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【 河野国声 面目一新大飛躍の本誌を礼讃す 】

(2023.03.01)
提供者:ね太郎
 浄瑠璃雑誌 385号 15ページ
 
批評の批評?
面目一新大飛躍の本誌を礼讃す
    東京   河野国声
 樋口吾笑老兄へ久し振りで讃辞を 書きます老人の多い斯道では、若輩に属する小生も貴老と識つてモウニ十年になります。 其間の親疎は小生の浄瑠璃熱の上下と、 貴紙の内容の高下と、 貴老の活動振りの緊緩と、いろ〳〵に支配されて、 必ず一定とは言はれませんでした。
 然し吾笑老の性格を知り、 主義を識り、斯道に対する指導精神と 相通ずる点斯道に頭数多しと雖も小生程のものは、 そうタントはあるまいと自ら以て任じ 合ふ程の仲だといふ事は貴老も知つて居られる 筈です。それがどうも 最近チグハグになつて親しく語り合ふ機会もなく、 廻らぬ筆を曲げて投書する程の勇気も出なかつた事は、 ヤハリ満たぬ思ひが有つたんですね、 それは口ばかり達者で、頑固で、 発展性の無い斯道に呆れてか、 千遍一律式の貴紙の編輯法に倦きてか、理由はいろ〳〵あらうが 一番の問題は樋口老兄の生命たる雑誌内容の如何といふ事だつたらうと思ひます。
 又かと思つて封を切つた本月号(堀川のお俊の言葉で言へばこの記事を 読む人には先月号になる)は、第一活字の組み方が読み易くスツキリして来た事で、 遂目を通して見やうかと言ふ気になつた事です。
 第一に文楽座合評、 鴻池サンは先年文楽の古靱師の部屋で紹介されてから 知つた鴻池の御曹司、森下氏は大正十何年頃か日東レコード会杜の専務時代 住吉の氏邸で吾笑老と同行でお目に掛つて以来 辱知の斯道の権威者四人の三人迄が 馴染の人達故でもあるまいが、座談する人達が 達識の人々故、遂引摺られて紋下の沼津の件を読み、 岡崎を読みました。読んで共鳴したのか、 聴き方が同感で有るか 自分の気持ちを言つて貰つて居る様に感じ乍ら、 又多々啓発指導され乍ら、ダン〳〵腹を据えて読み通り、 次で太宰氏の岡崎評を外出の 車の中迄持ち込んで読み続けた。 --そしていろ〳〵の感想の湧くまゝに 十二月十六日の多忙の朝、気持のまゝを原稿用紙に 走らせて居るんです。
 一体義太夫の文句は事実を脚色した、 或は創作の様な狂言であり 綺語でもあらうがあの短い文章語りの間に、 様々な場面の変化と人情の機微を連続させて、 聴衆の心裡に訴へる処にあるので、 芝居や人形で実演すると一番よくわかるんです。
 人形や芝居で見た人が、 素浄瑠璃で聴くと演者の技倆次第では、芝居や人形以上に真に迫つて来るんです。太宰氏の評は芝居を引合ひに出して居るので、 大阪人以外全国の読者は興味深く読まされた事と思ひます、浄瑠璃人はやゝもすると芝居を貶すが 現代芝居で浄瑠璃劇を上演しなかつたら 浄瑠璃はモウト淋れて居る事であらう。 名優の役々を思ひ浮べ例に取つての 批評は適当であると思ふ。
 古靱レコードの忠六を聴いて、 これだけの登場人物は到底現代には 揃へられぬと嘆息した二十年前の自分は又、現在 までも常に芝居を見て古靱一人の 力だけの役者を揃へて芝居を見度いと思ひ 続けて居るんです 人形に魂が入ると一口に言ふが、 人形が達人の語りに一致すれば 魂が入つたので、語りを無視して業をすれば、 其矛盾や相違が形式的のチグハグに成つて 生きぬ動きになるんです。聴衆の耳から入る音と、 目で見る形や色とが頭の中で 一致しないからです、(今コンナ事を筆が書き出したが、当否は先輩や専門家に任せます)極端に言へば古靱の岡崎を紙芝居三十枚に 書いて見せても、画中の人物が動かずに動き、 魂が入つて叫ぶに違ひない。 要するに人形は無表情だから却つていゝんだと思ふんです。 私はよく歌舞伎芝居の最高級品を 本行のテンポで影し、例へば寺子屋一幕を 動きの変化毎に写真に撮影して、 幻燈式に製作映写して大夫に語らしたら、 大夫はトランク一つ持つて満洲、支那迄興行出来、 人形無しに素浄瑠璃で打てぬ現在か嘆くには 当るまいと思つて居るんです。(吾笑曰く、十年以前知巳中尾阿弥也君が計画したのが 則ちこれである。現在は休息して居るが 念願貫徹の時機を狙つて居るものと信ず、 阿弥也君明ありと云ふべし)
 それは扨置き、 芝居や人形を見た目には素浄瑠璃を聴いて、 舞台面を連想する様に本誌の記事を見て、 文楽座の人形も大夫も聴衆の感じも、皆想像出来たといふ 最高の深玄微妙の楽しみをさせられた 事には、平凡な大発見をした次第です。 先月小生も支那の帰りに 急行で梅田から文楽へ飛込んで、古靱一段聴いて 又汽車に乗り込み、金三円なにがしかの 岡崎で有つたが、それに四人の合評を付加し、 太宰氏の理解を添へられて様々の 指導精神まで頂戴して、一冊四十銭では、 今日の雑誌こそ斯道人に取つて安い有り難い 雑誌はありません。
 恐らく自分以外にも本誌を 大切に保存し伊賀越を語る時、習ふ時、 再読三読して指針に仕様と思ふ者は 沢山有るに違ひないと思はる。
 只「批評に感情が有つてはならぬ」 とは同人諸氏の態度で判つて居るが、 批評される人達は皆感情が昂まつて 居るんだから、冷静な批評が事実は冷静 でないのであつて評者も言葉遣ひを軟かにする。 被批評者も感情抜きで善悪共一応咀嚼するといふ事こそ望ましい事だと思ふんです。
 それに就いても思ふ事は、 文楽の職業家達がモツト経世的にも己を 生かす道を考へる事です松竹は商売で有り乍ら 文楽の売れる法を考へ様ともせず、 十年一日の如しで歯がゆいですね。 何事についても何時もそれを考へさせられるが、 今この雑誌を見ても折角の芸を批評をして貰ふ序に、 翌月の演し物決定と同時、 なるべく早く批評者新聞記者等を招き各主なる 大夫の語りを聴いて貰つて、 批評者の理解を加へ聴き手一般観衆の見方を指導的に書いた、 パンフレツトを急造し、芝居の明き迄に 印刷し上げる筋書式のものにして売る。 これは批評者に権威者を集めれば、 今世一の基準として残り、全国の業者及素義には 最上の指針となり、聴衆は聴き方を知り、 聞く趣味が啓発され、 毎月文楽を外しては居られなくなる果ては自らも評者となり、 声有る者は稽古屋に赴くであらう。 要は現代この難解な浄曲を噛み砕かせる親切に欠けて 居るといふ事だと思ふんです。
 大夫は聴手が手強いから 責任的に勉強し聴手は大夫に鎗を入れ様として 腹を据えて来る。舞台と観客との心が通じ、火花が散り交錯、反撥、共鳴等 密接度を加へる為に良くしては阿吽の呼吸で一致し、 悪く下がれば安来節を大向ふが一しよに 掛声する様な渾然一体の気運熱意が 醸成されるので、自然勢ひとなつて顕れる。
 政治も宗教も経済現象も悉く盛んな時は勢ひの渦巻く時である。
 其勢を造るのは新聞雑誌の力、 それを持つ吾笑老!それが一歩を踏み出した好機会自分等も又出来るだけ応援致しませう。
 人の思惑なんか意とせず、 幸に熱烈な意気に執筆せられた大阪の 同人諸氏と共に、貴老の常の信念を思ふ存分 発揮せられん事を熱望して筆を措く次第です。