比羅の新意匠
予(おのれ)、曩に贈比羅(おくりびら)の題字に就て聊か記したる事ありしか其後、比羅の図様など披露ありたしなどゝ読者諸君より注文の煽動(おだて)に乗地になり、取敢ず茲に考へ付きし咄嗟の趣向、新意匠といふ程の好案にはあらさrど聊か在来の趣味に異り旧套を脱したる丈が所謂新意匠とや謂はんか、
元来、贈比羅は贔屓客が芸人に対して厚志を表はす迄の物なれぢ、贈らるゝ芸人の身に取りては何分か世間の見得も宜(よ)く大袈裟に謂へば所謂名誉の標章とも見て可ならん歟、然かるに是あれば随つて肩身も弘く、其個数(かず)に依て殆んど人気の多少をも占ひ得べきものなりとす、然(され)ばこそ芸人は鮓(ヤスケ)を三度通さるゝよりも比羅一枚貰つた方が嬉しく思ふも道理なれ、斯の如く比羅は取も直さず名誉の標章とも謂ふべきものなれば無興味の物よりは人の見て以て是(こ)は面白しと賞賛さるゝ物こそ比羅の本色なれ、興味あれば自然と人の眼を惹き随つて其芸人の名も記臆され、話草にも誰々の比羅は凝た趣向だとか、渋い意匠だとか持囃さるゝ訳なり、茲に至つて比羅も啻(ただ)に名誉の標章、人気の看板のみに止(とゞ)まらず、芸人の広告=引札とも謂ふべき便益あり、芸人の比羅を欲がるも無理ならざる次第なり、
第一図は精舎(てら)の堂宇を擬したるもの、堂柱(はしら)に貼りし千社札、納め提灯など霊験いやちこなる法(のり)の庭に人気盛んなる芸人の好評を発揚したるにて、特殊(とりわけ)壺坂など得意(おはこ)の芸人には打て付けといふべし、配色は無論提灯は赤潰し縁(へり)取り文字墨色濃く、薄鼠の堂柱(はしら)に千社札を白抜に認むれば配合尤も宜(よ)し、
第二図は名木の桜に禁制の一札、彼の須磨の浦の若木の桜とも看做し得べく、孰れかと言へば花方の女太夫向にして制示の文句に此花折るべからずと書けば差詰めドースル連の癇癪にも障ろうかと態と避けし所意匠者の苦心なり、熊谷陣屋なと得意に語る嬢には適当の贈比羅といふべし、配色は禁札を黄に桜は言ふまでもなし花の空をボカシに消さば甚だ眺め栄あらんと思はる、
第三図は三味線胴を八分目まで表したるもの、木目面白き果林胴に白抜の象牙の撥は進呈の熨斗に代用し掛けるべき三筋の糸は題字の障りに注意して態と輪のまゝ裾に添へたる所その位置凡ての配合は尤も筆者の手加減を要するものとす、此比羅は無論男女に限らず三味線弾きに贈る方よろしく、別けて櫓太鼓、三曲など好評ある芸人には美妙の二字更に引立ちて一層技芸を発揮するに近からんか、
以上は只、予が咄嗟の思ひ付きを図に顕したる迄なるが、尚同好の諸君は義太夫曲に就て趣向など求められんには中々に興味あるもの出来得る事なるべし、付て曰目今の比羅相場は普通一枚(蝋引寒冷紗、染筆料とも)金五拾銭手の込し物は其上五銭乃至拾銭の増直(ましね)なり、半截は割合に高価(たか)く、二枚続は割合に廉し、以上三種の比羅は大低普通の大さにて一枚六七拾銭も出せば大威張りにて出来得るならんと思はる、何は兎まれ比羅の研究も強ち無用の業にもあるまじき歟
【義太夫雑誌 52:10-12】