがち)なるは土俵の上の勝負と客を相手の商売とは呼吸の変りし故には、去(され)ど妻君(おかみ)は芸者上り丈に客の取扱ひは甘(うま)ひ者とか、客席は狭く家は古くお負(まけ)に電灯の薄闇きには閉口楽屋は至て狭く出方多き時は口語りの居所なく荷物の影、高座の後にウロ付居るも可笑し、額は醍醐公爵の書と柳太夫の画とを掛く、尚俳優落語家等の比羅若しくは水引多く、割合に客種の能く聴者の静なるは嬉ばし

△琴平亭(芝琴平町) 席の真中が魚屋の二階なればにや時に芸妓(ねこ)を見掛ることあり、客席も広く天井も気麗なれ共柱の多き六本に及ぶ、然れ共義太夫は見る者に、非ざれば目障りも差支なからん乎、左手なる定連席には常にかしきりの札あるは御盛な事、騒ぎ連の此方面に多きは蓋し声の見へざる故なり、楽屋は二間ありて入口三角なる室に口語のチンマリと座り居れば五角形の奥の間に真打の四角張て扣(ひか)ゆるも妙なり、茶番の美形に高座へ尻を向るも有ば便所の姿見に己惚党(うぬぼれたう)の嘘(そら)小便に行も多しと、右手は大通りに当れば夏向き風通しは十分なれど法界節抔平気に表を流し行は閉口、時候に連素早く火鉢とマツチの交替は抜目なし

△春日亭(三田四国町) 見掛の立派なる市中之と比ぶるに足る席甚だ少し殊に人形なぞ掛し際(とき)は花々敷表に飾付を為し一際人の目を惹、扨太棹の糸に引れてスツト這入ば左右に桟敷を扣(ひか)へ後には二階の設け有り、至て体裁よく小気麗の寄席なれ共一寸見には便所通ひの路なく讒(わづか)に客の間に細路を明けて通行するは煩さし、尤も左手の桟敷の後に廊下は有れ共多く此処を通る楽屋は二間に分れたれ共割合に穢(むさ)きは不繰合(ふつりあい)なり

△青柳亭(築地二丁目角) 工場多き土地なれ共存外客種のよきは浄瑠璃の一徳乎(少(ちと)手前塩(てまえじほ)の様なれど)木戸に美形の扣(ひか)へ居れあ遂ひ這入り込む若者もあるべし、客席は先づ狭き方にて真(まつ)四角の構造なり、松風一曲来清香の額は義曲に相応(ふさを)しく席亭の強硬手技を採て手拍子抔入る時は忽ち怒鳴り飛ばすは慎(まこと)の聴客(きゝて)をして大に満足せしむる所なり、八九時の頃工場帰りの人々引切なしにがや/\通るは煩けれ共至方(いたしかた)なし

△伊勢本亭(瀬戸物町) 所謂口先ばかり腹腸(はらはた)はなしと唸られし生粋の江戸ツ子魚河岸の兄イ等(だち)の定連多く中々腹腸の無い処で無く何時も此席に掛りし芸人(もの)に後幕乃至比羅を贈るを以て出方も悦ぶべく且つ魚河岸より贈らるゝを名誉となし居るよし、某薬店の広告茶碗は場所柄とて流石商売に抜目なく、席は普請後間もなければ小気麗なれども楽屋は至て狭し

△常盤亭(深川常盤町) 客に三ツ紋付とか髭先生を見受る事稀なれ共去りとて中折帽に折革鞄(おりかばん)なんど云ふ出立の客(もの)も少きは能く土地柄を写せしものと云べし、二階に掛し階子が常に俯伏に成て脊(せな)を顕せるは詰放題座敷に客を詰し後ならでは登せざる証拠なり、席は古く薄穢なけれど客は常に八九部通りは確に有るべし、楽屋は狭き鍵形なれ共四角に集めなば広き方ならん
【義太夫雑誌 55:16-17】
 
寄席めぐり(四)
 
△富士本亭(九段) 袴の裾より毛脛顕はせる書生鼻の下を苦にする官吏夜会結びの令嬢風半分顔の白い赤帽の兵士なんと常に多く、時にお安いとか評判取たる芸妓(ねえさん)のお安からざる御容体(ようす)をも見受く、御簾の苦断なる文字は楽境に入ると云ふ意にも有る乎、客席は余り広からざるも整然(きちん)とした好席なり、場所小高ければ風通しは充分なれ共隣家の蔵遠慮なく建塞(たちふざ)がり居るは面(つら)憎し=と云ふは勝手の話?二階は八畳程あれど下席の天井破格に下り居れば高座を覗く隙三尺斗りとは誠に世間の狭き心地せらる、右手の廊下を伝ふて押戸を開き小梯子四段を降る時は楽屋に達す

△松本亭(今川橋) 古道具屋の品物は新しく共何処やら古めか敷見ゆる物なるが同席の木戸に控し別嬪も席の見狭(みすぼ)らしき為余り栄(さへ)ざりしとは僻目か客席は狭く長方形にして右手は窓なき板張(天井に添て細き明取有るのみ)にして之に寄掛りて聴く時は尻の方(あた)り頸の辺りを後より時々突が如き響(おと)す、小児(こども)なんどの驚きてキヤツト叫べは忽ち逃出す鼠公(ねずこう)ならんとは、楽屋は狭きが上至て・・・妙齢の女義なんど便所へ行んとする時は臀部(おしり)の■(つか)へて難渋すべく去れば便所の如きも押して知べし、客は重に職人にして婦人客稀に三尺帯を前にて引結びたる若物が肌脱にて手拍子を試みつゝあるは頗る滑稽の感あり

△広川亭(深川富吉町) 一昨年?の新築にて体裁よく且つ気麗なる江東一二とも申すべき乎客席は先づ真四角にして真中に板張の通り路を設け左右に便所を控へ殊に右手には余り広からざるも小気麗の庭あり、二階は三方に建られたり、席の新らしきが上瓦斯の皎々として輝き渡れる生等の如き醜(まづ)き御面相を持行が誠に恥かしき程なり、楽屋の構造は中二階にして連り花形の並び居る有様艶麗に、恨むらくは朱羅宇の煙管なきを如何せん(とも何とも思はず)下には車夫突当りて高座の脇には箱屋乃至迎ひの者の休息所あり

△新声舘(神田表神保町) デン通諸君は御承知の如く当舘は元来人形浄瑠璃の為めに建てたるものなれば規模宏壮一寸小劇場の観あり、舞台、客席、楽屋、人形部屋等行き届き居れど兎角に人形浄瑠璃は流行(はやら)ぬ勝ちの東京なれば詮方もなく年中多くは他種のものを興行するは是非なき次第なり、義太夫を興行せぬ以上は「芸林鳥語弄新声」といふ額は何とやら似合しからぬ心地せらるゝは残念といふべし

△家根寅亭(八王子八日町) 汽笛一声飯田町停車場を発し二時間余にして八王子町に達すべし同席へは時々東京娘太夫の旅興行(かせぎ)に御出馬あれば護衛兵を気取る好事家、此処ぞ忠義の仕処と後れ走に駆付天晴御感に預からん抔云ふ野心家もありと、閑話休題(それはさてをき)同席は足場も至極八日町いつも見飽ぬ花形に否聴飽ぬ義太夫に大入り大当りを〆め席亭恐悦芸人万歳とは少(ち)と大袈裟ならんが、先づ田舎にしたては上等の部客席は四十八畳、左に桟敷様の物あり一寸目に付は国益の親玉天狗煙草の広告額にして殆ど四畳敷も有り、客種もよく常に七八部の入あり、当地の堂摺連は耕余義塾、染織学校の生徒等多きを占むるよしにて風采は本場(東京)と大差なし
【義太夫雑誌 56:15-16】
 
寄席めぐり(五)
 
△福槌亭(麻布十番) 山の手にしては一寸賑やかな通りに有ど何時も出方五六名(まい)位にて内二三を除くの外は下町にては畳を対手(あいて)の先生のみなり、去ば始まりも七時頃とて生(せい)の行しは八時過なりしに未だ口二枚目の語り出せしのみ成には思はずオヤツ・・・席の構造も他席と異成(ことなり)し点多く先づ下の中位にも有るべし

△麻布亭(仝三河台) 席の前に四五の兵士立居(たちお)らざる事なく又席内にも八時半頃迄は多くの兵士を見受く殊に日曜の如きは早くより押掛け雪達磨を並べたる如く白服の団体散乱せる様一寸風変なり、客席も先づ可成にて左右に庭あるは夏向尤もよく右に上等席ありて一人前金二円と註されたり、総じて客種よりく人の小娘と年増の美形がまめ/\敷立働らけるは宜(よけ)れど今日此頃大形の火鉢を持来るは余り感心せず

△三崎亭(神田三崎町) 一ト口に云へば小ヂンマリとした奇麗の寄席といふ丈なり、天井の如き中/\妙(おつ)にて瓦斯管の上(さが)れる処に龍を画けり、左は一面開放(あけはなし)となり之に添ふて細長き庭を設け右は粗(まばら)なる竹格子なるが楽屋通ひの陋路(ろじ)此格子に接近し居れば太夫の出入丸見えの姿なり去れば某花形の出で行し際狼二匹のそり/\と席を辞し去るを見たり誠に目触(めざわり)と云ふ

△和泉亭(神田和泉町) 人通り希なる所に有れば何となく寂しき感あり、楽屋ともに二階席にして古けれ共可成広く、後に一段高き定連席あり高座及び其脇とも葦戸にて右は大通(とほり)に面したれば風透(かぜとうし)非常によし便所は普請中にて新壁なり、何嬢何太夫にても十五日興行(うち)通せし事希なりとは誠に希代の席と申すべし

△竹内亭(下谷金杉) その以前は多く落語(いろもの)を興行し居たりしが本春以来義太夫専門の寄席とはなりぬ、何が場末の事とて充分に望むは無理なれども去り迚は義太夫席として慊(あきた)らぬ心地せらる、其楽屋の狭くるしき客席の天井低きなどは我慢もすべきか楽屋に接近したる便所の臭気甚だしきは頗る閉口にて是等は衛生上大にに注意すべきもの、及ぶげくは寧ろ改築を施すべき寄席なり
【義太夫雑誌 57:13-14】