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【 樋口吾笑 お礼を申上げる 】

(2023.03.01)
提供者:ね太郎
 浄瑠璃雑誌 385号 23ページ
 
 お礼を申上げる
 文楽座フアンとは仮名、 弊誌一号からの愛読者、四十年来の厚き 御後援を下さつた事を深く感謝します。 此の永き年月を御支援下さつた上に 其の因みを以つて弊誌の記事が公平でない偏頗なりとの 声が高いので読者に影響するだらうとの 御心配をかけたる事は真に恐れ入つて居ります。 今後よく〳〵注意の上にも注意を払ひ、 御期待に背かざらん様努力致すべきを茲に改めて 誓ひます。
 さて私は平素より役者は台詞が拙 いから義大夫を練習せよと勧めて居る者です、 雁治郎でも幸四郎でも 台詞を聞いて何処に名優の値打がありますか、 今日の文楽座に雁治郎や幸四郎の台詞にまける 大夫は一人も居ないと申したいのです。 若しあつたら義大夫界の大恥辱と存じます。 故に仁左衛門の台詞と、 津大夫の言葉との比較は知りませんが、紋下津大夫の言葉は 役者仁左衛門の台詞を蹴飛ばす程の権威 がなくてはなるまいと思ひます。 有つて当然、無ければ切腹ものと心得ますが、 実際如何でしたか御実感を承る事が出来れば 千万結構に存じます。偏頗は致しません、 芸評なれば善悪とも歓迎しますから、 斯道のため奮つて御役稿下さい。 規定に抵触せざる限りは掲載します。御芳情に対し 謹で敬意を表します。
 私は先年雁次郎の富樫と 幸四郎の弁慶に対し随分痛烈に叱つて遣りました、 因より高麗家崇拝者もあれば、 成駒家崇拝者もある世の中。 されど私は浄瑠璃道から渠等の富樫も弁慶も認めない者であります。 若し芝居から浄瑠璃を比較批評し、 又反対に浄瑠璃から芝居を批評する事が 脱線であるならば、浄瑠璃界に権威ある審査員の一人 笹村ふんど氏が那須与市を知らないから 俊寛を聞いた事がないから、 審査を拒否すると云ふた事如何、 素人が芝居相撲映画に対して論説する事をお認め下さるや否や。 また某会の如き玄人が審査して 不平喧囂一遍に潰れた実例を何と御感察なさるか。 浄瑠璃の修養の五十年、 而して其の審査振り如何納得せらるゝか首肯せらるゝか。 これは決して貴公と議論を闘すのではない。 斯る矛盾撞着の起る原因は 人気商売の第一線にあろ者が趣味娯楽を主とせる 素義の差配に与る事ではあるまいかといふて居る者がある。其の理由は稿を改めて陳べませう。(吾笑)